日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

恐るべき、「権力」と「マスメディア」の乱行

2007-11-29 | ニュース雑感
香川県坂出市の祖母と孫二人の不明殺害事件で、容疑者が逮捕され供述どおりに被害者の遺体が発見されました。容疑者は被害者の実の妹の夫。身内の犯行でしたが、別の身内の人物を犯人であると思ってこの事件を追い続けていたワイドショー・ウォッチャーもたくさんいたのではないでしょうか。

もちろん、事件の全容が明らかになっていない現時点で、いろいろな事を書き連ねるのは、やや危険かもしれません。しかしながら、別の身内の犯行であると“予想”をしていた多くの人たちを作り出したのは、明らかにワイドショーの報道姿勢であったと言えるのではないでしょうか。

TV番組の執拗なまでのその身内に対する取材と取り上げ、報道陣に対する悪意に満ちたかのような対応やコメントの場面を選りすぐっての繰り返し報道・・・。事件発生数日から行方不明の被害者を見つけ出せない状況下での加熱報道の弊害とも言えるのでしょうか、ここ2~3日は明らかに、事件の被疑者であるかのような扱い方に変わってきました。

執拗な報道と、被疑者のような扱いを受ければ、誰しもマスコミに対する対応も悪くなろうと言うものです。その時点では、身内の行方が分からない被害者家族であり、同情こそ受けてもなぜ被疑者扱いをされるのか、内心の怒りたるや想像を絶するものがあったに違いありません。

マスコミの“決め打ち報道”は、最近の何件かでは、フライング気味に被疑者扱いされた人物がの実際に逮捕された例もありますが、過去には何人もの悲惨な被害者を生んでもいます。もっとも有名な事件が、「松本サリン事件」の河野義行さんの一件でありました。
彼の場合も、事件発生2~3日目ごろから被疑者扱い報道が始まり、結局半年以上も後の「地下鉄サリン事件」によってオウム真理教の仕業であると判明するまで、その“犯人扱い”は続いたのでした。
被害者である妻の看病をしながらのマスコミと周囲の疑惑の目と戦い続けた河野さんの胸のうちは、いかばかりであったのでありましょうか。

いつ何時自分の身にも降りかかってこないと言い切れないマスコミの恐怖には、ただただ恐ろしい気持になるばかりです。

表現の自由とプライバシーの問題では、報道する側=加害者、報道される側=被害者という一面的図式の思考は不毛であり、マスメディアはその力の大きさを自ら常に意識し、“報道の暴力”となるリスクを自制する義務があると思います。

それとさらに常に問題を大きくするのは、警察権力のマスコミ誘導による“犯人あぶり出し”です。たいていの場合、マスコミが特定の人物を被疑者に作り上げるきっかけは、捜査当局の個別リークあるいはオフレコ情報です。
捜査当局は逮捕状を取れない状況下で、被疑者にマスコミ攻勢による「追い込み」を掛けて「焦り」による“しっぽ出し”や“落とし”を狙うのです。なんとも前時代的かつ非人道的捜査ではないでしょうか。

私が常々警鐘を鳴らしている「官」の非常識と「マスメディア」の驕りは、いろいろな形で必ずや国民に対して大きな損失をもたらします。だからこそ、問題が目につくたびに幾度となくこのページでも取り上げているのです。

善良な市民を凶悪な事件の被疑者に作り上げるという、「官」と「マスメディア」が共通の誤った方向ベクトルを創作し強大な力をもって我々の前に突きつけるとき、我々一市民はまったくなすすべなく自由で平和な生活が奪われてしまうのです。
幾度となく繰り返される同じ過ちに、今一度「官」と「マスメディア」は権力者の驕りを捨てよと、いつ被害者になるかも知れぬ我々一人ひとりが声を大にして訴え掛けなくてはいけないのです。

経営のトリセツ14 ~ 今日からできる「社長必須の三原則」

2007-11-28 | 経営
世に社長と呼ばれる人はあまたおりますが、成功する社長、そうでない社長はどこで分かれるのでしょうか?もちろん、「こうすれば絶対成功する」と言った万能な正解はあろうはずもないのですが、私が見聞きしてきた成功を手にした社長方には、それなりの共通点が見出せるように思います。

その共通点は、「成功するか否か」のポイントと言うよりは、「社長がビジネスパーソンとして成長するか否か」のポイントであるのかもしれません。もっと言えば、サラリーマンでいづれ独立を考えている人たちにも、今から始められる「成功する独立」への指針となるものかもしれません。

そのポイントはズバリ、「読む」「書く」「会う」の三原則です。

「読む」はまさに本を読むことです。
活字情報は、活字になった段階ですでに「情報」としての価値は低いのかもしれませんが、「ヒント」や「ノウハウ」には満ちあふれています。特に知恵の宝庫と言えるのがビジネス書です。ビジネス書は、成功体験を積んだ先人たちが、その数十年分の知恵や経験を惜しげもなく教えてくれているのですから、読まない手はないのです。
レバレッジシリーズの著者本田直之氏も、「レバレッジ・リーディング」の中で「ビジネス書は、1冊1500円の仕入れ値で、15万円の利益が生まれる魔法の原材料である」と言っています。
また、近年感性工学の分野では「センスは情報量に比例する」ことが立証されているそうです。なるほど、読めば読むほど、経営や商売のセンスが磨かれるってことでもあるのです。

