日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ88~「ワールド・カップ」マネジメント的雑感

2010-06-30 | 経営
サッカーのワールド・カップ南アフリカ大会、日本は大健闘したものの昨日ベスト16戦で強豪南米のパラグアイにPK戦の末敗れ、惜しくも初のベスト8進出はなりませんでした。大会前は散々な評価だった岡田ジャパン、小職も日本チームは応援しつつもマネジメント的観点から岡田批判を述べた一人であり(6月12日付:監督人選ミス、ミスビジョン設定、リーダーとしての資質)、懺悔の意も込めて今大会で予想以上の活躍ができた岡田ジャパンの成功要因を、同じくマネジメント的観点からながめ経営に役立つヒントを探り出してみたいと思います。

まず第一に、各マスメディアから絶賛されているチームワークの良さという点。「大会が始まってからチームとしてどんどん成長した」という言われ方をしているように、激しい日本代表バッシングの中、初戦格上のカメルーン戦で勝利できたということが逆境を勝ち抜いた同志としての結束を固くし、結果的に本番でのチームとしての成長につながったのだと思います。本田選手も昨日の試合後「応援してくれた人たちと同様、批判してくれた人も我々にとっては力になった」と言っていたように、組織にとって逆境は辛いモノですが、それを強く認識させられ皆で乗り越えようというメンバー共通の強い目標意識が生まれることは組織結束の点で大変重要なことなのです。今の時代の企業に置き換えるならこれは「危機意識」の共有に他なりません。苦しい時代のマネジメントにおいては、経営者はいかにして社内のメンバーたちに「危機意識」を共有させられるか、手を変え品を変え何としてでも「危機意識」を強く持たせチームワークを強化する策を講じること、それが「不況に勝つ企業づくり」には不可欠であるのです。

次に、「守り」の堅さ、「守り重視」の姿勢。昨日のゲームや予選リーグでのオランダ戦を見ても、南米やヨーロッパの強豪を相手に、勝てはしなかったものの互角に近い「いい勝負」に持ち込み、「もしかして勝てるかも」との期待感をメンバー間に持たせそれを推進力に変えることができたのは、まさしく「守り」の堅さあってのことであると思います。具体的には中沢、闘莉王の大型ディフェンスの活躍による「守り」の安心感と、ワン・トップの本田までもが即守備にも加わるという全員守備を基本とした「守り重視」のチーム姿勢が、日本の躍進を支えて来たと言えるでしょう。企業で言うなら「守り重視」とは、製品・サービスの「品質」をすべてのメンバーが大切にし重視することに他なりません。例え“攻撃担当”の営業部隊であろうとも、常に自社の製品・サービスの「品質向上」を念頭に置いた活動を徹底させること、そこから生まれる安心感と自信が“成長企業”を支える礎(いしづえ)になるのです。

最後にもうひとつ。散々批判された、大会前の練習試合4連敗の件です。一部メディアや評論家からは、「大会前は勝てる相手と多く試合を組んで、“勝ち癖”と自信をつけさせるべき」との批判がありましたが、これは逆でしょう。結果論ではなく「本番前こそ、強い相手と試合をすべき」はある種のセオリーでもあり、今回も正解であったと言えます。例え負けても強い相手と一戦交えることで、強い相手の“強さ”を知り、その戦いの中から攻めも守りも自分たちのレベルアップにつなげることができるのです。他分野の下世話な例をあげれば、競馬において牡馬と戦って連敗の牝馬が牝馬同志のGⅠ戦で穴をあけたり、夏に古馬と戦ってきた三歳馬が秋の三歳GⅠで激走したり、というのもまったく同じ論理なのです。企業で言うなら、同業としてライバル視し分析の上対抗戦略を検討する相手には、自社よりも2ランクぐらいは上の企業(あるいは大きな企業)を選ぶべきということなのです。上の企業をライバル視するなら自然とやるべき施策は高度なモノにならざるを得ず、確実に自社の成長につなげることができるからです。

このように今回のサッカー日本代表チームは、マネジメントの観点からもいろいろ考えさせられる材料を提供してくれました。チームプレーで目標を目指すことは、結局コミュニケーション・サークルの勝負ですから、スポーツも企業も基本は同じなのです。今回の日本チームの活躍に、勇気づけられた不況に苦しむ経営者も多いかもしれませんが、勇気づけだけではなく、上記のような観点でぜひとも具体的に今日からの経営に役立てていただきたいものです。

