日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「くま辛~食べ歩きガイド&マップ」絶賛配布中!

2012-06-29 | ビジネス
熊谷「食」の街おこし「くま辛」の「食べ歩きガイド&マップ(写真)」が市内各所で配布され始めています。

本冊子には、「くま辛」の説明、市長へのQ&Aと参加店の基本情報と地図が掲載されています。「メニューは出ていないの?」というご質問をよく受けるのですが、「くま辛」はメニューが参加店の都合で頻繁に変更になる可能性があるため、常に最新の情報を掲載続けることが難しいのでやむを得ずこの形をとらせていただきました。ですので、メニューが気になる皆さま、恐れ入りますがパンフレット記載の電話番号で直接お店にお問い合わせください。準備が整いましたら、WEBで最新メニュー一覧を掲載できるよう頑張ります!その辺につきましてはどうかご理解のほどよろしくお願いいたします。

現在の配布スポットですが、参加店に加えて市役所および熊谷駅前観光案内所はじめ熊谷市の関係施設で絶賛配布中です。お分かりにならない場合は、写真のパンフと同じデザインののぼりが立っているお店が目印です。「くま辛パンフください!」とお気軽にお声かけください。熊谷駅周辺を歩いていますと、かなりのぼり旗が目立ってきました。私も続々参加店のメニューをいただいてみておりますが、どれもこれも実に個性的に仕上がっておりまして、素晴らしきことこの上なしです。ぜひこのパンフレットを入手して「くま辛」食べ歩きを実践してみてください。
(青山カレー工房のHPトップページ中ほど右手の「くま辛」ポスターバナーから、パンフレットのPDF画面に入れます。URLは下をご参照ください)

メディアでの「くま辛」取り上げも続々です。NHKさんはすでにラジオ第一とFM放送でお取り上げいただき、来週はいよいよテレビ取材が予定されています。放映は12日(木)午前11台の「こんにちは、いっと6けん」の予定です。本日はFM局NACK5さんがご来店され、パーソナリティの三遊亭鬼丸さんが直接取材してくれました。放送予定は14日午後2時台とか。詳しく分り次第お知らせいたします。今後もテレビ、ラジオでいろいろな「くま辛」参加のお店が紹介されると思いますので、お楽しみに。

さて青山カレー工房ですが、「くま辛」メニュー「熊谷大和芋カレー(720円)」大好評です。「クセになる味と触感!」と皆さん大変気に入っていただき嬉しいかぎりです。しかし本日は夕方時点で売切れ。その後来店された方、ごめんなさい。たくさんご用意しているのですが、お持ち帰りニーズも多く、日によっては早めに売り切れてしまうこともありますので、お早めにご来店いただければ幸いです。来週からは食べ歩き用のミニサイズ(450円)もご用意いたします。皆さまのご来店お待ち申し上げます。

◆メディア取材のお申し込みは、熊谷倶楽部くま辛実行委員会広報窓口 �048-580-7440(スタジオ02)または048-598-8091(青山カレー工房)へお願いいたします。

◆くま辛については、
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/18cef0712baa171ac98e9ae382ba8be0
ご参照願います。

◆青山カレー工房HPは、(「くま辛」パンフレットはこちらからどうぞ)
http://www.studio-02.net/aoyamacurry/
です。

◆今週取材に来てくれたNHKのレポーター山崎さんが支局のブログで「くま辛」を紹介してくれました。
http://www.nhk.or.jp/saitama/ana-blog/120628_02.html

ソニーは終わってしまうのか?平井新体制に欠けているもの

2012-06-28 | 経営
ソニーの株主総会が27日開かれました。就任時に若い力に期待したいと当ブログでエールを送った平井CEOの対株主初お目見えでもありましたが、その船出はとても合格点は与えられない非常に物足りないと言わざるを得ないものでした。

何よりもまず不満なのは、4000億円もの史上最高損失を計上した企業のトップとして、あまりにも危機感に欠ける言動に終始していた点であります。当社にとって一番の課題であるエレクトロニクス部門の立て直し策について、株主説明および株主質問に対する回答は、通り一遍の「得意分野であるデジタルイメージング、信号処理技術、レンズなどの開発を強化し、商品力の強化と差別化を図ってまいります」という、好調時と何ら変わらぬトーンでの説明に終始。最大の赤字源であるテレビ事業の再建についても“モグラ叩き的”施策の説明ではなく、もっともっと再建に対する根本的な姿勢の説明があってしかるべきではないのかと感じました。

