日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

鳩山元総理、自民党・民主党、ブラックと言われる企業…、「立場をわきまえない」という恥ずべき風潮

2013-06-28 | その他あれこれ
鳩山元総理がまた中国でとんでもないことを公言したと問題になっています。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130627-OYT1T01084.htm?from=ylist

鳩山発言が何故問題になるのか、それは氏が日本国の元総理だからです。尖閣諸島の国有化は自身が所属した民主党政権が実行した政策であり、現在の自民党政権もまたこれを引き継いで「日中間に領土問題は存在しない」と言う公式見解に立っているわけです。それを日本国の元総理が公の場でそれを覆すような発言をしたらどういうことになるのか。「自己の立場をわきまえない」言動は、ある意味コンプライアンス違反行動であると言っていいでしょう。

「自身の立場をわきまえない」という話は他にもありました。参議院における重要4法案廃案の流れもそう。与野党双方が参院選を意識した対決を優先し、安倍首相に対する問責決議が優先可決される流れをあえて作った自民党と民主党。電気事業法改正案のよう今の日本にとって最重要と思われる法案が廃案になることが容易に予測できた流れの中で、両党は政権政党、筆頭野党としての「自己の立場をわきまえない」行動をとったと言っていいと思います。恥ずべき、そして国民に対して謝罪すべき行動であるでしょう。

この「自己の立場をわきまえない」という風潮は何なのでしょうか。私は16日のエントリーでも同じ話を書きました。「自己の立場をわきまえない」発言や行動が、問題を引き起こしブラック企業と言われるような事態も招いていると(小泉県議の一件は本人の自殺と言う最悪の結果を招いてしまいました)。「自己の立場をわきまえない」人や組織が平気な顔をして闊歩することで、日本国全体がどこかおかしなことになっているのではないかと思わざるを得ないのです。
◆「暴言事件とユニクロ、ワタミがブラックと言われる所以の関係について」
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/81d4a8bf9e829f890e148e48eeca3667

皆の手本となるべき、元総理大臣、政権与党、議員さんに高級官僚、業界を代表する大企業…、こういった人や組織がちゃんと「自己の立場をわきまえた言動」を心がけてくれないことには、この国は一体どうなってしまうのか。連日のように報道される「自己の立場をわきまえない」言動の数々に、ただただ無力感ばかりを感じさせられる昨今です。

DJポリスの一件を機に、そろそろ「ネズミ捕り」はお止めになったらいかがでしょうか

2013-06-26 | その他あれこれ
ちょっと前の話なので今さらの感はあるでしょうが、DJポリスへの警視総監賞授与について、一言思うところを申し上げておきたいと思います。

DJポリスと言われる警官が警視総監賞を授与されることになったいきさつは、サッカーの日本代表がワールドカップ出場を決めたその日に渋谷ハチ公前交差点で、彼の巧みな話術が若者の好感を呼び混乱を回避したというのがその功績だそうです。これはよくよく考えてみると、結局のところ普段の警官方のおこないが悪いからこそ目立っただけの話であって、本来ここかから導き出されるべき結論は、巧みな話術で若者を懐柔した警官を褒めたたえることではなく、普段の警官の言動をいかにして一般市民から好意をもって受け入れられるべきものにしていくか、という点に持ち込むべきなのではないかと思うのです。

警官がなぜ忌み嫌われる存在になり下がってしまっているのか、それは日常的に接する場面であまりにも理不尽で高圧的な態度を印象付けられているからに違いないと思います。その代表的な例が、物陰に隠れて違反をさせておもむろの登場して有無を言わさず反則切符を切る「ネズミ捕り」にあると思っています。私は捕まったことがないのでその現場は良く分かりませんが、私の周囲にいる“前科者”たちは「やり方が汚い!」「高圧的でこちらの言い分を一切聞かない」「警察の小遣銭稼ぎが腹立たしい」と口をそろえます。

この問題に関してはこれまでも拙ブログでことあるごとに取り上げてきました。その趣旨をかいつまんで申し上げると、「みすみす違反を見過ごして捕まえるというやり方自体が、違反防止、事故の未然防止を任務とすべき警察にあるまじき行為である」ということです。彼らの本来の任務から考えるなら、違反事例多発ポイントにおいては隠れて違反者を捕まえるのではなく、見えるところに堂々と出て違反行為を未然に防ぐ抑止力となるべきであると思うのです。

