日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

お知らせ~J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました

2014-02-26 | 経営
「人を見る目」も経営者の重要な資質のひとつ。これに欠けると人に騙され使えない部下を重用し、気がつけば資産も人材も流出、なんて事に成りかねません。イエスマンに囲まれたワンマン経営者が、誤った人の判断に意見する者もなく「裸の王様」と化してきたら要注意です。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/02/26197714.html

森元首相発言からオリンピック・パラリンピックの統合を考えてみた

2014-02-24 | ニュース雑感
ソチで行われていた冬季オリンピックが無事閉幕しました。浅田真央選手がらみの発言でも物議を醸した東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が、またまた誤解を招くような発言をされたとか。

「もう一遍、またこれ3月に入りますと、パラリンピックがあります。このほうも行けという命令なんです。オリンピックだけ行ってますと、組織委員会の会長は健常者の競技だけ行って、障害者のほうをおろそかにしてるんだと。こういう風に言われるといけませんので。ソチへまた行けと言うんですね。今また、その日程組んでおるんですけど、「ああ、また20何時間以上も時間かけて行くのかな」と思うと、ほんとに暗いですね」

御年76歳ということを考え合わせてあげれば、そのお気持ちまったく分からんでもないのですが、でもその立場の方がこの物言いはいかがなものかと言われるのも致し方のないところではあるでしょう。ただ個人的には、森さんの発言の是非はどうでもよろしくて、私がこの発言を聞いて思ったことは、オリンピックとパラリンピックという2つのものを統一してオリンピックの枠組みの中でできないものだろうか、ということです。私は、以前にも同じようなことを書いたことがあるのですが、森さんが2回ソチにいくのは辛いとおっしゃるので、統一されてひとつになっていればこんな発言もなかったろうに、と再びこの問題を考えさせられた次第です。

私の発想は、パラリンピックをオリンピックの中の「ハンデキャップ部門」として位置づけたらどうかというものです。すなわち、従来の「男子」「女子」という区分けの他に、「ハンデキャップ男子」「ハンデキャップ女子」という部門を設け、4部門で競技を争うというやり方です。ですから一例をあげればスキー大回転などでは、「男子大回転」「女子大回転」「ハンデキャップ男子大回転」「ハンデキャップ女子大回転」という4つの競技が行われることになります。もちろん、開会式、閉会式は一緒。開催期間は長期化することにはなるでしょうが、上手にやりくりすれば開会式、閉会式が合同になる分だけ、コストは削減できるようには思います。

もちろん、コスト削減は二の次です。目的は、パラリンピックにもっとスポットライトを当てる工夫をしたらどうかということ。もちろん今更、パラリンピックの扱いがマイナーで障害者差別であるなどと、申し上げるつもりはありません。ただ、今や障害者の皆さんのスポーツにおける技術水準たるや健常者のそれと見劣りしないほどのものがあるのであり、もはやパラリンピックがスタートした1960年当時のような存在ではなく、健常者と並べても恥ずかしくない水準にある競技の一部門としてもっともっと光の当たるものにして、その栄誉をたたえるべき存在になっているのではないかと思っているのです。

オリンピックとパラリンピックが別の団体によって運営され、その歴史的背景から勘案しても統合が私のような素人が言うほど容易ではないであろうことは想像に難くありません。しかし、2000年のIOCとIPC(国際パラリンピック委員会)との協定により、オリンピック開催都市でオリンピックに続いてパラリンピックを行うこととIPCからのIOC委員を選出することが両者間で約束され、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催が正式に義務化された時点で、障害者スポーツのレベルアップに関係なく一層の歩み寄りの動きはストップしてしまったように思うのですが、本当にそれでいいのでしょうか。

きれい事を申し上げるようですが、スポーツの祭典の意義というものは、決して単なる記録争いや順位争いではないはずで、スポーツを通じて出るものの努力をたたえ、調和であったり友好であったりといった何かを学ぶ場としての一層の発展を視野に、運営されていくべきものなのではないかと思うのです。特にオリンピックは「参加することに意義がある」の考え方を精神的な支柱として運営されているのであり、その観点からもパラリンピック代表選手の“参加”は歓迎してしかるべきなのではないかと思うのです。

