日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

原口大臣の“本末転倒”を叱れぬ官房長官の“本末転倒”

2010-08-30 | ニュース雑感
民主党代表選の行方はなにやら雲行きが怪しくなってきました。挙党とかトロイカ体制とかいろいろ“きれいな言葉”は聞こえてきますが、思惑錯綜のおかしなムードです。その話は明後日の告示日までには結論が出るでしょうから、しばし静観しましょう。その間、民主党がらみで気になるNEWSがありましたので、そちらを少々。

すでに先週の話題ですが、原口総務大臣が公務をサボってTVのバラエティ番組出演を優先していたと言う件です。“事件”が起きたのは27日。閣僚懇談会を中座した原口氏は、別の公務をこなした後、引き続き継続中の懇談会を代理にバトンタッチし自身は羽田空港へ。搭乗の目的は大阪でのテレビ番組、しかもバラエティ番組への出演のためだったと言います。こりゃひどい。何がって、いつも申しあげるようにテレビなんていうモノはその成り立ちから言って、およそ報道機関ではなく何よりスポンサーありきのショービジネスにすぎないのです。そんな屁のような用事を、大臣たる人が公務よりも優先させたとはあきれてモノが言えません。ハッキリ申し上げて、本末転倒です。

どんな番組であったのか存じ上げませんが、仮に今の党内のゴタゴタを野党の論客と一戦交える場であったとしても、民主党の議員である以上に国務大臣という大役を仰せつかっている身である訳で、これは私がいつも申しあげるところの「幹」と「枝葉」の混同、「本流」と「傍流」の混同でありまして、まさに「優先順位」の明らかな誤りであると断言できます。そもそもこの人、以前からあちこちのテレビ番組に出演することで顔を売ってきた人であり、本業の政治家で仕事を通じて名を知られた訳でありません(鈴木宗男疑惑追及では活躍をしていましたが、政策面等での政治活動としての印象は薄いです)。その意味においては、政治家が仕事場たる国会で目立たず“遊び場”のTV番組で名を馳せてきた訳ですから、まさしく“「枝葉」育ち”の代表みたいな人でして、さもありなんなのです。

「公務のバッティングは止むを得ない。テレビ番組出演の件は存じ上げない」と、27日の段階ではテレビ出演優先について明確な見解を差し控えていた仙谷官房長官が、今日の会見で「テレビ出演と閣僚会合の関係は内閣で検討しなければいけない」とコメントするにとどまり、本件は閣内で“おとがめなし”となったそうです。これまた、何とも情けない。ダメなモノはダメ、間違っているモノは間違っているとなぜ言えないのでしょう。相手が小沢氏に近い原口氏なので、現政権の対立軸と化している小沢氏の動向に気を遣って首相を守る“内助の功”のつもりなのかもしれませんが、これまたもしそうだとするなら本末転倒もいいところでして、おかしなことになってしまっている訳です。

小沢氏の思惑を党内の皆が気にするあまり、正しいこともできない、言えない、ある種“陰の独裁者”におびえる、そんな異常な民主党という組織の実態を象徴的にあらわしている出来事に思えるのです。この世にも奇妙な組織内力関係がいつになったら解消されるのか。それが解消されない事には、誰が民主党代表、総理大臣の座に座ろうとも、本当の意味で国民の期待に応えうる政権となることは難しいように思えてなりません。

経営のトリセツ90 ~ 小沢氏出馬に思う「納得」に不可欠な「論理性」

2010-08-27 | 経営
論理的な説明は、マネジメントにおいても部下を納得させ動かす場合の重要なポイントであります。

では論理的な説明とは何か?
一番簡単な表現で置き換えるなら、「説明過程にごまかしがなく明確であること」かつ「自己の論理でなく、客観的事実に基づいて説明ができること」であると言えると思います。もちろん、論理的であるだけで相手を完璧に納得させられるかといえば、必ずしもそうではありません。論理的でありかつ熱意があるかとか、心情的に理解できるとか、信頼がおけるとか他の諸々の要素が組み合わさってはじめて相手を納得させ動かすことができるのです。その意味では、論理的であることは、相手を納得させる上で「十分条件」ではありませんが「必要条件」ではあると言えるでしょう。

テーマは民主党小沢前幹事長代表選出馬の件です。昨日の代表選出馬宣言から1日、マスコミも国民も「何だそれ?」と大騒ぎになっています。論点はいくつかあるようです。まず「政治とカネの問題」の説明責任を果たしていない点、それともかかわりますが、検察審の再審議次第では強制起訴もありうるという立場である点、3カ月前に国民の政治的不信感から首相とともに辞任をしたばかりであるという点、我が国が経済面での危機的局面にありその打開に向けて政局の安定が不可欠であろう点等々、いろいろな方々からあちこちで今回の出馬に異を唱える発言が出されています。これは一言で言うなら、とりもなおさず「国民の不信感」であり、その理由は明らかに出馬に対する様々な疑問点に対して、論理的に回答をしていないからに他ならないのです。

