日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

日本惨敗の原因はコーディネーターたる日本サッカー協会にあると思う件

2014-06-27 | ニュース雑感
サッカーワールドカップ日本代表は、1勝もできぬままグループリーグ敗退という大方の予想を大きく裏切る結果となりました。その原因を戦略マネジメント的な観点から分析を試みた原稿を別で掲載しておりますが、もう少し突っ込んでみたいと思います。
◆サッカー日本代表、早過ぎる敗退に学ぶマネジメント論
http://allabout.co.jp/gm/gc/444245/

原稿のポイントは、日本の敗因のひとつは大会前1か月における親善試合のレベルにあるというもの。一応ポイントだけ書いておくと、前回、南アフリカ大会との比較でその違いは一目瞭然なのです。(カッコ内は各国のその時点でのFIFAランキング)

■W杯南ア大会 岡田ジャパン(45)直前3試合対戦相手と成績
10・5・24 0-2負 韓国(47)
10・5・30 1-2負 イングランド(8)
10・6・04 0-2負 コートジボワール(27)

■W杯ブラジル大会 ザックジャパン(46)直前3試合対戦相手と成績
14・05・27 1-0勝 キプロス(143)
14・06・02 3-1勝 コスタリカ(28)
14・06・06 4-3勝 ザンビア(76)

大会前4連敗で散々な前評判にもかかわらず決勝トーナメント進出で大健闘だった前回と、大会前連勝なるも本大会でひとつも勝てなかった今回は好対照です。要は対戦相手のレベルの問題。強いチームと戦っていれば自然とチーム力も向上し、本番でそのもまれた効果が出ると言うもの。それが前回。弱い相手とばかり戦っていると、例え勝利していようとも弱い相手なりの動きで勝つことに馴れてしまうというマイナスに働く。それが今回です。日本チームの初戦コートジボワール戦での緩慢な動きはまさしくこの弊害であったと考えられます。先の原稿では、もう少し詳しく戦略マネジメントの観点で説明しています。

個々の選手が普段いかに海外の高いレベルで戦いスキルを磨いていこうとも、チームプレーの場が低いレベルの相手とばかり戦って何も実になるものもなくむしろ油断に陥るのがオチであるなら、それでは世界に通用するレベルには到底到達しえないのではないかと思われるのです。今大会は予選の段階で、日本はアジア1位、世界最速で代表を決めたという事実が誤った自信を植え付けることになり、それツケが結局最後の最後に回ってきたということなのでしょう。

今大会を見てもアジアのレベルの低さは目を覆いたくなるほどです。イラン、韓国、オーストラリアの3カ国も、すべて1勝もできず日本と同じく最下位でグループリーグ敗退です。4か国合計で0勝9敗3分。勝ち点3では、4か国束になっても決勝トーナメントに行けないレベルですから、本当に情けない。このレベルの低さになぜもっと早く日本サッカー協会は気がつかなかったのか。それこそが最大の問題であり、私は今回の惨敗の責任は選手や監督にあるのではなく、日本代表チームの本大会までのスケジュールをコーディネートする立場の団体、私は詳しくは存じ上げませんがそれが日本サッカー協会であるのなら、彼らにこそ最大の責任はあるのだと思います。

アジアのレベルの低さ、本大会に向けた日本のレベルへの疑問符を投げかけるチャンスは確実にあったのです。それは昨年、日本がワールドカップ出場を早々に決めアジア選手権覇者として臨んだ、コンフェデ杯で強豪相手にひとつも勝てなかったあの段階です。本田選手が「我々は優勝を取りに行く」と公言して、強豪相手にひとつも勝てずに惨敗したあの時です。それを受けて本番までの実践の場をどこに求めるのか、どこの胸を借りるべきなのか、そして直前の対戦相手については前回の教訓を踏まえてどう選択するべきだったのか、協会は代表決定後のスケジュールをマネジメントの立場からあらゆる分析を加えつつ、よくよく考える必要があったのではないかと今さらながらに思うのです。

■コンフェデレーション・カップ2013
2013・06・15 0-3負 ブラジル
2013・06・19 3-4負 イタリア
2013・06・22 1-2負 メキシコ

