日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

過酷な労務環境でも社員の心が折れない社長の心がけ~「社長のお悩み相談室」更新しました

2014-04-30 | 経営
J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新しました。労務環境が過酷で従業員の心が折れがちと言われる老人福祉施設。とある社長の心がけに改善のヒントを見た気がしました。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/04/30203512.html

韓国旅客船沈没事故から企業経営が拾うべき「他山の石」

2014-04-24 | 経営
「韓国旅客船沈没事故に関して、大関さんはご専門のお立場からどういうご意見をされますか」というご質問をいただきましたので、これに関して少し触れておきます。

私の領域から申し上げると、今回の件は我が国の企業における組織運営の観点からも、示唆に富んだ大きな警鐘として受け取るとこができるのではないかと思っています。これまでに判明している部分だけからも、多くの「他山の石」を見て取ることが可能です。

まず第一に、初動における情報確定の緩さと不確定情報を流すことによる組織防衛リスクの増大があげられます。今回ように明確な被害者が存在する事件、事故においてその被害者の被害状況に影響が及ぶような情報の取り扱いは特に慎重に対処し、迅速性以上に正確性の確保に努めなくてはなりません。本件では、事故発生直後に乗客のほとんどが救出されたと言う大誤報から始まったことで、事件に対する韓国政府の心証は著しく悪くなったと言っていいと思います。なぜ、あのような不確定情報を事故の全容が分かっていない段階で流すことになったのか、近代国家の情報リスク管理の観点から申し上げて韓国政府の対応は全く理解不能です。

企業不祥事の発生においても全く同様です。真相究明を求める集中砲火の中で、被害者、利用者、当局、メディアからの一時的な非難回避を狙って、自社にとって有利になるような不確定情報を流しその場しのぎをするよな広報対応が見られることがあります。この場合、後から事実が判明した際に「あの時は事態が混乱しており、情報が錯綜していた」という理由で弁明をするようなことになるわけですが、企業にとっては正確な情報が分かる都度それを小出しにしていく緩い対応に比べても、極端に悪い印象を与えることになります。不祥事に絡む企業イメージのダウンは、後々ボディブロー的に業績にも影響を及ぼします。従ってこのような対応は情報リスク管理の観点から、絶対にやってはならない対応であると言えるのです。

次に、日本からの救出支援申し出拒絶の問題です。韓国政府は事故発生からかなり早い段階で、日本政府からの海上自衛隊による支援申し出を即座に断ったと言います。聞けば、我が国の海難事故における救出活動の技術はかなり高度なものがあり、韓国のそれとは技術水準的に大きな開きがあるそうです。レバタラの話にはなりますが、政府が日韓関係を気にせずに日本の申し出を即座に受け入れて救出活動に取り組んだなら、より多くの命が救われたのではないかと論じる韓国メディアのもあるようで、この点もまた、メディア、国民から政府が強い非難に晒されてる大きな一因にもなっています。

企業活動に置き換えると、苦境に陥った企業が他の企業から救済の手を差し伸べられることも間々あります。そんな時に力関係を考えて、「ここで力を借りたら将来的に買収されるのではないか」とか、「自社よりも業界地位の低い会社の世話になるのは、プライドが許さない」等々の意見により支援申し出を排除し、結局倒産の憂き目に会ったり、業績回復に必要以上に手間取ることで有能な人材の流出につながったり、はよくある話であります。企業の損得勘定やプライドも分からないではありませんが、緊急時には自社に従事する従業員の生活のことを考えれば、まずはいかにして経営継続性の確保をはかるかを最優先で判断をする必要があるのです。経営者の勝手なわがままで、従業員を不幸に陥れることがあってはならないということは、今回の韓国政府の国家的プライドがさせたであろう愚行から学ぶべきことであると思います。

