日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方34」~ハードロック 6

2011-02-27 | 洋楽
ベック→ツェッペリンの流れを受けて成立した第二期~第三期ディープ・パープルを、70年代ハードロックのプロトタイプとする本ブログでは純粋なハードロックには分類しがたいものの、触れておく必要のある英国勢を取り上げます。

まずはエリック・クラプトン。これまでもベック以前のヤードバーズのギタリストとして、またはその後のハードロック誕生前夜のクリームのギタリストとして、その活躍ぶりについては触れてきましたが、クリームはあくまで“ハード・ブルースバンド”であったと位置付けてきました(ただ我々世代の学生バンドでは、「ライブ・ボリュームⅡ」バージョンの「ホワイト・ルーム」や「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」を、パープル同様に“ハードロックの教典”としてこぞってコピーしたものです)。クラプトンのその後ですが、米国へ渡りデラボニとの出合いによるスワンプ・ロックへの傾倒が彼の音楽人生を大きく転換させました。一番大きな変化は自ら歌う道を選んだこと。この“歌えるギタリスト”への変貌は、当時の「敏腕ギタリスト+シャウト系ボーカリスト」という、70年代型ハードロック成立の基本要件を損ねる結果に至ったのです。彼はこの後、スワンプとブルースをこよなく愛する“歌えるギタリスト”路線を歩み続けることになります。

続いてはザ・フー(写真)。彼らは60年代モッズ系のロックバンドとして、英国本流のマージービート系ロックバンド(代表格はリバプールサウンドのビートルズ、ブルース系のストーンズとヤードバーズ)とは一線を隔する存在として君臨します。60年代末期に向けてはプログレッシブ・ロックともある意味で共通項も見出せる至極英国的なロック・オペラという画期的分野を開拓(同時期にキンクスもまたロック・オペラへの流れを標榜します)。歴史的名作である2枚組ロックオペラ「トミー」は69年にリリースされますが、相前後して時代はハードロックバンドの原型であるジェフ・ベックグループやレッド・ツェッペリンを次々生み落としていました。その影響を少なからず受けたであろう彼らは、翌70年に実にハードロック的手触りのライブアルバム「ライブ・アット・リーズ」をリリースするのです。ヒット曲「マイ・ジェネレーション」や「サブスティテュート」は重たく厚化粧を施されたサウンドで生まれ変わり、エディ・コクランの「サマー・タイム・ブルース」などは、およそ同じ曲とは思えぬほどにハードなアレンジで音楽ファンの度肝を抜いたのでした。

フーはピート・タウンゼントという敏腕ギタリストとロジャー・ダルトリーという実力派ボーカリストを擁し、十分なハードロック的資質を持ち合わせていながらも、純粋な70年型ハードロックには分類しがたいと考えます。それは主にロックオペラ構想に代表されるピート・タウンゼントの思慮深さに負う部分が、いわゆる能天気なハードロック・バンドとは一線を隔さざるを得ないと考えられる故です。71年の未完の巨大ロックオペラ「ライフハウス」プロジェクトの楽曲で構成された「フーズ・ネクスト」や、73年のロックオペラ第二弾「四重人格」などのハードロックの枠組みを大きく踏み越えた名作を次々生み出してもいます。そんな流れで見ると、「ライブ・アット・リーズ」は彼らにとってはやや異質なアルバムであると言ってもいいのかもしれません(ただし、90年代以降に出された本作の「25周年記念エディション」や「完全版」を聞く限りにおいては、「トミー」のステージ上での再現が実は本ライブのメインアクトであり、これらの形で聞くことで決して本作は異質な存在ではないと後付的には分かるのですが・・・)。

もうひとつ最後に、フリーというバンド。基本的にキーボードを排した潔さとポール・ロジャースという稀代の名ボーカリストとポール・コソフという腕の立つギタリストを中心としたバンドアンサンブルは、70年代初頭に誕生したハードロックの流れにのる資質は十分にあったバンドでありました。ただし彼らはこの時点ではブルースの影響が色濃く残る音楽性であり、ディープ・パープルに代表される“音楽的しがらみ”を感じさせない音づくりであるか否かと言う観点からは、やはり70年代型ハードロックには分類しがたい存在であるのです。むしろフリーの解散後、ポール・ロジャースがグラムロックの雄であった元モット・ザ・フープルのミック・ラルフスと結成したバッド・カンパニーにこそ、ややアメリカ的匂いが強く漂うものの、70年代ハードロック的要素をより強く見出すことができるのです(ちなみに、私がはじめて組んだ中学生時代のハードロック・バンドの初音合わせでプレイした曲は、バドカンの「キャント・ゲット・イナッフ」でした)。

