日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ65~すぐに使える「見える化」のヒント7★「レビュー」のすすめ

2009-07-30 | 経営
「見える化」の中でも重要なものに、(「結果(経過)の見える化」+「評価の見える化」)→「レビュー」があります。一般に「レビュー」とは批評や検証を行う作業のことで、企業内プロジェクト(業務遂行はすべてプロジェクトと位置付けます)の進行過程においては、上位者が下位者の作成した成果物を確認し修正指示や承認を与える作業のことをこう呼んでいます。

中小企業において『「レビュー」を徹底しよう!』などと言うとなにやら難しげでありますが、要は「指示事項の経過確認と評価」のことです。中小企業によく見られるのが、年度初めや期初には社長が威勢よく「○○部は目標××を達成のこと!」「▲▲部は、今期△△を必ず構築すること!」等を、目標として掲げ各部門にミッションを与えてはみるものの、その途中の過程においてチェックを怠り期末近くになって「目標にいかないのか!何をやっていたんだ!」とカリカリしまくるなどという光景です。さすがに計数目標は覚えているものの、それ以外の目標は言いっぱなしですべて忘れてしまう、なんて言うひどいケースも間々あります。これでは、いつまでたっても企業の成長は望めないのです。

中小企業の経営者は、「レビュー」こそ自分のもっとも大切な業務であると心得てください。すなわち、部下には期初に言い渡した目標に対する定期的な「報告」を義務付けることで「経過の見える化」をはかり、それを受けて経営として明確な方針継続指示OR修正指示等「評価の見える化」をする訳です。部下に報告を義務付けるだけでは、“一方通行”の「見える化」に過ぎませんから必ず経営者としての「評価」とそれに伴う「指示」を明確におこない、“双方向”での「見える化」を徹底することがポイントです。結果が思わしくない時に「ダメじゃないか」「なんとかしろ」とだけ言うのでは、「指示の見える化」になっていません。具体的な行動につながる「何をどうしろ」なり「原因の究明と対応策の検討」なりを明確に発することこそ経営者の任務であり、それがあってはじめて「指示の見える化」がはかれるのです。

これは、このコーナーでも以前取り上げている「PDCAサイクル」における最重要ポイント、「C=チェック」の実践に他なりません。「PDCAサイクル」は、有効な「C」があってはじめて新たな「A=アクション」につなげることができ、企業としての進展、成長が実現できるのです。「PDCAサイクル」において「C」が存在しないならそれに続く「A」は永久にあり得えません。そうなれば企業の業務は常に「P」→「D」の繰り返しに他ならず、言ってみれば行き当たりばったりの「計画」→「実践」の反復のみであり、そこからは企業にとって有益なものは何も生まれえないのです。

企業において社長は常に「指示・命令」の出し手であり、その「指示・命令」を受けた部下には「報告」の義務が発生します。「指示・命令」はそれをすれば任務完了と思っている方は大きな間違いです。しっかり「報告」の有無を管理すること、さらにその「報告」を「評価」し必要に応じて追加あるいは修正の「指示」を出すところまでおこなってはじめて、「指示・命令」が完結する訳です。ご自身は「PDCAサイクル」の「C」、すなわち「チェック」役として「評価」の「見える化」をすることこそ大変重要な役割であるとご認識いただきたく思います。「報告」は聞いて終わりではない、「レビュー」=「経過」を受けた「評価」+「指示」こそが重要なのです。

最後に「レビュー」の実施サイクルですが、通常は月次での「レビュー」を基本にして、3カ月ごとには通常月以上に入念な「レビュー」をおこないます。大幅な変更方針は「月次レビュー」では極力避け、「3カ月レビュー」まで待つようにします。いくら実績が振るわなくても、毎月毎月大幅な方針変更指示を繰り返していては、担当のモラール・ダウンにつながってしまうからです。同時に、毎月「チェック」をかけながら3か月単位での部下の自主管理能力を育てる、という意味あいも含んでのことです。社長が毎月、毎月カッカしすぎず、部下に対して「我慢の見える化」をしていくことは、人材を育てる隠れたポイントでもあるのです。

中田横浜市長は「政治家」の基本に立ち返れ!

