退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好ましい『肌合い』」について

2015-06-11 02:26:45 | Weblog
晴れ。おだやか。

志村ふくみ・鶴見和子「いのちを纏う 色・織・きものの思想」を読む。

「圧倒的に美しいもの」を知ること。
なるほど着物は「変幻自在」で「環境」あるいは「肌」にもやさしい存在。

かつて先人たちは微妙な色の違いを言葉で表すことができた。
そこに例えば「中東からの影響」があったのを忘れずに。

ゲーテ「色彩論」やシュタイナー「色彩の本質」の「裏打ち」もあって。
「光が見せる色彩のあわい」に「世界の複雑さと美しさ」を見よう。

残念ながら現在のわれわれの「色彩感覚」は酷いほどに貧しい。
ホームページもあるようなので心ある者は見るべし。

もっともネットの映像ではその魅力は半減するかも。
この「水脈」をもっと豊かなものにしたいものではある。

「感覚の洗練」が「思想」や「環境」にもつながるのだという「実例」。
滋賀県立近代美術館にコレクションがあるのでいつか「実物」を見たいと思う。

さて。

深夜マーリンズvsブルージェイズを何気なく観ているうちに。

ライトへの大飛球をフェンスとの距離あるいは目測を誤ってキャッチできなかったイチロー。
本人としてはおそらく相当に悔しかったはず。

その後味方のピッチャーがホームランを打たれたりして。
おそらく「ゲームの流れ」をつかみそこねたのを「肌で感じた」ことだろう。

さすがなのは次の打席でスリーベースを打ち一塁走者を返したこと。
そういうレベルで戦っているのだとあらためて実感する。

自分でできるかどうかは別として
その種の「世界」があるのは知っておいた方がいい。

「変わりない日常」を一変させるものに触れると「世界が変わる」。
「理屈」でなく「肌」で知ろう。
コメント
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