まぁ、この点は今回の主題ではないのでこの程度にとどめますが、このような国民の安全確保よりも反則金による税収確保を優先するような行動自体が、国民の警察官に対する印象を著しくおとしめる原因を作り上げていると思うのです。捕まった人間は気分がいいわけがありません。必ずや周囲の人間に警察官のやりくちの汚さや態度の横柄さ吹聴することになるでしょうし、「やり方が汚い!」「高圧的でこちらの言い分を一切聞かない」「警察の小遣銭稼ぎが腹立たしい」などの話を聞いた私のような者までが、自分が捕まってもいないのに当事者と同じように腹立たしく思うことになるのです。

今回のDJポリスの一件で警察官僚の皆さんが、好感をもたれる警察官のあり様と言うものの重要性を認識したのであるなら、その人間を表彰して終わりという流れでは全然ことの本質を捉えていないと思うのです。なぜ、あの夜渋谷ハチ公前交差点での警官の巧みな話術がそれに従う若者の流れを作ったのか、それは警官方の日常的な言動への不平不満の裏返しであるのだという理解をしなくてはいけないのです。その日常的に悪印象を招いている言動の最たるものこそ、物陰に潜んで違反者を高圧的に捕まえる「ネズミ捕り」であるわけで、このやり方を早期に改めることこそ大切な問題であると思うのです。

警察官が我々国民の生活の安全を守っていただく存在であるのなら、やはり国民から好感を持って接してもらうことは重要なことであると思うのです。今まで自分たちのやってきたことの間違いと、それがもたらす警官に対する悪印象という弊害。今回のDJポリスの一件をもって、賢い警察官僚の皆さんならそろそろこの点に気がついて行動を改めてもいい頃ではないのかと思った次第です。

暴言事件とユニクロ、ワタミがブラックと言われる所以の関係性

2013-06-19 | 経営
岩手県小泉県会議員が自身のブログに、番号で自身を呼んだ病院の支払いを刑務所呼ばわりし支払いを拒否して帰ったことを記し炎上した事件。これを受けて結局謝罪したという話が話題になっています。

その一週間ほど前にもよく似た事件がありました。復興庁の水野参事官が、ツイッター上で「左翼のクソども」などと市民団体への中傷を行なっていたことが問題となり、更迭の憂き目に会ったという一件がそれです。いずれも根っこは同じものであり、一見飛躍するように思われるかもしれませんが、実は私はユニクロやワタミのブラック騒動とも同根の問題であると捉えています。

その根っことは何か。それはコンプライアンスに対する誤った理解です。コンプライアンスとは一般的に「法令順守」と訳されていますが、これがそもそも大きな誤解を生んでいるのです。あるべきコンプライアンスにおいては、決められたルールや法を守ることは最低限の行動規範であり、本来の意味合いは道徳やモラルを含め社会秩序の混乱や法令違反を引き起こす恐れのある行動に対して厳正な態度を持ってこれを慎むことなのです。

この問題を考える時に一番の焦点となるのが、道徳やモラル、社会秩序の混乱や法令違反を引き起こす恐れのある行動という言葉の持つ幅です。この部分において一番履き違えがえてはいけないことは、人や企業にとって最低の道徳やモラルは最低限で共通するものはありますが、その人や企業の置かれた立場によっては社会秩序に対して与える影響力の違いから、守るべき道徳やモラルのレベルもおのずと変わってくるということなのです。

小泉県議のブログ発言にしても、水野参事官のツイッターにしても、同じレベルの事を名もなき一般人がつぶやいたのなら、「なんだコイツ」と一部の人に思われ多少非難の書き込みをされることがあったとしても、それが大きな社会問題となり本人が公で謝罪をするような事態にはまず至りません。一方、それが犯罪の実行を示唆するような書き込みであるなら、その人の人となりに関わらず社会問題化することは確実です。この事実はすなわち、法令は万人に同様に求められる最低限守るべきものであり、道徳やモラルはその人が社会の与える影響力から見た立場によって求められるものが違うということを表しています。

小泉県議や水野参事官の放言・暴言は、一般的にその地位にあることによる「思いあがり」がさせていると言われます。確かにその言葉の思いつき自体は確かに「思いあがり」によるものかもしれませんが、そのことを公言させてしまう行動は、むしろ自分の地位が持つ影響力や求められている道徳やモラルのレベルを低く見過ぎている“思いさがり”にあると思うのです。

この観点で考えると、ユニクロやワタミがなぜブラック批判を受けるのかもよくお分かりいただけると思います(法令を守っていない企業をブラックと定義するなら、彼らはこの意味ではブラックではないのになぜ別の定義でブラックと言われるのかという観点です)。

