日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

ベッキー問題で、サンミュージックを批判できない「ダメディア」のバカさ加減

2016-01-12 | 経営
タレントのベッキーの不倫報道とそのお詫び会見の話題が、先週来巷を賑わしています。

私の職業的見地からはベッキーが不倫をしようが略奪を企てようが、全くどうでもいいことでコメントをする立場にありませんが、気になったのは企業と商品の関係。すなわち、彼女の所属事務所サンミュージックと同社の売れ筋商品としてベッキーの関係から見て、メディアは本来どう報道すべきなのかという点です。

TVのコメンテーターや、ネット上でこの一件を報じるメディアの報道トーンを見るに、不倫そのものはともかく、ことこの会見に関しても質疑応答を拒否し一方的なメッセージを発しただけで終わりにした事を中心として、ベッキー自身が批判の核となっているように思えます。果たして批判されるべきはベッキーなのでしょうか。

ベッキーはあくまで一タレントという商品です。会見そのものが個人としてのベッキーが開いたものであるのなら、ベッキーに対して批判をすることは的を射ているのかもしれませんが、この会見を開いたのはあくまで所属事務所のサンミュージックです。

もちろん、一芸能人の不倫騒動などそもそも所属事務所が謝罪会見を開くほど重要性の高いことなのか、という議論もあるでしょう。普通であれば、タレントのプライベートでの色恋沙汰は本人の勝手であり、「プライベートは本人に任せています」の一言で事務所の手は離れるというのが常套でしょうから。しかし、今回は少しばかり状況が異なるのです。

問題を起こしたのが当該企業一の売れ筋商品、しかもその商品イメージでクライアント企業のイメージ向上に資するビジネスの契約を多数とっていたとなれば、商品のイメージダウンはすなわち商品価値の大幅な下落につながるわけですから。「プライベートは本人に任せています」では済まないのです。

すなわちベッキーは商品としての商品価値を大幅に下げかねない事件を起こし、商品販売元であるサンミュージックは商品価値の下落を最小限にとどめるべく会見に引っ張り出した。そして、商品ベッキーは用意されたコメントをしゃべらされ質疑応答はさせてもらえなかった、それが正しい理解ではないかと思うのです。

すなわち、ことこの会見に関してはベッキーを批判するのはお門違いであるということなのです。一応念の為、誤解を受けませんように申しあげておきますと、私自身はベッキーのファンでも関係者でもありません。彼女を擁護するつもりは毛頭ございませんので、悪しからずです。

となると評価対象とすべきは、企業の危機管理の観点からみたサンミュージックの対応のあり方であると思います。売れ筋商品に関する瑕疵発生という企業トラブル対応における危機管理、その基本に照らして同社の対応がどう評価できるかということです。

サンミュージックの対応ですが、不祥事発生の危機管理広報の基本事項「迅速」「正確」「包み隠さず」から見て、「迅速」は守られていたものの、「正確」「包み隠さず」に関しては全くなっていなかったと言わざるを得ないでしょう。

「正確」とは言いかえれば、「正確」な情報を提供することであり、ウソは論外です。雑誌の取材状況から見てどうみても「友達」ではない関係を、「友達」と言わせてしまったことは、原発事故で確固たる事実の積み上げで「漏れている」ことが確実であるのに「漏れていない」と平気でウソをつくのと一緒です。そんなことを平気で言うような早晩政権はつぶれてしまいます。すなわち本来ならそんなウソツキ会社はつぶれてしかるべきなのです。

「包み隠さず」に関してはさらに論外です。企業の不祥事会見において、「質疑応答はお受けできません」という条件を付すなどということは絶対にあり得ない対応です。質問拒否ですから、「包み隠さず」どころか「包み隠し」を堂々とやっているようなもの。通常の企業不祥事対応なら、叩かれるだけ叩かれてその挙げ句に市場からの退場を命ぜられるのがオチでしょう。企業筋はこれは絶対にマネしてはいけない危機管理広報であると、覚えておきたいところです。

これだけ常識外の不祥事広報を繰り広げたサンミュージックですが、なぜに大きな責めを負わないのでしょう。本当に不思議です。メディアが大手芸能プロダクションである同社の報復措置を恐れて、必要以上に責めないと言う暗黙の了解があるからなのでしょうか。ベッキーは不憫なものです。自分がまいた種とは言いながら、事務所の都合で中途半端な会見を開かされてしまい、本人だけが矢面に立たされることで必要以上に責めを負う羽目になってしまっているように思えます。

