日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「青山カレー工房」だより ~ 残念ながらイベント中止!明日は通常営業します!

2011-07-30 | ビジネス
予定しておりました本日の蓮田のイベントは、残念ながら悪天候のため中止となりました。蓮田の皆様、またの機会に必ずうかがますので、よろしくお願いいたします。

従いまして、明日31日(日)は通常通り正午から店舗営業をいたします。ご来店お待ち申し上げます。

★毎日新聞さんが「熊谷かれーぱん」を取り上げてくれました。以下スクラップをアップします。


「青山カレー工房」だより~30日(土)蓮田で出張販売実施します!

2011-07-29 | ビジネス
30日(土)は蓮田市の西口再開発支援の一環で、屋台村的イベントへのお声がかりをいただきましたので特別出張販売を実施いたします。当店初の試みです。

★「蓮田ウエストゲートパーク」で30日(土)18~21時半。
出店用に「青山カレー」のハーフサイズを中心に販売いたします。この機会に蓮田の皆様に、今話題のおいしい「青山カレー」を味っわっていただければと思います。

噂の激辛「熊谷かれーぱん」ですが、油の使用が難しいので「おみやげ用」のみ数量限定で販売する予定です。売り切れが予想されますので、ご希望の方はお早めにご来店願います。

★なお30日出張販売実施の関係で、
31日(日)は店舗は臨時休業とさせていただきますのでよろしくお願い申しあげます。
※30日が雨天中止の場合は、31日は通常通り店舗にて営業いたします。




「なでしこジャパン」に国民栄誉賞?

2011-07-26 | マーケティング
「なでしこジャパン」に国民栄誉賞が授与される見通しとか。「現在検討中」と枝野官房長官が会見で話していたようです。毎度思いますが、国民栄誉賞って実に不可解であいまいな賞ですよね。これまでの受賞者は、77年の創設時の第一号王貞治さんはじめ18人。文化人や芸能関係者は没後の授与が大半。一方のスポーツ選手は世界記録、国際大会優勝などを機に現役選手が大半です。でもその受賞者の顔ぶれを見るに、基準があいまいで本当に表彰する意味あるのと言った感じがしてしっくりこないです。

一応創設の福田赳夫内閣時に定められた授与基準は、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」としています。これはあくまで当時のホームラン世界記録を樹立した王選手に何がしかの賞を授与したいがためにこの賞を創設し、王選手への授与理由をそれらしく作文したものにすぎない訳で、至って抽象的な表現でもありあまり大した意味をなしているとは思えません。文化人、芸能人の部類で亡くなった直後に受賞した方々を見ても、渥美清がいて石原裕次郎がいない、長谷川町子がいるのに手塚治虫や赤塚不二夫がいない・・・などなど、選出基準がよく分からないなと思います。

この点はスポーツ選手に至ってはもっと顕著です。言い出すとキリがないので一例だけ上げておくなら、五輪金メダルの柔道の山下泰裕氏が受賞するなら2大会連続2種目金メダルの北島康介くんは実績・国民的盛り上がりから見ても完全受賞水準以上ではないかとも思われる、という基準の不明確さに集約されると言っていいでしょう。要するにその時々の内閣総理大臣の好みが大いに反映される賞であるということに違いない訳で、そのあたりが今回も「内閣の人気取り」と揶揄される所以であるのかもしれません。

それにしても、この賞に価値を感じないのはなぜ?理由は簡単です。そもそも国が表彰する対象に、既に金メダルや世界大会優勝と言う栄誉に輝いた人たちが中途半端に混じっているからです。彼らは改めて表彰するまでもなく、国際大会と言う最高峰の基準で明確に1位として表彰されている人たちです。国民栄誉賞は本来は表彰される機会のない世界記録樹立や記録に残らないけれども功績があったという人を、国の基準に照らして「あんたの記録や活躍はスゴイと国民が認めてますよ」という賞であるべきでしょう。それが、自治体が“おらが村のヒーロー”をたたえるのと同じ“他人基準”での表彰を国が時々しちゃっている訳で、賞の一貫性や存在価値を損なわせてしまうのです。

