日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

ユニクロ柳井会長の「グローバル・スタンダード」は、“柳井スタンダード”である件

2013-04-24 | 経営
昨今話題のユニクロのブラック問題で、柳井会長が日経ビジネスのインタビューに答え、この内容がまたさらなる波紋を呼んでいるようです。
◆日経ビジネス「甘やかして、世界で勝てるのか」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130411/246495/?rt=nocnt

柳井氏がインタビューの中でいくつかポイントをあげて“言い訳”をされているのですが、その最大の論拠にしていると言えそうなものが、氏が言うところの「グローバル・スタンダード」であるようです。というのは、氏が他に挙げている他の“言い訳”ポイントである「サービス業を正しく理解していない人の入社」や「ユニクロ経営の考え方を理解しない人の入社」は、突き詰めればサービス業は世界的にみてどこも過酷なんだ、ユニクロの「グローバル・スタンダード」を基準とした経営を理解していないのだ、ということを言っているにすぎないと思われるからです。

では、氏が言うところの「グルーバル・スタンダード」経営が果たして、本当にユニクロ経営を正当化するものなのでしょうか。焦点をこの点に絞り、私が考える氏の主張、すなわちユニクロ経営がブラックと言われる所以と思しき3つの問題点を指摘しておきます。

まずその1は、氏の言う「グローバル・スタンダード」の基準が不明確で、つまみ食い的に各国の例を引っ張っているのではないかということ。
これまでのインタビューや著作の中でも問題によって「これはライバル企業がひしめくヨーロッパでは当たり前」「中国やインドでは常識」「世界をリードしてきたアメリカでは昔から当然のこと」のような、日本の常識や基準を都度自分の主張に合う海外のそれを引き合いにして論理を展開するのですが、これは「グローバル・スタンダード」の名の下に主張を正当化していく、言ってみれば単に柳井氏の都合に合わせた“柳井スタンダード”ではないのか、と思えるのです。

経営者である以上、自己の価値観をもって企業経営にあたり、自己の基準でその主義主張を正当化して自社スタッフを引っ張っていく、それは決して間違ったことではないと思います。しかし、それが多くの人の目から見で疑念を抱かせるものである場合に、正当化する手段としてご都合主義的にケースバイケースで各国の「グローバル・スタンダード」を利用するなら、下手をすれば結果として各国水準の最低線ばかりを集めしまうことにもなりかねません。柳井氏の各所での発言を聞いていると、どうもそう言った懸念がぬぐいされず、現在のブラック批判の大きな要因になっているのではないかと思うのです。

その2は、各国の経済状況の差違を「グローバル・スタンダード」を持ち出す際に斟酌していない点。
ユニクロが現在のビジネスモデルをもって国内で大成功できた理由は、90年代半ば以降の長引く不況下での日本経済のデフレ化の進行にあったことは否定できない事実です。ここで重要なのは、そのデフレ経済を前提としたビジネスモデルを持って世界進出を企てる際に、世界各国の経済状況はいかなるものであるのかいうことです。IMF調べによる2012年の世界のインフレ率でみると、データのある世界186カ国のうちデフレ下にあるのは日本、スイス、グルジアのわずか3か国なのです。

ここでも、柳井氏のご都合主義は見え隠れしています。氏のビジネスモデルを支える同社の待遇を含めた国内の労働条件等はデフレ下の国内モデルそのままに、経済的に成長を遂げている非デフレ状況にある各国の実情や経済水準からみて我が国よりも低水準にある国の労働スタイルや労働環境を是としたやり方を、つまみ食い的に国内にも導入しようとしているわけで、これでは国内の職場で歪みが出ない方がおかしいわけです。