★70年代ハードロックを深く知るアルバム
①「ライブ・アット・リーズ/ザ・フー」
②「BAD CO/バッド・カンパニー」

経営のトリセツ98~ニュージーランド当局に見る官僚的組織管理の「逆機能」

2011-02-26 | 経営
ご無沙汰の「経営のトリセツ」です。ニュージーランドの大地震の関係から、ひとネタお話してみます。

地震から5日目を迎え、日本から安否確認のために現地に向かった行方不明者家族の皆さんにも疲れの色が濃くなってきたとの報道がされています。時間ばかり過ぎて、収容が進む遺体の身元確認もなぜか全く進んでいません。その原因の一つにあげられているのが、ニュージーランド当局の被災遺体の身元確認手続きが日本と大きく異なっていることです。日本では遺体の身元確認は、まず家族の遺体目視確認によっておこなわれるのが一般的ですが、現地の手続きではまずDNA鑑定をおこないその上でDNAが一致すれば家族が遺体の目視確認ができるというやり方なのだそうです。すなわち、一刻も早く行方不明家族の安否を確認したい立場からすれば、「なんというまどろこしい」「形式にこだわった」「家族の立場を考えてくれない」やり方なのだろうということになるのです。現地では、ニュージーランド当局のそんなやり方に声を荒げる家族もいるとか。本当にお気の毒な状況であるとしか言いようがありません。

ニュージーランドと言う国ですが、私は全銀協時代に郵政民営化問題研究の一環で、この国の行政改革を聞きかじったことがあるのですが、日本に比べコンパクトな人口と第一次産業を中心とした低成長ながら比較的安定した経済状況が、温暖で自然豊かな性格環境とも相まって、実に堅実な行政管理がなされているのです。言ってみれば、劇的な変化に乏しい国勢下、国はしっかりと統制をとった管理がしやすい状況にある訳です。すなわち、組織論で言うところの官僚的管理体制がいき届いた状況にありますが、他方でこの状況は油断すると行き過ぎた管理体制がやや窮屈な状況をも作り出しかねない状況でもあるのです。専門用語にある、官僚的組織管理が力を発揮する組織の「公式化段階」を過ぎて「精巧化段階」に入ると陥りやすい、官僚的管理下にある組織における「官僚制の逆機能」という弊害です。「形式主義」とか「様式主義」とかいうものがそれにあたります。

ニュージーランド当局の対応は、確かにプライバシー保護や遺体錯誤防止の観点からは納得性の得られるやり方なのかもしれませんが、緊急事態における行方不明家族の安否を一刻も早く確認したいという家族の立場を考慮に入れない部分に「官僚制の逆機能」が作用しているように思えるのです。「官僚制の逆機能」の特徴は、その制度が作られた時の目的にのみ着目し、運用における環境要因への配慮という柔軟性を著しく欠く行動に現れます。我々が常日頃、「きまりですから」「前例がないので」などの断り文句に「なんだ、お役所仕事やなぁ」と嘆く“アノ状況”なのです。我が国の常識からすれば今回の件は、大地震による被災者の身元確認という至って特異な緊急事態における、遠く離れた異国から家族の安否確認に訪れた家族への対応としては、かなり問題が多いと言わざるを得ないと思います。企業においても、組織が拡大する過程において「ルール化」「規定化」「予算化」などの「管理的組織管理」は必要不可欠な手法ではありますが決して万能ではありません。それが組織内に定着する状況においては、「官僚制の逆機能」が起きていないか否か経営者は注意を払い適切な対応をはかる必要があるのです。

ところで、このニュージーランドにおける「官僚制の逆機能」状況下、日本国民の利益を守るべき日本政府は何をしているのでしょう。疲労困憊する現地入りした家族の皆さんことを思えば、管内閣がトップ間のホットラインを使うなり外務大臣を派遣するなり、正式外交ルートで同国ルールに照らした際の異例措置対応の申し出を早急におこない、一刻も早い遺体の目視確認を認めさせるべきであると思います。内輪喧嘩にばかり気を取られていないで、すぐにでもこの世界的災害の被災者家族のフォローを国としてしっかり取り組んで欲しいものです。