すなわちこの初の株主総会は平井丸の船出式でもあるわけで、当然業績V字回復に向けた“平井ビジョン”が自らの口から聞けるものと思っていただけに落胆を禁じえないといったころです。これまでのストリンガー路線と基本的に何が違うのか、それすらも何ら伝わらない、同社が出井時代に身に付けた悪癖であるブランド志向にいまだにすがりつくかのような「ワン・ソニー」などといういらぬ形ばかりのコピーワークだけがむなしく響く、中身の薄い見通し説明でありました。

思い起こせばソニーの“終わりの始まり”は、出井時代のブランド構築偏重による技術開発力の軽視にありました。出井氏はスタイルやイメージにこだわることと折からのITバブルにも乗り自社のブランド価値を高め、背伸びをして世界有数のブランド企業に押し上げたものの、経営者として技術面を疎かにしたことでブランド力に技術力が見合わないという不均衡が生まれ、ブランド力は急降下を余儀なくされます。後を受けた”ストリンガー氏もまたハリウッド出身の“技術音痴”であり、ソニーを本業部門において見るも無残な状況にまで陥れ、“終わりの半ば”を見事に演出してしまった訳なのです。

ストリンガー氏に関して言えば、総会で株主からも指摘を受けていましたが、業績の説明において自身の指揮の至らなさを詫びるのではなく、真っ先に「東日本大震災やタイの洪水」など経営環境を収益悪化の最大要因として掲げるという、経営者として自己の責任を省みずに言い訳に終始する最も恥ずべき弁明を、退任のあいさつとして申し述べると言う失態をも演じてもくれました。これまさしくソニーが危機感欠如のまま“終わりの半ば”から“終わりの終わり”への橋渡しがなされようとしている絵を見る思いでした。

このような経営の危機的バトンリレーの中、約2時間平井氏の数々の発言を聞き私が感じたのは、顧客目線は一体どこにあるのかという疑問符であり、ソニーがブランドと言うプライドを捨てて利用者のところにまで下りてこようとする姿勢の欠如でありました。平井氏は「海外拠点を回って、世界中のソニーのスタッフに語りかけ意識の共有をはかり、グループ一丸となるワンソニーの考え方を浸透させている」と内向きの活動に意気込んでいましたが、むしろ今彼がすべきことはその逆、トップとして先頭に立って世界中の利用者目線を知りそれを肌で感じる努力ではないのでしょうか。それこそが出井時代以降、ブランド力と言う幻想に惑わされプライドの上に胡坐をかいた結果失った大切なものだと思うのです。

ソニーの技術力がいかに高度なものであろうとも、それが顧客から求められないものであるのなら、いや競争相手との比較の中で顧客目線で見たときに劣後するものであるのなら、勝ち目はないのです。近年のソニーの連戦連敗はまさしくそこに原因があったのではないでしょうか。平井氏の口からは、「ワンソニー」「スタッフ一同」「あらゆるグループ事業」等々内向きの言葉ばかりが強調され、ついぞ「利用者」「消費者」という言葉が重要な文脈で使われることはありませんでした。ブランド意識の高揚が生んだ「プロダクトアウト」的精神が組織風土の根底に張り付いているのでしょう。もう一度基本に立ち返えるなら、トランジスタラジオもウォークマンも、ソニーが利用者目線でそのニーズを先回りした「マーケットイン」型の開発あればこそ成し得たものであったはずなのです。

彼が口にした「必ずや感動を与える商品をつくる」との意気込みは立派ですが、顧客目線なくして利用者の「感動」はあり得ません。平井CEOは一日も早くその事に気づき、自ら先頭に立って生きた利用者情報の収集(決まりきった特定先訪問などとは全くの別モノ)に徹底的に取り組むべきであると考えます。企業の大小に関係なく、ビジネスの基本として「悩んめる時の答えは顧客の中にあり」なのです。このままソニーブランドのプライドに胡坐をかいて顧客目線を忘れたまま組織の指揮を執るのなら、平井新体制の行く末にソニー“終わりの終わり”は意外に早い段階でやってくるのではないか思うのです。出井時代に幻想の深い眠りにつかされたソニーは、このまま永遠の眠りについてしまうのでしょうか。

