日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「二大政党時代」の与野党と国民の意識のあり方を考える

2009-08-31 | ニュース雑感
本日の朝刊各紙は、「政権交代」「自民歴史的大敗」の見出しが踊っています。今回の選挙結果に関して、私なりの総括をしてみます。

今回の結果は一言で言えば、民主党の大勝というよりも自民党の大敗に尽きると思います。戦後復興を支えてきた老朽化した官僚制度に寄り添う、利権主義、既得権主義の古い政治体質に国民が「NO」を突き付けた形になりました。“実力派古参議員”山崎拓氏、後継者選びが結局二世で収まり“出来レース”と言われた青森一区の津島淳氏、失態閣僚である中川昭一氏や久間章生氏らの相次ぐ落選や、派閥トップ級の大物町村信孝氏、中川秀直氏、武部勤氏らの小選挙区敗退がどのような国民の意思表示であるのか十分に考えたうえで、55年体制を引き継いできた古い自民党の考え方を一掃できる人心刷新が早急に必要であると思います。逆に言えばこの国民の意思表示は、勝った民主党に対しても「自民党と同じ轍を踏むなよ」と訴えかけている声でもあるわけです。なにしろ、そもそもの「出」は同じ政党である訳ですから、国民の最大の心配はそこにあると思います。民主党は「自民大敗」が自身に向けられた刃であるとの認識を十分に持って、政権運営にあたってほしいと思います。

“大敗”自民党立て直しのキーワードは、「新旧交代」「党内風土の抜本改革」「二大政党の野党としての責任全う」ということになるのでしょうか。「新旧交代」「党内風土の抜本改革」あたりは、いろいろなマスメディアで言い尽くされていくであろうことなので、ここでは「二大政党の野党としての責任全う」について少し触れます。今回の選挙は我が国での本格的な「マニフェスト選挙」の第一回であると言っていいと思います。すなわち内容の賛否はともかく、民主党のマニフェストがニ者択一の選択の中でより多くの支持を得、政権を担うとこのなったわけですから、“野党”自民党はこの遂行を入念にチェック・検証する義務があると考えます。選挙戦の最中は、やれ「財源が不透明だ」「バラマキだ」と批判を繰り返してきた自民党ですが、選挙が終了し民主党政権がスタートすることになったその瞬間から、批判者ではなく監視者としての役割を認識し、国民への約束が守られているかという観点を軸に据えた野党としての役割を全うすべきである思うのです。第一回のマニフェスト選挙後の政権を、野党として前政権政党である自民党がその役割を十分に果たすなら、今回の政権交代の意味合いは大きなものがあると思っています。

もうひとつ重要なことは、太田代表落選を含む小選挙区全敗という公明党の惨敗は何を意味しているか、です。公明党は、自民党と連立を組み政権運営の一翼を担ってきた政党です。選挙結果を見る限り、結局自民党の退廃を止めることも自ら袂を分かつこともできなかった、ずるずると引きずられるまま連立与党として自民党と同一化していったと国民は判断した訳です。このことは、この後新政権での連立を予定している、社民党、国民新党に対する大いなる警告でもあります。連立の役割は、ただ単に政党の存在感を増さんがための大臣ポスト獲得に終わってはいけない訳です。与党第一党が約された通りの道を歩んでいるか、国民の利益を差最優先の施策を推し進めているか、等々に関して同じ与党という立場であればこそできる牽制役を十分に意識して対処せねばならないのです。次回の選挙において、今回の公明党と同じ轍を踏むことになるか否かは、まさにその1点にかかっていると言っていいと思います。

さて我々国民一人ひとりですが、今回マニフェストの中身うんぬんではなくマスメディアに踊らされて、自民を批判的目で捉え民主党に一票を投じた人たちも多いかもしれません。しかし、どのような選択理由であろうとも、一人ひとりの投票の責任は投票後にこそあることを肝に銘じたいと思います。民主党に一票を投じた人間はその政策公約進行状況を、自民党に一票を投じた人間は先に述べたその野党としての役割の遂行状況を、忘れることなくチェックをしながら本当に自分の投票選択が正しかったのか、次の選挙に向けて自己検証することも必要であると考えます。これまでの延長線上にはない今回の選挙であるが故、今まで以上に次の選挙に向けた国民の思慮深い政治への関心と、積極的意識関与が求められてくるのだと思います。