「好き嫌い」や感情的な問題は本来論理的説明の吟味があってその後に来るべきものなのですが、論理的な説明が何もないことで結局小沢支持者も反小沢の立場をとっているプロアマ問わぬ多くの論客たちも「憶測」に基づく「好き嫌い」でモノを言わざるを得ない、そんな不毛な状況にあるのではないかと感じています。いずれにしましても、今一番必要なことは「小沢氏自身の“見える化”」です。メディアもかなり過激に小沢派、反小沢派の議員を引っ張り出していつもの如くショー的な盛り上げを図っていますが、「良い」「悪い」を感情的に議論する前に、まずは先の諸々の論点に関して徹底的な“見える化”を求めていくべきであると思います。

メディアや論客が“小沢降ろし”を真っ向仕掛けても、結局腕力で跳ね返されるだけのことでしょう(代表選の結果はどうあれ)。こんな時こそ、メディアは公器として今回の出馬に関して「客観的事実の積み上げにより明快な説明がつくのか」、すなわち論理的に国民の納得が得られるのかまずはその「必要条件」を満たさせることに専念し、的確な判断材料の提示を求めていくべきではないかと思うのです。そのためには、各メディア間の協力による説明申し入れ等も検討が必要かもしれません。メディアは国民の代弁者としてただ煽りたてるだけでなく、これほどまでに世間を混乱させている当の本人からしっかりと考えを引き出す責務があると思うからです。説明申し入れを受け入れるか否か、論理的な説明ができるか否か、それによってただただ騒ぎを大きくするだけでなく、小沢氏が出馬にふさわしい人物であるか否か、国民を正しい判断に導くことが出来るのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

リアルCDショップを淘汰したもう一方の「雄」

2010-08-26 | マーケティング
音楽ソフト販売大手のHMV渋谷店の閉店に関連して、前回のコメントを補足します。

前回のコメントでは、HMVはじめとしたリアルの音楽ソフト販売店の「ジリ貧状況→閉店」を作った要因を、アップル社のipodを皮切りとした音楽データ・ダウンロードという新しいビジネスモデルの急激な浸透によるというやや偏った書き方をしましたので、少々補足しておきます。従来のリアル店舗に対してリアルとそん色のないバーチャル店舗を登場させたと言う意味からは、データダウンロード浸透以前の状況としてアマゾン・ドットコム(以下アマゾン)の大躍進を忘れてはならないと思います。バーチャル通販書店として95年にアメリカで開設され、あっという間に全米規模で成功した同社は2000年に日本店を“開店”。当初は書籍販売に特化していたものの、音楽ソフト、ゲーム、雑貨から日用品に至るまで徐々に取扱商品をの幅をひろげつつ、着実に購買層を拡大してきたのです。

当初は私も商品の並んだ陳列棚を実際に見渡すことのできないバーチャル・ショップなど、何を買おうか確実に決まっている時以外は使い勝手が悪く、ウインドー・ショッピング的な楽しみ方もできそうもなく、一般層に広がるのには難しいのではないかと思っていました。アマゾンのアメリカ本土での90年代後半の成功は知っていましたが、これはアメリカ人の合理的な考え方に合致したビジネスモデルであり、日本での浸透にはかなり時間が必要であろうと考えていたのです。ところがどっこい、アマゾンは日本進出とともに予想以上にハイスピードで成長を遂げ、書籍だけでなく音楽ソフトに関しても、あっという間にリアルショップを脅かす存在にまでのし上がったのでした。その最大の要因は、最新IT技術を駆使した徹底したCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)戦略の展開のあったのです。

具体的に言えば、何か探していると似たようなカテゴリーのモノや、探しているモノを購入した人が買っている他のアイテムなどを自動的に抽出して次から次へと購買者の目の前に並べてくれるのです。最初は少々ウザったいと思ったこのシステムも、慣れるとなかなか勘どころがよくて、すっかりバーチャル店員に乗せられいろいろなモノを買わされていたりする訳です。実際の人間が勧めてくる訳ではないので、無視しようが文句の一つもつぶやこうがこっちの勝手なので、リアルよりもよほど気がねなく買い回りができます。さらに検索機能でウインドウ・ショッピングも自由自在。リアル以上に在庫は豊富なので、音楽ソフトに関して言うなら断然マニアの満足度はバーチャルが上な訳です。

