日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№15 ~ “レイド・バック”クラプトン

2008-03-29 | 洋楽
エリック・クラプトンです。

以前取り上げたデレク&ザ・ドミノス「いとしのレイラ」は、確かに彼のキャリアを代表する作品であり、今でこその「名盤」ですが、当時は散々たる評価で全米TOP40的「100枚」に入るかとなると「?」です。では、「100枚」にふさわしいクラプトンのアルバムは?この質問に私は、必ずしも自分の好みではないのですが、迷わず74年の「461オーシャン・ブルバード」をあげさせていただきます。

15「461オーシャン・ブルバード/エリック・クラプトン」
このアルバムは、決して彼の最高傑作ではありませんし、楽曲ひとつひとつの出来から言えば、「名盤」と言うのも私的にははばかられるところです。ただ全米TOP40的には、アルバムおよびシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」共々、彼としては初のNo.1に輝いた大ヒットアルバムでした。

このようなチャート・アクション上の記録だけでなく、このアルバムが70年代を代表するアルバムにふさわしい理由は、いくつかあります。ひとつは「いとしのレイラ」発表後、コカイン中毒で表舞台から姿を消していた彼を、ザ・フーのピート・タウンゼントをはじめとした音楽仲間が、ドラッグ生活から救い出し制作した当時話題の“復帰盤”であったこと。シングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は、ロックの第一人者が、はじめてレゲエの“教祖”たるボブ・マーリーをカバーし、以降のレゲエの市民権獲得の先駆けとなったこと。そして我々日本人には、このアルバムを引っさげての武道館初来日公演が実現したこと。これらのエボック・メイキングな出来事こそが、このアルバムを70年代洋楽フリークにとって特に意義深い1枚たらしめるのに十分だと思うのです。

演奏的には、クリーム時代の激しくギターを弾きまくるクラプトンはそこにはなく、当時「レイド・バック」と称された至ってリラックスして、リハビリに励むかのような元“神様”の姿を見るようです。収録曲では、先のレゲエ名曲のカバーA⑤「アイ・ショット・ザ・シェリフ」とともに、彼のその後の長きキャリアを通じて「重要曲」と位置づけられる曲に、B③「レット・イット・グロウ」があります。ツェッペリンの名曲「天国への階段」にも似たこの曲の美しい旋律は、この後のクラプトン・バラードの基本形とも言える素晴らしい出来栄えです。

このように「461オーシャン・ブルバード」における“レイドバック・クラプトン”は、その後ロック界のみならずポピュラー音楽界の重要人物として歩む輝かしいキャリアの出発点とも言える1枚です。その意味においても、「70年代の100枚」にふさわしいアルバムなのです。

クラプトンの個人的なフェイバリット・アルバムは、明日の「音楽夜話」で。


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