日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

やっぱりおかしい交通取締のあり方

2014-10-11 | その他あれこれ
今年もやっておりましたね、秋の交通安全週間。となると例のお話です。このネタはもう何回目でしょうか。とりあえず、おかしいと思うことが是正されるまでは書き続けるつもりでいます。

先週のことだったと記憶しています。自宅近くのショッピングモールに買い物に出たのですが、帰り道脇出口を出てその前の横断歩道を渡ろうとした時に右方向から速度を落とさずに走ってくる1台の車。とりあえず、危険を犯してまで無理にわたることもないので、通り過ぎるのを待とうとやり過ごしたその時、その先の物陰から1台のバイクが。そう白いサイレン付。

「あ、交通安全週間か!しまった。汚ったねーな、あいつ!」。うっかり私が犠牲者を作ってしまいました。横断歩道を渡ろうとしている者がいる場合に、車両はその手前で一時停止義務があるという交通法規違反でのキップ切りです。自分が捕まったわけではないのに、この気分の悪さと言ったらありません。捕まった人はなおさらでしょうね。

ここは見通しのいい直線道路です。横断歩道で立ち止まった私が、別に危ない思いをした訳じゃないけど、違反は違反ということなのでしょう。もちろん、立ち止まらずに「歩行者優先だから」と歩き出していれば危ない思いをしたかもしれませんし、もしかすると接触事故にあっていたかもしれません。でも現実には、違反事項の対象となる私の身に危険は及んでおらず、ドライバーに対して不平不満もありません。

それにしてもおかしくないですか。白バイが見通しのよい道路に出て一時停止違反をけん制していれば、ほとんどのドライバーは一時停止をするハズです。すなわち、その車の違反行為は未然に防げる。私が仮に立ち止まらずに歩いていても、危険は回避できるわけです。なのに、白バイは確実な安全確保策を放棄して、物陰からのぞき見し違反行為が行われることを容認していた。言ってみれば、歩行者である私の安全確保を後回しにして、違反を起こさせ捕まえることを優先したわけです。

チカン多発地域で、物陰に隠れて女性が襲われるのを待って逮捕する警官と同じです。普通は、痴漢出没を未然防止するために頻繁にパトロールして、痴漢出没に対する抑止効果を働かせようとするのが市民生活の安全を守る警察のあるべき職務姿勢のはずであり、現実にそうしているのだと思います。ところが、交通法規違反は違うのです。

違反を未然防止して歩行者の安全性を確保するではなく、物陰に隠れてのぞき見し違反を起こさせ捕まえる。どう考えても、おかしいとは思いませんか。事故の未然防止を最優先で考えるのなら、痴漢防止で目立つようにパトロールする警官と同じように、自己多発地域で目立つように白バイなりパトカーなりを配備して、交通法規違反をけん制するのがスジではないのでしょうか。交通法規違反を未然防止しないで違反をのぞき見容認することで、重大な事故を引き起こすリスクだって当然あるのですから。

捕まったドライバーはもとより、その原因を作ってしまった歩行者までが気分の悪い思いをする。警察内部に詳しい方の話によれば、反則金のノルマがあるらしくそのために違反が多そうな場所では隠れて反則金を稼いでいる、のだとか。特に交通安全週間は徴収強化期間なのだと。そもそも、違反金徴収にノルマっておかしいでしょ。警察による交通取り締まり活動の本来の目的との乖離、それをやることによるあるべき職務からの逸脱、市民生活における安全確保の劣後、等をもっとしっかり問いただす必要があると思うのです。

毎度毎度、訴えかけていますがこの問題は一向に改善される兆しすらありません。ぜひマスメディアはじめ大きな声の皆さんは、交通違反取り締まりにおける本末転倒の問題を、もっともっと積極的に取り上げて欲しいと思っています。できることなら、春秋の交通安全週間に、大々的に交通取締本末転倒阻止週間としてぶつけていただきたい。警察のこのやり方はどう考えてもおかしい。私はそう思っています。

