日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

お知らせ~「できる人だけが知っている仕事のコツと法則51」の発刊について

2012-11-29 | ビジネス
既に拙ブログでもKindle関連エントリーで触れておりますが、このたびKindle対応電子書籍第一弾「できる人だけが知っている仕事のコツと法則51」を上梓いたしました。エレファントブックス刊450円です。Amazonならびに楽天ブックスにて好評発売中です。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00AA6CJYE

Kindleをお持ちでない方も、アップルiPhone版およびAndroid版のスマートフォン、タブレットですとKindleの無料アプリをダウンロードいただければ簡単にお読みいただけます。PCの場合は、フリーソフトKindle For PCをダウンロードいただければOKです。

内容は、小職約30年にわたるビジネスマン生活(銀行員、新聞記者、業界団体プロジェクトメンバーとしての政界・官界との折衝役、企業コンサルタント、上場企業役員、起業家、街おこし仕掛人、ブロガー等)の中で、できる人たちとのお付き合で学び身につけてきた成功へのカギを握るビジネススキルを読者の皆様に伝授しようというものです。

フレームワーク活用法にはじまり、戦略的思考の構築法、コミュニケーションスキルの基本と成功する会議・ミーティング、必ず実績が上がる営業の進め方に至るまで、若手から管理者、組織運営者の別を問わず今日から使える実践的なビジネスの道具箱を公開しています。

本書につきましては、電子書籍の利点を活かして加筆、修正、差し替えなど今後のバージョンアップを随時無料でさせていただき、より一層充実したものにしていこうと考えております。

コーヒー一杯、タバコ一箱の値段で役立つスキルが手に入ります。ぜひこの機会にご一読ください。

なお、エレファントブックスさんでは、現在電子書籍無料購入チケットの配布キャンペーンを実施中ですので、そちらも併せてご覧ください。
http://www.facebook.com/pages/エレファントブックス/215435038560244?sk=app_327245887304042

NHKはKーPOP排除理由を、胸を張って明言すべき

2012-11-28 | ニュース雑感
大晦日の国民的歌謡番組NHK「紅白歌合戦」の出演歌手が発表されました。普通ならばどうでもいい話なのですが、気になったのは近年KーPOPとして人気を集めていた韓国勢がどうやら意図的に今年は選ばれなかった様子でありながらも、どこかハッキリせずモヤモヤ感が残っている点です。

モヤモヤ感の原因は間違いなく、このことに関するNHKサイドのKーPOP落選理由「あくまで選考基準となる、今年の活躍や世論の支持の数値による」という不明瞭なコメントです。「今年の活躍」を言うなら、選ばれるのがおかしい“過去の歌手”の方々の方がよっぽど対象外であるはずで、それは全く理由に当たらないでしょう。ならば「世論の支持」であり、その「世論の支持」こそ、まさに竹島問題に端を発している日本国民の韓国への抗議にちがいないのに、そこには一切触れようとしない点がスッキリしないのです。

今年の出演者選考ついては10月に石田総務局長が会見で明らかにKーPOPを意識したと思われる「政治と文化は違うというスタンスで総合的に考えたい」と発言して、ネット上を中心として非難が集中するという“事件”が発生しています。これはNHK一流の“世論調査”だったと私は思っています。果たして、この国民における強い反韓感情を確認して余りあった“世論調査”の結果、KーPOP勢は「世論の支持」に配慮して“落選”に決まったと考えられるのです。

「政治と文化を混同するのはいかがなものか」という意見もあるでしょう。もちろん、それを否定する気は毛頭ありません。しかしNHKは自己の番組の出演者選考基準に「世論の支持」を掲げてそれに従い結論を導いた以上、胸を張って「竹島問題に端を発した、韓国に対する抗議世論の影響でKーPOPの世論の支持が著しく低下したために今回は落選となりました」と内外にハッキリ公共放送の世論調査結果を明言すべきではないのでしょうか。