NEWS雑感 ~ ニュージランド大地震&民主党「分裂」の危機

2011-02-24 | ニュース雑感
●ニュージーランド大地震~緊急救援隊と「72時間」

ニュージーランドのクライストチャーチを大地震が襲い、日本人留学生など27人がいまだに行方不明になっています。国土面積は日本とほぼ同じながら、人口は30分の1というこの国ですから、レスキュー隊など救護班の就業人員も少なく、生死の境を分ける限られた時間以内での円滑な救助活動は至って困難な状況にあります。昨晩日本からも緊急救援隊が数十人規模で現地入りして24時間体制で救出活動に取り組んでいます。今回の、この救援隊派遣は即断即決により決定したもののようですが、即断あればこそこのタイミングで現地入りできた訳で、彼らの決意溢れる“出陣”は感涙に値するほど素晴らしいと思いました。現地入り後は直ちに多くの日本人が崩壊したビル瓦礫の下敷きになっていると思しきビルで、必死の救援活動に取り組んでくれています。

今はただ、行方不明者全員の無事生還を祈るのみです。そんな中で気になることがひとつ。災害が起きると最近バカのひとつ覚えのように、“生死の境い目”と言われる「72時間」「72時間」を連呼するメディアの騒ぎ過ぎです。被災後「72時間」はあくまでひとつの目安に過ぎません。「72時間」経過をもって生還可能性がゼロになる訳ではありません。被災者のご家族に「72時間」は関係のない話であり、むしろ望みある限りは生還を信じて待ち続ける訳です。報道機関も我々もあまりこの時間にとらわれすぎることなく、緊急救援隊の活躍を見守るべきであると思います。


●民主党~「分裂」状況の回避策は?

民主党のひどい状況には目を覆いたくなるようです。政権政党が政権奪取わずか1年半で分裂の危機とは何事か。あまりにお粗末な状況は政党の「恥」であるだけでなく、その政党を政権政党に選んだと言う私たち日本国民の「恥」でもあります。“政治力”の低い国民性をさらけ出したようなものであり、世界の笑い物になること必至で、管首相はこのことを十分肝に据えた上で早急な事態収拾にあたるべきであります。

「問題」は一言で言うなら慣れない政権の座についたがための「権力闘争」に過ぎず、派閥争いがそのまま分裂の危機に発展したまでの話です。収集の糸口のカギを握るのは当然小沢一郎その人以外にはありません。管氏が“小沢氏いじめ”をすればするほど、親小沢議員は「やってられないよ」となる訳で、親分の指示がなくとも子分どもの一存で皆動いていると考えられます。ならばキーマン小沢氏が、本当に日本国のこと、国民のことを考えている政治家であるのなら、子分たちに対して「お前らの気持ちはありがたいが、ここはひとつ過激な行動を控えて、皆で首相を支えながら一枚岩の挙党態勢で政権政党陥落の危機を乗り切ることが大切だ。どうか皆理解して欲しい」と一言言うのが一番の解決策であるハズです。小沢氏ほどの政治家ならば、そんなことは百も承知のはず。そろそろ“壊し屋”を返上して、国民生活最優先を態度で示す「大人の対応」はできないものでしょうか。そうすることが、小沢氏自身にも民主党にも、現時点で考えうる信頼回復に向かわせるための最良の手段であると思うのですが…。

いい加減止めれば?「目的」をハキ違えた“隠れ白バイ検挙”活動

2011-02-21 | その他あれこれ
たびたび同じ話題ですいません。毎度おなじみ“隠れ白バイ検挙”行動の話です。初めに言っておきますが、私はこの手で捕まったことはありません。腹いせや悔し紛れで言っている訳ではないので、誤解のありませんよう。

写真は熊谷市内我が家近くのモール脇の直線道路にぶつかる路地に、隠れている白バイの姿です。モール前の横断歩道(この写真には写っていません)を渡ろうとしている人がいる際の歩行者優先停止違反なんかを主に捕まえているようで、週に2回はやっています。特に週末。この写真は昨日日曜日午後のスナップです。何が言いたいかですが、「隠れて違反をさせて捕まえる」というやり方がそもそもおかしいと、私は常々申し上げている訳です。違反をさせないためにパトロールをするのが警察の役目な訳で、違反をさせない活動ができる状況にありながらそれをせず、わざわざ違反をさせてから捕まえるというのは絶対におかしいのです。違反頻発場所で法規遵守を訴えるでもなく隠れてジッと違反をするのを待って「ハイ、アウト!」ですから、極論するなら、怪しい男が歩いていても「職務質問」ひとつせず尾行を続け、いきなり隠し持ったナイフで誰かを刺した途端に「逮捕!」てなものです。これは市民生活を守る警察としておかしい。もしそんなことが起きたら、なぜ尾行段階で「職務質問」して未然防止しなかったのか、という非難は免れ得ない訳で、違反頻発場所に隠れてあえて「違法行為」をさせてから捕まえる白バイもやっていることは同じだと思うのです。間違ってます絶対に。

