日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

小沢氏と検察に“国民代表”が叩きつけた「NO」の意味

2010-04-29 | ニュース雑感
「開き直る」という言葉を広辞苑でひいてみました。「のがれられぬと覚悟して、ふてぶてしい態度になる」という意味が記されていました。なるほど、やはり一昨日の小沢一郎氏を評して言うには、この言葉が最適であると思いました。

政治とカネをめぐる不透明な流れの追及に絡んで、自身の秘書の逮捕・起訴があっても「知らぬ」「存ぜぬ」で通し、結果検察の弱腰での「不起訴処分」と小沢氏の幹事長職居直りに国民世論は怒っていた訳です。そして一昨日、市民審査員11名による検察審査会が全員一致で「小沢氏は起訴相当」との結論を出し、東京地検は再捜査に着手することとなりました。それでも同日の小沢氏は会見の席上、「やましいことはなにもございません」と意に介さぬそぶりでサラリと言ってのけた訳です。まさしく「開き直る」とはこのことかと。ただどうなんでしょう。「開き直る」の意味「のがれられぬと覚悟して、ふてぶてしい態度になる」ですが、彼は「のがれられぬ」とは思ってないようにも思います。この期に及んで「のがれられぬ」と思っていないとしたら益々「ふてぶてしい」訳で、辞書上の「開き直る」以上に「ふてぶてしい」のではないかと思えてくるのです。

それと毎度毎度のことですが、小沢氏の会見でなぜマスメディアはもっと強力に突っ込まないのか、です。以前にも書きましたが検察もマスメディアも小沢相手となるとなぜか尻込みをする。今回国民の代表である検察審議会は、堂々と「NO」を突き付けているのです。このことの重大性がマスメディア第一線の記者連中には分からないのでしょうか。「何開き直ってるんだ!」「国民はNOと言っているんだぞ!」「国民をバカにしているのか!」ぐらいの罵声はこの日の会見場で小沢氏に浴びせて当然と、企業不祥事会見などでの彼らのやり口を見ている限りおいて私は思うのですが、会見場の記者諸君はまたもや小沢氏の顔色うかがいに終始していた訳です。情けない。

さらに情けないのは鳩山総理。「コメントする立場にない」と明言を避け、またもやリーダーシップの放棄を早々に決めたかのような態度です。あー情けない、情けない。少なくとも現段階で小沢氏が幹事長を務める政権政党の責任者として、「検察審査会の「起訴相当」判断は重大な結論であり、小沢氏とはその進退も含めて本人とよく話し合い慎重に対処していきたい」ぐらいの回答をするのが当然でしょう。検察審査会の判断はいわゆる心象判断的な世論調査レベルではなく、検察の調査資料を精査した“国民代表”が下した判断であり、しかも今回は11人全員の意見が「起訴相当」で一致すると言う状況なのですから。総理は自身の判断の甘さをもっと自覚するべきでしょう。

そして、今後の焦点は検察の対応です。自分たちの判断に対しその資料を確認した“国民代表”から「NO」を突き付けられたのですから。「こんなに証拠があるのに、どうして起訴しないのか」と言われているのです。もっと言えば「何を恐れているんだ」と言われているようなものです。先のマスコミと同様、“蛇ににらまれたカエル状態”と国民の目には映っている訳です。江副浩正氏の著作にあるようなリクルート事件での検察の「絶対に挙げてやる!」という執拗な“正義感”はどこに行ってしまったのか。何度も言いますが、小沢氏ほどの絶対的な専制君主が、大切な「お金のこと」を秘書任せにして何も知らないなどということはあり得ないわけです。検察の今後の再捜査にはその威信がかかっているとの認識を十分にもっていただき真相の究明をして欲しい。国民の多くがそう願っているに違いありません。

“国民代表”が叩きつけた今回の「NO」は、「相手によって対応を変えている」と映る政治、検察、マスメディアの「正義」のあり方について、「これでいいのか?」と改めて問うているのだと思うのです。

“高級化”マクドナルドと“低価格”吉野家~デフレを勝ち抜くのはどっちだ?

2010-04-27 | マーケティング
今月18日に渋谷から一斉に姿を消し話題を集めたマクドナルド店舗が、そろって25日にニュー・オープンしたそうです。この日新装開店したのは渋谷だけでなく都内の13店舗。内装にはフランス人デザイナーを起用して、赤や黄色を基調とした“マック・カラー”の従来デザインを黒や茶色など落ち着いた色合いに変更。ソファの導入や座席の間隔を広げることで、ゆったりすごせるような工夫が施されています。このようなゆとりを持たせた店内設計をおこなうとともに、全席禁煙、LED照明の採用、ユニホームの一新などで高級感を演出。商品価格は従来店舗より10~50円引き上げたそうです。この原田CEO=マクドナルドの戦略変更はいかなる狙いがあるのでしょう。

マックカフェ、クオーター・パウンダー、プレミアム・ロースト等々、原田氏のCEO就任以来試行錯誤を繰り返してきたマクドナルドですが、それらの実験的試行策のとりあえず第一段階での結論として今回の店舗戦略は位置づけられるように思っています。すなわち、マックカフェ、クオーター・パウンダー、プレミアム・ローストはどれも「高級化」「高価格化」路線であり、今回の店舗改革はその手ごたえをつかんだからに他ならないと言えるでしょう。ファーストフード業界はデフレの影響で価格競争が激化しており、比較的価格確保が期待できるカフェ路線への路線変更を志向しての結果と受け取れるのです。まさにマクドナルドの“スタバ化”であり、ファーストフードのカフェ化路線であります。