広報対応の責任は所属事務所であるサンミュージックにこそあり、この一件を報じているメディアは同社の対応のまずさをしっかりと指摘すべきであると思います。報道メディアが昨年、東芝や、旭化成建材の広報対応のまずさを指摘し、危機管理広報のあり方を世間に知らしめたのと同じようにです。TVを含めた芸能メディアがもし、事務所の報復を恐れてサンミュージックへの正しい批判ができないのなら、今更ではありますが、彼らのメディアとしての価値はゼロに等しいのです。

見るに堪えない三井住友VS旭化成の責任なすり合い

2015-12-07 | 経営
個人間にしろ企業間にしろ、お互いのコミュニケーションの悪さというものが表に晒される時、それがどれほど当事者双方にとってマイナス・イメージになるものなのか、当事者が実感を持って考える機会というのはあまりないのかもしれません。

個人間でコミュニケーションの欠如が原因で訴訟になり、時間をかけて問題が繰り返し報道され、どちらが正しいのかはともかく双方にとってボディーブロー的に悪い印象が定着してしまうということはこれまでもよくありました。最近の例をあげれば、某女優兼歌手と演劇プロデューサーの、舞台ドタキャンを巡る泥沼訴訟。長引けば長引くほど、どちらにもマイナスに働くのは当然。爆弾抱えた人と仕事なんかしたくないのが世の常ですから。

世間知らずお山の大将を気取る芸能関係者同士が、面と向かってコミュニケーションをとらず、お互いにメディアという濁った伝言役を通じて口論を続け、泥沼状態にはまってしまうと言うのはまだ分かります。しかし、れっきとした日本を代表するような大手企業同士が、同じようにメディアを通じて「お前が悪い!」「いや悪いのはお前だ!」と言い合っていると言うのはあまりにも見てくれの悪い光景です。

御存じ、横浜市の傾斜マンションの問題を巡る、建設元請け三井住友建設と杭打ち下請けである旭化成建材のお話です。当初の会見の段階から、お互いに責任をなすり合うかのような物言いがあり、聞いているこちらが「なんでバラバラに会見して、お互いを否定するような物言いをするのか」と思ったものですが、その後はさらにエスカレート。

三井住友はデータ改ざんが明らかになっている旭化成の施工ミスが原因と主張し、杭は支持層に届いていたとする旭化成は三井住友の設計ミスを指摘して、両社一歩も譲らない。それがメディアを通じて相手を非難するような表現でお互いの主張がおもしろおかしく展開されるが故に、余計に始末が悪い。遂には国会で、「責任をなすり合うみにくい業界体質」とまで糾弾されるに至りました。確かにこれでは子供の喧嘩です。子供の喧嘩でもそうですが、どちらかが一方的に悪いなんてことはごく稀で、たいていはどちらにもそれなりの非があるわけでしょう。

ならばなぜ、初めの段階から水面下でしっかりと話し合って共同で会見を開くなり、外に見苦しい責任のなすり合いを見せるようなことを避けようと思わなかったのでしょうか。責任の一端は、マンション建築の施主である三井不動産レジデンシャルにもあると思います。住民との接点を司るのは同社であり、メディアを通じて展開される責任のなすり合いを住民が見ていい気分がしないのは当然の事。住民感情を第一に考えるのなら、施主である同社がリーダーシップをもって、見苦しいイザコザを外に見せないようにするのがあるべき対応なのではないでしょうか。

STAP細胞騒動の時にも同じことを申しあげました。関係者が関係者間でしっかりと話し合いを持つことなく、バラバラな状態で会見を開いたりコメントを出したりすれば、単にメディアの餌になっていじりったけいじられ、関係者すべてにとってマイナス・イメージだけが増幅される、それは間違いのない結末なのです。実にバカらしいことですが、これによるイメージダウンは必至。企業ブランドや企業イメージはことごとく黒く塗られることになるでしょう。

大きな大企業間で長年にわたる取引があろうとも、こんなにもコミュニケーションがとれないものなのでしょうか。もっと言えば、こんなことをしていたら、どんどん企業イメージが悪くなっていくと、どうして関係者は気が付かないのでしょう。建設業界の「みにくい業界体質」は、まさにご指摘通りなのかもしれないと思うにつけ、業界の風土洗浄なくして再発防止はあり得ないと、改めて思わせる次第です。

佐野氏の対応に学ぶ「他山の石」総括~「逃げ」と「怒」の広報は自滅を招く

2015-09-03 | 経営
オリンピックのエンブレム問題に一応の決着が出ました。かれこれ2回、当事者である佐野研二郎氏の広報対応の問題点を「他山の石」として取り上げてまいりましたので、一応この問題に関する私なりの総括をしておきたいと思います。

