日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

神楽坂「伊勢藤」~「風情」という“非日常性”を売る居酒屋

2010-07-30 | ビジネス
神楽坂に知る人ぞ知る“居酒屋”「伊勢藤」というお店があります(ちなみに私は最近まで知りませんでした)。先日店の前を通ったのですが、屋根の低い木造平屋の昔ながらの日本家屋といった風情で、店の前にはメニューも何もなく、筆文字の看板がわずかに「伊勢藤」を語るのみ。入口と思しき場所には縄のれんがかかっていて、そこからぼんやり透けて見えたのですがなにやら薄暗い中に人影がけっこうあるようでした。でもあまりに静か・・・。入口はオープンエアなのに話声ひとつもれてこないのです。私は「ここ何屋さん?」と思ったぐらいですから。

目にした光景がなんとも不思議だったのでネットで調べてみたのですが、実に興味深い“有名店”であることが分かりました。ネット上に書き込まれた利用者による“口コミ情報”によれば、「伊勢藤」は「いせとう」と読むそうで、詳しいことは分かりませんが歴史はかなり古いらしく、いい表現をすれば花街として栄えた“古き良き神楽坂”を今に伝える数少ないお店だそうです。まず特筆すべきは、飲みモノは「日本酒(白鷹)」のみ。それを「冷や」か「燗」の飲み方を選ぶ。いまどきビールのない居酒屋ってちょっと珍しいです(この季節ビールがないのは辛いかも)。つまみは黙っていても「一汁四菜」が出されるそうです。他にも多少のつまみはあるようですが基本はこれだそうで、いきなり余計な注文をしようものなら、「まずこれを食べてから」と軽い“ご指導”をいただくそうです。

何よりあのオープンエアの入口から音ひとつ漏れない理由ですが「気になる話声は厳禁」だそうで、普通の飲み会レベルの音量で話をしていると、店主より「ちょっと声が大きいですよ」とこれまた“ご指導”をたまわるのだとか。なので、皆さん連れを伴って入った客人も自然とヒソヒソ、口数も少なくなるようです。何よりある利用者が書き込んでいましたが、「話をしていると、周囲にみな聞かれているようでちょっとその気にならない不思議なムードがある」と。中には、「修行場のような雰囲気」とまで言っている人もおりました。「おひとり様」も多いようですが、私が外から見た人影は2~4人連れがちらほらいたように思われ、仕事帰りに「小声」で何を話しているのかそれはそれで興味をそそられることろではあります。少なくともストレス発散にはならないですよね。

続けて書き込みをいろいろ読んでみました。この店のメインの肴である「一汁四菜」ですが、「なぜ飲み屋でいきなり味噌汁か」「別にうまくはない」「ごく普通の肴」とさして評判は良くはないようで。また唯一の飲み物メニューの「白鷹」にしても、けっして「うまい酒」と評判のものではない訳です。それでも、「食べログ」あたりの評価は決して低くないのです。この店に集う人たちは食べ物や飲み物を味わうと言うよりは、この他では味わえない「風情」を楽しみにきているのでしょう。長年多くの人たちに愛されてきたのであろう「伊勢藤」を知るにつけ、飲食業は食べ物や飲み物を売る商売ではなく「非日常性」を売るのだ、ということを改めて実感させられる思いであります。
※ある人の書き込みに「許された日本酒だけを少ないつまみで飲み続け、そして時折叱られる、という非日常性こそが、この店が愛される理由」とありました。なるほど。

時代の流れの中で失われつつある日本古来の「わび」「さび」の世界にも似た「伊勢藤」のビジネスは、「わざとらしさがない非日常性」があればこそのモノであります。一時期流行った“隠れ家的居酒屋”があっという間に下火になったのは、この部分に大きな問題があったと思っています。この「伊勢藤」が個々人にとって好ましい店であるかどうかは別にして、飲食に限らぬ長続きする対消費者ビジネスのヒントがそこにはあるようには思えます。関心のある方は、ぜひ一度「伊勢藤」に足を運ばれてみてはいかがでしょうか(21時半閉店だそうですから出足はお早めに)。ちなみに、私は黙って飲めないクチなので、この「風情」はちょっと敷居が高いです。

「目的」を見失った“税財政改革抜き”の「高齢者医療制度見直し案」

2010-07-27 | ニュース雑感
後期高齢者医療制度の現行制度に代わる仕組みを検討している厚生労働省の「高齢者医療制度改革会議」が23日、新制度の骨格案をとりまとめたそうです。

自民党政権時代に成立した現行制度ですが、75歳以上を“別扱い”とする“差別対応”が国民的な不評を買い、民主党は対自民イメージ戦略的にこれを利用。選挙マニフェストにも「後期高齢者医療制度の廃止」を掲げ目玉政策のひとつとし、昨年の政権交代後には12年度末廃止を決めているのです。ただ消費税上げを含めた抜本的税制見直しが議論の俎上に上った現在、税財政改革をすっ飛ばし選挙大敗後のこのタイミングでの唐突な見直し案の骨格提示は、マニフェスト記載の問題をひとつでも早期に取り上げ、参院選前後から騒がれ始めた「民主党のマニフェストは言いっぱなし」「民主党は嘘つき」といった世論の流れを払しょくしたいと言う狙いがミエミエな感じがしています。