「本なんか読む時間ないよ」とおっしゃる社長方もいらっしゃるかもしれませんが、先の本田氏はこの点についても、「本を読まないから時間がないのであって、一流ビジネスパーソンは見えないところで皆驚くほど本を読んでいる」「本を読まないのは、ビジネスチャンスを放棄すること」「本を読まないビジネスパーソンは、練習をしないスポーツ選手と同じ」と言っていますが、私も全く同感です。

「口コミ伝染病」の神田昌典氏も「非常識な成功法則」の中で、「大成功した社長の共通点は大量に本を読んでいることだ」と言っています。松下幸之助もウォルマートのサム・ウォルトンもユニクロの柳井氏も和民の渡邉氏も、皆人一倍読書家なのです。
社長だからこそ読書の時間は意識的につくるのです。朝の1時間、移動の1時間、帰ってからの1時間…、どこかで必ず時間はあるはずです。ポイントを捉える読み方さえできれば、月に10~15冊のビジネス書は読めると思うのです。読めば読むほど時間が生まれる、不思議に思いますが本当です。ぜひ試してみてください。

次に「書く」。
「書く」ことは、脳を活性化してくれます。目標を文字にする、アイデアをペーパーに落としてみる、ブログで自身の意見や考えを書いてみる(私の当ブログはまさにその類です)、どんな形でもいいので書いてみることは、考えの整理や論点の明確化に必ず役に立ちます。1日最低1ペーパー。箇条書きでもいいです、パソコンでも鉛筆でもOK。テーマを決めて文字にしてみることです。

私が以前よりよく知っているある社長は、私と話をしていてひっかかりのあるテーマに出会うと、その場ではキーワードとしての単語だけをメモにして、家に帰ってからかあるいは翌朝始業前か、自分のなりに分析をしたりイメージマップを作ってみたり、あれこれめぐらせた考えを文章にしたり箇条書きにまとめたり、次回私と会った際にいろいろな“成果物”を見せてくれました。

もちろん、それがすぐにビジネスにつながった訳ではありませんが、その会社はみるみる成長して10人規模の会社から数百人規模の会社に。私が社長と話しをしていて感じたのは、社長の「とっさの判断力」、「緻密な分析力」、「的確かつ迅速な決断力」こそが会社を成長させたのだということと、それらを支えるロジカルな思考の数々は、まちがいなく日々の「書くこと」で鍛えられてきた訓練の賜であるということでした。

「書く」については、1番目の「読む」を「書く」に転換させることも有益であると考えます。読んだビジネス書を、読みっぱなしにするのではなく、自分なりの言葉で整理したりまとめたりして「書く」に転換すれば、まちがいなく「読む」はさらに大きな力になるハズです。

三つ目の「会う」。
「会う」は、人と会うことです。この「会う」相手に仕事の関係者は含みません。仕事の関係者や同業者と会って話したところで、「愚痴言い合い」ならまだいい部類。「根回し」に終止したり、下手をすれば「談合」なんて展開にもなりかねません。こちらは、必要最小限に。
「会う」対象は、仕事での利害関係のない人。それと、こちらが「主に聞く」「主に話す」「聞いたり話したりする」の3パターンをバランスよく織り交ぜるのが理想です。

別の分野や業種で活躍する人たちが、「何を考え」「何を悩み」「何を得ようとしているのか」を聞くこと、また自分の考えやプランを別の分野や領域の人たちは「どう考え」「どう意見するのか」を聞くことは大変有益です。「読んだり」「書いたり」だけでは、得られない大きなものが「会う」からは得られるはずです。

書籍があらゆる読者を対象に「書かれた」ものであるのに対して、「会う」の中の「聞く」は、相手があなたに対してオーダーメイドで話してくれる知恵や知識を得るチャンスなのです。相手が一流であろうがなかろうが、他の分野や業種であることできっとあなたにとって貴重な視点や目線での話のひとつやふたつは得られるのではないでしょうか。また、書店であなたが決して手に取らないであろうジャンルの話が聞けるチャンスでもあるのです。

「会う」の中の「話す」は、「書く」と同じように自分の考えをまとめる絶好のチャンスです。会って「話す」ことで、他の分野や業界の人の反応を見ながら自分の考えのまとめ方を変更したり修正したり、疑似プレゼンの場としても大いに活用したい場面なのです。

自社の社員とばかり酒を飲んでいる社長さんや家族とばかり食事に出ている社長さん、社員とのコミュニケーションや家族との会話も大切なことですが、社長として自分をもっと成長させたいなら、外の人間、異業種の人たちと最低1日一人、週に10人は会って話しをしたいところです。何も会食はしなくてもOKです。目的は「話」ですから。
それと、電話やメールは、話はできても会ってませんからダメ。会って相手の顔を見ながら話すことが大切なのです。

「会う」ための人脈づくりも大切です。商工会の集まりや、セミナー、パーティ…、声掛りがあればとにかく顔を出してつながりをつくることも大切です。そして魅力のある経営者との出会いがあれば、そこにはまた太いつながりが必ずあるはずで、そうなれば人から人へ人脈が果てしなくつながっていくのです。でもそのプラスの連鎖を手に入れるためには、自身が相手にとって魅力的でなくてはいけませんから、先の「読む」「書く」が日常からできていないと良い「会う」にはつながらないのです。
逆に良い「会う」があれば、その後の「読む」から得るものも大きくなるでしょうし、「書く」内容も濃くなっていくに違いありません。好循環にはまればはまるほど、社長として成長できる無限連鎖になっていくのではないでしょうか。一流のビジネス・パーソン同士が、なぜか以前から知り合いであるというケースもよく聞く話ですが、「会う」を重ねる中でごくごく自然につながりが生まれるものなのです。