カフェ化路線のプロトタイプは、90年代から雨後のタケノコの如くその数が増え旧来の喫茶店を駆逐したドトールをはじめとした低価格コーヒーショップを、適度のオシャレ感と高級感で化粧をさせ、「サードプレイス(=自宅、オフィスに次ぐ第三の場所という意味)」という“くつろぎ”をキーワードにグレード感を持たせたスターバックスに代表される新カフェ戦略である訳です。果たしてドナルド君をキャラクターとして長年“お子ちゃまの味方”でやってきたマクドナルドが、“化粧”を少し変えただけで並み居る競合カフェチェーンに対抗ができるのか、また高級化路線で既存のハンバーガー戦争でライバルの後塵を拝することにはならないのか、そしてその双方がマイナスに働いて大きな痛手を被ることになりはしないのか…等々不安材料は尽きない訳ですが、アップル・コンピュータ仕込みの原田CEOはどんな思考回路を巡らせた結果の秘策であったのか一度じっくりと聞いてみたいものです。

このマクドナルドの戦略と好対照なのが、期間限定ながら牛丼並盛り380円を270円に値下げし、低価格競争に堂々参入(会社側はそうではないとは言っていますが、期間限定とはいえライバル追随は明らかです)の牛丼業界の雄「吉野家」です。業界トップの価格競争参入は、自爆的とも思えるほど強烈なインパクトはあるわけで、ある意味マクドナルドの高級化路線以上にショッキングな戦略であるとも言えるでしょう。時を同じくして果敢にも、日本のファーストフード業界を代表する業界トップの2社がとった、「高級化」と「低価格」ふたつの大胆戦略。底なしの超デフレ時代を勝ち抜くのはどちらの戦略であるのか、マーケティング的興味は尽きないところであります。

「70年代洋楽ロードの歩き方8」~アフター・ザ・ビートルズ8

2010-04-25 | 洋楽
ジョージは73年の「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」に続いて74年には、ソロ第3作として自ら立ち上げたレーベル名と同じタイトルの「ダークホース」なるアルバムをリリースします。初ソロ作「オール・シングス・マスト・パス」と前作「リビング・イン・ザ…」では、彼のビートルズ・コンプレックスの裏返しであるインド哲学に起因する宗教観が全面的に支配していましたが、この「ダークホース」ではジャケット・デザインと一部の曲にこそ宗教臭が残っているものの、中身的にはこれまでとは違ったムードがかなり強くただよっています。何より特徴的に私的な歌詞が増えているのですが、その原因はと言えば、妻パティとの破局による私生活での苦悩があったようです(エバリー・ブラザースの「バイ・バイ・ラブ」までマイナー調で歌詞を替えて歌うなど、暗いムードの歌が多いのです)。

サウンド面でも変化がうかがわれます。全体は大きく2つ、前作同様のおなじみメンバーによる楽曲とツアー・メンバーで録られた楽曲から構成されており、特に後者はウイリー・ウイークス、アンディ・ニューマークスのリズム隊にトム・スコット率いるLAエキスプレスも加わってひと足早いAORのノリも感じさせ、次作であのデビッド・フォスターが編曲を手掛けることになる足がかり的な流れとも言えそうなムードは、明らかに音楽面で過渡期を迎えたと言えるのです。はからずもビートルズの映画「ア・ハード・ディズ・ナイト」で知り合った妻パティとの別離が、ジョージをビートルズ・コンプレックスから卒業させるきっかけを作ったかのようにも思える訳です。

このアルバムでの白眉は、ロン・ウッドとの共作B3「ファー・イースト・マン」。ウイリーとアンディの都会派の演奏は、それまでのジョージとは明らかに別の世界を醸し出しており、いわゆるビートルズ後期から一時的にかなり強く精神的な世界に立脚していたそれまでの彼の音楽観が本来あるべきポピュラーの流れに戻ってきたと言ってもいい状況に変化しているのです。この傾向は次作75年の「ジョージ・ハリスン帝国」(って最高に変なタイトルです)で、一層明確になってきます。ツアーの失敗と離婚問題、盗作裁判等に揺れた環境下では良い楽曲が生まれるハズもなくこのアルバムは商業的には惨敗でしたが、音楽面ではデビッド・フォスターの力もあって前作から現れたビートルズ卒業を感じさせる都会派的変化が一層明確化したのでした。そして、自身のレーベルに移籍しての「331/3」「愛はすべての人に」では、一連の揉め事も決着して、いよいよビートルズを卒業したポップで洗練されたソロ・アーティスト、ジョージ・ハリスンとしての全盛期に突入していくのです(セールス的には決して全盛期ではありますせんが…)。