また見直し案の内容的な部分に関して少しだけ申し上げるなら、管首相は先の参院選でこれからの国政の基本方針に「強い社会保障」を掲げていたにもかかわらず、国保に加入する高齢者の給付費を公費と現役世代が支える方式を続け高齢者1割負担を維持するという今回の内容は、「強い社会保障」の実現とは程遠いものではないのかと即座に思わされてしまうようなオソマツなものでもあるのです。そもそも首相が掲げる「強い社会保障」の実現は、選挙前にぶち上げた「消費税引き上げ」による財源の確保とセットで提示されていたものであると理解できるわけで、今回の見直し案提示に財源に関する記載が一切ない点は、なんとも中途半端な内容であると言わざるを得ないでしょう。

選挙前には「超党派で議論を」と威勢がよかった消費税論議ですが、選挙戦での大敗後は全く鳴りをひそめています。消費税上げの必要性に関しては、「その前にやるべきこと」や「上げのタイミング」の問題はあるものの、国民的理解はある程度得られていると考えるのが現状では一般的になりつつあり、ここで一層の支持率低下を恐れて見当違いの“臭いモノに蓋”的対応をすることは、本来の目的を見失わせることになる事以外の何物でもありません。本来の目的は「強い社会保障」の実現に他ならず、そのためにはまずは抜本的な税制改革論議を展開して、「強い社会保障」を支える福祉財源をどう考えていくのかについて国民的議論につなげていくことは不可欠であるハズなのです。

厚労省の意向では、年末までに最終案を固め来年の通常国会で法案を通し13年度からの新制度スタートを目指すとのことですが、このスケージュールでは肝心の財源議論すなわち税制改革の議論はどう考えてもすっ飛ばされてしまう訳で、「強い社会保障」とは切り離されたまま高齢者医療に関する新制度が組み立てられようとしているのです。政権政党は、人気取り優先で拙速な制度改革をおこうのではなく、国民生活にとって何が一番大切であるのかをしっかりと捉えたうえで、目的を見失う事のない腰の据わった議論を展開して欲しいと強く要望します。

<音楽夜話>「ハラッド/原由子」~洋楽ファン必聴、珠玉の“昭和歌謡ポップ”

2010-07-25 | 洋楽
はじめにお断りしますが、私は桑田佳祐とサザンオールスターズは特に好きではありません。彼らのデビュー間もない80年代初頭は目新しさやオリジナリティにも富んでいて、3枚目のアルバム「タイニーバブルス」あたりは「こりゃスゴイぞ」と新しい時代の到来を感じたりしたものです。ところがその直後からビリージョエルやらリトルフィートやらの洋楽の焼き直し路線がすっかり定着して魅力が急激に失せたというのか、まあそれならホンマもんの洋楽を聞いた方が数段良いというわけで、積極的に聴きもしないが嫌いもしない存在になったわけです。そんな私が今、桑田佳祐の細君でありサザン紅一点である原由子の最新ベスト盤を聴いて「これはいいぞ」と図らずもはまっています。

収録曲の大半は桑田佳祐の作であり、原のソロと“サザンの原坊”のものとの混ぜ混ぜベストなのですが、全体を通した感触は単にボーカルの違いにとどまらない「サザンのアルバムとは明らかに違う」といった印象なのです。繰返し聴いてみると、桑田が歌うサザンのナンバーとは確実に一線を画す何かがあり、それはサザンの初期にみられた他にないオリジナリティとも相通じるコンセプチュアルな魅力が感じられるのです。これはなぜなのでしょう?その解答へのヒントはレコード会社のHPに掲載された、本ベスト盤リリースに合わせた桑田のインタビューにありました。

彼が言うには、原由子に歌を歌わせたのは件のアルバム「タイニーバブルス」収録の「私はピアノ」が初めてだそうで、そのキッカケは意外な理由によるものでした。「勝手にシンドバッド」の“色物”イメージを珠玉のバラード「いとしのエリー」で払拭しつつ世間にそのただならぬ実力を知らしめ、次は〝歌謡曲〟をコンセプトにした新展開を思いついていたものの、“ロックバンド”サザンのイメージでこれをやっていいものかと悩んだ挙げ句に出た苦肉の策が「そうだ!原由子に歌わせよう」だったというのです。そして生まれたのが「私はピアノ」だったそうです。これはザ・ピーナツとクレイジー・キャッツをイメージして作ったと本人が語る、まさしく“ネオ60年代歌謡曲”の真骨頂なのです。

ご存知のように「私はピアノ」は高田みづえ(旦那の元大関若島津は最近暴力団問題がらみでTVで見かけます)のカバーで大ヒットし、桑田佳祐の“ネオ歌謡曲”路線は見事に市民権を得ます。この後は桑田本人もサザンで“昭和歌謡ポップ”を時々歌う事になるのですが、この路線の本家本元は原由子であり、実は不定期に出される原由子のソロ作品やサザンで原由子がリードボーカルをとるナンバーは、基本的にこの路線を踏襲しているのです。当然、ここいらは桑田の計算し尽くされた戦略なのでしょう。プロデューサーとしての桑田佳祐の才能に脱帽といった感じですね。何より桑田本人が歌うよりも原が歌う方が、この路線に限っては断然ハマリ役なのですから。その辺は彼が一番よく分かっているハズです。原独自の“ヘタウマ”さ加減が、実に昭和の歌謡曲っぽくて心地よい訳です。