未曾有の大雪が明らかにした、自治体の自然災害対応意識の甘さ

2014-02-19 | その他あれこれ
大雪の影響で一部の市町村で孤立状態が続くなど、深刻な事態が今も続いています。今回の大雪ははからずも、各地域行政の自然災害に対する備えのなさと考えの甘さが予想以上に深刻であることを露呈することとなったように思っています。

私が住んでいる街熊谷では、観測史上最高の62センチという積雪を記録。街のあちこちでは大量の雪が今も残り、一部の道路では凍結による夜間の歩行はもちろん日中の車の通行もままならない状況が続いています。市民の皆さんの間では、行政の初動の遅れや手際の悪さを指摘する声が盛んに上がっており、フェイスブックにも地元の方々から「行政の積極的な除雪作業にはお目にかかってない」「熊谷市は終わっています。今回本当に痛感」などの声が多数寄せられています。

近隣市町村が15日の段階ですでに積極的な除雪作業をおこない、主要幹線道路の安全を確保していたのに対して、熊谷市は16日の午後になってようやく駅前ロータリーの除雪に着手。その後一部道路の除雪は行っている模様ではあるものの、駅前モール前道路すら今だに雪だらけの状況にあります。事態の重要性を勘案して私は熊谷市に、自然災害リスク管理に関する対応の検証をすべく、15日以降の除雪状況の詳細と計画および熊谷市の自然災害時コンティンジェンシー・プランのHP上での開示を求めましたが、昨日の管理職からの電話では初動の遅れは認めつつも一方的な言い訳を聞かされるのみで、その後も一向に有効な情報の開示がなされていません。
※除雪に関する熊谷市HP上の情報は、「17日現在、本市で管理する主要幹線道路、JR熊谷駅及び籠原駅周辺の除雪は、ほぼ完了しました。現在、除雪可能な重機を保有されている市内31事業所等で集落と集落を結ぶ道路、生活道路などの除雪を実施しております」のみで、時系列および進捗の開示は再三求めても初動の遅れを隠すためか一切開示されていません。

たまたま身近なところで問題事象に出くわしたので熊谷市の対応を取り上げましたが、今回の問題は熊谷市だけの問題ではありません。同じ埼玉県の秩父市ではさらに深刻な事態が発生していました。大雪での住民の孤立救済を求め、秩父市長が15日以降県に自衛隊の災害派遣要請を再三したにもかかわらず、県は「市街地除雪のための派遣は難しい」などと断っていたというのです。この事態を問題視したマスコミの報道を受けて17日18時半、ようやく上田埼玉県知事は重い腰を上げ自衛隊への災害派遣要請を行ったと言います。
※秩父市長ブログより
自衛隊派遣を再三埼玉県へ要請しましたが、断られました。県からは、緊急の場合はヘリ輸送で対応し、国・県道の除雪は埼玉県土整備事務所で行うとの回答でした。

これらの事象から分かることは、各自治体が災害時対応を甘く見ているということに他ならないということ。ことが雪だからなのでしょうか。いや決してそうではなく、災害というものが内包するリスクの大きさに対して、あまりにも軽く捉えすぎていることの証であると思っています。熊谷市のような災害発生時の1日という大きな初動の遅れは、不要な雪による交通事故、道路凍結によるスリップ事故や転倒事故の発生リスクを著しく高めます。埼玉県知事の2日という救助支援要請の遅れは孤立住民の精神的、肉体的ダメージを増長し、生命の危機さえも脅かしかねないリスクをも顕在化させるのです。

私が熊谷市に災害発生時のコンティンジェンシー・プランの開示を求めたのは、自治体の災害発生に対する意識の備えがどうなっているのかについて、我々市民は当然知る権利があるからで、またそのプラン通りに今回の大雪に対してしっかり対応がなされたのか検証する権利も持ち合わせていると考えるからです。まさか、今の時代に災害発生時のコンティンジェンシー・プランを持たない自治体はないとは思いますが、こういった有事における問題発生時にこそ、次なる大災害に備え被災者たる市民の目を入れてのプランの検証と見直しが有効になると思うのです。

