日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

私の名盤コレクション5 ~ Northern Lights Southern Cross / The Band

2011-05-29 | 洋楽
★Northern Lights Southern Cross / The Band

1. Forbidden Fruit
2. Hobo Jungle
3. Ophelia
4. Acadian Driftwood
5. Ring Your Bell
6. It Makes No Difference
7. Jupiter Hollow
8. Rags And Bones

ディランとくればザ・バンドに触れない訳にはいきません。75年のザ・バンドのアルバム、日本タイトルは「南十字星」です。ザ・バンドは60年代にホークスとしてディランのバックを務め、ディランのオートバイ事故後の隠遁期にはディランをルーツミュージックに目覚めさせあの「ベースメント・テープス」をともに作り上げ、英米の音楽界に密かなルーツ・ミュージック・ブームを巻き起こした“震源地”でもあったのです。あのエリック・クラプトンが、クリームを辞めたくなったのもデレク&ザ・ドミノスでアメリカ人メンバーたちとスワンプを手掛けたのも、彼自身がザ・バンドをやりたかったが故だったのです。ザ・バンドの名作と言えば、ディランとの“地下室セッション”の成果であるデビュー作「ミュージック・フロム・ビッグピンク」と、それに続く兄弟作品のような第二作「ザ・バンド」。この2枚は世が認める歴史的名盤であります。そのことに異論はありませんが、彼らを語る上で欠かせないもう一つの名作がこの「南十字星」なのです。

75年と言えば、ディランとのアルバム制作「プラネット・ウエイヴス」を経て復活ツアーを終えた後に、ディランの元を離れた時期でもありました。初期の名作「ビッグピンク」と「ザ・バンド」はそれぞれ68年、69年のリリースであり、音楽界のフィクサー的存在であったディランを陰で支えた60年代の彼らを象徴するような作品でありました。対照的にこのアルバムは、70年代に入ってビートルズの解散というターニング・ポイントを経た音楽界は、多種多様なクロスオーバー的な音楽交流の中から新たな時代の到来を感じさせるいくつもの流れが登場し、それらの流れを吸収しつつザ・バンド的ルーツ感をうまく70年代風に成立させたものなのです。ここにもはやディランの影はなく、独自のスワンプ・グルーヴを身にまとい70年代のアメリカンバンドを体現する自信に満ち溢れた姿のみがあるのです。

全曲ロビー・ロバートソンのペンによる楽曲ですが、その質の高さはそれまでのどのアルバムの比ではないと思えるほどに素晴らしいレベルにあります。アレンジも恐らくはほとんど彼の意向によるところが大きいのでしょう。この後のバンドの行く末からうかがわれる彼の嗜好とルーツに固執する他のメンバーたちとの音楽の方向性の違は明らかであり、全曲を自身の曲で埋め尽くすことによりロビー色一辺倒の新たなザ・バンド像を作り上げようとしたのではないかと思えるのです。本当のザ・バンド・ファンはむしろロビーが抜けた後の再結成ザ・バンドを支持する声も根強くあるのですが、私はこのアルバムはこのアルバムで70年代という音楽激動の時代に確実に60年代の残党バンドが、70年代と言う新しい時代に確実な足跡を残したと言う意味において意義深い作品であると思ってやまないのです。たとえそれが解散に向けての動き出しとして商業的に計算し尽くされたロビーの策略のアルバムであったとしても・・・。

3人のボーカリストの使い分けも実にお見事。3人が交互にリードをとる4「Acadian Driftwood 」などは、アメリカ南部を追われるカナダ人たちの故郷に寄せる哀愁を漂わせた彼らの境遇にもなぞられる内容が、ロビーが考えたバンドの大団円に向けた戦略的な楽曲と言う事だけでは片づけられない名曲です。他にもニューオリンズ的ラグタイムを70年代風ロックにアレンジした3「Ophelia」、今は亡きリック・ダンコの哀愁漂うボーカルをフィーチャーした6「It Makes No Difference 」、後のマイケル・マクドナルドのAORキーボードの登場を予感させるような7「Jupiter Hollow」など聞かせどころ満載の大傑作アルバムです。個人的にはリリース当時FMラジオの新譜紹介で初めて耳にしてその素晴らしさにブツ飛び、歴史的名盤が生まれる瞬間に立ち会うというのはこういうことかと実感したのでした。