東電勝俣会長退任インタビューの不遜

2012-06-26 | 経営
本日の日経新聞朝刊に、東京電力勝俣会長の退任を前にしたインタビューが掲載されています。東京電力の問題では何か書くたびに「言っても無駄」と、コメントをいただくことも多々あるのですが、無駄を知りつつも一応言っておくべきとは思いますので書くことにしました。

この時期に勝俣氏が新聞社のインタビューに応じると言うは何か思惑があってのこと。もちろん普通に考えれば、会長辞任を目前に控え今一度公式な形で福島第一原発被災者の皆さんはじめ世間の人々に謝罪の弁を申し述べてきたい、そのような意図でのメディア登場であると受けるのが正しかろうと思い読み進めた次第です。しかしながら、いきなりその受け止めは、力一杯打ち砕かれることになります。

日経新聞インタビュー要旨冒頭にある質問「東電の実質国有化」の項の回答を、以下に転記します。

「一言で言えばやむを得なかった。(原子力損害賠償法の免責条項である)3条ただし書きという選択肢もあった。免責を主張して勝つ可能性も弁護士らに指摘されたが、難しそうだと感じた。被災者の皆さんから損害賠償請求の提訴を受けた際に『免責だ』といって何年も裁判できるのか。社会的に激しく糾弾される。銀行借り入れも難しくなる。こうした原賠法の欠陥を認識していなかったのは、反省材料のひとつかもしれない」

勝俣会長が言っている「3条ただし書き」とは、原子力損害賠償法3条1項にある「異常に巨大な災害で原発事故が発生した場合は電力会社の賠償責任が免除される」旨の規定のことを指しているようです。すなわち、氏の言いたいことは、「本来東電は今回の件では、免責されると読み込める法的根拠もあったのだ」ということのようです。そして、でありながらその主張をしなかった理由は、「社会的に糾弾される」「銀行からの借り入れが難しくなる」といった、組織防衛上の理由をあげているのです。日経新聞はこの部分のやり取りを「賠償を優先したことを強調」と書いていますが、私にはどう読み込んでも被災者保護の心情は全く感じられず「組織防衛を優先したことを吐露」としか読み取りようがありません。

もちろん経営者として、有事における行動の判断基準として組織防衛の優先順位を高めて、あるべき手立て考えることは誤った方向ではないと思います。しかし、自社が引き起こした事故により被害者や被災者が出ているのであるのなら、その被害者・被災者の保護は最優先されるべきであり、自己防衛をそれに優先させることはできないはハズなのです。仮に被害者・被災者の保護を最優先することによって、組織崩壊のリスクを負うことになろうともそれはやむを得ないこと。ましてや、公共的色合いの濃い企業体の長であり、また人命がかかわる事態であるのならなおさら、被災者保護は最優先されるべき判断材料であるでしょう。

しかしながら会長の弁では、「被災者保護ではなく組織防衛上の判断から、3条規定の主張を断念した」と読み取れます。私は勝俣会長のこの言い分を聞く限りにおいて、氏が今回のインタビューで述べている被災者に対するお詫びの言葉も非常に空虚なものに聞こえてしまいます。氏は27日の会長職辞任を前に、被災者はじめ迷惑をかけた世間の人々に改めて謝罪をしたかったのではなく、「本来は自分たちも被害者であるのだ」「本当は免責されるべき事態でありながら、法の規定の甘さを容認していたがためのミスであったのだ」「法の未整備による混乱を避けるために国有化を甘んじて受け入れたのだ」等々の、これまで言いたくとも言えなかったことを、最後に会長として言いたいがためにメディアの取材をこのタイミングで受けたと思われるのです。