もちろん大半の曲を書いている桑田の作家としての才能には感心しています。サザンで自身のボーカル用に作る曲の大半は洋楽の焼き直しであり、そのサンプリング的才能は立派ではありますが洋楽ファンの食指は決して動きません。ところが、原用に作られた楽曲は基本ベースを昭和歌謡におきつつ、アレンジや演奏得面で日本の歌謡曲が歴史的に影響を受けてきたであろう洋楽のスタイルを絶妙にかぶせることで、単なる昭和歌謡の焼き直しでなはいオリジナリティあふれる“昭和歌謡ポップ”に仕立て上げているのです。これはもうサザンナンバーよりも数段ハイテクニックの、ある意味芸術的とも言える作風であると思います。一例をあげれば、「恋はご多忙申しあげます」は歌謡曲をシュープリームス的モータウン風味に仕上げていますし、「ハートせつなく」は大瀧詠一も真っ青のフィル・スペクター風(元ネタは明らかに「ビー・マイ・ベイビー」)歌謡曲なのです(まんま歌謡曲の「そんなヒロシに騙されて」みたいな、全くつまらないものも中にはありますが…。だいたいサザンの名義のモノはイマイチなモノが多いです)。

原由子の音楽はサザンの添え物的に扱われがちで、今回のように全時代的にまとめて聞く機会なんてほとんどないですから、ほんと新発見でビックリでした。サウンドやアレンジを含めて本家サザンよりも数段おもしろいと、サザンファンではない私は書かせていただきます。洋楽ファン必聴。個人的には、現在最高にフェバリットなアルバムです。

宮崎駿はやはり、思い上がりの激しい“残念なオヤジ”

2010-07-22 | その他あれこれ
またまたipadネタで失礼します。ちょっとこれまでとは毛色の違う話ですが・・・。

ネットで知ったのですが、あのスタジオ・ジブリの宮崎駿氏がipadにモノ申していると・・・。「いったい何?」とネットの記事を読んでみると、「ipadに何の関心も感動も持てない。人がそれを触っている様は気色悪いだけで嫌悪すら感じる」と言っているとか。氏はさらに続けて、「その内に電車の中でその妙な手つきで自慰行為のように手をさすっている人間が増えるんでしょう」と、かなり下品なモノ言いでipad利用者までにも軽蔑の眼差しで見下すようなモノ言いをしているのです。

これはスタジオ・ジブリのフリーマガジン「熱風」7月号に掲載されたインタビューを元にして本人が書いた文章の一節だそうです。つまりメディアに「勝手に書かれた」モノではなく、ご自身の意思で内容もご自身で手を入れる入念さで書き綴った“確信犯”的自己主張なのです。この人以前にも似たようなことがあって本ブログでも書きましたが、すっかり“芸術家気どり”“文化人気どり”が板についたのか“お偉く”なってしまって、本当にモノの言い方をわきまえない、とんでもなく失礼なオヤジであるのです。ご自身は、自分は「鉛筆と紙とわずかな絵具があれば充分」だとか、「誰にでも手に入るものはたいしたものじゃない」とか言っているそうで、本人の先入観と時代感覚のズレた価値観でipadに理解を示さないのはいいとしても、何の落ち度もなくipadの先進性や利便性を認めて活用している利用者を冒涜するようなモノ言いは、絶対に許されるものではありません。

ipadは単なるブックリーダーやノートPCとは全く異なる新たなタブレット情報端末であり、プラットフォーム化されたアプリケーション開発スキームがまだまだ無限の可能性を秘めている点を意に介せず、古臭い石頭でろくにその中身も確かめもせずに人を小馬鹿にしたことを言っているのでしょうが、使ってみたのでしょうか?確かめてみたのでしょうか?使ってないですよねどう見ても。何かを批判するのなら、まずはご自身でそのものを利用してみて、よくよくその背景にある機器の思想までも理解した上で、合理性のある批判をするべきではないでしょうか。言っていることがあまりに感覚的であり、思うのは自由ですが少なくとも著名人たる宮崎氏の立場で三流ブロガー並みの下品な表現で公に批判を展開するのはいかがなものかと、疑問を感じざるを得ないのです。

現在ipadが注目されている大きな理由のひとつに、誰でも指で簡単に動かせる操作性の良さと簡便さから、シルバー層向けの情報ツールとして大きな期待が寄せられていることがあります。それを知ってか知らずか、「その妙な手つきで自慰行為のように手をさすっている」と書くのも恥ずかしいほど下品な表現は、ipadの登場を喜んで迎えているお年寄り利用者の皆さんに対しても失礼極まりないと思います。こんな下品で独善的な人間が作っているアニメがもし仮に見る人に少しでも感動を与えているとするなら、恐ろしく偽善的な創作家であるということになるのではないかと思います。私は昔から宮崎駿氏のイラスト・タッチはどこか偽善的な匂いがするので、どうも受け付けないのですが、その理由が今回ハッキリ分かった気がします。