そんな訳で、私も一流のビジネス・パーソンをめざす身として、社長必須の三原則「読む」「書く」「会う」を心がけ、日夜努力しておる次第です。

スッチー怒る!~元“半官”企業JAL のあきれた企業風土

2007-11-27 | ニュース雑感
JALがまたやってくれました。
組合と会社が一体となっての不当な個人情報の収集管理していた件で、客室乗務員をはじめとした多数の社員たちから訴えを起こされました。

150項目にわたる管理情報の中には、「バツイチ」「悪党」「酒癖最悪」「ブサイク」「役立たず」・・・、などのおよそ人事管理情報とは言い難い、中傷や悪口の類がズラリ。日本航空という会社の、企業文化の低俗さが図らずも明らかになってしまいました。

問題発覚は今年の2月、日航の社員処分発表が5月。それがなぜ今訴訟騒ぎに?といった感じですが、 これは事件に対する会社側の問題認識の甘さに腹を据えかねた社員たちが立ち上がった、と言えるお話なのです。

会社側は、問題の資料は組合が収集管理していたものとして、会社ぐるみでの関与を否定しています。でも本当にそうでしょうか?
150項目にもわたる個人情報や、誹謗中傷の類にまで至るプライバシー情報を、なぜ組合が収集する必要があったのでしょう。そんな詳細な個人情報を手に入れても、組合活動の中では使う機会などなかったのではないでしょうか。

あくまで想像の域を出ませんが、会社の人事が御用組合を使って、万が一バレたときに人事部がやったとなってはマズいことを、やらせたのではないかなと思っています。御用組合の裏人事部機能というのは、それこそ昭和の大企業ではごくごくあたりまえにまかり通っていたことですから。日本航空のように、社内にいくつもの労働組合を抱え、相互の力関係が微妙な企業では、過去大いに可能性のあったことでしょう。

その辺の事の真実も知りたいところではありますが、結果組合主導であろうが会社主導であろうが、一番の問題はそのような前時代的意識が蔓延している、日本航空社内の企業風土だと思います。

企業コンサルにおいて、「一事が万事」は、問題点洗い出しの際の基本的な判断基準です。古い企業風土の企業では、「企業風土は古いけど今様のコンプライアンス体制がしっかりしている」なんてことはまずあり得なくて、当然のようにコンプライアンス違反事例が起きるものなのです。

私は、社員から起こされた今回の訴訟は、単に人事情報管理上の会社の関与の有無が問われている問題ではないと思います。会社側には、これは日本航空と言う“元半官”企業の企業風土および体質に向けて提示された「レッドカード」であると受け止めた上での、真摯な対応が求められているのではないでしょうか。

日本航空の再生計画も、なかなか思うに任せぬ現状を考えるに、同社の古い企業風土の改革なくして、真の再生はありえないと痛切に感じています。

<音楽夜話>還暦ライブ ~ エルトン来日公演に思う

2007-11-25 | 洋楽
エルトン・ジョンが来日しました。今回は武道館でのみの2回のソロ公演。ピアノ一本での素晴らしいものでした。

思えば私がエルトン・ジョンの公演を見に行くのは74年、88年(クラプトンツアーのゲスト)、95年、98年(ビリー・ジョエルとのジョイント)、01年、そして今回、実に6回目の来日公演となります。

74年は中学生の洋楽にはまり始めた頃で、ちょうど前年秋のあの「グッドバイ・イエロー・ブリックロード」との出会いにより、熱烈な応援が始まった時期でした。ところが、この公演はあの伝説の“Only 70Minutes”コンサートでして、忘れもしない2月1日の寒空の下を「PAの音が気に入らない」というエルトンのわがままで、1時間半も待たされたあげくわずか70分足らずで終了。アンコールもなし。一部の怒ったファンが主催者側に詰め寄って、終電まで押し問答をして新聞沙汰にもなりました。

当時コンサート経験の少なかった中坊の心は、「本物の大物」を生で見て聞いた喜びはあったものの、当時欧米で人気絶頂のアーティストの、気まぐれなわがままによる半端なコンサートに不完全燃焼だったむなしさもあって、とにかく次の来日をクビを長くして待ち続けました。

そして待つこと14年。やっと届いた吉報は「クラプトンのゲスト」というなんとも中途半端な扱い。しかもその時の私はと言えば、酔っ払って足を骨折しており、松葉杖での参戦を余儀なくされました。その上、当時のPA技術では音響最悪の東京ドームスタンド席ですからね。それでも、14年ぶりにわずか数曲とはいえ、接することのできた「生エルトン」には本当に感激しました。

そして、ようやく95年にソロ公演が実現。個人的に世界一のパーカッショニストと絶賛しているレイ・クーパーとの「ピアノ&パーカッションの2人公演」は、本当に素晴らしいものでした。
レイ・クーパー先生はその後どうしているのでしょう?どなたか消息をご存知ではありませんか?引退?元気で長く活動してほしいと思っています。

98年のビリー・ジョエルとのジョイント公演「ピアノ・マン~フェイス・トウ・フェイス」コンサートは、念願のフルバンドエルトンでしたが、ドームを埋め尽くした大半がビリーのファンで、ビリーの出番では一同大喝采、エルトンが出ると静まるという繰り返しで、本当に肩身の狭い思いをしたのをよく覚えています。日本での人気の差は歴然ですから仕方ないのですが、エルトンファンにとっては、どこか寂しいコンサートでした。