私はサッカーの専門家ではありませんので、競技の専門的な立場からはご指摘いただく点も多数あろうかと思いますが、私なりに考えるマネジメントの観点から見た今回の敗因は、代表決定後の環境把握とコーディネーターのマネジメントの悪さに尽きると思います。前大会躍進の検証すら十分にできていないが故に、アジアの低いレベルでの「お山の大将」に甘んじたまま、かつ直前にレベルの低い相手(キプロス、ザンビアについては否ワールドカップ代表国)との対戦で勝ちを取りに行くという愚策に出てチームの戦闘水準を下げてしまった。日本チームのコーディネーターが日本サッカー協会であると言っていいのなら、真っ先に反省の弁や辞意を表明すべきはザッケローニ監督ではなく協会の幹部であると思うのです。

4年後に向けて日本サッカーが0からの再スタートを切るのなら、個々の選手や指導者を云々する前に、コーディネーターのマネジメントのあり方を反省し根本的に立て直す必要があると感じています。

サラリーマン社長は実績が全て?~J-CASTさん拙連載更新されました

2014-06-25 | 経営
J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました。ソニーの株主総会で、目標コミットを株主から迫られながら言い訳で質問を黙殺した平井CEO。結果を残せず更迭されたとある雇われ社長を思い出しました。リーマン社長は1年1年が勝負です。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/06/25208570.html

理研のガバナンスを検証する~AllAboutさん拙担当コーナー更新されました

2014-06-23 | 経営
AllAboutさん拙担当コーナー「組織マネジメントガイド」更新されました。理研の改革委員会の報告の中に登場した「ガバナンス脆弱」の言葉を受けて、ガバナンスの3要素解説とその観点からの理研のガバナンス検証を試みました。

こちらからどうぞ。
http://allabout.co.jp/gm/gc/444057/

ソニー株主総会にみる経営者、株主それぞれの体たらく

2014-06-22 | 経営
先週ソニーの株主総会を取材してまいりました。同社平井CEOは冒頭より、その流暢な語り口とは裏腹に大幅な業績赤字および黒字化を約束したテレビ事業の10年連続での未達に関しお詫びに終始しました。その姿勢とは裏腹に、なぜか本心での反省が見えてこない、真の危機感が感じられない、そんな印象を強くした株主は少なくなかっただろう、というのが私の感想です。

そんな印象を浮き上がらせたのが、総会終盤に相次いで株主から出された2つの質問でした。ひとつはストックオプション付与の議案に対する疑問を投げかけたもの、いまひとつは経営目標に対するコミットの要求でした。一見すると関連性が薄そうな二つの質問ですが、よく考えると表裏一体と言いますか、実に関連の深いソニー現経営者の経営姿勢実態に関する問題点を突いていたのです。

まず、ストックオプション付与の件ですが、これは広く知られた株価が低い状況下における経営陣のモチベーションアップ施策で、業績回復による株価上昇時にも現在の安い株価で株を購入できる権利すなわちキャピタルゲインの可能性を付与するものです。すなわち、経営トップを含めた幹部社員に対して業績回復に向けやる気を喚起するためのアメの付与に当たるわけです。

一方の経営に対するコミット要求ですが、これは業績目標の達成を約束せよという要求であり、すなわち業績目標未達の場合にはすみやかに退陣せよということでもあります。経営陣へのアメ玉であるところのストックオプイションに対する、ムチの存在であるとも言えるでしょう。

日本においてコミットメント経営を本格導入して話題を呼んだのは、日産ひん死の状況下でリバイバルプランをぶち上げた際ルノーから乗り込んだカルロス・ゴーンCEOその人です。ゴーン氏は中期目標未達の場合には経営陣は退陣するとの決意表明を内外に対しておこなうことで、組織内の緊張感と危機感を高めリストラスピードを加速させることで、目標を1年前倒しで達成すると言う成果としてコミットメント経営を結実させたのです(ゴーン氏の経営者としての資質云々ではなく、コミットメント経営の有効性という観点での実例です)。

平井CEOのこの2件の質問に対する回答は、ストックオプションは妥当かつ必要であると、業績目標に対するコミット要求に対しては言いわけおわびを繰り返し黙殺するというものでした。すなわち、アメ玉はいただきます、ムチはお断りです、というのが一人負けソニーの経営トップである平井CEOの経営姿勢なのです。ちなみにゴーン氏は元ソニーの社外取締役であり、その際に業績回復に向けたコミットメント経営の必要性を説いたと言われていますが、結局現在まで実現しないままズルズルと赤字経営を続けているわけです。