これはNHKが公共放送なればこそなのです。とにかく日本はその国民性もあって本当にお人よしで言いたいことを相手に気を遣ってストレートに言わない。総理からして、尖閣、竹島問題では甘っちょろい言い方に終始しているわけで、第三国から見れば自信を持ってハッキリ図々しくものを言う中国、韓国の方が正論を唱えているかのように見えてもしょうがない状況でもあるのです。

日本は“お人よし外交”をやめて、隣国の如くもっともっと図々しくならなくてはいけないのです。アメリカの庇護が薄れていくであろう今後はなおさらでしょう。NHKは国民の声を代弁する国営放送であり、それが決心してKーPOPを排除したのなら、その善し悪しは別問題としても、こんな時こそハッキリと海の向こうに聞こえるようにその排除理由を明言すべきであると思うのですが、いかがでしょうか。

キンドル電子書籍を出してみた~書き手のメリットを考える

2012-11-22 | ビジネス
Kindle Paperwhiteの発売により、19日いよいよ本格スタートとなったアマゾン・ジャパンのKindleストア。新時代に乗り遅れてなるものか、というわけでもなかったのですが、小職著作をこのタイミングでKindleストア電子書籍として上梓したしました。
「できる人だけが知っている仕事のコツと法則51(エレファントブックス刊/450円)」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00AA6CJYE/

なぜ電子書籍なのか、今回の経験を踏まえてここでは書き手の立場から少しお話してみようと思います。私が電子書籍で著作を出すことにした理由分かりやすく説明するために、本書の概要をごく簡単にかいつまんでおこうと思います。

本書は、私の長年にわたるバンカー、新聞記者、業界団体、中央官庁折衝担当、起業家、街おこし仕掛人等の様々な職歴を通じて「できる人」たちから学びつつ取得し、現在の企業コンサルティングや執筆業務に役立てさせてもらっているノウハウを、思考、コミュニケーション、会議、営業等のジャンルごとに区分けしてお見せし、読者の皆様のお役に立てていただこうというもの。言ってみればマイ「道具箱」の公開です。

このビジネス「道具箱」というのが実は厄介な存在で、その都度使い方のポイントが多少変わったり、流行りの使い方があったり、付随して新しい道具が登場したり等々、手入れを入念にしておかないとすぐに陳腐化する恐れもあるのです。そう言った意味では、このあたりを紙ベースの書籍で取り扱うのはけっこう辛い。似たようなビジネス書が次々と出されては消えていっているのも、こう言った事情による宿命でもあるのです。

そこで私は電子書籍なら補完して余りあると考えました。何よりも書き手にとって大きなメリットは、第一版をリリースした直後を含めていつ何時でも改訂版のリリースが可能であると言う点に尽きると思っています。何か企業不祥事が起きたから書き足したいとか、書き変えたいとか、あるいはまるごと1章を差し替えたいとかでも、何の気兼ねもなく簡単にできるのです。

紙の書籍ではそうはいきません。内容の改訂は必ず増刷という多額のコストがかかる作業とセットであり、初版にしてもそれなりのコストをかけて刷りあげている以上、ある程度の部数がはけない限りは多少の改訂であろうともままならないのです。小説とか、エッセイとかの類ではさほどこのメリットは感じないでしょうが、ことビジネス書についてはこの自由改訂機能は素晴らしく革命的な出来事であると思っています。

今回企画した本書においても、定期的な中身の補修と共にあらたな章建ての追加などにも前向きに取り組み、中身をどんどん充実させていくことが可能であろうと考え、そのつもりで第一版をリリースしております。読者へのバージョンアップ・サービスこそが、電子書籍において読者にもメリットを供与できる書き手サイドからの最大の利点なのではないかと思うからです。この読者に対する著作側からのアフターフォローを各書き手がしっかりとおこなっていくならば、低迷久しい出版業界にあって、ビジネス書一冊あたりの販売寿命、販売部数は大きく伸びていくのではないでしょうか。

