退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『意味』あるいは『自意識の壁』」について

2015-06-15 03:28:36 | Weblog
くもり。やや蒸す。

本は読んだものの失敗。

マル激を観る。

「外交における手打ち」というものについてふむふむ。
「自分が相手に信用されない理由」にはなるほど。

「原因が自分にある」と気付かない者は
延々と相手にその責任を負わせるものらしい。

国立競技場の建設問題には「そういうことだったのか」。
もっとも「いずこも同じ秋の夕暮れ」かも。

どこもかしこも「劣化」ばかりでウンザリする。
せめて未来に「まともな人材」を育てたいもの。

NHKスペシャル「沖縄戦全記録」を観る。

ここでも「教育の酷さ」が圧倒的に。
「捕虜になるくらいなら死ね」と教えられた人々よ。

アメリカ軍が「住民」と「兵士」の区別を付けようもなくなるあたり
「沖縄戦」で認識していれば「ヴェトナム」で「同じ過ち」を繰り返すこともなかったろう。

「戦争」という事態はそれほどに人を狂わせることも忘れずに。
相手を殺傷する武器を手にしていればたいてい「先に撃つ」しかない。

「疑心暗鬼」の果ての「現実」を知った兵士たちは
時間を超えて罪悪感に苦しむことを知っておこう。

その「切実さ」を知りもしない人々が
いたずらに「好戦的」になるのはどうにも。

結局は「まともなコミュニケーション」ができるかどうかだったり。
少なくとも「コミュニケーション」は「相手とするもの」。

どうでもいい「自意識の壁」は取り去らないと。
実に「単純なこと」がわれわれにはできなかったりすることを覚えておきたい。
コメント
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