さて、ジョージをまとめます。
★ワン・オブ・ザ・ビートルズ期
「オール・シングス・マスト・パス」
「バングラディシュのコンサート」(ディランまで登場するスワンプ一座の一大ライブ・イベントです)
「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」
※付随的に聞くべきアルバム(スワンプ仲間です)
「オン・ツアー/デラニー&ボニー・アンド・フレンズ」(クレジットなしですが、ギターを弾いています)
「レオン・ラッセル/レオン・ラッセル」(英国アーティスト向けスワンプの教科書。ジョージのスライド冴えてます)
「ウルル/ジェシ・エド・デイヴィス」(ジョージの「スー・ミー・スー・ユー・ブルース」は本人に先駆けての録音)

★アフター・ザ・ビートルズ期
「ダークホース」
「ジョージハリスン帝国」(「ギターは泣いている」のジェシ・エドのソロにはクラプトンとは違う味わいが…)
「331/3」(個人的にはジョージのイチオシ)
「愛はすべての人に」(オリビアとの再婚で最も幸せそうなジョージが聞けます)
※付随的に聞くべきアルバム(脱スワンプ系です)
「忘れえぬ人/デイブ・メイスン」(デラボニからのつきあい、本作はスワンプではなく都会派への移行は彼の影響?)
「リンゴ/リンゴ・スター」(「想い出のフォトグラフ」はじめ3曲を作。ギターでも参加。実にポップです)
「俺と仲間/ロン・ウッド」(ジョージ参加の「ファー・イースト・マン」のロン・ウッド・バージョンは涙モノ)

70年代ジョージ・ハリスンはこんな区分けで、それぞれをまとめて聞いてみるのが正しい“歩き方”であると思います。

本田直之~近刊本3冊

2010-04-23 | ブックレビュー
レバレッジ・シリーズ本田直之氏の近刊本が続々発刊されています。発刊というより“発汗”と言うイメージ?ホント、勝間和代氏とタメを張るようなペースで、まるで「稼げるときに稼げるだけ稼げ!」という感じがします。個人的には現在あまり関心はないのですが、人気沸騰のようなので一応取り上げておきます。採点はしません。


●「たった3つのクセを直せば人生がうまくいく/本田 直之(中経出版1,050円)」

書いていることは、いいことです。噛み砕いて言うと「3つのクセ」は「人のせいにしない」「言い訳の習慣をやめる」「忙しいと言う理由で後回しにしない」です。正論、正論。これまでも氏の著作でたびたび登場している内容であると思います。ベストセラーの「面倒くさがりやの…」「なまけものの…」の法則シリーズの、焦点を絞った焼き直しとも言えます。そこまではよくある話でいいとして、それにしても薄味です。内容に乏しい。1時間かからずに読み終えてしまいます。ところどころ図解でページを割いていることと、後半は「思考改善トレーニング帳」と称して「ここまでページを使ってやります?」と言う感じの“埋め草”とも思えるページが50ページ以上にわたって掲載されているので。書籍や講演、セミナーの類は一過性になりがちなので、まぁこういった継続プログラムををセットすることはそれなりに意味のある事であるとは思います。ただこのページの使い方は、ちょっと読み手をなめているかなと…。

最近の本田氏は、例えて言うなら売れてきた芸人がテレビでの声がかりが増えて、新しいネタを仕込まずに本業そっちのけで(例えば漫才師が“ひな壇番組”にばかり出るというアレです)売れたネタを切り売りして稼げるだけ稼ぐ姿にソックリ。最近の芸人で言うならオードリーのようなという感じです。彼ら一昨年の年末のM1グランプリ準優勝でブレイクして、その後はテレビ番組で安易に稼いで芸はしない。昨年のM1は出場すら辞退ですから、何をかいわんや。芸人がすっかりタレントに成り下がってしまった訳です。本田氏もコンサルタントが、売れっ子エッセイストにでもなった気分なのでしょうか。レバレッジシリーズではけっこう信奉していただけに、今の姿は本当に残念です。


●「できる人間」を目指すなら、迷うのはやめよう 22歳からの人生の法則/本田直之(監修)安達元一(ストーリー原案) (アスコム1,575円)」

これはひどいですね。中身は知りません。立ち読みですから。読む気にならなかったので。読んでないのに何がひどいか、制作の思想です。以前、氏は自身のコンサルティング・エッセンスを盛り込んだ自己啓発小説「走る人を目指しなさい」を書き下ろしました。予想通り大コケでした。今回も全く同じコンセプトですが、やはり“餅は餅屋”と言う訳で原案と監修を本田氏がおこない、実際のストーリー起こしを“プロ”の放送作家である安達元一氏に依頼して小説にしたと言う訳です。ここまで聞いて、「おっ?なんか似たようなのなかった?」とピンと来たあなたはかなりスルドイです。そうです、今話題の「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら /岩崎夏海(ダイヤモンド社1680円)」と同じコンセプトじゃないですか。

岩崎氏は元放送作家。高校野球のマネージャーが間違えて買ったドラッカーの経営論の本を参考にチームを甲子園に導いていくというストーリーの小説です。放送作家の巧みなストーリー展開に沿って読みながら経営理論が学べるという目から鱗の企画だった訳で、昨年12月の発刊以来じわじわ売れて現在大ベストセラーです(この本また改めて取り上げます)。経営理論や自己啓発理論を今風のストーリー仕立てで作品にするアイデアは使い古されたものではあるのかもしれませんが、「走る人…」での大コケを受けて「もし高校野球の…」と同じようなプロを使っての“復讐戦”とは、あまりに稚拙な猿マネで開いた口ふさがらずです。理論的背景は片やドラッカー、片や本田直之ですから、ハナから勝負になる話ではないのですが…。それにしても「そこまでやるか?」と言う感じですよね。読んでないので中身は分かりませんから、著作そのものを批判している訳ではありません。企画スタンスが感心しないということです。