警察が交通法規を皆に守らせるためにするべきは、違反頻発場所近くで「白バイがパトロールしているぞ」と皆が見えるように常に姿を現して、「いけね、いけね、ちゃんと交通法規守らなくちゃ」って抑止力効果を生んで違反行為を未然防止する行動こそが正しいやり方であるハズです。すなわち、このあるべき行動こそが先の例の「職務質問」にあたる訳で、彼らのパトロール活動の最大無二の目的である「違法行為の未然防止」につながるのです。現状の“隠れ白バイ検挙”行動には、「目的」と「方法」の錯綜が完全に起きてしまっていると言えるでしょう。企業でも似たようなケースはよくあることですが、「この目的って何だったけ?まぁでも儲かっているからいいか」てな具合に、目先で得るモノがあればそれにごまかされてしまい本来あるべき「目的」を見失ってしまう。得るモノが金であるならなおさらと言う一種の催眠効果的事象です。聞けば、警察では毎月の罰金獲得目標なるものまであるそうですから、「目的」と「方法」のハキ違えも甚だしい状況な訳です。

私は以前から、この警察の「目的」をハキ違えた誤ったやり方をか何とか正したい、そのために世間でこれを大きな話題にしたいと、マスメディアにも投書をしたりもしているのですが、どうもうまく盛り上げてくれません。しかたなくこうして年に1回程度のペースで当ブログで訴え続けている訳です。どうかこのブログを読んで共感された皆さん、特にメディアの皆さん、ぜひ声を大にして“隠れ白バイ検挙”行動はおかしいと世間に言い放っていただきたく思います。一日も早く警察が自分たちの「目的」をはき違えた誤った行為に気がつき、「違法行為の未然防止」と言う本来の警察パトロールの「目的」を全うされんことを願ってやみません。その日が来るまで、当ブログはこの問題に言及し続けます。

フェブラリー・ステークスGⅠ

2011-02-19 | 競馬
今年初の競馬ネタです。明日は今年最初のGⅠレース、ダートのマイル戦フェブラリー・ステークスです。

昨秋のダートGⅠジャパンカップ・ダート(JCダート)を勝った⑫トランセンドがぶっつけで登場です。逃げ馬だけに府中のマイル戦を逃げ粘れるか微妙なところです。

ダート戦は地方交流のGⅠ戦なども多く、中央のレースとのレベル比較が難しく「GⅠ理論」解析には向かないレースです。昨秋のJCダートも、精緻に解析せずに当てていますので、今回もむしろその方がいいかなと。簡易解析すると、地方交流戦も含めてGⅠレベル馬といえそうなのは、⑫トランセンド、⑬フリオーソ、⑮シルクメビウスと前哨戦根岸Sを勝っている⑭セイクリムズン。あと要注意は、レベルが高く秋からの成長見込める4歳世代の⑤バーディバーディ(JCダート4着)。この5頭の争いと見ます。

ダート戦は重い馬場に慣れている外人騎手の腕は要注意ですので、まず目がいくのは、鞍上が名手デムーロで前走交流戦川崎記念GⅠ圧勝の地方馬⑬フリオーソ。あとは3連勝でステップレースを完勝だった⑭セイクリムズン。さらに怖い4歳馬⑤バーディバーディ。⑮シルクメビウスは善戦マン的イメージが強くもしかするとGⅡレベル馬かもしれません。⑫トランセンドは実力は認めながらも、JCダートからのぶっつけがどう出るか。やや狙いは下がります。

結論
上記に加えて距離適性、コース適正を加味して軸を決めます。⑬はコース不安、⑮は距離不安あるので、⑤バーディバーディを軸とします。
⑤バーディバーディから⑬フリオーソ、⑭セイクリムズンへの馬連、ワイドで。
抑えは⑫⑮とコース得意で外人騎手騎乗の⑦ダノンカモンへの馬連。

本年初GⅠ、幸先良くいきたいところですね。

柳井正解説(?)「プロフェッショナルマネージャー・ノート」

2011-02-17 | ブックレビュー
最近ブックレビューをサボっていたので、たまってしまってすっかり時期を逃してしまったものが多いのですが、どうしても取り上げておきたい1冊を紹介します。

