日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

“続”「子供に携帯を持たせるな決定の是非」

2009-06-30 | ブックレビュー
昨日の話に関連して、最近読んだ本の中身に少々ブックレビュー的に触れてみます。

本は「2ちゃんねる」創始者で現「ニコニコ動画」管理人の西村博之氏の最新刊、「僕が2ちゃねるを捨てた理由(扶桑社新書740円)」です。少々難しくなってきたと感じていた最近のネット事情に、少しはキャッチアップしておこうという目的で購入しました。前半は、クラウド・コンピューティングやWeb2.0に関する誤解の話に始まって、ネット広告の最新事情、さらにはネット、テレビ、新聞、雑誌をひっくるめたメディア論まで、口述筆記によりまとめられています。後半は、日本テレビの元「電波少年」名物プロデューサー土屋敏男氏とのメディア論対談です(この部分はかなり“埋め草”的です)。全体を通して眺めると、よくある基調講演とパネル・ディスカッションのセット・セミナーみたいな本ですが、一応最新のネット事情はおぼろにつかめる内容です。

昨日取り上げた子供向け情報フィルタリング(情報隔離)のあり方についても、本書冒頭でとりあげられるいくつかの「大いなる勘違い」のひとつとして触れられていますので、少し紹介しておきます。彼の結論は「情報のフィルタリングは教育でせよ」とのこと。事件が起きるとすぐに情報をすべてフィルタリングして子供たちから遠ざけようとするのは間違っていて、そんなことよりも見せても大丈夫な教育をすることが大切であると、昨日の私の意見とほぼ同じことを説いています。さらに彼は、大人がすぐにフィルタリングで“臭いモノに蓋”をしたがるのは、ネットやSNSや掲示板の何たるかを分かっていないからであり、「得体の知れないもの→妙なレッテルを貼る→確認せず蓋」は間違っていると述べています。全く同感ですね。

彼はこんなことも言っています。
そもそも掲示板サイトとか、学校裏サイトとか、利用している大半の人間は普通に交流を楽しんでいるのであって、悪用するのはごく一部。つまりまるでニューヨークのダウンタウンが、行ったこともない人間たちから「危険な場所」のレッテルを貼られているのと同じだと。しかも掲示板や裏サイトがイジメの温床であるかのような言われ方をされているのも、おかしい。イジメはネット・コミュニケーションが登場するずーっと前から存在する訳で、ネットばかりを目の敵にするのは得体が知れないからだとも。

本当にその通りであると思います。裏サイトでの書き込みが原因で自殺に至ったとかは確かに悲しい事件ですが、これをネットに責任転嫁をすることは間違っているのであって、むしろ小学生から若手社会人も含めた最近の若者たちが我々世代に比べて圧倒的に精神的にひ弱になっているという事実を、教育的見地からもっともっと考える必要があるように思えるのです。この点で私は個人的に、子供時代に外で遊ばなくなったことにこそその大きな原因があると感じています。すなわち我々の時代は、外で毎日近所の子供たちと集団で遊ぶことで「ガキ大将」も「ちょうちん持ち」も「使いッパシリ」もその中に自然と生まれてきて、知らず知らずに人間社会の構造や力関係、世渡りコミュニケーションなどを学ぶことができたのです。それがここ20年ぐらい、なくなって久しい訳で…。この経験の欠落こそが若者をひ弱にしていると思うのです。

さらにその原因は何かと言えば、偏差値教育の浸透と学校教育のレベル低下がもたらした、「お受験」「塾通い」が当たり前になってしまった“教育の常識”の変質にこそあると思います。外で遊ぶよりも「塾通い」という子供時代の生活が、社会経験不足のひ弱な若者を大量生産するといういう構図は、まさに日本の学校教育の地盤沈下がもたらした悲劇と言えるのではないでしょうか。そんな背景がありながら、世間では子供に対し石川県の携帯電話のような「臭いものには蓋」的“過保護”フィルタリングですから、益々ひ弱な若者を作りだすことに輪をかけてしまうに違いないのです。

今なすべきは、政治家や先生などの偉いオジサンもオバサンも、偉くない普通のお父さんお母さんも、西村氏が言うところの「得体の知れないもの→妙なレッテルを貼る→確認せず蓋」的なやり方は改めて、「得体の知れないもの」はまず自ら確認して本当の姿を知ること。その上で子供たちを「現実」から遠ざけるのではなく、「現実」に相対することができる教育を施す、常にそのやり方を忘れずに愚直に繰り返していくことこそが、未来を担う子供たちを“骨太”にする大切なポイントであると思うのです。

ちなみに本の採点は、10点満点で6点。前半だけなら面白く読めてタメにもなるので8点レベルなのに、後半の安易な“ページ稼ぎ対談”はどう見てもイカさないです。このあたりが、「扶桑社=フジ・サンケイ・グループ」たる所以という気がしますね。

石川県発“子供に携帯を持たせるな条例”は果たして正しいか?

