テレビ朝日さんからのお呼ばれで、CS朝日2の「ニュースの深層」という番組でお話をさせていただきました(同じBLOGOSブロガーの山口巌氏と共演させていただきました)。テーマはユニクロの「世界同一賃金構想」について。オンエアは明日29日(水)20時~21時です。事前の資料読み込みやら、自分なりの意見集約作業を通じて、ユニクロに関する自分の考え方を整理するいい機会でもあったので、少しまとめておこうと思います。
資料の読み込みとしては、ユニクロ関連の新聞記事や柳井氏のインタビュー記事、BLOGOSの関連エントリーなどを中心におさらいをしてみました。その中で感じた抑えるべき重要なポイントは、そもそも「ユニクロはブラックだ」という議論はどこから出てきているのかということ。”やめクロ”の人たちが自分を含めて社員はこき使われてボロボロになって使い捨てにされているという話がけっこう前から出回っていたのですが、最近の盛り上がりはその手の方々の著作や雑誌への登場が相次ぎ、離職率の高さと相まって急激に盛り上がったと再確認しました。
最初にハッキリ申し上げておきますが、3年で50%と言われる離職率は確かに高いですが、その点をもってユニクロは「ブラック」であると言い放つのは違うだろうと私は思っています。「世界同一賃金構想」にしても、「グローバルな舞台で戦っていく上では、社員の処遇もグローバルでなくてはならない」という論拠に何の論理破綻もみあたらないと思っています。では私が考える問題点はどこにあるのかです。
まず離職率の問題。問題は離職率の率の高さはなく、企業モラルを含め本来のコンプライアンスの観点で考えるなら、職場環境や離職に至るその過程に対して同社がどこまで労務管理の立場で責任ある対応をしている否かでしょう。その大前提として言っておかなくてはならないことは、中小企業ならば見過ごすことの出来る問題も、日本を代表するような大企業では自己に課された企業モラルを踏まえ、しっかりと責任を果たす必要があると言うことです。
具体的な問題点は、複数の” やめクロ”の皆さんが口をそろえる社員労働環境の管理姿勢の問題です。柳井氏は「サービス残業はない」と断言しているのですが、複数の” やめクロ”の皆さんの話では、店舗運営における人件費コストは店舗成績および個人評価において重要な位置を占めるがゆえに、膨大な量の業務に埋もれていながら残業をつけずに業務量を増やす担当者が跡を絶たず、最終的には残業がつかない管理者扱いの店長に未消化業務のしわ寄せが一気にくるという現場実態が浮かび上がっています。
そうなる理由はただひとつ、管理サイドの確信犯的管理です。本当にコンプライアンス違反のサービス残業を憎み絶対に許さないという姿勢があるのならば、店舗の無人セキュリティ時間の徹底管理によるサービス残業撲滅指導はできるはずなのですから。これは金融機関などではごくごく当たり前の管理として導入されており、IDカードの離店情報インプット後にPCが稼働していれば、自動的に本社で察知しサービス残業を発見排除するというシステムが組上がっています。気持ちがあればできるすぐにでもできる話であり、ユニクロの対応の緩さはハナから見て見ぬふりをするつもりなのだなと、私の目には映っています。
グローバル・スタンダードを標榜する柳井ユニクロですが、こういったサービス残業が発生するであろう業務管理をしていながら目をつぶるという管理体制は、至ってジャパニーズ・ローカル・スタンダードそのものです。少なくとも残業などとは無縁で過労死などという言葉が「KAROSHI」という言葉をもって好奇の目で見られる欧米においては、どう転んでもスタンダードであるはずがないのです。
次に「世界同一賃金構想」。初めにも申し上げたように、構想そのものの中身は整合性がとれていますしグローバル化への対応と言う目的も納得のものです。しかし私が問題にしたいのは構想の中身やその表向きの目的ではなく、なぜこのタイミングなのかという観点から浮かび上がる裏事情です。ユニクロはバブル経済崩壊後の我が国のデフレ経済を背景にして急成長を遂げてきました。すなわち、品質に比べて安い価格はデフレ下における抑えられた現場の賃金体系に支えられてきた感が強くあります。