いずれにしましても、宮崎駿氏のipadに対する個人的な感覚はどうでもよいですが、高齢者も含めた何の落ち度もない一般利用者に対する下品で無礼な表現は即刻詫びて、発言を撤回するべきであると思いますが、いかがでしょうか。こんなオヤジが「ポニョ」だとか「アリエッティ」だとかの“可愛い系”のアニメキャラクターを生み出ししているのかと思うと、どこか変態的な匂いさえ漂ってくるような気がしてなりません。

wifi戦争を制するか?品薄続くドコモの“秘密兵器”

2010-07-20 | その他あれこれ
公衆無線回線でネット接続を可能にするポータブルWifiルーターが人気を集めています。各社とも競争が激化していて、利用料とアクセスポイント数で競い合うといった構図になっているようです。

各社「アクセスポイントどこでもつながる全国○千か所以上!」等の謳い文句で利用者の囲い込みを図っているのですが、ここにきて先月末にNTTドコモのG3ポータブルWIFIルーターDWR-PG(写真)が登場し俄然注目を集めています。なぜ注目かと言えば、G3回線すなわちフォーマ回線を使っているので、分かり易く言えばドコモの携帯電話がつながる場所なら全国どこでも利用可と言う訳でして、私のような田舎モノも大喜び。熊谷の街中は当然のこと、移動の電車の中でもネット接続OKなのです。他のWifiサービスは駅とかショップ単位でつながるスポットを設置している「点」のサービスであるのに対して、これはまさに「面」の通信サービスな訳ですから便利極まりなし。イーモバイルのポケット・Wifiも似たサービスではありますが、エリアの違いは歴然ですから。料金的な部分では他社に譲るのかもしれませんが、「利便性では断然これ!」と個人的には断言したいと思います。

ここに来てこのWIFIルーターが注目を集めた理由はズバリipad人気に他なりません。Wifi機能を搭載したipadの利便性を最大限に活かすためには、あらゆる場面でネット接続を可能にすることが重要なポイントであり、その意味では小型ルーターを持ち運びしてipadの“お伴”として使うと言うのがベターな選択になっている訳です。ipadにはもちろんソフトバンクのSIMカード契約によってG3回線でのネット接続は可能になるのですが、ドコモのルーターは一枚のSIMカードをルーターに入れれば同時に6台までネット接続可というのも素晴らしいと思います。ですから、私などの場合は仕事で外出の際にはPCとipodをたいてい持参なのですが、今後さらにipadを購入してもすべてこのルーター1台持って出ればどこでもすべてネット接続可と言う訳で、本当に助かります。クラウドでWEB上にファイルを保管しておいて出先でダウンロード&修正OKなのですから、ホントすごい時代になったものです。

バッファローが独占で製造しているこのドコモのルーター、IPADユーザーの取り込みを狙っての商品化であるのは疑いのないところなのですが、どんな理由からかやけに製造個数が少ないようで(初回出荷は全国で3千個とか)、たいていのドコモショップではまず入荷していませんし、大手量販でもかなりの品薄状態です。私などは仕方なくネット通販で「10日以内入荷」の表示につられて先月末の発売直後に申し込みをしたのですが、20日をゆうに過ぎても未だに入荷なし。「これ不当表示じゃないの?いつ入るのよ」と噛みついてはみたものの、「メーカーから出荷がありませんので、不明は不明です」と軽くいなされた上に「なんならどうぞキャンセル願います」ということでやんわりキャンセルを促され、今は“ルーター難民”として途方に暮れる日々を送っております。どうなっているのでしょう。派手に売れば確実に売れるであろう優れた商品が、何の理由か出荷制限?ドコモとソフトバンクの裏綱引きでもあるのでしょうか?例のSIMロック解除等の事情も関係ありそうな、なさそうな・・・。事情通の方いらっしゃいましたらお教え願います。

いずれにしましても、フォーマ回線を使用してのWIFIネット接続は画期的と言えます。ipad購入をご検討中の方には、このドコモのWifiルーターとのセット利用が絶対おススメです。私はまずこの商品を手に入れて、その後速やかにipadを購入といきたいと思っておりますが、果たして・・・。

「70年代洋楽ロードの歩き方17」~グラム・ロック7

2010-07-18 | 洋楽
グラムロックをまとめます。

グラムロックには大きく2つの流れがありました。ひとつは主流の徹頭徹尾ハデハデで音楽的には古典的ポップロック系、一般的にグリッター系という言葉があるので、ここではグリッターグラムとします。代表格はまずマーク・ボラン率いるTレックス。彼らの身上はブギーです。そして、スレイド、スウィート、マッド、スージー・クアトロ、後のACDCのボーカル、ブライアン・ジョンソンが在籍したことで知られるジョーディ、などがその代表格でしょう。モット・ザ・フープルはボウイの後押しでブレイクしたので立ち位置が微妙ですが、個人的にはこちらに入ると思っています。名前がそのものズバリのゲイリー・グリッターもこの系統なのですが、日本ではグラム=アイドル的人気を獲得できそうなものを中心にレコード会社がプッシュしたため、まんまオヤジルックスの彼はほとんど紹介されることなく当時は全く無名でした。