2009-06-29 | ニュース雑感
小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者に努力義務を課した石川県の「子ども総合条例」の改正案が、29日開催の県議会で賛成多数で可決されたそうです。

本件は同県自民党会派の独自提案だそうで、同党県連政務調査会長の下沢県議は「携帯電話は、社会的に未熟な小中学生の犯罪やいじめの温床になる。校内で使用を禁止しても家で手にできるのでは意味がなく、親の意識改革が必要」と話しています。そもそも本件は、石川県で昨年県内で携帯サイトの掲示板への書き込みをめぐる高校生同士の殺人未遂事件が発生したことが発端で、青少年の健全育成を目的として法制化済みの同条例に今回の携帯不所持努力目標を新たに加えた形です。

今回の条例改正、罰則規定はないとは言いながら携帯トラブル対策として正しいのか、個人的にはいささか疑問に感じております。県は「憲法の知る権利や財産権に抵触するおそれがあり、携帯電話販売店からの損害賠償請求もありうる」との観点から自民案と距離を置いているそうですが、もっと根本的問題として「危ない部分があるものはすべて子供たちから遠ざけるべき」的なやり方自体がどうなのか、と思うのです。

例えば麻薬のような明らかに有害かつ危険で、何の得もないものを遠ざけるのは分かります。しかし携帯電話は今や一番身近なIT機器であり、情報活用の観点からも小中学生の時代から情報機器に慣れ、その正しい活用法を身につけさせることこそ本来あるべき教育ではないのでしょうか。未成年の誤った携帯電話の使い方が事件やトラブルを引き起こしているのであるのなら、対策や再発防止策としては使い方そのものの教育や根本的なモラル教育にこそ力を入れるべきであり、携帯を持たせないという措置はあまりに安直な考えで教育の放棄であると言ってもいいと思います。コンサルティング的に言っても、「逃げは決して問題解決にあらず」であるのです。

本件に関しては先に述べた県の消極姿勢に加え、子供の携帯電話やインターネット利用に関する学術研究と教育実践を目的として設立された「ネット安全モラル学会」からも22日に、石川県県議会議長宛陳情書が送付されています。内容は「携帯電話は今日の高度情報通信社会においてすべての国民にとって暮らしを豊かにする道具として必要不可欠のものであり、すでに生活の一部として溶け込んでいる。パソコンやインターネットに関する学校教育を逐次充実させるという教育改革の方向と逆行していおり同案の否決すべき」というものです。このような状況を勘案すれば、パブリック・コメントの実施等もっと慎重に審議を重ねるべき問題であったことは明らかであり、強行採決した自民党県連のやり方には大きな疑問符が付くのです。

本件は、単に携帯電話を子供に持たせることの是非にとどまらず、教育のあり方に関わる根本的かつ大変重要な問題をはらんでいると思います。マスメディアには、単に石川県の問題として片付けることなく、全国的な世論をとりまとめることで問題の本質にかかわる議論を展開させ、正しい方向づけに至らせることを期待します。

宝塚記念

2009-06-28 | 競馬
春のGⅠシリーズを締めくくるグランプリ・レースです。

古くはメジロライアンにはじまり、メイショウドトウ、ダンツフレーム、アドマイヤムーン…、GⅠ戦線で活躍しながらなかなか勝てない馬たちに栄冠を授ける「健闘賞的馬へのごほうびレース」のような傾向が感じられるレースです。

人気は⑪ディープスカイ。昨年のダービー馬で秋の天皇賞でも僅差3着の実績はここでは№1でしょう。この馬を2着とみて、一方の「健闘賞的ごほうび優勝」候補を探します。②インティライミ、⑦アルナスライン、⑧サクラメガワンダー、⑭カンパニー…。②は本調子に今一歩?⑭は距離が長い?⑦は距離不足?⑧は昨年の勝ち馬と同じステップですが、GⅠ惜敗組というよりGⅡレベル?どれもこれも「?」が付きます。

ならば、GⅠは2歳時に取っているものの、3歳以降は今一歩届かずの⑨ドリームジャーニーに“悲願の古馬GⅠ”獲得の「ごほうび優勝」のチャンスとみます。

単勝⑦ 馬単⑦→⑪

大穴は、逃げ馬不在のレースで前々で粘ってしぶとい④アドマイヤフジ。気分良く行ければ実はGⅠクラスの力があります。大駆け要注意!複勝と有力馬へのワイドで。

マイケル・ジャクソンの死に思う“スーパースターの孤独”

