日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

高崎線事故でまたぞろ噴出!JR顧客利便性無視の救えない企業体質

2016-03-17 | ニュース雑感
高崎線籠原駅での架線火事の影響で、一部不通、間引き運転、直通運転休止など、沿線住民は多大なる迷惑を被ってすでに3日となりました。熊谷在住、東京でビジネスという日常パターンの私も大変困っております。

そんな中、昨日上野で驚きのJR対応に遭遇しました。その日私は、熊谷からの往路は新幹線利用。熊谷→上野が振替輸送扱いで新幹線料金はタダ、大宮→上野は乗り越し扱いで860円を精算しました。

問題は復路です。上野から乗る時に「大宮→熊谷の振替輸送利用はどうすればいいのでしょう」と駅員に聞いたところ一度大宮で降りて改札出るか、上野-熊谷すべて正規料金でご利用くださいとのこと。「え?なんですかそれ」状態でした。往路でできることが復路でできないってちょっとありえないと思います。

「行きにできたことが、帰りにできない、っておかしくないですか」と尋ねてみても、あるいは「行きと同じようにここでとりあえず乗って、熊谷で上野―大宮間の精算をさせてくれればいいです」と提案してみても、駅員の対応は「決められているやり方以外、他の対応は一切できません」と言うのみ。

またぞろ出ました、JR体質です。利用者の立場でものを全く考えてないから、そして事故で迷惑をかけていても利用者に対して申し訳ないと心底思っていないからこういう 対応が平気でできるのでしょう、JRは。3.11の際の駅構内締め出し事件、東京駅記念Suica発売大混乱事件、全て根っこは一緒。過去に問題事象として世間を賑わせた大事件に対しても、何も反省はないから、何ひとつ教訓は生かされないのです。

企業の社会的責任という観点からも、今自社がどう対処すべきなのかということ自体まるで理解していないのです。今回の件はJR東日本の話ですが、先日JR東海で敗訴になった事件でも、企業の立場を踏まえた社会的責任を全く考えていない事象がありました。

認知症の老人が徘徊し線路内に立ち入って事故を起こした件について、遺族の管理責任を追求し電車の遅れ等に関する金銭的な賠償を求めたという裁判です。一審、二審はJR側の勝訴でしたが、最高裁の判決は一転被告側の勝訴。他人事ながら、本当によかったと安堵させられたものです。

私が申し上げたいのは、遺族側の管理責任の有無ではなく、そもそもなぜJRは訴えを起こしたのかという観点です。弱小企業が、本当に賠償をしてもらわなければ会社が立ち行かないと言うのならまだ納得性があるのですが、JR東海ともあろう企業が彼らにとっては「たかだか」と言える数百万円の賠償、一方遺族にとっては親を失った上に一家族にとっては十分多額と言える賠償請求です。なぜ、訴訟を起こす必要があったのかです。

もともと国営の日本を代表する企業が、高齢化社会の問題点、課題点をまさしくあぶりだしかような事件に対して、自社の経営に及ぼす影響が微々たるものであるにもかかわらず、訴訟を起こす、まったく自社の置かれた社会的責任を勘案した立場を理解していない行為としか言いようがありません(株主代表訴訟逃れ狙いとの話も一部にありますが、同社の社会的責任の観点から告訴しない理由説明をすれば十分納得は得られるかと思います)。個人的にはJRが訴えを起こした段階から、企業経営の観点、企業の社会的責任の観点から、強い批判に値する行為と感じていました。

企業の社会的責任とは、一定ラインまでは大企業でも中小企業でも、同様の責任を負う部分がありますが、それ以上の部分では企業の大きさや社会への影響力、公共性の有無などを勘案してより大きな観点から独自の社会的責任を認識し、全うすべきなのです。JRグループ企業は、毎度毎度不祥事や事件が起きるたびに本当に自社の社会的責任の認識がないと思わせられることばかりです。

話を戻して、今回の振替輸送の件です。公共交通機関を運営する企業として、自社に責任のある事故の影響で利用者に不便をかけているのなら、顧客利便性の確保を第一に考え最善の策を尽くし利用者に不便を感じさせない対応をするのが、JRとしての企業の社会的責任全うではないのでしょうか。今回の件であるべき対応を申し上げるなら、一部不通区間のある高崎-東京間を全て振替輸送扱いにし、往路、復路とも同じように不便を感じさせない対応をするべきではないでしょうか。

