日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

郵政法案見直しは、許し難い政治的汚点

2012-03-30 | ニュース雑感
消費税増税問題、東電値上げ問題が連日メディアをにぎわせる中、7年前に世間を大騒ぎさせ動き出したはずの郵政民営化法案が大幅な見直しをされるという話が、当時に比べると圧倒的に控え目な報道トーンの下で動いています。

問題の主は自民党。小泉内閣の時代に郵政民営化に反対する者は離党させ“郵政選挙”では刺客まで送り込むという念の入れようで、早期完全民営化への国民合意を得て進めてきたハズのこの法案。民主党政権に替わって、「法案の廃案⇒見直し」を大方針として掲げる国民新党との連立流れもあり、民営化の道筋は小泉内閣時代の目論みとは様相を変えてきてはいました。

しかし、そんな連立与党の「郵政法案廃案⇒見直し」には一貫して反対し、前回衆院選においても完全民営路線堅持を方針に掲げてきたはずの自民党、突然の寝返りなわけです。理由が判然としません。表向きは、選挙協力関係にあり前政権では連立を組んでいた公明党の動きに合わせたということのようで。公明党は、復興財源としてクローズアップされる国の郵政株売却を早期に進めるべく、現状凍結中の同法案を再稼働させるべきであるとの判断から、独自の見直し案を提示して与野党丸くおさめようという動きに出たようです。

自民党は、まずは遠くない将来に予想される「解散⇒総選挙」をにらみ公明党との関係は維持したいと。さらに一部報道によれば、もともと自民党の大きな支持母体で集票マシンでもあった郵政の特定局長会が、郵政選挙以降国民新党支持に流れていたものが、“造反議員”の相次ぐ自民党復党後は国民新党では頼りないということもあり、再度自民党議員のパーティ券大口購入などを通じてかなり関係を戻してきているとも。すなわち、“カネと票”の誘惑の前に政策はいとも簡単に転換を余儀なくされた、ということのようです。

なんという情けなさでしょう。私は個人的に郵政民営化問題には、全銀協出向時代に金融界が考える改革案を国に提示する等の仕事で直接かかわっていただけに人一倍この問題への思い入れが強いのですが、それにしても大増税議論の陰で国民の審判を仰ぐことなくちゃんとした議論もなされずに国民の総意を得て動き出した方針を大幅に見直しするというのは、あまりにも無責任ではないのかと思うわけです。

今回の見直し案の大きな問題点は、郵政にユニバーサル・サービスを義務付け公的機関の色合いを濃くすることで完全民営化に期限を設けないこと、にあります。結局完全民営化に期限を設けなければ、親方日の丸風土での赤字垂れ流し体質は何も変わらないのではないでしょうか。ユニバーサル・サービスの堅持を理由にあげていますが、この問題は完全民営化を進める中での各論ベースで議論をすればいい話です。具体論に踏み込めば、過疎地におけるサービスの維持は、民営化郵政を含めた地銀や協同組合金融を対象とした民間の挙手制にして、国が存続維持の必要性を認めるものには補助金を出す方法で十分機能すると思うのです。

現政権は政権奪取直後に、民間から招いた西川前JP社長のクビをいとも簡単に切り元官僚を“天下り”トップに据え“官業回帰”のレールを敷き直してしまっているわけで、このことを忘れて今回の法案を可決することは、民営化が絵に描いた餅に終わらせることに他なりません。また、国の傘の下にある巨大金融機関が厳然と存在し続けることは、我が国金融市場をアンフェア性を正すことなくその健全性をゆがめることにもなるのです。

それにしても情けない。小泉改革の良し悪しを申し上げているのではなく、国民の審判を経て決められたものが、結局は“カネと票”のためにいとも簡単にその根本がゆるがせになってしまう。それがあまりに情けないです。“カネと票”にモノを言わせてきた特定局長会をそでにし、本当にこの国にどのような改革が必要かと言う観点で郵政改革取り組んだからこそ、完全民営化路線がすすできたというのに、結局“カネと票”の力で元に改革以前に引き戻されてしまう。我が国に真の政治は存在しないを実感させられる、大きな政治的汚点であると思います。