日本ダービー(当日予想)

2011-05-29 | 競馬
予想外にひどい雨です。当然不良馬場。田んぼの中で走るようなレースになりそうです。残念ですね。この馬場で実力を出し切れない馬がいるとしたら可哀そうなことです。

さて、予想。
半端な道悪ではなくここまで馬場がドロドロになると、むしろ実力通りに決まるモノと言う気もします(皐月賞の上位馬が来ると言う事)。しかしここは穴党の面目躍如で、先行馬の前残りを狙います。注目は4枠の2頭。共に先行脚質でデビュー戦を道悪で勝っています。⑦ベルシャザールと⑧フェイトフルウォー。騎手は後藤と田中勝。後藤は道悪で思い切った乗り方をしそうというイメージがあります。田中も若い頃はけっこう道悪で穴を開けていたと記憶しています。

枠連で、4枠から。
どの馬が道悪が得意なのか分からないのでチビチビと総流しします。
イメージ的には⑰ユニバーサルバンク、⑯トーセンレーヴあたりは道悪がうまそうな気がしますが・・・。
とにかくこの馬場では何が来てても驚けないので、何しても遊び程度にいくのが良いかと思います。
こんな時だから、思い切った穴狙いも面白いかもしれませんね。

日本ダービー(前日雑感)

2011-05-28 | 競馬
明日は、競馬の祭典日本ダービーです。

問題は空模様。三歳三冠の一冠目「皐月賞」を圧勝したオルフェーブルの強さは認めつつも、今後明日のレースまでの降水量次第では大荒れもありうる状況です。もうひとつの話題は、今回出走の18頭がすべてサンデーサイレンスの孫(父の父サンデーが16頭、母の父サンデーが2頭)たちという異例のメンバー構成である点。距離適正や道悪の巧拙に大きな差が出にくいメンバー構成であり、馬場状態に関係なく意外に実力通りの決着となるのかもしれません。

そうは言いつつも、先週のオークスが直前の大雨で先行有利に転じ結果大荒れになったように、実力以上に天候の影響が生む展開の利が雌雄を決することも想定に入れる価値はありそうです。「雨→道悪」と聞くと、「逃げ・先行の人気薄!」と無意識に連想するのは穴党の悲しい性かなと思いますが、そうやってメンバーを見渡すと確固たる逃げ馬不在のメンバー構成であり、明日の天候と騎手のクセも含めてじっくりと穴馬を吟味する必要がありそうです。なので結論は明日にします。

前日段階では、皐月賞馬オルフェーブルと全く同じメジロマックイーンの肌にステイゴールドという、距離、道悪ともドンと来い配合のフェイトフルウォーに関心があります。昨年のダービー馬エイシンフラッシュと同じ2000メートルの京成杯の勝ち馬でもあり、京成杯のような先行抜け出しができるなら面白いと思います。問題は鞍上の田中勝春騎手。毎年コンスタントに勝ち星をあげていながら、生涯G�勝ち鞍はわずかに2勝のみ。大レースでの勝負弱さが気になるところです。

大切にしたい、ネット販売時代の「対面営業」

2011-05-26 | 経営
ネットニュースのJ-CASTさんのページで営業に関する原稿を書かさせていただいておりますが、私の原稿に対するコメント欄への反応を見るに、ネット世代の「販売」に関する意識の違いには驚かされることばかりです。連載開始前に編集者の方から、その辺の事前レクチャーはいただいてはいたものの、予想以上の現実にやや面食らっております。とにかくネットで販売できるものは、コストが圧倒的に安いのだからあえて人的営業、対面販売するなんて今時ナンセンス、と言わんばかりの反応が続々なのです。

