日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方12」~グラム・ロック2

2010-05-30 | 洋楽
グラムロックを語る時、Tレックスとくれば普通は決まってデビッド・ボウイなのですが、ボウイはグラムの中でも傍流であるという私的解釈の下後回しにして、今回はその他の“グラムロック主流派”を取り上げてみます。

まずはスレイド(写真)。スレイドはその前身アンブローズ・スレイド時代から連なる初期は、どちらかと言えば正統派ハードロックグループであったのですが、彼らのメジャーでの売れ始めとTレックス登場によるグラムロック・センセイションの到来が時期的に一致し、これ幸いと言う感じでギンギラ衣装のグラムファッションに衣替えして大ブレイクします。その楽曲の多くは分かりやすいメロディラインと合唱できるサビが特徴的であり、アイドル的人気を博したグラムブームにこの点がかなりハマったという印象があります。

彼らのグラム期ピークの代表作はアルバム「スレイド?」と、Tレックスと同じくシングル中心の活動をしていたので「カモン!!」などのヒットナンバーを網羅した当時のベスト盤「スレイデスト」でしょう。「スレイデスト」は実に佳曲揃いです。彼らはいち早くグラムブームの終焉を察知し、「スレイデスト」で一区切りをつけるとその後はサウンド的にもソフト路線に転向し、Tレックスほどの急激な人気降下はかろうじて回避しました。80年代には「マイ・オー・マイ」「ラン・ラン・アウェイ」の大ヒットで復活も遂げ、長く英国を代表する国民的バンドとして君臨したのでした。74年唯一の来日公演は、これぞグラムロックを印象付けたブームピーク時の底抜けに明るく楽しいライブであったと記憶しています。

Tレックスもスレイドもそうですが、グラムロックはアルバムよりもシングル重視の傾向が強く、その流れの中でプロのソングライターチームによるプロジェクト的売り出しアーティストもみられました。ブームを曲作りで盛り上げたのは、ニッキー・チンとマイク・チャップマンのソングライト・コンビ“チン&チャップマン”。彼らの曲でいち早くグラムシーンに躍り出たのがスウィートであり、続いて女性ロッカーのスージー・クアトロ、マッド、スモーキーと言った面々でした。

スウィートはグラム全盛期には“チン&チャップマン”の「ブロック・バスター」「ヘルレイザー」などのヒットを放つ一方で、その後はオリジナル作への移行をはかり「フォックス・オン・ザ・ラン」などのヒットで“脱グラム”に成功。クアトロは皮ジャン姿で男性陣を奴隷の如く従えたスタイルで決めて、“サディスティク・ロックの女王”という謳い文句で登場。その後デビュー当時のインパクトは失われたものの、数少ない女性ロッカーとして珍重され、特に日本を中心に比較的長きにわたって安定した人気を獲得しました。マッドはどちらかと言うとロカビリースタイルを身上として登場、スモーキーはアイドル系グラムで売り出されましたが、いずれも日本での人気はかなり短命に終わったと記憶しています。

<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~グラム・ロック2>
★日本の72~75年頃のグラムロック・ブームを追体験する作品★
①「スレイド?/スレイド」(間違いなく彼らの最高傑作。「グッバイ・ジェーン」「クレイジー・ママ」をフィーチャー)
②「スレイデスト/スレイド」(「カモン」「恋のバックホーム」等グラム全盛期のヒット曲をすべて網羅したベスト盤)
③「サディスティクロックの女王/スージー・クアトロ」(「キャン・ザ・キャン」「48クラッシュ」フィーチャーのデビュー作)
④「スウィート・ファニー・アダムス/スウィート」(グラム全盛期に“チン&チャップマン”のサポートによるアルバム)

<解説>
グラムロックを語る上で絶対に外せないバンドはスレイド。何をおいても②のベスト盤がブームのリアル体験には最適です。彼らがいかに優れた創作能力を持っていたかがよく分かります。ベスト盤の次に聞くべきは最高傑作アルバム①。オールタイムベストのCDも複数リーリースされていますが、20年の長きにわたる楽曲を集めたベスト盤はややグラム全盛時代の彼らのイメージが薄れてしまうので、まずは上記②、①で。
スージー・クアトロもベストCDが数種類リリースされていますが、やはりあの時代に戻って衝撃的だったデビュー作③を聞くのが一番でしょう。モノクロ基調のジャケットと「キャン・ザ・キャン」「48クラッシュ」の2大ヒットをAB各面のトップに配したアルバム作りは、Tレックスの「ザ・スライダー」に習った作り様と思われます。
スウィートも同じくシングル中心の活動でしたので、全時代的ベスト盤が数種類CDで出ていますが、現行のCDでもっともあの時代の追体験ができるのは、④「スウィート・ファニー・アダムス」です。アルバムとしてヒットはしていませんが、現行CDではアルバムリリース前後のヒットシングル「ブロック・バスター」「ヘルレイザー」「ロックンロールに恋狂い」がボーナストラック収録されており、まさしくピーク時追体験アルバムとなっています。ちなみに本アルバムから当時日本では、「ペパーミント・ツイスト」がシングルカットされました。