★「プロフェッショナルマネージャー・ノート/プレジデント社書籍編集部編・柳井正解説(プレジデント社・1200円)」

どうしても取り上げておきたいと言いましたのはいい意味でではなくて、残念ながら悪い意味でです。まずはじめに、この本は読み物ではないということを十分ご認識いただく必要があると思います。プレジデント社の書籍編集部が作っているからでしょうか、雑誌の企画で一冊のベストセラービジネス書籍を取り上げて20ページ程度の特集にまとめる、まさしく週刊経済誌がよくやっているあの類を思い浮かべていただければよろしいと思います。読んだ後に全く充実感がないと言うか、身についた感じがしないと言うか、本屋の前を通り過ぎただけと言うか、リーダースダイジェストで売れ筋の本の粗筋を読んだだけというそんな中身の薄い要約本です。そもそも編集部が切り貼りの世界で本を一冊作るという事自体に、無理があるのでしょう。確かに原本は文字量が多くてかつ物語仕様なので、一から順序良く読み進める必要があって大変ということで作られたものなのでしょうが、やっぱりこのやり方ではダメということです。

解説の柳井氏は帯にも登場で、氏ご自身の原本の消化の仕方をさぞ多くを語ってくれるであろうと思いきや、ご登場は前書きを含めて正味10ページ程度と肩透かし。これもまたどうなのと言う感じですね。せめて解説であるのなら、本書の各項目について章立て単位でもいいので、もう少し具体的な部分解説があってしかるべきでしょう。「○○のくだりはユニクロの××戦略検討時に思い出し大いに役立させてもらった。具体的には…」のような話が聞けて初めて柳井氏が「解説」を務める意味があるのであり、本書にある柳井氏の位置付けは書籍帯における「推薦文言」の粋を脱していないレベルです。例えて言うなら、雑誌の特集記事中の囲み扱いでインタビューを「柳井氏が語る本書はこう読め!」と作り上げた程度のものです(恐らく本書の柳井氏登場部分もインタビュー原稿でしょう)。これを「解説」とするのは詐欺商売と言われても仕方ない感じがしますが、いかがなもんでしょう。「中身のない本の広告塔に柳井氏を据えて、プレジデントがうまい商売をした」と言ったところでしょうか。

誤解のないように念のため申し上げておきますが、原本の「プロフェッショナル・マネージャー」は柳井氏がおっしゃられる通り経営指南本として実に優れた内容であります。著者であるハロルド・シドニー・ジェニーンの経営者としての波乱にとんだその物語は、原本のストーリーに沿って読んでこそ状況の正確な把握の下、珠玉のマネジメント手法が十分に理解できるのであり、このような本人の人となりさえも無視した乱暴な抜粋本はいささか残念な書籍と言わざるを得ないでしょう。柳井氏の経営者としての愛読書に少しでも触れてみたいと思われる方は、まちがってもこの本ではなく原本の「プロフェッショナル・マネージャー」を読まれることをお勧めいたします。価格もこの抜粋本1200円に対して原本1400円ですから、わずか200円の違いで得るモノは“天と地”ほどの差があると思います。本当は0点と言いたいところですが、原本に敬意を表して2点とします。「もしドラ」に端を発しドラッカーで大儲けしたダイヤモンド社の形を変えた後追い戦略なのでしょうか、こんな子供騙しなマネジメントのエッセンス切り売り商売はやめてもらいたいですね。

今やブームのMBOと投資家保護

2011-02-16 | 経営
出版社の幻冬舎が15日の臨時株主総会でMBO実施議案を議決させ、来月16日での上場廃止を決めたそうです。

このところ目立って増えたMBO案件。今年に入ってから名の通った企業だけでも、この幻冬舎にTSUTAYAのカルチャー・コンビニエンス・クラブ(CCC)、アート引越センターなどが続々MBOによる上場廃止を表明しています。主な理由は、経営裁量自由度の確保。表向きの理由説明として、「厳しい経営環境の中、ドラスチックな戦略的転換を即断即決してより柔軟性の高い経営を実現するため」などという表現を使うのが一般的ですが、本音では「経営環境厳しい折、モノ言う株主の増加はいろいろめんどくさい」と言ったところなのではないでしょうか。業界的に見て書籍の電子化も含めて市場縮小傾向顕著な幻冬舎、在宅ネットレンタル等も含めた価格低下と競争激化のビデオレンタルのCCC、長引く不況下で中小零細入り乱れての低価格合戦にあえぐ引っ越し業界のアート、それぞれ厳しい現実をどう乗り切るかまさしく経営手腕にかかっている訳で、余計な横やりはご遠慮いただきたいといった判断であるのでしょう。