もう一つの流れが、デビッド・ボウイに端を発する派手な衣装の半面どこか物憂さが漂うデカダンス・グラムです。“リメイク・リモデル”というグラム・ロックを体現する概念をつくったロキシー・ミュージック、デカダンスの極みとも言えるコックニー・レベルや彼らとツアーを共にしていたビーバップ・デラックス、中性的魅力の遅れてきたグラム・ヒーローと言われたスパークス、音楽はストーンズ風なれど「時計仕掛けのオレンジ」ともイメージがダブるリーダーのマイケル・デバレスの風貌にどこかデカダンス臭が漂うシルバー・ヘッド等など・・・。元祖デカダンス系のデビッド・ボウイがグラムに分類される所以は、バックにいたミック・ロンソンが正当派グラム・ロッカーであったという点にあると思います。なので個人的見解ですが、デカダンス・グラムはプログレにも通じるコンセプチュアルな一面があり、音楽的には本来のグラムロック(グリッター系)とは正確には別ジャンルとして分類されるのが正しいのではないかとも思っています。

その他知っておきたいこととして、日本ではグラムロックに分類されないものの、本場英国ではしっかりとグラムに位置づけられるアーティストがいたことがあります。その代表格が、なんとあの「サタディ・ナイト」のベイ・シティ・ローラーズ。日本では完全に“バブルガム・アイドル”以外の何者でもないのですが、タータン・チェックの派手目(グラマラス?)な衣装と音楽的に伝統的なポップ・ロックを基本として人気を獲得した、ということからか、あちらでは確実にグラムロックだそうです。TVドラマ「ウォーター・ボーイズ」のテーマ曲「シュガー・ベイビー・ラブ」のリバイバル・ヒットで知られるルベッツも本場ではグラムです。水兵さんの恰好をした単なるコーラス・バンドと言う感じなのですが…。さらには、あちら盤のグラムロックの編集CDなどでは、エルトン・ジョンやロッド・ステュワートまで入っているケースもありビックリさせられます。これも日本的にはちょっと違和感なのですが、グラムロックは音楽的な共通点でくくられたジャンルではなく、もっと幅広い意味でのロンドン発の文化であったことを示す証なのかもしれません。

その流れでグラムロックの後世への影響をみてみるとかなりおもしろいです。グラムの衰退を経て登場したパンク・ムーブメントはグラムロックの影響をたびたび語られていますし、ハードロックやメタルロックのアーティストなどがグラムのカバーをする例も多くあるのですが、グラムとパンクやメタルとの直接的なつながりはハッキリとは見出だしにくく、その影響はあまり正しく伝えられていないように思います。パンクバンドのダムドがマーク・ボランに敬意を表してボラン生前最後のアルバムで共演していることをはじめ、数多くのパンクロッカーやメタルロッカーたちが先達であるグラムロッカーに敬意の念を表していますが、それは単に音楽性やファッションに対するではなく、もっと包括的で大きなものであると思うのです。すなわちグラムロックが音楽性だけでひとつにくくり切れない裏返しとして、音楽的部分やファッション性にとどまらない、70年代前半という時代が生んだある意味ポップアートにも相通じる思想やトータル・パフォーマンスこそが、後のアーティストたちに何かをもたらしたのではないかと思うのです。

グラムロックは確かに見かけのファッションの派手さから、音楽的には高い評価を得にくく我が国の音楽ファンからはあまり重要視されない傾向があります。しかしながら、「ファッション+音楽」をアート的な感性を含んだ新たな文化や思想として聞き手に送り届けた点で、60年代には存在しなかったポピュラー・ミュージックのあり方を生み出した歴史的に見て価値の高い“音楽文化”であると思っています。クィーンはもとよりジャパン、カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、アメリカン・グラム経由まで含めればバティ・スミスやキッス、エアロスミス等々、後の多くのビッグネームたちが確実にグラムロッカーたちの影響を受けていると言っていいでしょう。グラムロッカー達の代表作とともに同時代にグラムの影響を直接受けたルー・リードやトッド・ラングレンらの作品まで裾野を広げて、音と視覚の両面から今一度グラムロックを検証してみることをおすすめします。きっと80年代以降の多くのアーティストたちがグラムロッカーたちをあれほどまでにリスペクトする本当の意味が分かることでしょう。

(写真は英グラナダTVの番組「マーク」最終回で共演した、死の直前のマーク・ボラン(右)とデビッド・ボウイ)

利用者利便性にソッポ~ソフトバンクの「SIMロック」への固執

2010-07-15 | その他あれこれ
携帯電話の「SIMロック」の解除に関して、ソフトバンクモバイルの松本徹三副社長は14日、同社が販売する米アップル社製の大人気スマートフォン「iphone」について、「現時点で解除する考えはない」と記者団に話したといいます。今春、総務省が利用者の利便性を第一に考え「SIMロック解除が望ましい」との見解を出したことに端を発したこのSIMロック解除の一件。今月6日には、NTTドコモが来年4月以降原則全機種SIMロック解除の方針を明言していただけに、iphoneを擁するソフトバンクの動向が注目されていました。

