退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「言葉と歴史と笑顔」について

2015-06-12 02:19:47 | Weblog
雨。パラパラ降る。

倉島節尚「辞書と日本語 国語辞典を解剖する」を読む。

大槻文彦、見坊豪紀、山田忠雄。
「言葉に対する圧倒的な情熱」という意味でこの三人の名前は覚えておいていい。

とりわけ「意味不明な日本語」が飛び交う現在はさらに。
「歴史」を知ればいいかげんな扱いをしていいものではないことが腹にしみる。

自らの「無知」を省みることもなく
「傲岸不遜」とも言うべき態度を恬として恥じない存在は「貧しい」。

いたずらに「祖先」を持ち上げるつもりはないけれど
残念ながら「現在」がどうしようもなく「劣化」しているのは事実。

少なくとも「きちんとした仕事」をすることの意味は今でも失われていないはず。
その「矜持」を持って生きたいもの。

繰り返すが「いいもの」に触れること。
おそらくはその一点に尽きる。

もちろん世の中は「いかがわしいもの」で溢れているのだとして
そこにしか目が行かないのは単なる「視野狭窄」だと思っていれば十分。

それぞれの「現場」で「まともなこと」をやり続けること。
やがて誰かがその「真価」を知る時が来る。

一番好ましいのは「ひたすら好きであること」。
それが「才能」だとわかるためには時間が必要とはいえ。

「対象」が何であろうとかまわない。

ひとつのものを長く見続けた中から
「素敵」としか言いようのないものが生まれる。

ところであなたの「笑顔」は魅力的だろうか。
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