ところがアベノミクス効果による経済政策的なベクトルは一斉に脱デフレを指し示す形で動き出したわけで、現時点では実体経済にまでは反映されてはいないものの、この先を見越していけば、近い将来に低水準に抑えられてきた現場の賃金体系が上昇に転じるリスクが顕在化してきたわけです。このタイミングで登場した「世界同一賃金構想」は、途上国や新興国の労働力と国内の労働力を競わせることで、国内現場の人件費を引き続き低く抑えデフレ型ビジネスモデルを維持しようと言う狙いが見て取れるのです。
結果はどうなるかと言えば、経済状況も歴史的文化的背景も全く異なる多国間のローカル・スタンダードが入り混じりあうことで、比較上もっとも先進的な我が国の労働環境と賃金のバランスに今まで以上に大きな歪を及ぼす恐れがあると思うのです。そう考えれば、この論理展開は決してグローバル・スタンダードなどと呼べる代物ではありません。この点こそ私が、デフレ型ビジネスモデル堅持のためのご都合主義的つまみ食いであり、柳井氏の言うグローバル・スタンダードが「柳井スタンダード」であると申し上げる最大の所以でもあります。
「世界同一賃金構想」が正式に動き出し、ユニクロの新ルールとして定着するようになるなら、歪はさらなる社員の労働環境を悪化させる要因になりかねず、今以上に国内での「ブラック」疑惑「ブラック」批判は大きくなるのではないでしょうか。もしユニクロがそれをよしとしないのなら、先に申し上げた一刻も早くサービス残業を絶対にさせない許さない管理体制を構築すること以外に選択肢はないと思います。
柳井氏は「ユニクロはグローバル企業を目指す」ということを盛んにぶちあげています。グローバル企業とはその名の通り日本を代表して世界と戦う企業であり、言ってみれば業界別日本代表です。日本代表たる企業が仮に事実ではないにしろ、「ブラック」と揶揄されているのはいかがなものでしょう。先ごろF1復帰のニュースが、国民的歓迎を持っていけ入れられたホンダ。同社はユニクロから見れば、町のバイク屋さんから飛躍的成長を遂げた日本を代表するグローバル企業の大先輩でもあります。何故ホンダのF1復帰が国民的歓迎を持って受け入れられたのかは、ホンダの発展が誰かの犠牲の上に立つものではなく、日本代表にふさわしいクリーンさを持った企業であると国民から認知されていればこそのことでだと思うのです。
ユニクロが真のグローバル企業を目指すのであれば、大先輩企業を手本にして今何をすべきかを自ら問い直してみる必要があると思っています。
資料の読み込みとしては、ユニクロ関連の新聞記事や柳井氏のインタビュー記事、BLOGOSの関連エントリーなどを中心におさらいをしてみました。その中で感じた抑えるべき重要なポイントは、そもそも「ユニクロはブラックだ」という議論はどこから出てきているのかということ。”やめクロ”の人たちが自分を含めて社員はこき使われてボロボロになって使い捨てにされているという話がけっこう前から出回っていたのですが、最近の盛り上がりはその手の方々の著作や雑誌への登場が相次ぎ、離職率の高さと相まって急激に盛り上がったと再確認しました。
最初にハッキリ申し上げておきますが、3年で50%と言われる離職率は確かに高いですが、その点をもってユニクロは「ブラック」であると言い放つのは違うだろうと私は思っています。「世界同一賃金構想」にしても、「グローバルな舞台で戦っていく上では、社員の処遇もグローバルでなくてはならない」という論拠に何の論理破綻もみあたらないと思っています。では私が考える問題点はどこにあるのかです。
まず離職率の問題。問題は離職率の率の高さはなく、企業モラルを含め本来のコンプライアンスの観点で考えるなら、職場環境や離職に至るその過程に対して同社がどこまで労務管理の立場で責任ある対応をしている否かでしょう。その大前提として言っておかなくてはならないことは、中小企業ならば見過ごすことの出来る問題も、日本を代表するような大企業では自己に課された企業モラルを踏まえ、しっかりと責任を果たす必要があると言うことです。
具体的な問題点は、複数の” やめクロ”の皆さんが口をそろえる社員労働環境の管理姿勢の問題です。柳井氏は「サービス残業はない」と断言しているのですが、複数の” やめクロ”の皆さんの話では、店舗運営における人件費コストは店舗成績および個人評価において重要な位置を占めるがゆえに、膨大な量の業務に埋もれていながら残業をつけずに業務量を増やす担当者が跡を絶たず、最終的には残業がつかない管理者扱いの店長に未消化業務のしわ寄せが一気にくるという現場実態が浮かび上がっています。