最後に日本チームの皆さんの大活躍に、心から拍手を送りたいと思います。

「成功軸の作り方/野口吉昭」

2010-06-28 | ブックレビュー
★「成功軸の作り方/野口吉昭(青春出版社1333円)」

そろそろかなと思っていましたら案の定、野口吉昭氏の最新刊が書店に並んでおりました。このところの氏の著作は、コンサルタントの基本的スキルをベースにした“野口理論”に立脚して、本質を捉える考え方のコツや仕事に対するあるべきスタンスを教えるモノが続いていましたが、今回はさらに一歩踏み込んで「生き方」にまで言及するような著作となっております。出版元のカラーも含めて悩める若手向けかなと思われたりもするのですが、言っていることはこのタイトルの通り常に一本筋の通った“野口理論”で展開されており簡潔・明快な流れとなっております。

本書内での私が思うポイントは、「問題意識、危機意識、当事者意識」にはじまって「描いてこそビジョン」「習慣を仕組む」「愚直に続ける」…。なるほど、過去に氏がその著作で述べてきたことを、今度は“一歩踏み出せずにいるビジネス・パーソン”向けに再編集し、その打開ノウハウを「成功軸」という名のもとに伝授しているといった様相です。非常に平易で分かり易く、過去のどの著作よりも手っとり早く理解することができるかもしれません。野口氏と氏のカンパニーであるHRインスティテュートによる「戦略シナリオのノウハウ・ドゥハウ(99年PHP研究所)」をはじめとした数々の名著のエッセンスを、個人実践編的に平易に解き明かしているという感じが強く印象付けられます。

ということは…。読んでいて気がついたのですが、実はこの本は若手ビジネス・パーソンに向けられた自己啓発本の様式をとりながら、“なかなか一皮むけない企業”の経営者にもその組織運営改革上役に立つ基本の考え方を伝授しているとも言えるのです。そうです、今までの氏の著作のエッセンスを集めてより平易に個人向けに書かれた本なのですから、これを今度は逆に組織運営に置き換えて活用することができるのです。過去の企業向け著作が、やや高度な内容でかつ実践的というよりはやや理論優先との印象から“野口理論”を現場に活かし切れていなかった経営者にも、この個人向けの平易な書き様なら容易に実践応用が可能なのではないかと思うのです。

本書のテーマである「成功軸」とは、まさに「経営ビジョン」そのものであり、本書はいかにして「ビジョン」を確立しそれを実現につなげるかを、個人に置き換えることで分かり易く説明をしてくれている訳です。「成功軸」づくりにつなげるいくつかの具体的なツールも盛り込まれていますから、それを自社の経営改善向けにアレンジすればかなり有効な使い方ができるのではないかと思います。まず本書で“野口理論”の入口を知り、詳細は企業向け著作でフォローする、そんなやり方がよいのかもしれません。単なる自己啓発本としてではなく、経営に応用可能な改善指南書として経営者、管理者の皆さんにもおススメできる1冊であると思います。そんな意味まで含め10点満点で8点。

宝塚記念(6月27日改訂)

2010-06-26 | 競馬
明日は春の締めくくりGⅠグランプリ宝塚記念です。

人気は好調横山⑧ブエナビスタ。例によって「GⅠ理論」分析です。ブエナビスタは桜花賞、オークス、ヴィクトリアマイルでGⅠ3勝、有馬記念で2着(秋華賞で2着降着あり)。問題は勝ったGⅠがすべて牝馬限定戦であると言う点、それと唯一の混合戦2着有馬記念は中山内回り2500メートルと言うかなりトリッキーなコースで、マギレが多いと言う点。牝馬GⅠを0.5ポイント換算+有馬2着0.5ポイントで計算すると合計2ポイントですが、アタマからは買えない気分です。⑩ジャガーメイルは天皇賞春で初GⅠ制覇で1ポイント。それ以外の実績がないので2200メートルGⅠでどうかは取捨が難しいところです。⑥セイウンワンダーは2歳GⅠ朝日杯勝ちなので、評価は0.5ポイント。⑬フォゲッタブルも菊花賞2着で0.5ポイントです。

となるとやはり昨年のこのレースの覇者で、GⅠ2勝2ポイント+当該レース勝ち0.5ポイント+2歳GⅠ1勝0.5ポイント=3ポイントの⑱ドリームジャーニーが軸には最適となる訳です。前売で4番人気は評価低すぎでしょう。忘れていけないのは“腐ってもダービー馬”の⑨ロジユニバース(1ポイント)。意外に先行有利な阪神2200メートルですし、馬場が悪くなるならさらに好材料でしょう。人気はイマイチなので、穴党としては今回はこちらに触手が動きます。

②アーネストリーが前日昼段階でなぜか2番人気。一般的に“異常オッズ”と言われる現象で、馬主情報からの大量買いであるケースもあり要注意なのですが、今回はどうやらテレビの競馬中継で予想上手と評判の元騎手細江純子さんが先週「宝塚記念はブエナとアーネストリーの一点」と言ったからとか。アーネストリーはステップレースの金鯱賞勝ちでかろうじての0.5ポイント評価で、やはり先行タイプの有利がありそうですが、同じ先行型なら素直にダービー馬を買うべきと考えます。

