日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

尖閣問題と“不当要求”対応のセオリー

2012-09-26 | ニュース雑感
尖閣問題が長引いて、公船だ漁船だが島の海域でアピール行動をしているだとか、中韓連合でに日本に立ち向かうだとか、いろいろ日本に圧力を感じさせるような動きがますます目立ってきました。

日中の次官級会合が開かれてその席で、中国の尖閣問題に対する要求が明確に出されました。主張および要求の概要はこうです。「反ファシズム戦争の成果を公然と否定するものだ。行動で誤りを正すべきだ」と。本日は両国の外相対談がおこなわれたようですが、全く同じ主張・要求が繰り返されたとか。まず大きなポイントはこの主張・要求が正当なのか、不当なのかです。日本は尖閣に対して明確な根拠を持って、「領土問題は存在しない」と言えるわけですから、この要求は「不当」であると判断してよいと考えます。

ならば、「不当要求」に対しては明確な対処の仕方があるはずです。コンプライアンスの一環として、警察当局の指導に基づいて作成された倫理基準準拠的な「不当要求対応マニュアル」という類のものが各市町村や大抵の大手企業には存在します。これは、役所や企業が出先機関を含め反社会的勢力から「不当要求」を受けた場合にどう対処するかについて記されたものです。中国が反社会的勢力にあたるとまでは申しませんが(暴動・略奪の容認等それに近いものはかなり感じますが)、「不当要求」には変わりないわけですから、ここはひとつ「不当要求対応マニュアル」に沿ったセオリー通りの対応をお願いしたいところです。

とある市町村の「不当要求対応マニュアル」には、不当要求の例として「市街化調整区域及び市街化区域の線引き変更の強要」というものが挙げられていますが、まさしく今回の中国のケースと同じものです。こういったケースでの対応の原則は、何よりもまず「毅然とした態度で断り、要求には一切応じないこと」。少しでも譲歩を見せたなら、「必ず次なる要求を出してくるようになり、要求は次第に大きくなる」ともあります。日本政府はとにかく、現時点での国有化の是非は置いておくとして、国有化した以上相手のいかなる要求も毅然とした態度ではねのけ、一切譲歩をにおわせる態度を見せないことです。

そして、理由を明確に述べること。例えば、「そもそも日本は1895年に、いずれの国にも属していないことを確認したうえで尖閣諸島を沖縄県に編入したものであります。1969年および70年に国連が行った海洋調査で、大量の石油埋蔵量の可能性が報告され、それを受けて71年から中国、台湾が領有権を主張し始めたものでありますが、それ以前には両国より一切の領有権に関する主張はなされておりません。従い歴史的に見て尖閣諸島に関する領有権問題は存在致しません故、本件に関する一切の要求にはお答えいたしません」と、ハッキリ具体的な表現で伝えるべきと考えます。要するに「お宝が眠っていると言われたから、急に欲しくなったんでしょ」と痛いところを突いて、国際世論に厳然たる歴史的事実を訴えかけるべきです。

さらに「不当要求対応マニュアル」に必ず記載があるものとして、「敵地での交渉は呼び出されても一切しないこと、あくまでこちらの陣地で交渉をすること」。そもそもが「不当要求」なのですから当たり前のことです。事務方ベースであろうとも、こちらがノコノコと北京くんだりまで出かけて行って相手の「不当要求」の内容など聞く必要はないのです。来るなら聞きましょうと言う態度を貫くことです。加えてマニュアルにある、「挑発に乗らない」。これも大切です。尖閣周辺海域の中国船に対しても粛々と対処するのみで、必要以上に相手を刺激するようことはしない。とにかく相手のペースでかき回されないことです。

先に記したような理由をより具体的に述べることは、先方が万が一武力行使を考えた際にも国際世論の批判は免れ得ないものになるので、相手への抑止力としての効果も期待できます。とにかく政府はしつこいぐらいに「領有権問題が存在しない」その根拠を具体的に述べ、「不当要求」であることを訴え続けるべきです。その上で「一切の要求はお受けできません」と毅然たる態度を貫くという、「不当要求」に対するセオリーを忠実に守って欲しい。中国がガタガタ騒がしくすればするほど、日本政府には一切動じることなく論理的かつ毅然とした対応をお願いしたいと思います。