さらにその3。「グローバル・スタンダード」でコンプライアンスを考える場合には、とりわけ就労問題に関しては、最先進国のスタンダードを基準すべきところができていない点。これが最大の問題点でしょう。
柳井氏は「グローバル・スタンダード」を口にしていながら、コンプライアンスの問題に関しては具体性をもって触れようとしないということが大きな問題であると感じています。「グローバル・スタンダード」の問題は、90年代後半バブル崩壊後の日本経済再生の過程において我が国で盛んに口にされるようになり、その時にセットで語られたものが「グローバル・スタンダード」を代表する問題としてのコンプライアンスの考え方でありました。

当時の日本企業の株主総会に代表される日本的な“なぁなぁ”の世界や、商習慣の名の下に行われていた不透明感満載の取引などのやり方は世界中からも批判を浴び、「グローバル・スタンダード」の名の下でのコンプライアンスの徹底が叫ばれたハズなのです。海外展開を積極的に推し進めていくのなら、世界最先端水準でのコンプライアンスを実現することはもっとも重要度の高い経営課題であるはずで、現状の日本の労基法化においてすらブラックと揶揄されるような労働環境を「グローバル・スタンダード」であると放置しているかのような同社の振る舞いは、グローバルにはほど遠いご都合主義であると言わざるを得ないと思います。

これだけ世間からブラックだと騒がれている以上、柳井氏の「グローバル・スタンダード」は本当の「グローバル・スタンダード」ではなく、“柳井スタンダード”であるからではないのかという目でもう一度自身の経営スタンスを見直しする必要があると私は思っています。自身のスタンダードをご都合主義的理由づけで社内を押しとおすのは、中小企業経営者ではよくある話です。しかし柳井氏が“世界制覇”をめざす国際企業の経営者である以上、世界各国の「スタンダード」をつまみ食いするご都合主義的“柳井スタンダード”を一に立ち帰って自省することが、今柳井氏に課された最大の課題なのではないでしょうか。

「独立」で失敗しないための3つのこと

2013-04-19 | ビジネス
これもアベノミクス効果であるのか、最近「独立」に向けた相談によく受けますので、その際にお話しいていることを少しまとめておきます。

「独立」というからには、「一人で立つ」ことです。「一人で立つ」とは何かですが、これは「支えるモノなく立つ」ということで、その意味からすると何か公的な「資格」を取ってそれを支えにして「立つ」場合や、親会社の庇護のもと別会社として「立つ」場合は、この場合の「独立」ではありません。

もちろん「資格」を取っただけでは商売にならないというものもありますので、「資格系独立」全部が全部これにあたるわけではありませんが、基本的には何の「資格的裏付」や「親の庇護」なしに「一人で立つ」ことを、ここでは「独立」の定義とさせていただきます。

一般的には「サラリーマン生活」からの独立というのが一番多いパターンです。この場合に「独立」すると何が一番変わるのかをまずしっかりと認識する必要があります。一番の違いは「時間」を基準として働くか否かです。サラリーマンは基本的にはどこまでいっても「時給いくら」の世界であり、給与が上がるのはすなわち、自分の働きが認められて「時給があがる」だけのことなのです。

その昔、植木等が「♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!二日酔いでも寝ぼけていても、タイムカードをガチャっと押せばちょっくらちょいとパーにはなりゃしねえ」と歌っていたように、極端に言えば会社に行っていさえすれば仕事をしていようがしていまいがおカネになる、それがサラリーマンであるわけです。仮に自己の怠慢でクビを言い渡されたとしても、ある程度は法が守ってくれる部分もあるのです。

「独立」は全く違います。「時間」は関係ない。どんなに働きづめでいようが、どんなに長時間努力をしようが、稼げるか否か全てはそこにかかっているのです。言い換えれば「結果」がすべて。1日1時間労働でも、食べていけるだけのモノが稼げるならそれでOKですし、どんなに汗水たらして努力をしても稼げないのなら、仮に誰か傍の人が「がんばってますねぇ」と評価してくれたところで、それは何の意味も持たないのです。