●「カラダマネジメント術!/本田 直之(マガジンハウス1,050円)」

近刊本の中ではこれが一番まともじゃないかと思います。薄味の“手抜き芸人系”と自己啓発小説やイラストレーターしりあがり寿氏との共著等“勘違い系”ばかりが続々出版される最近の氏の著作にあって、ビジネス・パーソンにおける健康管理の重要さを実践的に説いている著作としてなかなかの企画ではあると思います。有名になったからこそ可能たらしめた企画なのですが、中年サーファーである氏自身が昨年病に伏して健康への過信を反省したということろが、著作のきっかけになっている点はとても好感を持って読ませてもらえます。ただ難点をいえばかなり“ナルちゃん”なので、トライアスロンをチームでやっている話は良いのですが、けっこうひけらかしというか、カッコつけというか、くどさを感じさせる点がちょっと。若い人たちにはその辺が「自信」と映って、“憧れの中年ビジネスパーソン”なのかもしれません。おまけとして、おススメの都内ジョギング、サイクリングコースも紹介されていますが、これがまたいちいちトレンドスポット的なノリで、「君たちもこのコースを走って本田を気取ってくれ!」と言っているようです。


以上本田氏の近刊本3冊でした。さらに近々「ゆるい生き方 縛られず、ストレスフリーな毎日のヒント(大和書房1050円)」なる本が出るそうです。読まずに決めつけてはいけませんが、何となくタイトルからして“手抜き芸人系”かなと言う感じですね。氏は自身が基本的に「怠け者」であるを前提にすべての著作をしたためていますので、“手抜き芸人系”にしても“勘違い系”にしても、その意味で“アリ”だとすれば批判にはあたらな

「事業仕分け」を官僚・公務員の「躾(しつけ)」の場にせよ

2010-04-21 | ニュース雑感
「事業仕分け」の第二弾が23日からいよいよスタートするそうで、連日マスメディアをにぎわせています。今回は独立行政法人がその対象とか。“仕分け人”として一躍注目の人となった枝野大臣、蓮舫議員らは、下調べで各独立行政法人を視察・ヒアリングで回っているようです。

この「事業仕分け」とは何であるかと考えるに、これは我々の業界で言われるところの「ムダの見える化」な訳です。これまで誰も気に留めることなくやってきた国家機関のムダ遣いを、しっかりと見える化して“要らないモノは捨てる”を徹底的におこない、財政再建の足がかりにしようということです。ちょうど民間で言うところの「5S」の入口にあたっていると思います。蛇足ですが「5S」とは、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾(しつけ)」のことで、そもそも製造現場で導入されてきた“改善サイクル運動”のひとつで、最近では管理部門や事務部門にもその考え方を取り入れる企業が増え、広く企業活動でムダや非効率の削減に役立っているのです。

国家機関における現時点での“改善サイクル”を「5S」の段階で見るに、まずはじめに“捨てる”を徹底しようと言う事でこの「事業仕分け」が始まったと捉える事ができそうです。この手順は悪くはなくて、“捨てる”の徹底で「整理」や「清掃」ができれば、その状態で扱いやすい環境を整える「整頓」やきれいな状態を保つ「清潔」に移れる訳です。「事業仕分け」は「5S」で言うことろの「整理」や「清掃」にあたっている訳で、まずこれがスタートラインであるのです。もちろんこの先、「仕分け」を「仕分け」で終わらせないことこそ大変重要で、言ってみればどんなに“捨てる”を徹底したとしてもその後再びムダが生まれてきたのでは“思いつきの大掃除”と変わらない訳ですから、「ムダ」と「仕分け」のイタチごっこが続くだけになってしまうのです。政権政党は定期的に「仕分け」をすることが行革パフォーマンスになるかもしれませんが、本来の目的からすればそれは何の意味も持たないのです。前回も含め「仕分け作業」のその後の「整頓」「清潔」進行状況についても、しっかりとフォローして国民に報告をして欲しいと思う訳です。

もう一点、「5S」の観点では実は重要なのは「躾(しつけ)」であるということを言っておきたいと思います。民間企業でもそうなのですが、結局一斉に“捨てる”(=「整理」「清掃」)にとっかかったところで、その行動の真意が構成員に理解されていなければ、それに続く「整頓」や「清潔」など実現のしようもなく、結局“捨てる”は一過性の“大掃除”に終わり何の意味も持たない訳です。この点に関し大きく懸念を感じさせる報道がありました。今回事業仕分けの対象となっている47の独立行政法人にある番組が緊急アンケート実施したそうです。回答は38通であったそうですが、「自身の独立法人に仕分け対象となるムダはあると思うか?」という質問に対して「あると思う」との回答はなんと「0件」。天下りトップに年間2000万円もの報酬を支払っているという独立行政法人も存在するというのにです。