特に訪問販売に対しては「時代錯誤」と切り捨て、嫌悪感にも似た敵対的な感情をあらわにすることが著しく、全否定に近い反応を見せられてちょっと驚いています。私が銀行にいた数年前でも新規先訪問営業は常識でしたし、今でも基本は変わらないと思います。コンサルティングの立場から見ても、飛び込み営業を拡販の軸としているビジネスモデルは企業は規模を問わずまだまだ沢山ありますし、実際熊谷の我が家にも事務所にも、毎日ではありませんが結構いろいろな訪問営業がやってまいります。もちろん、私自身玄関先まで出て話を聞くケースは決して多くはありませんが、個人的には相手の顔を見ながら話が出来る分だけ“顔のない”見知らぬ先からのメールセールスや電話セールスよりは、相手の風貌や話しぶりによっては聞く気にさせられるものです。

ネット販売が悪いことであるとは思いませんが、基本的にネットで販売を競うモノは購買側の可否判断は客観的データ比較に偏らざるを得ず、決定は価格に依存する部分が圧倒的に大きいと言えます。「カカクコム」のようなページがもてはやされるのも、まさにこのようなネットの特性を表わしたものであると言えるでしょう。その意味では「ネット営業」なる言葉自体は存在するものの、どうも「営業」というものとはかけ離れた世界であるように思えてなりません。と言いますのも、私の持論は「価格営業は営業に非ず」でして、「価格」争いをしてモノを販売したり仕事を獲得したりすることは営業の仕事ではないと思って止まないからなのです。では「営業」の仕事とは一体何なのか?

私は、「営業」とは商品を売る仕事ではなく付加価値を売る仕事である、と事あるごとに話をしています。そう自社の付加価値、自身の付加価値、言ってみればこの商品を売ると「もれなく何がついて来るのか」をアピールして、その部分を他社と比較してもらい買ってもらうのが「営業」の仕事であり「営業」の醍醐味でもあるのです。そのために求められるモノがコミュニケーションであり、コミュニケーションのないところに「営業」は存在しないのです。法人営業、個人営業問わず、飛び込み先でも既存取引先でも、コミュニケーションを重ね、自分や自社への信頼感を勝ち取って取引獲得につなげることこそが正しい「営業」のあり方であり、ネット時代になったからと言ってすべて価格のみでモノが決まり「人的営業」は不要などということはあり得ないですし、それでは寂しすぎます。

子供の頃から外の社会的サークルの中で遊ばずに、テレビゲームと塾通いで育った世代はどうもコミュニケーション力に欠けるように思います。コミュニケーション力の欠如とIT礼賛の体質が、価格偏重の「ネット営業」を究極の販売手段と崇め「人的営業」を非効率で不要なものと切り捨てる、そんな流れを生んでいるのではないかと感じさせられもします。彼らがビジネスシーンの中核を担う時代になったときに(もうすでになりつつあるのかもしれませんが)、果たして世の「営業」の常識はどうなってしまうのか、なんとも不安な気持ちにもさせられます。商売においても、人と人との直接対話があるから生まれるプラスアルファの「付加価値」こそがビジネスの喜びであったりもする訳で、相手の顔を見ることのない価格偏重の商売が幅を利かすなら、あらゆるものが客観的データばかりで判断されたネットゲームと化してしまい、日本のビジネス先行きはあまりに暗いのではないかと思うのです。

現在J-CASTさんでやらせていただいている連載では、ネットの世界では味わえないコミュニケーションを軸とした「人的営業」「対面営業」の素晴らしさや面白さを、少しでも若い世代に伝えていけたらと思っています。

★J-CASTにて好評連載中「営業は難しい~ココを直せばうまくいく!/大関暁夫」★
http://www.j-cast.com/kaisha/column/kokonao/index.php

枝野「債権放棄」発言は政権の「保身」

2011-05-24 | ニュース雑感
東電の賠償スキーム作りをめぐって、枝野官房長官が金融機関に自主的な債権放棄を求める発言を繰り返しているようです。「金融機関の債権放棄なくして、国民の(国民負担に対する)理解を得ることは難しい」というのがその理由のようで。管首相が言うことろの、「一企業を救うためにスキームを作ったと思われてはならない」という考え方にもリンクしている訳ですが、現政権のこのあまりに乱暴かつ短絡的なモノの考え方は、国政を担う立場の方が言うべきことであるのか、大きな疑問を感じざるを得ません。