ただ問題となるのは、今回の幻冬舎のケースでも言われているように、一度は上場した企業である以上株主利益の保護と言う最低限のマナーは守る必要があるのではないかという議論です。幻冬舎の場合MBOの買い取り価格約25万円に対して、会社清算仮定でみた1株あたりの企業価値は約36万円と約4割も割安での株買い取りになっていたのです。すなわち、経営者が全株買い取り後に会社清算すれば右から左で粗利が4割出る訳で、言い換えると株主がその分損をしている計算になるのです。この問題では、大株主の投資ファンドが株を買い進め株主総会の議決阻止をもくろみましたが、信用取引で買い進めたがために議決権を発動することが出来ず結局会社側の思惑通りの決着になったのでした。なんともスッキリしない結末であり、経営陣としては大株主云々はともかく、上場企業の経営責任として株主利益の保護の観点からもう少し配慮ある対応を検討するべきでなかったかと思うところです。

内部統制監査の義務化等に伴う昨今の上場コスト上昇などもあり、MBOが増えること自体はある意味やむを得ない時代の流れでもあるのかもしれません。しかしながら、上場企業には上場企業としての非上場企業とは異なる経営モラルやコンプライアンスがあることも事実であり、その点を忘れて自己の都合ばかりで勝手な上場廃止路線に走るのはいかがなものかということにもなりうるのです。2000年前後のネットバブルの時代に後押しされて、マザーズやヘラクレスなどの新興市場の乱立とその市場をにぎわせた新規上場の乱発が、上場企業に本来求められるべき経営モラルの欠如を生んだのではないかとも言える訳で、上場乱発を煽った市場関係機関にもその責任の一端はあるのではないかと思うのです。その当時の反省から、昨今では新規上場の際の上場基準等審査の厳正化が進んでいるようですが、過去のゆるい基準下で上場を果たした企業の自発的上場廃止に関する監視の目が甘くては片手落ちなのではないかと思います。ある種の経営手法の流行になりつつあるMBOですが、幻冬舎のようなケースも含めて市場関係機関は投資家保護の観点からもっとモノ言う監理をしてもいいのではないかと考えます。

NEWS雑感 ~ 小沢ガール&松本孝弘

2011-02-14 | ニュース雑感
●小沢ガール、常識外れのバレンタイン・チョコ

民主党は小沢氏の党員資格停止処分を決めたそうで、今日はこのニュースでけっこうメディアは賑わっていました。私が気になったのはこのニュースではなくて、本日バレンタインデーに小沢氏ご自身の勉強会が開かれ、その終了後に「小沢派の女性議員からチョコレートをもらってご満悦の小沢氏」という記事の方です。別に小沢氏が誰からチョコレートをもらおうが知ったこっちゃないですが、テレビで女性議員が渡した紙袋はグッチの紙袋。「ん、グッチにチョコなんてないでしょ?」と見ていると、中から出てきたのは紳士用のベルト。なんと、チョコレートにグッチのベルト付だそうで。私はそんな高級ブランド物のベルトなんてしめたこともないので、いくらなのか見当がつかず、興味本位でネットで調べてビックリ!なんと平均5万円程度もするんですよ。

いくらボス宛とはいえ、所詮は“義理チョコ”ですよね。“義理”に5万円もポンと出すその神経、およそ庶民感覚とは言えませんよね。それをまた、「こんな高価なもの、特別な関係でもないのに受け取れないよ」と断るのが普通かとも思いますが、嬉しそうに何事もなく受け取ってしまうという師弟のやりとりに、「やはり金銭感覚が違う。こんな人たちに政治を任せていいのか」とハッキリ言って大変疑問を感じた次第です。この女性議員、さてはホワイトデーお返しに小沢氏から選挙資金をたんまりもらおうという魂胆?などと勘繰りたくもなりますよね。


●B'z松本氏がグラミー賞受賞

昨日行われた米国音楽界の最高峰アワードであるグラミー賞授賞式で、人気ロックバンド「B'z」のギタリスト松本孝弘氏が、ジャズフュージョン界の名ギタリスト、ラリー・カールトン氏との共作「テイク・ユア・ピック」で最優秀最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞の快挙を成し遂げました。これはけっこうたいした出来事です。これまでもグラミー賞の日本人受賞者は坂本龍一氏、喜多郎氏がいるものの、グラミーの主流部門であるポップ部門での受賞は初めてという快挙なのです。カールトン氏がグラミーの常連であり、カールトン氏との共演と言う事が受賞の大きな要因であったことは否めないものの、それを差し引いても日本の音楽の世界水準への接近と言う観点からは大きな前進であったと思う訳です。彼のギターはどちらかと言うとかなりロック要素の強いギターであり、決して“東洋的な”と言う形容詞がつくもではないだけに、なおさらこの受賞は価値が高いと個人的には思っているところです。