ソニーはいつからこんなにダメな経営陣になってしまったのでしょう。私はその元凶は同社の委員会設置会社方式の経営スタイルにあると思っています。出井元CEOが導入したこの制度。表向きは経営と執行の分離および社外取締役の大量登用により、会社運営の効率化と経営の透明性向上をはかるというものなのですが、実際には会社の技術や文化を十分には知り得ていない外様役員を徴用することで逆に社内の意見を吸い上げにくくしつつ、社内状況に疎い外様役員をトップが御す形で組織の私物化がすすむという悪弊を招いたのです。

出井長期政権、その傀儡のストリンガー、平井政権により、経営者のどこまでも自分に甘く緊張感や危機感とは無縁の経営スタイルは完全にソニー文化として確立されてしまったのです。私は、今回のこの2つの株主質問とそれに対する平井CEOの回答姿勢に、同社の如何ともしがたい悪しき経営姿勢を見る思いがしました。

余談ですが、今年のソニー株主総会では例年とは1点大きく違ったことがありました。それは株主向けお土産の廃止。例年ソニーの総会はお土産付きで、電池や充電池などのソニー製品と高級焼き菓子が配られていたのです。表向きは経営状況厳しい折の経費削減が名目でありました。もちろん、個人的に株主総会のお土産の必要性は全く感じませんが、経費削減をお題目に掲げて株主向けお土産の削減をするのなら、その前にソニー経営陣はやるべきことがあるのではないのかと。

何を持ってもまず正すべきは今だに億単位をはるかに超えるトップの報酬です。景気回復に沸く大企業決算にあっての一人負け状態は、トップの経営責任がしっかり問われるならタダ働きでも文句は言えない状況です。その状況下でなお、億単位の報酬を取る図々しさは危機感のかけらも感じないと思わせるに十分すぎる事実なのです。せめて廃止に向けた第一ステップとして、「本年の株主様へのお土産費用は、役員報酬をその分削減して賄わせていただきました」ぐらいの気の利いた姿勢が見られてしかるべきだったのではないかと思うのです。

株主向けお土産に関してさらに申し上げるなら、今回のお土産廃止の総会招集通知による事前通告で出席株主数が例年に比べて半減したという点も記しておく必要があるでしょう。一言で言うなら、経営者も経営者なら株主も株主である、ということになるのでしょう。株主の緊張感や真剣味のなさが、ここ20年にも及ぶソニー経営陣の体たらくややり放題を生んでいるとも言えるのかもしれません。

ソニーには他の企業とはやや異質な「ファン株主」という人たちが多数存在しているのですが、この「ファン株主」こそがいつまでも甘い夢を見続けて経営を甘やかしている張本人でもあると私は思っています。これもまた、長年日本の星、中小企業の星的存在として定着してしていたイメージを、多額投資により上手にブランド化した出井戦略負の遺産のひとつであるとも言えるのですが…。

ソニーに残された時間は少ない、そんな危機感を経営サイドからも株主サイドからも微塵も感じさせない予想外の“無風総会”に、同社の本格的な経営危機はもう目の前にあるのではないかと改めて実感させられた次第です。

理研改革委員会の提言が踏み込み不足な件について

2014-06-17 | 経営
STAP細胞問題をめぐり、理化学研究所が設置した外部有識者の改革委員会が提言をまとめ、小保方氏とその上司笹井氏の責任への言及と、研究不正の舞台となった理研の発生・再生科学総合研究センター(以下CDB)の解体を求めています。

▼「研究不正再発防止のための提言書」より引用
STAP問題の背景には、研究不正行為を誘発する、あるいは研究不正行為を抑止できない、CDBの構造的な欠陥があるが、その背景にこのようなCDBトッ プ層全体の弛緩したガバナンスの問題があり、人事異動などの通常の方法では、欠陥の除去は困難である。理研は、CDBの任期制の職員の雇用を確保したうえ で、早急にCDBを解体すべきである。

組織ガバナンスに問題がある場合に、果たしてその問題発生組織の「解体」が改善策として最良のものであるのでしょうか。組織管理を専門とする立場から申し上げるなら、問題発生組織の解体は新たな別の組織を構築により問題を封印することであり、問題点に関する反省や改善が活かされるものとは到底思えません。もちろん、解体が有効に機能するケースもあります。例えば戦争における戦後処理のように、根底にある思想が悪事を発症させていたことが明確で、組織解体により思想を封印する必要がある場合がそれです。