民主党政権にぜひお願いしたいことは、この「事業仕分け」が一過性に終わることなく有効に機能し先々の「官僚文化の変革」につなげるために、官僚、公務員の「躾(しつけ)」をまずして欲しいということです。「ムダの定義」や「税金を使う立場の人間にとって、ムダは悪であるという意識」を身を持って知らしめるような、継続的かつ洗脳的な教育が一刻も早く必要であると思います。場合によっては理解を示さない者に対して懲戒等の“体罰”を制度化することも必要でしょう(「躾(しつけ」とはそういうものです)。日本企業が海外に生産拠点を設ける際に、地元労働力を有効に機能させるためには、「5S」の中でまず第一に「躾(しつけ)」の徹底をはかっているのです。例え海外で安価な労働力が得られても、それが国内並の十分な働きが得られないなら海外進出は全く意味をなさない訳ですから。国家機関も民間並みに「ムダの削減」をはかるためには、何を置いても「躾(しつけ)」の徹底をしなくてはいけないと思うのです。

今回の「事業仕分け」ではマスメディアにおいても、おもしろおかしくやりとりを中心とした議論の現場を報道するのではなく、ぜひ「躾(しつけ)」の観点から鋭い論評をぶつけてもらい、「事業仕分け」を“思いつきの大掃除”に終わらせず「官僚文化の変革」につなげる支援をして欲しいと思います。

経営のトリセツ85~“マネジメントの遠近感”を持たせる「楕円視界」

2010-04-19 | 経営
時間が少しでもあるとすぐ本屋に立ち寄りたくなる私は、今日も事務所近くの本屋に立ち寄ったのですが、そこで知らない雑誌を目にし気になる記事もあったので買ってみました。

雑誌のタイトルは「taxi」。季刊のようでお初にお目にかかりました。扶桑社刊ですから出所はいかがわしくはないのですが、中身は「特集:皇室の近代」とか「連載:皇室の母性と天皇の超越性」等々しっかり産経新聞チックで、なるほどフジサンケイ・グループのノリ。この雑誌を私がなぜ買ったのかと言えば理由はただひとつ、「特集:ボブ・ディラン ライブツアー緊急レポート」なる見出しです。みうらじゅん氏、菅野ヘッケル氏ら10人の書き下ろし32ページにもわたる読み物特集ですから、これはもう1も2もなく「買い」な訳です。レポートした10人のライターの原稿は、それぞれ個性的なとらえ方で大変面白かったのですが、中でも白眉だったのがミュージシャンで音楽評論家の和久井光司氏。もともと雑誌で氏の原稿を目にする機会も多く、その達者な筆力はよく知ってはいましたが、今回もまた素晴らしいレポートを書かれていました。特筆すべきはその視点。本題のディランから離れて、考えるヒントを与えてもらいました。

氏のレポートはまず作家後藤明生氏の小説の根底に流れる世界観の中枢にある「楕円」の観点を説明し、その視点からつづられています。レポートの内容は割愛しますが、後藤明生氏の「「楕円」の観点」を解説すると、「情報が肥大化した「現代」と「わたし」の関係を鑑みながら「現代におけるわたくし小説」を模索する」ということだそうで。かなり哲学的なので簡単に言うと、常にふたつの視点からものを見ようとすることで、あらゆるもののとらえ方を広くし1視点では捉えきれない本質を捉えていくということかなと…。いや後藤氏や和久井氏の「楕円」の観点の本質はそうでないかもしれませんが、細かいことはどうでもよくて、この原稿を読んだ瞬間「なるほど人の目も2点からモノを見る「楕円視界」。それをもっとマネジメントにおいても意識するべきなのだ」という再認識を迫られたのです。

人間の目は2点から視野を広げる「楕円視界」であることで、「視野拡大」「視力補填」「遠近感」の3つを可能にしてくれています。この3つはどれも片眼の“一点焦点”の「円視界」ではなし得ないものなのです。この点をマネジメントへの応用で考えると、「物事は常にふたつの視点で検討すべし」ということなのです。一番分かりやすい“二点焦点”の「楕円視界」の話は「理論と実態」です。例えば我々コンサルタントがクライアントの問題点の解決策を考えるとき常に心がけることですが、「理論」という視点だけで解決策を策定することは「机上論」に陥りやすく、常に現場の「実態」という視点を忘れてはいけないということがその好例でしょう(理論だけで制度や枠組みをつくって商売をするコンサルタントも間々存在しますが…)。

“一点焦点”でものを捉えて「これが正しい」と決めつけることは、一般の企業の経営者や管理者が陥りやすいエラーであると思います。「理論」があまりにしっかりしていると、ついついそれを過信して「実態」を勘案せず進み思わぬ落とし穴が待っていたり。“一点焦点”のモノの判断が必ず過ちであるとは申しませんが、“一点焦点”での検討は物事の分析や解析には“深み”がなく薄っぺらな判断につながりやすいのです。なぜなら“一点焦点”の「円視界」には思考における「遠近感」がないからです。マネジメントにおいて「理論」と「実態」、「経験」と「知識」、「計数分析」と「トレンド予想」等、“二点焦点”の「楕円視界」は常に経営に「遠近感」という“厚み”を持たせ、過ちを未然に防ぐ役に立つのです。ひょんな雑誌記事をきっかけに、改めてそんなことを考えさせられた午後でした。