東京優駿

2010-05-29 | 競馬
いよいよ明日は日本ダービーです。

今朝NHKマイルカップ馬⑱ダノンシャンティの出走取り消しが伝えられ、皐月賞馬⑦ヴィクトワールピサと無敗でトライアル青葉賞を制した⑨ペルーサの一騎打ちの様相です。どちらが強いのか興味津津です。ピサの皐月賞は完勝でした。ペルーサの青葉賞は圧勝でした。気になるのは明日の天候?ただ“一騎打ち”と言われるレースほどそのとおりに収まらないもので、今回もそこに期待して無理な穴狙いで年に一度の競馬の祭典を楽しみたいと思います。

「GⅠ理論」でのこのレースのGⅠレベル馬は、皐月賞の1、2着馬⑦ピサと⑫ヒルノダムール、加えて前々走で⑫を破っているトライアル勝ち馬⑨ペルーサです。この3頭は人気馬ですから、これでは何の面白みもありません。そこで2歳時点に時計を戻すと、“出世レース”で有名な⑦ピサが勝った昨年暮れのラジオ日経杯、3着がその後のGⅠNHKマイルカップ勝ち馬のダノンシャンティ(今回出走取消)で4着がGⅠレベル馬⑫ヒルノですから、このレース間違いなくGⅠレベルのレースなのです。でその時の2着馬が⑤コスモファントム。2番人気でピサとタイム差なしクビ差2着は実力のなせる技でしょう。というわけで穴馬はこの馬に決定!さらにもう1頭、先週同様道悪になれば逃げ先行馬の前残りもアリと見て、⑥アリゼオ。天皇賞春を征した鞍上ウイリアムズは海外で軟い馬場は得意のはずですから、馬場が渋れば“鬼に鉄(かな)棒”?

という訳で馬券は穴馬⑤⑥同居の3枠から、枠連3-4、3-5。
ワイドで、⑤-⑦、⑤-⑨、⑥-⑦、⑥-⑨に、万が一の“行った行ったワイド”⑤-⑥も一応。
せっかくのダービーですから、夢多く遊びましょう。

良馬場なら堅くおさまりそうですけどね。

郵政法案 ~ 許されない“既得権擁護”の選挙前強行採決

2010-05-28 | ニュース雑感
郵政法案が郵政総務委員会を与党の強行採決で可決したそうです。あーなんともバカらしいことです。審議はわずか1日、6時間のみ。来るべき参院選に向けて一日も早く法案を通して、特定局長会の票固めをしたい国民新党亀井静香総務大臣の思惑通りにことが運んでいる訳です。この件に関しては民主党はすっかり言いなりなのですが、民主党政権が推し進める「事業仕分け」の精神から考えれば全く道理の通らないおかしなお話なのです。この件に関しては過去に何度も書いていますが、この機会に今一度申しあげておきます。

「事業仕分け」は公的なムダ遣いの排除と天下りの全廃をめざして、これまで闇に隠れていた国家的ムダの“見える化”をはかり徹底的に見直しをしようと言うものです。一言で言うなら、自民党政権下の政治と行政のなれ合いの中で生まれた天下りをはじめとする“既得権益”=「税金の無駄遣い」を全廃に追い込もうと、新政権であればこそ可能な行財政改革の目玉施策である訳です。一方の郵政問題。これはすでに形上は民営化はしておりますが、現時点でまだ国が100%株主の“国営”ですから同じような目で過去から脈々と連なる“既得権益”をつぶしていかなくてはいけないのです。特定局長会なる組織そのものが“既得権益”擁護団体以外の何者でもない訳で、日本郵政の指揮命令系統を不要に複雑化し近代化を妨げているこの組織こそ、真っ先に解体せねば何も変わらないのです。