ですから、「休みと仕事の区分けがない」それが「独立」です。仮にバカンスを楽しんでいても、ビジネスになりそうなモノに出くわしたなら、すぐにビジネスモードに切り替えてビジネスチャンスを逃してはいけませんし、無駄な仕事をするぐらいだったらビジネスを思いつくまで遊んでいようということもアリなのです。

よく人から、「サラリーマンと違って、時間が自由になってうらやましいですね」などと言われることがありますが、これは「リスク」とバーターで「自由」を手に入れているだけにすぎないわけで、全然うらやむようなものではないのです。「サラリーマンだって、会社倒産のリスクがある」とおっしゃる方がいますが、そんな「リスク」と「独立」のリスクは比較にならないです。勤務先の倒産リスクは事前把握をして、「転職」という手で逃げることが可能です。「独立」は事業主ですから逃げることができませんし、またいつどんな裏切りによってどん底に突き落とされるのか、常に見えない「リスク」に四方八方を囲まれているも同然なのです。蛇足ですが、サラリーマンにある万が一の時の「失業補償」は、「独立者」「経営者」にありません。

では、自分の「独立」の可否を決めるポイントは何か、です。3点あげます。
一点目は、上記に書いたとおりの当たり前のことではありますが、「独立」の正しい意味を理解できているかどうかということです。ここを履き違えて、「独立」をしてはみたもののすぐにビジネス破綻しサラリーマンに戻った人を数多く見てきました。このケースは、一言で言うなら「考えが甘い」ということになるのでしょう。

二点目は、会社の看板で仕事ができなくなるので、自分がもといた会社をのぞいて、2年間食いっぱぐれのないと思えるだけの豊富な「人脈」があるか否か。とにかく「独立」のキーは「人」です。そして、その「人脈」はオーナー系経営者をはじめとするサラリーマン以外の同じ「独立者人脈」である必要があります。サラリーマンは所詮はサラリーマン感覚でしかビジネスを考えられないので、本人の意にかかわらず思わぬ“裏切り”に会うこともこともしばしばです。イザと言うとき頼りになる、同じ「独立者」目線でビジネスを共有できる「人脈」の豊富さこそが有効であるのです。

2年間と申し上げたのは、仮に何かに失敗をしても2年間なんとかかんとか食べていけるなら、その時間で自己のビジネスを再生・再構築したり、新たなビジネスを立ち上げたりを可能にする十分な長さであると思われるからです。逆に2年間で立ち直れないのならば、残念ながらその人は「独立」には不向きであるという結論にならざるを得ないでしょう。ちなみに「人脈」の代わりに「資金」があると言うのでもOKです。良いか悪いかは別にして、おカネのあるとろには人が群がりますから、「人脈」はカネでつくることができるとは言えるでしょうから。

三点目。これが一番重要ですが、何事も自ら動く積極性を持っているか否か。言い換えれば、「何かが起きることを待たすに、自分で起こすこと」ができるかです。組織生活に慣れ親しんでしまうと、意外にこの点が弱くなるものです。運営が安定した組織であればあるほど、対処療法的な動きが身についてしまい、自分から動く・動かすということから疎遠になってしまうのです。

「よく仕事が切れることなく来てますね」と言われることもありますが、そもそも自分から何も動くことなく、あちらから仕事が舞い込んで来る、黙っていてそういう状態になることは普通あり得ません。私自身のあらゆる仕事も、露骨な売り込みではないにしても、積極的な自分からの働き掛けやアプローチ、仕掛けや仕込み等々さまざまな自発的かつ前向きな努力の積み重ねがあっての結果に他なりません。嫌な思い辛い思いもたくさんしています。「努力のないところに成果なし」です。自分から働きかけることなく、待ちの姿勢で「楽」をして稼ごうなんて、そんなにうまい話はありません。