私の質問に、一点の曇りもない自信満々の顔で「会社で決められたことです」と返す駅員の、典型的官僚組織のひどく病んだ企業文化に毒された姿に同情さえ感じまし た。こんなポーズにしか思えない中途半端な振替輸送ならやらない方がましです。JRは企業の社会的責任を忘れ、顧客の立場、顧客の利便性をないがしろにしていることに、猛省すべきと申し上げます。

ベッキー問題で、サンミュージックを批判できない「ダメディア」のバカさ加減

2016-01-12 | 経営
タレントのベッキーの不倫報道とそのお詫び会見の話題が、先週来巷を賑わしています。

私の職業的見地からはベッキーが不倫をしようが略奪を企てようが、全くどうでもいいことでコメントをする立場にありませんが、気になったのは企業と商品の関係。すなわち、彼女の所属事務所サンミュージックと同社の売れ筋商品としてベッキーの関係から見て、メディアは本来どう報道すべきなのかという点です。

TVのコメンテーターや、ネット上でこの一件を報じるメディアの報道トーンを見るに、不倫そのものはともかく、ことこの会見に関しても質疑応答を拒否し一方的なメッセージを発しただけで終わりにした事を中心として、ベッキー自身が批判の核となっているように思えます。果たして批判されるべきはベッキーなのでしょうか。

ベッキーはあくまで一タレントという商品です。会見そのものが個人としてのベッキーが開いたものであるのなら、ベッキーに対して批判をすることは的を射ているのかもしれませんが、この会見を開いたのはあくまで所属事務所のサンミュージックです。

もちろん、一芸能人の不倫騒動などそもそも所属事務所が謝罪会見を開くほど重要性の高いことなのか、という議論もあるでしょう。普通であれば、タレントのプライベートでの色恋沙汰は本人の勝手であり、「プライベートは本人に任せています」の一言で事務所の手は離れるというのが常套でしょうから。しかし、今回は少しばかり状況が異なるのです。

問題を起こしたのが当該企業一の売れ筋商品、しかもその商品イメージでクライアント企業のイメージ向上に資するビジネスの契約を多数とっていたとなれば、商品のイメージダウンはすなわち商品価値の大幅な下落につながるわけですから。「プライベートは本人に任せています」では済まないのです。

すなわちベッキーは商品としての商品価値を大幅に下げかねない事件を起こし、商品販売元であるサンミュージックは商品価値の下落を最小限にとどめるべく会見に引っ張り出した。そして、商品ベッキーは用意されたコメントをしゃべらされ質疑応答はさせてもらえなかった、それが正しい理解ではないかと思うのです。

すなわち、ことこの会見に関してはベッキーを批判するのはお門違いであるということなのです。一応念の為、誤解を受けませんように申しあげておきますと、私自身はベッキーのファンでも関係者でもありません。彼女を擁護するつもりは毛頭ございませんので、悪しからずです。

となると評価対象とすべきは、企業の危機管理の観点からみたサンミュージックの対応のあり方であると思います。売れ筋商品に関する瑕疵発生という企業トラブル対応における危機管理、その基本に照らして同社の対応がどう評価できるかということです。

サンミュージックの対応ですが、不祥事発生の危機管理広報の基本事項「迅速」「正確」「包み隠さず」から見て、「迅速」は守られていたものの、「正確」「包み隠さず」に関しては全くなっていなかったと言わざるを得ないでしょう。

「正確」とは言いかえれば、「正確」な情報を提供することであり、ウソは論外です。雑誌の取材状況から見てどうみても「友達」ではない関係を、「友達」と言わせてしまったことは、原発事故で確固たる事実の積み上げで「漏れている」ことが確実であるのに「漏れていない」と平気でウソをつくのと一緒です。そんなことを平気で言うような早晩政権はつぶれてしまいます。すなわち本来ならそんなウソツキ会社はつぶれてしかるべきなのです。

「包み隠さず」に関してはさらに論外です。企業の不祥事会見において、「質疑応答はお受けできません」という条件を付すなどということは絶対にあり得ない対応です。質問拒否ですから、「包み隠さず」どころか「包み隠し」を堂々とやっているようなもの。通常の企業不祥事対応なら、叩かれるだけ叩かれてその挙げ句に市場からの退場を命ぜられるのがオチでしょう。企業筋はこれは絶対にマネしてはいけない危機管理広報であると、覚えておきたいところです。

これだけ常識外の不祥事広報を繰り広げたサンミュージックですが、なぜに大きな責めを負わないのでしょう。本当に不思議です。メディアが大手芸能プロダクションである同社の報復措置を恐れて、必要以上に責めないと言う暗黙の了解があるからなのでしょうか。ベッキーは不憫なものです。自分がまいた種とは言いながら、事務所の都合で中途半端な会見を開かされてしまい、本人だけが矢面に立たされることで必要以上に責めを負う羽目になってしまっているように思えます。