ユニクロもワタミも業界を代表する企業なのです。となるなら、彼らのコンプライアンスにおける守るべき道徳やモラルのレベルは、同業の中小企業レベルであっていいはずがないのです。ユニクロの柳井さんもワタミの渡邉さんも「うちに法令違反の事実はなく、ブラック呼ばわりされる覚えはない」と胸を張っていますが、私から言わせればそれはご自身方の置かれた立場を全く理解しているとは思えない発言ということになるのです。

街の中小零細の洋品店や居酒屋なら仮にサービス残業が発生しようとも、「会社として法を守っています」で済むかもしれませんが、業界を代表するリーダー企業において、サービス残業が必然的に生まれるような管理体制をよしとし見て見ぬふりをしていると思われかつ、その部分に有効な対策を講じる意思を感じさせないなら、それは企業の置かれた立場からみて違うのではないかと言うことになるのです。ユニクロ、ワタミが「ブラックだ」と言われる最大の理由はここにあるのです。

立場をわきまえた本気のコンプライアンスへの取り組みを志しているのなら、IT出退勤管理や警備システムを駆使して、サービス残業が物理的にできないような管理をすればいいだけの話です。現実に、10年ほど前まではサービス残業の巣窟だった金融機関でも、今や警備システムやPC稼働管理と連動させた徹底した出退勤管理で、サービス残業の撲滅をはかっています。やればできることをやらないだけのことなのです。

コンプライアンスという言葉が安易に「法令順守」という全容を捉え切れていない訳語で浸透した故に起きている、「法令を守ること=コンプライアンス」という誤った風潮が、むしろ地位や立場によって求められるべき道徳やモラルへの意識を危うくしているのではないかと大変懸念しています。小泉県議や水野参事官の放言・暴言事件は、単に個人への責任追及に終わらせることなく企業モラルの欠如との共通性の観点も含め、地位ある個人や企業に対し正しいコンプライアンスへの理解を求める機会として欲しいと思うことろであります。

お知らせ~J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました

2013-06-18 | 経営
経営には社員に対する「見せる化」が必要だと言うお話なのですが、なかなかお分かりいただけない社長も多い。後ろめたいことがないのなら(本当はあるならなおさら)、極力「経営」を透明化して理解を求めるそんな腰の低さも大切です。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2013/06/17177360.html

川崎重工の事件が示す日本企業のお寒いガバナンス&コンプラ事情

2013-06-17 | 経営
造船等輸送機器製造大手の川崎重工で、三井造船との統合交渉をすすめていたトップが取締役会から解任されるという異例の出来事がありました。

この問題にはいろいろおかしな点が存在します。まず何より、トップが秘密裏に折衝を進めることが常識であるハズのM&A交渉を、それをしたがためにトップの座を追われると言う不可解。川崎重工側のコメントによれば、「ガバナンス上不適格」との判断があったとのことですが、私から見るとトップ専管事項のM&A案件を公表前に内部分裂でつぶされたあげくに最悪の形で表になり、しかも折衝相手に一方的に破談を突きつけるというやり方こそ、「ガバナンス上不適格」の極みであるのではないでしょうか。

もちろん、解任された旧トップにも問題点は大いにあります。三井造船との統合問題は、4月に日経新聞により報道され各紙をもこれを追いかける展開となっておりましたが、この際に旧経営陣は「報道は事実でない」と完全否定。これは全くの虚偽発表であったと今になって判明したわけで、これこそ完全なるコンプライアンス違反であり、投資家、株主に対する経営責任をあまりに軽んじている由々しき問題であると思うのです。

同社取締役会は、この虚偽発表をもって早期にコンプライアンス違反故のトップ解任と統合交渉の事実公表を同時におこなっていたなら、同社のガバナンスはかろうじて保たれたことでありましょう。しかし同社は、統合交渉をおしすすめたことを理由にトップを解任するというあまりにもスキャンダラスなやり方をとってしまったことで、結果的に同社のガバナンス不在の経営実態を白日の下にさらすことになってしまったと言わざるを得ないでしょう。

川崎重工ほどの名門大手企業でもガバナンスに関してはこの体たらくですから、日本の企業のどれほどに胸を張れるガバナンスを保った企業が存在するのかと考えるに、グローバル化だ何だと世界に出ていく企業たちは大丈夫なのかと心配になってくるわけです。