日経新聞には、勝俣会長を評して「カミソリ」と言われた論客であったとありますが、経営者としてはその姿勢において最後まで最低であったなと思います。この期に及んで、自分たちは免責されるべきであったという主張ともとれる一言、被災者救済よりも組織防衛を優先しての苦渋の決断であったという心情の吐露、法的規定の詰めの甘さの放任に関する自己批判形式での不満の表明等々、どのひとつをとっても被災者が耳にしたときにむしろその神経を逆なでするのではないかと思えるような発言の数々は、「カミソリ」であるが故の上から目線は如何ともしがたく、勝俣氏が東京電力の悪しき風土を作ってきた張本人であるということを明らかにする以外の何ものでもないと思います。

東電のあるべき再生がしっかりと進むか否かは、この古き悪しきトップの発言を耳にして、東電組織内部から「恥ずかしい」という一言が誰ともなく発せられるかどうかにかかっているように思います。

今再び硫黄島の平和利用を強く望む

2012-06-25 | その他あれこれ
先週の土曜日に、高校の同級生で写真家の田中正文氏の個展「女子学徒たちのウムイ」に足を運び、氏と三十数年ぶりの再会を果たしました。氏は大戦で海に沈んだ戦艦や戦闘機などを自ら潜水して撮影する「鎮魂の写真家」といて知られる写真家です。今回の「女子学徒たちのウムイ」は、今や80歳を越す高齢になった沖縄戦で駆り出された女子学徒の方々から語られる戦争の真実を語り継ぐことの重要さを、ファインダーを通して撮った彼女たちの姿と氏のキャプションによって訴えかけるという、とても意義深い個展でありました。

私が足を運んだ理由も、長年ぶりに旧友に会いたいと言う想いと共に、まさしく“勝者なき戦争”の愚かさを語り継ぐことに力を注ぐ友と手を携えて志を共有したいと思えばこそでもありました。くしくも土曜日は沖縄慰霊の日。すなわち、第二次大戦において日本国土である沖縄がアメリカ軍の上陸攻撃によって多くの犠牲者を出し占領を余儀なくされた、決して忘れてはならない日であります。前日に田中氏の個展の話を友人から聞き、偶然にもちょうどこの日に足を運ぶことになり氏と再会して話ができたことは、なんとも不思議な縁を感じさせられもしたものです。

私はこれまで仕事の中で、クライアント先の企業のトップヒアリングの際に、起業のきっかけや経営理念形成に直結するような経営者(主には先代経営者)自身の戦争体験談をうかがう機会が多数ありました。亡き戦友たちの無念の思いをしょって起業された経営者や、戦場で尊い命を見殺しにしてきた後ろめたさへの償いの想いで日々社会貢献に取り組む経営者など、それらは決まって重苦しい話でした。生々しくもおぞましい戦場の真実を聞くにつけ、微力ながらもこの聞いた話を決して無駄にしてはならない、「戦争に勝者なし」を訴え広く世界の人々に呼び掛けることを機会あるごとにしていきたい、そんな思いから当ブログでも毎年終戦記念日と相前後する時期を選んでこのテーマを取り上げているのです。

私が聞いた体験談の中でも特に忘れ難いのが、硫黄島の悲劇。一人またひとり戦友が息絶えていく中、負傷を負い食料もなく何週間にも及んだ洞窟内での地獄のような日々の体験談を私は決して忘れません。そしてこの島がいまだに自衛隊の基地として占拠され、遺骨の収集作業はおろか地雷の撤去作業すら進んでいないという事実に、日本政府に対して強い怒りを感じてもいます。なぜこんな愚行が、終戦後70年近くが経とうとしている今も許されているのかです。それは、もともと住民の絶対数が少なく異を唱える声が世論を形成しにくいという環境を巧みに利用し、一切の民間人の許可なき上陸を禁止した自衛隊の基地利用を貫き通しているからなのです。

硫黄島は近年クリント・イーストウッド指揮の下、日米双方の立場からまったく異なる2本の映画が作られたように、日米両国の兵士が共に多くの犠牲者を出しながら死力を尽くして戦ったという、まさに「戦争に勝者なし」を象徴する場所でもあるのです。そんな人類史に残る愚行を語り継いでいく必要性を感じればこそ、今の硫黄島の利用法は間違っている、一刻も早く自衛隊は撤退し国をあげて平和モニュメント化をすすめ、戦争の愚かさを世界に向けて訴えるべきであると思うのです。