亀井氏は連立の一員として政権の座にありながら、そんな“既得権益”擁護団体の票欲しさのあまり時代逆行の“再国営化路線”を独善的にぶち上げるとそのまま突っ走り、小沢氏と組んで強行突破という暴挙にまで出させた訳です。「国のあらゆるムダにメスを入れる」と宣言したハズの鳩山政権は連立の名の下にこの暴挙を認め、「新たなムダをつくる」“愚法”の成立に向けひた走っている訳で、これはどう考えてもおかしい。少なくとも、国民的レベルで今一度しっかりと議論をし尽くすべきであると思うのです。小泉政権時代の郵政民営化法案にしても、その可決に至るまでには紆余曲折様々な議論があったと記憶しています。もちろん、最終的には“小泉首相のパフォーマンスの勝利”的な印象もあるにはありましたが、仮にそうであったとするならなおさら今回十分な議論が必要なのではないでしょうか。

マスメディアが権力の暴走を止めることも、その重要な役割のひとつであります。とにかく、この後31日とも伝えられる衆院本会議可決後の参院審議に向けて、選挙を控えた参議院の本来の存在意義を確認する意味からも、しっかりと国民レベルでの議論を尽くさせるような世論の盛り上げをぜひマスメディアからはかって欲しいと願うばかりです。参議院でも同じような強行採決がおこなわれるのなら、スポーツ選手と芸能人で本会議場が埋まるような“無能な第二院”は必要ないという議論もあってしかるべきであると思います。

NEWS雑感 ~ 福島党首・コンサルタント・硫黄島

2010-05-26 | ニュース雑感
●そりゃ違わないか?社民党福島党首の沖縄入り

社民党の福島瑞穂党首が昨日沖縄入りして、「辺野古案は断固阻止」と県知事や市長に訴え握手を交わしたとか。主義主張が正しいかどうかは別として、以前からの社民党の主張を繰り返している訳で内容的な目新しさはないのですが、世論的に問題視されているのは内閣の一員としてその行動はいかがなものかという点です。確かに、福島さんは大臣ですから彼女の言う「社民党の党首としての行動であり問題ない」という彼女の論理は通用しないでしょう。閣内で反対意見を言うとか、結果として方針の閣議決定書面にサインをしない、という話はまだ分かるのですが(連立内閣ですから問題による主張の違いはあってもしかるべきという意味で)、閣内での議論の前に沖縄入りしてのパフォーマンスはどう考えても筋が通りません。これは内閣の一員として絶対におかしい。物事には順序や筋道というものがあるハズでしょう。鳩山首相もこれには不快感をあらわにしたようですがごもっともです。要は参院選狙いのマスメディア向けパフォーマンスですよね。風前のピンボケ政党の悪あがきと言ったら言い過ぎでしょうか?


●相次ぐ事件でイメージダウンの「経営コンサルタント」

熱海温泉「岡本ホテルグループ」がリゾートクラブの会員を募り、違法に現金を集めたとされる疑惑問題が発覚。ホテルや管理会社が出資法違反の疑いで家宅捜索を受けたそうです。どうやら暴力団がからんで実態のない会員システムで約200億円を集めたとか。一部報道によれば、そもそもこのリゾートクラブ会員制度は「経営コンサルタントを名乗って入り込んだ暴力団関係者が発案し実行したもの」だそうで、「経営コンサルタント=暴力団」的な印象がかなり気になるところです。さらにもう1件。大相撲の木瀬親方が手配した本場所特別席入場券が暴力団幹部らに渡って観戦していたとう事件が発覚しましたが、この件でも経営コンサルタントが登場しています。マスコミの電話取材に応じた木瀬親方は、「自分が知り合いの経営コンサルタントに渡したチケットが暴力団に回った」と話しているそうです。今度は「経営コンサルタント→暴力団」です。これまた経営コンサルタント業は大変なイメージダウンです。ただでさえ「経営コンサルタント」のスキルやビジネス価値をしっかり理解している人は意外に少ないので、「怪しい」と見られがち(“悪徳コンサルタント”が世にはびこっているのも事実ではありますが・・・)。苦労が絶えず「ヤクザな商売」ではあるかもしれませんが、「ヤクザ」ではありません・・・、念のため。