自然災害対応の問題は東日本大震災を見てもわかるように、「想定外」の事態はいつでも起こり得るのであり、「想定内」を前提としたものではない災害対応策をそれぞれの自治体と市民が力を併せて真剣に考えていく必要があります。失敗は失敗として開示されず隠蔽されたままでは、改善は一向に進まないのです。私は、埼玉県、熊谷市の住民として、よりよい災害対応策の実現に向けて、引き続きこの問題に関する情報の全面開示を求めていきたいと思います。

居酒屋甲子園取材に思う“二十年一日”のNHKスタイル

2014-01-18 | その他あれこれ
14日放映の「NHKクローズアップ現代」の件です。話題ですね、「居酒屋甲子園」。
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/100/177451.html

私は番組を見ていないので詳しくは存じ上げませんが、事の顛末はJ-CASTさんに詳しく記されています。
http://www.j-cast.com/2014/01/15194211.html

見ていない以上、「ふーん、なるほど」としか言い様がないのですが、J-CASTさんの記載にある「居酒屋甲子園は15日、「沢山の方々に不快と感じられる報道がありました」として公式サイト上で放送内容に異議を唱えた。」という一文より、居酒屋甲子園のHPを見るに至りちょっと気になるくだりに出くわしました。
http://izako.org/releases/view/00124

私が気になるくだりは、ネットで話題になっている居酒屋甲子園のやり方の善し悪しとは無関係でことの本筋とは大きく離れますが、居酒屋甲子園のお詫び文の中にあるNHKからの取材依頼文の内容です。
<以下、居酒屋甲子園HPより引用>
いま日本社会の様々な現場で生まれている広告、条例、企業の社訓・クレド(信条)などの「熱い言葉」の現場を訪ね、その背景にあるものを探る特集を組みたいと考えております。そのなかで、従業員の離職率の高さに悩むサービス業界で、いま●●甲子園という大会が広がっていること、さらに各店舗さんの企業理念や個人理念でも詩的な言葉を導入されている様子を取材しております。低温世代といわれる若者たちのこころをどう動かすか、その取り組みの様子を取材しております。

そしてこれに対して居酒屋甲子園側は、
<以下、居酒屋甲子園HPより引用>
若者をごまかすための言葉遊び(「ポエムの力で説明放棄」「何かを隠蔽する」等々)であるような報道がありました。このような報道になったことは誠に残念であります。

としています。
居酒屋甲子園側が何が言いたいのかですが、要するに当初伝えられた取材趣旨を大きく逸脱し、自分たちに反論の機会すら与えられずに一方的に批判的な報道をされた、という事への抗議文であると読めます。

確かに、NHKの取材依頼文そのものは嘘は言っていないとは思います。しかし、どうなんでしょう。居酒屋甲子園のやり方に対する批判的な姿勢といった、最も重要な番組制作意図は隠されたまま取材が申し込まれ撮影がされ編集されたと考えられます。個人的にはマスコミの取材姿勢として問題ありなのではないかと思うのです。

NHKの取材に際しての懸念は、「初めから批判的な取材意図をあらわにすればきっと撮影を断られるだろう。そうなれば番組制作自体が成立しない」といったものが考えられます。そんな思惑から、あえて批判的な取材意図は隠し撮影を敢行したというのが正直なところではないでしょうか。私は最低限でも番組を制作する中で、撮影前には本当の意図を隠していたとしても、編集の段階までにはその意図を明かしてNHK側の受け止め方に対して、居酒屋甲子園側の言い分や考え方を追加取材し番組内に盛り込むべきだったのではないかと思うのです。

私は居酒屋甲子園の信奉者ではありませんし、どちらかに偏った物の見方で本件について意見を申し上げるつもりは毛頭ありません。実は、個人的に過去にこれと似た経験があって、そのことを思い出し申しあげてみたのです。