枝野氏は、東電に公的資金を入れるのなら金融機関にも一定の「けじめ」を求めるべき、との考え方でこの発言を繰り返しているようなのですが、この場合の「けじめ」とは何でしょう。住専問題処理の際に盛んに言われていたいわゆる「貸し手責任」ということなのでしょうか。住専の処理スキームを巡っては、確かに銀行が住専をつくり直接貸せない高リスク債権を住専に回すことで、いわば住専をリスク債権の処理場として活用したことが(もちろん一方で国民に広く住宅ローンを提供すると言う大義名分は存在しました)、不動産相場の下落と共に一気に不良債権化し住専を機能不全に陥れたという状況がありました。もちろん、このような事実背景があるのなら「貸し手責任」は当然われるべき問題ではある訳ですが、今回のような大震災と言う自然災害に端を発した企業危機に対してその企業に対して融資を行ってきた銀行のどこに「貸し手責任」を求めるのでしょうか。仮に原発開発に資金を提供してきたということに関する「貸し手責任」だとしても、原子力政策の権化でありながら自己の責任を棚上げしたままの政府から真っ先に責任を求められるのは筋が通りません。枝野氏の発言は、論理的に全く筋の通らないお話であると思うのです。

仮に金融団が、東電の再建策検討に向かって債権放棄を含めた金融支援スキームを検討することがあるとするなら、それは経営責任、株主責任、原子力政策主導の当事者である国家責任について明確な考え方と責任の取り方が具体的になってはじめてできることであるはずなのです(もちろん法的な措置によることが、民間企業である銀行の株主に対しても一番納得性が得られる流れな訳ですが)。国民負担を前提とする賠償スキームに対する国民の理解を得んとせんがために、まず取引金融機関に負担を強いると言うのはどう考えても国の責任逃れ策であり、嫌われがちな銀行を“仮想敵国”に仕立て上げた国民に対する姑息な目くらまし戦術に他ならないと思います。こんな安易な目くらましは、責任が我が身に降りかかるまいとする現政権の「保身」策以外にない驚くべき愚策であり、国民は例え銀行嫌いであろうともこんな稚拙なやり方に決してだまされてはならないのです。

これは私が金融機関出身として銀行擁護している訳ではなく、常識的に考えてどうみてもおかしいと思うから申しあげているのです。東電の賠償スキームだけでなく今回の原発にからむあらゆる対応策について現政権が「保身」を抱えたまま策を弄するなら、結局根本的な解決にならないどころか最終的には国民に大きなしわ寄せが来ることは間違いないのです。メディアも世論も、現政権が発する「保身」策に対しては鋭く見抜く目を持って声を大にして「NO」を突き付けなくてはいけないと思います。我が国の未来を、一政党一政権の「保身」により黒く塗りつぶしてはいけません。

オークス

2011-05-21 | 競馬
牝馬三冠、クラシックディスタンス(2400メートル)で争われるオークスです。

下馬評は桜花賞の1、2着馬⑨マルセリーナ、⑫ホエールキャプチャの一騎打ち。同レース3着のトレンドハンターが回避したこともあって、この2頭の馬券は2倍台と面白みのない状況になっています。確かに桜花賞が新阪神コースで行われるようになってからは“荒れる桜花賞”が実力どおりに決まることが多くなり、距離が一気に伸びるオークスでも桜花賞の上位馬の争いになるケースが増えています。

でも2倍台じゃ面白くない。ここは2頭の強さは認めつつも穴狙いを。距離2400の距離適正を血統から推理して、距離適正ナンバーワンは⑭スピードリッパー。GⅠで活躍した長距離馬ポップロックの半妹で父がファルブラヴなら距離延長はドンと来いの血統。他には、トニービンの肌にスティゴールドというスタミナ配合の③バウンシーチューン、長距離戦線で活躍したリンカーン産駒⑩デルマドゥルガーあたりもおもしろそうです。

2強の比較では、距離2400のダービーで5着に沈んだ父クロフネの⑫よりもダービー圧勝の父ディープインパクトの⑨を上位に見ます。

⑨-⑭、③-⑨、⑨ー⑩の馬連・ワイドの穴で遊びます。

父ディープインパクト、母エアグルーヴの超良血⑯グルヴェイグはこの距離で気になりますが、実績以上に人気なのでうまみなく「消し」が妥当?