2009-06-27 | ニュース雑感
昨日来マイケル・ジャクソンさんの急死関連のニュースが、テレビを賑わしています。

ホント、驚きました。ちょうどその前日に人と「マイケルの7月に予定されている50回の英国公演は本当に開催できるのか」という話題をしていた矢先でもありましたので…。「本当にできるのか」と私が思った理由は、長期の休養による“なまった”体に年齢的な体力の衰えが追い打ちをかける中、マイケル自身が満足のいく出来にもっていけるのかいささか疑問であるという点でした。マイケルは、知る人ぞ知る完璧主義者。全盛時のあの素晴らしいダンスは、天賦の才もあるにはあるものの、最低1日8時間は費やすと言われた驚異的な練習量があってはじめてなし得たものなのです。

しかも今回は、彼自身の完璧主義だけではなく作られた「マイケル・ジャクソン像」に求められる“完璧さ”との戦いもあったハズです。大きく立ちはだかる長いブランクと体力の衰え、その現実がどれだけ無理な練習を強いることになるのか、その点を私は密かに懸念していました。スーパースターであるが故、完璧でなくてはならないという宿命を背負わされ、「マイケル・ジャクソン」というブランドに似合わない落ち度は絶対に許されないないというプレッシャーは、我々の想像を絶する領域に達していたに違いありません。そんな状況下5月に主催者側から延期を示唆するコメントが出され、私だけではない多くの人が、もしかすると「中止」または「無期延期」もあるかもしれないと薄々感じていたであろう矢先の訃報でした。

マイケルは、ポピュラー音楽史上最高売り上げを記録したアルバム「スリラー」と、MTV時代突入の契機をつくったそのプロモーション・ビデオによる功績をもって、後世に長く語り継がれるであろう超スーパースターです。惜しむらくは、その後彼の性癖にまつわるスキャンダルがあまりに多いことでした。ただ彼の側に立って考えてみれば、小さい子供のころからジャクソンファイブのマイケルとしてスター街道を歩み続けた訳ですから、多少浮世離れした感覚になってしまったこともやむを得ないのかもしれません。加えてあまりにも売れすぎてしまったことによる注目度の高まりと期待に応え続けるプレッシャーが、次第に彼の肉体と精神を蝕んでいったであろうことは想像に難くないのです。これらが彼にとって、不幸のはじまりであったのだと思います。

彼の数々のスキャンダルは、“スーパースターの孤独”、“売れ過ぎててしまうことの不幸”に他なりません。同じビッグスターのエルトン・ジョンは、02年の「ディス・トレイン」という曲のプロモーション・ビデオで、人気絶頂期にあった70年代に自身がクスリに走り自殺未遂に追い込まれるほど苦しんだ“スーパースターの孤独”を見事に描き切っています。「(人生の)汽車は、もうそこに止まっていてはくれない…」、ようやく辿りついた欲しいのものすべてが手に入るはずの“スターの座”は、実は何ひとつとして自分の自由にならない場所だった。スーパースターたちは、あり余るほどのお金と華やかなスポットライトと引き換えに、個としての「自由」を奪われていくのです。

「スーパースターの孤独」-。マイケル・ジャクソンの死は、人間の本当の幸せとは何かについて、改めて考えさせられる出来事でありました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

★動画「Elton John - This Train Don't Stop There Anymore」
http://www.youtube.com/watch?v=8LRZsnTT1HM&feature=related

経営のトリセツ63 ~ すぐに使える「見える化」のヒント5

2009-06-26 | 経営
前回の補足、「議論の見える化」における「ホワイトボードの効用」についてです。

会議やプレゼンで、文字情報の「見える化共有」手段は大きく3つあります。「パワーポイント等投影資料」「レジュメ」そして「ホワイトボード」の3つで、それぞれメリット、デメリットあるのですが、こと協議、議論を中心とした会議における「議論の“見える化”」には断然「ホワイトボード」が力を発揮してくれます。

まず、他の2つがメリットを発揮する場面をお話ししておきます。「パワーポイント等投影資料」は、まさにパワーポイントが作られた目的そのものですが、最大の活躍の場はプレゼンです。スライドを1枚1枚切り替えて話を進めていく様は、まるで我々が子供の頃夕方公園に来ていた紙芝居屋さんを思いおこさせ(歳がバレます)、「次はどうなるのかな?早くめくってよ、次が見たいよ」とプレゼンを受ける側に期待感やワクワク感を持たせつつ進めるのにもってこいなのです。

転じてただ話すだけでは伝えたいことが伝わりにくいセミナー、講演などでも、聞き手を引き込むために“紙芝居タイプ”の「パワーポイント等投影資料」での「見える化」が有効です。この場合注意を要するのは、パワーポイント・スライド資料をプリントして事前に配布しないこと。人間配られたものはついつい先走って先先見てみたいもの。事前配布でワクワク感は一気に減じてしまうと心得てください。特に価格を先に見てしまうと、プレゼン効果が半減するケースなどもありますので、要注意です。

