日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

ドコモ副社長発言のiPhone投入「今でしょ!」感

2013-08-28 | ビジネス
NTTドコモの坪内副社長が、SankeiBizのインタビューに答えiPhone取り扱いに関して、「態勢は整った。いつ出すかが問題」と発言し話題になっています。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/130826/bsj1308261001007-n1.htm

「もうそんな話どうでもいい」と一部読者からは辛らつなコメントをいただきそうな気もしますが、ドコモのiPhone取り扱いは引き続きその動向によって業界シェアに大きな影響を及ぼす可能性のある問題であり、拙ブログとしてはこれまでこの問題を追い続けてきた立場上からも再度触れずにはおけないところであります。今回の注目は坪内社長の、今までのドコモとは明らかにトーンが異なる「態勢は整った。いつ出すかが問題」発言の真意です。

◆「態勢は整った」について
拙ブログでも何度となくiPhone取り扱いの問題点を取り上げてきましたが、やはり表向きの「態勢」とは、携帯メーカーを減らしiPhone取り扱いに向けiPhoneに向けたシェアの整理をしておきたいという点がその最大のものであったと思います。2~3年前のiPhone一人勝ち的な風潮における国内弱い者連合の状況下でドコモがiPhone取り扱いをスタートするなら、国内メーカー総倒れにもなりかねない状況にあったわけで、できれば2~3社にやんわり引導を渡したい。その意味においてドコモが初めて打ち出した「ツートップ戦略」は、メーカー淘汰の呼び水になりました。

もちろんこの戦略が可能になった背景には、アベノミクス効果による急激な円安傾向が大手家電、IT各社の救世主になったという業績の好転があります。ここぞドコモにとってメーカー淘汰をするには千載一遇のチャンスとばかりに、「ツートップ戦略」というこれまでのメーカー各社との蜜月関係に一方的にな終止符を打つ、ある意味非常にエゲツない戦略を打ち出したわけです。結果、NECのスマホ撤退、パナソニックの新機種凍結といった形で思惑通りの展開になったのです。

もうひとつの「態勢」は、アップルが要求しているドコモにおけるiPhoneの販売ノルマの件です。そのシェアは5割というのがもっぱらですが、ドコモ側が公言してきた可能シェアは2~3割。しかしツートップ戦略によりツートップの販売比率が全体の6割を超えるという予想以上の淘汰伸展がドコモに譲歩の余地を生んだと見ます。またiPhoneに一時期の勢いがなくなったアップルにも多少の譲歩はあっても不思議ではなく、ドコモのアッパーライン3割とアップルのロウワーライン5割の間の数字に両社が歩み寄ることで、アップル側の要求に応える「態勢」が整ったと見るのが自然ではないでしょうか。

さらに冬の戦略として予定されている「スリートップ戦略」からは、サムスンのギャラクシーが外れる予定とか。そもそもiPhoneを持たないドコモが、その対抗商品として世界シェア№1のギャラクシーをツートップに据えたわけで、本丸iPhoneが手に入るならギャラクシーはお役御免。さらに、海外製品シェアの「態勢」から考えても、iPhone導入後もギャラクシーをトップラインアップに据え続けることはむしろデメリットであるわけです。ここにきてのいきなりの“ギャラクシー外し”は、iPhone導入の「態勢」をにらんだ複線とみるのが妥当であるように思います。

◆「いつ出すかが問題」について
さて上記のような「態勢」が整ったとすれば、「いつ出すかが問題」という発言は額面どおりに「すぐには難しい」と受け取っていいのでしょうか。「態勢」が整っているのならすぐにでもやりたいのがドコモの本心のハズです。

ドコモが取り扱い開始時機を考える場合の「問題」は、①他メーカーへの配慮、②今後のスケジュール、③他通信キャリアへのけん制、でしょう。①および②に関しては、過去のアップルの新製品投入時期をみると6月か9~10月です。6月はボーナス商戦真っただ中、9~10月はボーナス商戦まで若干余裕のある時期であり、既存メーカーへの配慮をするなら9~10月秋の投入がベターのハズです。今回を見送りもし次の「iPhone6」発表が6月ならボーナス商戦ど真ん中であり、もし9~10月なら1年先になってしまいます。こう考えると、「いつ出すかが問題」の発言真意は、「問題はあるけど、今やりたい」ではないかと思えてきます。