ネット販売による人件費の大幅削減で、リアル店舗以上の値引きも可能になっていますし、懸案だった配送料の問題も人件費をはじめ諸経費の圧縮により、1500円以上を送料無料にするというサービスを早々に定着をさせたのです。品揃えが良く、いろいろ好みの商品を気兼ねの要らない形で提示し、価格も安くて送料は不要、これではリアルが勝てる訳がありません。さらにネット音楽ソフト販売の大躍進の陰では、音楽ソフトが持つ特性が一層後押ししたように思います。それは、色合いや質感、サイズなどを実際に確かめる必要がない商品であるということです。たいていの音楽ソフト商品はネットショップで1曲30秒~1分程度にしろ試聴ができますから、むしろリアル店舗よりもサービスがいいと思えるほどなのです。こうして、音楽ソフトはマーケティング戦略に長けたアマゾンが中心となってリアル店舗購入からバーチャル店舗購入へ移行の流れを作り、その流れに乗ってアップルを中心としたデータダウンロード・ビジネスも大躍進したという事であると思うのです。アマゾンが切り開きアップルが開拓した、そんな新しいビジネスモデルの流れで、音楽ソフト販売ビジネスにおけるリアル店舗は淘汰を余儀なくされたと言っていいかと思います。

そうやって考えると、書籍も音楽ソフトと同じく色合いや質感、サイズなどを実際に確かめる必要がない商品な訳で、書籍ネット購入は既に条件的には受け入れられた状況にあると言えます。アマゾンは書籍電子化ビジネスではアップルに先を越された音楽ソフトの同じ轍は踏むまいと、いち早くキンドルというブックリーダーを開発し書籍電子化販売の主導権を握るべく先手先手で来ています。しかしながら、アップルも負けてはいません。ipodの登場時と同じかあるいはそれ以上のインパクトを持ってipadなる強力な武器をもって、この市場への本格参入を開始した訳です。こうやって見てくると、音楽ソフト販売はあくまで前哨戦に過ぎずより市場規模の大きな書籍こそが電子データダウンロード・ビジネスの本丸であるようにも思えてきます。この始まったばかりの激しい攻防の中、書籍のリアル販売店(=本屋さん)が今後生き残るには、リアルでなければ味わえないサービスをいかに生み出すか、その一点にかかっていると言っていいででしょう。ただし、ネットの世界の動きは早いので、この戦いは時間との勝負でもあると思うのです。

街からCDショップが消える日、・・・そして本屋が消える日

2010-08-23 | ビジネス
音楽ソフト販売の大手HMVの渋谷店が昨日をもって閉店し、20年の歴史に幕を下ろしました。

そもそも渋谷は、81年のタワーレコード東京初出店以降急激に市民権を得た輸入音楽ソフト販売業のメッカであり、HMVは90年出店の後発でありながら輸入ソフト販売だけでなく、国内の音楽においても“渋谷系”と言われる独自の流行を作り出すなど、“流行文化を発信するCDショップ”として新らしい音楽関連産業のあり方を提示した“カリスマ店舗”でもありました。特に若者の聖地であるセンター街に場所を移してからは、その圧倒的な売場面積に支えられた品揃えもあり、一時期は他を圧倒する勢いを持って“渋谷音楽販売の王者”として君臨していたのでした。

今回の撤退の理由を同社は具体的には公表していませんが、ipodの登場が様相を一転させた音楽データダウンロード・ビジネスの隆盛は如何ともしがたく、同店の売上に大きなダメージを与えたことは疑いのないところであります。本当にipodの登場とituneストアのオープン以降の音楽購入文化の変化にはめざましいものがあります。私のような古い音楽ファンは今でも、音楽はレコードやCDはアルバム単位で聞くモノというこだわりがあるのですが、今の若い人たちは、「欲しい曲だけ聞ければ良い」「アルバム買うといらない曲が入っている」「ジャケットなんて不要」「CDは自分の好きな曲だけ集めて作るモノ」といった考えから、1曲単位のデータダウンロードが主流になっているのです。

かく言う私も音楽購入方法において、CDに関してはここ2年ほどでリアル店舗からネット購入に完全シフトしており、さらに最近では昔懐かしいアーティストでもアルバムまでは不用というものはituneストアで曲単位でダウンロード購入といったマネまでするに至ってしまいました。私ほどの音楽ソフトのヘビーバイヤーまでもがリアル店舗購入からバーチャル店舗購入に移行している訳で、これではHMVのシンボル的旗艦店の渋谷店が閉店するのも無理からぬところでしょう。ちなみに、以前私が渋谷店と並んでよく足を運んでいた、HMV銀座店、数寄屋橋も昨年から今年にかけて相次いで閉店しており、リアルの音楽ソフト販売業はもはや存続の危機に瀕していると言っていいのかもしれません。