広報対応の責任は所属事務所であるサンミュージックにこそあり、この一件を報じているメディアは同社の対応のまずさをしっかりと指摘すべきであると思います。報道メディアが昨年、東芝や、旭化成建材の広報対応のまずさを指摘し、危機管理広報のあり方を世間に知らしめたのと同じようにです。TVを含めた芸能メディアがもし、事務所の報復を恐れてサンミュージックへの正しい批判ができないのなら、今更ではありますが、彼らのメディアとしての価値はゼロに等しいのです。

見るに堪えない三井住友VS旭化成の責任なすり合い

2015-12-07 | 経営
個人間にしろ企業間にしろ、お互いのコミュニケーションの悪さというものが表に晒される時、それがどれほど当事者双方にとってマイナス・イメージになるものなのか、当事者が実感を持って考える機会というのはあまりないのかもしれません。

個人間でコミュニケーションの欠如が原因で訴訟になり、時間をかけて問題が繰り返し報道され、どちらが正しいのかはともかく双方にとってボディーブロー的に悪い印象が定着してしまうということはこれまでもよくありました。最近の例をあげれば、某女優兼歌手と演劇プロデューサーの、舞台ドタキャンを巡る泥沼訴訟。長引けば長引くほど、どちらにもマイナスに働くのは当然。爆弾抱えた人と仕事なんかしたくないのが世の常ですから。

世間知らずお山の大将を気取る芸能関係者同士が、面と向かってコミュニケーションをとらず、お互いにメディアという濁った伝言役を通じて口論を続け、泥沼状態にはまってしまうと言うのはまだ分かります。しかし、れっきとした日本を代表するような大手企業同士が、同じようにメディアを通じて「お前が悪い!」「いや悪いのはお前だ!」と言い合っていると言うのはあまりにも見てくれの悪い光景です。

御存じ、横浜市の傾斜マンションの問題を巡る、建設元請け三井住友建設と杭打ち下請けである旭化成建材のお話です。当初の会見の段階から、お互いに責任をなすり合うかのような物言いがあり、聞いているこちらが「なんでバラバラに会見して、お互いを否定するような物言いをするのか」と思ったものですが、その後はさらにエスカレート。

三井住友はデータ改ざんが明らかになっている旭化成の施工ミスが原因と主張し、杭は支持層に届いていたとする旭化成は三井住友の設計ミスを指摘して、両社一歩も譲らない。それがメディアを通じて相手を非難するような表現でお互いの主張がおもしろおかしく展開されるが故に、余計に始末が悪い。遂には国会で、「責任をなすり合うみにくい業界体質」とまで糾弾されるに至りました。確かにこれでは子供の喧嘩です。子供の喧嘩でもそうですが、どちらかが一方的に悪いなんてことはごく稀で、たいていはどちらにもそれなりの非があるわけでしょう。

ならばなぜ、初めの段階から水面下でしっかりと話し合って共同で会見を開くなり、外に見苦しい責任のなすり合いを見せるようなことを避けようと思わなかったのでしょうか。責任の一端は、マンション建築の施主である三井不動産レジデンシャルにもあると思います。住民との接点を司るのは同社であり、メディアを通じて展開される責任のなすり合いを住民が見ていい気分がしないのは当然の事。住民感情を第一に考えるのなら、施主である同社がリーダーシップをもって、見苦しいイザコザを外に見せないようにするのがあるべき対応なのではないでしょうか。

STAP細胞騒動の時にも同じことを申しあげました。関係者が関係者間でしっかりと話し合いを持つことなく、バラバラな状態で会見を開いたりコメントを出したりすれば、単にメディアの餌になっていじりったけいじられ、関係者すべてにとってマイナス・イメージだけが増幅される、それは間違いのない結末なのです。実にバカらしいことですが、これによるイメージダウンは必至。企業ブランドや企業イメージはことごとく黒く塗られることになるでしょう。

大きな大企業間で長年にわたる取引があろうとも、こんなにもコミュニケーションがとれないものなのでしょうか。もっと言えば、こんなことをしていたら、どんどん企業イメージが悪くなっていくと、どうして関係者は気が付かないのでしょう。建設業界の「みにくい業界体質」は、まさにご指摘通りなのかもしれないと思うにつけ、業界の風土洗浄なくして再発防止はあり得ないと、改めて思わせる次第です。