さらに③。ドコモのiPhone取り扱いが与える利用者へのインパクトはさておき、iPhone販売で先行するソフトバンク、auにとっては由々しき事態であることは間違いありません。ドコモとすれば、相手に迎撃に向けた準備期間を与えることなくできれば寝首をかきたいわけで、「いつやるの?」に対するこのところの死んだふりから一転いきなりこの9月に「今でしょ!」と立ち上げるのが戦略的にもベターであるように思えるのです。

このように、坪内副社長の「態勢は整った。いつ出すかが問題」発言を読み解いてみると、今回のiPhone5S発表時に合わせたドコモのiPhone取り扱いがかなり濃厚なのではないかと思えるわけです。この問題を毎度追いかけている日経新聞が「今回は見送られる公算」と報道している点も、「買うと来ない、買わないと来る」下手な競馬予想のようでまたまたハズしてくれるのではないかと。果たして「いつ売るの?」「今でしょ!」となるのか否か、9月10日新型iPhoneの発表を待ちましょう。

お知らせ~All Aboutさん拙連載更新されました

2013-08-23 | 経営
All Aboutさんの拙担当コーナー「組織マネジメントガイド」新原稿アップされました。「実績」評価の観点から見た組織マネジメントにおける「目標」の重要性についてです。関連して最近時グリーが来期予想を開示しなかったことに対する株主、投資家からの批判理由についても、この観点から書き添えました。

こちらからどうぞ。
http://allabout.co.jp/gm/gc/425979/

福島第一汚染水漏れが消費税上げに与える影響~再度言う、東電の破綻処理を急げ!

2013-08-21 | ニュース雑感
東京電力福島第一原子力発電所の貯蔵タンクから汚染水約が漏れていたとの報道。またか。もうどうしょうもない。収束に向かうどころか、エンドレスな問題発生スパイラルに陥った感の強い原発事故処理。この状況下で政府が目論んでいた「参院選自民圧勝→柏崎刈羽原発なし崩し的再稼働」のシナリオは崩れ、柏崎刈羽の再稼働メドは立たなくなったと言っていいでしょう。

柏崎刈羽原発の再稼働のメドが立たないなら、東電の再建計画そのものに赤信号が灯るわけですが、東電はお盆期間中の今月13日に、金融機関に対して柏崎刈羽再稼働を見込まずに今期の黒字を確保する見通しを示したとか。いかなるマジックかと思いきや、来年1月以降現状からさらに8.5~10%の料金値上げを見込んでのものだそうで、呆れてモノが言えません。また利用者負担ですか。冗談じゃない、株主責任も貸し手責任も問われないまま、さらなる利用者への責任おっかぶせってなんて絶対に許してはなりません。図々しいにもほどがあるってものです。

株主である政府はもういい加減、東電に引導を渡したらどうなんでしょう。ここで、東電を破綻処理したら金融機関の不良債権問題が一気に噴出して消費税上げが出来なくなる、だから今はダメだとそんな思惑が見え隠れしますが、ここでまた問題を先延ばしして、消費税上げ後に東電の破綻処理をおこなうならそれこそ国民経済は再びどん底に陥れられる危険だってあるのです。97年金融危機下での消費税2%上げが招いた長期デフレ不況は、今度は5%上げだけに前回以上の大きな形で再来する可能性だってあるのですから。

福島第一の原発事故処理の見通しが立たない、すなわち東電原発再稼働のメドが立たないということは、再建計画そのものの破綻を意味するのであり、この計画を認めた政府はその責任において被災者保護を最優先とした東電の破綻処理を早急に進めるべきではなのです。そして破綻処理が国内経済に与えるマイナスの影響をしっかりと見極めながら、消費税上げのタイミングを再検討する、その間に議員定数の見直しや徹底的な公務員改革を先行させて財政支出の圧縮を徹底する、私はそれこそが本来あるべき政策の道筋なのではないかと思うのです。

今回の汚染水漏れに端を発する目の前の状況に目をつぶって消費税上げだけを優先するなら、東電の利用者は原発再稼働に替わるいわれのない値上げでまた苦しめられた上に、消費税もアップしてダブルパンチ。さらに、消費税上げ後に「やっぱりダメでした」で東電の破綻処理がスタートするなら、さらにデフレ不況が追い打ちをかけるというまさしく負のスパイラル。国民経済の観点からみても、消費税は上げたものの税収は増えずと言う最悪の結果が待っているのではないかと思います。