ちょっと売れると似たような著作を粗製乱造する書き手がよくいますが、それはいたずらに著者の書き手としての価値を下げることに他なりません。一冊一冊の著作を大切にし、その一冊を通じて書き手が成長していくということもビジネス書の書き手に期待されるところではないのかと思っています。さらにビジネスの観点から言えば、ビジネス書はビジネスのあり方を問いかける分野でもあり、IT技術を駆使した電子書籍化の流れによる変化を他のジャンルと同じように受動的に待つのではなく、積極的に変化を投げかけることも望まれるのではないかと思うのです。

もうひとつ別の観点で書き手側の利点をあげるなら、やはり価格面のメリットでしょう。現在ビジネス書の主流であるソフトカバーが1,300~1,700円。新書版でも800~1,000円程度はします。一方今回の著作で言えば発行形態を電子出版に限定したことで、それらと同等の約6万字を越える文字数収録でありながら450円でのリリースが可能になっています。今時、コーヒー1杯より安い。たばこ一箱レベルです。紙代、印刷代がかからないというのは本当に大きいです。購入検討に際して、簡単に手を伸ばしていただける金額であると言う点で、書き手に大いにメリットありと思います。

電子書籍販売運用上の問題点、課題点は、やはり買う前に読者がものを手にとって目次を見ながらパラパラと好きな部分を空けて見てみという、自由な“立ち読み”がしにくいと言う点に尽きるでしょう。この点に関しては、書店の利点でもある“立ち読み”機能の中に盛り込むのがいいのではないでしょうか。すなわち、電子書店来店者は手に取った本を例えば1回5分間までという時間制限付きで中身をすべてめくることができるという機能を持たせるのです。本が好きな人間にとっては、“立ち読み”の楽しさも書店に足を運ぶ立派な誘引材料ですから、それのあるなしが電子書籍の発展に大きく関わってくるように思います。

いずれにしましても今回の電子書籍出版を通じて感じたことは、電子書籍がいきなり紙媒体にとって代わることはないにしても、ビジネス書分野においては送り手側の工夫ひとつで、紙とは有効性の違う新たな媒体として大きく発展していく可能性が十分あるといったところです。

各党政策委員様、マニフェストはロジカルにお願いします

2012-11-20 | その他あれこれ
衆議院が解散し、二大大手政党の民主党、自民党が国民的支持の決め手を欠くなかで、“第三極”をキーワードとした空前の新党ブームが巻き起こっています。現在各政党とも12月16日の投票日に向けマニフェスト(=選挙公約、みんなの党はアジェンダ)のとりまとめにおおわらわといった様子ですが、どうも巷では前回選挙ほどマニフェストに注目が集まらなくなっているムードがあるように思われます。

もちろんその最大の原因および責任は、政権を奪取しながら前回選挙時のマニフェストをほとんど守らなかった民主党にあるわけで、どうせ守られもしないものを一生懸命聞いてもしょうがないといったシラケムードが漂っているのではないかと思うのです。ならば、いっそマニフェストなんてやめてしまったらどうだ、と言いたくもなるところです。

前回の民主党のマニフェストにおける最大の公約違反は、「この先任期の4年間は、消費税増税はいたしません」であるでしょう。消費税の増税が正しいか間違っているかは別問題として、マニフェスト上説明がつかない増税を決めたわけで、結局のところマニフェストは「できるかどうか詳しいことは分からないけど、とりあえず耳障りの良いアメ玉を紙に書いて並べてみました」的な作文であったということが、もろくも明らかになってしまったのです。

消費税に関して言うなら、将来のビジョンなく状況把握すらできていない下で作られた民主党のマニフェストは認識が甘かった。甘すぎです。結局政権をとってみて、財政再建、福祉財源の確保という観点から消費増税は必要との判断に至って、簡単に公約は破棄されてしまったということです。消費税以外の問題でも同じこと。国家公務員の総人件費2割カットも、年間31万円の子供手当も、年金制度の一元化と最低月7万円の確保も、終わってみれば公約はみな絵に描いた餅でした。結局何も変わらなかった。

なぜこんなことが起きるのか。それは、民主党のマニフェストがビジョン設計に基づきしっかりと練られた戦略の下生み出されたマニフェストではなかったからに他なりません。一言で申し上げるなら、まったくもってロジカルでなかった。思いつきのアメ玉の寄せ集めに過ぎなかったのです。