私の過去の経験とは、
銀行のプレス担当時代に、同じくNHKから「銀行における女子社員の活用」を取り上げたいとの取材を申し込みがありました。女子渉外行員の一日を追うということで、「とにかくがむしゃらに頑張っている女子渉外担当を取材したい」とのことでした。早朝から陽が落ちるまで、私は取材に立会いました。「いい絵が撮れました」と彼ら。翌週放送された番組を見ると、なんとテーマは「銀行女子行員の過労死を検証する」だったのです。他行で起きた過労死問題を取り上げ、その原因と思われる女子行員の激務実態として、私の銀行が言われなき悪者扱いを受けたのです。

すぐさま抗議しました。「なぜ本当の取材意図を伝えなかったのか」「少なくとも、取材意図に対して取材を受けた我々の意見を申し述べる機会を与えないのは卑怯ではないのか」と。彼らは自分たちの全面的な非は認めませんでしたが「落ち度はあった」という点は認め、今後の取材姿勢に反映させると局長名で約しました。私は映像取材の怖さを知りました。

映像がなければ番組が成立しない、だから映像を撮るために意図を隠した取材を敢行する。絵を撮るためにやむを得ない場面もあることは、好ましいとは思いませんがビジネスとして一定の理解はできます。しかし、例え被取材側に不利益になる取材意図であろうとも放映前には伝え、反論、意見を述べる機会は与えるのが最低限の取材のマナーなのではないかと思うのです。

私の嫌な経験はもう20年も前のことなのですが、今回のNHKの取材のやり方を見る限り、あの時の約束は果たされておらず、映像メディア取材におけるモラルはあの時代から何の向上もしていないのかと非常に残念な気持ちにさせられました。

六本木EXシアターがいきなりコンプライアンス違反な件

2013-12-13 | その他あれこれ
一昨日のことです。11月30日にオープンした六本木EXシアターのこけら落とし大物ライブということで、エルビス・コステロさんのステージを見てまいりました。今年も数多くのライブに足を運び、洋モノライブ観戦をライフワークとする小職としましては、もちろんコステロさんの健在ぶりを確認するのが第一の目的ではありましたが、舞台が都内にできた注目の新ライブスポットというわけで、そのハコとしての魅力も存分に吟味させていただこうではないかというのが今回のもうひとつの目的でもありました。

ところがどっこい、このハコがとんだ食わせ物でして、何はともあれコンプライアンス違反はまずいんでないかい、ということで以下に詳細を記しておきます。

嫌な予感はしていました。チケットを入手した時に券面に印刷された「ご入場時にドリンク代¥500お支払頂きます」の文字。EXシアター(以下EX)がどういうところか存じ上げなかったので、まぁいわゆるライブハウなのかなと思ったわけです。ライブハウスでワンドリンク制はごく普通のことで、ライブ見ながら軽くアルコールでもいただくというのはよくある光景です。しかし会場に足を運んでみると、ライブハウスというよりは完全無欠なホールなわけです。ここでドリンク付ライブでいいの?と嫌な予感は徐々に現実味を帯びてきます。

もぎりで500円と引き換えにEXの刻印入りのスロットのような安いメダルを頂戴して、地下のカウンターでドリンクとお引換えください、とのお達し。地下に降りて、私はメニューの中からジンジャー・ハイボールを注文し、プラコップに入った液体を受け取るわけです。さて、開演も間近ってわけで座席に座ってちびりちびり始めますか、と思っているとやっぱり予感的中!「場内は飲食禁止ですので、ドリンクはロビーでお飲みください」とのアナウンスが…。「そりゃ、そーだろ。ここはホールだもん」って感じでしたが、おかげでロビーはやたらに混み混みなわけです。老若男女の皆さんが、開演に遅れまいとアルコール飲料を一気に飲み干しているという光景も、実に異様なものでした。