2009-07-28 | ニュース雑感
横浜市の中田市長が突然辞任を表明しました。

今朝の段階では、「2010年4月に任期を迎える三選には出馬しない」との意向で会見がおこなわれる模様との話であったはずですが、それがなんでいきなり辞任なのか何が何だかよく分からない展開に…。こちらも混乱をさせられてしまいました。「税収より借金が多いこの国に、残された時間は長くないと深刻に考えている。『国滅びて地方なし』を実感し、国民運動をつくり政治を刷新していくためのエネルギーを注いでいきたい。国民会議に全力を注いでやっていきたい」というのが辞任の理由だそうですが、問題はなぜ任期途中の今なのか、です。

「衆院選に出るから辞めるのではなく、解散を念頭に市長選を衆院選と一緒にやった方がいいと判断した。同日選にすることで10億円節減できる」との話ですが、いくら市の財政再建を大きなテーマとして掲げているからと言って、自らの辞任によって衆院選とのダブル選挙となることで選挙費用を削減したり投票率を上げたりというのは、全くの本末転倒。自らの責任放棄についてのゴマカシ以外の何物でもありません。国の再建への志を前面に「財政再建にメドが立った」と自らの実績を掲げ、辞任に対する理解を求めたようですが、全くの詭弁ではないでしょうか。

東国原宮崎県知事の“国政鞍替え騒ぎ”の件と全く同じですが、まずは自らの任期を全うすることが、自身を選んでくれた有権者に対する責任全うの最低条件であると思います。それが他の職業とは違う政治家というものであり、自身の身勝手な言い訳を並べる前に、選挙で選ばれたということの重みを理解し分別ある行動を選択できなかったことは、彼が政治家として未熟であることに他なりません。松下政経塾出身の彼の政治的手腕やパフォーマンスは“優秀”であったのかもしれませんが、いくらきれいごとを並べとようと、政治家としてそれ以前に守るべきことを理解せず個人的欲望に押し切られる結果に至ったことは、44歳の彼はやはり“若い”と言わざるを得ないと思いました。

いずれにしましても、今日の会見内容は自己の欲望のおもむくままの勝手な行動を正統化しただけのものに過ぎず、市民に対する説明は何らなされていないということを理解し、政治家として自身を選んでくれた有権者に向け、改めてしっかりとした説明をするべきであると思います。日本がどうとか国政がどうとか言う前に、自身今の行動が国民のさらなる政治家不信のタネになることである点を十分に認識し、政治家としての基本に立ち返って今一度自身を省みた上で今後の行動を熟考すべきでしょう。総選挙前のこのタイミングで、実に残念なNEWSでありました。

自民VS民主“バラマキ合戦”?

2009-07-27 | ニュース雑感
民主党が選挙に向けたマニフェストを公表したそうです。まだ内容を十分に読んでおりませんので、細かい話は別の機会に譲りますが関連で少々…

公表以前から同党の選挙向け施策の目玉とされているのが、「子ども手当」の支給。なんでも中学卒業までの子供1人当たりで、月額2万6千円をその家庭に支給するそうです。まぁ確かに小さなお子さんのいらっしゃるご家庭にはありがたいご配慮なのかもしれませんが、どうも“金で釣る”という意図が見え見えで感心しませんね。しかも、どうやらその財源の一部が「配偶者控除」や「扶養控除」の廃止によるものとのことで、政府として誰を中心として所得の再分配をしていくのかという“大きな政府”的考え方の下での施策であり、マスコミの取り上げ方もあるにはあるのですが、これがマニフェストの目玉というのはちと時代錯誤な感じがしております。

民主党に輪をかけてお粗末だったのは、昨日テレビに出てこの「子ども手当」戦略に焦った自民党石原伸晃代議士。「幼稚園と保育園の無償化を4年以内にしっかりと作らせていただきたい」と発言をなさったそうで、「月2万6千円よりこっちの方が得!」と民主党の「子育て世帯囲い込み戦略」への対抗意識見え見えの、“ボケ施策”披露だった訳です。これじゃまさに、“バラマキ合戦”。こちらの財源は消費税増税だそうで、あれっ?自民党の消費税増税目的は年金福祉財源じゃなかったっけか、とこれまたやや首をかしげたくもなる展開なのです。