“王道”を行くひとり勝ちiPhoneと、ドコモに迫る決断の時

2012-09-24 | ビジネス
アップルのiPhone5が発売になり、例によって発売日にはアップストアに徹夜の列ができるなど、相変わらずの人気ぶりがうかがわれました。

今回のリニューアル・ポイントは、ヨコ幅を据え置きつつ遂に手掛けた画面のタテ拡大、そして厚みはより薄く、重さはより軽く、高速通信LTEに対応、バッテリー持続時間はより長く・・・。利用者視点でよく考えられた使い勝手向上重視のリニューアルであったと思われます。見方を変えれば、“安定期”に入ったマーケット・リーダー商品の典型的なモデルチェンジであったとも言えるでしょう。

私の頭には思わず“王道”という言葉が浮かんできました。日本語で「王道」というと、「正統派のやり方」という意味になってしまいますが、そうではなくて英語で言うところの“KING‘S ROAD”と言う意味での“王道”。まさに、王様が歩く道。結局、iPhoneのひとり勝ちが見えてきた、今回のリニューアルからはそんな印象を強くした次第です。

マーケティング理論で、競争地位を表す分類として、リーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーというものがあります。マーケットの主導権争いはリーダーとチャレンジャーが繰り広げます。リーダーの座を奪わんとするチャレンジャーの戦略は利用者がメリットを感じるリーダーとの差別化であり、差別化戦略がリーダーの座を脅かすものであれば、リーダーもまた新たな差別化により突き離しにかかる。しかし、チャレンジャーの差別化戦略が不発に終わるなら、リーダーは自身の商品の質をあげることだけでチャレンジャーを突き離すことができるのです。

スマートフォン業界におけるリーダーは間違いなくiPhoneであり、チャレンジャーはメーカーという観点で言うならサムスンであると言っていいでしょう。iPhoneの登場以来、後追いのサムスンが様々な戦略を繰り出してきたものの、結局何ひとつとしてリーダーたるiPhoneの牙城を揺るがすようなものではなく、「勝負あり」と見たiPhoneは遂に質を高めることへの専念で相手を突き放すというという、堂々たる“KING‘S ROAD”を歩み始めたという印象を強く抱かせるのです。

しかもここにきて、サムスンのモノマネに対する米国内での敗訴という決定的な事象もあり、もはやチャレンジャーではなくフォロワーである事が決定的になった感が強いサムスン。スマートフォン市場は、今後チャレンジャー不在のマーケット構成が確立され、サムスンもリーダー追随の低価格商品を取り扱うフォロワーとして市場にしがみついていく以外にはないのかもしれません。

そうなってくると日本において苦しくなるのはドコモです。ソフトバンク、auの2キャリアがiPhoneを武器にシェアの浸食をはかっていくことが確実な状況下に加えて、主力スマホ商品の一角を韓国製、中国製が占めているということで、昨今の領土問題から派生した一層のドコモ離れの加速もありうる状況であり、抜本的な対策をそろそろ検討しないと「絶対にシェア逆転はあり得ない」と言われたビール業界におけるキリンの二の舞もありうる展開なのではないのかと。

iPhoneが“KING‘S ROAD”を歩き始めた以上、ドコモにとって抜本的な打開策はiPhone取り扱い以外にない状況になっているわけで、いよいよ決断の時は迫っているように思うのですが。ドコモがこれ以上“ヤセ我慢” を続けることは、致命的な戦略ミスになりかねないと老婆心ながら心配になるところです。

政治&経済の“ツートップ”が、日本をダメにするという象徴的出来事

2012-09-21 | 経営
2030年代の原発ゼロの目標を盛り込んだ政府の「エネルギー・環境戦略」の閣議決定が見送られたことに関して、その責任者たる首相の対応と戦略に反対をした経済界トップの言動の問題点を整理しておきたいと思います。

