日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

がんばれ!「街の喫茶店」応援団~前編

2008-03-31 | マーケティング
本日3月31日は世間一般は「年度末」。皆さまも、忙しくバタバタと動き回ったのではないでしょうか。

弊社は2月決算ではありますが、3月はさすがに世間の皆さまが年度末を迎えられるわけで、お付き合いで私もかなり忙しい日々を送らせていただきました。そんな3月に都会の街角で思った外食業界話をひとつ。

忙しいビジネスマン同士が外で打ち合わせをしたり、忙しいアポとアポの合間に寸時を惜しんで資料確認をしたりするときに、探すのが喫茶店。ところが最近は、適当な場所を見つけるのが一苦労なんです。街に溢れる喫茶の類は、たいていドトールやらエクセシオールやらスタバやらのカフェ・チェーン店ばかり。早くて安くてでもそこそこお洒落でけっこうなんですが、落ち着いて話をしたり資料を広げたりは、どこもちょっとねぇというスタイルです。ホント、難儀してます。本当に最近はいわゆる「街の喫茶店」って減ってしまったんですよね。

喫茶店業界は80年代に登場した「ドトール」に代表される、いわゆる当時言われた“100円コーヒー”の台頭が、「大競争時代」の幕開けを宣言したような状況でした。「ベローチェ」など同業がこれに続き、80年代後半~90年代前半には急激に“100円コーヒー”は店舗数を増やし、「安いコーヒー」の時代を確立したのでした。それでもこの時代の「街の喫茶店」は、“100円コーヒー”との棲み分けを「味の良さ」に求めることで、かろうじて存続の道を歩めたのです。

しかし決定的なダメージは90年代後半以降、相次いで登場したシアトル系と言われるコーヒー・チェーンの乱立でした。その代表格が「スターバックス・コーヒー」。「エクセシオール・カフェ」や「タリーズ」がこれに続き、一大“シアトル系ブーム”が巻き起こった訳です。彼らのエスプレッソをベースにした「味」がウリのコーヒー・バリエーションを前にして、「味」をチェーン店との棲み分け材料としてきた「街の喫茶店」はひとたまりもありませんでした。2000年以降、「街の喫茶店」は次々姿を消し、中にはシアトル系の軍門に下りチェーン入りして喫茶を続ける店も出てきてしまったのです。

こんな訳で、我々忙しいビジネスマンが必要とする、打合せや作業場所としての「喫茶店」が今や不足する状況に陥っているのです。「街の喫茶店」の生き残り策やカフェ・チェーン店に対抗できるカフェ・ビジネスはありえないでしょうか?そんなことはないはずです。「街の喫茶店」には、現に私をはじめ今でも多くの人のニーズがあるはずですから。

外食マーケットでは、「値段(価格志向)」→「味(本物志向)」での勝負から先に、「次の勝負どころ」が必ず待っているのです。今の喫茶店は資本力のなさから、ただ単にこまで待ちきれずに、店をたたんだり、敵の軍門に下ったり、となってしまっているのが現状なのでしょう。

「次の勝負どころ」については長くなりそうなので、「年度」をまたいでまた明日。

<音楽夜話>クラプトンが“ザ・バンド”になった日

2008-03-30 | 洋楽
私のクラプトン・フェイバリットです。

76年のアルバム「ノー・リーズン・トゥ・クライ」。スタジオ盤としては昨日の「461オーシャン・ブルバード」から数えて2作目、すなわち“次の次”の作品です。これといった有名曲が入っている訳ではありませんが、リハビリ状態からすっかり立ち直り“レイドバック・クラプトン”が実によくこなれてきて、彼がやりたかった音楽を展開できた、“喜び”に満ち溢れたアルバムであります。

“喜び”最大の理由は、彼の憧れであったボブ・ディラン、そしてザ・バンドとの共演でした。60年代後半に初めて聞いたディラン&ザ・バンドの“ビッグ・ピンク=地下室セッション”で知ったアメリカン・ルーツミュージックという未知の世界に、「ザ・バンドを聞いてクリームを辞めたくなった」と、ギターをかき鳴らすことがロックであると信じて疑わなかった自己の見識の狭さに愕然としたのでした。