先日の田中氏との語らいを通じ、彼が自己のミッションに突き動かされ行動する姿を眼前にして、私もまた同種のミッションを感じる同志として(同志などというとやけに思想的な匂いがてしまいますが)、戦争の悲劇を繰り返させないためにその愚かさを語り継いでいくための力になっていきたいと、改めて心に強く誓った次第です。

※「女子学徒たちのウムイ」は、東京国際フォーラム内相田みつを美術館で7月1日まで開催されています(入場無料)。

原辰徳監督に学ぶ危機管理の“やってはいけない”

2012-06-21 | 経営
また週刊文春のスキャンダル報道。プロ野球読売巨人軍の原辰徳監督が、過去の女性問題で脅され暴力団関係者に1億円を支払ったと(スポニチ・アネックスに詳細:http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/21/kiji/K20120621003509320.html)。当ブログでは本件を、企業経営者が外部の人間から脅しを受けた場合を想定してのケーススタディ素材として取り上げます。

なにより一番大きな誤った行動は、脅されて金品の要求に応じている点です。読売巨人軍は、文春の報道に対して「原監督の支払いは認めたが、反社会的勢力との認識はなかったと説明(スポニチ・アネックス)」したそうですが、一般的に反社会的勢力とは暴力団とその関係者のみを指していうものではありません。暴力団に加えて「暴力団に準ずる者のほか、暴力的または不当な要求行為等により市民社会の秩序や安全に脅威を及ぼす団体または個人等」というのが、その正しい定義であるのです。

すなわち、原監督が過去の女性問題をネタに特定の者から脅され現金を要求された時点で、その相手は完全に「反社会的勢力」にあたるわけです。それに対していとも簡単に、現金を渡してしまうなどというのはバカ丸出しですし、「反社会的勢力」への資金供与という明らかなコンプライアンス違反行為であるわけです。加えて原監督の昨日の現金を支払った理由として、「不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し」というコメント自体も、弁護士に作文してもらった苦しい言い訳にしてもおよそ常識外なわけです。

さらにこれに対して昨日、原監督の進退への影響を問われた白石オーナーは「これによって彼の監督としての職責が問われることは、今のところ考えておりません」と話したいうのだから、呆れてしまいます。実際に更迭するか否かは別の問題としても、少なくとも「反社会低勢力」への資金供与が明確である時点で、「更迭なし」を断言するオーナーも悲しいほど非常識なレベルにあると言わざるを得ないでしょう。これまたバカ丸出しです。

これがコンプライアンスと言う言葉が存在しなかった大昔の問題であるのならいざしらず、恐喝事件の発生が06年、球団への恐喝で事件が球団の知るところとなったのが09年だそうですから、本人も球団も時代錯誤な本当にアホみたいな対応をしてきたわけです。「反社会的勢力」からの不当要求を“助け舟”と思ってカネを渡す非常識、それを人の上に立つ監督がおこなうという重大なコンプライアンス違反行為を不問に付すと即時判断する経営の非常識、巨人軍の非常識は今に始まったことではないのかもしれませんが、呆れてモノが言えないレベルにあるようです。

では、原監督はどうするべきだったのか。金品の不当要求を第三者から受けた段階で、それは恐喝罪と言うれっきとした犯罪であり、即刻警察に連絡をし対応を仰いで犯人を逮捕⇒検挙すべき問題であったわけです。企業もいつ何時、特に周囲から調子がよく見えたりすると、このような恐喝を受けないとも限りません。確かに、恐喝相手が握っている情報が経営者個人や会社にとって「汚点」となるようなものであるのかもしれませんが、とにかく困ったら隠さないこと、「正直が一番強い」ということを常に肝に銘じて正しい行動をとって欲しいと思うところです。一度要求に応じれば、味をしめて恐喝を繰り返すのが「反社会的勢力」の特徴でもあります。絶対に不当要求には応じない、勇気を持つことが大切です。