最後に今回の事故で最も重要な問題、船の積載量オーバーが事故発生の根本原因なのではないかという点です。当初は規定積載量の倍程度と言われていた事故船に積まれていた荷物は、ここに来て既定の3倍オーバーであったということが判明したといいます。驚くべきルール違反です。なぜ積載制限があるのか、プロが考えれば誰でも容易に分かる話であり、このルールを破ることがすなわち安全性に及ぼす影響も十分分かっていたはずのことなのです。この報道が事実であるなら、船が旋回時にバランスを失い沈没に至ったというこの事故に関するフェリー運航会社の責任はあまりに重いと言っていいでしょう。

企業において社会ルールを守ることは戦略や管理以前の大前提の問題であります。企業活動には、今回の荷物積載量のような業界特有のルールもあれば、雇用における労働者の就労環境に関する労基法のような共通ルールもあります。いずれの場合にも、今回のように意図的にルールを破るのは論外としても、結果的にルール破りをせざるを得ないような組織運営をすることもまた、「未必の故意」的ルール違反であるのです。労基法関連では、就労者の病続出や最悪のケースでの自殺者の発生などではほとんどの場合、「未必の故意」的組織運営がなされています。自社の運営が意図的なルール違反だけでなく、「未必の故意」的ルール違反を誘発するような環境をつくりあげていないか、チェックをすることもまた経営者の務めであるということは忘れてはならないポイントでしょう。

韓国船の沈没事故に絡んでこのようにツラツラと書いてきたことは、どれもみなあたり前のことばかりなのですが、半面ややもすると企業の利益追求面ばかりが強くなりすぎた場合に、日常の繰り返しの中で疎かになりかねないことばかりであるとも言えそうです。そのようなリスクが顕在化していないか、企業経営に携わる皆様にはこの機会に自社の組織運営を点検されることをおすすめいたします。

いつまで続く?関係者集めて論点整理できない理研の組織的無能

2014-04-16 | 経営
STAP細胞関連で、今度は本日笹井副センター長が記者会見するそうです。

もういい加減にしたらどうだろうか、って思います。バラバラやってないで、理研はこの問題の責任機関として、関係者全員を一同に集めてしっかりと意見聴取、事実確認をおこなった上で、全関係者が顔を揃える形で調査結果報告なり記者会見なりをおこなうべきではないでしょうか。

バラバラバラバラと、理研がやり、小保方さんがやり、今度は笹井さん。でそれぞれの会見で個々のコメントが出されるたびに、他の者がマスコミを通じてメッセージを出すという、いかにもコミュニケーションが悪すぎる恥ずべき異常な事態であると思います。

なぜ理研は関係者を一同に集めてちゃんと議論を整理しようとしないのでしょうか。少なくともどこを問題視し理研としてはどうしたいのか、研究の当事者はどうなのか、まとまらないならまとまらないでいいんです。それぞれの言い分を論って、論点整理をして、それを公表する形だっていい。大切なことは、責任機関である理研がその責任において、利害関係人の見解違いを含めた問題点をしっかりと明らかにして、それぞれ言い分を整理して提示するべきではないのでしょうか。そもそもは理研が蒔いた種なのですから。

誰かが何か言い、それに対して別の誰かが何かを言い、それに対してまた誰かが何かを言う、そんな流れはいつまでたっても噛み合うことのない議論の堂々巡りを招くだけであり、これを繰り返しているうちにまたマスコミがおもしろおかしく変に突っついたりするものだから、余計に焦点がボケて何がどうなっているのか訳が分からなくなってしまうのです。

やはり最初の段階で、関係者を集めてじっくりそれぞれの言い分を聞いた上で理研としての判断を下してそれを関係者に伝え、関係者総出の形で会見を開く必要があったのだと思います。それができなかったことがその後の異様な会見合戦を招き、それが結果としてくだらないマスコミのいい飯のタネにされてしまっているのではないでしょうか。

今からでも遅くありません。理研上層部と理研の論文執筆関係者を集めて、しっかりと事実関係、言い分、解釈のすり合わせをするべきであると文系の私は思いますが、理系の世界では通用しない常識なのでしょうか。

今の流れは本当に気持ち悪いです。日本を代表する科学研究機関である理研が、世界に向けて組織としての無能さを晒している、そのことが本当に不快でなりません。理研が今やるべきは、同社副センター長笹井さんの会見を見守ることではないことだけは確かであると思います。