このやりとりには、一時代前の銀行のボーナス・キャンペーンを思い出されられます。私が銀行の本部にいて、シーズン・キャンペーン等を企画立案していた10年ちょっと前、銀行各行は「ボーナス・シーズンに定期預金を○○円以上おつくり頂いた方には、もれなく××プレゼント!」とか言って、絵皿とかクール・ポットとかキャラクター・グッズとかを“餌”に、預金獲得運動をしていたものです。要は利ザヤの一部を「景品」でお客さまに返してた訳で、「こりゃ変だぞ」とその後自由化が一層進んでいく中では「景品」ではなく「商品性」で勝負をする時代に移り変わっていったのです。今時は、信用金庫でも「景品」でボーナス・キャンペーンをはるところは皆無でしょう。

ところが政治の世界はいまだに、「選挙」という名のキャンペーン・シーズンになると「金」という「景品」で、自社の顧客にしようという古臭い戦略を展開する訳です。銀行でいうところの「商品性」は、政党に置き換えればまさしく「政策」に他ならなりません。「政策」とはすなわち、「どんな日本をつくると言うのか」=「WHY」、「そのために何が必要なのか」=「WHAT」、「それをどうやって実現するのか」=「HOW」という、ロジカルな展開をもっともっと明快に提示して、国民の共感を得る必要があるのではないでしょうか。どうも、まず「カネ」で釣る戦略ありきで、その財源確保として「税財政改革」を掲げているように思えてならないのです。

以上勝手なことを申しあげましたが、今日の段階では、民主党のマニフェストをまだよく見ていない状況ですので、見当違いな指摘をしているかもしれません。その点は悪しからず。それにしても、うちもうちもと後追いで“バラマキ”対抗するディフェンディング・チャンピオンの自民党も情けない限りですね。しかも、マニフェスト公表は民主党に先を越されて、まだ党内で調整中。待たせる以上は「さすが王者の風格」と思わせる、日本政治の流れを変えるようなロジカルなマニフェストを出すぐらいの気概が欲しいところですが、果たしてどうでしょうか。

〈70年代の100枚〉№77~全米を席巻した“再生ビジネス”バンドの顛末

2009-07-26 | 洋楽
77年正統派ロックのニューバンドがヒット・チャートに登場しました。フォリナーです。

№77   「栄光の旅立ち/フォリナー」

元スプーキー・トゥースのミック・ジョーンズ(G)が中心となって77年にデビューした腕に覚えの英国人3人、米国人3人のバンド、それがフォリナーです。「フォリナー=外国人」というバンド名は、英米混合を象徴的にあらわしたものである訳です。70年代前半には、有名ロックバンドの離合集散で生まれたバッド・カンパニーやKGBといった“スーパーバンド”がもてはやされたりしたものですが、70年代半ば以降はニューカマーたちの時代が到来。「昔の名前」組の再編成は久しく聞かれなくなっていた中、さっそうと登場した“再生ビジネス・バンド”が彼らだったのです。

ミックとともにバンド結成の柱となったのが、元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルド(G、KEY、SAX)。彼らは“腕に覚え”のミュージシャンたちのオーディションを繰り返し、元ブラック・シープのボーカリスト、ルー・グラムや元ハンター・ロンソン・バンドのデニス・エリオット(D)らを加え、単なる「再生バンド」の域を超えた新生“スーパーバンド”として、鮮烈なデビューを果たすのでした。77年3月にリリースされた彼らのデビューアルバム「栄光の旅立ち」は、経験豊富な彼らならではの洗練された内容で、とてもデビュー作とは思えない充実の一作だったのです。

A1「衝撃のファーストタイム」はまさにタイトルどおり、1曲目にふさわしいインパクトと魅力的なメロディのナンバーで、ファースト・シングルとしてアルバムと同時リリースされ、全米4位の大ヒットを記録し“衝撃のデビュー”を印象付けました。さらに続いてカットされたA2「冷たいお前」も全米6位にランクされる連続ヒットを記録。日本ではこの曲が大ヒットして、一躍英米混合の“スーパーバンド”として人気を集めたのでした。さらに第3弾シングルB1「ロング・ロング・ウェイ・フロム・ホーム」も全米20位まで上昇。アルバムは最高位4位にランクされた後もリリース後約1年にわたってTOP20にランクインし続けるという快挙を成し遂げ、見事“再生ビジネス”を成功に導いたのでした。