その後デラニー&ボニーとの出会いを経て、ルーツロックやスワンプ・ロックを標榜したバンド、デレク&ザ・ドミノスを米国人バンドとして結成するも、ドラッグ生活により音楽活動を寸断。復帰後に、改めて自己の目指す音楽の形を求め「461オーシャン・ブルバード」以降の「レイド・バック路線」を歩みはじめたのでした。そして、ようやく本作で実現した、彼を“大いなる迷い道”に引き込んだ張本人である、ディラン&ザ・バンドとの共演。スタジオはザ・バンド所有の「シャングリラ」、ディランは庭にテントを張って楽曲提供とセッションに参加、ザ・バンドのメンバーはクラプトンとの共作&共演を通じアルバムづくりに全面バックアップをしたのでした。

レコード中袋の写真からもうかがい知れる全編リラックスムードの中、クラプトン風「ルーツ・ロック」を展開させつつ、本当に加入したかったザ・バンドのメンバーよろしく心底楽しんでいる様子は、聞いている側までも思わずほころばせてくれます。このアルバムで憧れの「ザ・バンド」を体感したことにより、この後彼はさらなる飛躍を遂げることができたのです。クラプトン屈指の傑作と言われる次作品「スロー・ハンド」は、そんな流れの中でこのアルバムを受けて生まれた“名盤”であり、同様に以降のクラプトンの数々の“名作”の原型となる“型”は、この「ノー・リーズン・・・」が作ったと言っても過言ではない重要な作品なのです。

ザ・バンドメンバーの作であるA1「ビューティフル・シング」、ディランの作で本人と共演したA3「サイン・ラングウィッジ」はもとより、クラプトン自身の作であるA2「カーニヴァル」B1「ハロー・オールドフレンド」などには、実に生き生きと楽しむクラプトンの姿がそこにあります。そしてラストを飾るB5「ブラック・サマー・レイン」、あの名曲「ワンダフル・トゥナイト」につながるクラプトン流バラードの基本形を、はっきりと見出すことができるのです。

クラプトンの長い歴史の中では一見地味なこのアルバムですが、彼が大好きなザ・バンド的アプローチで制作したクラプトン風「アメリカン・ルーツロック」のひとつの到達点であり、個人的好みでは彼の№1アルバムとして、今も変わらぬ愛聴盤であります。

聞くところによれば、この時のセッションではカバー曲・オリジナル合わせて実に30曲を越すナンバーがマスター・テープに記録され、今も眠ったままになっているそうです。「461」や「クラプトン・ソロ」のCD2枚組デラックス版が相次いで出されている状況の中、「ノー・リーズン・・・」のデラックス版リリースはいつなのかと、クビを長くして待ち続けております。

スプリント決戦~高松宮記念

2008-03-30 | 競馬
中央競馬は、いよいよ春のGⅠシリーズ開幕です。本日は1200メートル短距離決戦GⅠ高松宮記念です。この春は「理論」だ「経験則」だと堅いことを言わずに、お遊び予想に徹します。

さて高松宮記念、ポイントは武豊不在で昨年の覇者①スズカフェニックスに死角はないか?ですね。

1枠1番は差し馬にとって有利とはいえません。しかも小回り中京コースです。実力は、昨年の2着馬との着差2馬身1/2を見る限り、かなり決定的と言えそうですが、枠順とコース、乗り替わりはマイナスで絶対ではないと考えます。

①以外で、実力上位は④、⑦、⑯。⑦は休み明けを嫌って①、④、⑯のBOXで馬連は堅く収まりそうな気配です。テレビ東京土曜競馬中継解説の原良馬オヤジのGⅠ◎は8割の確率で来ないので、1点なら彼の本命①を消して④-⑯ですね。本調子なら⑨、⑩あたりが穴っぽいですが・・・。

