日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№72~(リズム+ホーン)×ハーモニカ=WAR

2009-05-31 | 洋楽
EW&Fに引き続き、ブラコン、ファンク系のバンドを取り上げます。

№72    「世界はゲットーだ!!/ウォー」

ウォーは60年代末期にLAで結成され、ホーン・セクションを傭する黒人バンドとして地道なライブ活動を続けていました。70年代に入り、バックメンとして黒人バンドを探していた元アニマルズのエリック・バードンが彼らを雇い、「エリック・バードン&ウォー」としてメジャーデビュー。エリックのネームバリューも手伝って、いきなり注目を集めます。しかしラテン、ジャズ、ゴスペル、ブルーズ…、黒人音楽のルーツを融合し新たなサウンドに昇華させた彼らの音楽は、ほどなく「黒人音楽に憧れた英国人リーダー」エリック・バードンの手には負えなくなり、エリックは71年のツアー中に失踪、元人気ロック・スターの“看板”は取り払われ「ウォー」単独での再出発を余儀なくされたのです。

71年単独デビュー作「ウォー」こそ空回り気味だったものの、続いてリリースされた「オール・ディ・ミュージック」からは2枚のスマッシュ・ヒットが生まれ、大胆なインプロビゼーションを繰り広げるテクニック丸出しのライブも評判を呼びます。そして72年リリースの本作「世界はゲットーだ!!」は全米№1を獲得。シングル「シスコ・キッド」が2位、「世界はゲットーだ!!」が7位を記録し、ウォー旋風が全米中に吹き荒れたのです。

彼らのサウンドの独自性の象徴は、エリックが連れてきたデンマーク人ハーモニカ奏者のリー・オスカーでしょう。彼はエリックが去った後もバンドの要として活動を続けます。ヨーロッパ系白人の彼が奏でる黒人音楽とは古くから縁深いハーモニカという楽器の独特な味わいが、ホーン奏者チャールズ・ミラーの演奏やパーカッションとの絶妙なバランスで混じり合い、まさに新しい音楽ジャンルを生み出したと言えるのです。ギター、ベース、ドラム、キーボードとホーン1名、ハーモニカ、パーカッションという変則的なバンド編成も、他にはない独特の創作物を作り得た要因であると思います。

さらに彼らの音楽は、スタジオで繰り広げられる自由なジャム演奏を後から編集するという手法にも、その大きな特徴があるように思います。決して予定調和的でないライブ感あふれるスリリングな演奏が発するインパクトの強さは、当時のどのバンドにも勝るものであり、ジャムに始まりジャムに終わる彼らの創作スタイルがあればこそメンバー唯一の白人ハーモニカ奏者リー・オスカーの演奏を、時には攻撃的に時にはメロディアスにバンドに調和させ、独自のウォー・サウンドを成立し得たと思えるのです。

彼らの音楽に込められた主張も、無視できません。「世界はトラブルに満ちている」と当時の世界の混迷とLAの実情をダブらせて歌う「世界はゲットーだ!!」は、まだまだ人種差別が色濃く渦巻いていたLA生活を、黒人の彼らであればこそ可能な強い訴えかけで表現したものでありました。「The World Is A Ghetto」って今思うとすごいタイトルです。本作は、まさに70年代前半という変革の時代の断片を象徴する作品であると言っていいでしょう。ジャケットのアイロニーに満ちたイラストも実にイカしています。

当時日本では、ビートルズを傭しPR資金豊富な東芝EMIが発売元であったため、彼らはけっこう力を入れて宣伝されそこそこ人気を得ていたように記憶しています。その甲斐あってか確か来日公演もあったような(稀にみるガラガラだったと聞いた気もしますが)。彼らの作品が及ぼした、その後のブラコンやクロスオーバー、フュージョンへの影響は決して小さくありません。昨今70年代を語る際に彼らの名が出てくることは非常に少ないようですが、もっともっと語られていいバンドではないかと思うのです。本作と併せて、よりポップでシティ派のアルバム「仲間よ目を覚ませ!」もオススメします。

日本ダービー(東京優駿)

