昨日の話に関連して、最近読んだ本の中身に少々ブックレビュー的に触れてみます。
本は「2ちゃんねる」創始者で現「ニコニコ動画」管理人の西村博之氏の最新刊、「僕が2ちゃねるを捨てた理由(扶桑社新書740円)」です。少々難しくなってきたと感じていた最近のネット事情に、少しはキャッチアップしておこうという目的で購入しました。前半は、クラウド・コンピューティングやWeb2.0に関する誤解の話に始まって、ネット広告の最新事情、さらにはネット、テレビ、新聞、雑誌をひっくるめたメディア論まで、口述筆記によりまとめられています。後半は、日本テレビの元「電波少年」名物プロデューサー土屋敏男氏とのメディア論対談です(この部分はかなり“埋め草”的です)。全体を通して眺めると、よくある基調講演とパネル・ディスカッションのセット・セミナーみたいな本ですが、一応最新のネット事情はおぼろにつかめる内容です。
昨日取り上げた子供向け情報フィルタリング(情報隔離)のあり方についても、本書冒頭でとりあげられるいくつかの「大いなる勘違い」のひとつとして触れられていますので、少し紹介しておきます。彼の結論は「情報のフィルタリングは教育でせよ」とのこと。事件が起きるとすぐに情報をすべてフィルタリングして子供たちから遠ざけようとするのは間違っていて、そんなことよりも見せても大丈夫な教育をすることが大切であると、昨日の私の意見とほぼ同じことを説いています。さらに彼は、大人がすぐにフィルタリングで“臭いモノに蓋”をしたがるのは、ネットやSNSや掲示板の何たるかを分かっていないからであり、「得体の知れないもの→妙なレッテルを貼る→確認せず蓋」は間違っていると述べています。全く同感ですね。
彼はこんなことも言っています。
そもそも掲示板サイトとか、学校裏サイトとか、利用している大半の人間は普通に交流を楽しんでいるのであって、悪用するのはごく一部。つまりまるでニューヨークのダウンタウンが、行ったこともない人間たちから「危険な場所」のレッテルを貼られているのと同じだと。しかも掲示板や裏サイトがイジメの温床であるかのような言われ方をされているのも、おかしい。イジメはネット・コミュニケーションが登場するずーっと前から存在する訳で、ネットばかりを目の敵にするのは得体が知れないからだとも。
本当にその通りであると思います。裏サイトでの書き込みが原因で自殺に至ったとかは確かに悲しい事件ですが、これをネットに責任転嫁をすることは間違っているのであって、むしろ小学生から若手社会人も含めた最近の若者たちが我々世代に比べて圧倒的に精神的にひ弱になっているという事実を、教育的見地からもっともっと考える必要があるように思えるのです。この点で私は個人的に、子供時代に外で遊ばなくなったことにこそその大きな原因があると感じています。すなわち我々の時代は、外で毎日近所の子供たちと集団で遊ぶことで「ガキ大将」も「ちょうちん持ち」も「使いッパシリ」もその中に自然と生まれてきて、知らず知らずに人間社会の構造や力関係、世渡りコミュニケーションなどを学ぶことができたのです。それがここ20年ぐらい、なくなって久しい訳で…。この経験の欠落こそが若者をひ弱にしていると思うのです。
さらにその原因は何かと言えば、偏差値教育の浸透と学校教育のレベル低下がもたらした、「お受験」「塾通い」が当たり前になってしまった“教育の常識”の変質にこそあると思います。外で遊ぶよりも「塾通い」という子供時代の生活が、社会経験不足のひ弱な若者を大量生産するといういう構図は、まさに日本の学校教育の地盤沈下がもたらした悲劇と言えるのではないでしょうか。そんな背景がありながら、世間では子供に対し石川県の携帯電話のような「臭いものには蓋」的“過保護”フィルタリングですから、益々ひ弱な若者を作りだすことに輪をかけてしまうに違いないのです。
今なすべきは、政治家や先生などの偉いオジサンもオバサンも、偉くない普通のお父さんお母さんも、西村氏が言うところの「得体の知れないもの→妙なレッテルを貼る→確認せず蓋」的なやり方は改めて、「得体の知れないもの」はまず自ら確認して本当の姿を知ること。その上で子供たちを「現実」から遠ざけるのではなく、「現実」に相対することができる教育を施す、常にそのやり方を忘れずに愚直に繰り返していくことこそが、未来を担う子供たちを“骨太”にする大切なポイントであると思うのです。
ちなみに本の採点は、10点満点で6点。前半だけなら面白く読めてタメにもなるので8点レベルなのに、後半の安易な“ページ稼ぎ対談”はどう見てもイカさないです。このあたりが、「扶桑社=フジ・サンケイ・グループ」たる所以という気がしますね。