●硫黄島の平和利用を

最後にもう1件。太平洋戦争末期に激戦地となった小笠原諸島・硫黄島(東京都)で26日、都主催の戦没者追悼式が行われたそうです。自衛隊機で島を訪れた遺族ら約60人が参列したそうですが、参列をできるのはごくごく限られた人たちです。このような祭事が企画されなければ、一般人は足を踏み入れることすらできない硫黄島。これは自衛隊が訓練の用の滑走路を持つ重要拠点としているためですが、戦後65年も経とうと言うのに未だ滑走路下の遺骨の収集作業さえ遅々として進んでいないのです。戦没者やその遺族、あるいは硫黄島を故郷とする人々の想いやいかばかりであるでしょう。この問題は何度かブログでも書き綴ってきましたが、主義主張や思想の枠を超えて「平和」の御旗の下にこの島の遺骨収集作業の迅速な進展と、誰もがいつでも訪問できる島の平和モニュメント化を一日も早く実現してほしいと切に願ってやみません。北朝鮮がまたもや世界平和を脅かすような行動に出ている昨今であればこそ、戦争の愚かさと平和の尊さを唯一の被爆国である日本が行動で示す最もよい方法であると思ってもいるのです。この問題は、これからも訴え続けていきたいと思います。

経営のトリセツ86~“反面教師”鳩山首相に学ぶリーダーシップのリスク管理

2010-05-24 | 経営
普天間問題で揺れた週末。鳩山首相への批判が集中しています。

そもそも普天間問題は(早くからブログでも言い続けてきましたが)、前政権時代に時間をかけて日米合意しかつ妥協点としての地元合意も得てすすんでいたものを、新たなリーダーがその経緯を十分に理解もせず思いつきあるいは理想論からそれを根底からくつがえすような旗を振り、結局は当初の結論づけの経緯を理解するに至って前言撤回をするという、リーダーとしてあってはならない愚行を犯してしまったのでした。~過去の経緯をよく調べもしないで、個人的な勝手な思い込み判断で既定方針を否定的に覆すような言動を軽々しくしてしまった~鳩山首相の今回の行動を一言で言い表すなら、こんな感じかと思います。

リーダーシップを振るう上で大切なことでありながら意外に見落としやすいこととして、上に立つ者自身のその言動の影響力の強さを理解する責務ということがあるのです。実権者が既定路線からの否定的方向転換を口にすることは、「確実にそう変わる」と下々の者に確信させその方向に気持ちを動かすことであり、万が一その方向転換の判断が過ちであると後から気づいて後戻りや再修正に陥った場合には、下からは取り返しのつかないほど信頼感を喪失することになるのです。いわゆる「無能な上に振り回された」「上に立つ者としての安易すぎる判断」といった「評価」は、このようなケースでは決定的となり、求心力は急激に下降線をたどるのです。営利組織での出来事ならこの手の信頼感の喪失時には、早期の首のすげ替えと新たなリーダーの下での方針の全面的立て直しが必要になります。

企業のトップや部門を任された管理者が、前任からの交代後に「自分のカラーを出そう」「改革者的なイメージで部下の支持を得よう」とするあまり、前任者時代に決められた既定路線を否定的なスタンスから変更に動くケースがあるのですが、この行動は要注意なのです。我々外部のコンサルティングが制度改革等を依頼されるケースも全く同様なのですが、「なぜ今あるその制度、そのやり方に決まったのか」という過去の判断過程を入念に調べ、検証をしてからでないと新制度への切り替えに動き出すのはリスクが大きすぎるのです。「なぜ今あるその制度、そのやり方に決まったのか」を事前に調べることは同時に、過去に済んでいる議論の繰り返しなどの無駄を省くことにもつながるのです。

新制度策定議論の場において、ベテラン役員や古参会議メンバーから「その議論は前にも一度したことがあるんじゃないか」といった意見が出されるケースをご経験ではないでしょうか。このような場合は明らかに、改正議案提案者の過去の決定経緯の検証不足が発生しているのです。このような話が出た時には即刻議論は中止して、提案者は既定事項の過去の決定経緯を洗い直して共有し本当に再度方向転換をするべきなのかを組織に問い直す必要があるのです。もちろんそのための大前提として、重要な制度等の決定過程は後からでも分かるようにしっかりと記録をしておくことが検証を可能にするということは言うまでもありません。