と言うわけで、今回は⑨ロジユニバースから
⑨の単とポイント1以上の3頭へ
馬連、ワイド⑨-⑱、⑧-⑨、⑨-⑩
念のための“行った行った”②-⑨のワイドも

春最後に「GⅠ理論」で笑いたいところですね。

ビジネス・シーン向けに無限の可能性を秘める「ipad関連ビジネス」

2010-06-24 | ビジネス
iphone4が発売され盛り上がっていますが、なんでも今年度の全世界でのiphone販売台数は4000万台を超える見通しとか。さらに、ipadはアメリカで発売80日で300万台突破。とどまるところを知らないアップル旋風が吹き荒れています…、というか、デジタル情報端末に新たな波が押し寄せたと言っていいと思います。

何度もお話ししていますがポイントは、ipodが単なる携帯音楽端末ではなくiphoneが単なる電話端末ではなくipadが単なるブックリーダーではないと言う点です。ipod、iphone、ipad間の連動で言えば、相互にソフトの共有化がはかれ目的によってサイズの使い分けができるという観点も重要であると思います。加えてiphone、ipodだけではなかなかパーソナル・ユースの域を脱しなかった次世代タブレット端末が、ipadの登場でいよいよビジネス・ユースや高齢者ユースも含めてかなりの幅をもってデジタル情報端末の世界を変えにかかってきた、と理解するのが正しいでしょう。ipadはしばらく買わずに静観しよう(新製品の第一世代は買うなのセオリー通り)と思っていた私ですが、いろいろ勉強をするにつけ、これは企業コンサルティングへの活用やニュービジネス開発の観点からも、早期に入手してまずは実物を触りながら今後のビジネス展開を考えなくてはいけないと思うようになってきました。

実は昨日、付き合いのあるIT関連企業の社長さんと会ってipad関連ビジネスの行方と相互のビジネス・コラボレーションについて忌憚のない意見交換をしました。あれこれ具体的なアイデアも含めて話し合ううちに、お互いに共通した認識として「ipadはあらゆるビジネスシーンを変えうる革命的デジタル情報端末である」「ipadの登場で関連ビジネスシーン向けアプリケーション・ニーズは大きく高まるはず」「中小企業にとっても何十年に一度のビジネス・チャンスになる可能性は高く、とにかく早期に我々の居場所を確保すべき」等々を確認し合うに至り、大いに盛り上がったのでした。実におもしろくなってきました。国内オリンピック開催以上のビジネス・チャンスがそこにあるように思います。

現段階で具体的なアイデアをこの場で披露する訳にはいきませんが、今ある多数のアイデアベースのモノをいかにユーザーが求める売れるモノに仕上げていくか、そのためにはもっともっとipadやiphoneの使い勝手を知る必要があると思っています。それと同時にニュービジネスを手掛けるときに重要なことは、いかに多方面の専門家を集めお互いに強い分野を持ち寄って有効なアライアンス体制をつくりあげることができるかです。我々のような中小零細が単独でできることなど当然限りがある訳ですから、不足する部分をいかに埋め合わせしながらアイデアを具体的なビジネスとして展開できるか、この点は本当に重要なのです。今回の件で当社に一番欠けているのはIT関連の技術的な領域な訳で、その意味からも昨日は大変有意義なミーティングを持てたと思っています。

ipadが単なるブックリーダーではないと判断した以上、例えばビジネス・ユースのテキストデータであっても単純に本を読ませるような使い勝手では全く端末の有効性を活用しきれていない訳です。だからこそ考えれば考えるほど奥が深く、本当におもしろい。新しいビジネスと言うものは、「こんなことはできないか」「あんな機能は難しいのか」等々考えている時が最高に楽しい訳で、久しぶりにニュービジネス関連で気分が高揚しています。とにかく「早期に我々の居場所を確保すべき」という時間との勝負の部分もありますから、小回りが利く中小企業のメリットを活かしながら、なんとか早くビジネス化を形にしたいと思っています。進展はまた報告します。

海外の日常性を教える通販サイト「フラッター・スケープ」

2010-06-22 | マーケティング
「フラッター・スケープ」なるWEBページをご存じでしょうか?