旭化成建材の施工物件を知ることより、ザル管理の業界風土を正すことの方が重要と思う件

2015-10-24 | ニュース雑感
横浜市のマンション工事を巡って、関係企業の対応が大問題になっています。

マンションに傾きが出た原因が、下請け業者の基礎杭打ちの甘さにあったことが発覚し、かつこの業者の現場担当が虚偽の報告をしていたということが明るみに出て一気に問題は大きくなりました。しかも、この杭打ちを担当した業者が日本を代表するような大手企業旭化成の子会社であったと言う点が、さらに火に油を注いだように思います。

先日その渦中の業者、旭化成建材が過去10年間に同様の工事を担当した物件の県別件数と住宅、その他の内訳、当該担当者が担当した物件数などを公表し、記者会見しました。大方の評価傾向としては、具体的なマンション名をまでは公表しなかったということで、「中途半端」「かえって不安を煽っただけ」などと、手厳しいものが目立っています。

私自身もマンション所有者のはしくれでありますが、個人的には「知ったところでどうなるの」というのが率直な感想であります。もちろんこれが、マンションが完全に崩壊したとか、横倒しになった、とかいう話であれば穏やかではない感じはあるのですが、現段階ではその可能性は否定できないまでも、現実にはズレ発生とかのレベルです。

もちろん許されることではないですし、住民当事者から「どうしてくれる」「安全な形に修繕しろ」「建て替えろ」という要求が出されるのは、至極当然の流れではあると思います。しかし、現時点で何の問題も生じてなくこれまで何の疑問も持たずに自身のマンションに住んでいる人間が、たまたまニュースで耳にした欠陥マンションの存在を知ったからと言って、自分のマンションの施工が旭化成建材であるか否かを知って何の得があるのかと思うわけです。健康被害にすぐに直結するアスベスト使用の問題等とは状況が違うと思うのです。

少なくとも私個人はそれを知る必要はないと思っています。なぜなら、この問題は旭化成建材特有の問題だとは思っていないからです。ではどこの問題か。建設業界全体の文化の問題であると思うのです。もっとハッキリ申し上げるなら、旭化成建材が施工しているかいないかは大した問題じゃない。どの業者が基礎作業をしていようと、同じようなリスクはあると思うのです。

随分なことを言うじゃないかと思われるかもしれませんが、私は建設業界の業務モラルに関してはほとんど信用していないのです。なぜなら、若い頃の話ですが、某大手ゼネコンに就職した大学時代の先輩が酒の席で、「建設業界のザル管理」について就職してみて本当にビックリしたという具体的な話の数々を聞いているからです。それによって信じられないほどモラルに欠けた業界であると感じさせられて以来、下請け、孫請け丸投げが当たり前で元請けの管理に多くは期待できない、すなわち何があっても驚けないとアタマに刻み込まれて消えないからです。

もちろんその話は30年も前の大昔の話ではあります。もしかすると、多少盛られた話だったのかもしれません。しかし、銀行員としてその後も取引先である建設関連企業の仕事ぶりを見聞きさせていただく中で、「なるほど、あの時先輩が言っていたことはこういうことか」と妙に納得させられる場面にも何度も出くわし、その印象は一層強く刻み込まれてしまってもいるのです。もちろん、私が管理の権化とも言える銀行業界の出身であり、自身が属していた職場の管理の概念とのあまりの違いに驚いたと言うことが最大の要因でもあるのですが。

結論を申し上げれば、今回の件は、ザル管理を問題視してこなかった業界の風土にこそ問題があるように思うのです。すなわち施工業者に関わりなく起こり得る問題であると。銀行界には出来て、建設業界には出来ていない厳正な管理姿勢。その大元の責任は、この風土を長年見過ごしてきた監督官庁の指導にも落ち度があったのではないかと思うのです(銀行が古くから厳正な業務管理をしてこられた最大の理由は、旧大蔵省による厳しい行政指導、管理があったからに他なりません)。

今回の問題は、すべての関係業者の管理の甘さが度重なって起きた複数ザル管理の結果です。杭打ちを担当した旭化成建材、元請けの三井住友建設、発注主である三井不動産レジデンシャル、そのいずれかの管理が現場任せ、他人任せでなく、自らの責任と意思で管理を実行していたのなら、必ず防げた問題であると思うのです。少なくとも、相互けん制、初監をあてにしない複数チェック体制を基本とする銀行界の管理では絶対に起こり得ないことだと断言できます。