もう東電をこれ以上延命させることは、大株主の大手企業や大口債権者である大手銀行以外にとっては何のプラスもありません。消費税上げを前に、一刻も早い破綻処理をと今一度声を大にして叫んでおきましょう。誤った東電の扱いのおかげで、苦しめられるのが株主でも貸し手でもない我々一般国民であっていいはずがないのですから。

終戦記念日に、今年も硫黄島の平和利用を願う

2013-08-15 | その他あれこれ
68回目の終戦記念日です。私は毎年この時期に硫黄島の話を書いています。きっかけをくれたのは、数年前に出会ったネット上の硫黄島で凄惨な体験をされた方が綴った日記でした。これはその方のお孫さんが、多くの方々に戦争の悲惨さを伝えるべきと掲載されたものです。
◆「祖父の硫黄島線戦闘体験記」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/

私はこれを読み平和を願う立場から、自衛隊が占拠する島の今の状況を一刻も早く変えて欲しい、未だに収集されていない戦没者の遺骨を一日も早く収集してあげて欲しい、日米が死力を尽くして戦った太平洋戦争の中でも最も戦争の悲惨さを伝える場所を正しく活用して欲しいと、心から思ったのです。

戦争と言う人類史上もっとも愚かな行為をこの地上から永久に葬り去るために、この島には出来ることがたくさんあると私は思っています。日米あわせて2万9千人もの戦没者を生んだこの島であればこそのことなのです。島は確かに不発弾や地がいまだに埋まったままの危険状態にあるのは事実でしょうし、火山活動が活発で島全体が硫黄に包まれた環境は人が住む場所として不適であるのは事実としてもです。

この地に現存する自衛隊の基地が国内で唯一、陸海空合同訓練ができる重要な拠点であるとしても、戦争の名残をそのまま引きずっているような今のこの島の使われ方が本当に正しいものなのでしょうか。ごくごく限られた時に、ごくごく限られた人しかこの島に渡ることができず、戦後68年経ってもなお遺骨の収集はおろか戦没者の慰霊すらままならないこの異常とも思える現状を、遺族の皆さんは大変悲しく思っているのではないのでしょうか。皆さんはどう思われますか。

政府はまず遺骨収集を最優先し、不発弾や地雷の撤去作業に最新技術を投入してでも島の環境改善をはかるべきであると思います。自衛隊の基地がある限り、機密保持の観点から島への自由な出入りは制限され続けることでしょう。まずなすべきは、自衛隊の全面撤退。戦没者の御霊は今の島の使われ方を決して快く思ってはいないはずなのですから。

観光地化しろとか、宿泊施設をつくれとか、そんな必要はないとは思います。ただ少なくとも、戦没者の遺族をはじめ平和を祈るすべての人が自由に出入りし、戦争の愚かさを知り、平和のありがたさを実感する機会を得られるような、そんな島の平和利用を政府は真剣に考えるべきなのではないでしょうか。国自らが管理・運営するのがふさわしいのかもしれません。

硫黄島は日米合同の慰霊式典が定期的に開かれている世界でも例を見ない大変珍しい場所でもあります。戦争に勝者はなくこの地で戦争を戦った両国が、実は共に敗者であることの証でもあるのです。硫黄島から世界へ、真の平和意を訴えかける場所として、これ以上にふさわしいところはないと思うのです。

硫黄島の遺骨収集の完了と自衛隊の早期全面撤退による島の平和利用を、今年も終戦の日に心より願ってやみません。

四万十市で41℃を記録~「日本一暑い街」は名誉か不名誉か?

2013-08-12 | ニュース雑感
本日、四国の四万十市で最高気温41度を記録し、我が熊谷が07年に作った40.9度を塗り替えて観測史上最高気温となりました。拙ブログのタイトルにも入っているので、この件さっそく取り上げておきましょう。

メディアからも何本も電話が入りました。「四万十市に抜かれちゃいましたが、いかがですか?」って。第一報を聞いた時には、「あー抜かれたか」って確かにちょっと残念な気がしたのは否定できないところです。でもよくよく考えると、「日本一暑い街」はある意味メディアによって必要以上に連呼された不名誉な冠であって、それを脱がせていただいたことは嬉しいと受け止めていいのではないかと思っています。