増税が増税を生み、東電は益々開き直る、という悪法案

2012-03-29 | ニュース雑感
消費税増税法案が、30日に閣議決定され国会へ提出されることとなりました。いよいよ首相“不退転の決意”による増税に向けて本格的に動き出すことになったようです。

今の我が国の国家財政における危機的な状況や、将来にわたる福祉財源の確保等を考えたときに、もちろん増税の必要性は十分認識をしております。しかし、まず国としてどこまで努力するのか、「ここまで国も努力をするので国民の皆さんもご協力いただきたい」という姿勢がなぜとれないのか、その点がただただ理解に苦しむところです。

民主党内では現在、実質経済成長率を導入条件として付加するか否かが議論の焦点となっているようですが、それよりも先に議論すべきは増税実施条件としての歳出削減目標の設定です。そもそも増税議論が巻き起こり始めた頃には、まず国が歳出削減の努力姿勢を示し目標を掲げてそれを達成すること、それこそが何よりも求められていたと記憶しています。

「増税の前提は歳出削減」という議論がなされていたハズであったのに、いつの間にか消え失せてしまい(事業仕分けも着地が見えぬパフォーマンスに終始)、政治家と官僚が自らの努力を放棄し導入の可否を実質経済成長率議論に委ねる議論にすり替わってしまったのではないでしょうか。増税の前に歳出削減!基本に立ち返って再度真剣に議論すべきはこちらであると思います。

企業経営において会社が財務的に窮地に立った場合にも、従業員負担となる従業員給与に手をつけるのは最後の手段とされるのがセオリーです(賞与は、業績反映が基本であり、そのカットは別問題)。まずは、具体的な目標をもった経費の削減が最優先されます。その削減が実現されなお支出を削るべき危機的状況にあるのであれば、やむを得ず従業員負担に手をつける、これが責任ある経営者のやり方です。いきなり、従業員のクビを切ったり給与の一律カットを行ったりすれば経営に対する信頼感は損なわれ、求心力は急速に衰えて企業は衰退の一途をたどることになるでしょう。

国も同じこと。私は増税の問題では何度も何度も同じことを訴えかけていますが、5%の増税をするのならまず国は例えば1~2%相当分の歳出削減を3年後までに実現し、その実現を増税の条件とする。民間では当たり前に目標に対する達成を持って、次のステップに進むというやり方がなぜできないのか、です。国の努力があってはじめて、「国もここまでがんばっている。我々国民一人ひとりが増税の負担をするものやむなし」と、増税への理解が得られるのではないでしょうか。

1~2%分を削減でねん出しなければならないとなれば、議員報酬や文書費見直しや公務員宿舎の取り扱いなどに関しても、もっと真剣な取り組みが求められるハズです。現状は、言ってみれば当事者の危機意識があまりに希薄であり、それが国民に伝わるからこそ「増税の必要性は理解できるが、今の国の姿勢を見るにどうも納得がいかない」ということになるのだと思うのです。

それと、この1~2%削減がバッファとして必要な明確な理由が別にあります。1%で2兆円の税収増、5%で10兆円の税収増とまことしやかに言われてもいるのですが、ここには大きな落とし穴があるのです。仮に5%の増税をしても、少子化や高齢化による国民消費支出の減少や、生活必需品への軽減税率導入等により実効の増税幅は5%よりも1%以上低くなるのは確実なのです。

もしそうなるなら、当然さらなる増税議論が巻きこるのは確実であり、5%増税で見込んだ効果を達成せんがために、「さらに2%の増税にご理解いただきたい」なんて首相のお願いが出される絵ずらが浮かんでくるではないですか。将来に誤った方針によるツケを残さないためにも、バッファづくりは絶対に必要なのです。