「70年代洋楽ロードの歩き方7」~アフター・ザ・ビートルズ7

2010-04-18 | 洋楽
ビートルズの解散後、予想に反して最大の賛辞をもって迎えられたのはジョンでもポールでもありませんでした。第三のビートルとして、常にジョンとポールの陰に隠れていたジョージはいきなり大作を傍らに携えて飛び出し、世の音楽ファンをアッと言わせたのです。

その作品が70年11月リリースのアルバム「オール・シングス・マスト・パス」でした。何と言っても「オール・シングス・マスト・パス」はLP3枚組という圧倒的なボリュームであり、ビートルズ・ファンの誰もが「書きためて出せずにいた曲がこんなにあったのか」と思わされた“ビートルズ蔵出しアルバム”だったのです。実際タイトル・ナンバー「オール・シングス・マスト・パス」「イズント・イット・ア・ピティ」「ワ-・ワ-」など、その中心となる曲は「ホワイト・アルバム」セッション以降のビートルズ存続時代に書かれたもので、まさしくジョージの“ワン・オブ・ザ・ビートルズ”時代の集大成的作品集でありました。このアルバムは、3枚組アルバムとして史上初の全米№1に輝いています。同時期にジョンのあの名作「ジョンの魂」が№1になっていないのですから、これは大変な快挙だったのです。

ジョージのソロ活動の原点は、ビートルズ時代の立ち位置へのフラストレーションとジョンとポールへのコンプレックスにあると私は思っています。4人中最年少で、高校時代はポールの後輩。ポールはずっとジョージを弟的扱いをして、彼の作品はなかなかビートルズに取り上げられることはなかったのです。そんなジョージはマネージャー、ブライアン・エプスタインの死後、プロダクション管理がゆるくなり自由に行動ができるようになったのを機に、音楽的交友関係を積極的に外に広げていきます。それがボブ・ディランやエリック・クラプトンとの交流であり、デラニー&ボニーへのツアー参加でありました。そしてこのビートルズであることのストレスからくる反動行動が、末期のビートルズにおいて彼に中に大きな“化学変化”を生む事になる訳です。こうして「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」や「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」と言った名曲が生まれ、この3枚組大作アルバムの制作へとつながったと言えるのです。

ビートルズ末期の交友関係の広がりは、「スワンプ系のミュージシャン大集結」の形をもってこのアルバムで結実します。曲づくりの部分では、共作を含めディランとの「新しい夜明け」セッションでの共演が刺激となって反映されています(ディランの60年代末期は、“ビックピンク”(※)に代表されるルーツへの回帰であり、ここからもジョージのスワンプへの系譜が見て取れます)。演奏面ではクラプトン、カール・レイドル、ボビー・ホイットロック、ジム・ゴードンの“デレク&ドミノス”メンバーに、デイブ・メイスン、ボビー・キーズ、ジム・プライスといった、まさしくデラニー&ボニーのフレンズ・メンバーが揃って参加。完璧にスワンプ・ロック(南部系ルーツ・ロック的サウンド=別項にて取上予定)を展開しているのです。そして、プロデューサーは「レット・イット・ビー」の“ミスター・ウォール・オブ・サウンド”フィル・スペクター。ジョンのアルバムにもかかわっていたフィルの起用は、スワンプとはアンマッチな取り合わせではありますが、今となってはビートルズ解散間もない時期の混乱であったとも思えます。このジョージを中心とした“大フレンズ大会”は、彼が提唱&プロデュースした翌71年の「バングラディシュ難民救済コンサート」で一応の幕を迎えることになります。

そしてもうひとつの彼の“ビートルズへの反動”は、インド哲学への傾倒による作風への変化と言う形で現れます。ビートルズ時代にシタールの使用による音楽的な部分への影響に始まったそれは、次第に歌詞の世界で大きな存在となって現れます。本アルバムでも№1ヒットの「マイ・スウィート・ロード」や「ビウェア・オブ・ダークネス」「ヒア・ミー・ロード」などは、完全にインド哲学に立脚した“神との対話”を詞にしたためたものでした(私などは中学生時代は「ロード」はてっきり「ROAD=道」だとばかり思っていました)。この傾向は、73年の「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」でも引き継がれます。そこからの№1ヒット「ギブ・ミー・ラブ」の「ギブ・ミー」は「神」の対して乞うているのです。こうしてジョージの“反動表現”としての“ワン・オブ・ザ・ビートルズ”的音楽活動は、74年ごろまで続くことになります。
(この項続く)

(※)ビッグピンク:ボブ・ディランは66年のバイク事故以来隠遁生活に入り、ザ・ホークス(後のザ・バンド)とともに、ニューヨーク、ウッドストック郊外の「ビックピンク」と言われる建物の地下で、レコーディング活動をおこないます(ザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグピンク」は、まさしくこの“地下室セッション”が生んだ名盤です)。この時の音源が「GREAT BIG WONDER」なる世界初の海賊盤として世に流通し、そのルーツロック的内容と相まって音楽界に大変な反響を巻き起こします。そしてこれを契機に、ストーンズ、クラプトンはじめ多くのミュ-ジシャンがルーツロックやスワンプへ傾倒していくのです。ジョージはディランと交友を深め、まさにこの時期共作やセッションをおこなっていました。

