日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

東芝粉飾問題を巡る本当の核心とは

2015-05-25 | 経営
東芝の粉飾決算問題が世間をにぎわせています。3年間で500億円もの利益水増しがあったと言われるこの一件。日本を代表する企業の不祥事だけに、その調査の行方は大変気になるところです。

東芝の管理云々の問題も確かにありますが、私が仕事柄最も気になるのは同社のJ-SOX対応はどうなっていたのか、と言う観点です。すなわち社内管理の問題もさることながら、法的に内部統制監査の任を負っている監査法人も何をやっていたのだろうか、ということが非常に気になるところなのです。

J-SOXは06年制定の金融商品取引法により08年度から上場企業に義務づけられた、内部監査の徹底をはかった一大ガバナンス改革でありました。Jという名が示すとおりに、アメリカのサーベンス=オクスリー法という法律が大元になっており、それを日本企業仕様に改めたものがJ-SOXなのです。

アメリカで00年以降相次いで起こったエンロン、ワールドコムの巨大粉飾決算により、善意の投資家たちの利益がいたずらに損なわれたことを受け、企業財務プロセスの監視強化によるその適正化をはかり資家を保護することを目的として、米SOX法は02年に成立しました。我が国では、証券市場の国際化の流れを受けてグローバル・スタンダードと言う名のアメリカン・スタンダードに従って、これに追随する形でJ-SOX対応を上場企業に義務づけたのです。

導入前の我が国上場企業は大騒ぎでした。いわゆるERPシステム導入や、内部監査コンサルティングの名の下に怪しいビジネスが世にはびこり、会計士不足が深刻化して監査法人難民化する企業も出る始末でした(今の会計士過剰現象はこの時のツケでもあります)。各企業は監査法人やシステム会社との間で億単位あるいは数十億単位の新規契約を結ぶなど札びらが飛び交い、この流れは政府とつながりのある著名会計士が仕組んだ監査法人や会計士のカネ儲け戦略ではないのか、とまで揶揄されてもいたのです。

08年のスタート以降どうであったかと言えば、結果は大山鳴動してネズミ一匹。まったく何事もなかったかの如く騒ぎは速やかに沈静化しました。内部監査不十分等で指摘をされ、上場を危うくするような事例もほとんど耳にすることなく、導入前のJ-SOX狂騒曲は何だったのかというほど拍子抜けの結末であったのです。

すなわちJ-SOXは、形式を整えるためにカネをかけたものの結果魂は入ることなく法律は形がい化した、という流れでなかったのかと。誰かの財布は潤ったものの、本当に我が国上場企業の真のガバナンス強化につながったのか、いささか疑問の残るところでした。なぜそうなったのかですが、そもそも日本企業とアメリカの企業とではその企業組織の成り立ちや組織風土というものがあまりにも違うわけで、ガバナンスのあり様も全く異なった環境にあることを無視した法規制は結局形骸化の憂き目に会うと思うのです。

J-SOX的内部統制が本当に有効な管理手法であるのなら、決して法対応が形骸化することなくむしろスタートから7年の時を経てそれを発展させて今に至っていてもよさそうなものです。しかし今や、J-SOXと言う言葉自体が死語ではないかかと思われるほど、お寒い状況になってしまっているのです。すなわち今回の一件で垣間見える現状は、企業はザル統制、監査法人はザル監査、巨額粉飾やり放題ということなのです。こうして考えると、東芝の一件ははからずもガバナンスに関する法規制のあり方に、大きな一石を投じた問題なのではないかと思えるのです。

これに関連して今何より気になるのが、実施を目前に控えたコーポレートガバナンス・コード導入の問題です。日本企業をガバナンス強化の方向に導いていくことになんら異論はありませんが、今回のJ-SOX形骸化の事例を見るに、そのやり方が本当に我が国の企業文化や企業風土、いわゆる日本的な組織運営思想にあったものであるか否かをもっとしっかりと議論した上で、慎重に進めるべき問題なのではないかと思えてきます。

今回の東芝の一件は、ガバナンス強化策として安易に導入されたJ-SOXが有効に機能していないことを、日本を代表する大企業が示した格好の反省事例であると思います。このような無用な法規制により、これ以上企業に無駄な時間とカネを使わせ風土にあわないタガをはめることは、その競争力をそぐことにもなりかねないのです。ガバナンス強化は企業活動にとってはもろ刃の剣でもあります。今回の不祥事を機に、いたずらに従来路線でのガバナンス強化を叫ぶのではなく、むしろ日本企業にふさわしいガバナンス強化策とは何であるのか、コーポレートガバナンス・コード導入の問題も含めて今一度慎重な議論が求められるのではないかと思います。