これってマズイです。いわゆる独禁法違反の「抱き合わせ販売」の疑義が濃いわけです。と言うよりアウトでしょうね。まず「抱き合わせ販売」の定義ですが、「魅力があって競争力の強い商品に、あまり競争力の強くない商品が付随された形で提供されること」。EXさんの場合、「魅力があって競争力の強い商品」がコステロさんのライブ鑑賞チケットであり、「あまり競争力の強くない商品」は飲みながらの鑑賞不可なライブ・ホールにおけるドリンク販売ということになります。

ただし、「抱き合わせ」と判断されない免責事項として、「二つの商品が密接にかかわっている場合」や「個別に購入できる選択肢が残されている場合」が挙げられます。一般のライブハウスの場合は、ドリンクを飲みながらライブ鑑賞をするというスタイルから「二つの商品が密接にかかわっている場合」に該当するものとして、これは独禁法違反ではないと解釈されます。そもそもライブハウスは、バーやレストランですからね。しかし、今回はどうでしょうか。会場はバーでもレストランでもなく音楽ホール。そこで行われるコステロさんのライブ鑑賞と会場内で飲めないドリンクのセット販売は、どう見ても一体のサービスとは言えないわけです。

開演時間ギリギリに来た人や開演後に来場した人は、ライブが始まろうがなんだろうが強制的に買わされたドリンクを飲み干さない限りにおいては会場に入れない、すなわちライブ鑑賞ができないのです。これは2つのサービスが一体じゃないことの証し以外の何者でもありません。残された合法への道は、ドリンクの買う買わないを選ばせる「個別に購入できる選択肢が残されている場合」に合致した選択の余地を残す方法に変更する以外にありません。このままでは完全なコンプライアンス違反です。ロビーの皆さん、特に女性陣はブーブー言ってましたよ。「何コレ、ひどい」って。EXさんいきなりミソ付けてます。

こけら落としコステロさんのライブは最高でした。しかしながら、せっかくの素晴らしいライブに会場運営上のコンプライアンス違反行為「抱き合わせ販売」が泥を塗った形になっていまいました。ライブハウスとホールでは事情が違います。つまらないところでせこい商売をしないで、公取に誰かが垂れ込まないうちに襟を正された方がよろしいですよと、EXシアターさんには老婆心ながら申し上げておきます。

ラジオ出演のお知らせ

2013-10-06 | その他あれこれ
明日10月7日(月)夜、東京FM(80.0MHz)のニュース解説番組「TIME LINE」(18:54~19:54)に大関が生ゲストで出演いたします。

テーマは拙ブログ(BLOGOS掲載原稿)をご参考に企画いただいた「話題の金融庁検査のメス。みずほ銀行事件の根っこにあるもの」。
キャスターは、TV朝日「報道ステーション」でお馴染みの朝日新聞の星浩編集委員です。

全国どこでもスマホアプリで聞くことができますので、よろしければぜひどうぞ。

◆「半沢直樹」が示唆する「みずほ銀行事件」の根っこ
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/8aafde760253c23f011094333451194b


終戦記念日に、今年も硫黄島の平和利用を願う

2013-08-15 | その他あれこれ
68回目の終戦記念日です。私は毎年この時期に硫黄島の話を書いています。きっかけをくれたのは、数年前に出会ったネット上の硫黄島で凄惨な体験をされた方が綴った日記でした。これはその方のお孫さんが、多くの方々に戦争の悲惨さを伝えるべきと掲載されたものです。
◆「祖父の硫黄島線戦闘体験記」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/

私はこれを読み平和を願う立場から、自衛隊が占拠する島の今の状況を一刻も早く変えて欲しい、未だに収集されていない戦没者の遺骨を一日も早く収集してあげて欲しい、日米が死力を尽くして戦った太平洋戦争の中でも最も戦争の悲惨さを伝える場所を正しく活用して欲しいと、心から思ったのです。