政府の無責任ぶりが見え隠れする東電会見のモヤモヤ感

2011-05-20 | ニュース雑感
東京電力が、1兆200億円の赤字決算と社長の引責辞任を発表しました。

今回公表された赤字額は震災後処理のまだまだ入り口にすぎません。福島第一原発の終息までにかかる費用が一体いくらになるのか。加えて損害賠償の範囲やその額の決定に関しては、かなりの曲折と膨大な支給額が予想されるような状況でもあります。これらの総負担額については現段階ではまったく見えていませんが、今回発表の前期の赤字分を除いて低く見積もっても数兆円規模と言われています。この数兆円をどうまかなっていくのか、あるいはいけないのか。それに関するシミュレーションらしきものは、今回の発表では全く触れられてはいませんでした。

社長人事に関してはさらなる不透明感を感じさせられました。清水社長は今般引責辞任し、無給の顧問として引き続き原発事後対応にあたるとか。退任の弁を述べる中で、東電の企業風土の問題も口にしました。恐らくはメディアや福島第一原発の避難民から浴びせられた、自身の震災後の言動に対する痛烈な批判も踏まえてあえて述べたのでしょう。組織風土改革が必要であるとの認識を示しながらも、後任は内部昇格の水野常務。なんとも矛盾を感じさせる人事です。しかも水野氏は副社長を飛び越えての会長直系の飛び級人事とか。外部からのトップ招聘ではなく、あくまでも内部昇格による、しかも官僚組織的な派閥人事を感じさせるトップ交代は、なんとも“しっくりこない感”満点の発表でありました。

この会見から感じさせられるのは、「問題の根源は東電にあらず」のモヤモヤ感です。万事政府からの指示とお伺いの結果の言動と想像がつく状況下、威張り散らしハッキリ姿が見えている黒子がいながらいないフリを決め込むモヤモヤ感です。例えば、福島第一の事故後は実質政府の管理下にありながら、政府は表に出ず東電をあくまで一民間企業として責任追及の矢面に立たせている訳で、なんとも理不尽。毎度申しあげますが、原子力エネルギー政策はとりもなおさず国家政策の下すすめられたものであり、確かに災害時対策として東電側に免れ得ない重大な過失があったとしても、上に立つ責任者たる国がリーダーシップをとって動かないで何が出来るのでしょう。企業組織で言うなら上司了解の下、部下がとった行動が取引先との間に大問題を引き起こしたような事態において、上司が文句は散々言いながら「俺は知らないよ。お前がすべて責任をかぶれ」と部下を突き放しているようなものです。だからこそ、このハッキリしない東電の発表に国の責任逃れを感じさせる胸糞の悪いモヤモヤ感が充満している訳なのです。

被害者への補償問題にしても、予想される膨大な金額を前に立ち尽くす東電を突き放すのは被害者の不安をいたずらに煽るだけではないのでしょうか。補償対象は政府が勇み足的に行った、強制退去措置や出荷規制をした食品関連の風評被害補償が多額を占めているのにもかかわらずこの態度。しかもご都合主義的に東電を突き離しておきながら、「金融機関は債権放棄を検討すべき」などとますます世間を経済的混乱に陥れかねないような無責任極まりない発言をしたり・・・。政府民主党の当事者意識の薄さには、毎度の事とは言いながら驚かされるばかりです。補償問題の国民負担の有無議論以前の問題として、東電と一体となっての金銭面についての対応策を真剣に検討すべき段階に来ているのと思うのですが、いかがでしょうか。もちろん、その大前提として実質管理下にある東電トップ人事を国も当事者として関与しつつ刷新し、第三者の目を入れて内外のあらゆる改革に大ナタを振るうべきではないのでしょうか。