民主党政権が果たして国民の期待通りの役割を果たすかどうか、全く不透明な現状ではありますが、この新政権が本物であるかどうか我々は自分たちの目で確かめていかなくてはいけないでしょう。そして、“新政権”“新連立与党”“新野党”それぞれが従来とは違った意識を持って、新しい日本の政治を作り上げる努力をしてほしいと思います。国民、各政党各々がそれをしなければ、今までの“古い自民党”と同じ政治の繰り返しをまた見ることになると思うのです。マスメディアも、今までとは違うマニフェストの検証意識を基本に据え、新政権の行方をつぶさに国民に知らせてほしいと思います。私も民主党の正式マニフェストを、今一度入念に読み込んで、半年、1年という定期的なサイクルでしっかりと検証していきたいと思います。

〈70年代の100枚〉№81~「グラミー歌手兼オスカー女優」の大物エンターティナー

2009-08-30 | 洋楽
70年代の米国を代表するエンターティナーとして、バーブラ・ストライザンドを触れずにやり過ごす訳にはいきません。

№81   「スター誕生/バーブラ・ストライザンド」

バーブラの本業を映画女優であると思っている人もけっこう多いのではないでしょうか。確かにアカデミー主演女優賞を受賞した「ファニー・ガール」や名作ラブロマンス「追憶」などでの名演は一流女優として素晴らしい限りですが、実は62年の彼女のデビューは歌手としてのものでした。そして日本では意外に知られていませんが、彼女のデビューアルバム『ザ・バーブラ・ストライサンド・アルバム』はいきなり大ヒットを記録し、翌63年に2つのグラミー賞を受賞するという華々しいデビューを飾っているのです。

その後も歌手として大活躍を続けながらも、自身が本来女優志望であったことから、並行して出演した映画やブロードウェイ・ミュージカルでも大活躍を続け、60年代にして既に音楽と映画の最高峰であるグラミーとオスカーの両方の受賞経歴を持つ大物エンターティナーとしての確固たる地位を築いたのです。70年代に入って、ロバート・レッドフォードとの映画「追憶」において主演かつ主題歌を歌うという彼女ならではのオリジナル・スタイルを確立します。ちなみに「追憶」は映画のヒットもさることながら、主題歌が全米№1を記録。日本でもヒットしその後コーヒーのCMにも使用されたことから、ロバータ・フラッグの「やさしく歌って」と並んで今でも広く知られるポピュラー・ソングになっています。

そして、76年満を持して制作されたミュージカル映画「スター誕生」が大ヒットします。クリス・クリストファースン演じるロックスターとの出会いと、その後スターの階段を上り詰める彼女と堕ちてゆくロックスターとの悲恋を描いた名作です。彼女はこの映画の主題歌「スター誕生愛のテーマ(エバーグリーン)」を作曲。グラミー賞のオリジナル歌曲賞を受賞しています。シングルは3週、アルバムは6週全米№1を記録。スティービー・ワンダーの「キー・オブ・ライフ」やイーグルスの「ホテル・カリホルニア」がチャートを席巻していた時代に、それらと互角の大ヒットを記録したのでした。「スター誕生愛のテーマ(エバーグリーン)」は、映画の感動的なクライマックス・シーンにもマッチした素晴らしい名曲です。