2009-05-30 | 競馬
年に一度の競馬の祭典「日本ダービー」です。

一番人気は皐月賞馬⑱アンライバルド。前走を見る限り自分から動けてかなり強い印象です。1番人気の皐月賞馬は連を外さないというデータがあり、やはりダービーは実力馬が強く、フロックでは勝てないということ。⑱の軸は堅そうです。

軸が堅い時は相手は穴狙いで…。
前走⑩アントニオバローズを下手クソ善臣が乗って鮮やかに差し切った⑥ケイアイライジン。大レースでは“相手なりに走る”が怖い④トップカミング、父ジャングルポケットが“東京コースの鬼”⑬シェーンバルト。⑱から以上人気薄3頭へのワイド遊びで。

ただし外が伸びない今の東京で道悪が残るようだと、⑱はじめ差し馬は苦しいかもしれません。

経営のトリセツ60 ~ すぐに使える「見える化」のヒント2

2009-05-29 | 経営
昨日の続きです。
「見える化」の実践的ヒント、「社長の“見える化”」の②と③を。


②社長の行動の「見える化」

言いかえると「中小企業の社長のスケジュールは極力社員にオープンにすべし」です。「社長が今日会社いるのかどうか」「どこへ出かけているのか」「戻る予定はあるのか否か」を社員に知らしめることは意外に大切なことです。中小企業の場合、大抵の最終決定権は社長が握っている訳ですから「社長が会社にいるのかどうか」や「今日会社に戻るか否か」が分れば、重要事項の打ち合わせや相談が今日できるかどうかが明確になり社員の仕事の進め方も効率的になる訳です。仕事を急いで進めるべきか否か分からないでイライラするという、トップとのコミュニケーション不足に起因する社員側のストレスは大きく減ることでしょう。

「どこへ出かけているか」は、社員に社長の戦略的な考えを知らしめあるいは理解をさせるよい機会になるでしょう。「A社に社長が行っていることは、新たな業界開拓かな」とか「人事コンサルティングのB社に会っているってことは、社内教育に力を入れようって考えか」などと、社員(特に役職者)に先回り思考の機会を与える事にもなり、新規戦略導入などの際のソフト・ランディングの役にも立つでしょう。社員側は社長の行動情報が多く入れば、「A社へ行かれたようですが、目的は何ですか?」等話すネタも増えて、トップとのコミュニケーション円滑化に活きるハズです。

もちろんトップ・シークレット事項は開示する必要はありませんし、夜の個人的な会食などは「プライベートあり」の一言で良いと思います。開示方法は、PC内で皆が社長の予定を見られるやり方でもOKですが、社長予定を机に貼ってよりオープンな印象を持たせる方がベターです。中には社員に開示できないスケジュールばかりの社長もいると思います。年柄年中、誰が見ても仕事でないと思われる外出や面談ばかりの社長です。そういった社長は一日も早く、開示できるスケジュールへの移行をはからなくてはいけません。<社長の行動の「見える化」>は、誰からも怒られない立場の社長の行動を律する役にも立つのです。一般的に自己管理に甘い二代目、三代目などは手遅れにならないうちに、スケジュール開示を通して自らの行動を律してください。


③社長の姿の「見える化」

時々目にするのが“ひきこもり社長”。これは、経営者としてかなりまずい性癖です。社長は対外的にはもちろん、社内的にも唯一無二の会社の“顔”です。その“顔”が社長室にこもったきり出てこないのでは、社員は自分が働いている会社が元気なのかどうか分からず、社内には不穏な空気が流れることでしょう。社長が元気な姿を見せれば会社は元気になる、社長が明い表情を見せれば会社も明るくなる、会社の“顔”とはそういうものなのです。人でもそうじゃないですか。相手の顔の表情がどんな様子か分かることで、安心したり不安になったりできるのです。顔が袋で隠されていたらどうでしょう。どんな表情か分からないことは不安以外の何物でもないのです。