この発言を受けてソフトの株価は急上昇し年度来高値を記録したとか。一方のドコモ株は売られ大幅に下げたようです。まぁ当面のビジネスという観点に限って見れば、ソフトバンクは人気スマートフォン利用回線を引き続き独占すると宣言した訳であり、投資家としてはこの“独占”がもたららすであろう収益面に着目し当然評価が高くなるのでしょう。しかしながら個人的にはこの評価はいかがなものかと疑問符を投げかけたいと思っております。それはすなわち、ソフトバンクの企業姿勢に端を発する疑問符であります。総務省が「利用者の利便性第一」を掲げたSIMロック解除政策でありながら、自社の収益を第一に考えた人気機種の回線独占は、まず何より企業の社会的責任の観点から見てどうなのかと思うからです。

確かにドコモは業界でトップシェアを持っており、「SIMロック解除はむしろプラスに働くだろうから、“原則全機種SIMロック解除”を率先してすすめるメリットがある」と言われる向きもあろうかとは思います。仮にそうであったとしても、忘れてはいけないのは、ドコモもソフトバンクも本来携帯販売の会社ではなく、回線を提供する通信サービス業者であると言う点です。その原点をしっかりと見間違えずにいるのなら、今回の「利用者の利便性第一」を掲げた国家的政策への対応には、本来業務たる通信事業以外は何をおいても利用者優先で対応を考えるべきであり、すなわち自社が製造してる訳ではない携帯販売業務においては、利用者に不便の残る“独占販売”は控えるべきではないかと思うのです。ソフトバンクのSIMロック堅持策は、携帯電話回線会社の社会的責任から問題ありと私は考えています。

ではソフトバンクはどうするべきなのか。iphoneに関して言うなら、原則SIMフリーを認めつつ並行してSIMロック機種を残すことで、SIMロックタイプのiphoneを契約の顧客には回線利用部分で他の顧客とは差別化をはかった特別なサービスを提供すればいい訳です。それならば利己的な利用者利便性無視の独占販売は存在せず、他のどのキャリア利用者も等しくiphoneが利用できるようになった上で、ソフトバンクは回線サービスと言う本来業務の魅力で自社SIMロックiphoneを選択する顧客囲い込みをはかる訳であり、利用者利便性向上を重視したあるべき市場競争の姿になると考えるのです。ドコモかソフトバンクかあるいはauか、キャリア各社の通信サービスという本来業務での競争でiphone利用者の囲い込み競争が繰り広げられる訳であり、こうした本来業務での競争激化もまた間違いなく利用者利便においては相乗効果的にプラスに働くハズなのです。

SIMロック堅持にこだわるソフトバンクは、裏を返せば本業の回線ビジネスでは勝ち目がないからiphone人気に頼らざるを得ないのではないかともなる訳であり、先の企業の社会的責任云々の観点も含め、昨日一気にソフトバンクの株価を上昇させた投資家の見方は少々近視眼的で甘いように思うのですが、いかがでしょうか。

“負け組連合”で民意無視の法案可決?亀井静香は“底なしバカ”か?

2010-07-14 | ニュース雑感
引き続き政治ネタです。

今日は政治ネタを書くつもりはなかったのですが、夕方飛び込んできたとんでもないニュース。亀井静香の国民新党が社民党に統一会派結成を持ちかけて、“死に体”の郵政法案を参院否決後に衆院再可決で通そうと言う姑息な動きに出たというのです。現在参院与党はご存じの通り、今回の選挙で負けて過半数割れ。すなわち現野党との連携が得られない限りにおいて、与党が過半数を得ている衆院で法案を可決させても参院で否決され、衆院に差し戻しとなることは間違いないのです。衆院に差し戻しとなればどうなるかですが、再可決させるためには定数の3分の2以上の賛成が必要なのです。ところが、現時点で民主+国民新党では有効定数(欠員、議長除く)の3分の2にあたる318議席には7議席足りず、このままでは郵政法案も廃案は確実視されている訳なのです。

この事態に、気がついてみれば社民党の衆院議席数はちょうど7。ってことは社民党を仲間に引き入れれば衆院の3分の2の議席を確保できる訳で、仮に法案が参院で否決差し戻しとなっても衆院で再可決成立できるということに目をつけたということでしょう。与党と野党の統一会派っておよそ聞いたことがないです。このあまりにセコい発想に関して亀井氏の言い分は、「もともと連立与党として、一緒に法案を作ってきた仲であり、社民党に賛同してもらう事の何が悪い」という見識なのです。もはや政治家として失格どころか、永久身分停止並みのバカ野郎ですよね。政治家は誰の意見に従がって仕事をするのですか?まず民意ありきではないのですか?国民に選ばれた国民の代表として民意を受け正しく仕事をすることこそがその使命であるハズではないのでしょうか。