日本に住んでいる外国人が、自分で選んだ日本の商品を海外に売るインターネット通販サイトだそうで、これマーケティング的にけっこうな注目サイトであると思っています。外国人が日本商品のバイヤーになっていると言う点がミソでして、日本人ではわからない外国人の好みを垣間見ることが出来る訳です。でもそれがなぜ注目なのか。海外にモノを売ろうと思っている人以外関係ないんじゃないって思われるかもしれませんが、実は日本で対消費者ビジネスを考える人にこそ大きなヒントがあると思うのです。それはなぜか…。

昭和の高度成長の時代から舶来品は数多く日本に入ってきていましたが、そのほとんどは日本人が日本人の感覚で選んだ「日本の日常に役立ちそう=日本で売れそう」な商品の数々でした。ところが、ネット新時代のこのご時世では、日本の日常性を勘案する間もなく欧米の日常で便利なモノが、世界どこでも便利であり必然的に日本でも便利であるとの理解の下、続々入ってきているように思います。例えば一昔前のヤフーやマイクロソフトが全盛の時代にはまだ海外文化は多少日本的にアレンジされてから上陸してたように思いますが、昨今のアップルやグーグルが送り出すサービスやそれによって形成される文化は、明らかに世界の日常文化がストレートな形で上陸して日本の日常文化を塗り替えていると言っていいのではないかと思います。すなわち、知らず知らずのうちに私たちの日常は欧米の日常文化に浸食されている訳で、iphone、ipadの大ヒットなどはまさしくその典型例であると思うのです。

となればすなわち、知られざる海外の日常感覚をより正確に把握することが日本国内でのビジネスの成功のカギを握る時代になりつつあるのでないかと考えるのが自然であり、このサイトの情報価値はかなり高いということになるのです。あるサイトが外国人に「外国人が選ぶ外国人が好きそうなもの」と「日本人が選ぶ外国人が好きそうなもの」の違いは何かを聞いてみると、「日本人は何かspecial(特別な)贈り物のようなものを選ぶけれど、外国人は外国の生活環境が分かっているからこそ、今まさに必要とされている日常的なモノを選ぶことができる」という答えが返ってきたそうで、このサイトにある「外国人が選ぶ外国人好みのモノ」こそまさしく日本人の知られざる海外の日常性を知るカギであり、これからの日本国内での対消費者ビジネスの大きなヒントであると言えるのです。

この「フラッター・スケープ」の立ち上げアイデアは、高校時代をカナダで過ごし今春上智大学国際教養学部を卒業した柿山丈博さんが学生時代にあたためたのもので、彼は現在本ビジネスを稼業としているそうです。さすが外国育ちの若者の発想です。新橋界隈の酔いどれオヤジにはとてもできない芸当ですね。さてさてページを眺めてみると…。タイ焼きのおなか部分から顔を出すかぶりモノ「TAIYAKI CAP」(夏は暑いよね?)や管直人首相のTシャツ「YES WE KAN」(=写真、なぜ赤いの?)など、外国人が選んだ確かに日本人の好みではないモノがズラリ…、ん?。なるほど、このページをビジネスのヒントにするには、それはそれでそれなりのやわらかアタマは必要とされるようです。

★「フラッター・スケープ」 → http://www.flutterscape.com/

「70年代洋楽ロードの歩き方15」~グラム・ロック5

2010-06-20 | 洋楽
グラム・ロックの話はまだまだ続きがあります。

デビッド・ボウイは個人的見解では正確にはグラムロックではなかったと思えるものの、グラマラスに飾り立てつつTレックスとは対極の位置関係にあったから当時爆発的なパワーを持っていたグラム・ロックの流れに大きな影響を及ぼしていたのです。芸術性あふれる彼の音楽パフォーマンスは、デカダンスの匂いが漂っていた部分がTレックスやスレイド、スウィートなどとは一線を隔していたのであり、その流れを仮に「デカダンス・グラム」とでも名付けるとするなら、ボウイが作り上げたこの流れに沿って登場したグラム・ヒーローたちもまた多数いたのです。

ボウイを追い掛けるようにデビューした「デカダンス・グラム」系アーティストの代表がロキシー・ミュージック(写真)でした。彼らのデビュー作に収められたA1「リメイク/リモデル」に代表される時代を象徴する衝撃的なメッセージ、ジャケットアート、ブライアン・フェリー独特の歌い回し、ブライアン・イーノのノイジーなシンセ、統一感もなく人工的なまでにハデハデなコスチュームそのどれもがデカダンスの象徴であり、ボウイにヒントを得ロンドンのミュージック・シーンに飛び出した新たなヒーローであったのです。ヒット曲「ドゥ・ザ・ストランド」を含む続くセカンドアルバム「フォー・ユア・プレジャー」では、グラム色をにじませながらも才能あふれるイーノの創造意欲はとどまるところを知らず、プログレ的な流れにも入っていくのです。結局イーノの才能はロキシーにあきたらず、この作品を最後にバンドを抜け、バンドもまたグラムから徐々に離れていったのでした。