社長はまず、皆にその姿を見せることが大切です。社長室をつくってはいけないとは言いません。社長に秘密の電話や内緒の打ち合わせはあって当然ですから、そのための社長室はあっていいとは思います。でも通常は、社員がいるフロアと同じ仕切りのないフロアに、社長室とは別に社長の机を置くのがベターです。社長が皆から見えるところにいればいつでも社長の様子が分かりますし、社員との日常のコミュニケーションも量が増えて円滑にもなる訳です。ちなみに、社長室も海外のオフィスのようなガラス張りを理想としたいところですが(例=写真)、まぁ半分磨りガラスで中にいるかいないか、デスクに座っているか誰かと話しているかが分かる程度にはしたいですね。

いずれにしましても、「考え」「行動」「姿」における「社長の“見える化”」は、会社を活性化させる上で不可欠であることだけは間違いありません。

経営のトリセツ59 ~ すぐに使える「見える化」のヒント1

2009-05-28 | 経営
私がクライアント先で施すコンサルティング解決策の基本は、「見える化」コンサルティングです。「見える化」にはいろいろな段階や手法があって、業務プロセスを文書化、図面化、マニュアル化するような専門的なものから、すぐに実践できるちょっとした工夫レベルの「見える化」まで多岐にわたります。そんな中から、汎用性が高く簡単に実行できて改善効果が大きい「見える化」をいくつか紹介していきます。

「社長の“見える化”」
これが意外にできていない中小企業って多いのです。一言で「社長の“見える化”」と言っても、さまざまなものがあります。順を追って…。


①社長の「理念」「信条」「方針」等の「見える化」

これは言いかえるとその企業の「経営理念」「経営方針」である訳です。徐々に徐々に組織が大きくなったり、思いがけず人が増えてしまった企業では、「経営理念」や「経営方針」が存在しないままうっかりここまで来てしまっていることがよくあります。10人程度までの企業規模の場合には、それでも大きな影響はないのですが、20~30人規模になると実務上の必要から社内に複数の部署が出来て社長の「1対全員管理」が難しくなり、何か全体を束ねる価値基準のようなものが必要になってきます。

しかも、だいたいこのぐらいの規模になると、社員の中から数人が「社長の考えを示してほしい」「会社がどこに向かっているのかハッキリさせてほしい」などと言い出すものです。従業員が10人を超えたら「就業規則」の制定が法で義務づけられるように、社長自身の言葉で「当社は誰に何をもたらすことを目的として日々活動しているのか」「当社は当面どこをめざすのか」等を明確に社員に伝える、「経営理念」の制定も義務づけたいものです。会社が大きくなってくると体裁繕いで、大手企業の「経営理念」をまねて急造するケースも見受けられますが、これは絶対にやってはいけません。「経営理念」は“経営の心”であり、これこそ最も大切な「社長の“見える化”」なのです。

二代目、三代目社長で、「経営理念」や「経営方針」が先代が定めたものである場合、それが自分も100%共感できるものであるのならそのまま使用することでもかまいませんが、本来はできる限り自身の言葉で多少なりとも見直しをし社員に伝える方がいいように思います。いずれにしても、ちゃんと社員に自身の“経営の心”を言葉にして伝え見えるように提示することです。先代が作った「経営理念」が執務室の額縁の中にありながら、全く誰の意にも介されていないというケースもよく目にします。こんな「経営理念」では、全く用をなしていません。「経営理念」は「現経営(=現社長)の“見える化”の第一歩である」ことを十分肝に銘じて欲しいと思います。

(明日に続く)

売れ筋ブックレビュー~「地頭力のココロ/細谷功」

2009-05-27 | ブックレビュー
☆「地頭力のココロ/細谷功(ソフトバンククリエイティブ(1575円)」

著作「地頭力を鍛える」でコンサルティング・ファームの入社試験で問われる「フェルミ推定」の方法論を紹介し、昨年前半に「地頭力ブーム」をつくった著者の最新刊です。今回もまた「地頭力」を冠に配しておりますが、今回ははっきり申し上げて看板に偽りあり!この本には「地頭力」の基本となる「フェルミ推定」に関しては、“フェルミのフェの字”も登場いたしません。タイトルだけでネット書店で本を買われる方々は要注意です。ご本人の売らんかな根性と言うよりも、出版元の“二匹目、三匹目のドジョウ戦略”なのでしょう。なにせ、商魂たくましいソフトバンクさんですから。よく確認しないで購入して“孫(損)”させられないようご注意を(オヤジ・ギャグですいません)。
※地頭力→http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/beb8ee83a70e636bd80be8ea3ae1103d