大穴は⑰の逃げ残り?
⑯-⑰の“行った行った”ワイドは遊びで抑えたいですね。

結論:ワイド④-⑯とお遊び少々

〈70年代の100枚〉№15 ~ “レイド・バック”クラプトン

2008-03-29 | 洋楽
エリック・クラプトンです。

以前取り上げたデレク&ザ・ドミノス「いとしのレイラ」は、確かに彼のキャリアを代表する作品であり、今でこその「名盤」ですが、当時は散々たる評価で全米TOP40的「100枚」に入るかとなると「?」です。では、「100枚」にふさわしいクラプトンのアルバムは?この質問に私は、必ずしも自分の好みではないのですが、迷わず74年の「461オーシャン・ブルバード」をあげさせていただきます。

15「461オーシャン・ブルバード/エリック・クラプトン」
このアルバムは、決して彼の最高傑作ではありませんし、楽曲ひとつひとつの出来から言えば、「名盤」と言うのも私的にははばかられるところです。ただ全米TOP40的には、アルバムおよびシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」共々、彼としては初のNo.1に輝いた大ヒットアルバムでした。

このようなチャート・アクション上の記録だけでなく、このアルバムが70年代を代表するアルバムにふさわしい理由は、いくつかあります。ひとつは「いとしのレイラ」発表後、コカイン中毒で表舞台から姿を消していた彼を、ザ・フーのピート・タウンゼントをはじめとした音楽仲間が、ドラッグ生活から救い出し制作した当時話題の“復帰盤”であったこと。シングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は、ロックの第一人者が、はじめてレゲエの“教祖”たるボブ・マーリーをカバーし、以降のレゲエの市民権獲得の先駆けとなったこと。そして我々日本人には、このアルバムを引っさげての武道館初来日公演が実現したこと。これらのエボック・メイキングな出来事こそが、このアルバムを70年代洋楽フリークにとって特に意義深い1枚たらしめるのに十分だと思うのです。

演奏的には、クリーム時代の激しくギターを弾きまくるクラプトンはそこにはなく、当時「レイド・バック」と称された至ってリラックスして、リハビリに励むかのような元“神様”の姿を見るようです。収録曲では、先のレゲエ名曲のカバーA⑤「アイ・ショット・ザ・シェリフ」とともに、彼のその後の長きキャリアを通じて「重要曲」と位置づけられる曲に、B③「レット・イット・グロウ」があります。ツェッペリンの名曲「天国への階段」にも似たこの曲の美しい旋律は、この後のクラプトン・バラードの基本形とも言える素晴らしい出来栄えです。

このように「461オーシャン・ブルバード」における“レイドバック・クラプトン”は、その後ロック界のみならずポピュラー音楽界の重要人物として歩む輝かしいキャリアの出発点とも言える1枚です。その意味においても、「70年代の100枚」にふさわしいアルバムなのです。

クラプトンの個人的なフェイバリット・アルバムは、明日の「音楽夜話」で。

経営のトリセツ24 ~ 組織の自浄機能に不可欠なもの

2008-03-28 | 経営
最近の企業不祥事は、内部告発により発覚するというケースがほとんどです。

企業にとって、内部告発を防止するということは、リスク管理上かなり重要な問題であります。内部告発がなぜ起きるのかは、社員が企業内で起きている重大なコンプライアンス違反事例を指摘して正そうにも内部にそういう窓口がない、または取り合ってくれない、ほとんどすべてのケースがそのような理由によるものと考えて間違いありません。

内部告発を未然防止するというと、何か「もみ消し」のようなイメージで、悪いことのように捉えられがちですが、それは間違いです。内部で通報されたコンプライアンス違反などの事例に、適切な対処をせず目をつぶったり、通報した者を不利な立場に追い込んだりすることは、まさに「もみ消し」であり許されないことですが、通報を受けて正常化をはかることは「自浄機能」そのものであり、健全な組織にはなくてはならないのです。その意味では、内部告発が起きる会社は、「自浄機能」が働かない問題のある組織構造にあると言っていいでしょう。