大手系企業が集まって行った工事がこの体たらくなのですから、他の事例は推して知るべしであることは間違いありません。監督官庁である国土交通省は国としての管理責任を認識して、業界風土を根本から正すような法的義務付けを伴う管理手法を導入する等、厳正な業者指導を早急に導入するべきであると思います。国交省は厳正管理の指導法が分からないのなら、金融庁に教えを請うてでもこの機会にしっかりとおこなわなくてはいけません。これをやらなければ、同じような事例は今後いくらでも発生しうるでしょうし、今でも既に見えないところで起きていることは確実なのですから。

最後に我々マンション所有者はどうするべきなのか。基本的にどうしても安心したいのならば、どの業者が施工しているかに関係なく、住民組合として施工主に調査の依頼をかけ調査・確認させるべきでしょう。がしかし、それをしたところでもし何か手抜き工事が分かってもどうすることもできないというケースの方が多いのだと思います。今回のようなすべて大手グループで施工をしたような物件を除いては、業者の体力からみて今さらどうにもできないというケースの方が圧倒的に多いでしょうから。だからこそ、知る必要はないのです。

友人の医師に「そろそろ良い歳だし、予防的見地から脳腫瘍の有無を調べてもらうような脳の検診をしようと思うのだが」と相談したところ、「やめたほうがいい」と言われました。その理由は、「仮に小さな脳腫瘍が見つかったとして、外科的手術でそれを取り除くにはリスクが大きすぎる。今生活をしていて慢性的に頭が痛いとかの自覚症状がないのなら、何か悪いものの存在が分かることで平穏な精神状態が乱され、余計な心配でかえって生活や体を壊すリスクの方が大きい」というものです。

マンションの欠陥も同じはないかと。業界的ザル管理が横行しているとするなら、調査により何かが見つかる可能性はかなりあり、ただ今住んでいて不具合を感じていないなら余計な心配事や揉め事を増やすだけで何の得もないのかもしれません。明日突然住んでいるマンションが崩壊したらどうするのだ、と言う方もいるかもしれませんが、その確率は野球で9人連続ホームランが出る確率よりも低いでしょう。大地震が来たら?それは運が悪かったとしか言いようがありません。

建設業界における監理不在と言う伝統的業界風土が改まらない限り、見掛け上健全そうなどのマンションにも同じような確率で悲劇は起こり得るのです。運が悪かったと思うしかない、現時点ではそうとしか言いようがないことだと思うのです。業界の風土改革、それが進まない限りにおいては。

社員を変えたければ自分をまず変えよ~J-CASTさん拙連載更新されました

2015-09-04 | 経営
J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました。

★「社員を総入れ替えしたい」とぼやく社長 実は問題なのは自分自身では?

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2015/09/02244112.html...

佐野氏の対応に学ぶ「他山の石」総括~「逃げ」と「怒」の広報は自滅を招く

2015-09-03 | 経営
オリンピックのエンブレム問題に一応の決着が出ました。かれこれ2回、当事者である佐野研二郎氏の広報対応の問題点を「他山の石」として取り上げてまいりましたので、一応この問題に関する私なりの総括をしておきたいと思います。

これまでは佐野氏の危機管理広報対応という視点でのみ意見を書いてきたのですが、今回は総括なので少し視点を広げてみようと思います。と言うのは、佐野氏の広報対応はあらゆる面でお粗末なものであり、それが結果墓穴を掘ることになったわけなのですが、そもそもの問題点で申し上げれば、彼は一「被害者」であるということは言っておく必要があると思うからです。

「被害者」と言うのは、彼がエンブレム取り下げ後に出したメッセージで言っている「メディア攻撃の被害者」という意味ではありません。私が申し上げる「被害者」は、大手広告代理店文化の「被害者」ということです。この点はしっかりと業界として検証、改善をしていただきたく、あえて申し上げるものです。

大手広告代理店文化とはどういう文化なのかと言えば、すなわちこれこそがパクリ文化、パチモン文化です。私はこの問題が発覚し、それに続いてサントリーのトートバッグをはじめ、またぞろパクリ疑惑が噴出した時に「やっぱりね」と思いました。もう少ししっかり言うなら、「やっぱり電博出身だからね」ということです。

私もその昔、上場企業で宣伝広告部門を担当し、多くの大手代理店クリエイティブの皆さまとお付き合いをさせていただきました。まだまだネットは出始めの時代であり、今ほどあらゆるデザインがそこから手に入る時代ではありませんでしたが、彼らが出してくるポスターなどのラフ案数案は、必ずと言っていいほど「元ネタ」があるものでした。