さて肝心の内容ですが、最近よくあるコンサルタント的思考回路、すなわちロジカル・シンキングやフレームワーク思考について、著者なりの活用法で具体的に説明している本です。このところ、人気コンサルタントの方々の4作目、5作目あたりの息抜き的著作としてよく目にする類のもので、他の著者モノで同じような本を読んでいる方には、あえて読む必要のないものであると言っていいと思います。「WHY - WHAT - HOW」からなる「問題解決ピラミッド」の話を軸にストーリーは展開しますが、これとて決して目新しいモノではなく、今売れに売れている野口吉昭氏の「考え・書き・話す3つの魔法」にも同様のくだりがあって、そちらの方がより簡潔かつ明快かとも思われます。少なくとも「3つの魔法」を読まれた方には本作は不要かもしれません。
※「考え・書き・話す3つの魔法」 → http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/d/20090505

それともうひとつ、ストーリーが会話形式で進んでいく点も個人的にはいまひとつです。教える博士と教わる若者の会話形式のやり取りで、ロジカル・シンキングやフレームワーク思考についてを噛み砕いて解説しようということなのでしょうが、個人的な好みの問題もありますが、私は普通に書いたほうがよっぽど分かりやすいのではないかと思ってしまいます。このあたりも同じテーマの後発本ゆえ、著者と編集者相談による苦肉の策としての無理な特徴作りの結果ではないのかと、ついついうがった見方をしたくもなってしまいます。このような会話形式を分かりやすく感じる読者なら、他の同様の本ではなく本作を真っ先に手にとって読まれたらよろしいでしょう。

と言う訳で、私の評価は10点満点で6点。出世作をモチーフにしたせっかくのタイトルなのですから、テーマはともかく少しぐらい「地頭力」「フェルミ推定」にからめて個性的なまとめ方をされたらよかったのにと思うのですが、難しかったのでしょうか。内容的に問題がある訳ではないですが、独自の“ウリ”がある著者だけに少々残念です。

韓国盧武鉉前大統領自殺に思う

2009-05-25 | ニュース雑感
先週末、韓国の盧武鉉前大統領が自宅裏手の山から転落自殺、というショッキングなニュースが飛び込んできました。盧氏は、夫人(写真=左)と実兄の娘婿が有力後援者から約6億円を受け取った疑惑収賄容疑で最高検察庁の事情聴取を受け、近く在宅起訴されると見られてた最中の自殺。実に不可解です。

盧氏は02年12月、「不正腐敗の脱却」を掲げて大統領に当選。就任後に取り組んだ改革の一つが「検察改革」でした。そのため、盧氏の自殺を「捜査が政治的報復に感じられ、不当性を告発するために反抗的に自殺したのではないか」という専門家の声も出ていますが、真相は本人のみぞ知るところ。今は盧氏の死により事件の全容解明が闇の中に葬られてしまったということだけが、動かしがたい事実であります。

韓国は大統領にあらゆる権力が集中するため、収賄事件での起訴は後を絶ちません。「粛軍クーデター」で軍の実権を握り大統領になった全斗煥氏と後任の盧泰愚氏は、秘密資金疑惑で逮捕。また金泳三氏は次男が不正資金を受け取った容疑などで逮捕。金大中氏も不正資金事件で次男と三男が次々と逮捕されているのです。大統領周辺に不正が続く背景として、大統領の持つ権限があまりにも強大なこと以外にも、韓国特有の国民性としての同郷者や親族を優遇する縁故主義が指摘されてもいます。これは、韓国社会では政権が交代するたびに民間会社のトップも同郷者等に交代して、政権と癒着しようとする人事がはびこっている、というものです。