一方「レジュメ」は、基本的に「報告」ベースの「情報の共有化」目的での“見える化”に向いています。「報告」においても、口頭だけで経過や結果を伝えるのと、「見える情報」と共に伝えるのとでは、その情報の共有レベルにおいて雲泥の差が出ます。口頭だけの場合には、右から左で聞き逃してしまいがちな情報でもしっかりと目で確認ができますし、目で確認することにより聞き手の中でその「情報」に関する分析や思考が発生し、意見や質問となって出ることにつながり報告会議の活性化ひいては業務の活性化につながるのです。「報告」にプレゼンのようなワクワク感は不要ですから、パワーポイント資料を作る必要性は乏しく「レジュメ」で十分な訳です。

では「ホワイトボード」にはいかなるメリットがあるのでしょう。冒頭「議論の“見える化”」には断然ホワイトボードと申し上げました。「ホワイトボード」は「書きながら進む」から「その場で考えをまとていく様が“見える化”される」と言う点が、特に素晴らしいのです。すなわち、議論や思考が進展する様が“見える化”され参加者間で共有できるのです。議論の流れが目に見える形で整理、確認できれば、見当違いの発言や横道侵入防止などにも大いに役立つ訳です。一度実験をしたことがありますが、叩き台資料としての「レジュメ」だけを配布して口頭のみで議論する場合と、同じ「レジュメ」を配布しかつファシリテーターが「ホワイトボード」に議論の流れを順次書いていく場合とでは、議論の収束速度、無駄議論の度合い等に明らかな差が出るのです。

「ホワイトボード」は「議論」の他、「説明」「指導」時等にも大きな効果が発揮されます。説明したいことを、説明したい順番で書きこんでいく、質問があればそれを脇に書き加えて、今の質問が本題のどの部分に位置するのかを「見える化」する、等々説明する側の論理展開や質問者の不明な点のポジショニングを、流れに沿って見せていくことが出来る訳で、レジュメのみで説明する場合と比べて大幅に関心の度合いや理解の度合いが深くなるのです。これも大昔の大学受験時代に「西尾の英文法」や「寺田文行の現国」が、「旺文社ラジオ講座」比べて黒板を使用する代ゼミの“生”授業の方が数段興味深く分かりやすかったのと同じ原理なのです。

説明や議論の際に紙に書くのもいいのですが、やはり書くだけでなく流れ次第ですぐ消して修正したりレイアウトを変えたりできる点も、「ホワイトボード」の利点であります。議論が切り替わった時には、すべて消してしまうことでゼロクリアもできますから。そんな訳で、仕事の中で「議論」や「説明」の場面が欠かせないコンサルタントたちは「ホワイトボード」を常用し、万が一「ホワイトボード」の設置がない時用として小型「ホワイトボード」を持ち歩いたりもしています。私もどこにでも貼り付く1000円弱の小型ホワイトボード(写真)をノートの表紙に付けて携帯していますが、大変重宝しています。とにかく使ってみてください。「ホワイトボード」の“見える化マジック”で、こんなにも「議論」や「説明」に皆の理解が得られるものかと驚かされることうけあいです。

NEWS雑感 ~ 与謝野馨・東国原英夫

2009-06-24 | ニュース雑感

●議員辞職に相当!疑惑の与謝野財務相の“非常識”●

商品先物取引会社「オリエント貿易」などグループ数社が、幹部社員の給与から天引きして集めた金を政治団体を通じ、92年から05年にかけ、与謝野馨財務相側に計5530万円、渡辺喜美元行政改革担当相側に計3540万円それぞれ献金していたことが明るみに出て、ちょっとした騒ぎになっております。西松建設の巨額献金事件と似た構図で、ダミー団体を通した迂回献金とみられ、第三者名義の寄付や資金管理団体への企業献金を禁じた政治資金規正法に違反する疑いがあると言います。

献金の違法性解明も重要なことではありますが、むしろ問題なのは、与謝野氏が98-99年に旧通産相として先物取引を指導・監督する立場にあったこと、さらに、06年に成立した金融商品取引法の審議中は、金融担当相在任中であったことです。先物業界の関連官庁トップを務める身でありながら、それまでと変わらず献金を受けていた訳です。「業界や同社に便宜を図ったことは一切ない。商品先物取引会社から法案に関して陳情など一切なかった」「担当大臣の就任する前からの支援団体であり、そのまま献金を受けた」と述べたと言います。この発想自体、完全に“アウト!”です。

事務方の公務員でさえ、関係先との金銭の授受はおろか会食すら法で禁じられているのです。立法のトップとしてさらに強大な力を持つ監督官庁の大臣が、関係企業から献金を受けていたとは、驚きも驚き、なんという非常識。古い友人であるとか、昔からの支援者であるとか、そんなことはどうでもよろしい。「担当大臣時代も業界や同社に便宜を図ったことは一切ない」で済むと思っていらっしゃるこのお方、コンプライアンスを全く理解してないません。こんなコンプラ意識ゼロの政治家は、この部分だけで十分即刻議員辞職をすべき事由であると、声を大にして申し上げておきます。