なぜ「元ネタ」があることを知ったかと言えば、彼らと酒の席を共にした際に、私の「よく毎度毎度、いろいろなデザイン案を考えられますね」という感想に対して、彼らの一人が「実は元ネタがあるんですよ」「そんな毎度毎度オリジナルアイデアなんて考えて出ませんよ」「どこのデザイナーも基本は同じ。他社のラフを見せていただければ、あー元ネタはあれだなとだいたい見当がつきます」…、などという暴露話を聞かせてくれたのです。

私はその話を覚えていて、彼らの職場を訪問した際にどうやって「元ネタ」を拾い、パクリのラフを作るのかも見せてもらいました。もちろん、著作権にも触れる恐れがあるとの懸念から、「このやり方は大丈夫なのか」と尋ねたのですが、彼の答えは「大丈夫。広告媒体で訴えられたなんて聞いたことないです。国内の有名な広告だって、だいたいが海外の広告のパクリです。そんなことでいちいち訴えたり、訴えられたりしていたら、僕らの商売は成り立たないですよ」と言うものだったのです。

もちろん既にその一件から15年ほどの月日が立っていますから、その間の日本におけるコンプラ事情の変化を勘案すれば、当時と全く同じ状況であるとは思いません。しかし私の商売柄からは、組織風土、組織文化と言うものはそう簡単には変えられない、ということが確実に言えるわけで、そんな判断から今回の件を「やっぱりね」と思ったわけなのです。

広告代理店と言う業界の常識が果たして、一般の常識に叶っているのか否か。特に著作権をはじめとした知的財産権に関する考え方については、今後同じような「被害者」を生み出さないためにも、今一度各社はモノづくり現場の組織風土、組織分化を再確認する必要があると強く思うところです。

このように、佐野氏自身は業界文化の被害者に過ぎないという側面はあるのですが、これまでも申し上げてきたとおり、不祥事発生時における危機管理広報対応のまずさが自身の首を絞めたことは否めません。エンブレム取り下げ後のメッセージにおいても広報対応としての問題点は山積みであり、この点を今一度検証しておきます。

まずは二か所あるお詫び部分から。
「しかしながら、エンブレムのデザイン以外の私の仕事において不手際があり、謝罪致しました。この件については、一切の責任は自分にあります。改めて御迷惑をかけてしまったアーティストや皆様に深くお詫びいたします。」
「図らずもご迷惑をおかけしてしまった多くの方々、そして組織委員会の皆様、審査委員会の皆様、関係各所の皆様には深くお詫び申し上げる次第です。」

最初の引用部分から分かることは、今後のこともあってエンブレムの模倣を認め謝罪できないのはやむを得ないとしても、作品模倣や無断使用に関して謝っているのはサントリーの件のみです。指摘を受け自身も認めた、空港の展開例等の明らかな無断使用は謝らなくてはいけないハズです。

ふたつ目の引用部分はさらに問題でしょう。御自身の度重なる不手際によりエンブレム使用中止と言う事態に至り、世間を騒がせたこと、東京オリンピックのイメージを著しく傷つけたことについては国民に対してしっかりと謝罪すべきなのですが、彼が謝っているのは関係者に対してのみ。これでは火に油です。

そして取り下げ理由を述べた以下の部分。少し長いですがそのまま引用します。
「その後は、残念ながら一部のメディアで悪しきイメージが増幅され、私の他の作品についても、あたかも全てが何かの模倣だと報じられ、話題となりさらには作ったこともないデザインにまで、佐野研二郎の盗作作品となって世に紹介されてしまう程の騒動に発展してしまいました。
自宅や実家、事務所にメディアの取材が昼夜、休日問わず来ています。事実関係の確認がなされないまま断片的に、報道されることもしばしばありました。
また、私個人の会社のメールアドレスがネット上で話題にされ、様々なオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗中傷のメールが送られ、記憶にないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが届きます。自分のみならず、家族や無関係の親族の写真もネット上にさらされるなどのプライバシー侵害 もあり、異常な状況が今も続いています。
今の状況はコンペに参加した当時の自分の思いとは、全く別の方向に向かってしまいました。もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました。
組織委員会の皆様、審査委員会、制作者である私自身とで協議をする中、オリンピック・パラリンピックを成功させたいとひとえに祈念する気持ちに変わりが ない旨を再度皆様にお伝えしました。また、このような騒動や私自身や作品への疑義に対して繰り返される批判やバッシングから、家族やスタッフを守る為に も、もうこれ以上今の状況を続けることは難しいと判断し、今回の取り下げに関して私自身も決断致しました。」