ロキシー・ミュージックの後を継ぐようなグラム第二世代のデカダンス派にコックニー・レベルがいます。やはりここにもリーダーで曲作り&リードボーカルをとる鬼才スティーブ・ハーリーという存在があり、「デカダンス・グラム」には確実にそれを思想的に支配する人物が不可欠であったことを物語ってもいるのです。彼らは「悲しみのセバスチャン」や「ジュディ・ティーン」「ミスター・ソフト」などのスマッシュ・ヒットを放つものの、遅れてきたグラム・ヒーロー的な扱いを受けることも多く、日本ではブレイクするには至りませんでした。似たような境遇にあった第二世代グラムバンドにシルバー・ヘッドがいます。当時はポストTレックスの一番手として売り出され、日本ではそれなりの注目を集めていましたがやはりブレイクには至らず消えていきました。ルックスや立ち振る舞いはデカダンス系、しかしながらサウンド面ではグラムというよりもストーンズ直系のブルース・ルーツ的な曲が多く、音楽的にはけっこうしっかりしていただけにもう少し早くデビューしていれば、と思う残念なバンドでありました。ちなみに私が生まれて初めて見た外タレはこのシルバー・ヘッドでして、中野サンプラザは閑古鳥が鳴いていたのを良く覚えています。

他にも「デカダンス・グラム」としては、スパークスやビーバップ・デラックス、ジョブライアスなどがいますが、スパークスはその奇異な風貌からグラムに分類されていたようですが、ニューウエイブの先陣的印象でちょっと違和感があります。ジョブライアスに至っては、ポスト・グラムのヒーローとして人為的中性キャラクターとして売り出され、結局業界筋からもボロクソに批判され売れなかったという何とも複雑な存在でありました。ビーバップ・デラックスは、リーダーのビル・ネルソンという退廃的ヒーローを備えている点で最も「デカダンス・グラム」的であったのかもしれません。しかしながら、デビューアルバム発表後にビルはメンバーを総取換えし、幕引きが近づいていたグラム・シーンから思いきった転換をはかります(新メンバーはやはりグラムに見切りをつけてコックニー・レベルを抜けた連中でした)。

<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~グラム・ロック5>
★デカダンス・グラムを正しく聞く作品★
①「ロキシー・ミュージック/ロキシー・ミュージック」(彼らのデビュー作。ブライアン・フェリー、ブライアン・イーノという二人の天才が交わることで、視覚、聴覚両面からグラム的デコレーションが迫り来るデカダンス・グラムの決定版です)
②「ヒューマン・メナジュリー/コックニー・レベル」(全編スティーブ・ハーリー主導で繰り広げられるデカダンスの世界観は、ある意味三島文学との共通点すら感じさせる芸術性を感じます。ただグラムと言うにはあまりに暗い印象も…)
③「さかしま/コックニー・レベル」(若干ポップな面を強調したセカンド・アルバム。スティーブはボウイをさらに理屈っぽく難解にしたタイプであり、メンバーの大半は本アルバムリリース後、スティーブとの音楽観の相違で脱退します)
④「恐るべきシルバー・ヘッド/シルバー・ヘッド」(貴族の血をひく最後のグラム・アイドル、マイケル・デバレス率いるバンドのデビュー作。音だけではまったくグラム的ではないのが不思議ですが、ルックスは確かにグラムです)
⑤「16才で犯されて/シルバー・ヘッド」(シルバー・ヘッドのセカンド・アルバム。ストーンズ的な印象の楽曲水準はかなり高く、グラムの先入観を持たすにブリティッシュ・ロックの佳作としてもおススメの1枚)
⑥「美しき生贄/ビーバップ・デラックス」(彼ら唯一のグラム・アルバム。下火になりつつあったグラムの状況を象徴するかのような、ブーム終焉期独特の「デカダンス・グラム」ムードが味わえる作品)

首相「消費税10%発言」雑感

2010-06-19 | その他あれこれ
管首相の消費税10%発言が波紋を呼んでいます。

物議をかもしている「自民党の数字を参考に…」は、「超党派で税制改革を議論する場をつくりたい」という考え方の表現違いともとれるものであり、別にこの発言そのものを問題視する必要はなさそうに思います。民主党内で首相の「消費税増税発言」を問題視するムキは、当然来るべき参院戦しか頭にないおバカな議員たちである訳で、有権者は現時点で問題視発言をしている民主党の改選参議院議員は政治家ではなく“政治屋”であるとよく記憶をしておいて、7月11日の投票時の候補者取捨の参考にするといいでしょう。