●東国原宮崎県知事出馬要請における、党と本人の損得勘定●

自民党の古賀選挙対策委員長が23日、東国原英夫宮崎県知事に次期衆院選に自民党公認候補として出馬するよう求め、知事が自分を自民党総裁候補とすることなどを出馬の条件に挙げた問題。一日たっていろいろな発言が相次ぎ、けっこう驚かされました。まず、当の東国原知事。私はてっきり「現時点では国政への転出意思なし」という意思表示として意図的にぶつけた無理難題という、彼一流のジョークかと思ったのですが、その後のお話をうかがうに「本気」であると分かり驚きました。

いくら地方を支えるには国政を変えなくてはダメとは言いつつも、自身一期目途中で県知事職を投げ出す形になる訳で、国政に転じる前にやるべきことはたくさんあるのではないでしょうか。昨年も確か補欠選がらみで国政に色気ムンムンだったことがありましたが、「都知事へ鞍替えか?」の声も聞かれるなど、やはりこの人、宮崎県知事はワンステップ?目指すはより一層目陽のあたるポジションのようで、タレント人脈を生かした地元PR策はお見事ですが、それで田舎だましをして自身の先々の野望に向けた地位固めをしているように思えてどうも信用がおけない訳です。

これに対して自民党内は反発の嵐。代表的な発言は、大島理森国対委員長の「国会議員にまずなって、順序を踏まえて努力することが先だ」との不快感あらわなコメントや笹川尭総務会長の「アホらしい」の一言などなど。これら、相手の主張や政策趣旨も踏まえず、しきたりに縛られた高圧的態度は本当に古臭い自民党の体質丸出しです。この手の発言は、明らかに自民党の印象を悪くしたことだけは確かであると思います。当の本人たちは、そんなことに全く気付いていないのでしょうが…。

さて話を戻して東国原知事。今回の申し出、一部には自民党が絶対に受け入れないことを想定の上で大真面目で「国家天下を論じる」政治家を演じ、自身の政治家としてのブランドをワンステージ上げる戦略だったのではと言われています。もちろん、狙いは先々の国政進出とその時のポジションづくりです。もし本当なら、相当な策士であり、意外に侮れない人物であるとも思えるのですが…。真意はどうなのでしょう。

今一度、清志郎ネタ

2009-06-23 | その他あれこれ
5月2日に亡くなった忌野清志郎さんの遺作「Oh!RADIO」が、29日付オリコン・ランキングで初登場5位となり、ソロ名義では清志郎さん初のTOP10入りを果たしたそうです。同曲は、ラジオ局のキャンペーン用に作詞・作曲し、他人への提供楽曲だったそうですが、死後に清志郎さんがギター、ドラム、ハープなどを1人で演奏・収録したデモテープが発見され、葬儀告別式(青山ロックンロールショー)では“葬送曲”として使用されていました。私も現場で聞きましたが、「トランジスタ・ラジオ」で世に出た彼ならではの、ラジオへの思いが詰まった本当にいい曲です。

本屋で拾い読みした「ミュージック・マガジン」では、彼の追悼特集を発見しました。他の音楽雑誌が出版している追悼ムック版が、このところ立て続けに出ていますが、どれも過去の記事の転載やプロフィールをなぞった形の、やや“便乗商売”的な臭いもして手が伸びないのですが、同誌の原稿は書き下ろし。特にTBSの報道ディレクター金平茂紀氏を人選し原稿を書かせるあたり、いつもながら冴えています。“人間清志郎”を浮き彫りにした一読の価値ある原稿であると思いました。興味のある方、ぜひ立ち読みでもいいので(って私が言うことじゃない?)お読みください。

さらにさらに、俄かファンの私、最近彼の晩年の名曲「JUMP」にはまっています。
詞がいいですね。

 ☆JUMP/忌野清志郎

 夜から朝に変わる いつもの時間に
 世界はふと考え込んで 朝日が出遅れた
 なぜ悲しいニュースばかり TVは言い続ける
 なぜ悲しい嘘ばかり 俺には聞こえる

 Oh 荷物をまとめて 旅に出よう
 Oh もしかしたら君にも会えるね
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く JUMPするよ

 何が起こってるのか 誰にもわからない
 いい事が起こるように ただ願うだけさ
 眠れない夜ならば 夜通し踊ろう
 ひとつだけ多すぎる朝 うしろをついてくる

 Oh 忘れられないよ 旅に出よう
 Oh もしかしたら君にも会えるね
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く JUMPするよ