これまでは佐野氏の危機管理広報対応という視点でのみ意見を書いてきたのですが、今回は総括なので少し視点を広げてみようと思います。と言うのは、佐野氏の広報対応はあらゆる面でお粗末なものであり、それが結果墓穴を掘ることになったわけなのですが、そもそもの問題点で申し上げれば、彼は一「被害者」であるということは言っておく必要があると思うからです。

「被害者」と言うのは、彼がエンブレム取り下げ後に出したメッセージで言っている「メディア攻撃の被害者」という意味ではありません。私が申し上げる「被害者」は、大手広告代理店文化の「被害者」ということです。この点はしっかりと業界として検証、改善をしていただきたく、あえて申し上げるものです。

大手広告代理店文化とはどういう文化なのかと言えば、すなわちこれこそがパクリ文化、パチモン文化です。私はこの問題が発覚し、それに続いてサントリーのトートバッグをはじめ、またぞろパクリ疑惑が噴出した時に「やっぱりね」と思いました。もう少ししっかり言うなら、「やっぱり電博出身だからね」ということです。

私もその昔、上場企業で宣伝広告部門を担当し、多くの大手代理店クリエイティブの皆さまとお付き合いをさせていただきました。まだまだネットは出始めの時代であり、今ほどあらゆるデザインがそこから手に入る時代ではありませんでしたが、彼らが出してくるポスターなどのラフ案数案は、必ずと言っていいほど「元ネタ」があるものでした。

なぜ「元ネタ」があることを知ったかと言えば、彼らと酒の席を共にした際に、私の「よく毎度毎度、いろいろなデザイン案を考えられますね」という感想に対して、彼らの一人が「実は元ネタがあるんですよ」「そんな毎度毎度オリジナルアイデアなんて考えて出ませんよ」「どこのデザイナーも基本は同じ。他社のラフを見せていただければ、あー元ネタはあれだなとだいたい見当がつきます」…、などという暴露話を聞かせてくれたのです。

私はその話を覚えていて、彼らの職場を訪問した際にどうやって「元ネタ」を拾い、パクリのラフを作るのかも見せてもらいました。もちろん、著作権にも触れる恐れがあるとの懸念から、「このやり方は大丈夫なのか」と尋ねたのですが、彼の答えは「大丈夫。広告媒体で訴えられたなんて聞いたことないです。国内の有名な広告だって、だいたいが海外の広告のパクリです。そんなことでいちいち訴えたり、訴えられたりしていたら、僕らの商売は成り立たないですよ」と言うものだったのです。

もちろん既にその一件から15年ほどの月日が立っていますから、その間の日本におけるコンプラ事情の変化を勘案すれば、当時と全く同じ状況であるとは思いません。しかし私の商売柄からは、組織風土、組織文化と言うものはそう簡単には変えられない、ということが確実に言えるわけで、そんな判断から今回の件を「やっぱりね」と思ったわけなのです。

広告代理店と言う業界の常識が果たして、一般の常識に叶っているのか否か。特に著作権をはじめとした知的財産権に関する考え方については、今後同じような「被害者」を生み出さないためにも、今一度各社はモノづくり現場の組織風土、組織分化を再確認する必要があると強く思うところです。

このように、佐野氏自身は業界文化の被害者に過ぎないという側面はあるのですが、これまでも申し上げてきたとおり、不祥事発生時における危機管理広報対応のまずさが自身の首を絞めたことは否めません。エンブレム取り下げ後のメッセージにおいても広報対応としての問題点は山積みであり、この点を今一度検証しておきます。

まずは二か所あるお詫び部分から。
「しかしながら、エンブレムのデザイン以外の私の仕事において不手際があり、謝罪致しました。この件については、一切の責任は自分にあります。改めて御迷惑をかけてしまったアーティストや皆様に深くお詫びいたします。」
「図らずもご迷惑をおかけしてしまった多くの方々、そして組織委員会の皆様、審査委員会の皆様、関係各所の皆様には深くお詫び申し上げる次第です。」

最初の引用部分から分かることは、今後のこともあってエンブレムの模倣を認め謝罪できないのはやむを得ないとしても、作品模倣や無断使用に関して謝っているのはサントリーの件のみです。指摘を受け自身も認めた、空港の展開例等の明らかな無断使用は謝らなくてはいけないハズです。

ふたつ目の引用部分はさらに問題でしょう。御自身の度重なる不手際によりエンブレム使用中止と言う事態に至り、世間を騒がせたこと、東京オリンピックのイメージを著しく傷つけたことについては国民に対してしっかりと謝罪すべきなのですが、彼が謝っているのは関係者に対してのみ。これでは火に油です。