「自浄機能」を有効に働かせる意味で、会社組織にはコンプライアンス違反に関する「通報窓口」が必要なのです。「通報窓口」と言うのは、少々ドギツイですから、名称は「コンプライアンス相談窓口」ぐらいでいいと思いますが、何を受けてくれるところなのか、は全社員に明確に伝えなくてはいけません。

大手企業では、すでに多くの企業でこのような窓口が設けられていますが、中堅、中小ではまだまだのようです。「中小企業にそんなもの必要ないだろう」と思われるかもしれませんが、社長に直接社員のメッセージが届きにくい規模や環境にある企業であれば、どこでも必須と考えた方がよいと思います。

中小企業の内部告発がマスコミに取り上げられて、社会的批判にさらされることになることは、確かにレアケースでしょう。ただ内部告発は対マスコミばかりでなく、告訴や対監督官庁、対労働基準監督署などもあり、それぞれ問題によっては企業の存続を危うくしかねないということを認識をしておく必要があります。先も申し上げたように、「コンプライアンス相談窓口」は企業の「自浄機能」を司る部分であり、小さなコンプライアンス違反を、まだ芽のうちに摘み取って再発を防止する意味でも、大変重要な役割を担っているのです。

次に、どこに窓口を設けるのかですが、大企業なら今やコンプライアンス部門を持っている企業も多いので問題ないでしょうが、中小企業では一般的には総務部門の責任者直轄が適当かと思われます。ただ、小さな組織であればあるほど、総務部門の責任者と他に、もうひとつ窓口を設ける必要があります。それは、総務部門の責任者にからむ通報を受け付けるためのものです。そしてどちらの窓口も、受けた段階で恣意的な対応を排除するために、自動的にトップに伝わるシステムとすることも必要になります。

別の方法として、「相談受付窓口」を外部に置くことも有効です。中立的で「コンプライアンス相談窓口」に正しい理解のある、弁護士やコンプライアンス・オフィサーを受付窓口にしておけば通報者も相談しやすく、恣意的な対応をすべて排除してトップに情報が伝わることになります。いずれにしても重要なことは、通報者が不利益を被ることのないよう、その点が社員から見て明らかに担保されているシステムをつくること。それと、匿名でない通報には必ず調査結果と対応策を確実に返すルールを明確にすることです。

最後にもう一言。
内部統制が働かない中小企業では、一部の人間による組織の私物化や不当な個人利益誘導が行われやすく、役員や部長の職権を利用した使い込みや自己取引がどこの会社でも後を絶たないのは、「自浄機能」がないからに他なりません。“たかが使い込み”とタカをくくっていると、ひとりの悪事が企業をも食いつぶしかねないことだってあるのです。そう考えると、単に内部告発防止目的ということでなく、悪事に対する抑止力として「コンプライアンス相談窓口」が本当に必要なのは、大企業よりはむしろ中小企業の方ではないかと思えるのです。

都知事の体裁づくりに投じられる400億円の“無駄金”

2008-03-26 | ニュース雑感
銀行経営は素人には難しいと以前書かせていただいた新銀行東京。本日、都の追加出資400億円が決定しました。

私の見方はこうです。設立時に1000億円を投じた責任を今問われたくない石原都知事が、自身の体裁づくりと時間稼ぎのために追加出資を強く要望した。特に象徴的なのは、新銀行東京の不良債権問題や大幅赤字が表に出た際、再建計画を云々する前早々から、迷うことなく一貫して「追加出資」を主張していた点です。

今回の追加出資検討に際しての再建計画では、「平成23年度単年度黒字化」という目標設定になっています。ここで気になるのは平成23年という年。石原都知事3期目の任期切れの年でもあります。しかも、目標達成の成否が判明するのは、任期切れ以降のこと。再建の様子をみつつ、旗色悪し思ったら3期の満了を待って「勇退」すればよし、そんな思惑が見え隠れする再建計画と追加出資であります。