 世界のど真ん中で ティンパニーを鳴らして
 その前を殺人者が パレードしている
 狂気の顔で空は 歌って踊ってる
 でも悲しい嘘ばかり 俺には聞こえる

 Oh くたばっちまう前に 旅に出よう
 Oh もしかしたら君にも会えるね
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く JUMPするよ
 JUMP 夜が落ちてくるその前に
 JUMP もう一度高く JUMPするよ

サビだけですが、私なりの解釈を…。
「荷物をまとめて 旅に出よう」って言うのは、「前向きに生きていこうぜ」ってこと。「もしかしたら君にも会えるね」の「君」は、彼が言い続けていた「夢を忘れずに」の「夢」ですね。前向きに生きていけば、きっと「夢」も叶うよって歌っているように私には聞こえます。「夜が落ちてくるその前に」ってのは、「じっとしてあれこれ考えて、暗い気分になる前に行動起こそうぜ!」って言っているんでしょう。そして最後の「くたばっちまう前に 旅に出よう」。「のびりしている時間はないぞ!お前ら生きているうちにがんばってJUMPしろよ!」って、向こうから背中を押してくれているんですね、きっと。

元気づけられますね。持ち歌にしたい歌です。練習します。

★動画「JUMP/忌野清志郎」ライブ
http://www.youtube.com/watch?v=-gr0WZsrFDA
★動画「JUMP/忌野清志郎」プロモーション・ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=b85bd2f_G48&feature=related
→YouTubeに寄せられているたくさんのコメントがまた泣かせます!

「“自己中”井坂=セブンイレブン」の大いなる間違いを今一度正す!

2009-06-22 | ビジネス
消費期限の迫った弁当などを、フランチャイズ加盟店が値引きして売る「見切り販売」を制限したとして、公正取引委員会は22日、独禁法違反(優越的地位の乱用)で、コンビニエンスストア最大手のセブン-イレブン・ジャパンに排除措置命令を出しました。この問題、以前公取が動き出した時にも取り上げているのですが、本日の措置発表を受けての同社井阪隆一社長(写真)の会見をテレビで見て、話している内容が(顔つきも)あまりに気に入らないので、今一度取り上げさせてもらうことにします。

井坂社長の言い分は次のようなものです。
①弁当や総菜を値引きして販売するスーパーと違い、大半のコンビニは欲しい商品がいつでも手に入る24時間営業を武器に(と引き換えに)「定価販売」をしている
②加盟店との関係は優越的地位ではなくあくまでも対等な契約関係
③値引販売はセブンイレブンの価格に対する不信感、ブランドイメージの損傷を招く

まず①
これは古い昭和のビジネスモデルの考えです。現状、流通革命は大幅に進行しておりスーパーの24時間化を含む深夜営業とて決して珍しいことではなく、流通業における業態ごとの垣根はないに等しい状態になっているのです。すなわち、「24時間営業なのだから、定価販売は当然」という考えはもはや通用しないのです。

次に②
これは詭弁以外の何物でもありません。確かに見かけ上の契約は「対等」であるのかもしれませんが、業界最大手のフランチャイズ本部と一介の弱小商店にすぎないフランチャイジーとの関係を誰が「対等」であると思うでしょう。こういう場面で実態で話をせず契約形態という形式上の問題で突き通すというのは、面の皮が厚いというのか、ある意味会見を通じて消費者をバカにした行為であると、強い憤りを感じます。さらにこの点に関連し、「指導員が加盟店へのアドバイスの中で、一部に行き過ぎた強要に近い言動があったかもしれない」という、誰が聞いてもオトボケとしか言いようのない誤魔化し発言もしているのです。これには嫌悪感すら感じました。

そして③
セブンイレブンのブランドは、商品の価格値引きによって価値が下がる類のものでしょうか。高級品ブランドじゃあるまいし、食品の値引きはデパ地下でも日常的に行われており、ブランドへの影響はほとんどありません。井坂さん、もう一度マーケティングのお勉強をされたほうがよろしいように思いますよ。むしろ、日常品を扱う商売の性格からすれば、消費者のニーズに応えているか否かこそが、そのブランド価値を大きく左右するのではないでしょうか。その意味においては、大多数の消費者が歓迎する「値引き」に応えることこそが、ブランド価値を高めることになると思うのですが…。それより何より、あなたの至って“自己中”な受け答え姿勢そのものこそ、大きなブランド価値低下要因であるとなぜお分かりにならないのでしょうか。

ビジネスというものは市場原理に沿っておこなわれてこそ、経済の健全性確保がはかられるのです。業態の垣根がほとんどなくなった今、市場で買い手が望んでいる消費期限間際の値引き販売を自社の営利追求エゴを通して無視し続けるセブンイレブンの考え方は、市場原理に沿った経営であるとは言い難く、健全な経済活動でないが故に弱い部分に歪が出て、フランチャイジーが月30~40万円という不要なコスト負担を強いられている訳です。時代錯誤のビジネスモデルは一刻も早く見直しをかけ、消費者重視のモデルへの切り替えをはからなくてはいけないと思います。