そして取り下げ理由を述べた以下の部分。少し長いですがそのまま引用します。
「その後は、残念ながら一部のメディアで悪しきイメージが増幅され、私の他の作品についても、あたかも全てが何かの模倣だと報じられ、話題となりさらには作ったこともないデザインにまで、佐野研二郎の盗作作品となって世に紹介されてしまう程の騒動に発展してしまいました。
自宅や実家、事務所にメディアの取材が昼夜、休日問わず来ています。事実関係の確認がなされないまま断片的に、報道されることもしばしばありました。
また、私個人の会社のメールアドレスがネット上で話題にされ、様々なオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗中傷のメールが送られ、記憶にないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが届きます。自分のみならず、家族や無関係の親族の写真もネット上にさらされるなどのプライバシー侵害 もあり、異常な状況が今も続いています。
今の状況はコンペに参加した当時の自分の思いとは、全く別の方向に向かってしまいました。もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました。
組織委員会の皆様、審査委員会、制作者である私自身とで協議をする中、オリンピック・パラリンピックを成功させたいとひとえに祈念する気持ちに変わりが ない旨を再度皆様にお伝えしました。また、このような騒動や私自身や作品への疑義に対して繰り返される批判やバッシングから、家族やスタッフを守る為に も、もうこれ以上今の状況を続けることは難しいと判断し、今回の取り下げに関して私自身も決断致しました。」

これは、「怒」の広報と言って危機管理広報において一番やってはいけない対応です。講演先の京都で報道陣に広報担当の佐野夫人が逆ギレしたという報道がありましたが、まさしく同じノリです。メディアに対する「怒」の広報は、敵を増やすだけであり確実に破滅に導く広報なのです。不祥事対応においてはどんなに理不尽な取材を受けようとも、それはある意味身から出た錆なのであり、「メディア=国民の代表」という意識を持った対応を忘れてはいけないのです。行き過ぎたメディア取材や心ない人たちへのクレームもそれはそれで理解できますが、まずは自身のお詫びありきであることを忘れてはいけません。

現実に危機管理広報で、メディア取材に対して逆ギレで破たんした例と言えば、雪印乳業社長の「私は寝てないんだ!」、焼肉えびす社長の「法律で普通の生肉をユッケで出すのをすべて禁止して欲しい!」という発言があります。いずれも、この発言が世間の大きな批判を買い彼らは程なく破綻しました。今回の感情的なコメントは、文書でこそあれそれに匹敵する「怒」レベルであると言ってもいいと思います。

次に佐野氏はどう対処すればよかったのか考えてみましょう。
まず何よりも続々登場する疑惑について単独で会見を開かず、ネットでの一方的なコメントで済ませていたことは危機管理広報対応として最もまずかった点でしょう。少なくとも、サントリーのトートバッグの件で明らかな無断トレース利用を認めた段階では、メディアと向き合いしっかりと自分の言葉で説明、謝罪をするべきだったと思います。

実際にこれを機に、メディア=国民の佐野批判の声は一層大きくなり、それまでは佐野擁護派であった同業者などからも批判の声が聞かれるようになりました。明らかに、ここがターニングポイントでありました。また余談ですが、オリンピック組織委員会はこの段階でエンブレム取り下げを決めるのが妥当だったのではないかと思います。結局、都合の悪いことに対しては一切会見をしなかった佐野氏は、この後益々追い込まれていくようになったわけです。

不祥事会見は嫌なものです。何をどう突っ込まれるか不安が先立ち、怖いと言う感情から逃げたくなるのも分かります。でもそこで逃げたら終わりなのです。アカウンタビリティ=説明責任は、社会性を帯びた不祥事の当事者になった際には、それまで自身が社会的にどういう存在であっても自動的に発生するものであり、これを無視あるいは逃れようとするならより大きなダメージを被ることになるということは、覚えておかなくてはいけない危機管理広報の基本でもあるのです。

最後に今後のあるべきですが、ご本人が本当に疑惑を晴らし今後の御自身のデザイナーとしての道筋に国民の理解を得つつ進まれたいと思われるのなら、まずは国民に対して直接自身の言葉で、世間を騒がせたこと、東京オリンピックのイメージを著しく傷つけたことについて謝罪をすべきでしょう。その上で、すべての疑惑について作り手の立場からの言い分を、洗いざらい話をすることが大切かと思います。不祥事発生時において、利用者、消費者あるいは国民の理解と納得を得られるか否かは当事者自身による誠意ある対応にかかっている、これもまた危機管理広報対応のセオリーであるのです。