では今回、民意はどうなのですか?民主党幹事長であった小沢氏とつるんで、さんざっぱら、やりたい放題、言いたい放題で、世論の声にも耳を傾けずゴリ押し可決で衆院を通した郵政法案。その法案内容と党利追及ミエミエの強引なやり方には国民からNOを突き付けられたからこそ、国民新党は今回の参院選で改選議席3のすべてを失い1議席も獲得できなかった訳じゃないですか。それを今何を言っているのでしょうか、このオヤジは。社民党と一緒に郵政法案を作ったとかそういうことはどうでもよろしい。「あなたが強引に作って、強引に衆院を通した郵政法案は不可!」と国民にダメだしされた訳なのに、それをまだこの期に及んで姑息な数合わせをしてでも法案を成立させようと言う、今回のこの動き。“空気読めない”にもほどがあると言うモノです。

社民党も「重要な問題なので党内で議論する」と結論は先延ばししたようですが、これを即決排除しない社民党もやはりダメ政党であると再確認させられる思いです。マスメディアも事実を報道するだけでなく、もっとハッキリとこの民意無視のバカげたやり口を徹底非難すべきであると思います。民意とは何なのか、選挙結果はどう受けとけるべきなのか、「亀井静香と国民新党の一派は、もう一度1から勉強し直してこい」、声を大にして言いたい気分です。落ち目の社民党ですから、血迷って“負け組連合”で手を組まないとも限りません。そんなことをしたら本当に“落ち目の三度笠”でいよいよ消滅に向かうことになるのは確実でしょうが・・・。社民党までもがそんな民意を無視する誤った選択をしないよう、マスメディア各社は正しい見識をもって今回の国民新党の誤ちを強く非難することを切に望みます。

参院選にみる民意は・・・

2010-07-12 | その他あれこれ
参議院選挙は民主党の大敗に終わりました。各党、各候補者の当落状況、議席獲得状況から、今回の選挙に現れた民意をエビデンスを掲げながら具体的に探ってみます。

①消費税増税
一部野党やマスメディアは「国民は消費税上げにNOを突き付けた」としていますが、各党の議席獲得からは必ずしもそうではないと思います。なぜなら、今選挙での獲得第一党となった自民党も“消費税上げ”の必要性は説いており、増税容認の姿勢を示していたからです。要するに管首相が言うような「言葉足らずで国民に真意を伝えきれなかった」のかどうかは別としても、前回選挙で「次回衆院選まで上げない」と宣言していたものが一転「上げる」と宣言したと国民が受け止め「そりゃ約束が違うじゃねーか」と怒りの審判を下したというのが、今回の結果であると考えられます。

重要なことは、民主党の“約束違反”に怒った票が自民党に戻りつつと同時に新たにみんなの党に大きく流れたと言う点です。みんなの党は、「増税を云々する前にムダの削減をせよ」「増税前に徹底的な官僚改革、公務員改革をせよ」というメッセージを投げかけ、多くの有権者の支持を得た訳です。消費税増税そのものにNOが付きつけられたのなら、共産党や社民党の票がもっと伸びてしかるべきだったと思うのです。では民主党政権は今後どうすべきなのか。財政再建に向け消費税増税分を何に使うのか道筋を立てると同時に、増税を急ぐのではなくまずは徹底的な官のムダ削減を実行すべきであるということです。常々申しあげているように、削減目標数字を国民の前に明らかにし国民の了解を得た上で徹底した削減活動に着手し、その目標達成をもってはじめて増税は着手すべきであると思われます。


②郵政法案
ご存じのように亀井大臣の選挙目当て施策(国民新党の支持団体である特定郵便局長会への既得権擁護策)である日本郵政の実質国営化逆戻り法案は、衆議院での強行採決をはじめ唯我独尊なやり方で法案を通そうとしたことに、国民は明確なNOを突き付けたと断言できます。国民新党が改選前議席3が0になったことが何よりも、その国民の強い意志を表していると言っていいでしょう。また、亀井大臣の独裁的なやり方に引きずりまわされた民主党に対する批判も、民主党支持を著しく落とす一因になったことは間違いありません。

この問題に関しては、選挙においてこれだけ明確な国民の意思が確認された以上、民主、国民新党間で選挙前に約束を交わしたという既定路線(参院選後最優先で前回法案を再上程し参院で可決施行)は速やかに白紙撤回すべきであります。従来の早期民営化の考え方がベストなやり方であるか否かは分かりませんが、もう一度関係政党および関係議員の私的な利益追求等の邪心をすべて排除し、どうのような道筋で民営化をすすめることが本当の意味で国益に資することなのか、じっくり時間をかけて国民的議論を展開すべきであると思います。


③政治とカネ
管政権に移行したことで鳩山政権下の「政治とカネ」の問題は過去のモノとなったという理解が一部民主党首脳部にはあったようですが(管総理も遊説でこの問題に触れることはほとんどなかったと聞きます)、本当に今回争点になっていなかったのか否かです。結果を見ればこれに関してもNOの意思表示が明確に出されていました。特に小沢前幹事長問題。いわゆる地方区“小沢ガールズ”の全敗という状況がそれです。鳩山前首相の“抱きつき自爆”で幹事長の座を降りた氏ですが、自らの問題に関する説明責任を果たしていない、それでありながらいまだ復権を狙うかのような行動に国民は明らかな嫌悪感を持って見ていると思われます。