森さんの発言はそういう意味では、個人的には非常に有意義な一石を投じてくれたのではないかとすら思っています。ならば森さん、ご自身の“失言”挽回策として、2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長として、その統一開催に向けて動かれてみてはいかがでしょう。あと6年あれば、東京大会をこの観点から後世に語り継がれるエポック・メイキングな大会にできるのではないかとも思うのですが。

未曾有の大雪が明らかにした、自治体の自然災害対応意識の甘さ

2014-02-19 | その他あれこれ
大雪の影響で一部の市町村で孤立状態が続くなど、深刻な事態が今も続いています。今回の大雪ははからずも、各地域行政の自然災害に対する備えのなさと考えの甘さが予想以上に深刻であることを露呈することとなったように思っています。

私が住んでいる街熊谷では、観測史上最高の62センチという積雪を記録。街のあちこちでは大量の雪が今も残り、一部の道路では凍結による夜間の歩行はもちろん日中の車の通行もままならない状況が続いています。市民の皆さんの間では、行政の初動の遅れや手際の悪さを指摘する声が盛んに上がっており、フェイスブックにも地元の方々から「行政の積極的な除雪作業にはお目にかかってない」「熊谷市は終わっています。今回本当に痛感」などの声が多数寄せられています。

近隣市町村が15日の段階ですでに積極的な除雪作業をおこない、主要幹線道路の安全を確保していたのに対して、熊谷市は16日の午後になってようやく駅前ロータリーの除雪に着手。その後一部道路の除雪は行っている模様ではあるものの、駅前モール前道路すら今だに雪だらけの状況にあります。事態の重要性を勘案して私は熊谷市に、自然災害リスク管理に関する対応の検証をすべく、15日以降の除雪状況の詳細と計画および熊谷市の自然災害時コンティンジェンシー・プランのHP上での開示を求めましたが、昨日の管理職からの電話では初動の遅れは認めつつも一方的な言い訳を聞かされるのみで、その後も一向に有効な情報の開示がなされていません。
※除雪に関する熊谷市HP上の情報は、「17日現在、本市で管理する主要幹線道路、JR熊谷駅及び籠原駅周辺の除雪は、ほぼ完了しました。現在、除雪可能な重機を保有されている市内31事業所等で集落と集落を結ぶ道路、生活道路などの除雪を実施しております」のみで、時系列および進捗の開示は再三求めても初動の遅れを隠すためか一切開示されていません。

たまたま身近なところで問題事象に出くわしたので熊谷市の対応を取り上げましたが、今回の問題は熊谷市だけの問題ではありません。同じ埼玉県の秩父市ではさらに深刻な事態が発生していました。大雪での住民の孤立救済を求め、秩父市長が15日以降県に自衛隊の災害派遣要請を再三したにもかかわらず、県は「市街地除雪のための派遣は難しい」などと断っていたというのです。この事態を問題視したマスコミの報道を受けて17日18時半、ようやく上田埼玉県知事は重い腰を上げ自衛隊への災害派遣要請を行ったと言います。
※秩父市長ブログより
自衛隊派遣を再三埼玉県へ要請しましたが、断られました。県からは、緊急の場合はヘリ輸送で対応し、国・県道の除雪は埼玉県土整備事務所で行うとの回答でした。

これらの事象から分かることは、各自治体が災害時対応を甘く見ているということに他ならないということ。ことが雪だからなのでしょうか。いや決してそうではなく、災害というものが内包するリスクの大きさに対して、あまりにも軽く捉えすぎていることの証であると思っています。熊谷市のような災害発生時の1日という大きな初動の遅れは、不要な雪による交通事故、道路凍結によるスリップ事故や転倒事故の発生リスクを著しく高めます。埼玉県知事の2日という救助支援要請の遅れは孤立住民の精神的、肉体的ダメージを増長し、生命の危機さえも脅かしかねないリスクをも顕在化させるのです。

私が熊谷市に災害発生時のコンティンジェンシー・プランの開示を求めたのは、自治体の災害発生に対する意識の備えがどうなっているのかについて、我々市民は当然知る権利があるからで、またそのプラン通りに今回の大雪に対してしっかり対応がなされたのか検証する権利も持ち合わせていると考えるからです。まさか、今の時代に災害発生時のコンティンジェンシー・プランを持たない自治体はないとは思いますが、こういった有事における問題発生時にこそ、次なる大災害に備え被災者たる市民の目を入れてのプランの検証と見直しが有効になると思うのです。