まず首相の問題点は、何と言っても戦略として政府が打ち出したことに対する執着心のなさに尽きます。福島第一の事故以来、世論を大きく揺り動かしてきた原発問題は、日本のエネルギー政策に抜本的な見直しを迫る、日本の将来を左右する大変重要な問題であります。その重要課題に対して、政府として長期ビジョンを提示することは至極当然の義務であり、事故から1年半が過ぎ原発問題に関して政府のビジョンが見えないがための軸不在の議論が繰り広げられている中では、遅すぎるぐらいのタイミングでもありました。

その内容の是非や問題の有無はともかくとして、エネルギー政策に関する政府の長期的なビジョンを組み上げたのであるのなら、周囲からの圧力や批判の声がいかに出ようとも、わずか数日にも満たない段階で実質取り下げと受け取れる閣議決定見送りという対応はいかがなものであるのでしょうか。

首相は「強烈な批判もある。しかし、これは国民の覚悟だと思う」とまで、“2030年代原発ゼロビジョン”に賭ける決意を述べていたのではなかったのでしょうか。それがあっさり翻意では、選挙対策での人気取り目的で出まかせを言ってみたものの、内外からの予想外の反発にあっさり引っ込めたと取られても仕方のない状況でしょう。増税にはあれだけ執念を見せた頑固な野田首相が、同じ人物とは思えないほど軟弱に方針を翻す姿を見るに、結局本気ではなかったということは自明の理であり、首相たる人物の国民に対する欺きには強い怒りを感じるところです。

一方の、大企業仲間を引き連れて「反対」の意を表明した経団連の米倉会長。「(原発ゼロで)国内産業の空洞化が加速して雇用の維持が極めて困難になる」とその理由を挙げ連ねたそうですが、いかがなものでしょうか。要するに、「原発ゼロ⇒電気料金値上げ⇒製造コスト上昇⇒生産の海外移転加速で産業空洞化進展⇒国内雇用減少」という論理でものをおっしゃっているのでしょう。ただ、政府戦略案では「2030年代中に」と言っている訳ですから、2030年代が終了するまでに何年あるかお分かりなんでしょうか。2030年代が終了する2040年まで、あと28年もあるのですが…。

28年もの間を、今の論理で事業をすすめていくおつもりなんでしょうか。企業努力というものは一切する気がないということでしょうか。およそ企業経営者として恥ずかしい発言であると私は考えます。こんなおかしな発言が平気で口をついて出てくる陰には、莫大な既得権が存在していると考えざるを得ません。だいたいがこの方、福島第一の事故発生以来一貫して東電擁護発言を貫いて来ている訳で、以前当ブログでも「東電の国有化反対」というとんでもなく原発村人的既得権堅持をにおわせた発言があり苦言を呈させていただいたことも記憶に新しいところであります(「米倉経団連会長にモノ申す」http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/d791704075e7e5fc3b7083c42cfb71de)。

企業経営者たるもの企業を存在たらしめる社会的使命をもってはじめて、営利活動に整合性が取れるものであり、このようなこの先長期にわたる企業努力の姿勢ひとつ見せずに、既得権を堅持するかのごとき言動と政治圧力行動には上記首相の行動以上に強い怒りを覚えます。

片や国民を欺く首相、片や金もうけの既得権堅持しか頭にない経済界トップ。こんな人たちが再生日本の行方を左右するようなシーンで、大きな影響力をもつような役割を果たしていること自体が、この国の将来にとってとてつもなく大きなリスクであると感じた次第です。

教育現場に蔓延する「隠ぺい体質」

2012-09-19 | ニュース雑感
兵庫県川西市の高校生自殺事件では、学校側が遺族に対して事件を「不慮の事故」として公表することの打診をしていたとして、その「隠ぺい体質」が問題化しています。学校の言い分は、「自殺と公表することによる生徒への動揺と連鎖防止を考えた」とのことですが、隠ぺい云々の前に、自殺を事故と公表することは明らかな「嘘」であり、教育の場を預かる立場の人間の行動として大問題であろうと思います。