リーダーは今までにない新しい事を発案し組織をその方向へ動かす際には、仮に方向修正や過ち判明による中止等に至ろうとも、「見通しが甘い」という評価になることはあるにしても決定的な信頼感の喪失にまではつながりにくいモノです(もちろんたびたび同じようなミスがあることは論外です)。しかし、前任者時代の既定方針を否定の上で(「改善」として新たな提案を付加するのは別として)方向転換を示唆することは、過去の方針決定経緯等を入念に検証するなど細心の注意を払った上でないと、信用リスクを脅かしかねない行動であると十分理解した上で決断する必要があるのです。担当者レベルなら許される過去経緯の検証の甘さもリーダーには許されないと、自身の言動の影響力の強さを十分に自覚し慎重さをもって動くことも、経営者、管理者のリーダーとしての重要な責務であるのです。

「70年代洋楽ロードの歩き方11」~グラム・ロック1

2010-05-23 | 洋楽
ビートルズと同じ英国発の新しいロック・ムーブメントとして、70年代前半をにぎわせたものに「グラム・ロック」があります。「グラム・ロック」とは「グラマラス=魅力的な」ロックと言う訳で、スパンコールや金ラメなどのきらびやかな衣装を身にまとい、男性が化粧を施して観客を視覚的に魅了する“70年代型ロック”として一世を風靡しました。

何と言ってもその代表格はマーク・ボラン率いるTレックス。60年代はアコースティック・ギターとパーカッションによる呪術的なフォーク・ロックを身上とするグループ「ティラノサウルス・レックス」であったのが、70年代に入って以降エレクトリック編成に衣替えとともにその名をTレックスと改め、次第に衣装や化粧を派手にしていきつつまずロンドンでブレイクを果たしたのでした。その無名時代には魔法使いと暮らしたこともあると言うマーク・ボランの衣装や化粧は必ずしも目立つ目的ばかりではなく、当初は呪術的な意味合いを持って考えられたものであったではないかと思います。しかしながら、当時のロンドンのティーンの間ではその飾り立てられた風貌はある種アイドル的な人気を産み、グラム・ロックとして一大ムーブメントを巻き起こすことになったのです。

ロンドンでのブレイクは、エレクトリック・ブギーのスタイルを初めて披露した70年のシングル「ホワイト・スワン」であり、引き続き4人編成のバンドへと拡張してレコーディングされた「ホット・ラブ」が№1(6週連続)を記録するに至って新たな波として認識をされるに至ったのでした。続いてリリースされたアルバム「電気の武者」とシングル「ゲット・イット・オン」は米国でもヒットを記録し、いよいよ70年代のけん引役としての期待感も高まって“第2のビートルズ”と言われるほどにまでなったのでした。日本での反応はと言えば、当時の海外情報伝達のスピードの問題もあってか、「ホワイト・スワン」「ホット・ラブ」は不発、「ゲット・イット・オン」は小ヒットにとどまっていました。

日本での本格ブレイクは、72年のシングル「メタル・グルー」からでした。当時の文化放送のチャート番組「オール・ジャパン・ポップ20」では、この曲で初のトップ10入りを果たし最高位2位まで上昇。それまでの、ややおとなし目の印象もある楽曲から一転、アップテンポで爆発的なエネルギーを感じさせる“ボラン・ブギー”の誕生でもあり、この曲で日本でのアイドル的人気にも一気に火がついたのです。引き続きリリースされたアルバム「ザ・スライダー」はまさに“ボラン・ブギー”のショー・ケース的名作であり、リンゴ・スターが撮影したとされた(最近時、本当の撮影者はプロデューサーのトニー・ビスコンティーであったことが確認されています)アルバム・ジャケット写真のカリスマ性と相まって、その人気は最高潮にまで一気に駆け上がります。

次々と短いインターバルでリリースされたシングル「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション(文化放送2位)」「イージー・アクション(同1位)」ではさらにヒットの規模を拡大。72年の初来日とそれを記念してに開催された渋谷西武デパートでの「Tレックス展」には多くのファンを動員、テレビ番組にもトーク・ゲストとして出演するなど、当時の人気は社会現象化して国内のマスメディアも“ビートルズの再来”と書きたてるにまで至ったのでした。しかし急激な人気の盛り上がりもここがピークでした。その後の凋落はあまりに早く、73年のシングル「20センチュリー・ボーイ」「ザ・グルーバー」まではかろうじて形を保ったものの、ステージでの演奏力とアルバム「タンクス」の不評をきっかけとして、急速な下降線をたどります。その原因は、ブギーを基調とした音楽的な単調さをカバーするだけの新時代的魅力を作り出すことができず、飽きっぽいティーンエイジャー以外の音楽ファンの取り込みができなかったことにあったのでした。