マニフェストにビジョンが明示されているのなら(ミッションではなく近未来に向けたビジョンです)、震災等の予想不可能な環境の変化を理由に、ビジョン実現に向けた施策の変更・追加はあってしかるべきですが、結局出たとこ勝負のマニフェストではそんな説明すらできないのです。前回の失敗を繰り返さないために、各党にお願いしたいのはビジョンレスに「マニフェストを一人歩きはさせるな」と言うことです。そのためには、4年間と言う衆議院議員の任期の中で、日本をどう変え国民生活をどうするのかという明確なビジョンをまず掲げることが肝心です。

具体的な例をあげるなら、「10年後に○○になるために、この4年間は××は努力しますが△△はこの4年で基礎を作った上で次の中期計画に引き継ぎます。この間GDPは何パーセント増をめざし、国民一人あたりの所得は○パーセント増加を実現します。そのためには①○○②××③△△という政策を実行し、□□はやめさせます」といった具合に、ビジョンを明示しつつそこから導き出される形で納得性をもって個々の施策は明示されるべきだと思うのです。

このようなビジョンに裏打ちされロジカルに施策展開をするなら、仮に今回の消費税増税のような施策の一部変更があろうとも、ビジョン実現を動かさないために施策の見直しが必要なのだと言う説明がつくのなら、嘘つき呼ばわりをされることもなく国民の理解を得た上での柔軟な施策の見直しも可能になると思うのです。少なくとも、前回の民主党のようなビジョンレスな相互になんの脈絡もない単発的な、耳障りがいいだけのアメ玉マニフェストはもう金輪際お断りです。

まとめます。前回マニフェスト選挙の大失敗を受けて、政治が国民を同じようにだまし討ちにすることがないよう、各党はビジョンを明確にしロジカルに施策とのつながりを持たせた上でマニフェストを国民の前に提示すべきであると思います。

稲盛、ゴーンの「ビジョン経営」が、今こそ政治に求められている

2012-11-16 | 経営
最近新聞で読んだ日本を代表する二人の経営者の言葉に、今の日本の政治をダブらせて思うところがあったのでそのお話をひとくだり。

件の記事は、日経新聞10月31日付掲載の「日経フォーラム世界経営者会議」における、稲盛和夫日本航空名誉会長、カルロス・ゴーン日産自動車社長の談話です。引用します(趣旨抜粋)。

「リーダーは、次の4つのことを果たす人だ。第1は組織の目指すビジョンを高く掲げる人。第2は組織のメンバーとビジョンを共有できる人。第3は人間性。最後に業績が向上する仕組み作りの能力」(稲盛和夫)

「日産は、原価低減やリストラの結果再生できたのではない。あるべき姿、ビジョンを描いたから再生できた。そのビジョンを従業員が共有し、同じベクトルに向かってモチベーション上げた。組織やプロセスを優先させると残念なことになる」(カルロス・ゴーン)

日本航空、日産自動車という日本を代表する企業を再生させた2人の経営者が言っていることは、あまりに共通しています。リーダーにとって重要なことはビジョンを明確に掲げることであると。そしてそれをメンバーと共有しつつ前に進むことだと。仕組みづくりや戦術はその後。その順序を間違えるとうまくいかないと。

これはまさしく今の日本の政治にも当てはまることではないのかと思います(従業員、メンバーと言う言葉は国民に置き換えて読みます)。日本の政治はいつの日からか、ビジョンレスになっています。「とにかく政策。政策の一致が第一」といわゆる“第三極”の政治家の皆さんは口々におっしゃいますが、本当にそうでしょうか。先の2人の有能な経営者の言葉を借りるなら、政策優先は残念なことになるのでビジョンが先ではないのでしょうか。

どういう日本をつくるのか、どんな国民生活を実現しようとしているのか、今の政治家の言葉からは残念ながらビジョンが見えてきません。石原慎太郎氏が言う、「政策の一致など後でいい。とにかく今は大同団結するすることだ」という言葉の意味が、「ビジョンが明確に一致するのならそれでいい。政策はあとからついてくる」と言う意味であるのなら、その考え方は正しいのかもしれません(残念ながら、今の段階では石原氏が必ずしもそう言っているようには思えませんが)。