皐月賞

2010-04-17 | 競馬
桜花賞はオウケンサクラを軸にワイド2点的中でした。エイシンリターンズとのワイドは30倍以上の好配当。春のGⅠ2連勝という“異例(?)”の好スタートを受けて、今週もがんばりたいですね。

さて明日は牡馬クラシック第一弾、“荒れる”皐月賞です。⑬ヴィクトワールピサ、⑤ローズキングダムの2強対決とも言われていますが、果たして…。このレース、昔からステップレースの弥生賞組が強いのですが、弥生賞を1番人気で勝った馬は無敗のディープインパクトを除くと皐月賞では3着以下に終わるというデータがあります(古くはウイニングチケット、最近ではアドマイヤムーン、ロジユニバースなど)。今年は⑬ヴィクトワールがそれに該当しますので、狙いが下がります。

例によって3歳馬なので、仮「GⅠ理論」でステップをレベル分けすると、2歳時GⅠレベルと言えるレースは朝日杯とラジオNIKKEI杯。ステップレースで高い評価を与えるべきは、弥生賞とスプリングステークス、若葉賞です。この5つのレースでの好走馬を連対実績を基準にポイント化すると、⑬ヴィクトワールが2ポイント、⑤ローズは1ポイント、⑫エイシンアポロン2ポイント、⑯ヒルノダムール1ポイント、⑯アリゼオ1ポイント、⑥ゲシュタルト1ポイントです。軸候補は2ポイントの2頭ですが、⑬ヴィクトワールは前走のマイナス8キロでの道悪激走と先の“消し”データで評価を下げ、ここは⑫エイシンアポロンを軸とします。

⑫から、相手は、⑤、⑯、⑱、⑥。おさえで⑬。荒れる皐月賞ですから欲を出さずにワイドがおすすめです(⑫-⑬は配当が低いので馬連でいきます)。

ここ5年、2着にはことごとく人気薄が飛び込んできています。今年の穴候補は、1ポイントの⑥ゲシュタルト。スプリングステークス2着しながら人気の盲点になっています。内枠を利しての先行策なら残り目もありそうで、⑥から有力馬へのワイドは面白いかもしれません。

久々のタイアップ・ヒット確実?フォーティ世代を狙い撃つ資生堂CMの憎い演出

2010-04-15 | マーケティング
最近私が気になっているコマーシャルの話をします。

資生堂の「のむ、つける、IN&ON」。そうそうあの懐かしい元アイドルの40代女性4人を起用したCMです。何が気になるって、40代の“おばちゃん元アイドル”は別にどうでもいいのですが、問題はこのCMのつくりです。「♪ずっと好きだったんだぜ~」というなんとも懐かしくなるようなサウンドに乗ってキャッチーなサビのリフレイン。これって70~80年代の「揺れるまなざし」にはじまる「化粧品CM=ニューミュージック・タイアップ」全盛時代の、キメ技そのものですよね。4月1日からTVオンエアされたこのCM手法に振り向かされて、懐かしくて懐かしくて。「何?この昭和的キャッチーなCMづくりは???」って感じで、TVで流れるたびに思わず顔がほころんでしまうわけです。
(化粧品のCMタイアップ・ヒットソングって、「不思議なピーチパイ」「燃えろいい女」「微笑の法則」「マイ・ピュアレディ」「め組の女」「君の瞳は10000ボルト」「唇よ熱く君を語れ!」「サマー・ピープル」「君は薔薇より美しい」「桃色吐息」…、ホントたくさんありましたよね。「資生堂VSカネボウ」一騎打ちの時代でもありました。懐かし~い!)

肝心の楽曲を作って歌っているのは斎藤和義氏、って私も名前ぐらいしか知らないんですが、66年栃木生まれの43歳。93年「僕の見たビートルズはTVの中」でデビューしたという、“真性アフター・ザ・ビートルズ・フォロワー”だそうです。しかも“清志郎フリーク”とか。なにしろ、このCMを印象付けているこの曲に私がグッとくる理由は、やっぱビートルズ→清志郎の影響を受けつつ進化した70年代洋楽路線の音そのものだからなんですね。いやー、実によく練られたCMである訳です。フォーティ世代のアイドルたちを登場させて、その人たちをアイドルとしてあがめたてまつっていたオヤジたちに訴える楽曲を、今あえてあの時代的な手法のCM展開で活かしていく、こりゃ完全に一本取られましたな。

でもちょっと待ってくださいよ。これ資生堂の女性向け美容剤&ツールのコマーシャルでしたよね。オヤジの目と耳を惹きつけてどうするんだって感じですが…。“元アイドル”4人と同じ世代の女性陣が見て、どう感じるんでしょうかね?この4人のファンだった人向けの明らかなオヤジ受けCMのような気がするのですが、いかがなものでしょう?どなたか女性のご意見お聞かせいただければ幸いです。いずれにしても、シリコン成分が地肌を傷めたと苦情殺到して高額プロモーションが水泡に帰したシャンプー「ツバキ」以来の、資生堂入魂のCMであることには違いないでしょう。