音楽ソフト販売業の問題だけでなく、CDという媒体自体今後どうなって行くのか分からない感じさえしています。エジソンがレコードという音楽録音再生媒体を発明して以来、約100年以上にわたり動かし難い存在であった音楽媒体の歴史を劇的に書き換えたCDが、その衝撃的な登場からすればあまりに短い20数年という天下の時代を、同じデジタル方式のデータダウンロードという予想だにしなかった後継にとって変わられてしまう、そんな勢いを感じさせる昨今なのです。音楽データ・ダウンロードがこんなに急激に業界の主導権を握ろうとは、誰が予想できたでしょう。もちろん時代の流れを大きく動かしたのは、アップルのipodを軸にした斬新なビジネスモデルの登場に他なりません。

次なる変革は書籍の世界でしょう。書籍はレコード以上に長い歴史を持っていますから、いきなり紙媒体がすべて電子データにとって変わるとは思えないですが、ipad登場はその長い歴史をも変えかねないだけのパワーと可能性を秘めているように思えます。CDショップに続いて本屋さんが街から姿を消す日は意外に早く訪れるかもしれません。

「70年代洋楽ロードの歩き方20」~パワーポップ3

2010-08-22 | 洋楽
パワーポップ3回目はそのルーツを今一度検証しておきます。

「パワーポップとはどこから来たか?」なのですが、やはりその最大のルーツはポール・マッカートニーにあると思っています。「ポップ=分かりやすいメロディライン」と定義するなら、60年代において彼ほど「分かりやすい=ポップ」な曲を多数世に出したアーティストは他にいないのです。その作風が確立された転換期はビートルズ時代の名作アルバム「サージェント・ペパーズ・・・」にあると思われます。同アルバム収録の「ラブリー・リタ」「ゲッティング・ベター」「ウェン・アイム・シックスティフォー」等は、前作までのビートルズ・ナンバーにはないジョンの匂いがしない実にポールらしい楽曲であり、それまでのジョンとポール2人の相互作用的合作イメージのビートルズ・ナンバーは、ジョンとポールの明確なカラーが打ち出され明らかに2極化の方向に歩き始めたのです。個々の単独創作活動がメインになるにつれ、ジョンはよりロック、ブルーズ寄りの曲作りをするようになり、ポールはそれまで以上に“ポップ”な曲を多数輩出することになります。この時期以降のポールの作風こそが、パワーポップのルーツであると思えるのです。

では“パワーポップの創始者”としてのポールの70年代はどうだったのでしょう。70年の「アナザー・ディ」に始まり、ウイングス結成後の「アイルランドに平和を」「ハイ、ハイ、ハイ」「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」「ジュニアーズ・ファーム」「あの娘におせっかい」「ヴィーナス&マース~ロック・ショウ」「心のラブ・ソング」「幸せの予感」「ゲッティング・クローサー」・・・思いつくだけでもこんなにたくさんのパワーポップ・ナンバーをシングルとしてリリースしているのです。中でもこれぞと言えるのは、「ジュニアーズ・ファーム」と「ゲッティング・クローサー」(共に完璧なB級感覚たまりません)。本家本元のパワーポップここにありといった感じです。これらが、最も分かりやすいパワーポップ的なナンバーなのですが、「マイ・ラブ」や「死ぬのは奴らだ」といった彼の代表曲も、安っぽさが薄い分一見パワーポップ的ではないのですが、そのメロディラインの分かり易からは十分パワーポップの延長線上にある楽曲であると言っていいでしょう。

ポール・マッカトニー直系で忘れてならないのは、ジェフ・リン率いるエレクトリック・ライト・オーケストラ(通称ELO)でしょう。ジェフ・リンがロイ・ウッドとバンドを結成した当初は、弦楽を3人を含む本格シンフォニック・ロックでのスタートであり、組曲を中心としたプログレ的な色合いも強くおよそパワーポップとは縁遠い存在でした。そんなバンドの歴史もあって、彼らがパワーポップに分類されることはあまりないのですが、ジェフ・リンはこれ以上ないというほどのマッカトニー・フリークであり、76年のアルバム「オーロラの救世主」以降のELOは完璧なパワーポップであると言っていいと思います。特に大ヒットナンバー「テレフォン・ライン」は、売れていた当時は「70年代にビートルズが存在したらこんな曲をやっていたに違いない」と言われていましたし、「ターン・トゥ・ストーン」「ミスター・ブルー・スカイ」「コンフュージョン」などのヒット曲は、まさしくマッカトニー路線の佳曲であります。ジェフ・リンはその後、ジョージ・ハリスンのプロデュースを皮切りにビートルズ・アンソロジー・プロジェクトのアレンジャーに指名され、名実ともにビートルズの“公式フォロワー”となっています。そんなジェフの作品はポール直系正真正銘のパワーポップに相違ないのです。