政策はあくまで具体的なビジョン実現に向けた戦術であるべきで、「まずは政策、政策」とビジョン議論そっちのけで、戦術に関する議論とすり合わせばかりが行われても、それは実質国民不在の耳障りの良いキャッチフレーズづくりにすぎないのではないかと思われるのです。ちなみに、新体制がスタートした中国の習近平体制は、2020年までに国民所得を倍増させるという明確なビジョンを掲げてスタートしています。

ビジョンとは、近い将来の目指す姿を具体的に示すものです。ビジョンを理念と混同されるむきも多く見受けられますが、理念とは依って立つべきミッションであり、ビジョンの根底を支える存在であります。

衆議院の解散が本決まりとなり、総選挙に向けてあわただしさを増す政界ですが、雨後の筍の如く新党が増殖した今回のような政局においてはなおさら、国民の正しい審判を仰ぐためにも、各政党は耳障りのいい政策を並べる前にその前提となる具体的なビジョンを提示すべきであると思います。

今の日本は、一時期の日本航空や日産自動車に相当するような危機的な状況にあると言えます。そんな時であるからこそ、それらの企業を見事に立て直した経営者の言葉は重みをもって受け止める必要があるでしょう。ならばこそ、彼らが口をそろえて言っている「まずビジョンありき」は、政治家の皆さんにはしっかりとご認識いただいた上で選挙戦に臨んでもらいたいものです。もし、それができないなのなら、結果どの政党が政権をとることになろうとも何も変わらないと、2人の経営者の言葉は示唆していると思えます。

“一人負け”ドコモが、それでもiPhoneを導入できない理由

2012-11-13 | ビジネス
NTTドコモが苦しい状況に追い込まれています。先月末近くに営業利益の見通しが800億円の減額予想となる修正発表したその余韻が残る中、今度は10月の契約数で約19万件の転出超という06年のナンバーポータブル制度始まって以来最悪の数字を記録し、iPhone包囲網による影響がかなり深刻であるという状況が露呈しています。

もちろん現状の数字がいかに悪化しようとも、それが即刻“巨人ドコモ”の経営危機を招くような話ではありませんが、少なくとも同社の心中は穏やかでないことだけは確かなようです。auのiPhone導入から1年。やはりスマホにおけるiPhoneの強さは尋常ではなく、現象面を見る限はいよいよ「iPhone導入近し」を予感せざるを得ない“一人負け”状態に陥ってきたと言えそうです。

巷では利用者からドコモに対しての「iPhone導入待望論」こそ大いにあるわけで、利用者の選択肢を増やすと言う意味での利用者ニーズへの対応の観点から考えれば、もうとっくにiPhoneを導入していて不思議のない状況は続いてきてもいるのです。しかし、ドコモはなかなか踏み切れないまま現時点の“一人負け”に至っています。

一般的にドコモのiPhone導入の障壁として囁かれているのは、アップルからの膨大な販売ノルマのオファーがネックである点、多額の投資を投じて開発してきたiモード、おサイフケータイやワンセグなどのガラケー機能がiPhoneには乗らず、かつドコモ市場とiTunesの競合による機器周辺での収益源の大幅な減少が免れ得ない点などです。

確かにこれらはドコモにiPhone導入を踏みとどまらせる要因であることは間違いないのでしょうが、ここまで来ると私には最大のポイントは別のところにあるように思えています。なぜなら、同じような生業で日本のガラケービジネスを共に支えてきたauも、ソフトバンクとの商品競合状態でありながらiPhone導入の効果をハッキリと見せているわけで、ドコモがもしiPhone5からの導入を決めていたなら市場の体勢は逆転し“ひとり勝ち”はほぼ間違いなかったと、この一年で明確にドコモの導入後が見えるようになった感さえあったからです。