さらにこれとは別にもうひとつ、国の削減目標達成を増税の条件としたい理由があります。それは、国が自己努力もしないでたまりにたまったツケを平気で国民負担と言う形で一方的に押し付けようとするから、東京電力もまた同じようなやり方を平気でするのではないかということです。資産売却、給与見直し等の自己努力の目標設定すらせずに、「我々も削減努力をしますので、値上げにどうかご協力を」と言われても、誰が「ハイ、そうですか」と納得しますか。

東電のいい加減な姿勢は、国のいい加減な姿勢の“写し絵”であると思えてなりません。昔から人材教育において、「部下は上司の背を見て育つ」と言います。上司がだらしなければ、部下は「俺だけしっかりする必要はない」と思いだらしなく育つのです。国民の不満がおさまるどころか“火に油状態”の東電の姿勢を一新させるためにも、国がまず“上司”として範を示す必要性を強く感じています。今の国と東電の連動性を見るに、国が“無責任増税”に踏み切るなら東電のやり方は何を言っても変わりようがないなと、改めて思わされる訳です。

危機的財政の抜本改革と福祉財源確保に向けて増税の方針を決めることは結構です。ただ一方的に国民負担を強いるのではなく、国の歳出削減努力を数字で表しそれを増税の条件とする、責任ある政治とはそういう確固たる姿勢を国民に示すことなのではないでしょうか。東電の問題は増税議論の枝葉かもしれません。しかし増税法案国会審議においては、今更ではありますが、この「財政支出削減条件クリア」をセットにした増税方針をなんとか議論の土俵にあげてもらいたく切に望む次第です。歳出削減実現を条件としない増税は、「国のやってはいけない」であると思います。

猫ひろしと日本の製造業

2012-03-27 | 経営
「宮尾ススムと日本の社長」みたいなタイトルになってしまいました。
芸人の猫ひろしが、カンボジアのオリンピック・マラソン代表に選出されたと報道され、賛否があちこちで闘わされているようです。私は特に否定派ではありませんが、今回の件を聞くに商売柄日本の製造業の海外進出の実態を思い浮かべてしまいました。

日本の製造業は戦後日本の経済成長を支えてきましたが、経済の成熟化と国際競争の激化の中で、コストダウンの切り札的に製造部門の海外進出を進めてきました。言ってみれば、アジアの発展途上国との経済水準格差を利用した自己利益の実現であったわけです。

猫ひろしの場合も言ってみれば同じ。スポーツにおける水準格差を利用して、“スポーツ発展途上国”で代表の座を手にするという裏技を使ったわけです。ネット上で繰り広げられる“猫バッシング”は、「そんな汚い手を使ってまでオリンピックに出たいのか」「軍国主義時代と同じ、アジアをバカにした日本の恥」「オリンピック精神を愚弄する行為」等々。それらの見方が正しいとは言い難いものの、一見するとそれはそれで言い得ている部分もあるのかなと思わされもします。果たしてどうなんでしょう。

私は、結論は今出すべき問題ではないと思っています。猫ひろしが今回のオリンピック出場を単に自己の利益のためだけに利用し終わってしまうのであれば、上記のような非難もその段階では受けて当然のものであるのかもしれません。しかし彼が、このオリンピック出場をひとつの契機として、カンボジアのスポーツ振興やその水準向上に資する活動を継続していくのなら、今回の件も含めて全く非難されるような問題にはあたらないのだと思うのです。

日本企業の海外進出もまた同じこと。安価な労働力を求めて90年代以降一斉に中国進出をした日本企業が、昨今の労働コストの上昇でこぞってベトナムやタイへとその拠点を移している姿を見るに、どうも首を傾げたくなるのです。もちろん進出段階で、自己利益だけではない雇用の創造や技術力の移植等の現地メリットは、ある程度確保されていたはずと思いますが。