この後も映画主演&主題歌という彼女の活躍パターンは続き、「ノー・モア・ティアーズ(ドナ・サマーとのデュオ)」「ウーマン・イン・ラブ」などのヒットを連発します。歌手としては、当時全盛期であったビージーズのバディ・ギブのプロデュースで、アルバム「ギルティ」を80年にリリースし再びグラミーを受賞。これが彼女最大のヒット作となります。そして彼女は、米国で最も成功した女性歌手として認識され、「フランク・シナトラ以来最も影響力のある米国ポップ歌手」と評されるに至ったのです。確かに「ギルティ」は、歌手バーブラ・ストライザンドの代表作というにふさわしいアルバムですが、歌手&女優という“バーブラ・スタイル”を象徴する代表作は間違いなく「スター誕生」であり、彼女を代表するアルバムと言えばこちらの1枚であると思っています。

売れ筋ブック・レビュー~「ビジネスで失敗する人の10の法則/ドナルドRキーオ」

2009-08-28 | ブックレビュー
★「ビジネスで失敗する人の10の法則/ドナルドRキーオ(日本経済新聞出版社1600円)」

売れているようです。私が購入したのが2カ月ほど前。当時初版のこの本、最近書店で見たら6刷だったような。けっこうな売れ行きです。実は書店で見かけて、途中まで読んで忘れていて、うずたかく積まれた本の山の下敷きなっていたのを思い出しました。

著者は元コカコーラ社長。現在投資銀行の会長を務める傍ら、マクドナルド、ハインツ、ワシントン・ポストなどの取締役を兼務する現役ビジネス・パーソンです。私が購入した理由はタイトルですね。売れている理由も同じでしょうか。「成功する人の10の法則」だったら購入しなかったでしょうが、「失敗する人の…」と言われると自己確認をしたくなる人間の習性でしょうか、ついつい読んでみたくなります。「10の法則のうち1つでもあてはまるならあなたの仕事は高確率で失敗だ」と帯裏にあり、ますます読んでみたくさせられます。でも、中身は至ってオーソドックスなものです。実は、私が途中まで読んで“積ん読”化した理由はその辺にあるのですが…。

10の法則は、「リスクをとるのを止める」「柔軟性をなくす」「部下を遠ざける」「自分は無謬だと考える」「反則すれすれのところで戦う」「考えるのに時間を使わない」「専門家や外部コンサルタントを全面的に信用する」「官僚組織を愛する」「一貫性のないメッセージを送る」「将来を恐れる」そしておまけとして、「仕事への熱意、人生への熱意を失う」となっています。そしてこの中で、“最も重要”と付されているのが一番目の「リスクをとるのを止める」と論じています。これは要するに「過去の成功に胡坐をかく」とか「守りに走る」とかそういうことで、ユニクロの柳井正社長の「1勝9敗」と同じようなこと、「失敗を恐れず挑戦することの重要さ」を言っています。実例としてゼロックスの大成功の後の凋落をあげ、同社は実はPC開発で技術開発面で他社より約5年も進んでいながら“ボックス・タイプの人間がリスクをとならなくなった”ために、複写機販売に固執し商機を逸したと。リスクをとることで仮に失敗をしてもそこから得るモノは多く、実は前に進んでいるのだと。言い古されてはいますが、おっしゃる通り正論ですね。

著者が本書内で言っているように、この「最重要点」を含めて書かれていることは「革命的なことはなにひとつ書いていない。すべて常識的なことばかり」であります。少し意地悪な言い方をすれば、10の項目の中身は関連という以上にダブりもあって、MECEでありません。その辺が読んでいてちょっと気持ち悪い感じも…。ならば、今なぜこの本なのか、アメリカでなぜこの本が企画され、売れたのかを考える必要がありそうです。答えは明白です。「コカコーラ=強いアメリカの象徴」ということを考えれば、今の大不況下、強いアメリカを象徴的に作ってきたビジネス・パーソンにその経営術を語らせることで、不況に苦しみながらも元気を求めているアメリカの経営者にエールを送ろうというものに違いないのです。ですから、中身はある意味どうでもよろしい。革新的でなく常識的なセンでいいわけです。今だからこそ、USAブランドのコカコーラが語ることが大切な訳です。だから表紙もコカコーラ・カラーなわけです。日本でこの表紙にする意味はあまり感じません。