ではなぜ「嘘」をつこうとしたのか、それはもう誰もが思う通り「イジメ」があった言う事実、それを見て見ぬふりをしてきたことの隠ぺいが目的でしょう。自殺が表に出れば当然「なぜ」となり、このご時世ですから「イジメがあったのではないか」と大騒ぎになることは、関係者は自殺直後にピンときたのでしょう。だから「事故」として公表し、「不幸な出来事でありました」で済ませるつもりだったのだろうと。世の中舐めています。仮に遺族が「嘘」を了解したとしても、「自殺」の事実は曲げられるものではなく、早晩事実が明るみに出て大問題化するとなぜ思わないのでしょうか。「マズイことが起きたら迷わず隠す」という「隠ぺい体質」が身についているからこそ、即断で「嘘」をつくことを選択したのだと思われます。

教師の隠ぺい問題と言えば、大津の中学生イジメ自殺事件が記憶に新しいところです。あの事件でも散々“隠ぺい”は叩かれ、挙句には暴漢による暴力事件まで発生しているというのに(もちろん暴力行為を肯定するものではありません)、これです。こうなってくると個別の学校や教育員会の問題ではなく、日本の教育現場そのものが「隠ぺい体質」に染まっていると考えざるを得ないのではないかと。

川西市や大津市の件だけでなく、学校側のイジメに関する事実認識隠ぺいにからむトラブルが全国で多発している現状を見るに、政府、文科省は教育現場における「隠ぺい体質」の改善に向けた指導を強化する必要があるのではないでしょうか。ビジネス界においては、大抵の企業で「個人情報保護」と「見える化」はしっかりと両立し、「守るべきは守る、見せるべきは見せる」が明確に守られる時代になっているように思うのです。それだけに教育現場における「隠ぺい体質」の蔓延は、突出して異常に映るのです。

では、この異常な「隠ぺい体質」は何に起因するものなのか。もしかすると、個人情報保護が叫ばれ、少子化の影響もあり必要以上に我が子の教育にナーバスになる親が増えているということもその背景にあるのかもしれません。個人情報の保護の観点からは、ちょっとした個別の子供に絡む出来事でも、公にすることがプライバシー保護の点から責めを受けるリスクがあり、学校側はあらゆる子供がらみの出来事に関して神経質になるが故、「保護」と「隠ぺい」の境が分からなくなっているのではないかとか。それに輪を掛けているのが、一部の親の教育現場に対する異常とも言えるナーバス度の高まりもあるのではないかとか。少しそんなことも思ったりもしています。

政府、文科省には、教育現場の「隠ぺい体質」蔓延という異常な状況を理解した上で早急な抜本対策を求めたく思います。抜本対策とは、対処療法に終わらない根本原因を究明した上での対策です。組織において風土を変えるためには、まず根本原因を究明しそれを正すことが必要なのです。その過程において、先に挙げたような親の側の学校に対する接し方の問題も存在するとの判断に至るのであれば、親に対する学校と親の役割の明確化や学校に求めうるものの範囲等の基準を示したマニュアルの配布や親の教育も含めた双方向での改革、指導を検討して欲しいと思います。イジメの撲滅に向けては、何よりもまず教育現場の「隠ぺい体質」を正すことが第一であると思えるからです。

Ozeki

言わんこっちゃない尖閣問題

2012-09-17 | ニュース雑感
「中国、反日デモ最大級」(日経新聞16日1面)―。
だから言わんこっちゃない。尖閣問題は今はほっておけって言ったんです。今は竹島を優先すべきだって言ったんです(拙ブログ9月1日「尖閣はさておき、今は竹島に集中すべき」http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/36ed90853f19a7fba07db6b55e68d3b9)。ゴタゴタの最中いきなり国有化なんかするから。これで李大統領自らの愚行により国際問題化および主権主張のチャンスを得た竹島問題は、完全にかすんでしまいました。

尖閣問題は騒ぎを大きくすればするほど竹島問題とは逆に、ありもしない日本の不法領土占拠でもあるかの如く国際的に印象付けることになって、この印象は竹島問題にまで波及しかねないと思うのです。現実に中国は国連の韓国人事務総長宛尖閣諸島の自国の主権を裏付ける文書を提出したそうで、これではまるで竹島問題における韓国と同じに見えてしまいます。個人的には想定された中での最悪の展開になってしまったと思います。