さて今回の件、理由はどうあれ自らの命を絶って真相を闇に葬ってしまったことは、「政治家の責任の取り方」として決して感心できるものではありません。死人に石をもって追うような言い方になりますが、政治的リーダーの資質の低さを国際的にあらわにしてしまったという点においては、彼を自国のリーダーに選んだ韓国国民に対する裏切り行為であったと言われてもしかたのない状況であると考えます。また金権癒着政治の度合いは政治の近代化の度合いをはかるモノサシでもあり、韓国の政治の近代化レベルに関して言えば、今回のような一国のトップの「責任の取り方」も含め、国際的な先進国レベルにあるとは到底言い難い状況であると思います。

翻って、同じような視点で我が国を見てみるとどうでしょう。先の「小沢一郎=西松建設事件」とその当事者たる政党トップのいたって“昭和的”な「責任の取り方」も、韓国の一件と変わらず低レベルな政治的事象であり、決して人の国を笑っていられない“お寒い状況”であることは、まちがいありません。「人のフリ見て我がフリ…」のいいチャンスではないかと、思ったりもするのですが、当事者はお隣の国のこの事件をどう見ているのでしょうか。個人的には、そこが一番知りたいところです。

〈70年代の100枚〉№71~EW&Fジャズ・ファンク時代の最高傑作

2009-05-24 | 洋楽
日本でアース・ウインド・アンド・ファイヤーと言えば、「宇宙のファンタジー」「レッツ・グルーブ」等々のヒットからディスコ・ミュージックの第一人者的印象が強いのですが、本国アメリカでは一転、初期のジャズ、ファンク的演奏の時代こそが彼らの真骨頂と捉えられおり、チャート・アクション的にもピークでありました。

№71   「暗黒への挑戦/アース・ウインド・アンド・ファイヤー」

アース・ウインド・アンド・ファイヤー(以下EW&F)は、ボーカルのモーリス・ホワイトが69年に結成したソルティ・ペッパーズがその前身。翌70年にEW&Fにバンド名を改めホーン・セクションを含めた10人の大所帯バンドとして再デビューするも初期2作はヒットせず。72年ダブルボーカルとなるフィリップ・ベイリーの加入後徐々に人気を高め、75年リリースの6枚目にあたるこの「暗黒への挑戦」で一気に全米を制覇します。

何といってもA1「シャイニング・スター」のインパクトが最高に強烈です。ギターのカッティング、ホーン・アレンジ、コーラスすべてが締まりまくってかっこいいことこの上なし。3分弱の凝縮された歌と演奏に、10年進んだ「スライ&ストーン」を見たのは私だけではなかったはずです。この曲やA3「ハッピー・フィーリング」に代表されるジャズ系ファンクの匂いこそ、まさに本来のEW&Fなのです。後に「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」のような、白人系バラード(作者はあのAORの旗手デビッド・フォスター)も彼らの人気の重要部分になるのですが、B2「リーズンズ」を聴けばお分かりいただけるように、バラードもこの時期のモノのほうがより黒っぽく“らしさ”が感じられる訳です。

このアルバムは、シングル・カットされた「シャイニング・スター」共々見事に全米№1を記録。さらにこの勢いを駆って出された続く2枚組ライブ盤「灼熱の饗宴」(全米1位)は、彼らのジャズ・ファンク時代の集大成ともいえる作品で、隅々までまさしく“灼熱”にふさわしいの素晴らしい演奏を聞くことができます。個人的にイチオシは断然この2枚組ライブの方なのですが、“全米TOP40的”という本企画のコンセプトから、当時のチャート・インパクトを重視し「暗黒への挑戦」を選出しました。なにしろ、「シャイニング・スター」による全米チャート制覇のインパクトは本当にすごかったのです。