福島第一原発の問題をしっかりと終息に向かわせる事は、日本の再生にとって不可欠な最優先課題であるハズです。そしてその福島第一原発の問題には、物理的対応と経済的対応の二つの側面があるのです。今の政府の対応を見るに、物理的な側面に関しては指揮権を発動しつつも執行責任を東電に押し付けた逃げ腰対応に見受けられますし、経済的側面に関しては“我関せず”ともとれる無責任ぶりです。物理的、経済的両側面とも、我が国復興の重要なポイントであると言う認識を持って、積極的な関与とリーダーシップある対応が望まれるところです。政府が責任逃れの及び腰でこの問題に対処し続ける限り、このモヤモヤ感は解消されることはなく、我が国の浮沈のカギを握る早期復興への道のりは険しくなる一方であると思うのです。

★J-CAST~大関暁夫連載「営業は難しい~ココを直せばうまくいく!」更新しました!
→ http://www.j-cast.com/kaisha/2011/05/19095947.html

昭和問わず語り9~日曜午後のテレビと“昭和の名フレーズ”

2011-05-18 | 昭和
長寿番組「アタック25」の司会としても有名だった俳優の児玉清さんが亡くなられました。享年77歳。

「アタック25」は昭和50年に始まった日曜午後の視聴者参加型クイズ番組。昭和当時は視聴者参加型が花盛りの時代でしたが、今や見渡す限りこのタイプはこの番組ぐらい。児玉さんが亡くなられたことで、番組が終了することになるのであれば、またひとつ昭和の日曜日を象徴する名物番組が姿を消すことになります。仮に番組が継続するとしても、児玉さんの姿はないわけで寂しい限りです。今回は昭和の日曜日午後のテレビ番組を語ってみます。

昭和の日曜午後のテレビ番組で思い出すものと言えば、まずは正午過ぎからやっていた「大正テレビ寄席」。牧伸二がウクレレ片手に司会進行をやっていたあの番組です。「♪あ~あ~あ、やんなっちゃった。あ~んがあんがぁ驚いた」ってフレーズは、私世代の子供たちで知らない人はまずいない、“昭和の名フレーズ”のひとつです。その後午後1時過ぎからは、「日曜テレビ寄席」。夕方には今も続く「笑点」が控えており、日曜日は寄席番組が多かったんですね。平日は主婦向けにドラマ、若者向けに歌番組中心、日曜日はパパもいるから家族揃ってお笑いというのが昭和のテレビ局の戦略だったのかもしれません。ちなみに、「日曜テレビ寄席」は番組うんぬんより、印象的だったのはコマーシャルです。サンヨー食品の「サッポロ一番」のCMを今は亡き藤岡琢也さんがやっていました。例の「♪サッポロい~ちばん、みそラ~メン」ってやつです。これも知らない人はないほどの“昭和の名フレーズ”ですよね。

これら寄席番組とは少し時代が相前後しますが、「日曜テレビ寄席」の後の時間帯が児玉清さんの「アタック25」でした。なぜ俳優の児玉さんが司会だったのでしょう。思い起こせば、その当時はなぜかクイズ番組の司会は俳優が多かったのです。例えば「クイズ・タイムショック」の田宮次郎氏。「クイズ・グランプリ」の小泉博氏等々。これも時代ですね。きっとアメリカあたりのTV番組の影響だったのかもしれません。その後博多華丸が真似をして大ブレイクした独特の“児玉節”は、他の司会者とは一線を隔す隠れた“昭和の名フレーズ”だったと言えるでしょう。

「アタック25」の後午後3時からは「競馬中継」。子供の頃から見ていました。古い馬の話になると長くなるのでそれは別の機会に譲るとして、司会は川口探検隊で一世を風靡した川口浩氏と野添ひとみさんご夫妻。自身も競走馬を所有するほど(マジョルカなんていうオープン馬も持ってました)の競馬好きでしたが、お二方とも若くして亡くなられてしまいました。当時の実況は盛山アナ。「自分が馬券を買っているレースはうまく実況できない」とか裏話をしていることがありましたが、実際にゴール前実況で全然人気のない馬の名前をあげて「○○はまだ来ない!」と叫んでいることもありました。盛山さんが買っていた馬だったんでしょうね。昭和はそんなほのぼのした時代でもありました。