その後も「ダブルビジョン」「ヘッド・ゲームス」とヒットアルバムを連発。70年代後半のディスコ、パンク全盛の時代にあって、抵抗を続ける数少ない正統派ロックバンドの旧勢力的存在として、大健闘を続けます。ところが、81年の4作目「4」制作時に彼らに一大事件が起こります。アルバムの制作方針を巡って、SONYの盛田&井深的“創業コンビ”であるミックとイアンが衝突。結局イアンと彼を支持したキーボードのアル・グリーンウッドはバンドを脱退してしまいます。しかしながら、ミック主導でリリースされた「4」は彼ら最大のヒットアルバムとなり、大ヒットバラード「ガール・ライク・ユー」はその後の彼らの新たな方向性を決定づけるものとなったのでした。

新たな方向性とはすなわち、一般に言われる「アリーナ・ロック」あるいは「産業ロック」と言われる路線でした。彼らはその後、「ガール…」と同系統のバラードを主流にしたあからさまな“売れ線狙い戦略”に転換します。初期からのファンはこうした動きを良しとせず、次第に人気は下降線をたどり90年にはボーカルのルー・グラムも脱退(その後一時期復帰)、現在は実態として“懐メロバンド”になり下がった状態でツアー中心の活動を続けているのです。

そもそもがミック・ジョーンズの“再生ビジネス”として誕生したフォリナー。初期の大ブレイクの後、僚友イアンと袂を分かちつつも敢えて80年代の「産業ロック」化の流れに入っていたのは、むしろビジネス・パーソンたる彼の面目躍如といってもいいのかもしれません。しかしながら現在、“懐メロバンド”と化したフォリナーにルー・グラムそっくりのボーカルを雇い入れることで、“集金マシンビジネス”として世界中をツアーする二重アゴの彼の姿を見るにつけ、“再生”を誓った夢多き70年代の姿とのあまりにかけ離れた有様には悲しみを禁じ得ないのです。

ロジカル・シンキング・テスト~ゲーム理論「交互ゲーム」

2009-07-24 | ビジネス
以前掲載したロジカル・シンキング・テストに質問が寄せられました。そう言えばその後この手のモノはやっていないなと思い、久々に簡単な問題を出してみます。

ロジカルにモノを考えるための学問に「ゲーム理論」というものがあります。交渉や駆け引きでいかに自身の「勝ちゲーム」に持ち込むか、またはより確率の高い展開に持ち込むかを考えるもので、論理的思考に基づく理詰め戦法で勝利への道筋を導くのです。すなわち相手のすべての戦略に対してMECEな(モレダブリのない)分析をして、自分が最も利益をあげられる戦略を考えるのです。以下は1対1で展開する「交互ゲーム」の典型的問題です。よーく考えて、問題を読み終えてから1分以内に正解へ導いてください。

<問題>
ここに20個の玉があります。あなたは相手と2人で、毎回1個以上3個以内の玉を交互に取り除いていき、最後に残りをゼロにした方が「勝ち」となるゲームをします。あなたが必ず勝つためにはあなたは先行、後攻どちらを選んで、どうのような戦法をとればよいですか?

正解は後ほどコメント欄で。

さあ!やってみましょう!

ブックレビュー「なまけもののあなたがうまくいく57の法則/本田直之」

2009-07-22 | ブックレビュー
★「なまけもののあなたがうまくいく57の法則/本田直之(大和書房1000円)」

またまた出ました本田直之モノ。今度は正真正銘書き下ろし新刊です。とは言いつつも、以前当ブログでも紹介した「面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則」の続編的一冊です。その前作はなんと25万部を売ったそうで。ちなみに当ブックレビューの評価は6点でしたから、「評価の良し悪し」と「売れるOR売れない」は必ずしも一致しない訳です。その理由のひとつがタイトル。このシリーズ、タイトルに記された読者ターゲットが、前回が「面倒くさがりや」今回が「なまけもの」。この手の言葉を言われて思い当たる人って多いですよね。女性が「冷え性が完全に治る」と聞いて、読んでみたくなる人が多いのと同じような話で、“タイトルの勝利”という印象はかなり強いです。というわけで、「評価」はともかく今回もけっこう売れるのでしょう。

さて内容。つくり、進行、テーマ掘り下げの深浅何をとっても、かなり前作に近いです。明らかな“二匹目のドジョウ”狙い?ですね。書かれている「57の法則」ですが、私から見て“目から鱗”と言えそうなものは4~5項目あるかないか。「テレビをやめてラジオにする」とか「他人を家に呼ぶ」とか「時間の強制力を利用する(締切設定のことです)」とか、ごくごくありふれたビジネスマン向けライフスタイル指南であり、個人的印象は「う~ん」ですね。気が利いているのは、57項目よりもむしろ前書き部分でしょう。「なまけもの」を3つのタイプに分けて「前進型のなまけもの」をめざそうという投げかけは、「なまけもの自認者」は読む価値ありです。