新しいビジネスモデルを考えつけば出資者を集めてそれで一攫千金だ、と思い込んでいる若い人たちも最近はよく見かけますが、そんな幻想は捨てたほうがいい。何事にも例外は存在しますが、例外は目標にはなり得ません。下手な成功本に踊らされて、自分にもできそうだと一攫千金を夢見ることは勝手ではありますが、愚かでもあります。本に書かれていないところにこそ、「楽」とかかけ離れた成功の秘密があることを忘れてはならないと思います。

「楽」をしたいならサラリーマンであり続けること。相談に来られた方には最後にそうお答えしています。

「ドコモiPhone投入」報道、今度こその3つの理由

2013-04-11 | ビジネス
「ドコモが今夏にもiPhone投入へ」。
もう聞き飽きた感のある見出しフレーズですが、先週末の報道の主は産経さん。これまでたびたび日経さんが“飛ばし”続け、いい加減“狼少年”も老けこんで“狼オヤジ”になるんじゃないかと思っていただけに、産経さんのご登場はなんともフレッシュな感じがしてはおります。
★「ドコモ、今夏にもiPhone投入へ」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130405/biz13040519080019-n1.htm

このテーマに関しては、これまでも何度となく拙ブログで取り上げ多くの注目をいただいてきただけに、今回もこのタイミングで再びiPhone導入の見通しについて一言言及せねばなるまいと、筆を執った次第です。で、いきなり結論から申し上げておきますと、今回の「iPhone投入へ」はかなり確度が高いお話であると思っています。理由は3つ。順を追ってご説明申し上げます。

第一の理由は、決算発表を前にドコモのおかれた環境です。産経さんの記事にもありますが、2012年度の携帯電話の契約純増数をみるとドコモは大手3社中最下位かつソフトバンクの半分以下という結果に終わり、しかもナンバーポータビリティ(MNP)で見ると、140万件以上の転出超という“ひとり負け状態”もかなり深刻なレベルに達してしまいました。auがトップの100万件を超える転入超というの大復活ぶりを見るに、iPhone取り扱いの有無が明らかに明暗を分けたと言っていい結果であるでしょう。

ドコモは昨年より加藤薫新体制がスタートしたものの、いきなりの大苦戦続きで初年度から業績予想の下方修正に追い込まれる等散々な一年であり、就任1年目になんの目ぼしい実績も残せなかった加藤氏にとってはいきなり二年目の今年度が正念場になってしまいました。それもこれも、大手三社で唯一iPhone扱っていないがための体たらくであり、もうドコモの我慢も限界であると考えるのが普通でしょう。あとは条件次第という段階に昨年秋以降入っていると、拙ブログでもこれまで散々書き散らかしてきたところでもあります。
★「状況一転、ドコモがiPhoneを扱う条件」
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/dfc0254165688d2b623c065ec293064d

「iPhone投入報道」是認を後押しする第二、第三の理由は共に、以前拙ブログで論じWeb上でかなり話題にしていただいた、大株主である日本国も懸念するドコモがiPhoneを扱った場合に予想されるガラケー・ビジネスモデル仲間である国内携帯メーカーへの影響が、ここにきて微妙に変化してきたということに絡むものです。
★「“一人負け”ドコモが、それでもiPhoneを導入できない理由」
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/82833ed595dc816cae701df270d6c74a

まずはシャープ。以前私は、ドコモがiPhoneの取り扱いをアップルの条件に従っておこなうなら青息吐息シャープの“おくりびと”になるのは確実視され、そのことが景気の腰を折ることになりかねないと申し上げました。あの段階では台湾企業鴻海からの出資とりつけもままならない状況下であり、iPhone導入による携帯事業の大打撃によって息の根を止められれば完璧な破産状態に追い込まれかねなかったからなのですが、その後省エネ液晶「IGZO」狙いとも思われるサムスンの出資提携にこぎつけたこと、すなわちドコモ携帯の製造先であるサムスンという支援先確保は、イザと言う時にサムスン=シャープ統合というウルトラCが見込めたと言う点で、ドコモにとって願ってもない流れになったのです。