競馬中継が終わるとそろそろ夕方。日曜日も終わりが近くなり、だんだんと「明日は学校」といういやーな気分になっていく時間帯に入ります。まず夕方の番組の代表格は先にも登場した「笑点」。あの「笑点」のテーマ曲。今はインストナンバーですが、元々は歌詞があったのをご存知ですか。確か、初代司会の立川談志が作詞をしたと記憶しています。サビは「♪笑う点ならそものズバリ~。それはご存じ、それはご存じ、しょうて~ん、だぁよ」って歌詞。個人的にはこれもけっこうな“昭和の名フレーズ”です。

日曜日夕方と言えば、マンガのくせに抑揚のないストーリー展開で最高に暗い気持ちになったのが「サザエさん」。日曜夕方一家で「サザエさん」って実に昭和的な風景なのですが、小学校の道徳の時間のNHK教育テレビみたいで「明日は学校かぁ」という実感と相まってくらーい気分になりました。日曜日のテレビ局の戦略が「家族揃ってお笑い」が基本だったとしても、「サザエさん」では笑えなかった。少年マンガ雑誌全盛時代に育った世代としては、とにかく「こんなにつまらんマンガってあり?」と思いました。特に古臭い大正オヤジ風情の波平が嫌でしたね。今の小学生はこの辺のマンガ、どう見ているのでしょうか。もはや今の小学生は「サザエさん」を見ていない?でも高視聴率?じゃ一体誰が見ているのか。

こうやって見てくると、昭和の日曜日のテレビ番組ってけっこう長寿が多いですよね。今だに続くのは「アタック25」「競馬中継」「笑点」「サザエさん」・・・。日曜日は、これらを全て見ればけっこうな疑似昭和日曜生活ができます。中でも児玉清さんの「アタック25」、最近は見ていませんでしたがある意味最も昭和から変わっていない奇特な番組でもあり、児玉さんの昭和を今に伝える司会が見れなくなるのは本当に寂しい気がします。

昭和を伝えるクイズ司会の名調子、児玉清さんのご冥福を心よりお祈り申しあげます。

私の名盤コレクション4 ~ New Morning / Bob Dylan

2011-05-15 | 洋楽
★New Morning / Bob Dylan

1. If not for you
2. Day of the locusts
3. Time passes slowly
4. Went to see the gypsy
5. Winterlude
6. If dogs run free
7. New morning
8. Sign in the window
9. One more weekend
10. Man in me
11. Three angels
12. Father of night

今回はボブ・ディラン。私の名盤は、70年リリースの「新しい夜明け」です。ロックに転向し絶賛された名作「ブロンド・オン・ブロンド」の後、モータ・バイク事故により隠遁生活に入り、復帰後は期待を裏切るフォークアルバムやカントリーアルバムをリリースしファンの批判を買ったディランが、「復活」との賛辞を持って迎えられたアルバムです。その割には現在ではなぜか軽く扱われ、あまり取り上げられることがないのがちょっと不思議。現在のディランにも通じる作品として、見直されるべき素晴らしいアルバムです。個人的には洋楽の道に迷い込んだ時点でディランの“最新盤”であった作品でもあり、その意味でもけっこう感慨深いものもあるのです。

1「If not for you 」は、ジョージ・ハリスンにも取り上げられたカントリー・フォークの名曲。ジョージとのセッションもあったのに(後にブートレッグ・シリーズで陽の目を見ました)、アルバムのコンセプトを重視したのか共演テイクを没にして取り直したバージョンが採用されています。アルバム構成としては、「ブロンド・オン・ブロンド」で確立されたフォーク・ロック的ナンバーを発展させたものと、新たなルーツ探訪とも言えそうなナンバー。フォーク・ロック系の代表が、タイトルナンバーの7「New morning 」 や2「Day of the locusts」、10「Man in me 」など。どれも素晴らしい。アル・クーパーのオルガン・プレイが実に現在のディランのキーボードワークに近く、今のバンド・アンサンブルの基本形は実はこの時代に培われたものなのではないかとも思えるのです。ちなみに「Man in me 」は昨年の日本公演でもやっていました(メロディは例によって全く別モノ)。

