今年1年間を振り返って、絶対に忘れてはいけない二度と繰り返してはいけない後世に語り継ぐべき出来事について、今一度書き記しておきたく思います(個人的な“今年の10大ニュース”的に考えれば第1位に相当する“事件”ということです)。
それはもちろん、当然今年最大の出来事であった3.11の東日本大震災関連です。年末の新聞、テレビでのニュース振り返りでは、被災地の悲惨な被害状況を思い出させる映像や福島原発一連の流れとその避難指定区域の皆さんの様子が繰り返し放映されています。しかし私は、それらと同様にあの「計画停電」も決して忘れてはいけない、後世に語り継ぎ同じ過ちを繰り返してはいけない世紀の愚策であると思っています。年末のメディアではあまり取り上げられてはいないようなのですが、この機会に今一度思いおこしなぜあのような愚かな策が講じられてしまったのか、メディアも国民に対してもっともっと問いかけて欲しいと思っています。
震災が発生した3月11日は金曜日でした。この日以降、福島原発被災による異常事態発生により、首都圏の電力事情は想定外の危機を迎えることになります。当時の管内閣は東京電力の発案を基本的には丸のみする形で(いろいろなやりとりはあったとは聞きますが)、日曜日の夜に産業界も“寝耳に水”の翌月曜日からの「計画停電」を発表します。電鉄各社をはじめ民間企業は翌日からの操業に関してパニック状態に陥りました。特にひどかったのはJR。月曜日には開き直りともとれる運休路線連発の運行間引きをおこない、私が住む北関東は在来線が全面運休するという事態に陥ったのです。
なぜ東電からの「計画停電」提案がなされた際に、国は産業界全体を巻き込んでの対応策を検討できなかったのか、世紀の愚策が誕生した背景には指導者の安易な独断による大いなる過ちがありました。事前に用意されていたであろう、政府の非常事態発生時におけるコンテンジェンシープランはどうのようなものであったのでしょうか。もしそれに沿った対応策をとったのだとすれば、いささか疑問であります。あの時の取るべき対応策に関しひとつのヒントは、昭和の終焉、昭和天皇崩御時の国家対応にあったのではないかと思っています。当時の入念に用意されたXデーシナリオは実によくできたものではなかったでしょうか。今回はもちろん当時のような準備期間はありませんでしたが、あの時と同様に「国民の休日」扱いを発動することによる時間稼ぎ策の下での、国と産業界の協議による議論された危機回避的な経済活動の縮小という措置は、とれたのではないかと思うのです。
金曜日の災害発生、土日を挟んでさらに3日程度を「休日」として、その間に産業界をまじえ大手企業を中心としてあらゆる協力を要請し、被災により激減した電力の使い道に関し不要不急の優先順位を下げた交通整理がしっかりできていれば結果は違っていたと思います。「計画停電」そのものが完全には回避できなかったにせよ、あのような混乱は避けられたのではないでしょうか。震災発生当日はともかくとしても、翌日以降にたびたび発生したパニック状況は明らかに人災でしたから。ちなみに、あの時期に盛んにブログにも書きましたが、一番の電力諸費不要不急は民放放送でした。「放送各局が使用する電力+受信側の試聴電力」を合わせたらかなりな消費電力の削減ができたハズです。災害発生翌日以降、同じような災害映像と公共広告機構のCMばかりを垂れ流していた民放に、電力消費ピーク時間帯の放送自粛をなぜ強制的に指示しなかったのか、です。
国民の支持のない弱い内閣はメディアを敵に回せばひとたまりもありません。あの当時の管内閣が後々自身が叩かれるリスクを恐れ、メディアに対して強い態度に出れなかったという事情は容易に想像のつくところでもあります。結局は支持もなく決断力も牽引力もない弱い指導者のもとに非常事態が発生し、国民は世紀の愚策に苦しめられることになったということは、長く記憶にとどめ後世に語り継ぐ必要があると思います。歴史は繰り返します。反省のないところに進歩はありません。東日本大震災は、自然災害に対する人間の「想定」に頼るリスクとともに、愚かな政権を選択することの国民生活レベルでの具体的リスクの存在も同時に教えてくれたと、語り継いでいきたいと思います。