本田氏の基本理念である「レバレッジ(=てこの原理)」はまさに、氏が「面倒くさがりや」で「なまけもの」であるが故の工夫であり、「レバレッジ」シリーズを複数読んだ上で、打ち明け話的存在としてこの本を読むならそれなりに面白いとは思います。一方この本を単独でノウハウ本として読むとすれば、さして得るものは多くないように思うのですが…。まだまだ社会人経験浅い若手“なまけもの”には、学ぶものがけっこうあるかもしれません。表紙のイラストが可愛いので、発行元が想定してる今回の読者ターゲットは意外に若いOL層なのかもしれませんね。

さて点数ですが、前作同様10点満点で6点。本田氏ファンの私ですが、これは氏の著作としては亜流であり、中身の軽さはあまり感心いたしません。逆にテーマが軽い分、この手の本は売れるのかもしれませんが、個人的には同系の前作1冊読めば十分という印象です。それよりも、最高傑作「レバレッジ・マネジメント」に続くレバレッジ・シリーズの最新刊の早期発刊に期待します。本書はどちらかと言えばヤング・ビジネスマン向け指南書の印象で、“本田本”ファンの中堅以上のビジネス・パーソンには、むしろ前回紹介の本田氏訳&監修「デキる人の脳」の方がおすすめです。

解散~選挙投票選択のポイント

2009-07-21 | ニュース雑感
麻生総理はかねてよりの思惑通り、本日衆議院を無事(?)解散させました。さぁ8月30日投票日の選挙戦の火ぶたが切って落とされました。そこで、現時点で私が考える選挙を迎えるにあたっての、投票選択の個人的ポイントを書きなぐってみます。

①政策の中身
自民、民主両党ともマニフェストの公表はこれからですが、政権選択選挙といわれる今回の選挙は、従来以上にマニフェストの中身に注目すべきであると考えます。そもそも、94年に導入された小選挙区制は二大政党制を標榜し成立したものであり、保守系第二政党の民主党の成立によりその下地はできてきた訳です。そして今回、不況下・財政難下での日本における二大政党制を試すべく政権選択選挙がおこなわれるに至り、いよいよ政策論争が本格的に繰り広げられるべき時が来たと考えています。

日本人の悪しき習性としてマスメディアの誘導によるイメージ選好での投票政党選びが横行しており、今回もまた二者択一の中で、一方のイメージが良くないから他方に投票しよう、という流れがかなりあるように感じております。しなしながら、二大政党による政権選択選挙においてイメージ選好は好ましいことではなく、昭和の時代の「自民か反自民か」でもなく、マニフェスト記載の政策内容を個々人が評価しどちらがより国民生活の安定を本気で考えこれからの日本をよくすることに腐心しているか、その点を一人ひとりがキッチリと評価をすることが求められていると考えます。個人的なマニフェスト記載政策の着目点ですが、ムダの根源たる官僚制度見直し&行財政改革に関する具体的政策提示を、最重要評価ポイントとしたいと考えております。

②政策の検証可否
ある時期から、「選挙公約」と呼ばれていたものが「マニフェスト」と呼ばれるようになりました。これは同じものを単に横文字にしただけではなく、実は大きな違いがあるのです。「選挙公約」とは言ってみれば“意気込み”宣言のようなもので、もちろん真逆の姿勢に転じたり全く動かなかったりした場合、「公約違反」と言われることはあっても、「検証」されることはほとんどなかったのです。それに対して「マニフェスト」は正しくは、掲げた政策の実現可能性の裏付けをキッチリと示し、後々どのように進捗させどこまで実現できたかあるいはできなかったかを「検証」しその結果を示すものなのです。ここがある意味“言いっぱなし”OKだった「公約」との大きな違いです。