では、ドコモのiPhone導入に向けた真の障壁は何なのでしょう。個人的には、親会社NTTの最大の株主がいまだに日本国であり、“国策企業”であるか故の苦悩がそこにあるのではないかと思えています。すなわち“国策企業”NTTドコモは、iPhoneを導入した場合に国内産業に対していかなるマイナス要因を及ぼすのか、それを常に考えなくてはならない立場にあるのではないかと。かつ大株主である日本国も、ドコモにそれを求めているのではないかと。

ドコモがiPhoneを導入した場合に考えうる最大のマイナス要因は、国内携帯メーカーへの打撃ではないでしょうか。ドコモがiPhoneを導入し、アップルから課される膨大な販売ノルマの達成に向けて邁進するならば、国内メーカーの携帯、スマホの売上は大幅にダウンするであろうことは想像に難くありません。ドコモの販売数量の半分以上をiPhoneにするぐらいの契約をアップルは突きつけているでしょうから、これは大変な事態になります。

ドコモは、近年サムスン、LGなどのスマホを積極展開してはいますが、あくまでメインは富士通、NEC、パナソニック、シャープ、ソニーなど国内の名だたるメーカー群なのです。サムスン、LGの売り上げが落ちることは、ハッキリ言って知ったこっちゃないでしょうが、国内メーカーはそうはいかないのではないかと。二人三脚状態に引っ張り込んでここまでガラケー産業を支えさせてきた責任もあるでしょう。それと何より、彼らはそうでなくとも軒並み経営危機真っただ中の大企業群でもあるわけです。

ハッキリ申し上げてドコモがiPhone導入ということになれば、上記メーカーの大半は携帯事業からの撤退を余儀なくされることでしょう。となればどうなるか。一事業分野の不振撤退はその企業にとって、ヒト・モノ・カネあらゆる面で大変なダメージを被ります。青息吐息のシャープなどは息の根を止められかねません。大幅赤字のパナソニック、大リストラ真っただ中のNEC、再生の道が見えないソニー…。下手をすれば彼らの行く末も危うくする懸念すらあるのではないかと。

そんなことにでもなったら、我が国の家電産業は壊滅状態になり日本経済も大変な状況に陥るでしょう。ドコモの親会社NTTの筆頭株主である日本国は、黙ってiPhone取り扱いを良しとするでしょうか。正式な筆頭株主名は財務大臣です。せっかく政治家を動かして通した増税政策もすべて水泡に帰してしまう、そんなことを易々と認めるハズがありません。

こうやって考えると、ドコモのiPhone導入は同社の社内事情に関係なく、今はタイミングがあまりに悪すぎる。まず当面、現状の経済環境が改善しない限りにおいて、ドコモのiPhone導入はあり得ないと思うのです。

茶番は終わらせ、東電の破たん処理を急ぐべき

2012-11-08 | ニュース雑感
東京電力は中期経営方針を発表し、今年5月に実質国有化により政府からの支援を引き出し生き残りのために策定した「総合特別事業計画」に関して、策定から半年でこのままでは計画遂行不可能という“泣き”を入れてきました。

中期経営方針では、短期的には電気料金の値上げ幅の抑制と原発再稼働の不調が当初計画を狂わせていること、長期的には福島第1原発事故の賠償や除染、廃炉の費用が今後、10兆円を上回る可能性があることを強調。下河辺和彦会長らは国に対し新たな支援策を要請した上で、再建の大枠を定めた「総合特別事業計画」を来春にも改定することを示唆しています。

賠償や除染、廃炉の費用を計画策定の段階で見積もっていなかった計画の甘さもあるのですが、より問題視したいのは短期的な見通しの甘さの方でしょう。10.28%で申請した家庭向け値上げを8.46%まで圧縮され年840億円の減収となったことと、柏崎刈羽原発の再稼働がみえないことは、5月の段階でも世論の動きを勘案すれば容易に想像がついた結果なわけです。責任はひとえに、実現不可能な計画を受理し、電力村と金融村の権益擁護を目的に東電を延命させた政府にこそあると思います。