これは、「怒」の広報と言って危機管理広報において一番やってはいけない対応です。講演先の京都で報道陣に広報担当の佐野夫人が逆ギレしたという報道がありましたが、まさしく同じノリです。メディアに対する「怒」の広報は、敵を増やすだけであり確実に破滅に導く広報なのです。不祥事対応においてはどんなに理不尽な取材を受けようとも、それはある意味身から出た錆なのであり、「メディア=国民の代表」という意識を持った対応を忘れてはいけないのです。行き過ぎたメディア取材や心ない人たちへのクレームもそれはそれで理解できますが、まずは自身のお詫びありきであることを忘れてはいけません。

現実に危機管理広報で、メディア取材に対して逆ギレで破たんした例と言えば、雪印乳業社長の「私は寝てないんだ!」、焼肉えびす社長の「法律で普通の生肉をユッケで出すのをすべて禁止して欲しい!」という発言があります。いずれも、この発言が世間の大きな批判を買い彼らは程なく破綻しました。今回の感情的なコメントは、文書でこそあれそれに匹敵する「怒」レベルであると言ってもいいと思います。

次に佐野氏はどう対処すればよかったのか考えてみましょう。
まず何よりも続々登場する疑惑について単独で会見を開かず、ネットでの一方的なコメントで済ませていたことは危機管理広報対応として最もまずかった点でしょう。少なくとも、サントリーのトートバッグの件で明らかな無断トレース利用を認めた段階では、メディアと向き合いしっかりと自分の言葉で説明、謝罪をするべきだったと思います。

実際にこれを機に、メディア=国民の佐野批判の声は一層大きくなり、それまでは佐野擁護派であった同業者などからも批判の声が聞かれるようになりました。明らかに、ここがターニングポイントでありました。また余談ですが、オリンピック組織委員会はこの段階でエンブレム取り下げを決めるのが妥当だったのではないかと思います。結局、都合の悪いことに対しては一切会見をしなかった佐野氏は、この後益々追い込まれていくようになったわけです。

不祥事会見は嫌なものです。何をどう突っ込まれるか不安が先立ち、怖いと言う感情から逃げたくなるのも分かります。でもそこで逃げたら終わりなのです。アカウンタビリティ=説明責任は、社会性を帯びた不祥事の当事者になった際には、それまで自身が社会的にどういう存在であっても自動的に発生するものであり、これを無視あるいは逃れようとするならより大きなダメージを被ることになるということは、覚えておかなくてはいけない危機管理広報の基本でもあるのです。

最後に今後のあるべきですが、ご本人が本当に疑惑を晴らし今後の御自身のデザイナーとしての道筋に国民の理解を得つつ進まれたいと思われるのなら、まずは国民に対して直接自身の言葉で、世間を騒がせたこと、東京オリンピックのイメージを著しく傷つけたことについて謝罪をすべきでしょう。その上で、すべての疑惑について作り手の立場からの言い分を、洗いざらい話をすることが大切かと思います。不祥事発生時において、利用者、消費者あるいは国民の理解と納得を得られるか否かは当事者自身による誠意ある対応にかかっている、これもまた危機管理広報対応のセオリーであるのです。

結論として、佐野氏の広報対応に学ぶ最終的な「他山の石」は、「逃げの広報はマイナスにしなからない」「『怒』の広報は破綻へと導く」、この2点に尽きると思っています。

営業は月末一夜漬け型からの脱却管理が肝心~J-CASTさん拙連載更新されました

2015-08-26 | 経営
J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました。

★営業管理ができていない社長 だから社員が育たない

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http://www.j-cast.com/kaisha/2015/08/26243369.html

営業教育は「見せる」が一番!~J-CASTさん拙連載更新されました

2015-08-20 | 経営
J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました。

★営業は「教える」ものではない 「背中で見せる」の重要性

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2015/08/19242909.html

続「佐野氏の対応に学ぶ“他山の石”」~広報対応のまずさは雪印、船場吉兆並みか

2015-08-19 | ニュース雑感
オリンピックエンブレムの模倣問題の渦中にあるデザイナー佐野研二郎氏については、その広報対応的観点からの問題点を前回取り上げさせていただきましたが、その後も氏の事務所を含めた対応のまずさが続々露呈しております。企業の不祥事対応に役立つであろうその後の「他山の石」を拾っておきましょう。
★前回エントリ
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/6caf9c71735b2a1541a7c216a904a9fb

前回のエントリの後に出てきたのが、サントリーのキャンペーンエコバックのデザイン盗用疑惑。この問題が発覚した時の「広報」担当である佐野夫人の対応がひどかった。
「確かにトートバッグのデザインを監修したのは佐野です。しかし、細かい実務を担っていたのは何人かの"部下"です。その部下たちの話を聞いた上でないと、返答はできません。今は事務所が夏季休暇に入っているので、調査にもう少し時間がかかります。そもそも、ゼロベースからデザインを作り出すことは一般的ではありません。あくまで一般論ですが、どこかで見たデザインから無意識に着想を得ることは、珍しいことではありません」