そして01年。前回は最高のフル・バンド公演でした。74年以来ずーっと見たいと思っていたオリジナル・バンドでの単独公演。ドラムに74年と同じナイジェル・オルソンっていうのがさらに嬉しかったですね。しかもアンコール2回のトータル3時間弱。四半世紀以上を経てようやく念願のコンサートを体験できたのでした。

思い出話が長くなってしまいました。

今回の来日公演は、味わい深いピアノ弾き語り。形的には95年に近いのかなと思っていましたが、なにせ御歳60歳還暦を迎えたイノシシ年の年男ですから、せいぜい1時間半、アンコール含めても2時間がいいところであろうと思っておりました。
ところが何と、全29曲の2時間45分、ピアノ弾き通しの歌いまくりのライブに驚くやら、感動するやら。ピアノのうまさは言わずもがなではありますが、さすがのレベルです。その上、歌が以前よりも少し細身になったせいか、声もよく出ていて今まで生で聞いた中では一番うまいと感じました。
60歳にしてこのパワーと、常に前進する姿勢には本当に頭の下がる思いです。

演奏曲目ですが、ごく初期のアルバム「エルトン・ジョン」からの6曲がどれも秀逸でした。それと、私の大好きな「グッドバイ・イエロー・ブリックロード」からの「ロイ・ロジャース」、80年代のヒット曲「ニキータ」、そしてピアノ一本で見事に盛り上げる「リーヴォン」などは、特に印象的でした。
そしてもう1曲忘れてはいけない、アンコールのラストに歌った「サークル・オブ・ライフ」。映画ライオンキングの挿入歌ですが、生きる意味を味わうことの大切さ素晴らしさを歌った曲として、還暦を迎えた彼が今訴えたいことが凝縮されているかのように歌い上げる姿に、新たな感動を覚えました。

~サークル・オブ・ライフ~
この世は驚きに満ち、人生は発見の連続
ひとつの終わりは、ひとつのはじまり
与えるより多くは手に入らない
自分の場所は必ず見つかり
そして人生はひもとかれていく
サークル・オブ・ライフの中で・・・(抜粋)

前回のピアノツアー(レイ・クーパーはいましたが、実質ピアノ弾き語り)が12年前の48歳。干支がひと回りして還暦の今年のピアノソロ、前回に比べて衰えるどころか、むしろパワーアップしたとさえ思わせる内容のコンサートに、ただただ驚くばかりです。この歌のように、彼の人生の何たるかがまた新たにひもとかれたのでしょうか。本当に素晴らしいコンサートでした。

ちなみに私もひとまわり下のイノシシ年生まれの年男です。
60歳になってなお天賦の才におごることなく、手を抜かず、前抜きにがんばり続ける彼の姿勢を見習って、12年後、60歳の年男を今年のエルトンに負けない情熱と心意気で迎えられますよう、気持を引き締めなおした次第です。
「人生は発見の連続。与えるより多くは手に入らない。自分の場所は必ず見つかり、そして人生はひもとかれていく、サークル・オブ・ライフの中で・・・」の歌詞をかみしめつつ・・・。

さあ、今週もがんばっていきましょう!

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◎エルトン・ジョンのクリスマスソング画像
http://jp.youtube.com/watch?v=zs4OkFZWmfs&feature=related
エルトン・ファミリー総出演の楽しい映像です。
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さて競馬の話題です。
昨日のジャパンカップダートは、狙った7番人気サンライズバッカスが見事3着して、ワイド6.7倍と18.5倍のクリーン・ヒット!

この調子で、本日のGⅠジャパンカップもいただき?

ジャパンカップは他のGⅠレースにないほど、なぜか牝馬が活躍する中距離レースです。古くはオグリキャップを驚異的レコードで破ったホーリックス、メジロマックイーンを寄せ付けなかったマジックナイト、日本馬でもファビラスラフィン、ヒシアマゾン、エアグルーブなどが連対しています。

いずれ劣らぬ名牝ばかりですが、牝馬でダービーを制したウォッカにはその資格十分ありのレベルですね。
的中の後は無理な穴は狙わず、武サムソンとの馬連1点で。

ご参考まで。

土曜日ですがGⅠです

2007-11-24 | 競馬
本日は、土曜日ですが中央競馬のGⅠレースがあるようですので、少々コメントを。

ジャパンカップ・ダートという国際招待レースです。
過去7回と歴史が浅いため、蓄積<経験則>があまり多くありません。

ですが参考までに・・・
日本のダートコースはかなり「重い砂」です。ダート競馬主流のアメリカは、「水が浮いたような」と言われるコースで、かなり軽い馬場のようです。なので、道悪以外では外国招待馬(特に米国馬)は不要という感じで、過去唯一出た連対馬(03年1着)も当日不良馬場のレースでのものした。
本日は良馬場です。

少ないデータの中から敢えてひねり出した<経験則>は、「コース巧者」「3歳馬」ぐらいですね。

で本日おもしろそうな穴馬は・・・
「コース巧者」という点で、今回距離はベストではないものの、同じ東京ダートコースのGⅠフェブラリー・ステークスを勝っている、①サンライズバッカスが魅力です。人気も落ちて買い頃?
①からのワイドで遊びます。

<音楽夜話>おすすめDVD ~ キャロル・キング最新LIVE

2007-11-23 | 洋楽
以前この当ブログでも取り上げた、キャロル・キングの“抱き合わせ販売的”来日公演も終了したようです。予定通り(?)私は、行きたい気持をじっと我慢でライブ観戦を見送り、その浮いたチケット代で、彼女の数々の名盤の紙ジャケCDと最新ライブDVDを購入いたしました。このライブDVDが抜群にいいので、ご紹介しておきます。