連続試合出場世界記録という地味な記録を評価された元広島カープ衣笠祥雄氏あたりは最も受賞にふさわしいと思いますし、日本人初の本格的大リーガーとして大旋風を巻き起こしその後の日本人大リーガーたちの活躍の礎を築いた野茂英雄氏あたりこそこの賞を授与すべき人であるのかもしれません。金メダルやワールドカップ優勝を後追いで表彰するなどと言う他人任せの授与基準を白状するような愚行は、かえって賞の価値を下げる以外の何物でもない訳で、文化人や芸能関係の受賞者や記録や功績を認められ受賞したスポーツ選手に対して失礼であるとも思えます。

そうやって考えると、ワールドカップ優勝の「なでしこジャパン」に国民栄誉賞は不要ですね。もう30年以上もやっているのですから、そのあたりのおかしさにはそろそろ気がついてもいいように思います。管内閣が分かってやっているのだとしたら、やはり政権の“人気取り”ということなんでしょうか。効果はほとんどないと思いますが。

70年代懐かし洋楽曲7~9

2011-07-24 | 洋楽
今回は、私のブラコン初体験時期のお気に入り3曲を紹介します。

7.「夜汽車よ!ジョージアへ…/グラディス・ナイト&ザ・ピップス」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=C4Vfxq7Hs_I&feature=related

中坊の私がラジオで聞いて「うーん、名曲だぁ」と染み入ってしまったのがこの曲。楽曲のよさもさることながら、はじめはゆるゆるスタートしながら徐々に盛り上げて、しまいにはぐいぐい引き込んでしまうグラディス・ナイトのボーカルの素晴らしさにノックアウト状態でした。人生で初めて買ったブラコンのシングル盤です。雑誌で写真を見て驚いたのは、てっきり太っちょのオバさんだとばかり思っていたのが、小柄なグラディスの風貌。こんな体のどこからこんなにソウルフルでパンチの効いた歌唱が出てくるのか、本当に不思議でなりませんでした。今だに彼女の代表曲として、またほかのシンガーにも歌い継がれる名曲として燦然と光り輝いています。中坊時代の私の眼力もたいしたものです。それと、邦題も素晴らしいですね。「!」と「…」の使い方は、その後パクらせていただいてます。


8.「ロッキンロール・ベイビー/スタイリスティックス」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=0vrVGzDmIm4

一転してこちらはノリの良いソウルナンバーというより、タイトルのとおりロックンロールのソウル版?曲調は確かに3コードのロックンロールですが、ファルセット・ボーカルが確実にブラコンを感じさせる実に不思議なナンバーです。同名タイトルのアルバムからのファースト・シングルでした。当時はスタイリスティックスは日本の一般ピープルレベルではまだまだ無名状態。この後、同アルバムからの第二弾シングル「誓い」が大ヒットして日本でも一躍人気ソウル・ボーカル・グループにのし上がるわけです。「誓い」後はご存知のとおり、ラッセル・トンプキンスJRのファルセット・ボーカルを前面に押し立てたバラード一辺倒の展開に。彼らのバラード路線、どれも代わり映えしない暑苦しい感じが個人的には興味がわきません。たまにはこの手のノリのいい楽しいやつとバランス良くやったらいいと思うのですが…。ちなみに当時、ラッセルのボーカルは絶対に女性だと思っていました。


9.「1000億光年の彼方/スティーヴィー・ワンダー」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=yIE6unjkXmc&feature=fvsr

おなじみスティーヴィー・ワンダーです。スティーヴィーはこの当時すでに日本で人気アーティストで、「迷信」「サンシャイン」が特に大ヒットしました。その後は「ハイヤー・グラウンド」とか「悪夢」とか「迷信」パターンの曲が主流だったのですが、アルバム「ファースト・フィナーレ」からの「悪夢」に続く第二弾シングルがこの曲でした。忘れもしない試験勉強中の深夜、FMから流れてきたのこのバラードの旋律の美しさとスティヴィーのボーカルの素晴らしさに本当に感動して聞き入ってしまいました。先のグラディス・ナイトもマイケル・ジャクソンもそしてこのスティーヴィーもそうですが、いかにもブラコンチックなリズミカルなナンバーもちろんいいのですが、黒人の極めつけはやはりバラードですね。アメリカでは「レゲ・ウーマン」(レゲエじゃなくて“レゲ”って言うのが時代を感じさせます)がA面でしたが、日本のみこちらがA面。バラード好きな国民性を読んだ、当時のレコード会社のファインプレーだと思います。