ところで、このCMをきっかけにネットをブラブラしていたら、このBGM「ずっと好きだった」の短いプロモ・ビデオを発見!まだCD発売前だからなのか、フルバージョンは見当たりません。でも、これが短いけどスゴいのです。ビートルズ・ファンなら一見して分かるあの「ルーフトップ・ライブ」(69年に彼らのオフィスであったアップル・ビル屋上で、4人そろって人前で演奏した最後。映画「レット・イット・ビー」のラストに収録されている感動のライブシーン)と全く同じシチュエーションで、山崎くんはじめ4人がこの新曲を演奏しているのです。4人の服装、楽器、カメラアングルすべてまんま「ゲット・バック」です(特にジョージは激似)。オヤジ感涙モノ。やるなぁ斎藤!ぜひYOU TUBEで見比べてください。

★「ずっと好きだった/斎藤和義」
http://www.youtube.com/watch?v=vvFrFTIFDFA
★「ゲット・バック/ビートルズ」
http://www.youtube.com/watch?v=-6G7MkBMVxE&feature=related

ちなみにCM解説しますと、4人の元アイドルは薬丸(旧姓石川)秀美、河合その子、荻野目洋子、伊藤つかさ。薬丸と河合は専業主婦でこのCM限定での復帰だそうです。CMのキャッチは「よみがえれ、私。」。
「ずっと好きだった/斎藤和義」のCDは4月21日発売だそうです。コレ売れちゃうんじゃない?久々にオヤジがカラオケで歌えるJ-POPヒット曲誕生の予感です。

自治体施策の早期“見える化”こそ最大の無駄防止策

2010-04-13 | その他あれこれ
先日熊谷市役所から「住環境に関するアンケート調査」なるものが届きまして、ずっとほったらかしだったのですが、中身を空けて書いてみました。

なんでも、無作為に市民から3000人を選んでアンケート用紙を送付したとあるのですが、約20万人都市の熊谷ですから20歳以上を仮に7割とすると14万人、調査対象として当たる確率は実に2%!いやぁ、クジ運のない私がスッゴい快挙ですよコレ!でも無記名なので、何ももらえないんですけどね。結構なボリュームのアンケートなんだから、イオカードとかなんかを同封しておけばいいのにね。「当たった感」も演出できますし、お礼を同封するしないで回収率も違うと思いますけどね。でも、1件500円を3000件で150万円、税金の無駄遣いって言われますかね。まぁこの点はナシでもヨシとしておきましょう。

で中身なのですが、はじめのうちは熊谷で生活をしていることの満足度などを問う質問があって、その後いろいろ熊谷市が手掛けている施策を「知っているか」「重要と思うか」みたいな質問が延々続くのです。まぁ基本は丸をつけるだけのものなので手間はないのですが、ややうんざり。「熱いぞ!熊谷」以外はほとんどは知らなかった施策ばかりだったのですが、「へぇー、こんなこともやっているんだ」と感心したり「こんなことなんで市町村レベルでやってんの?」と疑問に感じたり、けっこう地元行政の活動を知るにはいい機会となりました。

最終的に私が思ったこと。行政が何を手掛けているのか絶対的なアナウンスが足りないです。国の施策もそうですが、今脚光を浴びている「事業仕分け」にしても、そもそも「仕分け」の対象になるまで皆が知らないということが問題なのであって、知らないうちに作られたり始まったりして、衆目の知るところになると無駄遣いだなんだと言われて「仕分け」対象にリストアップされ問題視される。地方には一層そういう“見えない無駄施策”が多いように思いました。

例えば、熊谷市はニュージーランドのインバーカーギル市(写真)と姉妹提携を結んでいるのだそうですが、そんなこと初耳。そもそもインバーカーギル市っていう町自体知りません。写真で見る限り熊谷とは異質の小さなリゾート地みたいですが、その町との提携にどんなメリットがあるのか、市のホームページでは「現地視察を重ね」とかありますが、本当にコストをかける意味があるのか。別に“いちゃもん”ではありませんが、ホームページを見る限りどんなメリットを想定して姉妹都市を結んだのかそれが進んだのかダメだったのかまったく触れておらず、ちゃんと市民を巻き込んで議論がされているのかいささか疑問に感じます。

そのアンケートの最終ページの「ご意見」欄にも書いたのですが、とにかく行政施策の“見える化”が全くなされていない。市報にはいろいろな情報が掲載されているのでしょうし、最新情報はホームページにアップもされているとは思います。しかしこれでは、企業で「社内ネットワークの共有フォルダに情報は入れてあるので見ておいて」と言うのと全く同じレベルであって、「見れる化」ではあるもの「見える化」ではないのです。私なんぞは、熊谷駅界隈の言ってみれば市内でも一番の市民が集まる繁華街に住居も事務所も構えているのに、全然情報が入ってこないのですから、市はこの手のアンケート調査を実施する前に大いに考えないといけないですね。

無駄をなくすためには、施策を常に市民の監視の目にさらさせることが一番なのです。PDCAの「C=チェック」です。うるさ型の市民はたくさんいますから、施策が検討のテーブルに乗ってきた段階で、町を歩いていても市民の目や耳に入る、そんな工夫があって初めて将来にわたる無駄遣いが防止されていくのではないでしょうか。