やはり外交音痴の民主党政権が引き起こした勇み足に他なりません。石原都知事が何をしようが、どう吠えようがどこまで行っても一地方自治体トップの言動にすぎず、国にとってはかえって隠れ蓑に使うメリットさえあったのに、このガタガタが続いていたタイミングで東京都を出し抜いての国有化は相手を無視するどころか、「領有権問題は存在しない」という日本の主張さえも打ち消してしまったように思われます。

尖閣を国有化をするのなら、少なくとも外交の経験も現政権よりはパイプもある自民党政権に戻ってから、かつ竹島に端を発し波及した状況が一段落したタイミングで進めるべきだったのではないかと。尖閣諸島の東京都購入発言以降の世論的石原人気を見て、総選挙に向けた人気回復策を目論んだ野田政権の安易な選択だったのではないかと思っています。何の裏付けもなく唐突に2030年代「原発ゼロ」をぶち上げたあれと一緒かなと。大局的な視点はゼロ、どうせ政権陥落は見えているのだから先のことは関係ないよとばかりに選挙だけを念頭にした人気取り策であったのなら大問題です。

中国国内の反日行動はいずれ収束を迎えるでしょうから現象面自体は大した問題にはならないでしょうが、新体制発足を控えた中国政府との友好関係への亀裂は、多くの中国進出日本企業へのマイナス効果を通じた産業経済への悪影響さえも噴出しかねない大問題かとも思います。米国との関係改善もままならぬままの中国との友好亀裂という世界の2大大国との関係悪化は、日本経済の立て直しにも暗い影を落とします。

冒頭にも述べましたが、これで竹島問題の不法占拠解消に向けた進展は白紙。尖閣、竹島問題は、国際世論には極東3蛮国三つ巴の領土強奪合戦ぐらいにしか映らないでしょうし、むしろ世界2大大国との関係悪化は、国際世論から過去の侵略戦争を引き合いにしての“アジア平和の敵”的な極悪国家に仕立て上げられかねないリスクさえはらんでいるように思います。

“死に体政権”を延命させても何の得もないどころか、人気取り目的の悪あがきによるこんな弊害が増すばかり。メディアも世論も、国益を損なうような政権運営に一日も早く引導を渡し、早期の解散総選挙実施を訴えるべきではないかと思うのですが。

本日告示。ツラの皮の厚さを競う?自民党総裁選

2012-09-14 | その他あれこれ
政権政党である民主党の代表選よりも、本日告示の野党自民党の総裁選に注目が集まっています。なぜって、恐らく今回総裁になった人が次の総理大臣になりそうだから、ではないでしょうか。しかし、総理大臣になれるかもしれない、となった途端に5人もの立候補者って、現金なものです。しかも一見して立候補にふさわしくないと思しき人もちらほら。それでも出る。政治家って言うのは尋常な神経では務まらないのだなと、妙に納得です。以下は国民の多くが既に感じている部分かもしれませんが、告示に合わせて確認的に少し言っておきます。

まず石原伸晃氏。先般、「美しすぎる」じゃなくて“うるさすぎる”父の存在がどうも気になると、拙ブログのエントリ(http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/09062675126af5db5c13243b10bf3d96)で書かせていただいたのですが、今週はテレビ朝日の「報道ステーション」で生発言を聞かせていただき、想像以上の驚愕でありました。

とにかく、この人は口のきき方を知らないらしい。司会の古館アナのことが個人的に嫌いなのか元新聞記者としてアナウンサーという職業を単に見下しているのか、完全な上から目線口調はどう見ても番組を見ている者からして気分のいいものではありませんでした。古館氏は一応年上です。目上の人間相手の口調としてちょっと信じられませんでした。それに、聞き手が誰であろうが、公共の電波で質問に答えると言うのは国民に対する発言でもあるわけで、この礼儀のなさは驚きの一言です。