そうなる理由はただひとつ、管理サイドの確信犯的管理です。本当にコンプライアンス違反のサービス残業を憎み絶対に許さないという姿勢があるのならば、店舗の無人セキュリティ時間の徹底管理によるサービス残業撲滅指導はできるはずなのですから。これは金融機関などではごくごく当たり前の管理として導入されており、IDカードの離店情報インプット後にPCが稼働していれば、自動的に本社で察知しサービス残業を発見排除するというシステムが組上がっています。気持ちがあればできるすぐにでもできる話であり、ユニクロの対応の緩さはハナから見て見ぬふりをするつもりなのだなと、私の目には映っています。
グローバル・スタンダードを標榜する柳井ユニクロですが、こういったサービス残業が発生するであろう業務管理をしていながら目をつぶるという管理体制は、至ってジャパニーズ・ローカル・スタンダードそのものです。少なくとも残業などとは無縁で過労死などという言葉が「KAROSHI」という言葉をもって好奇の目で見られる欧米においては、どう転んでもスタンダードであるはずがないのです。
次に「世界同一賃金構想」。初めにも申し上げたように、構想そのものの中身は整合性がとれていますしグローバル化への対応と言う目的も納得のものです。しかし私が問題にしたいのは構想の中身やその表向きの目的ではなく、なぜこのタイミングなのかという観点から浮かび上がる裏事情です。ユニクロはバブル経済崩壊後の我が国のデフレ経済を背景にして急成長を遂げてきました。すなわち、品質に比べて安い価格はデフレ下における抑えられた現場の賃金体系に支えられてきた感が強くあります。
ところがアベノミクス効果による経済政策的なベクトルは一斉に脱デフレを指し示す形で動き出したわけで、現時点では実体経済にまでは反映されてはいないものの、この先を見越していけば、近い将来に低水準に抑えられてきた現場の賃金体系が上昇に転じるリスクが顕在化してきたわけです。このタイミングで登場した「世界同一賃金構想」は、途上国や新興国の労働力と国内の労働力を競わせることで、国内現場の人件費を引き続き低く抑えデフレ型ビジネスモデルを維持しようと言う狙いが見て取れるのです。
結果はどうなるかと言えば、経済状況も歴史的文化的背景も全く異なる多国間のローカル・スタンダードが入り混じりあうことで、比較上もっとも先進的な我が国の労働環境と賃金のバランスに今まで以上に大きな歪を及ぼす恐れがあると思うのです。そう考えれば、この論理展開は決してグローバル・スタンダードなどと呼べる代物ではありません。この点こそ私が、デフレ型ビジネスモデル堅持のためのご都合主義的つまみ食いであり、柳井氏の言うグローバル・スタンダードが「柳井スタンダード」であると申し上げる最大の所以でもあります。
「世界同一賃金構想」が正式に動き出し、ユニクロの新ルールとして定着するようになるなら、歪はさらなる社員の労働環境を悪化させる要因になりかねず、今以上に国内での「ブラック」疑惑「ブラック」批判は大きくなるのではないでしょうか。もしユニクロがそれをよしとしないのなら、先に申し上げた一刻も早くサービス残業を絶対にさせない許さない管理体制を構築すること以外に選択肢はないと思います。
柳井氏は「ユニクロはグローバル企業を目指す」ということを盛んにぶちあげています。グローバル企業とはその名の通り日本を代表して世界と戦う企業であり、言ってみれば業界別日本代表です。日本代表たる企業が仮に事実ではないにしろ、「ブラック」と揶揄されているのはいかがなものでしょう。先ごろF1復帰のニュースが、国民的歓迎を持っていけ入れられたホンダ。同社はユニクロから見れば、町のバイク屋さんから飛躍的成長を遂げた日本を代表するグローバル企業の大先輩でもあります。何故ホンダのF1復帰が国民的歓迎を持って受け入れられたのかは、ホンダの発展が誰かの犠牲の上に立つものではなく、日本代表にふさわしいクリーンさを持った企業であると国民から認知されていればこそのことでだと思うのです。
ユニクロが真のグローバル企業を目指すのであれば、大先輩企業を手本にして今何をすべきかを自ら問い直してみる必要があると思っています。