理研、小保方泥仕合にみる独法組織管理のお粗末

2014-04-11 | 経営
小保方さんの会見を受けていろいろな方々がそれぞれの専門的な立場から、様々な意見を述べられています。私は科学者ではありませんので私の専門領域でしかお話ができませんが、今回もその観点から感じたことを書き留めておきます。

この一件、前回も書きましたが個人的にはとにかく違和感アリアリで、今回の小保方さんの会見についてもまず何より、「なぜ、この人はこういう形で会見をしているのだろうか」という点からして違和感を感じざるを得ないのです。私の専門領域とはすなわち、組織論的なモノの見方です。そこで思うのはまず大前提として、理研は独立行政法人の研究機関であろうとも会社組織であるということ。小保方さんは、その理研という会社組織の社員である、という点を認識しなおす必要がありそうです。

独立行政法人は、組織マネジメントの手法を企業化することで、行政が担っていた分野を民間的に効率重視の運営に変えていくという趣旨でおこなわれた橋本行革の目玉のひとつでありました。理研はこの時代に政府とイコールだった特殊法人から、組織としての目標を掲げ成果を求められる団体に移行したわけです。言ってみれば、必ずしもおカネ儲けが目的ではなくとも「営利団体」になり、公的な色合いは残しつつも企業体としての組織運営に移行されたわけなのです。すなわち、政府の関わり方に関係なく組織マネジメントの観点からは、一般民間企業と変わることのない団体になり、その団体に属する者は組織管理上は一般企業における社員と同等の権利と義務を有する個人であると言うことができるのです。

以上を前提に考えた場合、一般企業で一社員が企業の広報管轄下とは別にマスメディア向けの会見を開くということの違和感は禁じえないと思います。組織管理の常識で考えるなら、組織の考え方に反する主義主張を公におこなうことは利益相反行為であり、在職の立場でこれをおこなうことはどう考えても常識にかなわないと思われるからです。もちろん、懲戒解雇にでもなり「不当解雇」を訴えるタイミングでの会見なら納得ですし、在職のままでも今回の件を「理研による名誉毀損行為であるとして訴えることにしました」という趣旨で会見をおこなったのならそれも納得なのですが、今回はそのどちらでもありません。

小保方さんサイドにも会見開催の理由はあろうと思います。会見席上でも「自分の言い分を十分に聞いてもらえていない」と言った内容の発言もありました。ただそれならそれで、外に対して言う前に、まずは組織内で自分の言い分を聞いてもらうべき機会をつくる働きかけをもっともっとするべきなのではないでしょうか。もちろん、十分な事情聴取機会を設けずに組織としての対小保方さん見解を公表した理研側に最大の責任はあるわけですが。つまり今の状況は、どっちもどっちの管理不在、被管理意識不在の泥仕合であると思えるのです。

ここ1ヶ月の理研および小保方さんの会見は、理研の組織内コミュニケーションが最悪であり組織運営上大きな問題を抱えていること、その組織の構成員もまた組織内コミュニケーションのとり方の常識を理解していない組織人としての最低限のルールすら教育されていないということ、を世間に知らしめただけに過ぎません。一連の騒ぎは、ガタガタの組織運営に端を発した痴話喧嘩を世間に公にすることになったという理研の大失態以外の何モノでもないと、私の知見からは結論づけるところであります。

では今社員小保方さんを含めた理研はどうするべきのか。
①理研はSTAP細胞の存在有無について引き続き調査をすすめ、有益な情報が出てきた都度公表する。
②小保方さんの行為に関する問題については、双方のこれまでの発表見解を一旦取り下げ、組織内において本人からのヒアリングも含めて十分な検証をおこなう。
③②を踏まえた今後の本件に関する対外公表については理研広報に一本化し、小保方さんが理研組織内にいる限りにおいて、公表に際しては小保方さん本人の意向も踏まえて同席会見を検討する。
の3点を現段階で明示し公表し、組織としての検証姿勢の徹底と情報管理の立て直しを早急にはかるべきであると考えます。