訃報 ~ 中村とうよう氏

2011-07-22 | その他あれこれ
俳優の原田芳雄さんが亡くなられ、その死を悼む声がそこここから聞こえています。名優でしたね。若い頃のワイルドなイメージも悪くなかったですが、歳をとられてからは味わい深さが増して、本当にいい演技をみせてくれていたと思います。ここ数年、癌で闘病中とのことでしたがごくごく最近まで普通に仕事をされていたので、突然の死には本当に驚かされましたし、周囲の悲しみも一層深いものがあるようです。ご冥福をお祈り申しあげます。

突然の死と言えば、今朝の朝刊にも驚きで声が出ない訃報がひとつ。音楽評論家の中村とうよう氏の突然の死。しかも自殺と思われると・・・。ご自宅のマンション8階から飛び降りとのことでした。なぜ、どうして・・・。79歳。中村氏は音楽評論界の重鎮で、日本の洋楽評論においてはアーティストやレコード会社に決して媚びない最古参の論客であり、特に我々洋楽ファンに与えた影響の大きさと言ったら、他の追随を許さぬものがあります。新聞の扱いも訃報欄ではなく、一般記事として社によっては写真入りで報じていたことからも、その功績の大きさが分かると思います。

ミーハー色を排除した読みモノとしての音楽雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」を創刊し、長年編集長としてあらゆる音楽の是非を世に問うてきた人でありました。ボブ・ディランの初期のライナー・ノーツ解説はすべて氏のペンによるもので、音楽情報の少ない当時は紙に穴があくほど一生懸命読んで“勉強”したものです。我々世代のディランファンは、とうよう氏を通じて一層ディランに惹かれたのであり、“とうようファン”でもあったのです。長年続けた日本レコード大賞の選定委員を、「レコード会社と委員の駆け引きで決まるインチキレコ大、もう降りた!」とアッサリ辞退するなどのパフォーマンスにも、一“マガジンファン”“とうようファン”として溜飲が下がる思いでした。

それにしてもなぜ自殺だったのでしょう。音楽関係では昨年、トノバン(加藤和彦氏)、今野雄二氏と壮年性の躁鬱が原因ではないかと思われる自殺が相次ぎましたが、とうよう氏の79歳と言えばそんな年代もとうに過ぎた頃あいではなかったのでしょうか。「ミュージック・マガジン」を買う事は少なくなったものの、連載コラムの「とうようズ・トーク」は最近でもよく立ち読みをさせてもらっていました。音楽雑誌なのに、政治的なことに触れたり民族紛争の話や経済情勢先行きに至るまで、時に怒り時に嘆き、その熱さと幅広い知識や造詣の深さに感心しきりでありました(論旨への個人的な賛成、反対は都度違いましたが)。それだけに自殺の報には本当に驚き、ショックを受けました。

ライ・クーダー、ファニア・オールスターズ、ユッスンドゥール・・・等を身近な存在にしてくれたのは間違いなく氏であり、70年代には存在しなかった「ワールド・ミュージック」なる新しいジャンルを日本で確立させた功労者も、氏であったと認識しています。今野氏もそうでしたが、音楽を論ずる立場の人間が一体何に悩み何に苦しんでいたのでしょう。どんな時にも心にあかりを灯してくれる音楽の楽しさ、素晴らしさを我々に教えてくれた調本人であるだけに、なおさらその理由が分かりません。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。

青山カレー工房だより ~ 日テレ「ZIP!」に「熊谷かれーぱん」登場!

2011-07-21 | ビジネス
本日の日本テレビ朝の人気情報便組「ZIP!」内「はてなび」コーナーで、夏の食べ物「冷たいモノVS辛いモノ」の辛いモノ代表の“日本一暑い街熊谷の新名物”として当店の「熊谷かれーぱん」が登場しました。

テレビ取材の場合、取材クルーの方々が熊谷までお見えになって実際に実物を食してレポートをされるのですが、皆さん必ず口にされるのが「コレ、本当においしいですね」の一言です。
「熊谷かれーぱん」は“ハバネロ入り激辛”かつ“専門店の味”がウケてます。中辛の「青山かれーぱん」もあります。

世にカレーパンは、パン屋さん、コンビニはじめ沢山あります。カレーパン自体がどうあってもけっこうおいしいのですが、丹精込めて作り上げた“本当におしいいカレーパン”って少ないように思います。
「熊谷かれーぱん」「青山かれーぱん」は、専門店がパン生地ひとつ油ひとつからこだわってお届けする“本当においしいカレーパン”です。