と言うわけで、決して悪い本ではありませんが中身は至ってオーソドックス故、経営における“常識”を持ち合わせているという自負をお持ちの経営者なら、この本を読む時間を他の本を読む時間に充てたほうが有益でしょう。10点満点で6点。日本語訳がビジネス書としてこなれていない点も気になりました。最近では「デキる人の脳」や「ネコに学ぶ…」のように、一流コンサルタントが訳または監修し、あちらの書籍を日本のビジネス・パーソン向けにより分かりやすくまとめあげるやり方が続々出ているだけに、翻訳家に任せきりの作り様はちょっと残念です。もし私が監修するなら、例えば「官僚組織を愛する」に関して、官僚制度的管理の利点は中小企業においても活用する価値は大いにありなのですが、その上に立つ人たちが官僚的にならないことが大切であるといった論点での具体的解説を加えた方が、より実践的で生きた書籍になると思いました。

電子書籍端末にみるソニーの“同じ轍”

2009-08-26 | ビジネス
またソニーがらみの話です。

ソニーは25日、ワイヤレスで電子書籍をダウンロードして閲覧できる電子書籍端末「リーダー」の新製品「デーリーエディション」を399ドル(約3万8千円)で12月に米国で販売開始すると発表しました。電子書籍端末とは、書籍を紙媒体でなく電子媒体として読む機械であり、アマゾンが07年に発売した「キンドル(=写真)」がその代表格です。そもそもはこの分野、ソニーが先行して04年にまず日本で端末「リブリエ」を発売。しかし、普及せず07年5月に撤退。06年秋から米国で初代「リーダー」を売り出し事業の足場を移したもののまたもや思うように普及せず、苦戦を強いられてきました。そんな中、後発アマゾンの「キンドル」がデータ取り込みの簡便性などの機能面の充実が受け、07年の発売以降急速に注目を集め、今年2月発売の新バージョン「2」も好評のうちに順調に市場拡大しているのです。このあたりにまたもや、ソニーの開発力の弱さが漂っているのです。

電子書籍と言うものは、ソニーが90年代前半から「電子ブック」として国内で開拓をしてきた新領域でありましたが、パソコンの普及もあって思うように伸びず今や自然消滅状態。要は紙=活字文化が強く根付いている我が国においては結局根づかず、早々に淘汰されていた分野だったのです。商売柄、本の購入量はかなり多い私ですが、どうもこの手の商品には触手が伸びません。日本人的なのかもしれませんが、、全体感がつかみにくいというか、私の購入書籍の大半を占めるビジネス書では、パラパラめくって気になったところから読むという読み方がけっこう有効で、そのやり方がどうもやりにくいという点につきます。

読めればいいというアメリカ的な合理主義の考え方とは相いれない訳で、日本での普及はかなり疑問に思っています。「電子ブック」の時代に持っていたので、良く分かるのですがおよそ日本人文化にはなじまない商品かなと思います。「キンドル」が普及したのは、アメリカ人の合理主義に加えて国土が広く本屋に行くにも何十マイルも車を走らせるのが当たり前というアメリカ的背景を受け、日本とは少し違う理由で急成長したネット最大の書店アマゾンが始めた商品・サービスであるという点が、かなり大きく影響したと言えるのではないでしょうか。とは言いつつも、現時点で電子書籍販売は全出版販売数の1%程度とごくごくシェアは小さく、まだまだこれからの市場であります。「キンドル」が日本でも普及すれば出版業界は大きく変わることになりますが、果たしてどうでしょうか?私にはどうしても紙で作られた書籍が電子書籍にとって代わられるとは思えないのですが…。

それはさておき、話をもどしてソニーです。
開発で先行していた商品が、後発のライバルに“中身”で差をつけられ、追い抜かれてその真似をしつつ背中を追う展開。似たような光景を見た覚えがありますよね。そう、アップル社のipodに並ぶ間もなく抜き去られた携帯音楽プレイヤーの世界、任天堂wiiに大きく水を空けられたゲーム機器の世界です。また同じことを電子書籍端末の世界でしようとしています。すなわち価格をライバルと同じ水準にまで“値引き”し、コンテンツ勝負で巻き返しを図る。いかにもハリウッド・ビジネス出身のストリンガー氏らしい展開です。同じ轍を何度も何度も踏もうとしているかのようなこの戦略は、経営の戦略的行き詰まりを象徴している事に他ならず、戦略的破綻の末期症状であるように思えてなりません。