ユニクロのグローバル戦略やワタミ渡邉美樹さんの言い訳に関するエントリーの際にも書きましたが、各業界を代表する企業、日本を代表して世界に出て行く企業は、中小企業的な御座なりのガバナンスや形式的なコンプライアンスに終始して「ガバナンスはできています」「コンプライアンスはバッチリです」では全くいかんと思うのです。そんな御座なりのガバナンス意識、コンプライアンス意識が、業界を代表する企業においてはおよそ恥ずかしい限りのこのような不可解な事件を起こすことになるのです。

川崎重工の一件は謀らずも、日本企業のガバナンス、コンプライアンスのお寒い状況を世間に晒すことになったと感じています。

AKBの販売戦略を批判せず「革命」として受け入れたいと思う件

2013-06-11 | ビジネス
昨年はAKBの総選挙を「音楽界をダメにする」と痛烈に批判した私ですが(ありがたいいことに、AKBファンの皆さんからの抗議メッセージも多数頂戴しました)、今回は少し違う観点からこのイベントに密接にかかわるCD販売戦略を捉えてみたいと思います。
◆「AKB総選挙が音楽界をダメにする」
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/0add36edfac3f423e32d97d4f2d01667

論点となるのは引き続き、「一人の人間に同じCDを何枚も買わせることでCD売上の底上げをはかる販売手法」の是非です。一年間落ち着いて考えましたが(というのはウソ)、これはスゴイ戦略です。逆転の発想と言うべきか、コロンブスの卵と言うべきか。これまで音楽ソフトは一人に一枚を売るのが常識であり、いかに多くの人に売るか(買ってもらうか)に知恵を絞ってきたわけですから、この発想の転換はある意味音楽CD販売に革命的な変革をもたらしたと言ってもいいのかもしれません。

似たような売り方は、オヤジ層ターゲットでのCD商売にも存在します。60~70年代の名盤を、未発表の制作途上の音源やライブ音源をセットして「デラックス版」などと称して商品企画をしたり、昔のジャケットを紙製でまんまミニチュア化して「紙ジャケ版」などとして再度買わせる手法がそれです。私あたりも、この手にはついつい乗せられて同じタイトルの「デラックス版」「紙ジャケ版」をけっこう買わされております故、この手法の有効性は十分理解できるところであります。

しかし、AKBの販売戦略はこの比ではありません。一人のファンに買わせる数が半端なく、しかも買わせるものが全く同じ商品であるという異常さ。やり方の良し悪しの議論を超えて、この破壊的な新手法を定着させたところにAKB販売戦略の革命性があると個人的には思うわけです。何と言っても過去のこの販売手法への批判を乗り越えて、全く反省の色など見せることなく今年はすでに5回目。得票数も着実に増え、同じものを一人のファンに何枚も買わせることの批判も徐々に聞こえなくなってきているようで、もうこの手法そのものが社会的認知を得たと言ってもいいのではないでしょうか。

「一人の人間に同じCDを何枚も買わせることでCD売上の底上げをはかる」という戦略。過去の音楽業界で誰一人として気がつかなかったこと、あるいは気が付いていたとしてもタブーとされていたことだったわけで、これを打ち破った事実はやはりスゴイと絶賛すべきなのでしょう。現実にAKBの総選挙がらみのCD売上があって、音楽業界全体としてもCDの販売数減少に歯止めがかかってもいるのですから。

これがまた今後、総選挙が年2回だ年3回だと増えてくるようなら、それはそれで問題多しなわけですが、ニーズがあって購買意欲が減じることがないのなら、それはそれでアリなのかなとも思うのです。いかに過去の常識からは邪道と言われるモノが助長しようとも、それを支持する層が厚いままならそれは新たな常識になるわけで、「革命」とはそういうものなのですから。

とは言いつつも、旧人類の私は一音楽ファンとしてやはり「一人の人間に同じCDを何枚も買わせることでCD売上の底上げをはかる販売戦略」そのものには納得しておりません。買っている人間が音楽を買っているのではなく、投票権を買っているという事実がまだわずかな救いではありますが…。音楽業界は、より多くの音楽ファンに1種類1枚ずつのCD買わせることで総体の売り上げを伸ばすような、魅力あふれる音楽ソフト販売戦略をぜひとも打ち出して欲しいものだと切に思うところです。

結局結論は昨年と同じものになってしまいました。AKBファンの熱い思いも認めますが、これが一音楽ファンの熱い思いでもあるのです。