連立を組む国民新党亀井代表は「増税反対」と、連立離脱もチラつかせているそうですが、そりゃ大いに結構。警察官僚出がトップを務める金融・財政音痴政党には早々に退場いただくのが良い訳で、財政が危機的な状況にある現時点で、郵政国有化、増税反対などという時代錯誤な主張を続ける政党はこれを機に“国海”のもくずと消えてもらいましょう。連立離脱をしてくれるのなら郵政法案は当然白紙出直しとなるわけで、まさに一挙両得。この一挙両得が実現するなら、併せて民主党はこの参議院選を機に、本当に連立を組むべきはどの政党であるか、もう一度よくお考えになられたほうがよろしいように思います。社民党も国民新党も政権離脱を盾に選挙目当てに勝手な主張を押し付けるだけの三流政党といった印象で、政権の一翼を担う連立の相手としてはあまりにもお粗末でありました。この1年で支持率低下と言う高い授業料を払って勉強したと言う事で、次なる相手探しに入る段階ではないかと考えます。

さて増税の話に戻りますが、やはりポイントは「いつ」ですね。さらに「いつ」の決定基準は前にもお話ししたように、「何を達成したら」の観点で議論することが不可欠と思います。「何を達成したら」は、「国民に負担を押し付けていない」という姿勢を明確にすることが大切だからこそ不可欠なのです。これから参議院選をはさんで「増税」議論は活発化することが予想されますが、「増税」必要性の裏付け議論よりもむしろ税金のムダ使い、すなわち「政治と行政のムダ」を徹底的になくす議論こそが必要であると思います。民業を圧迫している政府系の天下り機関はすべて民営化して、仕事はクリーンな入札方式に切り替え税金のムダな投入をゼロにする、これはもう当たり前。官僚の深夜タクシー代や公務員住宅の民間並家賃引き上げをはじめとするムダの削減と収入の増加に関して目標金額を明確に定めて大幅削減を断行する。それらを総合していつまでに何をどれだけ改善するかの目標を数字で明記し、その達成をもってはじめて増税に踏み切る、そんな流れをぜひともつくってもらいたいと思います。

NEWS雑感~国会閉会参院選へ・大相撲野球賭博問題

2010-06-17 | ニュース雑感
●国会閉会~選挙戦突入

国会会期は結局延長1日で終了し、いよいよ7月11日の参院選に向けてスタートが切られました。今回の選挙の争点は何でしょう?管新内閣がスタートしてはいるのですが、所信表明演説と代表質問だけではまだ内閣の方針がつかみきれませんし、管内閣にYESかNOと問う選挙であるとするならあまりに焦点が定まっていないと感じております。他の各党は、自民党は「政治とカネ」、社民党は「普天間」、国民新党は「郵政法案」を自分勝手に選挙の争点として取り上げているように思いますが、旧鳩山政権下で発生したこれらの問題は重要ではありますが選挙の争点としてはなにかちょっとピンとこない、そんな状況ではないでしょうか。例えば争点となりうる増税の問題にしても、与野党間で明確な議論がなされておらずこれではどちらがいいのか判断のしようがありません。一部マスメディアからは、せめて予算委員会を開催して1問1問をおこなうべきであったとも指摘されてもいます。

鳩山内閣の支持率低下の中、クビのすげ替えをしての即選挙には、野党各党から「逃げた」と言われるのも無理からぬところであり、政権政党としてはなにがしかの対応をすべきであると考えます。一番良いのはアメリカの大統領選等で実施される公開討論でしょう。テーマを決めて、与野党の党首が1対1で自党の方針をベースに複数回議論を戦わせる、あのやり方です。参院選に向けて各地域で立候補者同士の公開討論会はけっこうおこなわれるようではありますが、今回は何より党首同士でのテーマに沿った討論が必要ではないかと思います。テレビ番組で、各党首が一堂に会しての似たような企画はありますが、これは限られた時間内でのパフォーマンス合戦であり討論とは似て非なるモノであると考えます。国会会期を延長せず終わらせた責任全うの意味からも、マニフェストが出揃った段階で是非与党からの積極的呼びかけによる公開党首討論を実現してほしいと思います。有権者に対してしっかりと判断材料を提示することも、選挙直前にトップ交代をした政権与党の責務であると考えます。


●“バカまるだし”の親方連中は義務教育からやり直せ!

一昨日のブログの続き的話題です。角界の“野球賭博汚染”は複数の親方、現役力士にまで波及していたことが分かったとの報道がありました。「えっ親方まで?」と呆れてしまう反面、「やっぱりね」といった印象でもある訳です。琴光喜関のその後の報道を聞いても、場所中の支度部屋で他の力士が聞こえるような声で周囲をはばかることなく、今日のハンデはどうこうだとか、昨日はいくらやられたとかそんな話を平気でしていたそうです。これはもう賭博がこの世界では常識的なことであるからこそとられる態度であり、ヤクザの世界となんら変わることがないのです。その狂った常識を作ってきたのが、相撲協会であり代々の親方連中であるのです。親方連中にその風土がなければ末端が腐るはずがない。弟子のリンチも、麻薬取引も、野球賭博も、根っこは皆同じ親方連中の“ヤクザ気質”にある訳です。