それともうひとつ、「SONY」は日本が世界に誇る“メイド・イン・ジャパン”ブランドであり、例えトップがアメリカ人になりどんなに企業の国際化が進展しようと、やはりフランチャイズは日本であるハズなのです。そのソニーが日本で受け入れられず撤退した商品を海外で再展開する、この点にもどこか違和感を覚えずにはいられません。ソニーは今回の発表に際しても、「日本での販売は考えていない」とハッキリ断言しているのです。

私がソニーのことをしつこく取り上げ続けるのは、同社がトヨタと並ぶ日本が世界に誇るナショナル・ブランドであり、その業績回復が日本経済の回復へも少なからず影響を及ぼすであろう存在であるからに他なりません。ソニーの“迷走”がいつまで続くのか、その回答が得られない限り、景気の本格的回復はまだまだ遠いように感じられます。

“掟破り”「SMAP→SOFT BANK」CMのよくできたマーケ的仕掛け

2009-08-24 | マーケティング
書こう書こうと思って忘れていたSMAP=ソフトバンクのCMの話です。

この8月からソフトバンクの携帯電話のキャラクターにSMAPが起用されました。既にTVスポットでバンバン流れているので、ご覧になっていることと思います。良く考えてください。SMAPと言えば、別の携帯電話会社のCMやってませんでした?そうですよね、長年ドコモを含めたNTTグループの“顔”だったような気がしていますが…。よくよく調べてみると、この4月で97年から続いたキャラクター契約が切れたとのことで、言ってみれば突如の電撃移籍な訳です。でも、これって今までの広告業界の常識から言えばタブーですよね?“お父さん犬”が人気の「白戸家シリーズ」のCMが絶大な評価を得ているソフトバンクが、怖いもの知らずの“掟破り戦略”に打って出たということなのでしょう。

しかもメインコピーは、「COME ON!」「SMAP→SOFT BANK」って、要するに「SMAPもソフトバンクに移籍したから、みんなもおいでよ!」って訳でょ。あまりに露骨な、挑戦的なCMですよね。「白戸家シリーズ」は電通ですからね。当然これも電通さんですよね?こんなこと平気で出来るの電通だからですよね。NTTの仕事は要らないってことですかね。すごいことやります。ソフトバンクの孫さんもたいしたタマです。今まで、絶対にスポンサー企業のHPにキャラクターの画像を載せたり、キャラクターの動画を配信したりすることは徹底的にNGだったジャニーズが、今回のソフトバンクにはそれを認めているんですね。これは驚き!一体いくら積んだんですか?孫さん。

ここまでもけっこう話題に事欠かないCM話なんですが、中身もさすが電通(確認してませんが、でしょ?)、よく練られています。まず、スマップの起用には「移籍」以外にもそれなりの理由があります。それは、ソフトバンクの客層が圧倒的に若いということ。ホワイトプランをメイン戦略に据えたり、アップルのPhoneを取り扱ったりと、次々繰り出す目新しい戦略は確実に若者の心を捉え、人気急下降のAUを尻目に着実にシェアを伸ばし、王者ドコモの背中を急速に追い上げているのです。そんなソフトバンクの課題は中高年層の取り込み。そこで、若者よりもむしろ今や中高年に圧倒的人気を誇るSMAPの登場と相成った訳です。