<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~パワーポップ3>
★パワーポップを正しく知るアルバム★
1.「ウイングスパン/ポール・マッカートニー」
ポールの2枚組ベストアルバム。はやりポールと言えどもパワーポップはベスト盤に限るのです。CDは1枚目が「ヒッツ」2枚目が「ヒストリー」で、大ヒットナンバーと隠れた佳曲がそれぞれ1枚のCDに収められ全編パワーポップ満載の2枚組です。本文で取り上げた「アイルランドに平和を」「ゲッティング・クローサー」は残念ながら未収録ですので、こちらはそれぞれオリジナルアルバム「ウイングス・ワイルド・ライフ(ボーナス・トラック収録です)」「バック・トゥ・ジ・エッグ」で聞く以外にないようです(後者はituneストアではこの曲のみ単品でダウンロード可です)。

2.「グレイテスト・ヒッツ/ELO」
私自身はどうしてもコンセプトがしっかりしたオリジナル・ベストアルバムにこだわりがあるのでここではそれをあげましたが、これは前期ヒットナンバー11曲の収録なので複数出ている全キャリアを通じてのベスト盤の方が初心者的には楽しめるかもしれません(ドラマ「電車男」の主題歌「トワイライト」も収録されています)。ELOの楽曲はどれも確かに重みには欠けているのですが、このB級感覚路線こそが正統派パワーポップの真骨頂でもある訳です。そのB級っぽさに好き嫌いは別れることろでしょうが、ジェフ・リンの創作能力の高さには感心させられるハズです。

軽井沢で「気合いだ!」連呼?“KYバカ議員”をメディアは叱りつけよ!

2010-08-21 | その他あれこれ
軽井沢の鳩山元首相別荘で、鳩山派と小沢派の合同「研修会」が開かれたそうです。

話題は当然来月の民主党代表選。なにしろ首相を決める選挙な訳ですから、国民生活にも大変影響の大きい重要なイベントであります。わけても小沢氏が出馬するか否かの動向は、マスメディア最大の関心事でありました。小沢氏は席上、挨拶に立ちはしたものの出馬に関するコメントは一切なし。しかしながら本人にかわって小沢氏周辺の親密議員たちから、「小沢出馬待望論」や「小沢出馬示唆発言」が相次いだことから、マスメディアはこぞって「小沢代表選出馬へ」とのトーンで見通しを大きく報じております。

一部マスメディアの社説にもありますが、一般論的に言って小沢氏は自身の「政治とカネの問題」に全くカタをつけていない現状であり、しかもこの問題に関しては検察審の再審議により強制起訴の可能性が残されてもいます。このような状況下、本人の意向はハッキリとは分からないものの、政権政党所属の議員が声を大にして「小沢立つべし」を明言するのはどう考えても国民の納得が得られないと思います。現時点では小沢氏本人が「出馬」を宣言した訳ではないので、彼が非難の矛先とはなりませんが(もちろん、説明責任を全く果たしていない点は強く非難されるべきとは思います)、この国の民意と言う“空気”を読めない周囲のアホ議員たちのバカさ加減には本当に呆れるばかりです。

そもそも、今回の「研修会」とはなんですか。少なくとも今世間では、アメリカ経済の底割れ状況とそれに伴う急激な円高の進行で、国民経済は再び苦境に陥れられようとしているのです。昨年の衆院選時のマニフェストの変更の賛否が、この代表選の争点になると言うのであるなら、今の状況を打開するためにはマニフェストをどう取り扱うのが国民経済にとってベターであるのか、そう言った政策論議が展開されてしかるべきなのではないでしょうか。でもそのような中身のある議論がかわされたという報道は皆無です。前首相と前幹事長を中心とした国会議員が150人以上も集まった席で、政策論議が行われずに、「小沢一郎、鳩山由紀夫、気合いだ!気合いだ!気合いだ!」との大合唱をするなどというのは、この危機的経済状況を「気合いで乗りきれ」と言っているも同然で、まさに「KY」なあまりに国民をバカにした話ではないでしょうか。

くだらない集まりや発言をただただ垂れ流すメディアもメディアです。苦境に追いこまれつつある日本経済の置かれた状況をしっかり認識し、正しい目をもってこのようなバカな“政治屋”のKYな言動を厳しく糾弾して欲しいと思います。

ブックレビュー「残念な人の思考法/山崎将志」

2010-08-19 | ブックレビュー
★「残念な人の思考法/山崎将志(日経プレミアシリーズ・850円)」

もう発刊から結構経っています(今年の4月刊のようです)。出た当初に立ち読みして、印象がイマイチだったので見送っていたのですが、だいぶ売れているようなので読んでみることにしました。「残念な人」とは、代表格は「勉強はできるのに使えない輩」。もっと具体的には、「東大卒なのに成果がでない社員」とか「行列ができているのに儲からない店」などのことです。要するに“ちゃんとしていそうなのに、なんとなくハズしている奴”のことですよね。なぜ“ハズす”のか。行動が「的を得ていないから」です。「的を得ていない」とは、要は「誤ったプライオリティの下、動いている」ということなのです。本書はすなわち「プライオリティ思考」の解説本ということのようです。