カレー専門店「青山カレー工房」が販売する“本当においしいカレーパン”に関しましては、以下をご参照願います。

★「青山カレー工房」臨時ホームページ(カレーパンをはじめ当店メニューがご覧いただけます)
http://www.studio-02.net

★「青山カレー工房」
熊谷市銀座2-10-2
048-598-8091
メールでのお問い合わせは、
info@studio-02.net

“なでしこジャパン・フィーバー”に思う…スポーツ報道の姿勢という視点から

2011-07-20 | その他あれこれ
遅ればせながら、「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝、素晴らしい快挙であったと思います。あきらめない力とか、チームワークとか、キャプテンのリーダーシップとか、監督の管理手法とか、いろいろメディアやネットでさんざん礼讃されていますので、そのあたりは他に譲ってちょっと違う視点でこの騒ぎを見てみたいと思います。

世間はなぜこんなに騒いでいるのか、日本の場合にはスポーツというものはたいていTVメディアがどう扱うか次第で決まると思います。今回は、大会前には空港見送り取材すらなかったTVメディアが突如大騒ぎをして盛り上げてくれました。なぜTVメディアはこんなに大騒ぎをしているのか、それは当然視聴率が稼げるネタと判断したからでしょう。少し前までは女子スポーツに対しては偏見があって、男子に劣るとか技がイマイチだとかで例えワールドカップでもまともに相手にされなかったように思います。もともとこの国の根底には男尊女卑が根強くあって、「どうあがいたって男子には勝てないんだし、女子スポーツは価値が低い」と見られていたのではないかと個人的には思っています。

ボクシングや柔道など階級分けがあるスポーツでは体重の重いほうが絶対的に強い訳ですが、だからと言って軽い体重の階級を軽んじて「見る価値ないよ」とは大抵の人は言わないものです。すなわち、スポーツ観戦における体重差別はもともと存在しないのですが、なぜか「所詮女子」という性差別は歴然と存在したのです。サッカーのような女子競技の歴史が男子に比べて圧倒的に浅いスポーツではなおさらでした。しかし今回はメディアがこぞって男子並みの盛り上げで扱ってくれました。「FIFAワールドカップ」という重みはもちろんあるにしろ、この点から日本のメディアにおけるスポーツ性差別がなくなりつつあるのかなと、国民的感覚が少し進歩したような安堵感は感じられました。

少しそれますが、関連で考えさせられるのはパラリンピックの扱い。パラリンピックは障害者のオリンピックであり、オリンピックと同じ年に同じ都市で開催される、ワールドカップに十分匹敵する国際パラリンピック委員会公認の世界最高峰の競技大会であります。しかしながら、メディアの扱いはどうでしょう。特にTVメディアの扱いの軽さと言ったらありません。理由はただひとつ、視聴率が稼げないから。「どうせ障害者の大会でしょ。健常者の競技にかなわないよ」という障害者に対する国民的差別感情が根底にあり、メディアの方針も男女差別の是正のようには進まず障害者差別を肯定する側にまわり、いつまでたっても国民の意識は変わることがないのです。パラリンピックは金メダルを取っても決して健常者と同じレベルではヒーローとして取り上げてもらえません。健常者と同じアスリートであり、健常者以上の努力と鍛練の成果であるのにです。何かおかしいとは思いませんか?

改めて今回の“なでしこジャパン・フィーバー”の根源を考えるに、国民の性差別がなくなったのが先か、メディアの性差別がなくなったことが先か、鶏と卵の世界かもしれませんが、視聴率至上主義のTVメディアの積極的な動きが盛り上がりを支えたことは間違いありません。他方パラリンピックは、同じように国民の意識の問題なのかそれともメディアの姿勢の問題なのか、スタートから半世紀が経とうとしているにもかかわらず、例えば金メダルを取ろうとも未だに我が国では盛り上がることはないのです。TVメディアは、今回の“なでしこジャパンフィーバー”を機に自分たち影響力の大きさを再認識いただき、視聴率至上主義を一度離れ、メディアの役割という本来依って立つべき観点から今一度この問題を考えて欲しいと思います。