再建計画の甘さも大いに気になるところです。柱となっているのは、店舗半減、人員大幅カットによる、経費削減→スリム化・効率化です。確かに、縮小均衡による効率化と追加出資の400億円で、今ある不良債権処理はなんとかメドが立つのかもしれません。しかしながら銀行の再建と言うのは、そんなに簡単なものではありません。不良債権処理をしながら、いかにして優良貸出資産を増やし、収益性の高い健全な金融機関に作り替えるかは、至難の業と言わざるを得ません。

金融危機の時代には、長い歴史と、確固たる経営基盤と蓄積された金融ノウハウをもっていた銀行たる、北海道拓殖銀行でさえも金融当局から「再建」は断念され「破綻」の憂き目にあっているのです。新銀行東京には、歴史も蓄積されたノウハウも確固たる基盤もありません。しかも現在、米サブプライム問題に端を発した、世界同時株安、円高、石油高が景気の足を引っ張りかねない状況にあり、信用供与を本業とする銀行経営は、大変難しい局面に入っていきかねません。

今回の再建計画には、現状を踏まえた資産の入れ替えや優良資産の積み増しに関する具体的な策は一切触れられておらず、どう考えても400億円の出資で単なる“延命措置”を講じたとしか受け取れない内容であると思います。

そう考えると、石原都知事はもともとが大いなる“カッコつけ”氏であり、今回も3期目が始まったばかりの任期途中で、東京オリンピックを実現せずに“カッコ悪い”辞任など到底考えられない、という自身の“延命第一”に考えられた体裁作りであるとしか思えない訳です。

本日の都議会終了後、記者の「400億円は、1000億円に追加でドブに捨てることになるのではないかという声がありますが」という質問に、気色ばんだ顔つきで「これから再建をしようという今の段階で、冷や水を浴びせるような言い方はやめて黙って見てなさい」との強い口調。再建可能の論拠を答える材料もなく、“痛いところ”をつかれヤケにになって声を荒げる、まさに子供のような対応でした。

石原都知事、血税400億円もかけて保身の体裁作りを行う「老害」行動を見るにつけ、「冷や水」を浴びて目を覚まさなくてはいけないのは、あなた自身ではないのかと思いますが・・・。

続報「土浦通り魔事件」~姑息な警察の目くらまし情報戦術に怒る!

2008-03-25 | ニュース雑感
昨日の続きで土浦の通り魔事件がらみです。

2日連続でこのニュースをとりあげることには、理由があります。それは、続報として今朝報じられた一部マスコミの「妹を狙っていた」という記事に怒りを禁じ得ないからに他なりません。テリー伊藤氏も、テレビで同じことを問題視して、声を荒げていたと聞きます。当然です。

怒りは犯人に対するものではなく、警察の情報戦略に対するものです。昨日のブログでも書いたように、昨日までの本事件のトーンは容疑者像の詳細とともに警察の失態による事件責任に集中していました。そこにもってきて、今朝からこの報道が大きく取り上げられはじめたのは、「妹を狙っていた」との供述があったとの警察発表(あるいは意図的リーク)によるものでしょう。これはまさに、警察当局が自身への失態報道をかわすための、“目くらまし情報”に他なりません。自分たちへの批判の矛先をかわそうと言う、あまりにミエミエな、そしてあまりに卑怯なやり口です。

なぜ今この段階で、この情報を流す必要があったのでしょうか。この事件で、凶悪な事件の原因究明や再発防止を求める一般市民が、今必要としている情報はこれなのでしょうか。いかに容疑者の家族であるとはいえ、当の「妹」さんは事件直後に、なぜこんな情報で追い討ちをかけられなくてはいけないのでしょうか。このような警察当局の、あまりに小賢しいやり口は、本当に腹立たしく怒りが収まりません。

根底にあるのは、警察をはじめとした「官」の情報公表体制における“思い上がり”に他なりません。昔から「官」は大抵記者クラブ行政に立脚した情報統制を行い、限られた情報提供を中心に一部のリーク情報を餌にして、上手にマスコミの飼い慣らし化をはかっています。そして、そのような前時代的情報統制の下、さらに“無謀(むほん)新聞社”に対する「出入り禁止」などの“処罰”をチラつかせるなどして、限りなく「言論統制」に近い管理を行っているのです。「記者クラブ」制度に立脚した、“悪の情報操作”がそこにあります。