私が知る、とある精密機器製造の中堅企業は、80年代からマレーシアに製造拠点を持っていました。業界のさまざまな事情があり2000年前後に工場閉鎖を決めたのですが、その社長の決断は、単なる閉鎖ではなく工場敷地の再利用でした。そしてはじめたのは海産物の養殖事業。目的は雇用継続の確保でした。「これまでお世話になった国や地域に対して、自己の勝手で利用だけして使い捨てるようなことは断じてできない」。素晴らしい経営者です。

日本の製造業が今韓国勢に劣勢を強いられている大きな理由の一つに、途上国をコストセンターとしてしか捉えてこなかったということもあげられています。現地をプロフィットセンターとして捉え、地域とのウイン=ウインの関係をいかに築きあげるのかという問題こそが、戦前の植民地化政策にも根差しているかのような日本企業のアジア戦略を根本から転換させ、真の国際化への道が開かれるのではないかと思うのです。

話が大きな方向に流れすぎましたが、猫ひろしにはぜひともオリンピックをスタートにした現地のスポーツ振興に腐心していただき、日本企業のアジア戦略にも一石を投じるようなあるべき国際化精神の象徴としての活躍を期待したいと思います。

野田首相、日本はリンゴ・スターじゃないですか?

2012-03-26 | ニュース雑感
「環太平洋連携協定(TPP)はビートルズだ」。野田佳彦首相は24日の都内での講演で、TPP交渉参加を検討している日本の立場を、英人気ロックバンドのメンバーに例えて説明、政府の方針に理解を求めた。首相は「日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはあり得ない」と強調。その上で「米国はジョン・レノンだ。この2人がきちっとハーモニーしなければいけない」と述べ、日本の交渉参加への決意を重ねて示した。(時事ドッドコムhttp://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2012032400275より)

野田首相TPPをビートルズに例えるとは、ビートルズに特別な感情を持つ者が多い我々世代への人気取りですかね。だとしたら、半端ない洋楽ファンから言わせればちょっと浅すぎないかなと…。

首相が日本に例えたポール・マッカートニーは、「イエスタディ」や「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」の作者として知られる偉大なるアーティストです。米国をジョン・レノンに例えるのはともかくとして、今の日本をポールなんかに例えたら、そりゃポールが怒るんじゃないでしょうか。私はせいぜい例えてリンゴ・スターだと思いますけど。

◆<検証>リンゴ・スターのビートルズ関連エピソードと日本の類似点
①最後の最後、ビートルズのメジャーデビュー直前にメンバー加入
⇒我が国のTPP協議参加表明と同じ
②ドラムで加入するも、デビューシングルではタンバリンを叩かされる屈辱を味わう
⇒もしTPP加盟をした場合、これに近い屈辱がきっとあるでしょう
③メンバー随一の歌下手。よせばいいのに懲りずに歌う
⇒日本の外交音痴、外交下手ぶりを象徴します
④ほとんどの曲で主役を務めず、常に脇役的存在
⇒結局お情けビートルズ。リーダー、ジョン・レノン(米国)の言いなりです
⑤ソロとしてはジョンに曲を作ってもらったりプロデュースしてもらっていた時代は売れていた
⇒結局アメリカの傘の下でのみ偉そうな顔ができている日本。アメリカに見捨てられたら70年代後半以降のリンゴ同様悲惨なことになるでしょう

どうでしょう。ポールよりリンゴですよね。首相が言うジョンとポールのハーモニーって対等なもののすることじゃないですか。今の日本はジョンが歌う歌にハモはおろか、「黙ってドラムだけ叩いてろ!」って言われて、まさしく“太鼓持ち状態”。日本はどう考えてもリンゴじゃないでしょうか。