ことろがこの2枚のNo.1アルバムでの全米制覇を機に、リーダーのモーリスとグループは一気に商業化路線へ向けて大きく舵を切ります。具体的には、ジャズ・ファンクの色合いは急激に薄れ、ディスコ路線への方向転換が明確化する訳です。特にアルバム「太陽神」「黙示録」以降は、「宇宙のファンタジー(実は全米では32位止まり)」や「ブギー・ワンダーランド」「レッツ・グルーブ」などのディスコ系ヒットを連発するものの、本国では次第にPOPバンド扱いされるようになりネーム・バリューやカリスマ・バンド・イメージは急激に薄れていきます。個人的には「太陽神」以降の長岡秀星氏のバブリーなイラスト・ジャケットも、彼らのイメージを軽薄なものにおとしめたように思います。

その後、バンドの核であったホーンセクションを分離したり、さらにはモーリスが健康上の理由によりバンドを離れたこともあり、長期にわたって精彩を欠く状況が続き数え切れないほどの編集盤ばかりがリリースされるようになってしまいます。現在も活動は続けてはいるものの昔のファンク系の、締まった弾けるようなバンド・カラーが期待できる状況にないことは本当に残念でなりません。EW&F=ディスコ・バンドあるいは、=バラード・バンドの印象しかお持ちでない方には、ぜひ「暗黒への挑戦」「灼熱の饗宴」の一聴をお勧めします。EW&F本来の姿がそこにあります。

オークス(優駿牝馬)

2009-05-23 | 競馬
三歳牝馬クラシックの最高峰GⅠオークスです。

先週は完敗でした。史上最強牝馬ウォッカを疑ったあげく、2、3着馬もノーマーク。今週の人気馬は堅いのでしょうか?

圧倒的1番人気⑦ブエナビスタは、既にGⅠ2勝。その勝ちっぷりの良さから、一部では早くも、“女ディープインパクト”とか言われ始めているようです。私のイメージでは、追える乗り役の腕っ節を十二分に引き立たせて勝つというスタイルから、南井克己(現調教師)鞍上でド派手な三冠を決めたナリタブライアンのイメージに近いように思っています。まぁそんな事はどうでもいい事ですが…。

ブエナは圧倒的人気ですが、このレースは牝馬にとっては過酷な2400メートル戦。どの馬も初めての距離で、番狂わせになりやすいのも事実です。一本かぶりなら疑ってみたくなるのが穴党の性。⑦ブエナの不安点は、母ビワハイジがマイラーだったこと。「距離適性は母系も大切」が持論の私ですので、無理やり本命ははずします。

狙いは「牝馬の福永」。福永は昨年こそ7着でしたが、このレース一昨年まで4年連続連対、しかもうち3勝ですからものすごい相性の良さですね。⑭ジェルミナルは初勝利以来、その「牝馬の福永」が乗り続ける惚れ込みよう。どこかで大きな「穴」を開けてくれそうな気がします(もしかすると秋かもしれませんが…)。

あとヤケ気味の「穴馬」として、④ヴィーヴァヴォドカ。メンバーを見渡すと有力どころは「差し」「追い込み」脚質が多く、ここは単騎での逃げが見込めそうなムードです。前走は他馬にハナを叩かれて自分の競馬ができなかっただけに、まだ見限るのは早計かもしれません。重賞勝ち馬の底力を見せての逃げ残りがあるかもしれませんね。名前がロシア語で「万歳ウォッカ!」だそうで、先週の“ウォッカ圧勝”の後だけに、ハマリかもしれません。あと他に「穴」は、母クイーンソネットが中長距離血統(新潟記念GⅢ2000㍍2着)だった⑯ワイドサファイアが気になります。

馬券をどう買うかは明日考えますが、⑭の単、④と⑯の複は押さえたいですね。あとはワイドで有力どころへ?桜花賞の時も私はジェルミとヴィーヴァを推してました。穴馬は狙いを止めると来るので「しつこく狙う」が基本。玉砕覚悟でしつこく行きます。

マスメディアは、暴走する「新型インフルエンザ報道」をすぐ止めよ!

