日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

高卒新入社員が生まれた平成元年を反省する

2008-03-11 | その他あれこれ
本日より、サービス業4月入社予定の新入社員研修を始めました。

高卒新入社員と言えば18歳。なんと平成元年生まれです。ついに平成生まれが社会人になる日がやってきたのです。平成元年はバブルの絶頂期。個人的にも思い出深い年です。平成元年生まれと聞いてなんとも感慨深い気持になりましたので、理由(わけ)もなく平成元年を思い出してみたいと思います。

平成元年は昭和64年として始まったものの、新年早々天皇崩御により平成となったのでした。平成最初の日であった日曜日、日本国中が喪に服しているときに私は銀座でおでんを食べていました。その日閉じている店も多かったのですが、なぜか開いていたその店も、早々に「すいません今日は閉店なんですが・・・」と言われ、「あっ・・・そうで・す・か、いろいろありますから、ね・・・」と訳の分からない受け答えをして、ほろ酔い加減でやむなく店を出た記憶があります。

まだ早い時間だったので、銀座線で渋谷へ回って当時はまだ大きい駅近辺にしかなかった超大型ビデオレンタル店「アコム(ご存知サラ金が当時副業でやっていたのです)」に立ち寄ると、ものすごい混雑!!!テレビは追悼番組のオンパレードで、お笑い、バラエティは一切休止。テレビ局の自主判断とはされていましたが、いわば政府の無言の圧力によるマスコミ誘導は、ある種の「言論統制」のようにも感じました。そんな訳で、陰気でつまらないテレビは沢山であると、私ら若者(当時は20台!)や子供連れは皆ビデオレンタルに走った訳です。ホント、未だかつて見たことがないほど、ビデオの棚がスカスカ状態でした。

平成元年は、私は春から新聞社に行かされて俄か新聞記者をやった年でもありました。バブル絶頂期、私は経済部の記者だったので、毎晩のように大手企業のプレス担当者から、接待攻勢があったことをよく覚えています。それも半端じゃなかったです。料亭クラスで1次会、クラブをハシゴで2次会、3次会、一流菓子折等のお土産つきでハイヤーで自宅へ送り・・・。今思うと、日本の名だたる企業が何をやってたんだか、です。もちろん記者も記者です。ほんと、異常に狂った時代でした。

その年私が働いていた横浜は、横浜博覧会が万博よろしく大々的に開かれていて、開港130周年、市制110年とかで浮かれまくってました。横浜JCはアジア太平洋なんたらとかの名称の「ASPAC89」なんて言う国際イベントを、バカみたいにカネを使って大々的に盛り上げてました。ある日「ASPAC89」の何かの催しに呼ばれていた、宇野宗佑外務大臣が突然首相候補になって、東京からも大挙マスコミが集まりました。私も駆けつけたものの、結局本人は混乱を避けて急遽出席キャンセル。残念ながらネタにならなかったことも、私には事件でした。浮かれていたので、記者仲間で笑ってその晩、酒飲み話にして盛り上がってました。

浮かれてました。ほんとバカみたいに皆浮かれてました。就任1ヶ月にして、女性問題で退陣するような首相を平気で自民党は立てていたのですから、政治も浮かれていたのです。平成元年=1989年は、海外では天安門事件やベルリンの壁崩壊があった年です。世界は決して浮かれていなかったのです。浮かれていたのは日本だけ。

それからの日本経済は、浮かれた報いで坂道を転がり落ちるような展開となりました。その後長きにわたり反省と二度と同じテツは踏むまいとの構造改革の波が押し寄せ、バブル期に浮かれた銀行が倒産に追い込まれるような厳しい不況時代を迎えるわけです。私自身も、世の流れに巻かれた結果とはいえ、当時浮かれた生活を送った一人として、その後もどこか後ろめたいものを感じつつ、反省の念を抱き続けることになりました。

世の中浮かれまくりの平成元年に生まれ、反省とリストラクチャリング(再構築)の時代に育った今年の新入社員たちは、どんな社会人になるのでしょうか?本日お目にかかった9人の新人たちは、決して浮かれていない真面目そうなでも明るい子たちばかりで、なぜかホッとさせられ少し救われた気がしました。