主に具体例を中心に話は進んでいきます。いろいろな場面で、読む側も遭遇したことがあるであろう人や会社やお店のエピソードになぞられて、プライオリティとは何であるのか、プライオリティをどう持つべきなのか、について分かりやすく説明をしてくれています。内容的には決して目新しいテーマではないのですが、プライオリティという視点でビジネスパーソンのあるべき行動を規定し、それを誤ると「残念な人」になってしまうという流れで全編すすんでいきます。

言っていることは正論ですし、切り口は至ってコンサルタント的でもあります。しかしながら全体の流れはイマイチよろしくない感じが・・・。起承転結が明確でないと言うのでしょうか。なんとなく羅列に終始してしまっていて、途中からは「今、何の話でこのエピソードは出てきているんだっけ?」と、ところどころ読んでいてスーッとは入っていかないもどかしさが感じさせられる気もしました。でも売れています。既に8刷、今はもっといっているのかもしれません。「残念な人」という、ややタイトルの勝利的な感もあるようにも思えます。喰い付きのよろしいタイトルづけには感心です(例えば「プライオリティ力を鍛える」みたいなタイトルだったら、きっと売れなかったろうなと思う訳です)。

著者のことはよくは存じ上げません。もちろん「残念な人」であるはずはないのですが、語り口に“若さ”を感じさせられたりもします(著者の正確な年齢は存じ上げませんが)。コンサルタント野口吉昭氏あたりも最近は似たようなテーマで著作を出されているのですが、野口氏ほどの主張の“こなれ感”に乏しいというのでしょうか・・・。これは本人の資質の問題ではなく、やはり人生経験のなせる技もある訳で。本書は著者の今までの著作とはやや毛色が違うモノにチャレンジされたようなのですが、もしかすると年齢的に時期尚早であったのでは、と思わされもしました。もちろん、言っていること、力説されていることは十分価値のある話であるとは思いますが・・・。だから売れてもいる訳で。
この手の本は“こなれ感”も大切なので、私の評価はちょっと辛目に10点満点で6点とします。

そう言えば・・・ipad購入3週間

2010-08-17 | その他あれこれ
ipadを購入したことをブログに書いていませんでした(例のドコモのWifiルーター入手後“即買い”しました)。

もう3週間ほど前になるでしょうか。ネットでアップルショップの入荷状況を調べつつ、どうやら週末前金曜日の渋谷が狙い目と読んで購入に走り、読み通り予約なしで即日ゲットできました。ipodでアップル・タブレット機器の使い勝手はよく分かっていたので、ipodを初めて購入した時のような戸惑いはゼロ。スムーズにituneで設定を済ませてすぐに使用可状態に。なるほど、ipodの大きい判であることは間違いのないところでありました。しかし大きく違っていたのは、とにかく画面が奇麗なこと。そして画面が大きくなることで操作性が格段に良くなったことです。例え機能が同じようなものであったとしても、これはもう全く別のIT機器であると言っていいかと思いました。

画面が大きくなるということは、アプリケーションの使い勝手も大きく異なりますし、ipodやiphoneではその画面の大きさゆえ、イマイチ使い勝手の悪かったアプリケーションもipadサイズの画面で操作するなら全く見違えるような“神アプリ”になる例もけっこうあったりします。加えて動画の再生は結構感動的ですね。YOUTUBEでの動画再生も「こりゃ癖になるわい」というレベルで、綺麗な動画を楽しませてもらっています。アップルの純正カバーケースを同時購入したのですが(これが4千円弱もして、ショップで同時購入すればけっこう“アップルにやられてる感”をかもしだしてくれるという“逸品”です)、このケースに入れれば机の上で画面を立てて再生することができるのですが、タテヨコ自在に再生画面対応するipadの強みを最大限に発揮して、素晴らしい動画再生機として機能してくれています。

バーチャル・キーボードの使い勝手も悪くないので、これなら書類作成もOK。と言う訳で、早速ituneストアからアップル純正のワープロソフト「Pages」を購入しました。まず驚かされるのがこの「Pages」の値段ですが、なんと1200円ポッキリ。表計算ソフト「Numbers」やプレゼンソフト「Keynote」だって同じ1200円で購入できるのです。マイクロソフトのオフィスパッケージで同様のソフト「ワード」「エクセル」「パワーポイント」をセットで買おうものなら30,000円以上するんですから。「この差は何だ!」って感じですよね。これはアップルのプラットフォーム型ビジネスモデルのなせる技に他ならないのですが、改めて素晴らしいビジネスモデルであるなと感心させられてしまう訳です。もちろんアップルのソフトはマイクロソフトのオフィスとの互換性も確保し出先での変更作業にも対応可ということなので、ビジネスパーソンにもかなり支持をもらえそうな感じかと思います(私はまだ未体験ゾーンなので、あくまで伝聞レベルですが・・・)。

