「自転車の交通マナー悪化を受け、警察庁は対応を強化する方針を固め、25日、各管区警察局・各都道府県の警察に通達した。通達では、自転車が通行可能な歩道の幅を原則「2メートル以上」「3メートル以上」とした(以下略)」(BLOGOS「"自転車は車道へ" 取締強化」より)。
これまでも平成20年の道路交通法改正時に、「自転車の車道走行強化」がはかられてきてはいるものの、依然として自転車走行マナーの改善がみられないために、更なる強化策が打ち出された模様です。ただ、現状の道交法の規定は有名な“ザル規程”であり、その点こそが問題なのであって、そこのテコ入れがされない限りはいくら今回のような強化通達が出されようとも全く意味をなさないと思われるのです。すなわち、文書的な規制強化よりも先に、法の内容を順守されるような環境整備がなされていないことが問題の根源なのであり、道交法改正からのこの3年間の間に何もせずにきた、“お上(カミ)”の怠慢こそ諸悪の根源であるのです。
問題の道交法。同法では、自転車を「軽車両」と定め「歩道と車道の区別があるところでは車道を通行するのが原則であり、車道の左側(車両通行帯のない道路では左側端)を通行しなければならない」としています。しかしながら、「原則」に呼応する「例外」の説明として別項で「普通自転車の歩道通行に関する規定」というものがあり、そこでは「車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため、歩道を通行することがやむを得ないと認められるときには、歩道を通行することができる」とされてもいるのです。これは実にあいまいかついい加減な定めあり、まさに“ザル”そのもの。要は、「一応は車道を走ってね」なのですが「危ないと思う時は歩道を走ってもいいよ」と言っているのです。
この規定の中で欠けているモノは「誰が」です。誰をして「歩道を通行することがやむを得ないと認められる」かが、全く記載されていないのです。これでは、どんなに歩道が狭い場所であろうが「車道を走ることは俺が危ないと思ったのだから、歩道を走っても文句はないだろう」ということになってしまいます。しかも今回の通達では、またもや得意の「自転車が通行可能な歩道の幅を原則「2メートル以上」「3メートル以上」とした」と「原則」の文字を入れる「例外容認規定」であり、受ける側の自転車に乗る人間からすれば、こんな“ザル法”に“ザル通達”出されようが出されまいが何も変わらないのです。
「誰が」が抜けているのは、明らかな責任回避です。ではどうするべきなのか。やはり「誰が」をハッキリさせ「責任」を明確化させるためには、各自治体に全権限を委譲して県警との共同作業によって「この歩道は周辺車道の状況から考えて自転車通行可である」とか「この歩道は3メートル以上あるので歩道通行可である」とかを、誰が見ても分かるように明示すべきなのです。運転免許を持たない人間は道路標識を見るという習慣がないでしょうから、自転車幼児や老人や障害者以外でも歩道の自転車通行が可能な場所は歩道の色を変えるとか、ガードレールの色を変えるとか、そんな工夫を行政の責任においてすればよいのです。
このような環境整備をまず行った上で、道路交通法における「歩道を通行することがやむを得ないと認められるときには」の部分において「各自治体の判断により」という文言を入れ「自転車運転者の判断ではない」と言う点を明確にしない限り、自転車マナーの根本的な改善はなされないと思うのです。もちろん地方財政状況も厳しい中インフラ対応は難しいと言う声もあるかもしれません。であるなら政府が、これまで何度となく問題の俎上に上がった来たものでありながら抜け道だらけの形式的な法整備でお茶を濁してきた“お上”としての責任において、自転車マナーの問題は「由々しき問題」なのか「止むなし」なのか、ここいらで明確な結論付けをおこない、環境整備をするのか否か、する場合には何年度までにそれを完了させるのか国民の前に明示する必要があるのではないでしょうか。
たかが自転車マナーの問題ではありますが、その場しのぎの“モグラ叩き”で問題先送りを繰り返す今の日本の政治・行政を象徴するような事象であり、政治・行政の取り組み姿勢の根本を正す起爆剤にもなりうる問題であるように思えています。