そしてさらにもうひとつ、今回のiPhone取り扱い報道の信ぴょう性を裏付ける最大のポイントでもある理由が、NECの携帯事業撤退のニュースです。
★「NEC携帯電話事業撤退」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/business/update/0329/TKY201303280699.html

NECは正式発表はしていないようですが、どうやら撤退の事実は間違いないようで、中国国籍のPCメーカーLenovoへの事業売却で本決まりというのは既に業界筋で語られているところであります。NECと言えば、元祖二つ折り携帯をはじめとして富士通と共にドコモのガラケー・ビジネスを支えてきた運命共同体的携帯電話メーカーであり、ドコモとしてはiPhone導入後も国内メーカーシェアトップの富士通の生き残りはなんとか見通せるものの、NECへの悪影響は最大の悩みの種であったわけです。それが、海外勢への事業売却による撤退が決まるなら、政府ともどもこれに勝る朗報はないと胸をなでおろしているに違いないと、思うわけです。

それとNECのシェアの問題が実に微妙なわけでして、10年前には20%超のシェアでトップを走っていた同社の現在の国内シェアは7%足らず。年間4000万台の国内携帯電話出荷台数で計算すれば約300万台弱がNECの取り扱い台数なわけです。ここで重要なのは、この台数のドコモにおけるシェアです。ドコモの2012年度の販売計画は期中の上方修正を受けて1400万台となっており、NECのシェアは内約20%を占めています。この20%が何を意味するかです。

加藤薫社長が年初の「iPhone導入の可能性」についての発言を見るに、「販売台数の2~3割なら扱ってもいい」というものがあり、まさしく「2割」はNECのシェアに合致するわけです。さらに深読みをするなら、将来的にシャープがサムスンと統合したケースまで含めれば、NEC+シャープの販売シェア分はそっくり海外勢にとって代わられるわけで、上限で「3割」超のシェアをiPhoneに振り分けるという戦略は十分に成り立つわけです。すなわち、携帯事業から撤退したNECのシェア分約20%を当面のiPhone割り振りとして取り扱いを開始し、シャープ、サムスンの統合を視野に入れながら段階的に30%超までシェアを伸ばすという交渉カードを、ドコモが手にし既に交渉に入っていると考えていいのではないでしょうか。

残された問題はアップルの対応と、自社コンテンツを販売できないプラットフォームであるiPhoneに対するドコモの対応をどうするかでしょう。前者はアップルの胸の内ひとつですが、こだわりジョブズ氏亡き後のアップルがiPhone販売に関する頭打ち感と次なる一手に関する無策感を真剣に捉えているのなら、ドコモのiPhone導入に向けた歩み寄りは十分検討の余地があるのではないかと思うのです。となると問題は後者でしょう。

ドコモが販売台数確保にこだわるあまり、iPhoneのシェアを拡大させ過ぎることはコンテンツビジネスの先細りを意味し、確かに“ドカン屋”と化して収益環境を一気に悪化させることにもなりかねません。しかし転んでもただでは起きない官僚組織のドコモが描いている戦略は、恐らくそんなに単純ではないでしょう。「品ぞろえ」としてiPhoneの取り扱いを開始することで、ドコモは「アップル=iPhone」の内部事情を今以上によく把握できることにつながるわけで、むしろそのスパイ的活動にこそiPhone導入のメリットを見出し、iPhoneとの比較対照販売において勝てる商品・サービスづくりによるスパイ潜入逆転劇を虎視眈々狙っているのではないかと思ったりもするのです。

今月末とも言われるNECの携帯事業撤退の公式発表を受けた来月のNTTドコモ決算発表の場において、正念場加藤政権第二年度の今年度計画達成に向けた具体的施策が明らかにされるわけですが、上記のような考えを巡らせてみるなら、いよいよXデー発表に向けた諸条件は整いつつあると強く感じる次第です。

