日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

通り魔事件~警察の失態は“ネズミ捕り”と同じ文化に起因する人災

2008-03-24 | ニュース雑感
日曜日の白昼に、殺人犯が通り魔となって8人に切りつけ一人が死亡するという痛ましい事件が起きました。報道の焦点は、凶悪な犯人像とともに警察はこの事件をなぜ防止できなかったのか、という点に集中しています。

この事件、別の殺人事件で指名手配されていた金川真大容疑者(24)が茨城県土浦市のJR荒川沖駅で電車から降りて改札口に向かい、そこで凶行に及んだものです。土浦署捜査本部は前日の22日昼、容疑者が「捕まえてごらん」と挑発する110番をかけていたことから、容疑者の自宅に近い同駅に、捜査員を重点配置。「私服」の警察官8人を配置していたものの、犯行を防止できなかったのです。

この事件は、なぜ未然に防げなかったのか。その問題点はどこにあったのでしょうか。金川容疑者は17日すでに殺人を犯し、指名手配されていました。その事件は72歳の被害者が、通りがかりの容疑者に玄関外側で首を刺され仰向けで倒れていた、というものです。問題は、この通り魔的殺人の犯人を追う緊急配備が果たして「私服」でよかったのか、という点につきると思っています。

すなわち、犯人は既に殺人を犯し尋常ではない精神状態にあったであろうことが想像に難くないこと、現場近くに乗り捨てられた自転車から足がつき、既に写真も公開され指名手配されていたこと、以上を踏まえると最寄り駅である荒川沖駅への緊急配備は、「私服」ではなく「制服」が妥当であったと言えるのではないでしょうか。

容疑者は自分が指名手配されていることは十分承知していたはずであり、制服警官の大量配備により、新たな犯行の抑止力になるとともに精神的に追い詰めることで、自主投降さえも期待できたと思います。さらに言えば、捜査は既に内偵捜査ではなく、顔写真公開指名手配済であり、警官が「私服」で存在を隠す必要がなぜあったのか、ということ。駅に8人配備されていた警官が、すべて「制服」であったならばこの2件目の騒動殺人は確実に避けられたはずではないのかと思うと、何の罪もない被害者の方々の無念、ご家族の方々の悲しみはいかばかりかと、本当に心苦しく安易な対応をした警察に対する怒りを覚えます。

この「私服」配備は、交通取締りの「ネズミ捕り」と同じ「陰にそっと隠れて、犯行や違反を待って逮捕する」という警察文化が招いた、人災であると思います。以前、当ブログの「ネズミ捕り」話のときに、制服姿やパトカー・白バイを堂々と見せることによる抑止力効果こそが最大の「違反防止策」になるのだから、隠れて違反させて捕まえる「ネズミ捕り」は止めるべきであると、申しました。

警官の「制服」や「パトカー」の存在は、その姿そのものにこそ大きな抑止力があるのです。それをあえて隠し、隠れて違反や犯罪をみすみす起こさせて検挙するという、この国の警察特有のある種の「隠密検挙文化」が最悪の事態を引き起こしてしまったと言えます。国民の安全確保こそ第一とすべき、警察の正しい行動基準のあり方について、犯罪や違反の「未然防止」を最重視する基本的姿勢への転換を、今一度声を大にして訴えたいと思います。