自然災害対応の問題は東日本大震災を見てもわかるように、「想定外」の事態はいつでも起こり得るのであり、「想定内」を前提としたものではない災害対応策をそれぞれの自治体と市民が力を併せて真剣に考えていく必要があります。失敗は失敗として開示されず隠蔽されたままでは、改善は一向に進まないのです。私は、埼玉県、熊谷市の住民として、よりよい災害対応策の実現に向けて、引き続きこの問題に関する情報の全面開示を求めていきたいと思います。

オリンピックでまたしても起きた管理不在の悲劇

2014-02-13 | 経営
オリンピックにおける「周囲=管理者」の冷静な判断の重要性についてです。女子モーグル伊藤みきさんの話です。本当にかわいそうでした。せっかくソチまで行きながら、練習で負傷して運ばれ、棄権⇒帰国の憂き目に。これはもう本人の責任ではなく、指導者の管理の責任が全てであると思います。

伊藤みきさんは昨季世界選手権で2位となるなど躍進し、全日本スキー連盟で女子ジャンプの高梨沙羅らと並んで4人しかいない「特A」強化指定選手に指名され本番でのメダル獲得に大きな期待がかけられていました。しかし、昨年12月練習中の着地失敗で、右膝の前十字じん帯が「55%が切れていた」という重篤なケガを負ってしまいます。医師からは手術で全治8カ月と診断されたものの、手術をすればオリンピック出場は断念せざるを得ないと、本人は「周囲」と相談して手術をせずにオリンピック出場の道を選んだのでした。

結果論ではないかと言われるかもしれませんが、私は「周囲」の判断、特に管理者たるコーチの判断、ケガ発症後に代表選考をおこなった日本スキー連盟の判断は明らかに誤っていたと思います。本人が昨年ケガ後の会見で、「金メダルを取るためにやってきたので目標を変えたくない」と発言した時にも個人的には、絶対にやらせてはいけないと思いました。もちろん、本人がオリンピック出場に意欲を見せたのは、アスリートとして当然の選択であり、それを非難する気は毛頭ありません。しかし管理者や管理団体が一緒になってその判断において冷静さを失っては、その役割を全く果たしたことにならないのです。

本人の将来を思えば、重篤なケガを負った選手の出場を管理者が認めること、所属団体が代表選出することは全くもって誤った判断です。リスク管理は、「管理」業務の中でも特に重要性の高い存在です。これは会社組織においても同様ですが、高所大所からモノを見るべき立場の人間が冷静さを失わずに行えばこそ正しいリスク管理が可能になり、事業は安定して推移し、人材は順調に育つのです。伊藤さんのコーチや、所属団体である日本スキー連盟は、厳然と存在する大きなリスクに目をつぶって目先の利益を追求する愚かな企業と同じく、明らかに冷静さを欠いた愚かな判断をしてしまったと言えるのです。

スポーツにおける管理者のリスク管理意識の欠如については、冬季五輪前大会のフォギュアスケート男子織田信成選手のスケート靴ひも切れの時にも同じことを申し上げました。一度本番前に靴ひもが切れていながら、「靴紐を新しいものに変えて結びなおすことで、靴を履いた時の感触が履きなれた感触から変わってしまうことを避けたかった」とコーチ承認の上でそれを結び合わせて演技をしたことで、メダル獲得目前の演技中に再び靴ひもが切れ取り返しのつかないミスにつながったのです。
◆織田信成選手の“靴紐”に見る「危機管理」の誤り
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/m/201002

管理者のリスク管理不在の教訓は、今回も活かされませんでした。本当にかわいそうなのは、伊藤選手本人です。けがの痛みは治療に専念し、回復に努めることで癒えることになるのでしょう。しかし、今回ソチに行きながら試合を前に出場を断念せざるを得なかった心の傷は、事前に出場断念した場合の何倍も深く長く刻まれ、本人の今後にも少なからず影響を及ぼすことでしょう。またしても起きてしまった、愚かな管理者のリスク管理不在に起因する悲劇に、なんとも言えない後味の悪さばかりが漂っていました。

お知らせ~J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました

2014-02-12 | 経営
居酒屋甲子園ブラック騒動を悩ましく受け止める居酒屋チェーンオーナー。低賃金、長時間労働の実態が業界の特徴である中で、必ずしも甲子園的体育会系管理がすべてブラックとは言えないという一面を垣間見ました。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/02/12196521.html