その後も復活をかけてマーク・ボランは様々なチャレンジを繰り返します。そしてパンク・ムーブメントが隆盛を始めた77年、彼がパンクロッカー達から“ゴッドファーザー・オブ・パンク”と称されて崇められ復権の兆しをつかみかけたその矢先、自動車事故により29年の短い生涯を閉じたのでした。短期間ではありましたが70年代の音楽シーンを語る時に絶対に欠かすことのできない足跡を残したマーク・ボランとTレックスは、今後も音楽ファンの間で長く聞き継がれ語り継がれていくにちがいないと思います。

<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~グラム・ロック1>
★72~73年の日本でのTレックス人気を追体験できるアルバムから聞く★
①「ザ・スライダー」(「メタル・グルー」をフィーチャーした全盛期到来を告げる“ボラン・ブギー”の最高峰アルバム)
②「グレイト・ヒッツ」(72~73年全盛期のシングルA、B面曲を中心としたベスト盤。アルバム未収録曲多数)
(解説)
Tレックスのベスト盤は数多く出されており、「ホワイト・スワン」「ゲット・イット・オン」時代から遺作「地下世界のダンディ」までを網羅したモノがそのほとんどです。この全時代的ベスト盤を聞くことも重要ではありますが、本当のピーク体験をする意味では何よりもまず①「ザ・スライダー」②「グレイト・ヒッツ」を聞くことをおススメいたします。①②を聞いた後にアルバム「電気の武者」「タンクス」へ進むのが正しい道順です。「ゲット・イット・オン」をフィーチャーしたアルバム71年の「電気の武者」は、一般的に歴史的名作として多くの名盤紹介にも登場していますが、アルバムの善し悪しはともかく、こと日本での当時の人気と評価では圧倒的に①「ザ・スライダー」が勝っていたことを申し添えます。73年のアルバム「タンクス」は評価・セールスはイマイチでしたが、「ザ・スライダー」と同一路線で作られたアルバムであり、シングル曲の収録がないため地味な印象がありつつも日本録音2曲を含むファン必聴の力作です。「電気の武者」以前および「タンクス」以降の各アルバムは、①②および「電気の武者」「タンクス」を聞いてよほどのファンになったらその段階で聞く、というスタンスでよろしいかと思います。

優駿牝馬

2010-05-22 | 競馬
明日は樫の女王戦「優駿牝馬」、いわゆるオークス2400㍍です。

今年は混戦模様。⑰アパパネが2歳女王戦→桜花賞と連勝していますが、東京2400メートルのタフなコースで同じ競馬ができるのか、難しいところかもしれません。オークスの「GⅠ理論」は、桜花賞1~4着が無条件でGⅠレベルとなり、その前哨戦チューリップ賞1~3着もそれに次ぐ格となります。今年は桜花賞1~4着がチューリップ賞でも1~4着だった馬の順位が入れ替わっただけなので、この4頭が上位レベルとひとまずなる訳です。具体的には⑰アパパネ⑥オウケンサクラ⑮エイシンリターンズ④ショウリュウムーンの4頭。軸はこの中から決めるのが良いと思います。

私の軸は④ショウリュウムーン。前走の競馬でチューリップ賞勝ちがフロックでなかったことが証明されました。1400㍍で結果が出ず1600㍍に距離が延びて力を発揮。父キングカメハメハはダービー馬、母父ダンスインザダークも長距離ドンとこいで血統的には太鼓判でしょう。前走の桜花賞では直線内が壁になって出られず追えたのは最後の100㍍程度。それであの着差は立派です。明日が雨予報もあり、道悪ならこの馬にはかえって好都合かもしれません。

⑰アパパネは走りっぷりがどうもマイラーっぽくて今回はやや評価を下げた方がいいかもしれません。⑥オウケンサクラはフラワーカップ勝利馬でオークスで活躍するパターンですが、母ランフォザドリームが血統の字面はバリバリのステイヤーですが、現役時代どうも1600~2000㍍が適距離と言う印象が強く・・・。対して⑮エイシンリターンズが母エイシンサンサンが2000~2400メートルを適距離としていた印象があり、むしろこれが相手筆頭かなと。あとは、父ジャンポケで府中のクイーンCを勝っている③アプリコットフィズ、父ゼンノロブロイ母父トニービンの⑤ギンザボナンザがコース的に要注意でしょう。