結局のところ購入3週間での感想としては、アプリケーションの使い勝手がiphoneとは全然異なるが故に、ipadの使いこなしは自分の使用目的にあったアプリケーション探し次第で100倍も200倍も変わってくるという感じがしています。すなわち裏を返せば、アプリケーションひとつで、未知の使い方もいくらでも生まれうる無限の活用可能性を秘めているタブレット端末であると言えるのです(ちょっとホメ過ぎ?)。やはり単なるブックリーダーとして使ったり動画再生機として使ったりという、ありきたりの使用方法では全然もったいない訳で、アプリケーション開発側にも無限の可能性を示唆し、触れば触るほど大きなビジネスチャンスを感じさせる新時代のIT機器であると改めて実感した次第です。

P.S タッチパネル方式はマウスを使うPCよりも操作性に優れ、本を読んだり動画を見たり、確かにお年寄りにも使える端末です。しなしながら、PCでのituneソフトインストールが初期設定時点で必要である点や、Wifiか3Gじゃないとネット接続ができない点等は決して年寄り向きじゃないなと改めて思わされました。例によって機器の説明書も基本はWEB上だし・・・。やはり現段階でアプリ開発のターゲット層に高齢者を入れるのは難しいかなという感じですね。

我々世代にとっての終戦記念日とは

2010-08-15 | その他あれこれ
8月15日は終戦記念日、原爆投下の日と同じく第二次世界大戦を起こした国の国民として世界の恒久平和を祈り訴えるべき大変重要な、特別な意味合いを持った日であります。

今年も日本武道館で戦没者慰霊祭が、天皇皇后両陛下、管総理出席の下開催されました。愛する人の尊い命を戦争という愚行の犠牲として失った多くの戦没者の遺族の方々が出席されていました。しかし、すでに戦後65年を経て戦争を肌身で知る出席者は年々減少し、次世代への橋渡しが無言のうちになされている時代の移り変わりが、テレビの映像を通じても感じさせられる式典でもありました。それでも、この戦没者慰霊祭はこれからも続いていくでしょうし、続けていかなくてはいけないのです。世界に「戦争」と言う概念が存在しなくなる日まで、いや「戦争」という概念が存在しなくなった日が訪れたとしてもいつまた愚かな人間が同じ過ちを繰り返えさぬよう、永久不滅の式典として未来永劫続けていくべき催しなのだと思います。

そんなことを考える時に思うのは、戦争のない平和な世界を実現する未来をつくっていくためには、我々戦後生まれ特に昭和30年代生まれの世代がどれだけ、戦争の愚かさを意識し「平和」を訴え続けていけるかにかかっているのではないかということです。すなわち、今ビジネス界をはじめ世間では我々世代が時代を担ってこれからの社会づくりをリードしている訳で、平和祈念に関しても同じく我々世代がリードオフマン的自覚をもって率先して動かなくてはいけないと思うのです。終戦後十余年を経て生まれ昭和30~40年代の高度成長期に少年少女時代を過ごし、「平和」であることが当たり前の時代に育った“戦後っ子”として、我々を育んでくれた「平和」のありがたみを、「戦争の悲惨」を語り継ぐ人が絶え始めた今こそ意識を持ってしっかりと受けつ継ぐべき時に来ているのではないでしょうか。

その意味において、戦後65年を迎えた今年の戦没者慰霊祭に皇太子夫妻が列席しなかったことは本当に残念です。皇太子殿下は私と同学年の50歳であります。論語にも「五十にして天命を知る」との言葉もあります。今ここで戦前戦中の天皇制を断罪するつもりはありませんが、次期天皇即位者である皇太子殿下が、天皇制の下突き進んだ第二次世界大戦と「天皇陛下万歳」と戦地に散った多くの尊い命を思うなら、50歳の節目をもって我々世代の代表として「平和」を願う先導役を積極的に務めて欲しいと思うのです。すでに終戦記念日8月15日が持つ意味合いさえも大きく変わりつつあると思います。過去の犠牲者へ向けられた悲しみや追悼を乗り越え次世代に引き継ぐべき恒久平和を誓う祭典たるべきであり、それを今担うのは我々戦後世代の役割ではないかと思うのです。