2009-05-22 | ニュース雑感
どこまで騒げば気が済むのか?新型インフルエンザ関連の暴走報道は、遂に国民生活におかしな事態を起こし始めました。

関東圏で初の感染者となった高校生2名。自由参加の行事「模擬国連見学ツアー」でニューヨークに行っての感染ということで、通学先の洗足学園校長は「生徒も迷惑をかけて申し訳ないと言っている。学校行事ではなく個人参加の形式を取っているが、許可をしたのは学校なので、責任はすべて学校にある」と泣きながらお詫び会見をしたと言います。これ、おかしくないですか?アメリカに行ってインフルエンザにかかることがそんなにも「悪」なのでしょうか?そんなことを言ったら、毎年季節性インフルエンザ感染者を出した学校の校長は、皆涙の会見をしなくてはいけなくります。なんでこうなるのでしょうか。

高校生の通学ルートに住む心ない住民からは、「うつったらどうしてくれるんだ」などと、苦情電話が50件以上も学校に入ったと言います。どうしょうもないバカどもです。弱毒性のインフルエンザにかかることがそんなに「悪」なのでしょうか、政府から渡航「禁止」も「注意」も出されていないアメリカに行って、インフルエンザにかかって帰ってくることに、何の落ち度があるのでしょう。すべては、マスメディアの誤った報道姿勢に起因するものに他なりません。マスメディアの報道姿勢が誤った価値観を作り上げてしまったのです。

かわいそうなのは折角の研修旅行を、インフルエンザにかかって帰ってきた高校生2人です。ただでさえ、体調不良の折に「皆に迷惑をかけて申し訳ない」など必要のない精神的ダメージまで受けているのです。感受性豊かな思春期の女子高生です。海外旅行に対するトラウマになってしまうかもしれません。マインドケアは誰がしてくれるのですか。マスメディアは自分たちの報道姿勢が、どれだけの影響力を持っているか分かって動いているのでしょうか。

元をたどれば、弱毒性といわれる今回の新型インフルエンザに対して政府が早く知見を表明し、季節性インフルエンザと同様の対応への移行をしないからこんなバカげた報道が続き、それによって誤った価値観を醸成されたバカどもが騒ぎをおこしているのです。橋下大阪府知事が大臣に知見表明と対応の移行を申し入れしてもう4日もたつというのに、何をぐずぐずやっているのでしょう。今回のような“被害者”が出たことをどう考えているのでしょうか。マスコミにとってはまさに“書き得”状態が続いているわけで、このままでは新型インフルエンザよりもよっぽど恐ろしい、第二、第三のマスメディア被害者が発生するのは時間の問題です。

もうひとつバカげた出来事が、「巷からマスクが消えた」という珍現象です。これは新型感染を恐れた皆が、マスクを買いあさってこんな事態になっている訳で、本当に今都内の薬局、コンビニの店頭からはマスクが姿を消しています。これじゃ、感染した疑いの人が、周りにうつさないようにと思ってもマスクもできないのです。だいたい、現在国内でまだ数十名かそこいらの感染者です。まだまだ感染蔓延状態などではなく、感染者と遭遇する確率は宝くじ1億円当たるよりも低いわけです。これとて、マスメディアが必要以上にスキャンダラスに「マスク品薄」と報道したことで、皆が我先とあせって買いに走った結果です。35年前のオイルショック時の「トイレット・ペーパー騒動」の時代からなんら進歩がない。本当に恥ずべき国民性であると思います。

いづれにしましても、政府はこのようなマスメディアの誤った世論を誘導する報道を何としてもストップさせるべきです。そのためには政府としての明快な見解を申し述べてマスメディアの暴走を止め、国民が冷静な判断を下せる環境に戻す努力を今すぐにでもすべきであると強く思います。

清志郎とザ・フー、ロック世代のスピリット

2009-05-21 | その他あれこれ
5月9日土曜日、青山ロックンロール・ショーと銘打たれた故忌野清志郎告別式に、大ファンでもない私がなぜ駆り立てられたのか分かってきました。