ゴルフ場はプレー中のアルコール提供をやめるべきと思う件

2015-05-18 | 経営
交通安全週間、絶賛開催中です。毎度当ブログで取り上げている我が家近くのショッピングモール脇出入口前の信号のない横断歩道は、歩行者優先違反検挙のドル箱スポットで、昨日も一日白バイが検挙出動するサイレン音が鳴り響いておりました。

いつもの事ですと交通安全週間にひっかけて、物陰に隠れてコソコソ違反検挙をするのではなく周囲から見えるところに白バイを配備して道行く車両に注意を促し、違反をさせないようにするのが筋だろうと申し上げるところなのですが、今回はその話はこのさわりだけで終了し全く別のお話をさせていただきます。

近年交通法規違反の中でも最も憎むべきものとして定着しているのが、飲酒運転の類です。もちろん完全撲滅はできないものではあるのですが、少なくとも運転者であると知ってアルコール類を提供した店舗も罰則を受けるなどの法規変更により、店舗での飲酒運転幇助に対する警戒感は大変強くなり、その点における飲酒運転による事故防止は以前に比べて飛躍的に向上したと言っていいのではないかと思っています。

なぜこのようあの話をしているかと申しますと、以前私がゴルフをしていた時代に昼食時の飲酒が原因となり、午後のプレー中に思わぬ大ケガを負い救急搬送された方を目の前で見たからなのです。飲酒ゴルフは危険と背中合わせであるのです。飲酒による運転が法律で禁止されているのはなぜか、運動能力が鈍るから、判断能力が鈍るから、であります。要するにお酒を飲んで運動能力、判断能力が鈍るようなことは、自らのケガや周囲の人をケガに巻き込む恐れがあるからするべきではない、と法律が言っているのではないかと思うわけです。

皆さん、スポーツも運転と同じく、本来飲酒しながらするべきものではないとは思いませんか。ゴルフは金属製の棒を振り回し、石ころなみに硬いボールを思い切り叩くスポーツです。お酒を飲んでプレーをすることで、あるいはクラブを手放してしまう、あるいはボールがあらぬところへ飛んでいく、あるいはカートの運転がおぼつかなくなる、等のリスクが増すのは当然のこと。明らかにお酒を飲んでやるべきスポーツではないと思われるのです。

いや、そもそもお酒を飲んでやっていいスポーツなどこの世に存在するのでしょうか。公式大会では無論のこと、どんなスポーツでもお酒を飲んでいると分かったら、主催者は参加を拒否するのではないでしょうか。理由は簡単、単純に危ないからです。温泉卓球でさえ、お酒を飲んでやってアキレス腱を切ってしまったという友人がいます。「もう二度と酒を飲んで運動はしない」。松葉杖姿で職場に現れた彼は心から悔いていました。

昨年、湘南海岸での飲酒が全面禁止されました。もちろん、酒を飲んでバカ騒ぎをする若者に対するけん制もあったとは思いますが、やはり海水浴場と飲酒という組み合わせは大半の人が水泳という運動をしに来る場所であるという観点からはお酒をのんでいけないのは常識であり、自治体によるこの禁止令は至極当然のものであると思われたものです。

ゴルフ場ではなぜ今だにプレー中のゴルファーたちにアルコールを提供するのでしょう。「ビールぐらいいいじゃないか」そう考えるプレイヤーもいそうですがビールなら飲酒運転になりませんか、そんなことはありません。運動や運転における飲酒によるリスク回避は、最優先で考えるべき問題なのです。飲酒ゴルフは即刻やめさせるべきと私は声を大にして言いたい。飲むのなら、プレー終了後に思う存分飲めばいいのです。繰り返しますが、この世の中にお酒を飲んでプレーして良いスポーツなど存在しないのですから。

アルコールをクラブハウスの昼食メニューに置いても、自己責任で管理すればよいとの意見もあるかもしれませんが、リスク管理というものは「させない管理」こそが重要なのです。飲酒ゴルフはあらゆる点からリスクが増すのみであり、自己責任で済まない事故も実際に数多く起きているのです。従いリスク管理の徹底が必要であることは間違いないと思うのです。

運転もしかり、湘南海岸もしかり、飲酒によるリスクが存在する場面においては「させない管理」を法を持って実施し、より確かな安全を確保することが必要なのです。ゴルフ場で大ケガをされた方のご家族も大変な思いをしたにちがいありません。それを考えると、本当にいたたまれない気持ちにさせられます。ゴルフ場でのプレー中のアルコール類の提供(他にもプレー中にアルコールを提供しているボーリング場やテニスコートなどがあるならそれも含め)に対する法的規制を早期に実現するべきではないのかと。この問題を強く世に問うべきと思ってやみません。

マック、ベネッセ、大塚家具…。GWはざまの同日掲載記事から読みとるべきこと

2015-05-08 | 経営
例年よりも長めのゴールデンウィークも終わりました。連休中に引き続きややニュース報道にはキレがなく、連休と土日のはざま特有のまったり感を実感する昨日今日あたりであります。