本は「2ちゃんねる」創始者で現「ニコニコ動画」管理人の西村博之氏の最新刊、「僕が2ちゃねるを捨てた理由(扶桑社新書740円)」です。少々難しくなってきたと感じていた最近のネット事情に、少しはキャッチアップしておこうという目的で購入しました。前半は、クラウド・コンピューティングやWeb2.0に関する誤解の話に始まって、ネット広告の最新事情、さらにはネット、テレビ、新聞、雑誌をひっくるめたメディア論まで、口述筆記によりまとめられています。後半は、日本テレビの元「電波少年」名物プロデューサー土屋敏男氏とのメディア論対談です(この部分はかなり“埋め草”的です)。全体を通して眺めると、よくある基調講演とパネル・ディスカッションのセット・セミナーみたいな本ですが、一応最新のネット事情はおぼろにつかめる内容です。
昨日取り上げた子供向け情報フィルタリング(情報隔離)のあり方についても、本書冒頭でとりあげられるいくつかの「大いなる勘違い」のひとつとして触れられていますので、少し紹介しておきます。彼の結論は「情報のフィルタリングは教育でせよ」とのこと。事件が起きるとすぐに情報をすべてフィルタリングして子供たちから遠ざけようとするのは間違っていて、そんなことよりも見せても大丈夫な教育をすることが大切であると、昨日の私の意見とほぼ同じことを説いています。さらに彼は、大人がすぐにフィルタリングで“臭いモノに蓋”をしたがるのは、ネットやSNSや掲示板の何たるかを分かっていないからであり、「得体の知れないもの→妙なレッテルを貼る→確認せず蓋」は間違っていると述べています。全く同感ですね。
彼はこんなことも言っています。
そもそも掲示板サイトとか、学校裏サイトとか、利用している大半の人間は普通に交流を楽しんでいるのであって、悪用するのはごく一部。つまりまるでニューヨークのダウンタウンが、行ったこともない人間たちから「危険な場所」のレッテルを貼られているのと同じだと。しかも掲示板や裏サイトがイジメの温床であるかのような言われ方をされているのも、おかしい。イジメはネット・コミュニケーションが登場するずーっと前から存在する訳で、ネットばかりを目の敵にするのは得体が知れないからだとも。
本当にその通りであると思います。裏サイトでの書き込みが原因で自殺に至ったとかは確かに悲しい事件ですが、これをネットに責任転嫁をすることは間違っているのであって、むしろ小学生から若手社会人も含めた最近の若者たちが我々世代に比べて圧倒的に精神的にひ弱になっているという事実を、教育的見地からもっともっと考える必要があるように思えるのです。この点で私は個人的に、子供時代に外で遊ばなくなったことにこそその大きな原因があると感じています。すなわち我々の時代は、外で毎日近所の子供たちと集団で遊ぶことで「ガキ大将」も「ちょうちん持ち」も「使いッパシリ」もその中に自然と生まれてきて、知らず知らずに人間社会の構造や力関係、世渡りコミュニケーションなどを学ぶことができたのです。それがここ20年ぐらい、なくなって久しい訳で…。この経験の欠落こそが若者をひ弱にしていると思うのです。
さらにその原因は何かと言えば、偏差値教育の浸透と学校教育のレベル低下がもたらした、「お受験」「塾通い」が当たり前になってしまった“教育の常識”の変質にこそあると思います。外で遊ぶよりも「塾通い」という子供時代の生活が、社会経験不足のひ弱な若者を大量生産するといういう構図は、まさに日本の学校教育の地盤沈下がもたらした悲劇と言えるのではないでしょうか。そんな背景がありながら、世間では子供に対し石川県の携帯電話のような「臭いものには蓋」的“過保護”フィルタリングですから、益々ひ弱な若者を作りだすことに輪をかけてしまうに違いないのです。
今なすべきは、政治家や先生などの偉いオジサンもオバサンも、偉くない普通のお父さんお母さんも、西村氏が言うところの「得体の知れないもの→妙なレッテルを貼る→確認せず蓋」的なやり方は改めて、「得体の知れないもの」はまず自ら確認して本当の姿を知ること。その上で子供たちを「現実」から遠ざけるのではなく、「現実」に相対することができる教育を施す、常にそのやり方を忘れずに愚直に繰り返していくことこそが、未来を担う子供たちを“骨太”にする大切なポイントであると思うのです。
ちなみに本の採点は、10点満点で6点。前半だけなら面白く読めてタメにもなるので8点レベルなのに、後半の安易な“ページ稼ぎ対談”はどう見てもイカさないです。このあたりが、「扶桑社=フジ・サンケイ・グループ」たる所以という気がしますね。