思えば私は06年に熊谷に転居してまいりまして、翌07年に「日本一暑い日」を経験しました。確かに生まれも育ちも東京である自分にとっては、大変な暑さの連続で、転居の際に連れてきた東京育ちの家電たちは次々とお亡くなりになりました。07年が冷蔵庫、09年がエアコン、10年はテレビ。すべて8月に突然壊れるという、明らかな“暑害”でした。

メディアの報道も「日本一」の冠を授かった07年を境に、一気に過熱しました。梅雨明け、猛暑、異常気象…理由はどうあれ、あらゆる高気温ネタ取材はまず熊谷へ。駅前ロータリーは連日各局のテレビカメラが行きかい、道行く市民もテレビニュースのインタビューには慣れっこと言った感が強くなってきました。

しかし07年以降そんな夏を幾度か過ごす中で、徐々に気がつかされたのは、「暑い=熊谷」は決してプラスに働いていないということでした。メディアはおもしろおかしく取り上げてくれ、はじめは「我が街がテレビに取り上げられた」と喜んでいた市民がだんだん慣れっこになっていくにつれ、「なんか変だぞ」と一部の人間は気がつき始めたのでした。

「HOTな街をHOTな食べ物で元気にしよう!」と構想を重ね昨年立ち上げた街おこしプロジェクト「くま辛」は、実はそんな思いから生まれたものでした。毎年毎年夏が来るたびに、「暑い、暑い」とばかり取り上げられ続けた熊谷は、気がつけば「日本一行きたくない街」になっていたんじゃないのかと。

小職は飲食店主たちに賛同を呼び掛け、市も巻き込んで、「暑いから行きたくない街」に定着しつつあったこの街を「暑いけど行きたい街」にしようよと立ちあがったわけです。約60店舗というこの街に規模としてはたくさんの加盟店が集まった陰には、店主の皆さんの間に行くのを敬遠される街のままでは先行きに希望が持てないという、相当な危機感が募っていたのだと思います。

別に本気で責める気はないのですが、やはりメディアの影響力って大きいですね。友達に「遊びに来ませんか」と夏にお誘いすると、決まって「涼しくなったらね」と避けられてしまうわけで、「それじゃ毎日ここで暮らしている僕らは何者?」って感じにもなってしまいます。そんな折々に、「不名誉な日本一」をメディアのおかげで随分と印象付けられてしまったものだなと思うわけです。

報道する側のメディアに悪気はないんでしょうけど、知らず知らず悪影響を及ぼしてもいるんだっていうことにも、これを機にちょっと気がついてもらってもいいのかなとは思います。でも全然気づいていないみたいです。次々と入る「日本一陥落」に対してコメントを求める電話に、「かえってよかったんじゃないですか。メディアにかぶせていただいた不名誉な冠がようやく外れるわけで」と答えると、決まって皆さん「はー、そうですか…」とピンとこない様子で実に残念そう。きっと「本当に悔しいです!」と力一杯言って欲しいのでしょうね。

四万十市さんはこれから大変ですね。しばらくはメディアで取り上げられる機会も増えて、街の人たちは「おらが街は有名になった」と嬉しく思うことでしょうが、それもつかの間、マスメディアが連呼する「日本一暑い街」という不名誉な冠が観光客を遠ざけてしまうのじゃないかなと。暑いことだけでも大変なのですが、「日本一暑い」と言われ続けるのも実は大変な重荷なのです。

熊谷は往年のキャンディーズ風に言えば(例えが古くてすいません)、今日を境に「普通の暑い街」になれたわけで、これからも「普通の暑い街」としてのHOTな街おこしは続けていくわけです。でも、これを機に全然メディアに取り上げられなくなっちゃったりすると、やっぱりキャンディーズのように「普通の生活」にもの足りなくなって、やっぱり「日本一」に戻りたーいってなっちゃうのかな。

追伸:あっ、ブログのタイトル、どうしますかね。「日本一熱かった街」?「日本で二番目に熱い街」?