やや余談に流れますが、昨日原監督は「ファンの皆様へ」というコメントと同時に、「清武さんへ」と言う前球団代表あてのメッセージも公表し、その中で何ら根拠を示すことなく情報漏えいは清武氏が犯人であるかのような言い分を展開しました。その真偽はともかく、かつこれが原監督本人の意思によるものであるか否かも定かではありませんが、最初にも申し上げたように悪いのは「不当要求に誤った判断でカネを渡した原氏自身」であり、そこを詫びながらも情報の漏えいがどうとか責任転嫁をして、問題をすり替えようとするなんぞは卑劣の極みです。企業が不祥事発覚時に、情報を持ち出しし通報した元社員の責任追及を公に糾弾するようなもので、世間からは逆に非難の嵐となること確実です。

いずれにしましても原監督、過去の行動選択の過ちに加えて今回もまた余計なひと言を繰り出したことで、“男下げまくり”だけは確実な情勢です。企業が“男下げまくり”になったら破たんは確実です。「迅速な対応」「正直が一番強い」「人のせいにしない」は、不祥事発生時の企業対応の大原則であることを、この機会に他山の石として再認識しておきたいところです(家庭内における問題発生でも基本は同じです)。

「くま辛」スタート&青山カレー工房1周年⇒「熊谷大和芋カレー」新発売!

2012-06-20 | ビジネス
本日6月20日をもちまして青山カレー工房はめでたく1周年を迎えることができました。これもひとえにご利用の皆さまをはじめとした、多くの方々のご支援のおかげと厚く御礼申しあげます。

ところで、「あつい」と言えば日本一暑い街熊谷のHOTな「食」の街おこし「くま辛」が17日に正式スタートを切りました。遅ればせながらの報告です。

「くま辛」は、「①辛いメニュー+②地場産野菜+③土鍋で提供」を参加条件として、日本一暑い街熊谷の飲食店が腕によりをかけてお客様を歓待しようというプロジェクトです。各店のメニューがどのようなものであるのか、わたくし個人も現時点ではまだ十分存じ上げてはいないのですが、とりあえず参加店目印ののぼり旗も街中に目立つようになり、いよいよ夏本番を前にいよいよ盛り上がってきたといった感じではあります。

青山カレー工房のくま辛メニューは、「熊谷大和芋カレー」です。辛口のカレーを、出汁でといた熊谷市名産である地場産の大和芋のすりおろしと一緒に食す、おいしさ新発見の独自メニューです。大和芋とカレーが見事に調和して、まろやかな辛さを演出しています。ブレイクの予感あふれる自信の逸品です。720円。お持ち帰りもOKです。

「くま辛」は現在63か店が参加。参加店マップ付のパンフレットは、熊谷駅前観光案内センター、熊谷市役所、参加各店等市内各所で入手可能です。参加店の目印は赤と黄色のハデハデな「くま辛」のぼり旗。ぜひ日本一暑い街熊谷で「くま辛」グルメ巡りを楽しんでください。

★青山カレー工房★
熊谷市銀座2-10-2 ℡048-598-8091
ホームページ
http://www.studio-02.net/aoyamacurry/

週刊誌・政治家・テレビ、“やってはいけない”三つ巴の居心地悪さ

2012-06-20 | その他あれこれ
先週政治家小沢一郎氏の週刊文春記事に端を発したスキャンダルは、そのスキャンダルそのものは当然のことその後もおかしな展開に推移し、あらゆる部分に納得のしどころがない稀に見る居心地の悪さを我々に提供しているように感じています。

まずはその発端である文春の反小沢ネガティブキャンペーン、今更ですが卑劣の極みであると思います(文春WEBページは、http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442)。野田政権が、増税に向けて自民、公明と三党合意に一気に走り出した段階で計ったように世に出たスキャンダル。誰が見ても、小沢失脚と三党合意路線進行を狙ったものであることは明らかで、しかもネタがおよそお下劣な「下半身スキャンダル」ですから、ちょうど小説「運命の人」のモデルとなった昭和47年に起きた西山事件を思わせる、今の時代としてはあまりに古臭いしかも卑劣なやり方であり、小沢氏の肩をもつ訳ではありませんが本当に気分が悪いものでありました。

