退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ビジネスと若者と秘密」について

2015-06-28 02:18:19 | Weblog
『くもり。夜になって風が吹く。

常見陽平「リクルートという幻想」を読む。

「ビジネス」の世界では「リクルート」が「ブランド」であるらしい。
それを利用して「ビジネス本」を書いている元社員もいるとか。

その種の「喜び」や「達成感」を知らない者としては「はあ、そうですか」。
「数字を上げること」にあまり意味を感じないタイプですまん。

どこの世界でも本当に優れた人間はひと握りであるのだから
敢えて「幻想」を打ち砕く必要があるのかと思った次第。

もっともある時期ある場所に「才能」が集まったりすることはあり。
ただし結局最後は「個人」ではないのか。

たとえばスティーヴ・ジョブズ亡き後のアップルがいい例だとして
リクルートもその類いだとすれば実は「よくあること」で。

かつての「大企業」が消えるのはごく「普通のこと」だったり。
そうしてみると「トヨタの凄さ」が一部わかったようなつもりにもなれて。

ただやはりわからないのは「会社を大きくして何がしたいのか」ということ。
上げ続ける「利益」をどうしたいのかということ。』と書いて昨日は寝る。

仕事の都合でクインビーもお休み。
どうやら三連休になったので明日行くつもり。

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」を読む。

「好ましい未来」が見えていれば人は自らを「幸せ」だとは言わず
逆にそうでない時に「幸せ」だという「事実」。

大昔から「若者論」は繰り返され続けてはいるものの
その「中身」はたいがいが「カス」らしい。

そもそも「若者」という大雑把な枠組みで何かを言ったところで
「自分たちとは違う」という「感想」になるのみ。

厳密に考えれば至極真っ当な結論で終わるはずが
人はついつい誰かに対する「不満」を述べたいものらしく。

自分がよく知らない存在については「ステレオタイプ」な理解になりがちで。
ある種の「パターナリズム=余計なおせっかい」がいつの時代にもある模様。

「自分の人生」を生きていればその他の存在も「同じ土俵」にいるだけ。
「安易な決めつけ」は出来るだけ避けたいもの。

マル激で「盗聴法」を扱った回を観る。

いたずらに「盗聴」を許すと困るのは政治家だったり。
かつてのFBI長官エドガー・フーヴァーのことは知らないのだろうか。

誰しもが持つ「叩けば出るホコリ」を特定の人間がすべて知ってしまったとしたら。
それを材料に脅かされれば何も言えなくなるのは必然。

いたずらに「万能感」を抱くのは愚かだとしても
「権力」が可能にするそれは相当に大きいのでご用心。

「特定秘密保護法」ともども早急に廃止するのがよかろう。
「まともなチェック」が機能しないとあらゆるものは「腐敗」するから。
コメント
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