STAP細胞一連の騒動について、私は自然科学の専門家ではないですし学術界のやり方に関する「常識」も存じ上げませんので、専門領域に突っ込んだ検証は他に譲りつつ、組織メネジメントを専業とする私の立場から1点だけ感じるところを書き留めておきます。
私は商売柄、会議コミュニケーションのあり方や正しい議論の進め方に関してご支援させていただくことも多いのですが、今回のSTAP細胞騒動を見るにどうも議論のポイントが拡散気味で、議論の幹が何であるのかが見えにくくなり、あちらこちらで不要に枝葉の議論が盛り上がっている印象を受けています。これはまるで、議論の進まないヘタクソな会議の典型例と著しく似た状況のようでもあります。
なぜ幹となりうる明確なテーマがありながら議論が本筋からそれることになるのか、と言えば幹に連なる枝葉のテーマが幹と同様に議論参加者の関心を呼び起こすに十分な存在であるケースがほとんどです。すなわち、幹の問題は当然重要で関心の高いものだけれども、枝葉の問題も議論する価値がありそうだ、となると議論を主導するものの意図的な誘導があったり、幹の部分においてはなかなか結論が出ないことのフラストレーションが自然と参加者を別の枝葉議論に導いてしまうということになるのです。
今回のSTAP細胞議論の幹は間違いなく「STAP細胞存在の有無」であるはずです。なぜならば、そもそもこの騒ぎは「万能のSTAP細胞というものが、人為的な作業により存在しうることが発見された」という発表から始まったものであり、今再びこの問題が脚光を浴びている理由は、その発表の信頼をゆるがす事実が明らかになり果たして発表は信頼に足るものであったの否かかこそが問われていることに他ならないからです。
それがどうもいうわけか、話題は論文の切り貼りの問題や、さらには本件とは直接関係のない執筆者の過去の論文における盗用疑惑やら行き過ぎた広報の問題やらにまで、現時点では明らかに枝葉と言える議論が巻き起こっています。現段階では、議論は本来の議論の幹である「STAP細胞存在の有無」に関するものに終始するべきでしょう。有無が明確になりもし「存在しない」という結論が出るのならば、そこから今度は「なぜ、存在するという誤った結論を導き出してしまったのか」という検証に入るべきなのであって、幹の議論の結論すら出ていない段階で本来は結論後の検証事項とされるべき枝葉の議論ばかりが先走って盛り上がっていることには、いささか違和感を禁じ得ないところなのです。
なぜこのような枝葉議論が盛り上がることになってしまったのか。ひとつは、時期を同じくして詐欺師音楽家の正体が暴かれる一件があり、この問題の当事者をこれと同じようなレベル感で捉えようとする野次馬的で至って無知な群衆心理が働いていることがあるように思います。そしてもうひとつさらに重要な問題として、前回のSTAP細胞発見報道時において、幹を外れて枝葉でバカ騒ぎをしてしまったメディアの愚かな報道姿勢があると言えます。やれ割烹着だ黄色い壁だムーミンだと、お騒ぎをしたメディアが自身で抜いたその剣先を疑惑騒動によって収めどころに困ったがための照れ隠し的バカ騒ぎが、幹を外れた枝葉の議論に再度余計な火をつけていると思えるのです。
私には今回の騒動は、企業の会議でよくある社長主導の脇道議論や、簡単には結論に至らないがためのすり替えテーマ議論に、よく似た光景であるなと思えています。ならば、企業経営者にとって今回の騒ぎがどう写っているかによって、社内の議論が枝葉にそれることなく進んでいる企業であるか否かの踏み絵としても使えるのかもしれない、などと思ったりもします。
いずれにしましてもSTAP細胞騒動については、メディアも世間もこれ以上余計な騒ぎを起こすことなく、まず幹である「細胞の存在の有無」に関する第三機関による調査結果を今は静かに待つべきであろうと思います。