今回はどうなのか。もし今回の件でも組織風土を支える理研の根本思想部分の転換をはかる必要があると結論付けるのであれば、その組織の解体という解決策はあり得るのかもしれません。しかしその場合でも、あくまで理研組織の一部に過ぎないCDBの解体にどれほどの意義があるのかと言えば、それはいささか疑問と言わざるを得ません。もし本当に組織の思想封印による組織風土の根本改革の必要性を認めるのであるなら、それはCDBの解体に求めるべきものではなく、本丸である理研そのものの解体にこそ求めるべきものであるからです。

小保方氏およびその上司である笹井氏への責任の追及とCDBの解体に言及しながら理研そのものの解体を含む組織風土改革に言及しない改革委員会の提言は、私には組織ガバナンスの在り様を正しく理解できない方々の結論としか思えず、理研の逃げ切りを手助けするだけのほとんど意味のない提言に思えます。改革に必要なことは、部分的な組織の解体による反省すべき事実の封印ではなく、理研自らの手によるCDBと小保方、笹井両氏の過去の研究業務に関する問題検証を通じて理研そのもののガバナンス改革を断行し、抜本的取り組み姿勢で再発防止に臨むことに他ならないのです。

昨日は、本件における小保方氏の研究パートナーであった山梨大学若山教授が、第三者機関によるSTAP幹細胞の解析結果について会見し、自身が保管していたSTAP幹細胞は小保方氏に作製を依頼して渡したマウスとは別系統の細胞であり、その管理の杜撰さに関して改めて厳しく言及しました。このタイミングでおこなわれたこの若山教授の会見は、改革委員会の部分組織や個々の人間に責任を押し付けて問題の本質を封印するかのような半端な提言に対する、厳しい警鐘ではないのかと私には思えました。理研はこの会見を、単に小保方氏に向けられたものではなく、むしろ自己の組織管理に対して向けられた厳しい批判として真摯に受け止めるべきでしょう。

今回のSTAP細胞問題に関するすべての原因は、理研の組織管理の杜撰さに起因するものにまちがいありません。本件の結末を改革委員会の報告に沿って、単なるCDBの解体や小保方氏やその上司である笹井氏への処分により終わらせたのでは、理研組織にとっては何の痛みも伴わない処遇に他なりません。「大山鳴動して鼠一匹」とはまさにこのこと。理研が本気で組織風土改革に取り組まないのなら理研そのものを解体するべし、それが本来改革委員会が突きつけるべき提言ではないかと思う次第です。

孫氏「反骨の哀しみ」が透けて見えるSBロボット事業

2014-06-06 | ニュース雑感
私が子供の頃にはロボットを主役にした未来漫画が流行りました。その代表格が、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」。この二つの正義のロボット・ドラマは似て非なるもので、私は幼いながらに「アトムは嫌い」「鉄人が好き」と思ったものです。

昨日ソフトバンクが、人間の感情を認識するという人型ロボット「ペッパー」の発売を発表しました。「ペッパー」は、周囲の状況を把握して行動をする独自のアルゴリズムや音声認識技術による“感情認識機能”を搭載しており、ユーザーの表情や声のトーンを 読み取って人の感情を推定して、感情に応じたさまざまな対応が可能になるといいます。予価198,000円。温かみを全く感じさせないルックスではありましたが、孫代表は、「将来的には愛を理解させたい」と熱く語っておりました。

ロボット事業はこれまでも、ソニーの犬型ロボット「アイボ」やホンダの二足歩行ロボット「アシモ」を代表として、他にもトヨタ自動車やグーグルなど、超有名企業がこぞって取り組んでいる事業分野でもあります。言ってみれば、将来への先行投資的な意味合いの強い事業領域であり、その事業への取り組みが社会貢献性を帯びてもいることから、一流企業の代名詞ともなりうるかのように感じられる分野でもあります。そんな観点から見てみれば、ソフトバンクのロボット事業参入には、孫代表お好みの一流の証を求める“反骨戦略”“成り上がり戦略”が見え隠れするわけです。

