消費税増税問題、東電値上げ問題が連日メディアをにぎわせる中、7年前に世間を大騒ぎさせ動き出したはずの郵政民営化法案が大幅な見直しをされるという話が、当時に比べると圧倒的に控え目な報道トーンの下で動いています。
問題の主は自民党。小泉内閣の時代に郵政民営化に反対する者は離党させ“郵政選挙”では刺客まで送り込むという念の入れようで、早期完全民営化への国民合意を得て進めてきたハズのこの法案。民主党政権に替わって、「法案の廃案⇒見直し」を大方針として掲げる国民新党との連立流れもあり、民営化の道筋は小泉内閣時代の目論みとは様相を変えてきてはいました。
しかし、そんな連立与党の「郵政法案廃案⇒見直し」には一貫して反対し、前回衆院選においても完全民営路線堅持を方針に掲げてきたはずの自民党、突然の寝返りなわけです。理由が判然としません。表向きは、選挙協力関係にあり前政権では連立を組んでいた公明党の動きに合わせたということのようで。公明党は、復興財源としてクローズアップされる国の郵政株売却を早期に進めるべく、現状凍結中の同法案を再稼働させるべきであるとの判断から、独自の見直し案を提示して与野党丸くおさめようという動きに出たようです。
自民党は、まずは遠くない将来に予想される「解散⇒総選挙」をにらみ公明党との関係は維持したいと。さらに一部報道によれば、もともと自民党の大きな支持母体で集票マシンでもあった郵政の特定局長会が、郵政選挙以降国民新党支持に流れていたものが、“造反議員”の相次ぐ自民党復党後は国民新党では頼りないということもあり、再度自民党議員のパーティ券大口購入などを通じてかなり関係を戻してきているとも。すなわち、“カネと票”の誘惑の前に政策はいとも簡単に転換を余儀なくされた、ということのようです。
なんという情けなさでしょう。私は個人的に郵政民営化問題には、全銀協出向時代に金融界が考える改革案を国に提示する等の仕事で直接かかわっていただけに人一倍この問題への思い入れが強いのですが、それにしても大増税議論の陰で国民の審判を仰ぐことなくちゃんとした議論もなされずに国民の総意を得て動き出した方針を大幅に見直しするというのは、あまりにも無責任ではないのかと思うわけです。
今回の見直し案の大きな問題点は、郵政にユニバーサル・サービスを義務付け公的機関の色合いを濃くすることで完全民営化に期限を設けないこと、にあります。結局完全民営化に期限を設けなければ、親方日の丸風土での赤字垂れ流し体質は何も変わらないのではないでしょうか。ユニバーサル・サービスの堅持を理由にあげていますが、この問題は完全民営化を進める中での各論ベースで議論をすればいい話です。具体論に踏み込めば、過疎地におけるサービスの維持は、民営化郵政を含めた地銀や協同組合金融を対象とした民間の挙手制にして、国が存続維持の必要性を認めるものには補助金を出す方法で十分機能すると思うのです。
現政権は政権奪取直後に、民間から招いた西川前JP社長のクビをいとも簡単に切り元官僚を“天下り”トップに据え“官業回帰”のレールを敷き直してしまっているわけで、このことを忘れて今回の法案を可決することは、民営化が絵に描いた餅に終わらせることに他なりません。また、国の傘の下にある巨大金融機関が厳然と存在し続けることは、我が国金融市場をアンフェア性を正すことなくその健全性をゆがめることにもなるのです。
それにしても情けない。小泉改革の良し悪しを申し上げているのではなく、国民の審判を経て決められたものが、結局は“カネと票”のためにいとも簡単にその根本がゆるがせになってしまう。それがあまりに情けないです。“カネと票”にモノを言わせてきた特定局長会をそでにし、本当にこの国にどのような改革が必要かと言う観点で郵政改革取り組んだからこそ、完全民営化路線がすすできたというのに、結局“カネと票”の力で元に改革以前に引き戻されてしまう。我が国に真の政治は存在しないを実感させられる、大きな政治的汚点であると思います。