この観点では、両党のマニフェストを読み解く際の重要なポイントとして、施策に対する財源のヒモ付けの問題や、関連法制整備等のハードルの有無等のチェックが必要になります。まぁ、この辺は各党の論客が公開討論会等で突っ込み合うところでもありましょう。個人的に最も重要視したいのは、掲げる政策が進捗チェック可能なものであるかどうかです。例えば「財政のムダ遣い削減」という項目が仮に掲げられるなら、「いつまでにどのような施策でどこのムダをいくら削減する」のかを明確に示しているか否かが、政策本気度・信頼度をはかる重要な基準になると考えております。会社でも要領のいい奴は、目標設定時に聞こえが良く後々言い逃れの効く“あんにゅい”な目標を立てるものです。それは信用できないその場しのぎの心象稼ぎにすぎません。

③“自己中政治屋”の見極め
政策論争以外で今回重要なことは、こざかしいイメージ戦略や小手先のスタンド・プレーで、選挙対策ばかりに気を奪われていた「“自己中”政治屋」は決して当選させてはならないということです。二大政党制の政権選択選挙時代に突入した以上、自己の信条・政策・実績を掲げ国民に審判を問うのが政治家としてのあるべき本筋であるからです。数日前の謀反発生の際に申し上げた与謝野馨氏はその筆頭格です。内閣の要職にありながら、自身の当選が危ういと見るやいきなりの“首相おろし”ですから。東京一区の皆さんは、この事実をお忘れなきよう。彼のような重鎮“自己中”を落選の憂き目に合わせてこそ、今後そのような輩を絶滅させていく礎になるのです。他にもたくさんいますよ。自身の選挙区選出議員が何をしてきたか、よーく見極めましょう。

〈70年代の100枚〉№76~「重」と「軽」のバランスでチャートを制覇

2009-07-20 | 洋楽
忘れられた70年代アメリカン・ロック・バンドの代表格、バックマン・ターナー・オーバードライブ(以下BTO)登場です。「アメリカン・ウーマン」のヒットで知られるカナダのロックバンド、ゲス・フーのギタリストだったランディ・バンクマンが、ベースのCFターナーと73年に結成したバンド、それがBTOです。当初は重厚なギター・サウンドを身上とした正統派アメリカン・ロック・バンド路線でスタートしながらも陽の目を見ず、若干のポップ感を持ち込んだセカンド・アルバムから、「Taking Care of Business」が全米12位まで上がるヒットとなり、これを機に“ポップ織り交ぜ路線”に移行し大成功を収めます。

№76   「ノット・フラジャイル / バックマン・ターナー・オーバードライブ」

74年上り調子の彼らにとって決定打となったのが、シングルA4「恋のめまい」と本アルバムでした。シングル、アルバム共に全米№1をゲット!彼らの身上である重厚なサウンドをベースにしつつも、表向きはドゥービー・ブラザース的な軽快で印象的なギター・カッティングを配した「恋のめまい」は、日本でもそこそこのヒットを記録します(時期はこの全盛期より少し後であったと思いますが、確か来日公演も行われ、日本でのライブ盤とかも出されていたような。けっこう人気だった訳です)。A3「ハイウェイをぶっとばせ!」も同様の路線で第二弾シングルとして最高位14位を記録。押しも押されもせぬ、人気アメリカン・ロック・バンドの地位を確立したのでした。

シングルでこそ表向き軽いノリを強調していましたが、彼らの身上はランディの風貌そのもののズシリと重たいロック・ビートにありました。このイースト・コースト的な重たいビートこそかれらの当時の人気の肝であり、単なるシングル・ヒット・メーカーにとどまることなく、ビートの効いた曲を満載した本作が全米№1に輝いた理由はそこにあったと思います。ところが彼らも、先のグランド・ファンク同様、人気の“肝”を見誤ってしまうのです。軽いノリのシングル「恋のめまい」がシングル・チャートを制覇したことで、同系統をさらに軽くしたシングル「ヘイ・ユー」をフィーチャーした次作以降次第にポップ化一辺倒路線へと移行していき、人気は急激な下降曲線を描いてしまうのでした。

結局、グランド・ファンクもBTOも自分たちが大ブレイクするきっかけをつくったポップ化路線を行き過ぎることで、ロッカーとしての個性を失いパンク・ロックの波が押し寄せる中、80年代の到来を待たずして消え去ってしまったのです。70年代半ばから後半にかけて彼らと比較的近い立ち位置にいたバンドとしてZZトップがあげられますが、彼らは80年代も引き続き大活躍しむしろ70年代以上の成功を収めるのです。その違いはまさに、単なるポップ路線に傾倒していったか、武骨なロック・スピリットを見失わないポップ化路線を歩んだかどうかであると思えるのです。