本日発売の雑誌「ミュージック・マガジン」に今井智子さんの追悼文が掲載されていました。この雑誌を買ったのは創刊40周年記念で、また性懲りもなくやっている「1969~1979アルバム・ランキング・ベスト100」という企画を一応見ておこうかという目的でした。地下鉄の中でパラパラとめくりながら、思わず目に止まったのが先の追悼文。引き込まれるように読みながら、これまでおぼろげに感じていた、あの日私を駆り立て不思議な半日を過ごさせたものが何であったのか、ハッキリ分かった気がしました。

ヒントは告別式で弔辞を述べた甲本ヒロトのエピソードにありました。甲本は昨年11月、清志郎にザ・フーの来日公演会場の武道館で会っていたというのです。「やっぱり…」。彼は病魔に侵され余命幾許もない身でありながら、あのザ・フーを体感しに来ていたのです。彼はロッカーとして、ザ・フーを最高に敬愛していたのです。

彼が80年代に発売中止騒動を巻き起こした反原発メッセージの歌詞を乗せて歌った歌は、まさに彼らザ・フーの「サマー・タイム・ブルース」でした。反原発メッセージを伝えるに際して、あえて原発とは何の縁もないこの曲を清志郎が選んだのは、おそらく「老いぼれる前に死にたいぜ!」と歌い続ける彼らのロック・スピリットこそが、清志郎のロッカーとしての強烈なメッセージを発するのに最もマッチすると考えたからでしょう。私にとってもザ・フーはNo.1ロック・バンドであり、その理由もまたそのロック・スピリットにこそあるのです。

社会人駆け出しの頃、清志郎が反原発問題で自己の感性を突き通している姿を見たとき、正しいと思うことをやり抜くというあるべき「大人の反骨」のあり様を見せられたようで、とても共感を覚えたものです。その理由のひとつには、このヤリ玉に挙げられた作品の原曲奏者、ザ・フーのイメージとリンクしたことも少なからずあったのだとも思います。清志郎とザ・フーに共通するロック・スピリット、それは私が佐野元春の歌詞を借りて学生時代からずーっと守り続けてきた「つまらない大人にはなりたくない」という信条(それで銀行も辞めたのですがね)にストレートに訴えかけるものであったのです。

このあたりの世代感覚を、今井智子さんは先の追悼文中で次のように書いています。
『反核ソングなどで物議をかもした時、「ロックってそういうものだろう?」と(清志郎は)言っていた。主義主張を押し通すというより、自分の思うところを素直に歌にしたに過ぎないのだが、そうするのがロックということだ。そして自分の言っていることが間違っていないのだから曲げることはない。そうしたアティチュードも含め、(我々は)ロックを学んできた世代なのだ』
同世代として全く同感できるところです。

昨年11月、私は武道館でザ・フーを見て、60代半ばになりながら昔と変わらず「つまらない大人」には決してなっていない、ピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーに感動しました。同じ武道館であの時のザ・フーを見て、清志郎は一体何を思ったでしょう。甲本ヒロトは弔辞の中で、「多くの人があなたに憧れていたように、あなたはロックンロールに憧れていた」と話しました。きっと清志郎は、その日60年代から一貫して変わらぬザ・フーのロック・スピリットに歓喜したに違いないと思います。それは、生涯最後の彼のロック・スピリットを揺さぶる歓喜だったのかもしれません。

甲本ヒロトは、武道館でなぜか清志郎からザ・フーのピート・タウンゼントのピックをもらったのだそうです。ピートのピックはロック・スピリットの象徴でしょう。清志郎は明らかに意図をもって、ロック・スピリットを彼に引き継いだのではないでしょうか。私を青山ロックンロール・ショーに駆り立てたものは、私の人生を支えてくれている私自身のジェネレーション・ロック・スピリットが無性に清志郎に会いたがった結果であったと思います。そして清志郎は、あの日私たち青山ロックンロール・ショーに来場したすべての“ロッカー”一人ひとりに、確実に彼のロック・スピリット授けてくれたのです。

「返さなくていいよね?このピック」、甲本ヒロトは弔辞の中で涙声で言いました。
私も言わせてもらいます、「返さなくていいよね?このロック・スピリット」。
清志郎やザ・フーに鍛えられた世代のロック・スピリットは、このブログにも生き続けていくでしょう。