タイトルは、「WELCOME TO MY LIVING ROOM / CAROLE KING」。国内盤は12月発売だそうですが、US盤が10月既発売で、ネットでも購入できます。
とにかく、おとなのライブって感じでセンス抜群のステージが2時間にわたって収録されています。

タイトルの通り、ステージ上にはじゅうたんの上に置かれたグランド・ピアノの他、自宅のリビングを再現したかのようなソファー、テーブル、ランプにグリーンがセットされて、とてもとても良い感じの雰囲気をかもし出しています。

まずはじめにキャロルが一人で登場して、ピアノの弾き語りでスタート。その後キャロルは曲によってピアノとギターを弾き分けて、RUDY GUSS、GARY BURRの2人の男性ミュージシャンを従えつつ(二人が、ギター、ベース、ボーカルを使い分けます)、時にしっとりと、ときにはつらつと、名曲の数々をアコースティック・アレンジ基本の大人の雰囲気で、肩の力を必要以上に入れずに披露してくれます。

サポートの2人がまた、腕利きのベテラン・ミュージシャンでして、名曲の素晴らしさを決して損なうことのない素晴らしいアレンジで、キャロルをフォローしてくれます。
肝心のキャロルですが、魅惑のハスキー・ヴォイス健在!終始にこやかかつ元気に、とても60歳を越えたとは思えない溌剌とした歌を聞かせてくれます(昔から“老け顔”だったんでしょうか?ほとんど歳をとった感じがしません)。

全22曲。「イッツ・トゥ・レイト」「ユー・ガット・ア・フレンド」「ソー・ファー・ア・ウエイ」などの代表曲はもちろんのこと、ラストでは「ロコモーション」のセルフカバーも聞かせてくれます。
最近の作と思しき曲も何曲か演奏されますが、それがまたかなり良い曲でして、ここ最近のキャロルが彼女にとって何度目かの音楽的ピークを迎えているのがよく分かります。こんなに素晴らしいステージができるのも、きっと心身ともにとても充実した創作活動を送っているからなのでしょう。

以前より同名タイトルのCDもリリースされていますが、収録曲はかなり違っていますので、どちらも必見、必聴と言えます。

聞くところによれば、例の悪徳呼び屋の“抱き合わせ販売的”来日公演。キャロルの歌はわずか11曲だったとか。ちょうどこのDVDの半分です。もちろん“生歌”に接する素晴らしさは、何ものにも代えがたい価値がありますが、あっという間の曲数ではきっと「フラストレーション」が相当たまったんじゃないかなぁと思います。

などと、「生キャロル」をやり過ごした負け惜しみを言いつつ、本DVDを見て実は少し後悔している気持をなぐさめております。

いづれにしましても本作品、大関自信の“三ツ星”です。

※HMV作品ページ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2633627

保険も賢く“リフォーム”する時代?

2007-11-22 | ビジネス
現在、関係先のビジネスがらみで生命保険の「新しい売り方」を模索中です。
今様のセールス・トークを検討する中で、プロから学んだ保険の賢い「見直し法」を少々披露しましょう。

誰もが思いつく生命保険の典型的な古い売り方が、“保険のオバちゃん”による「死亡保険」熱烈販売です。
そもそも、日本は昭和の時代に“保険のオバちゃん”たちによって、大量の「死亡時保障」型の生命保険が金融商品であると意識させることなく売られてきたのでした。
それによってもたらされたのは、「生命保険とは契約者本人にはあまり恩恵がなく、主に残された家族のためのモノ」という誤った認識です。写真のグラフでも分かるように、日本の生命保険加入者一人あたりの保険保障金額は、欧米に比べてダントツの多さなのです。これはひとえに、わが国の“保険のオバちゃん”の「死亡保険熱烈セールス」によるところが大きいのです。

でも生命保険って、小さいお子さんがいる家の稼ぎ頭以外は、本来自分の役に立たせるために入るものだと思います。最近は保険金の生前給付もあたり前になってきましたし、入院や手術などの多額の費用がかかる際に入院給付金や手術給付金等がたくさんおりて役に立ってもらうのが、本来保険に求められる役割だと思うからです(小さいお子さんがいる家の稼ぎ頭は、やはり万が一の残された家族が困らないように、「死亡保険金」が第一でしょうけど)。

それで、ですね・・・
皆さん、「保険の特約」って聞いたことありますよね?実はこの「特約」っていうものが、保険を自分の役に立たせるためには大変重要なものなんですね。でも、オバちゃんからすすめられて生命保険に入った人はたいてい、「死亡保険金」額はなんとなく知っていても(「俺が死ぬと、こいつに3千万円もはいるのかぁ~」とかは何となく知ってるでしょ?)、「特約」として何がついていたかなんて意外に知りませんよね。

なぜ「特約」はあまり印象に残っていないのか。
オバちゃんは、その成績評価上、「死亡保険」の金額を大きくしないと自身のマージンが大きくならないんです。「特約」はあまり成績にならないので、なんか隅に追いやられた印象が強いですよね。でも実は「特約」って、保険に入る側からすると、とっても大事なんですけどね。