管首相は政権発足時に、「小沢さんはしばらくおとなしくしてもらったほうがよい」と発言し、この点が“脱小沢”を強く印象付け発足当時の内閣支持率V字回復に大きく寄与したことは動かし難い事実です。今回の民主党惨敗により小沢氏周辺の勢力が再び発言力を増して、小沢復権を狙ってくるものと思われますが、“小沢ガールズ”全敗に見る世間の風の冷たさを(“小沢ガールズ”の応援に執行部が冷たかったという批判はあるものの)小沢一派は十分に自覚をした上で、その言動においては冷静にお考えいただく必要があろうと思われます。

明日は参院選~候補者“ロジカル取捨法”

2010-07-10 | その他あれこれ
明日は参議院議員選挙の投票日です。確固たる支持政党のある方はともかく、そうでない方はどのようにして候補者あるいは政党を選択すべきなのか、商売道具のロジカル思考をキーワードにヒント提供を試みてみましょう。

まず政党判断。
(ポイント1)「理念」、「ビジョン」が明確であるか?
企業と同様に、何よりもまず政党がよって立つ「理念」が明確に示されているか否か。そしてその「理念」のもとに「ビジョン」すなわち、国民生活に関して「いつまでに何をめざす」かが明確に語られているか否か、その点は何よりも重要なポイントになります。それがあって初めて具体的な施策に落としこまれる訳です。企業戦略も同様なのですが、やみくもに目先の戦術ばかりを並べても、それは単なる“モグラ叩き”にすぎない訳で、重要なのはそれを根底で支える「理念」と中期的に観点で目標となりうる「ビジョン」なのです。小手先でうまいことばかりを言う政党は、結局“その場限り”“選挙限りの”公約を並べているにすぎません。“底支え”がどうなっているかしっかり見極めたいものです。

(ポイント2)公約事項が論理的に納得性の高い話であるか否か?
ここ最近の我が国の選挙は、財政破綻寸前の国の懐具合が大きな問題になっていることもあり、掲げた公約が財政的観点に照らして本当に実現可能なことであるのかまたそれによる弊害は出ないか等、論理的な裏付が重要視されるようになってきました。大変良いことであると思います。特定の政党の批判を申し上げるつもりは毛頭ありませんが、明確な財政的論拠のない施策などは言ってみれば“バラマキ政策”にすぎす、今の日本の財政状況等を鑑みれば目先はともかく結果的に自国の首を絞めることになる訳です。「うまい話には裏がある」とは昔からよく聞く言葉ですが、選挙公約の「うまい話」は必ずその根拠としての“裏”を確認することが大切です。

(ポイント3)他政党批判がメインになっていないか?
近代政治における政党政治を根底で支えるべきものは「政策論争」です。例え野党であっても、その主張が与党批判に終始するような論調がメインになっているとしたら、すでのその段階で「政策論争」からは脱落している、すなわち政党政治の基本を忘れている政党であると言わざるをえません。仮に与党の政策批判をするとしても、それならば自党はどうしたらよいと考えるのか、代替案の提示がなされているか否かをしっかりと見極める必要があります。今回特に消費税の引き上げ論争が争点になっていますが、単なる与党批判に終わらせず中長期的な税財政政策として我が国の財政をどうしたら再建できるのかに関して、どれだけ真剣な政策論争を投げかけているか、その点も政党評価としては重要なポイントであるように思われます。

次に個人候補。
(現職候補チェックポイント)6年前の公約は、何が出来て何が出来なかったのかの「レビュー」がされているか?
あまりできている人はいないのですが、本来求められるものは、「6年前にどうような公約を掲げ、それがどこまで実現できたのかの明示」が実は一番大切な判断材料である訳です。これを少しでも具体的に示している候補者は、有言実行を旨とする透明性の高い候補者であると思います。欲を言えばさらに、「公約してできなかったことは6年の間のどのような事態の変化があってのものなのか」という未実行理由の明示と、「代わりに何を重視し何を実現してきたのか」とい筋道の通った代替活動説明ができているか否かが大切であると思います。「○○を何回やりました」「××人の人たちと対話をしました」等、回数を羅列してそれを成果であるかの如く表明する人がいますが、それは「芽」や「枝葉」に過ぎず、「実」はどのようになったのか、具体性をもって語られているかその点は大変重要であると思います。

(新人候補チェックポイント)どこに「問題」を感じて、何をするために立候補したのかが明確であるか?
新人の立候補にはその動機たる「問題意識」があるはずです。個人として何を「問題」に感じてなぜその政党から立候補したのか、まずはその点明確に申し述べているか否かが大切であると思います。その上で、所属政党の公約とは別にその政党の考え方に立脚して、具体的に何をし掲げた「問題」に対して「解決」をはかろうとしているのかが論理的に組み立てられているか、を確認する必要があろうかと思います(この点は現職候補も同様のチェックができます)。大した志もなく、ただ単に国会議員になりたい、政党から声がかりがあったので立候補したというような、政治家としての使命感が希薄な候補者は所属政党の善し悪しでなく、真っ先に壇上から排除する必要があると思います。

以上、理想論的に勝手なことを書き連ねましたが、政党間の主義主張が似通ってきた昨今の投票時の判断材料としてご参考になれば幸いです。いずれにしましても、明日は投票に出向き国民の権利である一票を必ず投じましょう。