閉鎖的な世界を構築し独自のヒエラルキーを守り続けることで、誤った風土を頑なに堅持し続けてきた相撲界。リンチ事件や麻薬事件の時にその問題の根っこの根絶ができなかったからこそ、今またこの問題が起きているのです。ヤクザと同じ文化の“バカの集まり”は、“外の血主導”に切り替えないことには絶対に牽制機能や自浄作用が働かない訳で、今回ばかりは文科省主導での大改革が絶対に必要です。昨日文科省に謝罪報告に行った広報部長の陸奥親方。報告後記者団から「親方衆も賭博にからんでいたことを報告しましたか?」の質問に「いいえ」。「なぜですか?」「聞かれなかったから」。記者も呆れて言葉を失ってました。“バカの集まり”を象徴する出来事でした。

相撲協会は“無教養運営”の抜本改革を!

2010-06-15 | ニュース雑感
不祥事が続く相撲界。暴力団への関係者観覧席券融通の一件では木瀬親方が先の処分時点で暴力団との付き合いがあったことを協会の聴取で認めていたことが判明、野球賭博疑惑では昨日現役大関の琴光喜関が報道時点で否定していた賭博関与を認めたと言います。どうなっているんだこりゃ、という感じで開いた口が塞がりません。

2つの問題に共通することはゴマカシ、隠ぺい、常識とかけ離れた判断の類等々を平気でおこなう相撲協会の体質そのものに原因があると言う点です。まず、木瀬親方の一件では協会が、被疑者の暴力団との付き合いの有無という一番重要な問題点について事実を公表せず、処分だけを発表して終わりにしている点が全く常識外です。本人が認めていた事件の核心を公表せず隠ぺいすることを良しとするとは、組織として常識的な判断能力を逸していると言わざるを得ないでしょう。野球賭博の問題では、事実関係の調査において「正直に言えば今回はみのがしてやるから正直に言え」というスタイルで全力士から自己申告を求めたそうですが、これじゃ小学校の学級会です。

しかも、この協会の申し出に渦中の琴光喜関は「実はやっていました」と嘘を吐露した訳で、「大関」という角界を代表する人物が子供でも分かる事の善悪にようやく気がつくという始末です。これが教育テレビの道徳の時間のドラマなら、気がついた主人公は今回は責められず「これからは嘘をついちゃだめだよ」「悪い人たちと付き合っちゃだめだよ」の教育的サジェスチョンで番組は終わるところですが、お前はれっきとした大人だろと言いたくなる呆れた展開でした。しかも今回の調査で賭博をしていたと自己申告した力士が65人、うち暴力団との関与をうかがわせる野球賭博をしていたのが29人もいたそうですから、この業界の常識はどこにあるのか、と唖然とさせられるばかりです。

力士自身が平気で反社会的勢力に近づいたり不法行為に手を染めたり、さらには平気でうそをつくのは、長年培われた相撲協会の無教養がなせる非常識風土にあると思います。協会自身が平気で重要事項の隠ぺいをはかろうとするのですから、何をかいわんや。ズバリ問題点は「伝統」「国技」の名の下での、教養のカケラもない相撲が強かっただけの者たちによる閉鎖的な協会運営です。すべての原因はそこにあると思います。ここ最近の、弟子の暴行致死、国際化時代の力士の品格、薬物汚染、そして賭博に暴力団関与、と次から次へと起きる角界を巡る不祥事と管理すべき協会の無策さを見るに、文部科学省管轄下の公益法人としての協会運営はその体をなしていない、と断言できます。一般企業なら経営幹部は即刻総辞職、取引金融機関から経営陣を受け入れて大手術が必要という状況です。

もう今回ばかりは、公益法人である以上文科省も徹底的な指導をおこうべきであると思います。場合によっては政治的な圧力も加えながら、まずは現職幹部役員の総辞職。そして、執行部は最低半数は民間からの有識者をその運営にあたらせる等の大改革が必要です。会社組織で言ってみれば、委員会制を導入して民間からの社外取締役に規律整備や教育体制確立も含めた基本的な組織運営と監理を一任。実際の場所運営や巡業に絡む実務執行管理のみを角界OBが執行役員的に担当する、そのようなマネジメントのアウトソーシングと経営と実務管理の完全分離をおこなう以外に相撲協会を再生させる道はないと思います。もう今回は後がありません。「国技」である以上、国主導での改革に今こそ着手すべき時でしょう。マスメディアも単なる協会批判や琴光喜関の処分うんぬんばかりに終始するのではなく、今後の協会運営のあり方について具体的な意見具申をすべき時であると思います。