というのも、「特約」部分って進化が激しくて5~10年ですぐに陳腐化してしまうんですね。でも中身が分からないとそのまんま。病気で入院してから「なんだこれ!10日も入院しないと金がでないのかぁ!」てなことになるわけです。
そこで、このところよく耳にするのが「保険の見直し」ってやつです。
でもこれも十分注意して聞かないと、さも全部解約して入り直さないと「特約」部分だけをグレードアップさせることができないかのような説明をされてしまいます。これは要注意!
なぜなら、最初に契約をすすめたオバさん同様、「見直し」をすすめる人も「死亡保証」がとれれば身入りが大きいわけで、本当は“損”な解約をさせられている可能性が強いのです。

実は保険って、「主契約」と「特約」に分かれていて、簡単に言うと「主契約」が「死亡保険」、「特約」が「入院給付」とか「手術給付」とかです。で「見直し」の際のポイントは、「主契約」を残して「特約」だけの解約も問題なくできるってことなんです。どうも契約時の先入観で、セットじゃないと解約できないように思われがちですので、ここもまた要注意です!

「特約」だけ解約してどうするかですが、最新の医療保険を複数セットして最新の生前保障に直すのが賢いです。例えば、10年前の「特約」の「入院給付」は入院5日目からが対象となるのが一般的でしたが、今なら初日から給付になる医療保険がありますし、「日帰り手術」でも給付が受けられる「手術給付」の医療保険もあるんです。

このような、古くなって陳腐化した保険の「特約」部分を「医療保険」で切替え提案するサービスを「保険のリフォーム」と名付けましょう、と現在提案中です。
「死亡保険」も含め根こそぎ保険を切替える一般的な「保険の見直し」を、「保険の建て替え」と見立ててのネーミングなんですが、我ながらよくできていると自己満足しております。
ぜひぜひ皆さんにも使っていただき、保険の正しい認識を広めるためにも一般用語化したいですね。

最後に最近学んだ賢い保険リフォームアドバイスを一件。
「死亡保障」も減額が可能です。小さいお子さんがいるうちは大き目の「死亡保障」があった方がいいですが、お子さんが大きくなったら金額を減らしてもいいですよね。減額によって月々の掛金が減った分で、解約した「特約」部分を、他の最新の医療保険に切替えて充実させるのが、けっこう賢い選択かなと個人的には思います。今は、65歳払い済みで終身保障の医療保険とか、老後の不安材料を緩和してくれる商品もあるようですよ。

まずは、ご自身の保険証券を見ていただいて、「特約」がどうなっているか確認してみてください。けっこう何階建てにもなっていて驚くかもしれません。上記の話と照らして“老朽化”が感じられるようなら、「リフォーム」を検討すべきかもしれません。保険は何事も早い対応が“お得”です。

私は保険の専門家ではないので、詳しいことは専門の窓口にご相談くださいませ。


続ミシュラン“三ツ星”の評価 ~ マスメディアの対応は“星0個”

2007-11-20 | ニュース雑感
訳あって、昨日に引き続き飲食店に関する評価の問題です。

船場吉兆の相次ぐ不祥事問題は、今更ここでとり上げるまでもないコンプライアンス違反事例でしたが、この事件から感じたことをひとつ。
飲食店の評価を決定づけるモノサシというものは、ミシュランがあげる「味」や「値段」や「オリジナリティ」や「雰囲気」だけではなく、むしろそれよりも何よりも「店の経営者の心」に違いないと実感しました。

ミシュランの「覆面審査」は、各店舗についてこの「店の経営者の心」を十分に審査しているのでしょうか?
彼らの調査方法を聞く限り、答えはおそらく「ノー」です。
私が言いたいのは、例え調査員が「三ツ星」と評価した店であっても、コンプライアンス上のリスクの有無までちゃんとみてなくては「格付」の意味がない、ということです。

船場吉兆と言えば、今回ミシュランに掲載された150店と比べても、決して見劣りしない「名店」です。しかし今回の一件で、仮に過去にこの店の料理を本当においしいと思った人でも、もう絶対に“星付”評価はしないハズです。
すなわち、ミシュランが審査のポイントにあげる「味」よりも「名前」よりも「雰囲気」よりも「メニューの独創性」よりも、何よりも重んじられるべき大切なもの、「コンプライアンスという経営者の心」を忘れて店の「格付」や「序列」は絶対に決められない、と言うことなのです。

雑誌の「Hanakoがススメるおいしいお店」の類や、外食評論家の「この店は私のイチオシです」の類のコメントならば、そんな厳格な審査姿勢は求められません。
しかしミシュランの“格付”が、良くも悪くも業界の「権威」であるとするならば、そこまで求められてしかるべきなのです。

今回さらに私が問題視したいのは、昨日からのマスメディアの報道姿勢です。
マスメディアも、単に「ミシュランの東京版発刊で150店舗掲載」とか、「東京の三ツ星は8か店」とかいった類の脳天気な報道に終始せずに、ミシュランという「格付権威」としての責任全うにかかわる、このような視点での切り込みこそが必要なハズです。
なにしろ昨日もお話したように、ミシュランは“癒着”や“不正格付”の前科があるのですから。

私はミシュランの話題を2日にもわたってブログで取り上げるつもりは、昨日の段階では全くありませんでした。ところが、今朝の朝刊各紙やテレビでのこの話題の取り上げ方を見るにつけ、マスメディア特に公器たる新聞報道の脇の甘さに、嫌気してしまい言わずにはおれなくなった訳なのです。

繰り返しますが、“前科者”ミシュランが「星」をくれた150店舗の中に、コンプライアンス違反の店が全くないという保証は、少なくとも彼らの調査活動からは全く担保されていないのです。