そんな中、GW中の新聞記事で個人的におもしろかったものがありました。2日土曜日の日経新聞紙面で、世間を騒がせた3つの企業の赤字報道が偶然か意図的か、揃って掲載されていたことです。具体的には、11面一般記事の「マクドナルド赤字145億円」「大塚家具最終赤字に」、13面トップのビジネスTODAY「ベネッセ上場来初の赤字」の3本。

同じ日に、しかも連休はざまの金曜組み誌面ですから時期的なものを勘案すれば、個人的には偶然と見るよりは意図的と考えた方がいいように思っています。編集サイドが今年の企業経営のテーマとして問題意識を感じているのは「信用」である、と訴えかけていると読みとれそうな紙面作りでありました。

皆さんご存じのように3社それぞれに「信用」失墜の原因は異なります。しかしながら、誌面に踊る「業績赤字」の文字の裏に共通してあるのは、間違いなく「信用」失墜ではあるのです。そして、その回復の難しさと、回復に向けた各社が描いている道筋は本当にそれでいいのかと、紙面は訴えか掛けているように私には思えました。

各社が不祥事発生で突きつけられたそれぞれのマネジメント・テーマは、マクドナルドは「食の安全」、ベネッセは「情報管理」、大塚家具は「ガバナンス」です。しかし、赤字解消への道筋は険しいというのが、この日の3社の記事に共通したテーマでもあります。

そして記事の言外に込められたものは、「顧客目線の欠如」でしょう。信用失墜からの回復のカギを握るものは顧客目線であり、3社は揃ってそれを欠如したが故の苦境に陥っているというのが、この日の3本ネタの真意であると私は受け取りました。

考えてみましょう。マクドナルドが中国での偽装鶏肉事件を起こした後にとった策は、タイへの工場移転。消費者が考えるマクドナルドの食の安全性への不安に対して、果たしてこの対応策がその答えになったでしょうか。消費者の答えがNOであるから、異物混入がことさらに問題視され、いまだに出口の見つからない業績下降が続いているのです。

そもそも論になりますが、マクドナルドは顧客目線で食の安全欠如により失われた信用をいかにして取り戻すべきなのかを正面から捉えて対応策を明示する必要があるということを、今の厳しい状況は物語っています。ビジネスモデルの大転換も視野に入れ、中国からタイへの工場移転では取り戻せなかった信用力をいかにして取り戻すのか、その抜本的対応策の明示が急がれるところであると思います。

ベネッセの対応での問題点は、利用者へのお詫び還元です。同社は不祥事発覚後おわびとして500円の割引チケットを利用者に配布しました。このやり方自体が利用者の求めているものと合致するのか、いささか疑問でありました。割引券と言うのは、利用があってはじめて利用者に得のあるもの。引き続きの利用を前提にお詫びをすると言うのは、利用者からすれば上から目線にしか映らないのです。さらに問題は、私の周辺でも多発した配布のダブり、しかも時期が大きくずれての二重配布。情報管理の甘さをさらに露呈してしまったかのような対応の甘さは、明らかなマイナス効果であったと言わざるを得ないでしkょう。

その後「脱DM」を宣言した同社ですが、これに至ってはまったく逃げの戦略にしか写りません。DMから一時期一歩引いて、ほとぼりが冷めればやおら再開する、そんな目論見が透けて見えるようですが、今の消費者はそんなに甘くないでしょう。正々堂々と消費者と相対して、どこをどう改めて安心感を増したのかを明確にしながら、企業スタンスを盛り込んだDMで理解の浸透をはかるぐらいの気持ちがなければ、行動で示さなければ、消費者の信用は戻ってこないと思うのです。

大塚家具の親子喧嘩は、露呈してしまったものは仕方がないかもしれません。しかし決着が着いたのなら、利用者目線での対応を急ぐべきではないのでしょうか。久美子社長は株主総会で株主の支持を得て経営権を確定したのであれば、御自身が口にしていた「これでノーサイド」を、一刻も早く形に示すべきなのです。利用者の多くが口にしているのは、「経営がもめている会社で家を形づくる家具など買いたくない」ということ。経営権を確保した上で、和解に動くことが今は何より大切なはずです。

真偽のほどは確かではありませんが一部報道では、前社長派の店長を左遷させ恐怖政治を始めたなどと書かれてしまっていますが、これとて前社長との和解姿勢が見えないからに他ならないのです。“おわびセール”で久美子をもじって935,000円の家具を販売して自己の勝利を顕示するのではなく、父である前社長を相談役に据える等して対話による和解への道を歩んでいる姿勢を広く外に示すことが、信頼回復への近道なのではないでしょうか。

不祥事発生による信用失墜問題の先にあるものは、すべて顧客目線の有無に帰結すると思うのです。日経新聞がGWのはざまに“たまたま”同じ日に取り上げた3つの赤字記事は、そんなことを強く物語っていると受け止めました。