特に警察関連施設に関しては、“サツ回り”と言われる若手記者が日常から、去勢された馬のごとく従順に飼い慣らされ、与えられる「情報」をありがたく記事にしているのです。今回の報道はまさに、このような暗黙の情報統制下で行われた、警察側の“確信犯”的目くらまし情報提供であると確信しています。

警察当局とともに、嬉しそうに大々的にこの記事を取り上げた一部マスコミも同罪です。先に書いたように、今一番問題とすべき事件の核心は何なのか、容疑者家族と言えども報道される側のプライバシーは守られるのか、など当局の情報公表姿勢に 対する正しい認識を忘れた報道は、当局と同罪として非難を免れ得ません。現場“サツ回り”の若い記者はともかく、デスクや編集委員までもが、当局の“目くらまし”策に甘んじ報道したことには、マスメディアに「官」浄化機能は期待できないと悟らされ、正直落胆の極みです。

昨日も書いたように、本事件は警察当局という「官」の正すべき誤った「文化」が招いた人災であり、この点から矛先を変えさせようとする邪悪な当局の動きに、世論は断固として立ち向かなくていはいけないと思います。「警察権力」という「官」の前に去勢され力にならないマスコミともども、大いなる反省を促されるべき、大問題事件と言えるでしょう。

通り魔事件~警察の失態は“ネズミ捕り”と同じ文化に起因する人災

2008-03-24 | ニュース雑感
日曜日の白昼に、殺人犯が通り魔となって8人に切りつけ一人が死亡するという痛ましい事件が起きました。報道の焦点は、凶悪な犯人像とともに警察はこの事件をなぜ防止できなかったのか、という点に集中しています。

この事件、別の殺人事件で指名手配されていた金川真大容疑者(24)が茨城県土浦市のJR荒川沖駅で電車から降りて改札口に向かい、そこで凶行に及んだものです。土浦署捜査本部は前日の22日昼、容疑者が「捕まえてごらん」と挑発する110番をかけていたことから、容疑者の自宅に近い同駅に、捜査員を重点配置。「私服」の警察官8人を配置していたものの、犯行を防止できなかったのです。

この事件は、なぜ未然に防げなかったのか。その問題点はどこにあったのでしょうか。金川容疑者は17日すでに殺人を犯し、指名手配されていました。その事件は72歳の被害者が、通りがかりの容疑者に玄関外側で首を刺され仰向けで倒れていた、というものです。問題は、この通り魔的殺人の犯人を追う緊急配備が果たして「私服」でよかったのか、という点につきると思っています。

すなわち、犯人は既に殺人を犯し尋常ではない精神状態にあったであろうことが想像に難くないこと、現場近くに乗り捨てられた自転車から足がつき、既に写真も公開され指名手配されていたこと、以上を踏まえると最寄り駅である荒川沖駅への緊急配備は、「私服」ではなく「制服」が妥当であったと言えるのではないでしょうか。

容疑者は自分が指名手配されていることは十分承知していたはずであり、制服警官の大量配備により、新たな犯行の抑止力になるとともに精神的に追い詰めることで、自主投降さえも期待できたと思います。さらに言えば、捜査は既に内偵捜査ではなく、顔写真公開指名手配済であり、警官が「私服」で存在を隠す必要がなぜあったのか、ということ。駅に8人配備されていた警官が、すべて「制服」であったならばこの2件目の騒動殺人は確実に避けられたはずではないのかと思うと、何の罪もない被害者の方々の無念、ご家族の方々の悲しみはいかばかりかと、本当に心苦しく安易な対応をした警察に対する怒りを覚えます。