一方新しい試みと言えるのは、ワルツに挑戦した美しい5「Winterlude」、なんと驚きのディラン・ジャズ6「If dogs run free」(女性のスキャット が時代を感じさせます)、本格的ブルーズの9「One more weekend」。実に前向きな挑戦姿勢がディランの70年代のスタートを告げているかのようでもあります。恐らく、隠遁生活期を経ていろいろな人たちのとの交流から生まれた新たなディランの姿がここにあるのでしょう。つまり、ディラン流ルーツ・ミュージックへの回帰とそれを受けてのスワンプ・ロック化への流れがここにあるのです。事故後不評を買ったアルバムはいわばルーツへの回帰であり、それを受けたこの時期のジョージとの接点やこのアルバム・リリース直後のバングラディシュ・コンサートへの出演、さらにはレオン・ラッセルを迎えてのレコーディング等々は、一層のスワンプ傾向に向かう“ニュー・ディラン”なのです。その狭間に位置するこのアルバムこそ、ある意味その後のディランの原点でもあるように思えるのです。

現在のディランにも通じる本作の画期的な特徴は、ディランが特徴的なピアノを弾いており、ギターよりもむしろピアノを自身のメイン楽器で使用してる点でしょう。そして次作ザ・バンドとの初正式共演作「プラネット・ウエイブス」で一度スワンプ路線に決着をつけ、その後はしばし誰もが認めるディランらしいギター中心作に戻ります。一般にこのアルバムの印象がやや薄く、名盤とさせない理由はこのあたりの過渡期的イメージによるのかもしれません。ジャケットの哲学的な表情の名盤然としたディランの写真といい、楽曲の水準やアレンジの心地よさといい、ビートルズ解散後の“新しい時代”に入ったことを示唆する、70年代の初頭を飾るにふさわしいエポックメイキングな作品としてもっともっと評価されてていいハズなのですが・・・。

※ちなみにこのアルバムのアウトテイクの一部は、後にアルバム「Dylan」に収録されて発表されます(アルバムは契約の関係でCBSがディランの意向に反してリリースしたため、現在は完全廃盤です)。そこには、プレスリーやジョニ・ミッチェル、ジェリー・ジェフ・ウォーカーらのカバーなどもあり、ディランがこの時期にルーツミュージック探求の延長としてかなり幅広いチャレンジしていたことが分かります。ただこれらのカバー曲は出来が良いにもかかわらず、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」のカバーなどを入れて不評を買った「セルフ・ポートレイト」の二の舞は避けようと思ったのでしょう、本アルバムには収録されませんでした。本アルバムへの正しい理解を一般からも得るたもめにも、本セッションの全貌をぜひブートレッグ・シリーズやデラックス・バージョンでリリースして欲しいですね。

ヴィクトリアマイル

2011-05-14 | 競馬
古馬牝馬のマイル王決定戦です。

牡馬相手にGI戦線を互角に戦ってきた13ブエナビスタが実績断然。常識的には相手探しの一戦でしょう。16アパパネが強い4歳世代の牝馬三冠馬であり、相手はこれが中心との下馬評がもっぱらですが、接戦を運良く勝ち抜いた三冠馬の印象が強く、同世代の上位馬たちとは差がないと思えます。“軸が堅けりゃヒモ狂う”の格言通り、ブエナの相手は穴狙いでいきましょう。

注目は15アプリコットフィズ。強い4歳世代で3歳夏に古馬重賞を制した重賞3勝の実力馬。ここ2戦は苦手な遠征競馬で実力を発揮できずに惨敗しましたが、直前入厩に変わる関東の競馬で一変に期待します。父ジャングルポケットは希代の東京巧者で、アプリコットもヴィクトリアマイルと同じ東京マイルのクイーンカップを圧勝しています。このところ勢いのない武豊が鞍上ですが、人馬とも復活に期待です。

他では昨春アパパネとマイル戦で互角の戦いをしていた、9ショウリュウムーンと11エイシンリターンズに期待。実力の割に人気低下で妙味ありです。
13ブエナを軸に、
13-15、9-13、11-13、の馬連、ワイドで。