日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>クラプトンが“ザ・バンド”になった日

2008-03-30 | 洋楽
私のクラプトン・フェイバリットです。

76年のアルバム「ノー・リーズン・トゥ・クライ」。スタジオ盤としては昨日の「461オーシャン・ブルバード」から数えて2作目、すなわち“次の次”の作品です。これといった有名曲が入っている訳ではありませんが、リハビリ状態からすっかり立ち直り“レイドバック・クラプトン”が実によくこなれてきて、彼がやりたかった音楽を展開できた、“喜び”に満ち溢れたアルバムであります。

“喜び”最大の理由は、彼の憧れであったボブ・ディラン、そしてザ・バンドとの共演でした。60年代後半に初めて聞いたディラン&ザ・バンドの“ビッグ・ピンク=地下室セッション”で知ったアメリカン・ルーツミュージックという未知の世界に、「ザ・バンドを聞いてクリームを辞めたくなった」と、ギターをかき鳴らすことがロックであると信じて疑わなかった自己の見識の狭さに愕然としたのでした。

その後デラニー&ボニーとの出会いを経て、ルーツロックやスワンプ・ロックを標榜したバンド、デレク&ザ・ドミノスを米国人バンドとして結成するも、ドラッグ生活により音楽活動を寸断。復帰後に、改めて自己の目指す音楽の形を求め「461オーシャン・ブルバード」以降の「レイド・バック路線」を歩みはじめたのでした。そして、ようやく本作で実現した、彼を“大いなる迷い道”に引き込んだ張本人である、ディラン&ザ・バンドとの共演。スタジオはザ・バンド所有の「シャングリラ」、ディランは庭にテントを張って楽曲提供とセッションに参加、ザ・バンドのメンバーはクラプトンとの共作&共演を通じアルバムづくりに全面バックアップをしたのでした。

レコード中袋の写真からもうかがい知れる全編リラックスムードの中、クラプトン風「ルーツ・ロック」を展開させつつ、本当に加入したかったザ・バンドのメンバーよろしく心底楽しんでいる様子は、聞いている側までも思わずほころばせてくれます。このアルバムで憧れの「ザ・バンド」を体感したことにより、この後彼はさらなる飛躍を遂げることができたのです。クラプトン屈指の傑作と言われる次作品「スロー・ハンド」は、そんな流れの中でこのアルバムを受けて生まれた“名盤”であり、同様に以降のクラプトンの数々の“名作”の原型となる“型”は、この「ノー・リーズン・・・」が作ったと言っても過言ではない重要な作品なのです。

ザ・バンドメンバーの作であるA1「ビューティフル・シング」、ディランの作で本人と共演したA3「サイン・ラングウィッジ」はもとより、クラプトン自身の作であるA2「カーニヴァル」B1「ハロー・オールドフレンド」などには、実に生き生きと楽しむクラプトンの姿がそこにあります。そしてラストを飾るB5「ブラック・サマー・レイン」、あの名曲「ワンダフル・トゥナイト」につながるクラプトン流バラードの基本形を、はっきりと見出すことができるのです。

クラプトンの長い歴史の中では一見地味なこのアルバムですが、彼が大好きなザ・バンド的アプローチで制作したクラプトン風「アメリカン・ルーツロック」のひとつの到達点であり、個人的好みでは彼の№1アルバムとして、今も変わらぬ愛聴盤であります。

聞くところによれば、この時のセッションではカバー曲・オリジナル合わせて実に30曲を越すナンバーがマスター・テープに記録され、今も眠ったままになっているそうです。「461」や「クラプトン・ソロ」のCD2枚組デラックス版が相次いで出されている状況の中、「ノー・リーズン・・・」のデラックス版リリースはいつなのかと、クビを長くして待ち続けております。


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