それとも、もしかして野田首相は、ポールが70年4月にビートルズからの脱退を宣言したことでビートルズを解散に追い込んだ張本人であるという歴史的事実を知った上で、ポールに例えたとか。TPPには参加するけど、脱退も辞さない姿勢で自己主張をちゃんとして結果TPPを解散に追い込んでやるんだという、意思表示?仮に野田首相が相当な洋楽ファンで、ここまで言及したいがためにあえてビートルズとポールを持ち出したのだとしたら、それはけっこう評価できる例え話であるやに思いますが…。

そうでないなら、ポール・マッカートニーに失礼ですから、「すいません私はあまり詳しくビートルズのことを知りませんで、間違ったことを申し上げました。日本はリンゴ・スターに例えるべきでありました」とお詫び&訂正をするべきでしょう。

“ジョブズ教”クック新指導者の苦悩と苦肉

2012-03-23 | ビジネス
アップルの新iPad、予想通りと言うか予定通りというか、発売日にはアップルショップの前に行列ができ、いつもの光景が展開されました。

前回新iPadの話を書いたら、予想はしていたものの、炎上まではいかきませんがけっこう厳しいコメントも頂戴しました。実のところ私、IT素人ではありますが素人なりにiPod以降のアップル・ファンでもありまして(今もiPadでこれを打っています)、“俄か”と言われてしまえばそれまでですが、劇的な進歩を遂げてきたアップル製品を利用する一支持者として期待を寄せるが故に、新iPadのややガッカリ感を書いたところ、「勝手に期待するな!」などと厳しいお言葉を頂戴したわけです。

ちょうど時期を同じくして、「アップルはイノベーションのジレンマに陥っている」と書かれた広瀬隆雄さんのエントリーにも、かなりの数の批判的コメントが入っていました。広瀬さんはプロの投資家の目から見た、一企業としてのアップルをマネジメント分析の観点から論じられた訳ですが、どうも信奉者の皆さまのお気に召されなかったようで…。アップルに心酔している年季の入った“専門家”の皆さんから見ると、「アップル“素人”が、自分のフィールドに引っ張り込んで勝手なことを言うな!」と、そんなことなんでしょう。このような反応を「何かに似ている」と思いよくよく考えてると、スティーブ・ジョブズ氏の急逝により彼は一層神格化され、ジョブズのアップルは以前にも増して「宗教」か「思想」のようになったように思えるのです。

ITにはそういう要素は十分あると思います。カリスマ開発者は、人が考えもしないことを実現したり、不可能と思っていたことを可能にしたり、技術革新を通して生活を豊かにしたり…。ジョブズが生前してきたことはまさしくそういう部類に属し、彼自身が利用者から見れば「神」的な存在であるわけで。「神」の周りに支持者が集まる、言ってみれば“ジョブズ教”。“ジョブズ教”などと言うと、またまたたくさんのお叱りをいただくことにもなりそうなのですが、アップルに心酔している年季の入った“専門家”の皆さんは“ジョブス教”信者なのかな、アップストア前にできる行列は“巡礼行列”ではないのかなと感じるところ大であります。

そう考えると、ジョブズ氏の跡を継いだクック氏がとっているこれまでのやり方には、その理由が見えてくるような気がします。絶対的なカリスマである“教組”が突然亡くなってしまった場合、その跡を継ぐ者の施策立案には想像を絶する緊張感と大変さがあると思われます。それが血縁で結ばれた後継者であるならまだしも、全くの他人であるならなおのことです。新体制や自分に対する“信者”たちの信頼感がある程度得られるまでは、カリスマ生前のやり方を踏襲し自身のカラーは極力抑える、仮に私がその立場にあるなら間違いなくそうするでしょう。

iPoneが「4」ではなく「4S」であった理由、iPadが「3」ではなく「NEW」であった理由はそんなところにあるのではないかと。確かに、iPadで見てみると第一世代から「2」へのアップグレードはカメラ搭載と軽量化とハイスペック化がその主な内容で、今回の「2」から「NEW」へのアップグレードは高解像度への飛躍的ハイスペック化とカメラの性能アップとSiriの搭載がその主なものです。両者を比べてもなぜ今回「3」を名乗らなかったのかは、機能面だけからは説明がつきにくく、カリスマの跡を継いだ後継者の苦肉の策だったのではないかと思うのです。