松本氏には、ギタリストとしてこれをきっかけにぜひ世界に羽ばたいて欲しいものです。サッカーの日本代表が続々海外で活躍するようになって、日本のサッカーは飛躍的に技術水準がアップしてきています。音楽の世界も全く同様だと思います。この歴史的受賞を単なる一過性の受賞に終わらせることなく、ぜひ周囲にもいい影響を及ぼすような世界的活動を展開していただき、日本の音楽界のレベルアップに貢献して欲しいと思うのです。いずれは、グラミーのソング・オブ・ジ・イヤーとか、アルバム・オブ・ジ・イヤーとかを受賞するような日本人アーティストが誕生することも決して夢ではないと思いたいものです。とりあえず、松本氏のファンであるかないかに関わらず日本の一音楽ファンとして、この受賞を心よりお祝い申し上げ、今後一層のワールドワイドなご活躍に期待したいと思います。

「70年代洋楽ロードの歩き方33」~ハードロック 5

2011-02-12 | 洋楽
ジェフ・ベックとレッド・ツェッペリンによって開かれた70年代ハードロックの扉は、ディープ・パープルによってルーツ的な音楽要素を排することでより明快で分かりやすい形に変貌を遂げ、新しい音楽スタイルのプロトタイプが出来上がったのでした。では、ディープ・パープルを70年代型ハードロックの誕生と位置づけた場合、一般的に元祖“ハードロックの雄”とされるレッド・ツェッペリンはどのようなポジショニングになるのでしょうか、少し考えてみようと思います。

ツェッペリンはその前身がヤードバーズであり、カバーを含めブルースの影響を強く受けているのは当然のことでありましたが、それと同時にギタリストでバンド結成の主導権を握っていたジミー・ペイジの特異な音楽嗜好が大きく反映されたバンドでもあったのです。ジミー・ペイジの特異な音楽嗜好とは、英国トラッド・フォークに代表される民族音楽的嗜好であり、彼はその音楽性を新バンドで反映させつつメンバーであるボーカルのロバート・プラントやドラムのジョン・ボーナムの個性をもっとも上手に生かす方法として、ジェフ・ベック・グループのハードロック的手法を取り入れツェッペリンをスタートさせたのでした。デビュー作「レッド・ツェッペリン」でも、A2「ゴナ・リーブ・ユー」やA4「幻惑されて」などトラッド・フォークをロック的に展開した曲が際立っており、ハードロックというよりはむしろ“ハードフォーク”と言ったほうがシックリくるのではないかと思えるほどなのです。

60年代にトラッド・フォークに根ざしたアコースティック・サウンドで独自の呪術的な音楽を展開していたマーク・ボラン率いるティラノサウルス・レックスが、70年代初頭にギターをエレクトリックに持ち替えてTレックスの名の下「ゲット・イット・オン」の大ヒットを皮切りとしたグラムロックの一大ムーブメントを起こしています。デビュー作~「ツェッペリンⅡ」を通じて、ツェッペリンがディープ・パープルによる70年代型ハードロックの成立に与えた影響の大きさは誰もが認めるところではありますが、Tレックスのケースも同じトラッドフォークを基調としたペイジ=ツェッペリンの“ハード化戦略”に影響をされてものと考えることができるのです。すなわち、ツェッペリンは単にハードロック誕生の起爆剤的役割を果たしだけでなく、70年代初頭においてすでに広く70年代ブリティッシュロックの流れに大きな影響を及ぼす存在であったと言えるのです。

ツェッペリンというと、A1「胸いっぱいの愛を」やB1「ハートブレイカー」に代表されるハードロック・アルバム「レッド・ツェッペリンⅡ」や、「Ⅳ」におけるロックの教典的扱いを受けたA1「ブラック・ドック」やA2「ロックンロール」の印象が強く、どうも“ブリティュシュ・ハードロック・バンド”として通り一遍の扱われ方をされがちです。しかしながら、音楽的リーダーであったジミー・ペイジの嗜好を考えるならむしろアルバム「Ⅲ」におけるトラッドフォーク的アプローチこそが彼らのオリジナリティの真骨頂であり、これが「Ⅳ」におけるロック史に燦然と輝く歴史的名曲「天国への階段」の誕生にもつながっているのです(この曲すらも単なるハードロックバンドの“箸休め的”ロックバラードのハシリ的に受け取られるといった誤った認識もいまだに多く存在してます)。アルバム「聖なる館」では「デジャー・メイク・ハー」でスカリズムを取り入れたり、アルバム「フィジカル・グラフィティ」の「カシミール」では遠く旧英国領であるインドに思いを馳せた名曲を作り上げるなど、その後もハードロックの枠組だけではくくりきれない独自性を確実に提示し続けたのです。