この「私服」配備は、交通取締りの「ネズミ捕り」と同じ「陰にそっと隠れて、犯行や違反を待って逮捕する」という警察文化が招いた、人災であると思います。以前、当ブログの「ネズミ捕り」話のときに、制服姿やパトカー・白バイを堂々と見せることによる抑止力効果こそが最大の「違反防止策」になるのだから、隠れて違反させて捕まえる「ネズミ捕り」は止めるべきであると、申しました。

警官の「制服」や「パトカー」の存在は、その姿そのものにこそ大きな抑止力があるのです。それをあえて隠し、隠れて違反や犯罪をみすみす起こさせて検挙するという、この国の警察特有のある種の「隠密検挙文化」が最悪の事態を引き起こしてしまったと言えます。国民の安全確保こそ第一とすべき、警察の正しい行動基準のあり方について、犯罪や違反の「未然防止」を最重視する基本的姿勢への転換を、今一度声を大にして訴えたいと思います。

<音楽夜話>春のビルボード、来日ラッシュ

2008-03-23 | 洋楽
この春の音楽ライフが、大変なことになりそうです。

例の六本木「ビルボード・ライブ」ですが、こけら落としのスティーリー・ダン以降、パッとしないラインアップが続いて、「このままじゃ1年持つかいな?」などと勝手な心配をしておりましたが、ここに来て70年代アーティストのライブ決定のニュースが次々と飛び込んで、個人的には嬉しいやら悩ましいやら困っております。

まずは、先日も話題になっていた、トッド・ラングレン様ご一行。行けるかなぁ状態ですが、なんとかしたいですね。トッドの来日決定で、日程が近くやむなく見送ったロバータ・フラッグ(なぜか炉辺焼きのカウンターではためく幟旗を思い浮かべるは私だけ?)。この公演はWOWWOWが収録し放映するという朗報が入り、少々ホッとしました。そして、続いて決まったのが“デルタ・レディ”こと、リタ・クーリッジ。さらに、その元恋人でスワンプ時代のフィクサーであるレオン・ラッセル大先生までもが・・・。もしかして、スケジュール的にかなりニアミスのこの2人、大先生のステージに飛び入りなんてあったりして・・・。考えただけでワクワクします。

そして、予想だにしなかった意外な来日、AOR系のシンガー=ソングライターのスティーブン・ビショップもゴールデン・ウィークにやってまいります。

スティーブン・ビショップといえばアルバム「ケアレス」。けっこう日本では隠れたファンが多かったように記憶しています。シングル「オン・アンド・オン」とか「雨の日の恋」とかもチョイ売れしてました。映画「トッツィー」のテーマ「君に想いを」も彼のナンバーでしたね。蛇足ですが、「雨の日の恋」ってものすごくいい加減なタイトルで、原題の「SAVE IT FOR A RAINY DAY」は「イザと言うときに備えなさい」って慣用句でしょ?「雨の日」は関係ないハズなんだけどなぁ・・。

さらなる蛇足話。大昔、律儀な石田豊アナが司会をしていたNHK-FM日曜日午後6時からの「リクエスト・アワー」の「梅雨時水物特集」で、「雨の日の恋」はよくかかっていました。ちなみに「水物特集」での常連はカスケーズ「悲しき雨音」やCCR「雨を見たかい」とかでした、って相当古い話題です。「納涼水物特集」っていうものありましたっけ。こちらは「雨」以外の水物タイトルの特集で、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」ポール・モーリア「恋は水色」とかが常連でしたね。

かなり話がそれましたので、修正します。
で、スティーブン・ビショップさん、この76年のアルバム「ケアレス」は個人的に大好きな1枚です。“ミスター・メロウ”とか呼ばれていたようで、やや甘すぎる感がなくはないですが、曲とアレンジのよさが光る70年代にしてはかなりお洒落なアルバムです。ラリー・カールトンやエリック・クラプトン、リー・リトナー、アート・ガーファンクル、チャカ・カーン他蒼々たるゲストが入っていたりして、デビュー作にしてかなり期待をもって送り出されたことがよく分かります。先の2曲に加えて「ネバー・レッティング・ゴー」「ワン・モア・ナイト」など、今聞いても全く色あせることない情感の表現が実に見事です。