「70年代洋楽ロードの歩き方14」~グラム・ロック4

2010-06-13 | 洋楽
ボウイとロンソンのお話の続きです。

ボウイが単純にハデハデな衣装を身に着けていたからと言って、それを以てグラムロックであるとするのはちょっと違うと言うのがリアル体験をした個人的見解なのですが、それを裏付けるにはその前後のボウイの動向を知る必要があります。“ジギー前夜”のアルバム「ハンキー・ドリー」の中でボウイは、ポップ・アートの旗手であったアンディ・ウォーホルのことを歌い、そのリリース後の米国プロモーションでは念願であったアンディ・ウォーホルとの対面をニューヨークの“ファクトリー”で実現。またその流れでボウイのアイドルであるルー・リード(彼が所属したベルベット・アンダーグラウンドはウォーホルがプロデュースしたアート・バンド)とも劇的な対面を果たして、大いに刺激を受けてイギリスにもどっているのです。彼がジギーを名乗りハデハデの衣装でのステージが注目を集めたのはその直後からなのです。折からのギンギラTレックスの大ブレイクとちょうどタイミングが重なってしまったが故に、グラムの冠をかぶせられたボウイでしたが、実はボウイはウォーホルのポップ・アートの具現化をめざしたのであり、ハデハデの衣装を身につけてグラムを強く意識したのはむしろ、ボウイの芸術的感性に及ばなかったギターのミック・ロンソンであったと思うのです。

ボウイとロンソンはニューヨーク訪問の流れで、ルー・リードのアルバムのプロデュースを申し出ます。アルバム「トランスフォーマー」がそれで、グラム的な時流に乗ったアレンジはルーにとって初めてのヒットをもたらしたのです。ウォーホルとのつながりを含めて、アバンギャルドなアートの香り漂うルーをグラム的に化粧をしたのは、ボウイのアレンジャーでもあるミック・ロンソンに相違ありません。しかしルーはこのグラム的作品が自己の音楽性と合致しているとは思えなかったのでしょう、リリース直後には彼らと決別しボブ・エズリン協力の下“耳で聞く映画”とも評される芸術的作品である名作「ベルリン」を制作するのです。「トランスフォーマー」はそのプロデュース故に確実にグラム的作品ではあったものの、ルー・リードがグラムとは一線を隔する前衛芸術的存在であることは、他の作品を聞く限りにおいて間違いのないところなのです。余談ですが、ルーと同じく訪米時に知り合ったイギー・ポップに、「トランスフォーマー」の直後プロデュースを申し出て断られるという事件が起きています。イギーもまたグラムではくくりきれない前衛音楽家であり、グラム的作品は不向きと断ったのでしょう。ボウイとは親友であり“グラム後”はたびたび共演しています。

グラム全盛期のボウイとロンソンのプロデュース作品でもう一組外せないのがモット・ザ・フープルです。モットは英国の伝統を受け継ぐストレートなロックバンドとして60年代から活躍。ステージの評判とは裏腹にレコード・セールスが伸びず解散の危機にあったところを、彼らのファンであったボウイが楽曲提供を申し出て、ボウイ&ロンソンのプロデュース作「すべての若き野郎ども」が大ヒットします。このボウイ作ロンソン編曲による正調グラムヒットにより彼らは、いきなりグラム路線のメインストリームを走りだすことになるのです。ボウイ色が強くなる事を嫌った彼らはこの後ボウイ&ロンソンとは袂を別つものの、正統派ロックを奏でながらもそのコスチュームやステージ演出ではやはりグラムの匂いをプンプンさせていました。そして、74年にはミック・ロンソンがバンドに加入。結果的にはこれを契機としたグラム路線への再傾倒がバンド解散の引き金を引きながら、彼の加入がグラムの代表バンドとして人々の記憶に残る事になったのは皮肉な結末でもありました。その後ロンソンとモットのリード・ボーカル、イアン・ハンター(金髪カーリーヘアーにギラギラグラサンのグラム・ファッションでした)は、ハンター=ロンソン・バンド(写真)として活躍しました。

<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~グラム・ロック4>
★ボウイ、ロンソン周辺のグラム・ロックを正しく聞く作品★
①「トランスフォーマー/ルー・リード」
(かなり気持ちいいグラム・サウンドです。ミック・ロンソンのアレンジセンス全開の名盤。楽曲も冴えてます)
②「すべての若き野郎ども/モット・ザ・フープル」
(ボウイ色満載。A1はルー・リードの作品。当時の人間関係が錯綜しています。ロンソンは名バラードB5をアレンジ)
③「華麗なる扇動者/モット・ザ・フープル」
(クィーンを前座に従えたモット全盛期ツアーのライブ。ギンギラ衣装でグラムの雄の彼らの音楽性が全て分かります)