週刊文春はご存じ“名門”文芸春秋社の週刊誌ですが、先の山崎豊子著の西山事件をモデルにした「運命の人」も同社の看板月刊誌「文芸春秋」に連載され世に出された作品であり、まさしく“運命”を感じるところではあります。西山事件は、沖縄返還協定での佐藤内閣と米国間での密約の存在を暴いた毎日新聞西山太吉記者が、機密情報入手に関する国家公務員法違反で起訴され、当初世論は“国民の知る権利”を主張する西山氏寄りであったものが、情報入手元である女性事務韓とのセックス・スキャンダルが週刊新潮に暴かれたことにより一転、世論の集中砲火を浴びて“極悪人”に仕立て上げられたという事件。要するに昭和の古来より日本では、世論を動かすには女性蔑視を感じさせるセックス・スキャンダルをばらまくいことで世の女性陣を味方につけるという手法が効果的であると、されてきた訳です。まぁ実に古臭いやり口。

週刊文春の小沢夫人の夫の支持者に宛て手紙の内容を掲載するなんぞも、女性事務官の手記を週刊誌が掲載した西山事件とイメージがダブります。西山事件のセックス・スキャンダルにまだ救いがあるのは、スキャンダルと焦点の情報漏えいが直接かかわっていた点。しかし今回の小沢氏の件は、別に何の事件にも絡んでいるお話ではなく、余りに唐突にこのタイミングで政治家とはいえ一個人のプライバシーを暴いてイメージダウンをはかろうなどというもので、やり口の卑劣さも含め出版メディアが政局運営に加担した出すぎた“やってはいけない”であります。週刊文春ならびに文芸春秋社は、出版メディアとして大いに責めを負うべきであると考えます。

次に、気になるのは毎日新聞18日朝刊紙面掲載の山田記者のこの一件を扱った記事(http://mainichi.jp/opinion/news/20120618ddm002070050000c.html 毎日新聞は、先の西山事件における西山記者の所属新聞社。またまた“運命”を感じます)。「文春編集部は、発売寸前、東京のほぼすべての民放テレビの取材に応じていた。ところが、オンエアされない。調べてみると、小沢系の国会議員からプレッシャーがかかったらしいことが分かった。「取り上げるなら、もうオタクの番組には出ませんよ」と」。これが事実なら、これまたゆゆしき“やってはいけない”です。ここで責めを負うべきは小沢一郎氏。仮に文春のスキャンダルが事実でないのなら、正々堂々と出るところに出て言えばいい。何か言えない事情があるのならダンマリを通すこともいけないとは言いません。しかし小沢系の国会議員がプレッシャーをかけたと書かれたなら、直接小沢氏が関与していなかったとしても、当事者としてまた派閥の長として真偽のほども含め明確に弁明するべきであろうと思います。もちろん、小沢氏または秘書が配下の議員に言わせたのだとしたら言語道断。それこそ“やってはいけない”の極みでありますが。

さらにさらに、確かに今回のテレビの対応のおかしさは言わずもがなでしょう。テレビで週刊誌発の“下半身ネタ”をそのままとりあげることが望ましいとは申しませんが、少なくともテレビ番組が連日好んで取り上げている増税議論の行方に大きく影響を与えかねないスキャンダルであり、文春の報道姿勢の是非を含めてしっかりとフォローすべき問題ではあるはずです。それが一切ダンマリとは。小沢氏ルートからのプレッシャーであるか否かはともかく、何がしかの好ましからざる“政治的配慮”はあってのことでしょう。いろいろな場面で信頼性を欠く場面も多いテレビメディアではありますが、報道機関としてあるまじきだらしなさであり、誰かの利益誘導に平気で加担する己のなさはメディアとして万死に値する“やってはいけない”であるでしょう(言い添えておきますと、毎日新聞山田記者の記事の書き様も、どこか意図的なものを感じさせる新聞らしからぬ実に週刊誌的な居心地の悪さを感じるところでもあります)。

このように小沢氏の週刊文春スキャンダルがどこか得体のしれない極度の居心地の悪さを感じさせる背景には、週刊誌・政治家・テレビ、三つ巴(毎日新聞も加えるなら四竦み)の“やってはいけない”が絡み合った、稀に見る気持ちの悪さに起因するものであるのかと、つくづく感じる次第です。