来年の消費増税は2%がよろしいと思う件

2013-08-09 | ニュース雑感
来年4月の消費税の導入に向けその可否を決定する材料集めとして、安部首相は有識者50人へのヒアリング実施を指示したそうです。

現状、4月の消費税導入に対する意見はかなり割れています。当然、国際公約でもある財政再建に向けた財源確保の観点から、この期に及んでの白紙撤回、無期延期はあり得ないのですが、予定通りやるべきか、内容を見直ししてやるべきか、一定期間様子見をするべきか、その3通りぐらいに意見は分散しているようです。

予定通り導入派は「97年の消費税導入時とは経済環境が違うので、導入による景気悪化懸念はない」をその理由に掲げているようです。確かに、97年当時は金融危機の真っただ中で、消費増税は駆け込み需要によるその後の消費の落ち込みが一層の景気低迷をもたらす結果になったわけです。しかし今回、あの時は景気下降線、今は景気回復途上であり大丈夫と言えるのか、ちょっと心配な気がしています。

97年はさておき、今回と同じ3%増税であった我が国に消費税が導入された89年を振り返ってみたいと思います。この当時はバブル景気の頂点にあった時期で、増税にとってはこれ以上ない環境であったと思われます。税率は3%。実はこの3%が消費意欲旺盛なあの時期にあっても、実質GDP成長率は7%台(88年)から5%(89~90年)台に低下させ、そのままバブルの崩壊を迎えました。もちろん、消費税がバブル崩壊をもたらしたわけではありませんが、消費者心理に及ぼす影響の大きさは見逃すことはできません。

私は常々、消費者こそが景気を動かす最大の力を持っていると感じています。企業がいかに一生懸命努力して、良質な物やサービスを提供しようとも、消費者の購買意欲が冷める方向に流れ必要以上のモノを買わないならば景気は確実に下向きになるのです。私がなぜ89年消費税導入前後のGDP成長率の話をしたかというと、あの好景気においても3%という数字が持つプレッシャーは相当なものであるということをお分かりいただきたいのです。

「3」という数字がもつ力にも着目する必要があると思います。「石の上にも3年」「3人寄れば文殊の知恵」等々、「3」は人々の中で何か力を持つひとつの区切りとして意識される単位であるように思います。プレゼンの秘訣などでよく語られる「ポイントを3つで示せ」とか、「実例は3つあげろ」とかいうのも、「3」という数字がそれなりの存在感をもって人の心理に働き掛ける力があるからではないでしょうか。

こんな考えから、あくまで感覚的なお話ではありますが、私は「3」という数字が持つ力強さを考えると、今のまだ決して底堅いとはいえない景気回復状態においては、消費増税の上げ幅3%はちょっと心理的に重たいのではないかと思うのです。バブルの頂点時でさえ成長率を下方に2%鈍らせた3%の増税です。景気下降線の97年は増税タイミングとして論外であり、2%であっても深刻な心理的ダメージを与えたわけですが、増税予定通り導入派が言う「97年と状況は違うから今回は大丈夫」というのは、今回も上げ幅が同じ2%ならという条件付きで成立することという気がしてなりません。

今の環境下で3%は重たいです。日本経済研究センターがまとめた4~6月の民間エコノミスト40人のGDP成長率予測集計では3.43%と、第一四半期の4.10%を若干下回り景気回復力は決して力強くはなく予断を許さない状況であることをうかがわせます。この状況下で3%の増税をするなら、消費者心理への影響による消費の冷え込みは大きく、一気にマイナス成長に転じるのは確実でしょう。そしてその後緩やかに回復基調に戻すとしても、1年半後にまた2%の増税が控えているので決定打的に景気の腰を折ることになるのではないかと懸念されるところなのです。

財政再建が待ったなしの状況下でないなら、本当は平均的消費者レベルにおいて景気回復および好景気を実感できるところに来てから3%の増税に踏み切るべきなのでしょうが、増税引き延ばしが「日本売り」にもなりかねないと懸念が広がる現状においてはそれも難しいと。ならば、まず現時点では消費者心理に大きな影響を与えない水準での増税幅に抑えて、「国内を冷まさず国外からの批判を受けず」の増税で前進の舵を切るべきなのではないかと思うのです。

以上のような観点から、結論として来年はひとまず2%の消費増税が落としどころではないかと思います。その先10%に向けた追加増税幅とタイミングは2%増税の結果を見てからさらに慎重に決めるのがよろしいかと。景気の流れをつくる最大要因は一般消費者心理であるとの観点から考え、そんな感じでいかがでしょうか。

広域地銀再編へのミスリードを正す!

