日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

佐野氏の対応に学ぶ「他山の石」総括~「逃げ」と「怒」の広報は自滅を招く

2015-09-03 | 経営
オリンピックのエンブレム問題に一応の決着が出ました。かれこれ2回、当事者である佐野研二郎氏の広報対応の問題点を「他山の石」として取り上げてまいりましたので、一応この問題に関する私なりの総括をしておきたいと思います。

これまでは佐野氏の危機管理広報対応という視点でのみ意見を書いてきたのですが、今回は総括なので少し視点を広げてみようと思います。と言うのは、佐野氏の広報対応はあらゆる面でお粗末なものであり、それが結果墓穴を掘ることになったわけなのですが、そもそもの問題点で申し上げれば、彼は一「被害者」であるということは言っておく必要があると思うからです。

「被害者」と言うのは、彼がエンブレム取り下げ後に出したメッセージで言っている「メディア攻撃の被害者」という意味ではありません。私が申し上げる「被害者」は、大手広告代理店文化の「被害者」ということです。この点はしっかりと業界として検証、改善をしていただきたく、あえて申し上げるものです。

大手広告代理店文化とはどういう文化なのかと言えば、すなわちこれこそがパクリ文化、パチモン文化です。私はこの問題が発覚し、それに続いてサントリーのトートバッグをはじめ、またぞろパクリ疑惑が噴出した時に「やっぱりね」と思いました。もう少ししっかり言うなら、「やっぱり電博出身だからね」ということです。

私もその昔、上場企業で宣伝広告部門を担当し、多くの大手代理店クリエイティブの皆さまとお付き合いをさせていただきました。まだまだネットは出始めの時代であり、今ほどあらゆるデザインがそこから手に入る時代ではありませんでしたが、彼らが出してくるポスターなどのラフ案数案は、必ずと言っていいほど「元ネタ」があるものでした。

なぜ「元ネタ」があることを知ったかと言えば、彼らと酒の席を共にした際に、私の「よく毎度毎度、いろいろなデザイン案を考えられますね」という感想に対して、彼らの一人が「実は元ネタがあるんですよ」「そんな毎度毎度オリジナルアイデアなんて考えて出ませんよ」「どこのデザイナーも基本は同じ。他社のラフを見せていただければ、あー元ネタはあれだなとだいたい見当がつきます」…、などという暴露話を聞かせてくれたのです。

私はその話を覚えていて、彼らの職場を訪問した際にどうやって「元ネタ」を拾い、パクリのラフを作るのかも見せてもらいました。もちろん、著作権にも触れる恐れがあるとの懸念から、「このやり方は大丈夫なのか」と尋ねたのですが、彼の答えは「大丈夫。広告媒体で訴えられたなんて聞いたことないです。国内の有名な広告だって、だいたいが海外の広告のパクリです。そんなことでいちいち訴えたり、訴えられたりしていたら、僕らの商売は成り立たないですよ」と言うものだったのです。

もちろん既にその一件から15年ほどの月日が立っていますから、その間の日本におけるコンプラ事情の変化を勘案すれば、当時と全く同じ状況であるとは思いません。しかし私の商売柄からは、組織風土、組織文化と言うものはそう簡単には変えられない、ということが確実に言えるわけで、そんな判断から今回の件を「やっぱりね」と思ったわけなのです。

広告代理店と言う業界の常識が果たして、一般の常識に叶っているのか否か。特に著作権をはじめとした知的財産権に関する考え方については、今後同じような「被害者」を生み出さないためにも、今一度各社はモノづくり現場の組織風土、組織分化を再確認する必要があると強く思うところです。

このように、佐野氏自身は業界文化の被害者に過ぎないという側面はあるのですが、これまでも申し上げてきたとおり、不祥事発生時における危機管理広報対応のまずさが自身の首を絞めたことは否めません。エンブレム取り下げ後のメッセージにおいても広報対応としての問題点は山積みであり、この点を今一度検証しておきます。

まずは二か所あるお詫び部分から。
「しかしながら、エンブレムのデザイン以外の私の仕事において不手際があり、謝罪致しました。この件については、一切の責任は自分にあります。改めて御迷惑をかけてしまったアーティストや皆様に深くお詫びいたします。」
「図らずもご迷惑をおかけしてしまった多くの方々、そして組織委員会の皆様、審査委員会の皆様、関係各所の皆様には深くお詫び申し上げる次第です。」

最初の引用部分から分かることは、今後のこともあってエンブレムの模倣を認め謝罪できないのはやむを得ないとしても、作品模倣や無断使用に関して謝っているのはサントリーの件のみです。指摘を受け自身も認めた、空港の展開例等の明らかな無断使用は謝らなくてはいけないハズです。

ふたつ目の引用部分はさらに問題でしょう。御自身の度重なる不手際によりエンブレム使用中止と言う事態に至り、世間を騒がせたこと、東京オリンピックのイメージを著しく傷つけたことについては国民に対してしっかりと謝罪すべきなのですが、彼が謝っているのは関係者に対してのみ。これでは火に油です。