今の状況は私からすると、プロレスに例えるならルール無視の場外乱闘を延々見せられてるのに過ぎないと思うのです。理研という組織がここまでお粗末な組織管理状況にあるということは、他の独立行政法人も推してしるべしであり、独立行政法の組織管理実態について、この機会に一斉検証をはかられた方がよろしいのではないかとすら思う次第です。

「引き算」が得意な社長は大成する!~拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました。

2014-04-09 | 経営
J-CASTさん、拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました。よく外でもお話しする「経営者に求められる四則演算」の話です。得意の足し算、掛け算で会社を成長させてきた社長も、往々にして人材教育や後継育成が下手だったりします。実は、足し算、掛け算以上に重要なのがマネジメントにおける引き算。私の持論は、「引き算が得意な社長は大成する!」です。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/04/09201550.html

前時代的「医療現場=医薬企業癒着」解消を急ぐべきと思う件

2014-04-05 | 経営
東京大病院など22施設が行った白血病治療薬の臨床研究に販売元のノバルティスファーマ社員が関与していた問題で、社外調査委員会の報告書により社員が患者の重い副作用の情報を知りながら国に報告しなかったり、事務局機能を代行していたりしたことが判明。関係書類を廃棄する隠蔽工作が行われていたことも明らかになりました。

当事者であるノバルティスファーマはスイス本社からエプスタイン社長が来日して謝罪会見し、日本法人のトップ3名を外国人経営陣に入れ替えをすることで組織風土を刷新することを明らかにしました。これを受けて田村憲久厚生労働相は、薬事法に基づいて業務改善命令等同社の処分を検討する考えを表していますが、私は問題の核心はむしろそこではないように感じています。

私は医療業界の専門家ではありませんが、知り合いの医師から漏れ聞く現場の話も含めて勘案するに、この問題の根源はノバルティス社の組織内だけにあるのではなく、組織外、いわゆる業界に起因する根深い問題に係る部分がより大きいのではないのかと思うのです。すなわち、医療現場における前時代的ヒエラルキーと、医師と業者の間にある絶対的な主従関係がそれです。これは医師の世界だけではないのですが、「先生」と呼ばれる人たちを必要以上に崇め、彼らに不要に高いプライドを植え付けてきた日本的風潮の弊害がその背景にあると思っています。

それによって生まれる「接待漬け」「アゴアシ付」が今だに当たり前におこなわれ、医療現場を覆う「ごっつあん体質」が業者丸抱えの臨床実験を当たり前にし、業者と医療現場との癒着関係による今回のような便宜横行のコンプライアンス違反を生んでいるのではないかと思うのです。まず正すべきは医師の襟元であり、日本的「先生」意識の払しょくこそが大切なのではないのでしょうか。そのために今監督官庁がすべきことは、個別企業の粛清指導よりもむしろ、医療機関と医薬関連企業の関係の厳正化であるように思えています。

この問題の構造は、15年ほど前に世間をに騒がせた官僚接待問題に酷似しているように思います。旧大蔵省官僚接待疑惑を事の発端とした騒ぎは、官民接待が民間と行政の不純な癒着を生みだしているものとして、国民の利益を最優先で考える立場から利害関係者間の贈答・接待を全面的に法で禁止するに至りました。官僚改革の第一歩とも言える意識改革への着手であり、私はこの改革は元金融機関の一員として大蔵省担当をした立場からも、あるべき官僚の民間との接し方の確立に向けて大きな効果があったと思っています。

医療機関の多くは民間であり、医薬関連企業との民間同士の関係を法で縛ることは市場原理に行政が介入することにもなりかねず、慎重な姿勢が求められるのは間違いありません。しなしながら、医療機関が民間とは言え国民の生命、健康を預る立場である以上は、一般的な民間企業とは異なる基準での自制および管理・監督が必要なのではないでしょうか。