最後に余談。BTOの「Taking Care of Business」の日本タイトルは「仕事にご用心!」ってものすごい誤訳!キャンディーズかよって感じ。「頭のハエを追え」って慣用句でしょ。意味が全然違うんじゃない?スティーブン・ビショップの「Save it For A Rainy Day(慣用句「万が一に備えよ!」)」→邦題「雨の日の恋」と並ぶ、まだ“戦後”であった時代の“英語音痴”日本の恥ずかしい誤訳タイトルとして、燦然と輝いております。

サイモン&ガーファンクル At Budokanに思う

2009-07-18 | 洋楽
最後の来日と言われ注目を集めたサイモン&ガーファンクルの日本公演が、本日の札幌公演で終了します。私は宣言どおり15日の武道館を、しっかりこの目に焼き付けてまいりました。

これまで2回の来日ツアーも含め、彼らの日本公演はすべて各地ドームでのもの。その意味では、まさしく“最初で最後唯一の武道館”。アーティがMCで「ブドーカン、ヤット」と言っていたように、彼らにも思い入れのあるハコであり、本当に貴重なライブであったと思います。オープニング・フィルムの後、割れんばかりの大喝采の中、いきなりステージ中央、アコギを抱えたポールと脇に立つアーティがスポットライトに照らし出され、奏でられたのは、ポールのギター一本での「旧友」。世界に誇る“ロックの殿堂が、世紀のフォーク・デュオの美しいハーモニーに満たされる一夜はスタートしました。

間にアーティ、ポールのソロコーナーをはさみつつ、「アイアム・ア・ロック」「アメリカ」「スカボロ・フェア」「ミセス・ロビンソン」「コンドルは飛んでいく」等々彼らの代表曲の数々を、原曲のイメージを損なわない工夫を凝らしつつも今風のアレンジを施して、披露してくれました。バックメンたちの腕前も素晴らしく、パーカッシブなアンサンブルの心地よさに加えて曲によってはチェロやアコーディオンも登場し、本当にお見事の一言。むしろ、全盛期には当然のこと及ばない二人の歌声の方が、演奏に見劣って映るぐらいの印象でした。

個人的にヤラれた曲は、2曲目「冬の散歩道」のロックっぽい武道館的カッコよさ、意外な選曲だったいかにもポールらしい「ニューヨークの少年」、それとポールのソロでバックのサックスがメチャクチャすごかったザ・AOR「時の流れに」。ラストの「マイ・リトル・タウン」エンディングから、必殺「明日に架ける橋」のキラー・イントロ・ピアノにつなぐ演出は鳥肌モノでした。そして2回目のアンコール1曲目で、興奮をアイスブレイクさせるかのようにポールのアコギ一本で聞かせた「木の葉は緑」にもやられました。

印象的だったのは、アーティのソロ・ツアーとは違う輝きぶり。アーティスト、ポールはソロでもデュオでもさして変わったところはないのですが、シンガー、アーティはソロとデュオでは明らかに輝きが違います。それと、ポールとアーティが、ソロも3曲づつ歌い、「ニューヨークの少年」なんていうアーティを皮肉った歌もさらりとこなし、「明日に架ける橋」では1番2番を仲良く分け合うなど、昔では考えられない二人の仲良しぶり。御歳67歳の二人ですから、今さら自己主張でもなく、心穏やかに今また二人でできる喜びを噛み締めつつこれまでを総括しているかのようでもありました。

PAの出力がもっと大きくてもよかったとか、ポールの「アメリカの歌」が聞きたかったとか、武道館用サプライズが欲しかったとか、欲を言えばキリがないのですが、やはり本物の「60年代70年代」を生で聞く貴重さは何モノにも代えがたいと、つくづく思いました。70歳を目前にして、一般に言われるように、彼らの来日はこれが最後とか。ストーンズもフーもディランもエルトンも、次あたりが最後か、もしかしたらもう次を見ることなく活動に終止符を打つかもしれないのです。ポピュラー音楽の歴史を作ってきた彼らの生ステージを見れるチャンスは、この先どんどん減っていくことでしょう。