テレビの「外出は控えましょう」は余計なお世話

2013-04-08 | 経営
先週末の話題は、「土日に日本を襲う爆弾低気圧」の一件。先週の木曜日あたりから騒がれ始め、多くのメディアで「要注意」が盛んに呼びかけられていました。この手の「注意喚起」に関して、大雪や台風接近などの時も同様なのですが、毎度毎度ちょっと首を傾げたくなる部分があるので述べておきます。

テレビのニュース番組の気象予報コーナーなどで流される「注意喚起」に続いて、最近決まり文句のように付け加えられるのが、キャスターの「週末のお出かけは控えましょう」とか「今日はなるべく早くまっすぐ家に帰りましょう」とかの「主観」コメントの数々です。これはどうなのかと。

飲食店も運営する弊社にとっては、この一言が大変なダメージにつながります。先週の金曜日に仲間と飲んでいてやはり話題になったのは、翌土曜日からの「爆弾低気圧」襲来の話題(この「爆弾」という表現も非常に「主観」的ですが…)。「あれだけテレビで余計なこと言われちゃうと、稼ぎ時の週末なのに明日はダメだからね。参っちゃうよ。せいぜい今日稼いでおかないと」。同業氏の口からは愚痴とため息がついて出るわけです。

テレビの報道番組で、大型低気圧襲来前に「気をつけましょう」はいいとしても、「お出かけは控えましょう」「早く帰りましょう」は本当に必要なのか、いやむしろ言っていいものなのかどうか、私はかなり疑問に感じています。報道とは客観性を旨とすべきものであり、その観点から「注意喚起」をするところまでは全く問題のない部分であろうと思います。しかし、「お出かけは控えましょう」「早く帰りましょう」はあくまで「主観」発言であり、「イジメはしない、見て見ぬフリもしない」「酒を飲んだら運転しないさせないを守ろう」などという万人にあてはまる行動示唆とは違うわけで、人によってはその発言が迷惑につながるケースがあるということも考える必要があるのではないかと思うのです。

先の飲食店の例に代表されるように、天候が悪かろうも生活のために額に汗して普段と変わらず働いている人も多いわけで、その邪魔をするような「主観」発言は公器としてのメディアは慎むべきではないのでしょうか。聞けばこの事前「主観」アナウンスを受けて、飲食店だけでなく、レジャー施設や宿泊施設、民間交通機関などは事前の予約キャンセルを含め、レジャーシーズン最盛期でありながらこの週末は大幅な収入減で、収益計画修正を余儀なくされている企業も多いようです。

おおげさに言うならば、テレビが気象予報に関する「主観」的な行動示唆をおこなうことでマイナスの経済効果がどれほどあるのか、考える必要すら感じさせられます。「三種の神器」として一家に一台、生活の一部として発展してきた日本におけるテレビの特異な存在感を、情報の送り手は正しく理解することがその第一歩ではないでしょうか。日本におけるテレビは、テレビに出ているだけで「有名人」としてあがめられたり、テレビで紹介された店には翌日から信じられないほどの行列ができたりするなど、“神の箱”的に多くの視聴者を盲目崇拝的な方向に導く力を持っています。すなわち、この“神の箱”が「客観性」を失った方向に動くなら、少なからずそのことで損害を被る人間が多数出るということも忘れてはならないのです。

それともうひとつ、極端な例ではありますが、今回のような自然災害への警鐘報道で「外出を控えるように」と報道されたがために家にいたことで、土砂崩れにあった、川の氾濫で車を流されたなどの被害もありうるわけで、万人に当てはまらない「主観」的行動示唆は人命にもかかわる思わぬ被害を招くこともあるのです。

「主観」はそれと気づかぬまま大量流布させることで、大きな損害や大きな無用な被害が生まれるリスクがあるのだということを、メディア、特にテレビは今一度自覚をもって襟を正す必要があると改めて思います。「お出かけは控えましょう」「早く帰りましょう」等の「主観」コメントは、今後控えるべきであると私は強く感じる次第です。