それはさておくとして、私が昨日の会見で一番気になったのは、温かみのかけらも感じさせないルックスの自社製ロボットに「将来的には愛を理解させたい」と言い放った孫代表の一言です。この一言から察するに、孫氏が「ペッパー」で夢想する先にあるのは、「鉄腕アトム」なのでしょうか。

「鉄腕アトム」は天馬博士によって開発された、人の心を持つロボットです。確かストーリー的には、交通事故で亡くした我が子の代わりとして開発されたのではなかったかと記憶しています。一方の「鉄人28号」は、その主題歌にあるように「良いも悪いもリモコン次第」という完璧な機械としてのロボットであり、感情や善悪の判断は全く持ち合わせていないものでした。そして幼少期の私の感情は、冒頭で申し上げた通り「アトムは嫌い」「鉄人が好き」だったわけなのです。

年端もいかない私の思いは、ロボットが「感情」を持つことへの拒否反応であったのかと今さらながらに感心します(笑)。そして今もその考えは変わることがありません。端的に言うなら私の思いは、人によって意図的に操作された機械の作られた感情で人の感情を動かして欲しくないということなのかもしれません。なんて夢のない穿った考え方なのだ、と思われる方もいるかもしれません。青臭いことを申し上げるようですが、私は機械は機械であるべきで、人の感情や愛情が純粋に機械で作りだせるもの、言いかえればカネで買えるものでは決してないと思います。さらに言えば、機械に人の思惑を刷り込ませた感情を持たせることは、SF映画の世界ではありませんが、その感情が人によってプログラミングされたものである限り悪意ある意思が入り込むリスクを否定できず、非常に危険なことではないのかとも思うのです。

孫氏の思惑の中に悪意はないとは思います。しかし、私の穿った見方かもしれませんが、氏の貧しさの苦労や差別への反骨が今の氏の地位を作り上げてきたように、今の氏の根底にあるものはその時代に培われた「やさしさ」や「愛情」への渇望感がそうさせているのではないかと思えてならないのです。そして、いかに多額の金銭的資産や、日本を代表する成功実業家の地位や、子供の頃から憧れたプロ野球団をその手にしようとも、どうしても得ることにできない周囲からの「やさしさ」「愛情」渇望に対する空虚感(あるいは、地位が上がれば上がるほどカネ目当てのヤツばかりが周りを取り巻く現状に対する空虚感)が、そうさせているのではないかと。

孫氏がロボットに「愛情を理解させたい」という気持ちは分からなくはないですが、それを現実にやろうとすることは間違っていると思います。福祉にロボットを役立てたいという思いがあるのならそれを否定する気持ちはありません。しかし、ことさらに「愛情を理解するロボット」を強調し、おカネで「愛情」が手に入るかのように喧伝するロボット事業の展開には賛成できないのです。孫氏が稀代の優れたビジネスパーソンであることに異存はありませんが、おカネですべてを手にできるかのような錯覚を感じさせるロボット事業への参入には、「それは違う!」と声を大にして申し上げたい気持ちになった訳なのです。

天馬博士が自ら開発したアトムを手放した理由は、いかに感情を持たせようともやはりロボットはロボット、息子の代わりにはならないと思ったからではなかったでしょうか(すいません、正確なところは覚えていません)。ロボットは機械として人の手助けをするものであり、感情的な部分まで人の代わりを務めさせようとするのは、時代は変われど誤りは誤りであるのだと。アトムよりも鉄人。人にとって必要とされる役に立つロボットは、今もそうあるべきであると私は思っています。

白元民事再生にソニーの明日を見た

2014-06-05 | 経営
アイスノン、ホッカイロ、ミセスロイドで知られる日用品メーカー白元が民事再生法の適用を申請し、実質破たんしました。個人的には、アイデア商品的な製品群で圧倒的な知名度をほこりながら、戦略のミスで急激に経営が苦しくなって行ったのではないかと見ています。

アイスノンを例にとると同社の苦境がよく分かります。昭和40年代家庭用冷蔵庫の普及で、自宅で凍らせて繰り返し使用が可能な氷枕に変わるアイスノンは画期的な商品でした。我々の世代にとってアイスノンは商品名ではなく、保冷剤という言葉が一般的になるまでは、冷凍庫で凍らせて使う保冷商品の総称としてイメージされていたほどの存在感だったのです。