今回、当初サイモン&ガーファンクルを見に行くかどうか悩んだ私ですが、歴史的アーティストを生で見れるチャンスがあるなら、これからは迷わず見に行くべきであると改めて思った次第です。次はさしずめ9月の「ライ・クーダー&ニック・ロウ」かなって、少々マニアックですかね。

ようやくのハイブリット市場参入~日産自動車の“後手後手”検証

2009-07-17 | ビジネス
日産自動車がハイブリッド中小型車を、11年をメドに販売するとの報道がされました。

ご承知のように、このところの“ハイブリッド戦争”は、トヨタ「プリウス」とホンダ「インサイト」の一騎打ちといった様相です。景気悪化を受けてのハイブリッド車の値下げに加え、景気対策でのエコカー減税や補助金上乗せなどの措置も続々繰り出され、「プリウス」が現時点予約の年明け納車が伝えられるなど、今や空前のハイブリッド車ブームとなっています。お陰でトヨタ、ホンダでは、製造ラインの稼働率が不況突入前の段階に戻りつつあるなど、“大不況底打ち”現象が明確に現れてきているのです。

このように明るさを取り戻したトヨタ、ホンダに比べて、日産の“一人負け状態”は目を覆いたくなるばかりです。これはひとえに、不況脱出の目玉であるハイブリッド車商品の有無が明暗を分けたと言っていいでしょう。トヨタがいち早く大衆向けハイブリッド車として「プリウス」を販売したのが97年。ホンダがスポーツタイプ限定ながら、ハイブリッド車初代「インサイト」を発売したのがこれに遅れること2年の99年のことでした。一方日産はハイブリッド車に目もくれず、究極のエコカーであるEV車=電気自動車に照準を合わせて、これ1本での大逆転を虎視眈々と狙ってきたのです。

ところが、昨年来の景気低迷は戦略上大きな誤算を生みました。何より、EV車の価格の高さ。ガソリン併用で動くハイブリッド車に比べて、電池のみで稼働するEV車は電池開発のコスト高の問題もあって当面はかなりな高額商品とならざるを得ないことがネックでした。そこに持ってきて、6月に発表された同じEV車である三菱自動車「iMiEV」が軽クラスなのに価格が約500万円であるいう事実は、不況下の国民に与えた印象として、「EV車は庶民の手が届くモノでない」を強くしてしまいました(同じ“負け組”の三菱の発表タイミングの悪さも笑えます)。片やハイブリッド車は、値下げと景気対策のエコカー優遇措置で一気に庶民レベルにまで価格が下がり、当面はエコマニア等特定層に限定されると思われた購入層は大きく広がっていったのです。これによって、ハイブリッド車は燃費が良く経済的で、エコに貢献できて、しかも減税等でお得、という良いことづくめのイメージ展開がなされ、EVの“敗北”は確実になりました。

日産の戦略は完全に失敗でした。景気の先行きを読み間違えたこと、国内におけるトレンドの流れを読みきれなかったこと、この2点は致命傷ともいえる大きな失策でした。金融危機からの脱却後景気上向きの中、次の景気悪化は当分先とタカをくくっていたのでしょう。「“得するエコ”は広く一般に受け入れられる」に裏打ちされた“エコブーム”のトレンドの到来を、まったく予見してもいなかったのでしょう。価格的に高く一般層向け実用化商品取り扱いには、まだまだ時間がかかるEV車一本でのエコカー戦略を、初代トヨタ「プリウス」の販売開始以来12年間もの長きにわたって描き続けていたのですから。「貧すれば鈍す」の印象を強くせざるを得ない戦略的失策です。

トヨタ「プリウス」が販売を開始した97年も、金融危機真っ盛りの不況下でした。以来日産のハイブリッド車戦略検討のチャンスは常にあったにも関わらず、この8月にEV車本格商品第一号の発表予定を直前に控えて、このタイミングでのハイブリッド車取扱計画の検討。EV一本化でのエコカー戦略は誤りであったと、自ら公言していることに他なりません。今回の大不況からの脱却において、トヨタ、ホンダ2社から明らかに遅れを取った“崖っぷち”の日産自動車。未だかつてないドン底からの脱却を可能にする“ゴーン・マジック”は、果たしてあるでしょうか?いやむしろ今回の大失態は、ゴーン長期政権からの転換の必要を示唆する出来事のように思えるのですが…。

※写真=トヨタは高級車「レクサス」のハイブリッド専用車発表も話題で、益々好調。