セブンイレブンが属するアイワイ・グループの総帥である“流通の神様”鈴木敏文氏は、今回の問題をどう見ているのでしょう。「顧客重視とは、買い手の都合に合わせること」を公言してはばからない鈴木氏ですから、それが本心から発せられている言葉なら、井坂社長の発言を「よし」とするとは到底思えないのですが…。グループを代表する立場から本件に関する鈴木氏の見解表明を望みます。

<ご参考>前回ブログ
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/2caab0b06cc5d452f063da50dba07fbc

音楽夜話~本場米国発これぞアルバム・ガイド・ブック

2009-06-20 | 洋楽
★「500 GREATEST ALBUMS OF ALL TIME(インフォレスト2940円)」 

米雑誌「ローリング・ストーン」による、ロック誕生以降のアルバム・ガイドです。

もともと2003年12月11日号の同誌で特集された同名企画がムック版として発刊され、その日本語版がこのたびリリースされたという次第です。編集部のはじめのコメントにあるように、まさに「究極のロック・レコード・ガイド」。選者は、「専門家と真の音楽ファン」と評される273人。ファッツ・ドミノ、ジャクソン・ブラウン、ピート・シガーなどの超一流ミュージシャンをはじめ、プロデューサー、マネージャー、レコード会社重役、研究家、批評家等々、錚々たるメンバーです。一人が50枚のアルバムを順位をつけて選出し、その合計を点数化して1位から500位まで順番に並べて紹介しています。

統一の選出基準は定めず、当時の存在感、現在価値、自身への影響の度合等々、各選者の基準で50枚ずつのべ13650枚が選ばれ、その集計結果の上位500枚を掲載。すなわちこれは、私が問題視する少数主観の集合体的「名盤選」ではなく、まさに「GREATEST ALBUMS」、本書で言うことろの「過去を救い、現在を刺激し、未来を決めるアルバムたち」なのです。なのに日本語版のタイトルは「名盤ディスク・ガイド500」と、至って主観的な「名盤」という言葉を使って安直に翻訳。日本語版編集者のセンスを疑います。原タイトルや副題に日本語の「名盤」にあたる「MASTERPIECE」なる言葉は一切ありません。「名盤」という言葉を使用したことは、ローリング・ストーン誌の企画の趣旨が曲がって伝わりかねないという点で非常に遺憾に思うのです。

ですからあえて言っておきたいことは、本書は「こんなアルバム知ってんだぞ」的“したり顔”の音楽評論家たちが選出する「名盤企画」とは明らかに一線を画するものであるということです。コンサルティング的言い方をすれば、多岐の職業にわたる音楽専門家273人の選定集団を組成し、主観の大集合体を形成することで一定の客観性を確保、選ばれた約3000枚弱のアルバムの中から「より多くの選者が価値を認めた500枚」が選出された訳です。巷を乱舞する“評論家センセ”たちによる少数主観集合体的「アルバム選」とは、明らかに類の違うものであります。これだけ綿密に作られた書籍が、その十分な企画意図が伝わらずに「名盤ガイド」の名で書店の棚に並んでしまうことは、買い手にも誤解を生じさせかねないと懸念する次第です。

さて、肝心の中身ですが、これは本当に素晴らしい。何といってもある程度の客観性を確保され選ばれた500枚故、日本の“評論家センセ”が毛嫌いする売れすぎたアルバム、ポピュラーすぎるアルバムもちゃんとランクインして、まさにロック50年の歴史を曲った価値観で歪めることなくキッチリと伝えてくれていると思います。本書内にも記載がありますが、ビートルズ、ディラン、ストーンズ、フー、スプリングスティーンの作品が全体の1割を占めているということですが、この事実は彼らの50年のロック史に果たした役割の大きさが、ごくごく自然な形で現れたということの証でしょう(スプリングスティーンに関しては、やや米国人の国民性が強く出た感が否めませんが…)。

装丁、デザイン・レイアウトも本当にグレイト!まず1ページ1ページに使われたくすんだイエローの紙質が最高です。さらに、その紙質を活かすべく文字数を極力落として贅沢なつくりにしたレイアウトがまたさすがのセンスです。各アルバムに添えられた控え目とも思われるコメントも、散文的で実にアートなムード。他ではまずあり得ないこういった心づかいがトータルで醸し出す“一流”の風格は、やはりロックの歴史をリアルタイムで把握し続けている「ローリング・ストーン」誌であればこそなのです。

すべての音楽ファン必読の一冊。“名盤選“としてでなく、米国発の“真のロック・ガイドブック”として、ぜひ書店で手にとって見て欲しい書籍です。

党首討論~鳩山“印象比較優位”の要因と今後の“アキレス腱”