世の“コンプライアンス重視の風潮”の広まりは、言い換えれば“違反予防的風潮”の広がりでもある訳です。
新聞までもがワイドショーと同レベルで、「東京の三ツ星8はパリに次ぐ快挙!」「東京は世界有数のグルメ都市」などという浮かれ報道に終始している姿を目のあたりにするにつけ、この国の報道の使命感意識の乏しさを改めて実感させられ、ただただ呆れるばかりです。
日本のマスメディアは“星0個”ですね。

☆☆☆ ミシュランの基準って何だぁ? ☆☆☆

2007-11-19 | ニュース雑感
フランスのレストラン格付本「ミシュラン」の08年東京版が23日に発刊されます。それに先立って、掲載の店とその格付が発表されました。
注目の三ツ星店は8店とか。東京に何十万件以上もあるであろう飲食店から、8店舗を最高峰として選出する基準は何なのか?そんなモノサシが本当に存在するのか?いささか不思議な感じがしております。

まず、通称「ミシュラン」の説明から。
正式名は観光案内書『レッドガイド』と言い、その名の通り赤い表紙で、都市ごとに名所・ホテル・レストランの案内が載せられる。そして、独自の覆面調査による店のランク付けがされ、特に本国フランスでは評価のランクダウンはシェフの自殺をも生むと言われるほどの権威を持つ格付になっているのです。

三つ星から一つ星までのそれぞれの評価は、
▽三つ星「そのために旅行する価値がある卓越した料理」
▽二つ星「遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理」
▽一つ星「そのカテゴリーで特においしい料理」
だそうで、今回の東京版では、三つ星が8店、二つ星が25店、一つ星が117店という結果になったそうです。

解説が長くなってしまいましたが、気になるのはやはりその出版の性格と選考基準。「レッドガイド」の発刊は古く1900年。フランスの階級社会的時代背景の下、限られた人たちに向けた、高級レストランを選別するための一手段であったようです。
時は既に21世紀。発刊から100年以上もの月日がたち、価値観の多様化も進んでいる中、その非公開の選考基準は依然として旧態然とした古い時代のモノサシで測られているとも言われます。
また近年では、未開店店が掲載されガイドが回収の憂き目に会い、調査員とレストランの癒着問題がクローズ・アップされるなど、必ずしも信頼性に足る存在とは言い難い一面も覗かせているようです。

“フレンチの神様”と言われるジョエル・ロブション氏は、「ミシュランの判定基準はあまりに時代遅れで、新しさを求めるレストランは評価してもらえない。私はレッドガイドに取り上げてもらおうとは思わないし、アンケートにも答えたくない」と痛烈に批判を繰り広げています。
氏によれば、「ロブションは前菜、メイン、デザートという伝統的なスタイルにとらわれない、カジュアルなカウンターのレストランも展開している。こういったスタイルでは、このスタイルのみでミシュランからは評価されない」という感じだそうです。

今回発刊の「東京版」では、日本料理店を含む合計8店舗の三ツ星が選ばれました。なぜかロブション氏の店も選出されており、「本場パリでは問題あるけれど、大勢に影響のない東京で選出してうるさいロブションを黙らせておけ」的なミシュラン側の意図的対応も匂ってくる感じがします。

同時に問題視したいのは、今回の担当調査委員がわずか5人という点です。うち外国人が3名だそうです。東京に存在する何十万のも店から、何店舗で食事をし一体どんな基準で“最高峰”の8店を選んだと言うのか、具体的に聞いてみたいところではあります。

ハッキリしているのは今回選ばれたのは、「有名店」かつ超のつく「高級店」ばかりということ。“名の通った店”で万単位の金を払えば、一定以上のうまいものが喰えるのは当たり前の話ですよね。
詳細は非公開の「審査基準」にしても、「コストパフォーマンス」を重視しているとのコメントが出されていますが、一体、誰から見た「コストパフォーマンス」なのか。庶民的感覚からすれば、いささか疑問に感じさせられます。

ご存知の方も多いとは思いますが、ミシュランとは別に公的な格付機関でもなんでもなく、フランスの大手タイヤメーカーです。「ガイド」の調査員も基本的にはすべて社員。もちろん、「外食系勤務経験10年程度以上の者が大前提」とは言っているようですが。今回の選出先を見る限り、やはりその評価基準の入口として、まずは「一定以上の「知名度」と「価格」であれば、大ハズレはない」という考えが働いているのではないかと勘ぐりたくなるところです。

知らぬ他国、気位の高い国民性のフランス国内で、ブルジョワ階層の「参考書」として生まれた「レッドガイド」。その目的で使われている範囲では問題はないのでしょうが、階層社会の存在しない一億総中流の国日本に持ち込まれた場合、“前時代的”「ミシュラン格付」にどれほどの意味があるのでしょうか?もちろん、意味を持つか持たないかは、「ガイド」を使う人の生活水準とその使い方次第ではあるのでしょうが・・・。

公共電波たるNHKニュースまでもが、本日この件を大々的に取り上げていました。中立たるメディアが、一私企業がおこなっている“勝手格付”へ迎合や礼賛する行為は下衆の極みと言うもの(しかも受賞レストラン名は出さないと言う、いかにもNHKらしい中途半端な報道をしてました。ほんと毎度毎度ののアホですね)。マスメディアは、その点を十分踏まえた報道姿勢をとるべきかと思います。

一億総中流の日本において、本当に消費者が求めているのは、ミシュランの三ツ星ではなく「リーズナブルで本当においしい食べ物と、快適な時間と空間を提供してくれる飲食店」ではないかと思うのですが・・・。
少なくとも中流の底辺を行く、マーケッター大関に「ミシュラン」は不要です。