謝罪会見に臨んだノバルティス社のエプスタイン会長は、「日本は製薬会社と医療・研究機関が密接に協力し合う、世界的にも異質な社会である。これにより他国と比べて医師を優先する傾向を、患者優先の方向に変える必要がある」と述べたそうです。この発言こそ本来は厚生労働大臣の口から出されるべきものであり、政府厚労省は今回の問題を一企業の不祥事として捉えて終わるのではなく、日本の医療業界に根付いている諸悪の根源的悪しき風習の刷新に向けて、大きく舵を切るべき絶好のタイミングとして捉えるべきなのではないかと思う次第です。

理研は広報戦略の立て直しこそ急務であると感じる件

2014-04-02 | ニュース雑感
STAP細胞に関する昨日の記者会見。やはりどうしてもシックリこないのです。前回拙ブログでもお話したように、問題の「幹」はSTAP細胞の有無であり、改ざんや捏造の話はいかにそれが責を負うべきものであっても「枝葉」に過ぎません。「幹」であるSTAP細胞存在の有無がこれから約1年を経なければ分からないという段階での昨日のようなトーンでも会見は、大きな違和感を禁じえないのです。
■STAP細胞騒動は、ヘタクソな会議運営を見る思いである件
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/5345b60bacfb336112926c6f60d33e2c

昨日の会見のトーンは、小保方さん叱責一色といっていいでしょう。前回の会見時に「未熟な研究者」と言い放ったトーンそのままに論文の「改ざん」「捏造」を殊更に糾弾するというものでしたが、私はすべてこれらの扱いを理研は「STAP細胞は存在しない」という立場に立って言っているものであると受け止めました。

もし仮に昨日の段階で「STAP細胞は存在する」という結論があった場合、理研は果たして同じトーンの会見をしたでしょうか。恐らく、いや確実にこのような会見はしなかったハズです。「STAP細胞は存在する」ということが証明されたなら、それ自体が大変な出来事であり、発表過程における写真の扱いに関する問題は仮に責めを負うべきものであるとしてもこんなに大きな存在にはなり得ないからです。

「小保方さんに悪意があったのか否か」ということも昨日の会見では論点にされていましたが、理研側は「悪質性を認定するのは難しい」「我々の立場では答えられない」と言いながら、「改ざん」はともかくとしても理研が使っている「捏造」という言葉は確実に「悪意」を含んだ行為を指し示しています。すなわち、理研は小保方さんの「悪意」を現段階ですでに認定しているのであり、それは「STAP細胞は存在しない」という立場をとればこそ、「悪意」認定を可能たらしめていると言えるのです。

お断りしておきますが、私は小保方さんを擁護しているわけではありません。物事はフェアに判断されるべきであるとの立場から申し上げています。その立場から申し上げて、現状で出されている「枝葉」の議論はどれも「幹」であるべき「STAP細胞の存在」を否定する状況証拠に過ぎず、「STAP細胞存在の有無」が科学的に検証されない限りにおいて、論文が「捏造」であるか否かは本人以外には知る由なしだと思うのです。

理研は論理性を旨とする科学者先生の集まりでありながら、つくづく広報戦略が分かっていない組織であると思います。昨日の段階で「捏造」という言葉を使ってまで小保方さんを糾弾するのであれば、その論拠となるべき「STAP細胞存在の有無」に関して、例え状況証拠に過ぎないものであってもそれらを体系建てて明示し「STAP細胞は存在しないと考える」という立場を明確にした上で、状況証拠が教える論拠の正当性を説明しなくていけません。それがないから、昨日の会見は「小保方さんに全ての罪をなすりつけたトカゲのシッポ切り」という批判を免れ得ず、理研の組織イメージは著しく傷つくことになるのです。

理研の広報に関して言えば、当初のSTAP細胞発表時にも誰もが違和感を感じた、必要以上に強調された割烹着やら実験室のムーミンに対する報道は、単にマスメディアの偏った報道姿勢ばかりに責任があるのではなく、マスコミ発表をよりセンセーショナルなものにしようとする理研サイドの行き過ぎた広報戦略にこそ大きな責任があったと感じています。そして今回の、先を急ぎ論拠を隠したままの責任回避と受け取られかねない会見姿勢。昨日の会見一問一答を見るに、理研は論文のチェック機能向上とともに広報姿勢の立て直しが急務なのではないかと感じた次第です。