こんなに早い段階で馬脚を現わす茶番は、茶番としても出来が悪すぎます。当初から、申し上げているように、被災者への賠償スキームをしっかりと法制化した上で東電は破たん処理し、株主責任、貸し手責任をまずしっかりと問うこと。その上で、BAD東電とGOOD東電の分離、発電と送電の分離をおこなうことで、東電の再生および電力業界の再構築を政府の責任において主導するべきではないかと思うのです。

5月の段階で、株主責任も問わず、貸し手責任も問わずに、“利用者責任” を優先した再建スキームを政治主導で作り上げたことに最大の誤りがあったのです。現段階で、先行き不透明な東電に国が追加支援をおこなうことや、さらなる電力料金値上げによる“利用者責任”の積み増しは、世論が許さないでしょう。すなわちこれ以上、問題の先延ばしをしても、既得権者以外には何のメリットもありません。現政権における責任の全うの観点から、即刻、東電の破たん処理を決断すべきと考えます。

白バイの“隠れ取締り”は、どう考えてもおかしいと思う件

2012-11-07 | その他あれこれ
前回エントリのテーマ「再発防止」に近しい言葉として、「予防」というものがあります。「予防」とは、読んで字のごとく「予(あらかじ)め防ぐ」ことです。その意味からすれば、「再発防止」は「予防」一部であるとも言えます。「予防」はなぜ必要かと言えば、事故が起きることにより被害を受ける人が出ることを未然に防ぐために他なりません。従い、いかにして事故を起こさせないようにするか、その点こそが「予防」最大のポイントになるのです。

ちょうどある過去のエントリに対して読者の方からコメントを頂戴し、それを上記の観点で考え改めて「おやっ?」と思わされました。白バイの交通取締りです。我が家の近くにも日常的取締りポイントがありまして、見通しの良い直線道路のショッピングモール脇入口前に信号のない横断歩道があり、その横断歩道近くのT字路に隠れて毎度白バイが待機しています。横断歩道を渡る歩行者を優先して車両が一時停止するか否かを見て、歩行者を無視した者を軒並み反則切符切りするわけです。

先の「予防」の観点からしたときに、このやり方はどうなのかと思いせんか。要するに、白バイは隠れて見ていることで、わざわざ車両に横断歩道を渡ろうとしている歩行者を無視して通行するという違反をさせて検挙するというやり方についてです。事故防止と言う「予防」を第一に考えるのなら、自らが見ている目の前でみすみす違反をさせるということ自体がおかしくはないのかと。目の前で事故が起きたらどうするのかと。白バイの行為には、「予(あらかじ)め防ぐ」努力が見られないのです。この場面で本来あるべき「予防」は、白バイは自らの姿を通行車両に大々的に見せることで、交通法規に従ったあるべき運転を促すことであるのではないのでしょうか。

ではなぜ、あるべき「予防」活動をせずにパトロールの白バイがこんな違反行為を容認するような行為をしているのか。これはもう、よく耳にする警察内部の反則金ノルマ制度の弊害以外に考えられません。反則金というものはなくて当たり前、もっと言えば反則金をゼロにすることすなわち違反者をなくすことが、本来警察関係者が共有すべき目標であるはずのなのです。どうしてこんなにおかしなことになってしまっているでしょう。警察がもし「予防」という自己の役割の認識や、反則金は少ないことが「善」であるという正しい理解ができていないのなら、それは猛省すべき問題であると思うのです。

先の取締りポイント、実によく捕まっています。私がこの地に越してきて7年近くになりますが、相も変わらずこの場所で定期的に白バイが隠れています。よほどの反則金ドル箱ポイントなのでしょう。一方でこの場所が重大事故多発地点なのかと言えば、そんな話はついぞ聞いたことがありませんし、事故多発地点であるのならなされるはずの信号機の設置もされていませんから。

警察は我々市民の安全を守ることがそのミッションであるはずです。事故多発地点でなくとも反則金がよく取れるから白バイの潜伏ポイントにしているということ自体に、その業務に携わる白バイ隊員一人ひとりが問題意識を持てるような組織であって欲しいものです。