こうしてレッド・ツェッペリンは、ハードな一面を輝かせつつもトラッド・フォークに端を発した独自の音楽ミクスチュアを実現し、単なる「ハードロックの雄」という表現では語り尽くせない偉大なる「ツェッペリン伝説」を展開したのです。日本では、一時期人気を二分したツェッペリンとパープルですが、単なるハードロックで終わったかそうでなかったかかが、その後の評価を大きく左右したように思います。

昭和問わず語り5~連合赤軍と“鬼婆”永田洋子

2011-02-09 | 昭和
先週末に「元連合赤軍の永田洋子死刑囚が病死した」との報道がありました。

昭和40年代半ばの私が小学生時代にもっとも衝撃を受けた事件のひとつが、連合赤軍による「山岳ベースキャンプ連続殺人事件」、いわゆる集団リンチ殺人事件でした。過激派と言われる人たちではあってもなぜ同志を殺さなくてはいけないのか、「総括」という名のもとに行われた仲間を吊るしあげ死に至らしめる儀式には、子供心に“思想の闇”を感じざるを得ず、その後の自己の形成に少なからぬ影響を受けたと思っています。永田洋子は連合赤軍のリーダー格として連続リンチ事件を主導し、12人の同志を死に至らしめました。もうひとりのリーダーは森恒夫(逮捕後自殺)。どちらかと言うと頭脳派で理詰めの森に対して、感情的で最も残忍性を持ち合わせていたのが永田であったと記憶しており(逮捕された仲間は彼女を表して「鬼婆以外の何ものでもなかった」と言っていますが、その風貌からも子供心に「永田洋子=鬼婆」と強く感じられました)、集団リンチ=永田洋子という印象がいまだに強く残っているのです。

一連の連合赤軍の事件はいわば高度成長により再建した民主主義国家日本において、追いつめられた極左思想の末路であり、仲間同士の殺し合いは言ってみれば終焉を迎えつつあったセクトの断末魔の叫びでもあったのかもしれません。戦後の左翼思想伝播の底流には時代的な背景がありました。思想にもその時代その時代の流れや流行というものがあって、戦後日本は敗戦復興の過程に置いて過去に戦争を起こした右翼思想を「悪」として捉えることに端を発し、戦争時代には弾圧をされていた左翼思想がある意味密かなブームにもなっていた感があるのです。高度成長を支えた私の父の世代などは、まさにそのようなブーム思想の世の中で学生から社会人への道を歩んでいった世代であった訳で、世間的にも昭和30年代から40年代前半までは「体制迎合より反体制」という中道よりは少し左寄りといったあたりが、当時のこの世代にはごく一般的な考え方として受け入れられていたように思うのです。

実際に赤軍派にしても連合赤軍にしても一連の過激な事件を起こすまでは、堂々と彼らの主義主張を擁護するマスメディアもあったと聞いていますから、時代の流れが今とは全く異なっていたことがよく分かると思います。そんな、左翼容認の風潮に冷水を浴びせかけ、一気に「左翼=悪」の図式を浮かび上がらせてブームを終わらしめたのがこの連合赤軍の事件に他ならず、私は森、永田の逮捕後彼らの残党が苦し紛れに起こしたあの「あさま山荘事件」よりもずっと、「山岳ベースキャンプ連続殺人事件」の方に思想の歪みに起因する事件の特異性と時代への影響を強く感じるのです(「あさま山荘事件」は思想的な事件とは言い難く、長期化した人質事件としてテレビ中継された生々しさと、山荘を壊す鉄球のすさまじさが絵的に記憶に焼きつけられたテレビ時代の到来を象徴する事件であったと思います)。

永田死刑囚は、同時期に逮捕されながら「クアラルンプール人質事件」での超法規的措置により釈放・逃亡中の坂東國男の裁判が中途のままになっていることで、ここまで刑を執行されずに来ていました。それはたまたまそうなったことなのですが、このような時代の変革に影響を及ぼしたような思想犯罪者が、年月を経て自身の罪に様々な思いを巡らせる中で、何を思い何を悟り反省の念をどのように語るのかもまた人間社会にとっては重要な部分ではないかと思うのです。今回の永田死刑囚の場合は病死ではありましたが、その死を聞くにつけ、このような時代の流れを変えたような犯罪者を易々と死刑として葬ってしまっていいものであるのか、いささか考えさせられる部分でもありました。