失言やら暴論やらがかなりネット上でも叩かれているようではありますが、話している内容がどうとかいう前に口のきき方ひとつで「さようなら」のレベルであると思われます。総理にでもなって、こんな礼儀知らずの口調を毎日聞かされた日には国民のストレスが溜って堪ったもんじゃない。立候する前に、うるさすぎる”父にもう一度スパルタ教育をしなおしてもらった方がいいのではないでしょうか(父の口の悪さも天下一品ですが、それとは類が違いすぎます)。

次に安倍晋三さん。元総理大臣。これはもうそこらじゅうで言われていますが、もともと世界に恥ずべき“首相の1年交代ルール”を作った張本人。本人は難病とか言っていますが、要は精神的に追い込まれての“腹イタ”で政権を投げ出したお坊ちゃん育ちの無責任首相ですから。立候補会見やテレビ出演時に謝っていましたけれども、謝って済む問題とそうでない問題があると、その辺はしっかり分別を持っていただきたい。

今をときめく「日本維新の会」からのラブコールに、何か勘違いしちゃったんでしょうか。だとしたら勘違いというものは本当に恐ろしい。周囲もこんな国民に対する裏切り行為を働いた人を推薦とかしちゃ絶対ダメでしょ。少なくとも思いとどまらせなくちゃ、政党としての信頼感を損ないます。この人が今さら何を言っても空虚に響いてしまいます。そもそも今の政治混迷に対しての永久追放並み“A級戦犯”であり、どう転んでもアウトです。

もう一人、林芳正氏。参議院議員だそうで、自称政策通とか。「変動相場制見直し」とかを昨日ぶち上げたそうです。確かに為替相場が実需原則に基づいているかと言えばそうではないのでしょうが、だからと言って市場に国家の必要以上の介入を容認するようは発言は暴論と言われるリスクもありそうです。この発言は、どうせ総理にはならないんだから目を引くことを言って自身の印象付けをしようという意図的なモノのように聞こえ、何か企んでハッタリをかましているのかなと。

そもそも、林芳正氏って?大臣経験だって2度あるとは言っても合計で僅か2か月。党三役の経験もなし。この程度の政治キャリアの方に国のかじ取りを任せていいものか、いささか疑問です。もちろんはじめから本人だって当選する気もなく出ているわけでしょうし、じゃ狙いは何なのかと。一説には衆院鞍替えを望んでいながら、地元選挙区の党内の調整が難航している故の売名的実績づくりではないかと。もしそうなら、やっぱりとんでもないハッタリ屋じゃないですか。これもなぜ周囲が立候補を止められらなかったのか、なぜ推薦人が20人も集まる見通しなのか。政治家の世界って、不思議な世界です。

結論として、自民党総裁選はツラの皮の厚い人たちによる「日本一ツラの皮の厚い人選手権」なのかなと。他の御二方がどうなのか詳しくは存じ上げませんが、ツラの皮の厚さを競って次期総理大臣最右翼候補を選ぶことにはなって欲しくないと、有権者の一人として切に願うばかりです。

銀行の審査はアナログであるべき

2012-09-12 | ビジネス
銀行の現場力が落ちているのではないか、という記事を日経新聞の連載「金融ニツポン」で読みました。オリンパスの粉飾を見抜けなかったことやら、エルピーダメモリの会社更生法適用申請に気付かなかったことやらを、銀行現場力低下の“落ち度”の実例として挙げられているのですが、まぁ確信犯相手のそのあたりは多少同情の余地はありそうかなと。しかしながら、その後のくだりに登場する「決算書を読めない銀行員が増えている」という話には、もしそれが本当なら大変なことだと、他人事ながら元この業界にいた人間としてただならぬ危機感を感じた次第です。

記事によれば若い担当者世代は、「コンピュータに財務データを打ち込み基準を満たせば機械的に貸し出す仕組みに慣れ、『ゲーム感覚で目標の達成だけを競っている』」と。私が銀行にいた時代にも、決算書データを登録すると自動で財務分析をしてくれるシステムは存在しましたが、この話はひどすぎると思わされます。これではもはや銀行ではないなとさえ。銀行の審査たるもの、数字はあくまでひとつの目安であって数字に現れない部分をいかに評価するのか、それこそが産業発展の血液たる金融の大切な役割であるべきであり、それが数字オンリーの“イエス・ノー・ゲーム”になってしまうのなら、サラ金の“無人クン”となんら変わらないわけですから。