警察関係の皆さまからの本エントリに関するご見解・ご反論、歓迎いたします。

「再発防止」ができないワケ

2012-11-06 | 経営
何かトラブルが発生した際に組織運営上重要なことは、「原因の究明」を怠らずにおこない「再発防止」策を明確化することです。しかし、世の中を見渡してみると、同じようなトラブルが再発してしまうケースは間々見られます。ここ数日間はとくにひどい。今新聞・テレビをにぎわしている複数のトラブル再発事件はなぜ起きたのかを考えつつ、組織経営におけるヒントにしたいと思います。

1番目の事件は、中国万里の長城のトラッキングツアーで日本人観光客3人が亡くなった事件。ツアーを企画したアミューズ・トラベルは、09年にも自社企画のツアーで大雪山系トムラウシのツアーで8人もの死亡者を出していました。もちろん、営業停止、再発防止策の策定が監督官庁指導の下に行われたはずですが、今回それは全く活かされていなかったと言っていいでしょう。新企画ツアーでありながら下見が一切行われていない、ツアー運営が山岳ガイドではない一般のガイド任せであったことなどから、その点は明らかです。

アミューズ社のケースで再発防止ができなかった理由は、恐らく再発防止への取り組みが形式上の対応に終始していたことに尽きると思われます。これは、あらゆる組織で起こりうるケースであり、言い換えれば重大な事件・事故対応に関する「危機感の欠如」以外の何物でありません。一般企業で言うなら、クレーム発生に対して表面の体裁を整えることに終始してその場を切り抜け、同じようなクレームがいつまでたっても発生がやまずに組織そのものの信用力が低下するというケースに相当します。

2番目の事件は、拙ブログでの取り上げたアパホテルで起きたシンドラー社製エレベータによる死亡事故。これも過去に全く同様の事故が起きていながら、再度の悲劇が起きてしまったと言う再発防止が出来なかった事例です。これは再発防止に向けた法整備の甘さにこそ最大の原因があったと考えられます。すなわち、事故を受けた新たな安全規制は、前回の事故後に製造されたエレベータのみに適応され、古いエレベータにまでは及んでいないという点です。

組織運営のケースに置き換えるなら、組織内部のコスト負担面、労務負担面等への考慮を優先することで、事故を受けて策定される再発防止のルールが甘くなり結果として“ざるルール”になってしまったという点です。もちろん、前回事故の当事者であるシンドラー社に自社の前回事故発生に対する十分な責任意識があったなら、再発防止法規制の内容がいかなるものであろうとも、自主的に全ての自社エレベータに新たな安全規制に沿った対応策を講じていたはずであり、ここに「危機感の欠如」もまた見て取ることができもします。

最後にもうひとつ、田中真紀子大臣の大学不認可事件。これも再発防止策ができていなかった事件の類であると思われます。田中大臣は小泉内閣で外務大臣に就任しながら、外務省との衝突を繰り返し、遂には事務次官の更迭を勝手に決める等“暴走”の極みとも言える行動に終始し、遂には首相から自身の更迭を言い渡されるに至ったのでした。今回の一件も、事務方である官僚とその諮問機関が決めた大学認可ルールに「ノー」を突き付け、大学関係者や学生など多くの人々の困惑と迷惑を全く省みない統治権の乱用的“暴走”を繰り返しています。

これはひとえに首相の任命責任に帰するものであろうと思われます。田中大臣は、前回の外務大臣更迭の際の記者会見で涙を見せ「遺憾である」との言葉は聞かれたものの、謝罪や反省の弁は遂に聞かれずじまいであったのです。すなわち、事件・事故に対する反省のない者を再起用による再発は大いに予想されるところであったハズなのです。このような“暴走”大臣を任命した裏には、中国との関係改善に田中大臣から何らかの力を借りようとしたと言われる“不純な動機”による再起用という、未必の故意的対応があると言えるでしょう。

このように、過去に起きた事件・事故を繰り返す「再発防止」策の無効例は、本当に多く存在します。今回の3例、「危機感の欠如による形式的対応」「甘い再発防止ルールの策定」「未必の故意的対応」は、組織運営におけるあらゆる再発防止に関しても他山の石として心に刻むべき教訓であると思います。