終戦の日の国家行事たる戦没者慰霊祭への天皇皇后両陛下の出席は当然のことですが、「平和」への誓いを次代へ引き継ぐ役割を担った我々世代の代表である皇太子ご夫妻の出席もまた必要な時期にきているのではないでしょうか。一般的に50歳前後の“アラフィフ世代”ともなれば、世の中の見え方も違ってきて真の“大人”の見識を意識し始める時期でもあります。まさしく「五十にして天命を知る」。ならば、同世代の天皇家の人間には先んじて「平和」の尊さを主張する行動をとって欲しいと思いますし、その使命が課されてもいると思うのです。戦没者慰霊祭には、シキタリや前例にとらわれず、ご自身の意志としてこの平和祈念の式典に出席をしその行動で次世代へ力強いメッセージを伝えて欲しい、終戦から65年を経た「平和」を祈念すべき日に切に願うところです。

お茶ノ水古今物語~村田クンと行った店の「今」は・・・

2010-08-13 | マーケティング
お茶ノ水ネタの最後は、村田クン時代の思い出と「今」を・・・。

村田クンと過ごした中学3年生昭和49年はと言えばファーストフードが出店攻勢を強め始めた頃で、昭和45年に銀座三越に出店したマクドナルドの後を追うように、各種ファーストフードが進出を始めていたのです(“ネコドナルド”の噂が出始めたのもこの頃ですね)。お茶ノ水は学生街としてファーストフード・ビジネスにとっては格好のターゲット・エリアでした。私は村田クンに連れられて初めて入った2つのファーストフード店をよ~く覚えています。

そのひとつがロッテリア。マクドナルドのライバル・チェーンとして、まさにマーケティングで言うところの“チャレンジャー企業”として真っ向勝負を挑んでいたのでした。ロッテリアでの彼のおススメは「イタリアンホット」。カリカリのトースト的なパン生地の間にハムかサラミのチョイスに加えてチーズや野菜をはさんだ、ピザ風味のメニューでした。彼は「ハンバーガーなんてのは味覚音痴のアメちゃんの食べもんだからな、決してうまくないよ。最近じゃネコ肉とか言われているし、マクドナルドの米国産メニューよりも日本人が考えたメニューの方が断然うまい。味ではロッテリアのイタリアンホットの圧勝だな」と断言してました。事実うまかったです。当時としては結構感動したのを覚えています。

彼が教えてくれたファーストフードのもうひとつはミスター・ドーナッツでした。「アメリカ人はドーナッツを朝から食うんだぜ。だからあんなブクブクになっちまうんだけどな。アメリカにもあるメニューなのか日本のオリジナルなのか知らないけど、フレンチクルーラは最高にうまい。俺たちが知っているドーナッツとは全然ちがうんだぜ」と言ってすすめられ、食べてみました。確かにそれまで食べたことのないドーナッツには小さく感動しました(でもなぜかその日は胃もたれした感じがして、家に帰ってから気持ち悪くなり熱も出て翌日は学校を休んだ記憶があります。冬だったので風邪をひいて体調悪かったのかもしれません)。イタリアホットもフレンチクルーラも、今でもしっかり現役のメニューのようですから、彼の食のマーケティング・センスはけっこう大したものだったのだと思います。

当時ロッテリアは駿河台通りの駅近くの道の左側に、ミスタードーナッツは少し坂を下った道の右側にあったと記憶してます。今ロッテリアは場所が移って交差点の駿台予備校側にありました。ミスタードーナッツは見当たらず。マーケティング戦略として学生街を狙った2つのファーストフードでしたが、ロッテリアは店舗をさらなる一等地に移し通算30年ですから成功だったのでしょう。かたやミスドは…。ドーナッツは甘いので女性が中心ですから、当時女子学生が比較的少ない明大生や実質男子校的な駿台予備校生ターゲットではマーケット的にやや厳しかったのかもしれません。

その他、彼とよく歩いた思い出のお茶の水としては、何と言っても丸善です。今も同じ場所に同じように天井の低い建物で存在しました。これは嬉しかったです。もちろん売り場が昔通りの印象と言う訳にはいかないですが、でもなんとなく雰囲気はあの頃のままという昔風の本屋さんの佇まいでした。それに引き換え残念だったのは、丸善の建物の2階にあった輸入レコード店ディスクユニオンの「今」です。ディスクユニオン自体はマニアックな品揃えで当時よりもかなり発展して、お茶の水だけでも3か所ぐらいに分散して頑張っているのですが、個人的には丸善の2階の“あの場所”にないとどうもピンとこないのです。当時は丸善の向かって右側外付け階段で2階に上がったところが入口でした。

階段は今もありました。ただ2階は現在使われていないのか、階段の登り口に鎖がかけられていました。階段すら登ることが許されないこの光景には、村田クンとの思い出が封印されてしまったことの象徴であるかのように思えて、少しばかりの寂しい思いを胸にお茶ノ水を後にしたのでした。