結論
個人的な有力馬が同じ枠に入ったので、枠連2-3、2-7、一応2-8
④からワイドで、③⑤⑥⑮⑰

「ソニーとグーグル提携」で、ソニーは“一生アップルに勝てない”

2010-05-21 | ニュース雑感
今日は何かとニュースの多い一日でした。中でも「ソニーとグーグルの提携」は目を引きましたが・・・。

アップルに勝てないソニーが必死に提携を求めた先がグーグルだったと。そこまではいいとして、提携業務でやることが「グーグルTV」ってそれじゃダメでしょって感じです。今のソニーがアップルに対して最も欠けているのが“ソフト面”。私が思うにソフトと言ってもホントの意味での“ソフト”、つまり“やわらかアタマ”が欠けているのです。なのに50年以上の歴史を持つ既存メディアの代表格であるテレビの、しかもハードのメーカーとしての今回の提携には、アップルには遠く及ばないとつくづく感じされる訳で、結局はネット王者たるグーグルのメディア戦略に体よく利用されただけという気がするのです。グーグルにしてみれば、旧勢力のテレビはどこまでいっても付随的なメディアにすぎないでしょうから。PCとテレビの“垣根”を低くしていくことでその影響力をより大きくしていこうと言う訳でしょう。グーグルにとってはメディア戦略のひとつに過ぎないのです。

一方のソニーにとっては同社の今後を左右する主要戦略に違いありません。でありながらソニーの主体的展開を感じさせる絵が見えないのです。だからグーグルに利用されていると感じてしまう訳です。エレキにPCに音楽ソフトにハリウッド映画に携帯電話・・・、様々なハードやソフトを持っていながら有機的な新サービスを展開できない、今のソニーにはホント面白みがないのです。今回も全く同じ展開を感じさせられます。“やわらかアタマ企業”グーグルとの提携により、当面先進イメージは確保されるのかもしれませんが、ことが進むうちに結局は“ハードのソニー”の印象が強くなるばかりのような気がします。映画にしても音楽にしてもせっかく手にしているソフトやコンテンツをハード的にしか活用できていない訳で、結果今回の“グーグル頼みの提携”なのでしょう。今日の提携話に「アップルには一生勝てない」という印象を強くさせられました。ウォークマンを作った頃のソニーの文化はそうではなかったハズなのですが・・・。かつて後継指名の際に出井前CEOから「日本人以上に日本人らしい」と評されたソニーのストリンガーCEO(写真左)。どうも私には彼が日本の銀行員のように見えて、とてもつまらなさを感じさせられるのです。

コーチングとは

2010-05-20 | 経営
コーチを雇っての週一電話コーチングに加えて、年に1回コーチング合宿に参加しています。今年は今週末実施です。

コーチングって何か?結構世の中では誤解があるようなので、少しお話をしておきます。コーチングの正しい訳語が見当たらないがため日本では正確な理解がなされていないように思います。コーチというとスポーツのコーチを思い出させますが、いわゆる私が活用しているコーチングはこのコーチとは少し類が違うように思います。「コーチ」に相対する言葉があるとすれば「ティーチ」がそれかもしれません。「ティーチ」は学校の先生がその代表であるように「教える」がその中身であるように思います。それに対して「コーチ」の仕事は「教える」ことではありません。では何をするのか?簡単に言うと「気づきを与える」という役目であるように思うのです。スポーツの「コーチ」は大抵、「ティーチ」と「コーチ」の両方であるように思います。「コーチ」自身は過去にたいした選手実績がなくとも名「コーチ」と言われる人がいますが、これは「コーチ」的要素のより強い人かもしれません。

コーチングを始めた頃にいろいろ見聞きする中で、おもしろい説明に出会ったのは「その人に一番詳しいのはその人自身であって、その人の内面にある潜在能力を引き出すのはその人が一番上手にできるはず。コーチはその引き出す作業のキッカケづくりをするのに過ぎない」というお話でした。コーチングを受けるまでは十分その意味が分からなかったのですが、やっていく中で「なるほど」と思わせられる経験が続々出てくるようになりました。自分がコーチングを受けながら、テーマに関して質問を受けたり自発的に思考を巡らせたりしていろいろな事を話すと、自分の言葉が自分の耳から入ることで新たな“気づき”が与えられて次なる発想や展開につながっていく・・・。そんな流れがコーチングの実態であるように思うのです。その意味では「コーチ」は「プロの聞き手」であるのです。