戦争と言う人類史上もっとも愚かな行為をこの地上から永久に葬り去るために、この島には出来ることがたくさんあると私は思っています。日米あわせて2万9千人もの戦没者を生んだこの島であればこそのことなのです。島は確かに不発弾や地がいまだに埋まったままの危険状態にあるのは事実でしょうし、火山活動が活発で島全体が硫黄に包まれた環境は人が住む場所として不適であるのは事実としてもです。

この地に現存する自衛隊の基地が国内で唯一、陸海空合同訓練ができる重要な拠点であるとしても、戦争の名残をそのまま引きずっているような今のこの島の使われ方が本当に正しいものなのでしょうか。ごくごく限られた時に、ごくごく限られた人しかこの島に渡ることができず、戦後68年経ってもなお遺骨の収集はおろか戦没者の慰霊すらままならないこの異常とも思える現状を、遺族の皆さんは大変悲しく思っているのではないのでしょうか。皆さんはどう思われますか。

政府はまず遺骨収集を最優先し、不発弾や地雷の撤去作業に最新技術を投入してでも島の環境改善をはかるべきであると思います。自衛隊の基地がある限り、機密保持の観点から島への自由な出入りは制限され続けることでしょう。まずなすべきは、自衛隊の全面撤退。戦没者の御霊は今の島の使われ方を決して快く思ってはいないはずなのですから。

観光地化しろとか、宿泊施設をつくれとか、そんな必要はないとは思います。ただ少なくとも、戦没者の遺族をはじめ平和を祈るすべての人が自由に出入りし、戦争の愚かさを知り、平和のありがたさを実感する機会を得られるような、そんな島の平和利用を政府は真剣に考えるべきなのではないでしょうか。国自らが管理・運営するのがふさわしいのかもしれません。

硫黄島は日米合同の慰霊式典が定期的に開かれている世界でも例を見ない大変珍しい場所でもあります。戦争に勝者はなくこの地で戦争を戦った両国が、実は共に敗者であることの証でもあるのです。硫黄島から世界へ、真の平和意を訴えかける場所として、これ以上にふさわしいところはないと思うのです。

硫黄島の遺骨収集の完了と自衛隊の早期全面撤退による島の平和利用を、今年も終戦の日に心より願ってやみません。

鳩山元総理、自民党・民主党、ブラックと言われる企業…、「立場をわきまえない」という恥ずべき風潮

2013-06-28 | その他あれこれ
鳩山元総理がまた中国でとんでもないことを公言したと問題になっています。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130627-OYT1T01084.htm?from=ylist

鳩山発言が何故問題になるのか、それは氏が日本国の元総理だからです。尖閣諸島の国有化は自身が所属した民主党政権が実行した政策であり、現在の自民党政権もまたこれを引き継いで「日中間に領土問題は存在しない」と言う公式見解に立っているわけです。それを日本国の元総理が公の場でそれを覆すような発言をしたらどういうことになるのか。「自己の立場をわきまえない」言動は、ある意味コンプライアンス違反行動であると言っていいでしょう。

「自身の立場をわきまえない」という話は他にもありました。参議院における重要4法案廃案の流れもそう。与野党双方が参院選を意識した対決を優先し、安倍首相に対する問責決議が優先可決される流れをあえて作った自民党と民主党。電気事業法改正案のよう今の日本にとって最重要と思われる法案が廃案になることが容易に予測できた流れの中で、両党は政権政党、筆頭野党としての「自己の立場をわきまえない」行動をとったと言っていいと思います。恥ずべき、そして国民に対して謝罪すべき行動であるでしょう。

この「自己の立場をわきまえない」という風潮は何なのでしょうか。私は16日のエントリーでも同じ話を書きました。「自己の立場をわきまえない」発言や行動が、問題を引き起こしブラック企業と言われるような事態も招いていると(小泉県議の一件は本人の自殺と言う最悪の結果を招いてしまいました)。「自己の立場をわきまえない」人や組織が平気な顔をして闊歩することで、日本国全体がどこかおかしなことになっているのではないかと思わざるを得ないのです。
◆「暴言事件とユニクロ、ワタミがブラックと言われる所以の関係について」
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/81d4a8bf9e829f890e148e48eeca3667