であるにしても、昨年のiPoneが「4」→「4S」であったのに対して、今回のiPadは「2」→「2S」ではなくて「NEW」。カリスマの死後半年を経て、クック氏はおっかなびっくりでありながらも徐々に自分のカラーを出しつつあるのではないかとも受け取れるように思っています。そうやって考えると先ごろクック氏が発表したジョブズ時代にはなかった株主配当の実施もまた、カリスマ指導者の後継者としての自己主張の表れではないのかと。クック氏が次にどのような手を打って“ジョブズ教”の新指導者として“信者”を束ねて導いていくのか、アップルの新製品とともに一般的に難しいとされるカリスマ経営者の後継継承術のヒントを探る観点からも大いに注目されるところです。

東電4月値上げ断念の今こそ、破たん処理の決断時

2012-03-22 | ニュース雑感
最初のセンテンスは、私が今朝書きかけたエントリーです。

東電の法人向け電気料金値上げの話は4月1日実施と言うことで、あと10日。このままなし崩し的に「値上げ成立」などというゴリ押し値上げは絶対に許してはならないわけで、それを阻止できるか否かは、この先1週間当事者の声を中心とした世論がいかに東電の誤った行動を騒ぎ立てるか如何にかかっていると思います。

ここまで書きかけたところ、東電は4月以降に契約更改を迎える顧客への説明が不足していたとして、同顧客の契約期間が切れるまで現行料金を継続する方針を表明したとの報が入ってまいりました。枝野経産相も東電の説明不足について「報告を聞いて開いた口がふさがらない。経営体質は全く変わっていない」と厳しく批判し、4月からの一斉値上げは回避される見通しとなったようです。

この値上げ回避、実は「ゴリ押し値上げを阻止できてよかった」という以上に大きな意味合いを持っています。それは、今回のゴリ押し値上げ断念は東電の再建計画策定に大きな影響を確実に与えるという観点です。東電は4月から企業向け料金を一斉に引き上げることで収益改善計画を描き、公的資金注入の前提となる再建計画の策定を目論んでいたわけですが、この目論みは大きく狂うことになったのです。

平たく言えば、世論の“反東電コール”に押された今回の4月一斉値上げ断念は、東電再建計画の青写真を根本的に狂わせたことになり、東電“延命”は正念場を迎えたと言えるでしょう。すなわち、若干の飛躍的表現を承知でさらに言い方を変えるなら、世論は「値上げ反対」を通して東電の国民経済を巻き添えにした同社の“延命”に「ノー」を突きつけている訳であり、国民経済の犠牲の上に立った政府の再建方針に国民が「ノー」の意思表示をしたとも言えるのです。

となると今、枝野大臣の出すべきコメントは間違っています。「開いた口がふさがらない」などというのはとうの昔に国民が皆口にしていることであり、今は一刻も早く「国民の声に従い、東電を破たん処理する」と断言すべきではないのかと思うのです。当ブログではこれまでも国の主導により株主責任、貸し手責任を明確化させた破たん処理スキームへの移行の必要性を申し上げてきましたが、今こそ政府は決断すべき時でしょう。

恐らくこの先、個別契約更新時の値上げ交渉や個人向け料金値上げ申請等の動きが出されるたびに、今回同様国民の「ノー」は繰り返し出されるハズであり、東電の延命措置は最終的に国民の総意として却下される運命にあると思われるからです。時間と税金の無駄遣いはやめてもらいたい。メディアも、今回の4月1日値上げ回避を大きな契機として、東電破たん処理に向けた世論の高まりをしっかりとフォローしてほしいと思います。