そもそも「決算書が読める」とはどういうことか。単に財務分析ができるということをもって「決算書が読める」とは言わないのです。バンカーが乞われて企業トップに座ることが多いのも、財務分析が得意だからではないのです。バンカーに必要なことは、決算書に込められた経営者の思いや数字の陰にあるマネジメントをしっかりと読み取ることであって、私らの時代は数字的な材料だけで判断しようものなら、「バカヤロー、決算書の数字だけで審査ができるんなら、お前さんに高い給料払う必要ねーだろ!(全然高い給料をもらっていたわけじゃないですが)」なんて上司にドヤされたものです。私が若い頃、決算書は「行間を読む」部分が大切であることを教わったのも上司たる課長から。そんな指導があってはじめて、経験を積む中でお客様との至ってアナログなやりとりから様々な“行間”の存在を実感することができ、多くの貴重な経験もさせてもらえたわけなのです。

銀行を巡るこの問題、決算書が読めないと言われる若い世代と、それを指導する立場の上司世代それぞれに、その責任があるのではないかと考えます。まず担当者である若い世代は、いわゆる「ゆとり世代」。彼らの特徴としてよく言われているのは、「楽して成果を上げたい」とか「年長者とのコミュニケーションを軽視する」とか「深く考える習慣がない」とか。この特徴からすれば、経営者とのコミュニケーションを駆使して決算書の行間を読むなどおよそ不適であり、コンピュータの結果をそのままを結論付けたがる姿が見て取れます。一方、若手行員たちの直属の上司たる課長世代は30代半ばが中心。ウインドウズ95によってパソコンの普及率が爆発的に上昇した時代に多感な高校~大学時代を送った「初代IT世代」と言える年代であり、彼らもまたアナログ的要素の積極排除はお得意芸のように思えます。部下が「ゆとり世代」で上司が「IT世代」、コンピュータが弾きだした機械的な結論がそのまま通ってしまうのも、悲しいかなうなずける状況なのかもしれません。

銀行だけでなく他の産業でも、似たような現象はそこここで見られているようで、クライアント先でもIT世代・ゆとり世代のアナログ感覚に欠けた形式主義的扱いにくさはよく耳にするところでもあります。しかし他産業はともかく、銀行という資金供給を司ることで産業の血液役を担う仕事において、アナログ感に欠く機械的な判断に傾倒したやり方では、いささか困るのではないかと思うわけです。長期にわたり不景気が続く今のような時代は、ただでさえ一見不確実に思えるアナログな判断材料は目をつぶってやりすごされ、機械的な判断が優先されがちであります。こんな時代であるからこそ、数字には表れない“決算書の行間”にあるアナログな判断材料をもって企業を育てる意識が、“産業の血液役”には求められると思うのです。

今銀行の経営層に鎮座するのは、昭和に育ったアナログどっぷりの我々世代です。彼らが“偉く”なりすぎることなく、実態を見て若い世代をいかに指導し正しいバンカー道へ導いていけるのか。日本経済浮上のカギは、我々世代のアナログ・バンカーたちの肩にかかっているのかもしれません。

久々、プライベートブログ更新しました

2012-09-10 | 洋楽
15日発売の「レコード・コレクターズ」誌で今度は「ディランの100曲」っていう企画をやっるって聞いたもので、ファンとしては黙ってはおれんと、息抜き的に先回りでパーソナルな20曲を選んでみました。全部知っている人はかなりなディラン・マニアでっせ。

こちらからどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/ozozoz0930/e/f34925287fda4c60a7aad78e027dd477

中韓家電の販売好調は、尖閣・竹島以上の脅威

2012-09-07 | その他あれこれ
未読でたまっていた先月の日経MJを読んだ中で、中韓家電がホームセンターを席巻しているとの記事が目に止まりました。中でも中国の家電メーカー、ハイアールは家電量販店への食い込みが難航する中、幅広い分野での価格訴求力ある商材を求めるホームセンターとの思惑が一致し、ここを主戦場として急速に売り上げを伸ばしているというのです。家電エコポイント終了後の今年は、国内の家電全般の売り上げが低迷する中、同社の冷蔵庫や電子レンジは前年比5%増と健闘中とか。