この流れの中で一番大切なことはどこかというと、「自分の言葉が自分の耳に入る」という点にあるように思います。そこには「自身の思考の“見える化”」があるように思うのです。“見える化”というには「音」なので正確には見えていないのですが、「音声による“見える化”」な訳です(“聞こえる化”ではないんです。この微妙なニュアンス、未経験者には分かりにくいのですが・・・)。多くの成功した経営者がその秘訣として、「目標や進むべく道を字にして“見える化”をはかることが成功への近道である」と口にしていますが、このこととかなり近しい関係にあるのが、この「音声による“見える化”」であると思えるのです。もちろん、言葉として口に出した考えをその場で書き留めておくこともコーチングの効果をより一層充実させる手立てででもあるので、コーチングは広い意味での“見える化”に相違ないのです。

結局人間、いろいろなことを脳内で考えるのですが、脳の中だけでの作業容量にはやはり限界がある訳で、それをまず音として外に発することで違う形での脳内情報の活性化ができ、さらに耳から音情報が入ることで違う情報がまた脳内に発生し、それが外に出ることでまた活性化される・・・。またその音で発せられた段階で今度は文字情報として転換されることで新たな活性化を産む。その繰り返し作用が一個の人間の思考力を高めていくことになるのではないかと思うのです。経営者がコンサルタントを雇う場合、定例訪問時にコンサルタントの話を聞くのではなく毎度ほとんどの時間を自身が話すことに費やす人がたまにいます。そして「今日もありがとう。とてもいい整理が出来たよ」と喜んでもらいます。これ実は無意識のコーチング効果であるのです。このケースは大抵とても優秀な経営者で、自身の経験の中から動物的カンで自己を活性化させる術を心得ている訳です。当然このようなケースでのコンサルタントの役割は、「よい聞き手になること」「よい質問の出し手に徹すること」になります。ビジネス・コーチングでは、そのコーチを受ける人の専門領域を知らなくとも問題なくコーチングが出来るのですが、それはまさにプロの「コーチ」が「気づきを与える良い聞き手」であるからなのです。

このようにコーチングは経営者の活性化にも大いに役立つ道具であって、コンサルタントにとってもその基本を知っていることはとても重要なスキルになるのです。一時期のコーチング・ブームもあって今世間には「コーチング」を語るビジネスはたくさんあるのですが、けっこうマガイモノが多いのも事実です。本物とマガイモノを見分けるコツですが、「コーチング」の看板を掲げていながらその実「ティーチング」になっていないか、その点が一番分かりやすい見極め点であると思います。コーチングのお話、また改めてさせてもらいます。

NEWS雑感~「宮崎口蹄疫問題」の報道姿勢に疑問

2010-05-18 | ニュース雑感
今日はちょっと短めに・・・

宮崎県で発生し問題が深刻化している牛の口蹄疫問題。マスメディアのトーンは被害拡大の“犯人探し”ばかりで建設的な論調に乏しく、見ていて気分の悪い違和感を感じる報道が続いています。産経新聞は農水省の対応のまずさ、特に赤松大臣が事件発生後に中南米を外遊していたとか、宮崎入りが遅かったとか、徹頭徹尾そのトーンで社説まで埋め尽くしている始末です。読売新聞は県の初動に問題ありとして、ここまで感染を広げたのは県の検査の遅れとして、その責任を宮崎県に追わせる姿勢で報道をしています。もちろん社会的問題発生時にその原因を検証し再発を防止することは重要な事ですが、今現在は感染が広がっている状態であり、マスメディアは現時点で国や県は何をするべきなのかその点をもっと具体的に指摘するべきなのではないのでしょうか。

この手の報道を見るにどうも裏リーク合戦で、国と県の責任のなすり合いがあるのではないかと勘繰りたくなるような印象です。特に産経新聞は社説まで使っていながら建設的な意見のひとつもなく、ただただ農水省および大臣の行動を責めるだけの原稿を載せています。大臣の外遊にしても遊びじゃない訳ですから、今ことさらにそこを責めて何になるのでしょう。大新聞の社説が井戸端会議の愚痴レベルに成り下がってしまっているようで、あまりに情けないことです。新聞の論説委員たるもの、経験に裏打ちされた独自の取材ルートを駆使して現時点で考えうる打開策を示唆するなりもっと実のある社説を書いて欲しい。それができるからこそ論説委員なわけですから、できないのなら夕刊廃止同様に次は社説廃止もしてしまわれたらいいのではないですか、産経新聞さん。