そしてこのCMがさらに良くできているのは、キャラクターに負けないその圧倒的なBGMの存在感です。曲は年代問わず皆さんご存じ「ロコモーション」。作曲は昨年来日御歳67歳のキャロル・キングです。キャロル・キングと言えば、あのニール・セダカが「オー、キャロル!」と歌ったその人ですから、まさに60代のアイドルですね。そして「ロコモーション」は、最初のヒットがキャロルのベビーシッターだったリトル・エヴァが歌った62年。日本では伊東ゆかりがカバーしていたので、今の50~60代世代の誰もが知ってる超メジャー曲な訳です。ところが、CMで使われているのはリトル・エヴァのオリジナル・バージョンではなく、アメリカのロックバンド、グランド・ファンクのカバー・バージョンです。これが流行ったのはまさに私の時代で、74年トッド・ラングレンのプロデュースで本家を上回る大ヒットを記録しています。すなわち、このバージョンに確実に耳を奪われるのは40代後半な訳です。さらにこの曲、87年にはカイリー・ミノーグがまたまたカバーして大ヒットしています。という訳で、ついでにしっかり30代後半~40代前半も押さえているのです。

PPM分析的に言うなら、携帯の顧客層拡大の観点からは市場成長が見込めつつもシェア的に弱い「負け犬」をシェアを上げることで「花形商品」に移行させようというマーケティング戦略に則って十分に練られたCMであり、キャスティング、CMイメージ、メイン・コピー、BGM等々、幅広いターゲット・ゾーンを捉えた実に良くできた作品であると思います。これだけ教科書通りのマーケティング戦略に打って出て、果たして成果はどうでるか?結果が楽しみですね。最後に余談です。CMの最後にSMAPとエキストラ300人が建物から野原に飛び出すと建物の全貌が映ります。するとそこには犬の形の煙突から煙が…。それは白い犬。当然「白い犬」=「白戸家のお父さん」ってことですよね。いやぁ、芸が細かい!こんなところにまで、マニアを喜ばす仕掛けをするなんて、電通さん何気に憎いですね。

〈70年代の100枚〉№80~ライブで知る本場エンターティナーの実力

2009-08-22 | 洋楽
アメリカの音楽ショービズ界には、日本とはちょっと違うスターのタイプが存在しています。一言で言うとエンターティナー。日本の北島三郎や五木ひろしとは違うし、音楽的には布施明に近いのかもしれませんが、もっと大物感があるとでもいいましょうか。代表格は何と言ってもフランク・シナトラな訳で、そのシナトラ自身から70年代に自分の後継者と名指し指名を受けたエンターティナー、それがバリー・マニロウです。

№80       「ライブ/バリー・マニロウ」

バリー・マニロウは、その下積み時代をベッド・ミドラー(この人もアメリカショービズ界の重鎮です)とともに過ごし、彼女の1、2枚目のアルバムの共同プロデューサーとしてその名を知られるようになります。そして、73年に自作曲中心のアルバムでソロ・デビューするも全く売れず。ところがその直後、所属レコード会社がクライブ・デイビスのアリスタに統合されたことで一転。彼の才能を見抜いていたクライブは、74年彼に他人曲である「哀しみのマンディ」を歌わせ、見事全米№1を獲得するのです。この曲を含んだセカンド・アルバム「バリー・マニロウⅡ」も大ヒットし、彗星の如く現れた新人として、一躍全米中の注目を集める存在になったのでした。この頃の彼のイメージと言えば、「哀しみのマンディ」こそ他人曲であったものの、エルトン・ジョンばりのピアノで弾き語るシンガー=ソング・ライターといった印象でした。少なくとも「哀しみのマンディ」の彼からは、およそシナトラを継ぐエンターティナーのイメージは皆無です。ではいつから彼はエンターティナー路線に移行したのでしょう?