皆の手本となるべき、元総理大臣、政権与党、議員さんに高級官僚、業界を代表する大企業…、こういった人や組織がちゃんと「自己の立場をわきまえた言動」を心がけてくれないことには、この国は一体どうなってしまうのか。連日のように報道される「自己の立場をわきまえない」言動の数々に、ただただ無力感ばかりを感じさせられる昨今です。

DJポリスの一件を機に、そろそろ「ネズミ捕り」はお止めになったらいかがでしょうか

2013-06-26 | その他あれこれ
ちょっと前の話なので今さらの感はあるでしょうが、DJポリスへの警視総監賞授与について、一言思うところを申し上げておきたいと思います。

DJポリスと言われる警官が警視総監賞を授与されることになったいきさつは、サッカーの日本代表がワールドカップ出場を決めたその日に渋谷ハチ公前交差点で、彼の巧みな話術が若者の好感を呼び混乱を回避したというのがその功績だそうです。これはよくよく考えてみると、結局のところ普段の警官方のおこないが悪いからこそ目立っただけの話であって、本来ここかから導き出されるべき結論は、巧みな話術で若者を懐柔した警官を褒めたたえることではなく、普段の警官の言動をいかにして一般市民から好意をもって受け入れられるべきものにしていくか、という点に持ち込むべきなのではないかと思うのです。

警官がなぜ忌み嫌われる存在になり下がってしまっているのか、それは日常的に接する場面であまりにも理不尽で高圧的な態度を印象付けられているからに違いないと思います。その代表的な例が、物陰に隠れて違反をさせておもむろの登場して有無を言わさず反則切符を切る「ネズミ捕り」にあると思っています。私は捕まったことがないのでその現場は良く分かりませんが、私の周囲にいる“前科者”たちは「やり方が汚い!」「高圧的でこちらの言い分を一切聞かない」「警察の小遣銭稼ぎが腹立たしい」と口をそろえます。

この問題に関してはこれまでも拙ブログでことあるごとに取り上げてきました。その趣旨をかいつまんで申し上げると、「みすみす違反を見過ごして捕まえるというやり方自体が、違反防止、事故の未然防止を任務とすべき警察にあるまじき行為である」ということです。彼らの本来の任務から考えるなら、違反事例多発ポイントにおいては隠れて違反者を捕まえるのではなく、見えるところに堂々と出て違反行為を未然に防ぐ抑止力となるべきであると思うのです。

まぁ、この点は今回の主題ではないのでこの程度にとどめますが、このような国民の安全確保よりも反則金による税収確保を優先するような行動自体が、国民の警察官に対する印象を著しくおとしめる原因を作り上げていると思うのです。捕まった人間は気分がいいわけがありません。必ずや周囲の人間に警察官のやりくちの汚さや態度の横柄さ吹聴することになるでしょうし、「やり方が汚い!」「高圧的でこちらの言い分を一切聞かない」「警察の小遣銭稼ぎが腹立たしい」などの話を聞いた私のような者までが、自分が捕まってもいないのに当事者と同じように腹立たしく思うことになるのです。

今回のDJポリスの一件で警察官僚の皆さんが、好感をもたれる警察官のあり様と言うものの重要性を認識したのであるなら、その人間を表彰して終わりという流れでは全然ことの本質を捉えていないと思うのです。なぜ、あの夜渋谷ハチ公前交差点での警官の巧みな話術がそれに従う若者の流れを作ったのか、それは警官方の日常的な言動への不平不満の裏返しであるのだという理解をしなくてはいけないのです。その日常的に悪印象を招いている言動の最たるものこそ、物陰に潜んで違反者を高圧的に捕まえる「ネズミ捕り」であるわけで、このやり方を早期に改めることこそ大切な問題であると思うのです。

警察官が我々国民の生活の安全を守っていただく存在であるのなら、やはり国民から好感を持って接してもらうことは重要なことであると思うのです。今まで自分たちのやってきたことの間違いと、それがもたらす警官に対する悪印象という弊害。今回のDJポリスの一件をもって、賢い警察官僚の皆さんならそろそろこの点に気がついて行動を改めてもいい頃ではないのかと思った次第です。

日経新聞意味不明?“死に体企業”の人事より、破たん処理を提起せよ!