それともうひとつ、北京オリンピックで金メダルを取って一躍ヒーローに祭り上げられた女子ソフトボール・チームと上野投手をご記憶ですよね。あのときの熱狂ぶりと今回の熱狂ぶりは非常に近しい気がしています。どちらも、大会前には注目度が高くなかったにもかかわらず、メディアの視聴率稼ぎの“焚き付け騒ぎ”から作りあげられていった“盛り上がり”という共通点が見て取れるのです。「視聴率が稼げる」と思えばあざとく大々的に取り上げて俄かヒーローに祭り上げ、ブームが去ればそのまま知らん顔で葬り去る。そんなスポーツを「視聴率稼ぎ」に利用するだけのメディアの姿勢も、今一度省みる必要がありそうです。“なでしこジャパン・フィーバー”を第二の「女子ソフトボール・フィーバー」にしないということを肝に銘じつつ、スポーツ振興を後押しするというメディアの役割から考え正しい報道姿勢はどうあるべきなのか、今一度自問ししかるべく継続的取組姿勢を貫いて欲しいと思うのです。

私にはTVメディアのその場限りのご都合主義ばかりが、チラチラと見え隠れする今回の“なでしこフィーバー”であるのです。

「青山カレー工房」だより ~ フジTV「スーパーニュース」で取り上げられました!

2011-07-19 | ビジネス
「青山カレー工房」「熊谷かれーぱん」「青山野菜カレー」が、昨日フジテレビ夕方の「スーパーニュース」さんで取り上げられました。

今回は約3分の破格の扱い(?)
レポーターの試食、お客様の声に加え、大関のコメントもしっかりオンエアされました。

21日(木)には日テレ朝の情報番組「ZIP!」さんでも取り上げ予定です。
予定では午前7時15分ごろからのオンエアだそうです。
こちらもよろしくです。

「熊谷かれーぱん」と「青山野菜カレー」、今夏のブレイクに向けて確実にばく進中です。


★「青山カレー工房」臨時ホームページ(当店メニューがご覧いただけます)
http://www.studio-02.net

★「青山カレー工房」
熊谷市銀座2-10-2
048-598-8091
メールでのお問い合わせは、
info@studio-02.net

よろしくお願いいたします。

私の名盤コレクション8 ~ All American Boy/Rick Derringer

2011-07-18 | 洋楽
★All American Boy/Rick Derringer

1.Rock and Roll, Hoochie Koo
2.Joy Ride
3.Teenage Queen
4.Cheap Tequila
5.Uncomplicated
6.Hold
7.The Airport Giveth (The Airport Taketh Away)
8.Teenage Love Affair
9.It's Raining
10.Time Warp
11.Slide on over Slinky
12.Jump, Jump, Jump

“100万ドルのギタリスト”ジョニー・ウインターが70歳を超えて遂に初来日が実現し、4月の震災後間もない東京でライブを決行しました。ウインター・ファミリーのプロデューサー兼プレイヤーとして、70年代に活躍したのがリック・デリンジャー。ジョニーの弟エドガーとも長く行動を共にし、ソロとしてもコンスタントに活動を続けるマルチなアーティストでもあります。その彼の73年の初リーダーアルバムが「All American Boy」です。

もともと彼は60年代に、「ハング・オン・スルーピー」のヒットで有名なマッコイズというポップグループの中心メンバーとして活躍。60年代末~70年代初頭にまずエドガーとの共演&プロデュースを手掛け、その後兄のジョニーのプロデューサー兼ギタリストとして活躍します。マッコイズのメンバーをジョニーと合体させたバンド、ジョニー・ウインター・アンドでは、彼の代表曲となる最高にキャッチーな「Rock and Roll, Hoochie Koo」などの楽曲を提供しその才能の片鱗を見せました。その曲を1曲目にフィーチャーし、満を持して制作された初リーダアルバムがこの作品なのです。

一言で言って彼の最大の特徴はマッコイズ時代から脈々と続く天性のポップ感覚であり、その点を活かしプロデューサーとしても活躍します。特にジョニーやエドガーのアルバムでは、ほっておくと重たく堅い方向に向きがちなウインター兄弟の音をポップ感覚豊かな作品に仕上げています。この「All American Boy」はそんな彼の魅力が満載で、ハードロック、R&Bからスワンプに至るまで、その幅広い音楽性を披露しつつそこを貫くポップな感性を十二分に味わう事ができるのです。

彼はプレイヤーとしてはマルチであり、このアルバムでもドラム以外ほとんど自身の演奏によるものです。マルチ・プレイヤー兼プロデューサーと言うと、トッド・ラングレンあたりが思い浮かびますが、そうやって考えてみると6.「Hold」あたりではどことなくトッドを彷彿とさせるメロディーラインとアレンジである点も面白いです。歌モノロックよし!インストよし!バラードよし!で間違いなく彼の最高傑作です。