NHK問題は公共放送の必要性議論に展開すべきと思う件

2014-02-07 | ニュース雑感
NHKの話を書いておきます。
会長である籾井氏の慰安婦に関する発言に続いて、経営委員である長谷川三千子氏、百田尚樹氏の発言が問題視されています。長谷川氏、百田氏は経営委員にふさわしくない、と。

なぜそんなことを言われるのか、NHKが公共放送だからです。公共放送とは何か。NHKのホームページにはこのような記載があります。
「公共放送とは営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送といえるでしょう」

というわけでNHKの経営委員については、「公共の福祉に関し公正な判断をすることができる、広い経験と知識を持つ」人との規定がなされており、この規定に照らして、籾井会長も長谷川氏も百田氏もふさわしくないのではないか、との意見が続々出されている訳なのでしょう。

ではNHKが公共放送でなければ問題になることもない。ならばいっそ公共放送としてのNHKをやめて民間放送に移行したらいいんじゃないのか、と考えたりもするのは私だけではないはずです。そのあたりの疑問にも、NHKは一応答えてくれてはいます。

<以下引用>
公共放送は必要であると考えています。
① 公共放送の使命や役割は、視聴者のみなさまからの受信料をもとに、放送の自主自律を貫き、質の高い多様な番組や正確で迅速なニュースを全国で受信できるよう放送することで、民主主義社会の健全な発展と公共の福祉に寄与することです。 NHKは、市場原理だけでは律することのできない公共性を強く意識し、特定の利益や視聴率に左右されずに放送事業を行っています。
② NHKの番組には「大河ドラマ」や「紅白歌合戦」のように視聴者のみなさまの関心の高い番組だけでなく、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、 市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない、重要な役割を担うものが多くあります。また、緊急災害時に大幅に編成を変更し、ニュース・報道番組を放送する ことなどは、スポンサーの意向に左右されずに行うことのできる公共放送ならではの役割です。
③こうしたことは、税金で運営される国営ではなく、広告収入による商業放送でもなく、視聴者のみなさまに負担していただく受信料で成り立つ公共放送だからこそ実現できるものと考えています。
④東日本大震災からの復興、長引く経済の停滞、急速に進む少子高齢化など、日本が数多くの課題を抱える中、国民の生命・財産を守り、視聴者の判断のよりどころとなる信頼できる情報や番組をお届けする公共放送の役割は、ますます重要になっていると考えます。
⑤また、放送と通信の融合が一段と進み、さまざまな端末を通して多種多様なコンテンツを誰もが自由に利用できるようになる中で、最新の技術を活用して利便性を高め、信頼されるコンテンツをお届けすることも、新しい時代の公共放送に求められる責務と考えます。
平成24年度からの3か年経営計画「豊かで安心、たしかな未来へ」の中でも、こうした考えを明記しています。


さて、どうでしよう。これを読んでみて「なるほど確かに公共放送は必要だ」と思いますでしょうか。
まず①。
「NHKは、市場原理だけでは律することのできない公共性を強く意識し、特定の利益や視聴率に左右されずに放送事業を行っています。」
現実にはそれができていないということが、会長、経営委員人事ひとつをとっても明確に分かってしまうから今回問題になっているわけですよね。

②については、
「教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、 市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない、重要な役割を担うものが多くあります。」
これだって誰の判断。NHKの主観が必ずや入るものでもあって、逆に民営化して政府が必要と考える教育番組や福祉番組、古典芸能番組を、番組枠を買って放送したほうが税金を使う分だけ余程国民の監視の目が行き届くのではないでしょうか。政府スポンサーの放送を民間放送局のコンペで争う方が、より安価にいい番組制作ができるようにも思います。
さらに、
「緊急災害時に大幅に編成を変更し、ニュース・報道番組を放送する ことなどは、スポンサーの意向に左右されずに行うことのできる公共放送ならではの役割です。」
東日本大震災の時を振り返ってみれば、民放各社の対応にスポンサーの意向が邪魔をしたという印象はほとんどないと思っていますが、どうでしょう。