ハイアールと言えば、昨年パナソニック傘下の旧三洋電機白物家電分野を買収し、日本の家電メーカーが製品ブランド化に至っていない冷蔵庫、冷凍庫、電子レンジあたりから進出を開始。製品の品質も急激に向上していると聞きます。新聞記事にもホームセンターの談話として「デザイン性も以前より向上し、故障などクレームの件数も大幅に減った」とそれを裏付ける記述があり、一足先に品質向上を遂げている韓国製品に次いでハイアール製品もデザイン・品質改善による好感度および信頼感のアップが右肩上がりの販売を後押ししているように思えます。

そもそも、中韓家電が受け入れられる背景には我が国の長引く不況とデフレ状況が大きく影響を及ぼしています。好景気でインフレ気味の時代であるなら、価格よりも機能面やデザイン重視の消費が先行するのですが、不況下のデフレ経済では細かい機能や見てくれよりも価格。今までは、「いくら安くとも、故障が多くては」とか「あまりに古臭いデザインは嫌」と、デフレ経済下でも中韓家電は敬遠されがちだったのですが、デザイン性も性能も日本製に大きくは見劣りしないとなれば、日本ブランドにこだわらず触手が伸びる人が増えても不思議ではないところです。

この話を受けて、早速近隣のホームセンターに行ってみました。確かに、家電コーナーの品揃えこそ今ひとつではありますが、冷蔵庫、冷凍庫、電子レンジ等の目玉商品の多くは中韓家電であり、照明機器や掃除機などにも中韓家電は進出し、どれも大手量販店の国産品最安値価格帯(基本機能装備水準製品)の商品価格と比べて、最低でも2~3割程度は安いという印象を受けました。これだけ価格が違うと、店舗独自の家電5年保証が当たり前の今の時代でもありますから、中韓家電を選択する人が増えているという実態にも納得せざるを得ない感じです。

この流れがどういうことになるかですが、今はまだホームセンター止まりの感が強い中韓家電は、韓国製の液晶テレビが機能面で同水準の日本製テレビよりも2~3割の割安感を持って急激に家電量販店に流入したのと同じような流れとなって現れる日も、そう遠くはないと予感させられるに十分すぎる気がしています。このままではメイド・イン・ジャパンの家電製品はテレビだけでなく、軒並み壊滅状態になる可能性すら感じさせられる危機的な事態にも思えては来ませんでしょうか。

この流れに歯止めをかけられるとすれば、何よりもまず景気回復とデフレ脱却以外にはないでしょう。と言いますのも、いくら日本の家電メーカーにも生き残りを賭けた路線変更が求められるとはいえ、中韓メーカーと同じと同じような経営思想で「安い」ばかりを追求させるのはあまりに酷であり、過去に世界に確固たる力を示してきたメイド・イン・ジャパンの在り様としてもどこか違うのではないかと思わざるを得ないからでもあります。

液晶テレビで市場を席巻したシャープが、ひん死の状態で台湾企業に救いの手を求めている姿を、忸怩たる思いで見ているご同輩も多いのではないかと思います。この問題は、単にシャープ1社の問題ではないと見ています。大手家電メーカーは皆明日は我が身でしょう。とにかく今必要なことは、景気回復、デフレ脱却です。民主党政権下で何も進まなかった景気浮揚策、デフレ打開策が、今ほど急がれている時期はないのです。中韓の家電業界における日本進行は、ある意味では尖閣・竹島など比較にならないレベルの経済占拠状態にもなりかねない状況なのですから。

このままもし家電に端を発し中韓による経済的“実効支配”が進行してしまうという事態にでも陥るということになるのなら、日本経済の国際競争力は著しく低下し、我々一人ひとりレベルの国民生活も大きなダメージを受けることになるかもしれません。来るべき総選挙に向けて、経済政策論議などそっちのけで数の綱引きばかりが繰り広げられる永田町の現況を見るに、このような不安はますます大きくなるばかりです。