その後、保冷剤の普及と共に安価な類似商品が大量に市場に出回り、ブランド力に勝るアイスノンは独自路線で価格戦略グループとは一線を隔したものの、同市場にて独自戦略を繰り出すには至らず、最終的には価格重視の流れにならざるを得ない日用品マーケットの宿命で市場シェアを徐々に落としていくことになるわけです。

ホッカイロはロッテが開発したホカロンを追随する形で市場に参入。白元のブランド力で、二大勢力の一角をなし市場をけん引しますが、やはり後発メーカーの大量参入と低価格戦略により同じようにシェアを落とし、昨年資金負担軽減目的で事業を興和に譲渡するに至りました。

その他同社の代表的な商品には、冷蔵庫の脱臭剤ノンスメル(キムコの追随商品)、防虫剤を用途別に再編成したミセスロイドなどがあります。これらの商品も含めた、同社商品の共通項は、追随されやすく日用品であるが故に老舗のブランド力を背景にした価格設定が類似品の低価格参入によって消費者離れを起こしやすい、という戦略的な問題点が存在するように思われます。

もちろん、白元は日用品メーカーとしては一流企業であるが故に、その商品品質や機能性、性能については、どの商品においても恐らく業界随一のものを持っているのであろうことは疑い余地のないところです。しかし、同社の各商品における市場シェアの低下傾向を聞くにつけ、消費者が日用品に対して求めるものは、性能よりも価格重視であったという事実が同社の戦略における一番の誤算点であったのではないかと思うわけです。

加えて、民事再生の引き金になったのは、創業家4代目社長の派手な交遊と杜撰な財務管理であったとも言われています。言ってみれば、「誤った組織の私物化」がそこにあったのかも知れず、業績の低迷と共にその「誤った組織の私物化」が及ぼした組織運営への影響が致命傷となって取引銀行を協力が得られずに破たんの憂き目に至ったという印象で捉えております。
http://facta.co.jp/article/201405026.html

ここまで白元の話を考えてきて、この白元のケースにものすごく似ている日本を代表する企業が思い浮かんできました。ソニーです。

ソニーは、その昔は「技術のソニー」として画期的な商品を次々生みだす傍ら、他社追随の製品についても「技術のソニー」に裏打ちされたソニーブランドを背景として、強気の価格設定で市場シェアを伸ばすと言う栄光の時代がありました。しかし2000年以降、サムスンをはじめとする後発メーカーの価格戦略の前に、ブランド力と技術力を背景とした差別化戦略はいとも簡単に破れ去りました。消費者が家電製品に求める技術スペックが飽和状態に達することで、消費者の価格選好傾向が明確に出るようになったのです。「家電製品の日用品化」と言ってもいいでしょう。

ソニーのテレビを筆頭としたエレキ部門の長らく続く赤字体質は、まさしくその「家電製品の日用品化」にこそ原因があると思うのです。今ソニーがエレキ復権の切り札としているものは4Kテレビです。4Kテレビによる差別化戦略と新たなブランド化戦略が、同社の窮地を救うと信じてやまない平井CEOの旗振りは果たして正しいのか、ということが今の焦点でしょう。私は消費者のアンケート調査などを見る限りにおいて、「一般消費者に4Kレベルの画質は家庭用として求められていない」と見ています。

まさに白元が、新型アイスノンに「不凍ゲルと凍結ゲルの「新柔軟2層構造」を採用。やわらかフィットで10時間冷却」をウリとして低価格の他社製品に対抗しようとしたものの、消費者側の選択は低価格の一般的商品が主流であったということとピタリ類似しているのではないでしょうか。一度進んだ「家電製品の日用品化」は、簡単には元に戻すことは難しいのです。

そしてもうひとつ、白元と共通する懸念が経営による「誤った組織の私物化」です。長期政権下でトップの実質オーナー的振る舞いを強くした出井元CEO時代に端を発するソニーの文科系経営陣による組織の私物化は、確実に組織統制力を弱めてきました。委員会制の導入による役員人事、報酬の御手盛り管理加速化と、出井院政の下でのストリンガー→平井と続く技術音痴の「取り放題、やり放題管理」がもはや限界レベルにあるということも、関係者はじめ多くの有識者が指摘する問題点でもあります。

業界も規模も明らかに違いますが、白元の実質破たん報道を巡ってまたぞろ噴出する同社を巡るお家事が、私にはソニーの先行きを暗示しているかのように思えてならないのです。