まず第一に、不祥事発生時の広報対応として「事務所が夏季休暇に入っている」はあり得ない回答です。事務所が休みであろうとなかろうと、盗用疑惑の当事者としては速やかに調査して回答するのが広報対応の基本ルールです。時間的引き延ばしをすればするほど、メディアの「書き得」状況を作りだすだけであり、何の得にもなりません。

さらに、「デザインを監修したのは佐野です。しかし、細かい実務を担っていたのは何人かの"部下"です」の発言。事実関係が分からないと言っている前に他人のせいです。これは、メディアおよび報道を目にした一般人の心証をも著しく損ねる発言です。不祥事会見で、「この不祥事をどう考えているのだ」と突っ込まれた社長が、「私のせいじゃありません、悪いのはミスした担当者です」と言っているようなもの。先生に怒られた子供が、友達のせいになすりつけて責任逃れしているのとなんら変わらないでしょう。

それと、「ゼロベースからデザインを作り出すことは一般的ではありません。あくまで一般論ですが、どこかで見たデザインから無意識に着想を得ることは、珍しいことではありません」の部分。事実確認事項を何も提示することのない段階で、話し手のしかも当時者本人でない人間からの言い逃れとも取れる主観的な物言いは、取材側の心証を損ねる以外の何ものもないということも抑えておく必要があると思います。

この後、佐野氏側はトートバックの疑惑デザイン8種を取り下げ、HPに謝罪と説明のコメントを掲載しました。
内容は一応謝罪こそしてないるもののあくまで監修者責任としてのそれにとどまり、「広報担当」のコメントをなぞるようなもので「部下のせい」がありありでした。「このトートバックは部下に任せたからこんなことになったけど、オリンピックエンブレムは佐野個人が手掛けているので問題ない」という物言いに受け取れ、完全に責任転嫁を自己の正当性説明に利用すると言う、まさに「部下を売る」かのような論理展開。火に油以外の何ものでもないわけです。
http://www.mr-design.jp/

現実に、このコメント公表以降メディア、ウェブでの佐野攻撃は一層激しさを増しました。広報が口頭で対応したそれに対するメディアの反応をなぜコメントを出す段階で活かせなかったのか、全く未熟な広報対応であると言わざるを得ないと思います。それと、疑惑を認めて一部デザインを下げたと言う状況下において、なぜ本人が直接会見しないのかです。ここで会見をしないでいつするのか、です。さらなる「書き得」状況になるのは明らかなのですから。全く広報対応が見えていないとしか言いようがありません。

さらにさらに昨日、京都の講演会に現れた佐野氏。本人はマスコミを完全無視。写真撮影も拒否した上で、またもや広報担当(報道によればこれも佐野夫人)が、「(東京五輪公式)エンブレムは辞退するべきでは?」との質問に対して、「1個ミスしたらすべてダメになるんですか? エンブレムの制作過程に何か問題があるのですか?」とまくし立てたという、“逆ギレ”までしてしまったという最悪の対応をしています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150818-00000119-sph-soci

会見をしないから追い掛けられるわけで、追い掛けられたくないのなら一刻も早く会見を開いてあらゆる疑問に正面から答える以外にないのです。写真撮影拒否に“逆ギレ”というのは、何が最悪かと言えば直接取材をしたメディア担当者だけでなくその先にいる読者の敵対心を煽る行為であり、取材対応への“逆ギレ”が国民感情を逆なでし最終的に破たんへの道を歩ませた例は雪印事件をはじめ数多くの実例が存在するからです。“逆ギレ”だけは絶対にやってはいけない、広報対応であると強く申し上げおきたいと思います(メディアは往々にして“逆ギレ”を誘発するような質問をしますが、絶対に乗ってはいけません)。

メディア無視、部下への責任転嫁、逆ギレ‥一連の佐野氏関連の広報対応は稀に見るまずさであり、現状の佐野ご夫妻の対応は先に挙げた雪印乳業社長や船場吉兆おかみ等と並ぶ、最悪不祥事広報対応の殿堂入り相当の「他山の石」であると思う次第であります。もうここまで来てしまうと挽回は不可能でしょう。企業の広報担当の皆さま、不祥事広報の悪い例としてしっかりと勉強材料にしていただきたいと思います。

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2015-08-12 | 経営
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