おまけでこの作品とセットで聞きたい同じ路線の、この時期出されたジョニーとエドガーのリック・プロデュース作を。
★「Saints&Sinners / Jonny Winter」

「All American Boy」で自信を深めたリックがジョニーをポップにプロデュースした74年の作品。したがっていつもの重たいブルーズロックをベースにした暑苦しいジョニーではなくカバーモノも軽めで、ある意味軽やかで最も耳馴染みの良いジョニー作品ではないでしょうか。ジョニー・ファンには評判のよろしくないアルバムですが、心地よく聞けるアメリカンロック・アルバムです。

★「Shock Treatmet/The Edgar Winter Grup」

同じく74年、弟エドガーのバンドのギタリスト兼プロデューサーとして制作したアルバム。上記2作路線の集大成とも言えます。ここではもう一人、後にソロとしてもチャートをにぎわすダン・ハートマンがベース&ボーカルで参加しており、エドガー、リック、ダンの三人が織りなす個性の融合がハード&ポップ・ロックの名作を作り上げました。エドガーの最高傑作であると同時に、リックのプロデュース作の最高峰でもあります。70年代洋楽ファン必聴の1枚。

※三作ともジャケット写真に風が吹いているのは、同じコンセプトを意識した結果でしょうか?

70年代懐かし洋楽曲4~6

2011-07-16 | 洋楽
4.ゲット・ダウン/ギルバート・オサリバン
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=bECOCwMliCE


これもけっこう洋楽デビュー後早い段階で買ったシングルでした。深夜放送でさかんにオンエアされていました。「アローン・アゲイン」で有名なオサリバン氏、この曲はかなりロックっぽくて好きでした。この手の曲が少ない彼ですから、今でもライブのアンコール定番曲です(また秋にビルボードに来るようです)。アメリカではこの辺までしか売れなかったのですが、日本ではこの後、スティーヴィー・ワンダー風の「ウー・ベイビー」、モロにオサリバン節に戻った「ホワイ・オー・ホワイ」「ハピネス」とヒットを連発していました。原田真二クンがデビューした時に、「あっ、オサリバンだ!」って思いました。歌い方もよく似ています。


5.フリー・エレクトリック・バンド/アルバート・ハモンド
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=Lep0Fzq6omM


シンガー=ソングライターでもう一人、アルバート・ハモンド。「カリフォルニアの青い空」で大ブレイクした彼、その後が今一つで当時は“一発屋”ぽかったのですが、なんとか2発目をと先のオサリバン氏と同じくちょっとロックっぽい路線で出したのがこの曲でした。でも、残念ながら売れなかった。いい曲ですよね。大好きでしたけど。当時の新作アルバムの1曲目に入っていました。リアルタイムで郵便貯金ホールで見た来日ツアーの1曲目でもありました。カッコ良かったですよ。少し発音がラテン系ですよね。巻き舌っぽくて顔もエキゾチックで、エンゲルベルト・フンパーティングにも似ているような。この曲のイメチェンは失敗でしたが、この後同じアルバムから日本独自にシングルカットされた、例の「落ち葉のコンチェルト」が大ヒットする訳です。これで“一発屋”の汚名返上。80~90年代はスターシップやAOR路線シカゴの作者として活躍しました。シカゴの全米№1「ルック・アウェイ」は彼の作です。


6.僕はロックン・ローラー/ミッシェル・ポルナレフ
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=hZqiQr67Rus&feature=related


ついでにもう一人、シンガーソングライター系の人のアップテンポなヤツを。ミッシェル・ポルナレフって、超有名?フランス人でフレンチポップとか言われて、脱シャンソンの新路線の息吹をアジアに伝えてくれた人でした。派手なグラサンで顔を隠していたのですが、アイドル的にすごっい人気ありましたよね。日本の売れる洋楽は今も昔もほとんどが英語ですが、この人は当然フランス語。「シェリーに口づけ」とかしびれましたし、今聞いても名曲です。アメリカ志向の強い人でもあり、「愛の休日」とか「愛の願い」とか歌詞に英語を入れて歌ってもいました。これは、マスターコピーを日本に運ぶ飛行機がハイジャック&爆破され発売が延びたアルバム「ポルナレフ革命」からの第2弾シングル。明るく軽快で、英米モノとは違う上品さがあって好きでした。英語はなし、歌詞も少なくて「テュバ・テュバ・・・」言ってます。