2013-05-14 | その他あれこれ
東京電力の役員人事が固まったとの記事が本日の日経新聞に掲載されておりました。「無風人事に浮かぶ危機感」という見出しを立てて六段もの大きな扱い、この記事に私はいささか疑問を抱いております。今、東電がらみの報道に関しては、もっと別の観点からメディアは政府に対して、国民の代弁者として問題提起すべき事柄があると思うのです。

昨年の今頃、東京電力実質国有化に向けた再建計画を通すためのシナリオの可否についてメディアは喧々諤々やっていたのは記憶に新しいところであります。その折における問題の焦点は、2点ありました。計画達成遂行の前提となっていた電気料金の値上げ問題と柏崎刈羽原発稼働問題との2点です。

1点目の電気料金値上げ問題は、当初の申請よりも若干値上げ幅が圧縮されたものの、とりあえず昨年7月に認可され、「料金値上=利用者負担」処理そのものの良し悪しは別にして、一応俎上乗ってここまですすめられてきたわけです。値上げとセットになっていた経費の削減努力に関しても、4月30日の決算発表を見る限りにおいては計画以上の実績がなされ順調に推移している模様がうかがわれてはいます。

しかし2点目の原発の再稼働問題はどうでしょう。3月期決算によれば営業利益ベースでは上記のような入り払いの改善が寄与したものの、最終利益ベースにおいては損害賠償見積額増加に伴う特損の積み増しが大きく影響し、赤字幅が予想を大幅に上回る着地となっています。この部分を取っても計画通が狂い今期以降に大きなツケが回るという問題が噴出しているわけですが、加えて今期以降の計画数字は13年4月からの原発再稼働を前提としたものであり、現状柏崎刈羽再稼働の見通しが全く立っていない以上、再建計画は2年度目以降は完全に“絵に描いた餅”と化したと言っていいと思います。

この問題に関しては、もはや東京電力が自力でどうこうできる問題ではありません。国としてどう考えるのか、すなわち宙ぶらりんな状態のまま“絵に描いた餅”の計画を放置するのか、こそが問題の最大の焦点なのであります。

ならばメディアは何よりもまずその点に着目し、株主である政府に対して現状打開に向けてどう対処しいかに打開策を打ち出していくのか力を込めて糾弾していくべきであり、昨年の計画がいかに甘かったのかを正す必要があるのではないでしょうか。さらに具体的に申し上げるなら、一部で昨年時点から言われ小職も訴え続けてきた被災者保護策を講じた上での破たん処理検討の必要性についての議論を、今一度盛り上げていくべきなのではないかと思うのです。

こうしてちょっと考えてみれば、このままでは自力で生きるすべすら持たない企業の役員人事問題を取り上げる価値がいくばくかでもあるのか否か、そんなことは自明の理だと思うのです。東電問題において今メディアが今すべきことは、政府の問題先送りの不透明な対応を容認することなく、当初から求められてしかるべき株主責任、貸し手責任を問うた上での破たん処理による明確な道筋の提示を、政府に対して求めていくことではないのでしょうか。

蛇足ではありますが、消費増税実施に関する観点から考えても、増税実施前に膿はすべて出し切るべきであり、その結果として一時的に経済が冷え込むのであるなら増税時期の見直しをすることの検討も必要でしょう。問題先送りのまま、増税後に破たん処理をおこない国民生活がより大きな経済的ダメージを被るような事態は避けるべきであると思います。

それにしても日経のこの記事はなんなのでしょうか。意味不明。メディアは東電問題に関して、この重要な局面を見失うことなくしっかりポイントを捉えた報道をしてほしいと思います。