③は、以上のような考え方で見てみるなら、全然そうは思いませんが…。
④は言っていることの根拠がなんら示されておらず、勝手な論理で自己の必要性を述べているだけではないかと思いますが…。
⑤は民営化したらできないのでしょうか。この部分にしても、必要があれば政府が予算化して本当に必要なものを国民の審判の下で実行したほうがよほど透明性が高いように思うのですがいかがでしょうか。

さらに、今回の人事問題は籾井会長の「政府が右なら左と言うわけにはいかない」発言に端を発して、長谷川氏百田氏を含めて「首相よりの人事だ」との批判もありますし、メディアの政治利用リスクを回避する意味からも、今の公共放送としての運営には問題があるのではないかと思うのです。

今回の籾井会長、長谷川、百田両委員の問題発言に端を発したNHK問題は、単なる人事の適正不適正を問うことにとどめるべきではなく、公共放送の必要性と存続リスクという観点からしっかりと議論すべきなのではないかと思います。事業仕分けの際にもしっかりとした議論がなされなかったNHKの民営化議論を、今こそ膝を詰めてするべき時であると、声を大にして申し上げたいと思います。

ソニー、パナソニック、JTに見る、正しいリストラ、悪いリストラとは

2014-02-06 | 経営
大手企業の3月決算に向けて軒並み好決算報道が続く新聞企業面ですが、ソニーのニュースが芳しくありません。最新の報道では、VAIOで一世を風靡したPC事業を売りに出すとか。私には、3月決算を前に事業売却コストを隠れ蓑にした再度の赤字転落の言い訳づくりをしているかのようにさえ思えます。

ソニーのPC部門売却は一般に言うところのリストラです。リストラとはリストラクチャリングの略であり、日本語訳は「再構築」がそれで「切り捨て」「削減」がその意味ではありません。どうもその点を理解されない企業経営が多いようで、再三再四申し上げているように、「削減」「コストカット」は前向きな戦略とのセットで行われてはじめてリストラと言えるのであり、それ単独での取り組みは単なるその場しのぎの“悪いリストラ”に過ぎないのです。

ソニーは平井CEO着任後の2012年度からドン底脱出を目論んだ世界規模の大掛かりなリストラ策(切り捨て策、削減策?)に着手し、昨年末にも国内工場を対象とした追加のリストラ策が明らかにされたばかり。リストラ効果はリストラと円安に救われて5年ぶりの黒字決算とはなりましたが、次なる一手は全く見えずじまい。今のソニーには、「削減」を機とした実効性ある選択と集中や次代を描く具体性を伴った前向きな戦略が見えないのです。すなわち、今回のPC事業売却も「あーまたリストラという名の削減で時間稼ぎか」と思えてしまえるわけです。

昨年の今頃はまだ、同じように死の淵をさまよっていたライバルのAV家電メーカーパナソニック。彼らはアベノミクス着手による偶発的回復局面において、美容機器部門を売却するという「削減」をおこない、新たな選択と集中として自動車、住宅向け事業への注力策を打ち出しました。そしてこれが功を奏する形となって、今期は黒字転換を確実にしたのです。この部分を見る限りにおいて、パナソニックの「削減」はソニーのような単なるその場しのぎではなく、具体性ある前向きな戦略とのセットによる正しいリストラ策の進め方であったと言えそうです。

JT(日本たばこ産業)の小泉社長が、リストラに関して実に興味深い発言をしています。同社はこの3月決算で過去最高益を見込みながら、国内4工場の閉鎖と大規模な希望退職を募るという大リストラ策をぶちあげました。その本意について社長は、「国内市場に縮小リスクが見える以上、手を打つのが経営者の勤め。辞める社員へのフォロー面から考えても、会社が赤字になりキャッシュがないときにリストラをすることは絶対にやってはいけないこと」と語っているのです。私は素晴らしい経営者としてのバランス感覚とビジョン構成力、そしてあるべき雇用責任の表し方であると思います。私は、ソニーの平井CEOはじめリストラのなんたるかを正しく理解せず雇用責任を軽ろんじる経営者たちに対する、同じ経営者としての真っ向からの批判であると受け取りました。

毎度申し上げているように、景気回復局面に差し掛かる時期こそ景気低迷期などとは比較にならないほど、経営者の本当の手腕が問われる時期であるのです。正しいリストラと悪いリストラ、アベノミクスから1年。この3月の大企業決算は、各企業の経営者の手腕が明らかになる大変興味深い成績発表の場になるはずで、大いに注目したいと思います。