2013-08-07 | 経営
東京都民銀行と八千代銀行の統合が報じられ、地銀再編に関する議論がにわかに騒がしくなってきました。

平成の初めには13行あった都市銀行は、バブル経済の崩壊後急速に再編が進んで3メガバンク体制になり体力を蓄えたのに対して、地銀は現状でなお105行体制とほとんど再編が進んでいないのが実情ではあります。日経新聞をはじめマスコミの論調は今回の両行の統合報道を機にした、地銀の単独資金量10兆円規模化に向けた広域統合歓迎あるいは推奨でありますが、話はそんなに簡単ではないと思っています。

マスコミが地銀の広域統合による再編を歓迎するのは、一行あたりの体力を増強することで地域金融機関の収益環境悪化による金融不安を回避することにメリットを見出している感が強いのですが、私はその見方は単純な破綻リスク軽減の観点から見ただけのあまりにも単視眼的な見解であると思います。

そもそも地銀の役割と言うものを考えてください。地銀のもっとも大きな存在意義は、地域金融の担い手として、各地域における中小企業への円滑な資金供給を通じた地域経済の安定成長の底支えをすることにこそあるのです。そのためには、地域活動の基本ユニットである都道府県単位での存続がもっとも有効であり、各都道府県が地元地銀としっかりと協力体制を組みながら、中小企業支援をしていく必要があると考えます。その観点で想定できる地銀の統合は、同一都道府県内の地銀統合に限定される形になるわけですが、その場合の統合後の地銀数は都道府県数と同じ47ということになります。

一方、日経新聞などが推奨する地銀の経営リスク軽減化に向けた広域化の基準は、再編後の資金量で一行当たり10兆円以上と言う見解であり、現状の地銀、第二地銀の資金量合算から一行当たりの資金量が10兆円規模になるための再編を単純計算で考えると、今の105行が広域統合により約4分の1の20数行にならないといけない計算になるのです。この考え方だと、単純に言って地方銀行は2県に1行という計算になるのですが、これでは地方金融は十分に機能するとは思えません。

私が銀行に入った80年代前半頃までは、今のメガバンクの前身である都市銀行と地方銀行の間には、厳然たるスタンスの差がありました。都市銀行は上場企業やその予備軍等大企業融資を中心とした融資姿勢であり、町工場などの中小零細企業支援はもっぱら地方銀行の役割だったのです。それがバブル景気を機に、だぶついた資金の貸し先を求めて都市銀行はこぞって「リテール重視」を打ち出し中小企業融資に本腰を入れ始めます。一方の地銀も同時期以降、国際化、業務自由化の波に乗って都市銀行的な全方位金融サービス戦略をおしすすめ、両者の境目が見えにくくなってきたのです。

しかし、本来都市銀行と地方銀行では先にも述べたとおりその依って立つ存在基盤から考える役割は全く異なっています。バブル期に都市銀行と地方銀行の役割の違いを勘違いし誤った舵取りをして、痛い目に会った地銀もたくさんあります。同じ過ちを繰り返さないためにも、地銀の役割とそれがゆえの進むべき道を周囲がミスリードしてはいけないと思うのです。

ここでまた都市銀行と地銀を混同するような、広域に及ぶ地銀再編をおしすすめるのは明らかな間違いであると思います。地方銀行は最低一県一行必要なのです。自治体との連携による地域活性化を考えれば至極当然のことでもあります。財政の再建を念頭においた行財政改革によって小さな政府を推し進めていく上では、なおさらのことでもあるでしょう。

むしろ、地銀に対しては自治体がその連携策をきっちり構築して、地域の中小企業の支援策を強化して欲しいところです。これ以上、地銀をメガバンク化させその違いが一層見えにくくなるのは、地域経済にとって決してプラスではないからです。考えうる施策として、例えば保証協会利用を地銀に限定するのはどうでしょう。保証協会保証と言うものは、信用力の面でなかなか銀行融資が受けられない中小企業向けに公的保証が支援する制度です。これ以上地銀にふさわしい制度はなく、メガバンクがこの制度を活用すること自体が私はおかしいと以前より強く感じているところでもあります。

いずれにしましても、メガバンクと地銀は双方の明確な違いが利用者からも見えなくてはいけない。そのためには、やはりいたずらに県境を越えた規模の拡大による再編の流れを作ることはプラスではないと思います。むしろそれはメガバンクとの競争をより一層激化させることにもつながり、地銀自身にもまたその顧客にも決してプラスを生むものではないと思うのです。

東京都民銀行と八千代銀行の統合の英断には敬意を表しつつも、地銀統合の流れに関してはその本来の役割とメガバンクとの違いを認識しつつ慎重を期すべき。地域経済の健全な発展を考える上からも、そのように考える次第です。