<音楽夜話>初来日ステージで垣間見た、亡き友への厚き友情

2007-11-18 | 洋楽
以前、ブログでも取り上げた70年代に活躍した英国のパワーポップバンド「PILOT(パイロット)」の初来日公演が、昨日川崎のクラブチッタでありました。忙しい仕事の合間を縫って、やはりやはり、結局見に行ってしまいました。70年代洋楽フリークの悲しい性(サガ)ですね。

今回の来日は、オリジナルメンバーは4人中2人。“マッカートニー・ライク”なベースとボーカルの中心メンバーのデビッド・ペイトンは健在でしたが、相棒であるビリー・ライオールは、70年代にバンドを脱退後不幸にも89年に病気で他界。いわば“片肺飛行”での再結成ライブではあったものの、ファンにとっては30年以上も待たされた待望の初来日であったわけです。

定員約600人の会場はほぼ満席でスタートしました。「ジャニュアリー」「コール・ミー・ラウンド」「ゲット・アップ・アンド・ゴー」などのヒット曲は余すところなく披露。ラストの「マジック」で会場は総立ちに。熱心な日本のファンだけのために急遽組まれたライブなのでしょう。演奏は決してこなれたものではありませんでしたが、大好きだったあの時代の1曲3~4分のコンパクトなヒット曲の数々を生で聞けたという点では、まずまず満足のいく本編でした。

そんな軽い気持で聞いていたこのコンサートで、予期せぬ感動がアンコールに用意されていました。

アンコールに応えて出てきたデビッドが歌いだした歌は、アンコールには似つかわしくないスローナンバー。タイトルは「ライブラリー・ドア」。アンコールでのこの選曲に思わず私は呆然、切々と歌うデビッドの歌声に、はからずも涙が零れ落ちてしまいました。

熱心なファンならば、この曲が持つ特別な意味を知る人も少なくないでしょう。パイロットを結成させるきっかけを歌った、デビッドと亡きビリーの“図書館のドア”での出会いを描いた歌でした。しかも、この歌が特別な意味を持っている訳は、ビリーがバンドを抜けた時期に「あの運命的な出会いを思い出して、もう一度一緒にやろうよ」という意味を込めて歌われたからです。でも、ビリーの病死によってその呼びかけは、永遠に叶わぬものになってしまいました。だからこそ今でも、この曲は二人にとっては本当に特別な1曲なのです。

思えば彼らは解散から既に30年。「マジック」がチャート5位のヒットとなった米国はおろか、本国英国でも既に忘れ去られた存在です。ところが日本ではなぜか私を含む根強いファンが沢山いて、世界的に廃盤状態が続いていた「ライブラリー・ドア」を含む名盤「新たなる離陸(=写真)」が、ファンの熱い要望に応えて日本のみで世界初CD化されたりもしているのです。

デビッドは、本国をしのぐ根強い応援を、解散後30年もたった今も続けている日本のファンには本当に感謝している様子でした。きっと彼は、本当なら共にバンドをはじめたパートナーである今は亡きビリーと一緒に、彼ら第二の故郷とも言える日本のステージに立ちたかったのでしょう。彼が、ヒット曲でもない「ライブラリー・ドア」を、日本のファンへの感謝の気持を込めたアンコール・ナンバーに選んだ意図はきっとそこにあったのだろうと思うと、もう涙が止まらなくなりました。ビル・ライオールは、きっとその時デビッドと共にステージの上にいたに違いありません。

この1曲を通して、デビッド・ペイトンがパイロットと彼の永遠の音楽パートナービリー・ライオールを本当に大切に思う気持が、手に取るように伝わってきて、「忙しい中、やっぱり見に来てよかった」と心から思わせてくれたのでした。
ありがとう、デビッド。

よくよく考えてみても、今回の来日はたった1日だけのライブで、観客は約600人。単純計算で売上は400万円ちょいです。場所のコストや機材運搬、店側の彼らのフライト費用とかまで考えると、4人メンバーで同行スタッフが何人かは知りませんが、彼の取り分って一体いくら?
ほとんど、ボランティアに近いコンサートですよね。本当に日本のファンに、本物のパイロットを聞かせてあげたかったんだなぁと思うと、余計にうれしくなりますね。
もう一度言わせてください。本当にありがとう、デビッド。


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パイロット「ジャニュアリー」動画
http://jp.youtube.com/watch?v=Tr0DcXOlxfI&feature=related
※ベース&ボーカルがデビッド、キーボード&フルートがビルです。
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今週20日、21日は、一時期デビットがバックメンをしていたサー=エルトン・ジョンが6年ぶりに日本武道館で来日公演をおこないます。
そして今日はGⅠマイルチャンピオンシップ。1600メート=1マイルで秋の最強馬を争います。

エルトンが前回来日した6年前も同じ11月。同じようにマイルチャンピオンシップが開催されました。
その時の馬券が、“エル=トン”馬券でした。
1着=ゼンノ「エル」シド(ペリエ)、2着エイシンプレス「トン」(福永)
には驚かされました。
競馬はエルトンの出身国英国貴族の娯楽ですから、サーに敬意を表した馬券だった訳ですね。

今年はさすがに「エル」も「トン」もいませんが、6年前にあやかってペリエ=福永の「エル」「トン」コンビ→⑥フサイチリシャール=⑨カンパニーのワイド⑥-⑨を“サー=エルトン経験則”として遊びます。