そんな、スティーブン・ビショップがなぜ今頃来日?と思い調べたら、この2月に新作が出たのでした。タイトルは「ロマンス・イン・リオ」。それがなんと、粋なボサノバのアルバムで、昔のナンバーのセルフカバーも入っているとのこと。先に触れた4曲すべて再演との情報を得て、さっそく現在お取り寄せ中です。到着しましたら、また感想をお知らせしたいと思います。かなり楽しみです。

という訳で、最初の話題に戻って、この春ビルボード・ライブのどの公演を見に行ったらよいのやら・・・。“音楽倒産”してしまいそうな勢いですが、なんとか行ける限りがんばってみたいと思います。30年の時を経て、あの頃ラジオで聞いて憧れていた海の向こうのアーティスト達の演奏が、手を伸ばせば届くようなサイズの「ハコ」でナマで聞けるのですから・・・。70年代アーティストを生で味わい、語り継いでいくことも、私のライフワークであると思う今日この頃です。

★「雨の日の恋」(動画)
http://jp.youtube.com/watch?v=RapIK8chpVE
★「オン・アンド・オン」(動画)
http://jp.youtube.com/watch?v=sMqUQl6Lk5A&feature=related


〈70年代の100枚〉No.14 ~ ビリー・ジョエルの最高傑作

2008-03-22 | 洋楽
「全米トップ40フリーク70年代の100枚」No.14です。

私が思うに70年代の元祖ピアノ・マンはエルトン・ジョンその人ですが、日本でピアノ・マンと言えばビリー・ジョエルを浮かべる方が圧倒的に多いかと思います。

イントロの口笛が印象的なそのタイトル曲がCMで使われ大ヒットした、77年のアルバム「ストレンジャー」。日本では今も昔も、「ビリー=ストレンジャー」の印象が強いように思います。アメリカではこのアルバムから、「素顔のままで」「ムービング・アウト」「若死にするのは善人だけ」「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」と4曲のヒットを量産し、全米2位のベストセラー・アルバムになりました。ですが、「100枚」に選出するには微妙。決して悪くない出来ではありますが、まだまだ荒削りでもうひとつ作りこみ不足の感が感じられます。

ところが翌年78年リリースの次作「ニューヨーク52番街」では一転、実によく作りこまれ完璧と言えるアルバムづくりを披露しました。と言う訳で、

14「ニューヨーク52番街/ビリー・ジョエル」
前作よりプロデュースを引き受けたフィル・ラモーンも、担当2作目にして完全にビリーを掌握し、バック・ミュージシャンのライン・アップから、楽曲のアレンジ、アルバム全体のトーンに至るまで、最高にビリーの才能と個性を引き出すことに成功した作品であると言っていいでしょう。全体のトーンは、前作のどこか冷たさを感じさせる都会の表通り的雰囲気は一掃され、むしろ大都会ニューヨークの裏通りの知られざる“暖かみ”のようなものを見事に表現しています。

また、ゲストの使い方も実に巧みで、ファースト・シングル「マイ・ライフ」には、フィルが当時担当していたシカゴの面々がコーラスで参加。また、フレディ・ハーバードやマイケル・ブレッカーなどのジャズ系一流ミュージシャンを大量起用し、ビリーの音楽性の幅広さを寄り一層引き立たせることにも成功しています。

オジさんもカラオケで歌っちゃう日本で大ヒットの「オネスティ」、個人的ベスト・トラック「マイ・ライフ」、今でもステージ終盤での定番曲「ビッグ・ショット」、ジャズ・フィーリング溢れる「ザンジバル」や中南米のリズムを刻む「ロザリンダの瞳」、ブラスロック調の「自由への半マイル」、朗々と歌い上げる「アンティル・ザ・ナイト」等々、多種多様な全9曲が、どれも素晴らしく完成度の高い出来栄えで収められています。

彼にとっても初の全米№1アルバムで、間違いなく最高傑作と言っていい70年代を代表する作品であると思います。