結論として、佐野氏の広報対応に学ぶ最終的な「他山の石」は、「逃げの広報はマイナスにしなからない」「『怒』の広報は破綻へと導く」、この2点に尽きると思っています。

五輪エンブレム問題、佐野氏の対応に学ぶ「他山の石」

2015-08-03 | 経営
五輪公式エンブレムのデザイン類似問題が話題になっています。盗作のであるか否かは小職専門外のお話なのですが、気になったのはデザイン当時者である佐野研二郎氏の対応です。広報対応のリスク管理という観点から、他山の石を拾ってみます。

事が発覚したのは先月29日、ベルギー人のデザイナー、オリビエ・ドビさんがフェイスブックで、「自身がデザインしたリエージュ劇場のロゴと驚くほど似ている」投稿したことでした。すぐにこのニュースは国内に流され、佐野さんのサイトにはアクセスが集中しダウン。その放置と氏の“だんまり”状態に対して、web上では非難に近い声が次々と上げられたと言います。

問題はこの後の佐野氏サイドの対応です。現在氏のHPには、「アクセス集中によるHP表示不可のお詫び」と31日付で氏が五輪大会組織委員会を通じて出したコメントが掲載されています。共に31日付なので、丸々2日間は放置されていたということになるのでしょう。この間に何が起きたのかと言えば、「佐野けしからん」「佐野逃げた」等々の批判の嵐です。本人にその意図があったか否か、組織委員会の指示で黙らざるを得なかったのかもしれませんが、ここで決定的なマイナスイメージが着いてしまったのはまちがいありません。

危機管理広報の基本として、とにかく重要なことは迅速な対応です。“だんまり”は“書き得”になるだけ。アクセス集中によるサーバーのダウンという物理的な不都合の発生に関しても、その放置は“だんまり”との相乗効果で“逃げ”として取られるだけなのです。特に今はマスメディアだけでなく、ネット上でここぞとばかりにあることないことを言い放す輩がそこらじゅうにいますから、事故発生における「初動」が当事者の印象を全て決定づけると言っても過言ではないでしょう。迅速なコメントと対応で、「逃げも隠れもしない」という姿勢を見せることが、メディアを自分の側に引き寄せつつことをすすめる大きなポイントになるのです。

そして「初動」において基本は本人が直接表に出ること。企業で言うならトップが迅速に前面に出ることです。マクドナルドの一件を見てもこの点は明らかです。事件発覚時にカサノバCEOは海外出張を理由に会見を欠席しコメントすら出さなかったことが、対メディア、対消費者のイメージを決定的に悪くしてしまいました。明らかな「初動」ミスです。

私は今回の件も全く同じと思います。まず言い訳はいけません。特にHPにある「海外出張中のため」という言い訳は、「いつの時代の話ですか」と思われてしまいます。今どきはどこにいようとも、webを使えば迅速なコメント対応や会見の予定発表は可能なのです。迅速な対応の目安は、遅くも事件発覚から24時間以内、できれば12時間以内。この感覚でコメント、会見、復旧対応等をしないと、「逃げようとしている」「隠そうとしている」と思われ悪者イメージが付くことは必至なのです。

今回の件に関して申し上げるなら、組織委員会の指示で黙らざるを得なかったのだとするなら、佐野氏は本当に気の毒です。運営委員会に悪者にされてしまったと言ってもいいでしょう。しかし自身の作品について疑念が投げかけられたのであり、仮に委員会が待ったをかけていたとしても、自身の問題として委員会に対して申し開きをする意味からも、氏単独でもコメントを先行させるべきではあったと思います。危機対応時に求められる判断能力とは、先を見通す力と同義語でもあります。

すでに手遅れの感は強いのですが、今佐野氏サイドが早急にすべきことは、会見の具体的日程の公表、HPの速やかな再開の2点であると思います。コメントを出したことでやや沈静化はしておりますが、予断は許さない状況にあると思います。五輪の仕事を受けたと言うことは、それだけ重たい責任も一緒にしょい込んだと言うこと。その自覚を今からでも十分に認識して早急な善後策をとって欲しいと思います。

危機管理広報は、なぜか「初動」を誤って毎度毎度失敗ばかりが繰り返されてしまうもの。分かっていてもいざその場になると、逃げたり隠れたりしたくなるのでしょうか。でも逃げたらその時点で負けです。危機管理広報はとにかく「早い初動で包み隠さず」が重要であると、この他山の石もまた教えてくれています。