そして取り下げ理由を述べた以下の部分。少し長いですがそのまま引用します。
「その後は、残念ながら一部のメディアで悪しきイメージが増幅され、私の他の作品についても、あたかも全てが何かの模倣だと報じられ、話題となりさらには作ったこともないデザインにまで、佐野研二郎の盗作作品となって世に紹介されてしまう程の騒動に発展してしまいました。
自宅や実家、事務所にメディアの取材が昼夜、休日問わず来ています。事実関係の確認がなされないまま断片的に、報道されることもしばしばありました。
また、私個人の会社のメールアドレスがネット上で話題にされ、様々なオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗中傷のメールが送られ、記憶にないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが届きます。自分のみならず、家族や無関係の親族の写真もネット上にさらされるなどのプライバシー侵害 もあり、異常な状況が今も続いています。
今の状況はコンペに参加した当時の自分の思いとは、全く別の方向に向かってしまいました。もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました。
組織委員会の皆様、審査委員会、制作者である私自身とで協議をする中、オリンピック・パラリンピックを成功させたいとひとえに祈念する気持ちに変わりが ない旨を再度皆様にお伝えしました。また、このような騒動や私自身や作品への疑義に対して繰り返される批判やバッシングから、家族やスタッフを守る為に も、もうこれ以上今の状況を続けることは難しいと判断し、今回の取り下げに関して私自身も決断致しました。」

これは、「怒」の広報と言って危機管理広報において一番やってはいけない対応です。講演先の京都で報道陣に広報担当の佐野夫人が逆ギレしたという報道がありましたが、まさしく同じノリです。メディアに対する「怒」の広報は、敵を増やすだけであり確実に破滅に導く広報なのです。不祥事対応においてはどんなに理不尽な取材を受けようとも、それはある意味身から出た錆なのであり、「メディア=国民の代表」という意識を持った対応を忘れてはいけないのです。行き過ぎたメディア取材や心ない人たちへのクレームもそれはそれで理解できますが、まずは自身のお詫びありきであることを忘れてはいけません。

現実に危機管理広報で、メディア取材に対して逆ギレで破たんした例と言えば、雪印乳業社長の「私は寝てないんだ!」、焼肉えびす社長の「法律で普通の生肉をユッケで出すのをすべて禁止して欲しい!」という発言があります。いずれも、この発言が世間の大きな批判を買い彼らは程なく破綻しました。今回の感情的なコメントは、文書でこそあれそれに匹敵する「怒」レベルであると言ってもいいと思います。

次に佐野氏はどう対処すればよかったのか考えてみましょう。
まず何よりも続々登場する疑惑について単独で会見を開かず、ネットでの一方的なコメントで済ませていたことは危機管理広報対応として最もまずかった点でしょう。少なくとも、サントリーのトートバッグの件で明らかな無断トレース利用を認めた段階では、メディアと向き合いしっかりと自分の言葉で説明、謝罪をするべきだったと思います。

実際にこれを機に、メディア=国民の佐野批判の声は一層大きくなり、それまでは佐野擁護派であった同業者などからも批判の声が聞かれるようになりました。明らかに、ここがターニングポイントでありました。また余談ですが、オリンピック組織委員会はこの段階でエンブレム取り下げを決めるのが妥当だったのではないかと思います。結局、都合の悪いことに対しては一切会見をしなかった佐野氏は、この後益々追い込まれていくようになったわけです。

不祥事会見は嫌なものです。何をどう突っ込まれるか不安が先立ち、怖いと言う感情から逃げたくなるのも分かります。でもそこで逃げたら終わりなのです。アカウンタビリティ=説明責任は、社会性を帯びた不祥事の当事者になった際には、それまで自身が社会的にどういう存在であっても自動的に発生するものであり、これを無視あるいは逃れようとするならより大きなダメージを被ることになるということは、覚えておかなくてはいけない危機管理広報の基本でもあるのです。

最後に今後のあるべきですが、ご本人が本当に疑惑を晴らし今後の御自身のデザイナーとしての道筋に国民の理解を得つつ進まれたいと思われるのなら、まずは国民に対して直接自身の言葉で、世間を騒がせたこと、東京オリンピックのイメージを著しく傷つけたことについて謝罪をすべきでしょう。その上で、すべての疑惑について作り手の立場からの言い分を、洗いざらい話をすることが大切かと思います。不祥事発生時において、利用者、消費者あるいは国民の理解と納得を得られるか否かは当事者自身による誠意ある対応にかかっている、これもまた危機管理広報対応のセオリーであるのです。

結論として、佐野氏の広報対応に学ぶ最終的な「他山の石」は、「逃げの広報はマイナスにしなからない」「『怒』の広報は破綻へと導く」、この2点に尽きると思っています。