2009-06-18 | その他あれこれ
昨日は麻生総理と民主党鳩山代表の2回目の直接対決、党首討論がありました。

私は夜のニュースで少し見ただけなので、細かい内容は存じ上げませんが、まぁ内容は挙げ足の取り合いの域を出ないのでしょうからどうでもいいでしょう。むしろ、総選挙をにらんだこの時期の党首討論ですから、両者のイメージこそが大切なポイントでしょう。これはあくまで個人的な印象に過ぎないのですが、チラ見の印象でのイメージ対決という点に限って言えば、昨日は鳩山優勢を強く印象付けられました。結構そう感じた方は多いと思うのですが、いかがでしょう。

私が鳩山優勢と感じたその理由を、少し考えてみました。まず第一は、麻生総理の自滅的イメージ・ダウン。このところの西川日本郵政社長進退を巡る一連の動きは、明らかにマイナス・イメージを植え付けたと思います。さらに、先週末実施の世論調査結果報道。大幅な支持率低下を新聞はじめマスメディアが大々的に伝えたことで、有権者の心理面への影響は否めないと思います。毎度申し上げますが、マスメディアの報道はある種の“権威づけ効果”があり、その影響力はとてつもなく大きいのです。

第二に、このところの地方選で連戦連勝です。地方選の場合たいていは、公認候補と言うよりは推薦候補の場合が多いのですが、それでも「民主党推薦候補が、自公民推薦の現職候補を破って初当選を果たしました」などと報道されると、不思議と“強い民主党”を印象づけされるものです。ここでもやはりマスメディアの“権威づけ効果”は見逃せません。連戦連勝のせいでしょうか、昨日の鳩山氏は連日の「日本郵政西川問題」に撹乱させられお疲れ気味の麻生首相に比べて、自信に充ちて元気一杯であるかのように見えました。

3つ目としてもうひとつ鳩山代表を後押しした要因は、民主党の代表が交代したことによる“リフレッシュ効果”です。ただし、鳩山氏そのものは以前にも代表を務めたことがあり、決してフレッシュな印象ではありませんし、元自民党で弟が何かと人騒がせな邦夫全総務大臣であり、鳩山氏自身に麻生総理に対して比較有利になるようなイメージ要因はあまりないように思えます。では何が鳩山氏に“リフレッシュ効果”を与えたのでしょう。これはズバリ小沢一郎前代表です。つまり、疑惑まみれの自身の問題をうやむやにし続けてきた印象の悪さ、何を考えているのか腹の中がサッパリ見えない風貌、田中角栄にも通じる権威主義的な昭和の“化石政治家”の生き残りを感じさせる言動等々、とにかく良い印象がひとつもなかった小沢氏からの交代が、ここでも“比較優位”となって鳩山氏の印象付けに貢献しているのは間違いないところです。

こうやって考えると鳩山氏の対麻生総理のイメージ比較優位も、自身が積極的に作り出しているものではなく、相手の自滅と端(はた)の力によるものに過ぎないのです。ということは、“麻生自滅効果”は何かの拍子でコロッと変わるかもしれませんし、“小沢効果”もそう長くは続かないハズ。国政選挙における党首の印象、イメージは無党派層有権者の投票動向に大変大きく影響しますから、“小沢効果”で今のうちなら民主党の政権奪取も確実なのかもしれません。果たして秋にはどうなりますことやら。

と言うのも、このように“他力本願”で一時的比較優位好印象を保っている鳩山氏ですから、逆にそのイメージづくりの足元を周囲の人物の印象の悪さですくわれれることもある訳で、そうなれば再び自民党との支持率逆転がないとも限りませんから。ではその意味で、鳩山氏のイメージ戦略上の“アキレス腱”となりうる人物は果たして誰でしょう?小沢前代表?実弟の邦夫氏?この二人も要注意ではありますが、私は最も注意が必要なのは、鳩山幸(みゆき)夫人ではないかとみています。

夫人は、知る人ぞ知る元タカラジェンヌの“出しゃばり勘違い女”です。先日、鳩山氏が代表選で勝利した後も、テレビの電話取材に登場して、かなり軽薄なノリでピントはずれなことをやかましく話しておりました。万が一民主党が政権を奪取したら、幸夫人はファーストレディです。こりゃ大変ですよ。私が広告代理店の鳩山陣営イメージ戦略担当ディレクターなら、小沢氏と邦夫氏はともかく、幸夫人をイメージ的にメディア取材から遠ざけることを第一に進言するでしょう。まぁ誰が総理をやろうと大差ないの今の状況ですから、観客的立場では民主党が勝って幸夫人のマスメディアへの露出が増えたらどんなことになるのか、怖いもの見たさの好奇心はありますけどね。

※あくまで個人的印象でモノを言っておりますので、悪しからず。