ディック・クラークのTVショーへのレギュラー的出演が、大きく彼を飛躍させたと言われています。ディックは、「マンディ」でブレイクした直後の彼に目を止め、TVエンターティナーとして育てることを思いついて所属レコード会社のボスであるクライブ・デイビスに相談し、彼のエンターティナー化戦略を練り上げたのです。以降、ディックのレギュラー・プログラムの他、いくつかの特番が放映され、TV会のオスカーと言われるエミー賞を受賞するなどの栄誉にも輝き、当時の他のシンガーたちとは違った路線で独自の地位を築きあげたのです。言ってみれば、バリー本人とボスのクライブ、そしてTV界のカリスマ、ディック・クラークの3人の英知を結集した戦略だったわけです。バリーはそんな戦略に上手に乗って、「歌の贈り物」「涙色の微笑」「思い出の中に」「愛を歌に込めて」「愛に生きる二人」などのヒット曲を連発。「歌の贈り物」と「思い出の中に」はともに全米No.1を記録しています。日本では、その最大のヒット曲がダンスナンバーの「コパカバーナ」だったことから、ややもするとディスコ・シンガーのように思われている向きもありそうですが、やはり彼の真骨頂はどんなタイプの歌も自分のスタイルで歌いあげる、その歌唱力にこそあるのです。

さてさてアルバム「ライブ」は2枚組レコードに、彼のエンターテイナーとしての魅力をギッシリ詰め込んだ珠玉のライブ・アルバムであり、スタジオ盤からだけではうかがい知れないバリーのエンターティナーとしての実力の一端を垣間見ることができます。特にメドレーで展開される曲たちには、あらゆるタイプの楽曲を確実に自身のスタイルで歌いあげていくものであり、その熱唱はある意味圧巻であります。ちょっと間違うとオヤジ臭さの極致になりそうな、日本で言うことろの「歌謡ショー」的展開でもあるのですが、それをそうさせないところが彼の底力であり、シンガー=ソング・ライターと実力派シンガーそしてプロデューサーとしての経験と才能をミックスし、独自のスタイルを作り上げているが故の真の実力であると言っていいと思います。

77年リリースのこのアルバム、それまでのベスト盤的性格と評判が高かったテージをおさめた待望の企画モノであり、全米チャートではバリー初めての、その後のキャリアを通じても彼唯一の№1アルバムとなっています。近年のロッド・スチュワートの素晴らしい活躍にすら正当な評価が下せないほどショービズに対する認識に乏しい日本では、なかなか受け入れられない類の音楽であるのかもしれませんが、これぞ本場のエンターティメントとの賞賛に値するすばらしいライブ盤でありもっと多くの音楽ファンに聞いていただきたい作品なのです。本作は近年、日本でも大幅に未発表音源を加えたデラックス版2枚組CDがリリースされています。バリー・マニロウ=「コパカバーナ」のイメージしかない方々には、ぜひともこのライブのデラックス版で、彼のエンターティナーとしての素晴らしさを味わってみていただきたく思います。

経営のトリセツ66~すぐに使える「見える化」のヒント8 PCは「見えない化」の宝庫

2009-08-21 | 経営
今回はパソコン(以下PC)がらみでの、「見える化」の落とし穴について少々。

上場企業の内部統制報告が義務づけられ(いわゆるJ-SOX法と言うヤツです)、私が監査役を務めさせていただいている企業でも昨年来てんやわんやの大騒ぎでして、ホント上場するということはいろいろな意味でとってもコストがかかるものであると実感させられております。それはさておき、このJ-SOX法対応での内部統制構築、一言で言うとプロセスを書きおこしてリスクの所在を明確にしましょうということなのですが、これはまさに業務プロセスの「見える化」な訳です。そしてその「見える化」の道具として使われる重要なツールのひとつが「IT化」。すなわち「PCによる管理の見える化」=「IT統制」と言われるものです。

と書くと「PCによる管理」=「見える化」と思われがちですが、J-SOX法対応ではあくまでアナログ的に「見える化」された業務プロセスを、動かないように「IT化」で固定するだけの話でして、決して「IT化」=「見える化」ではないという点は要チェックなのです。それどころか「IT化」すなわちPCによる業務遂行および業務管理には、「見える化」の“落とし穴”が一杯存在しているのです。むしろ、「PCはブラック・ボックスである」というぐらいに思っていただいていた方が間違いないかもしれません。

“落とし穴”としてまずあげられるのは、PC内(正確にはイントラ内)での情報共有です。通常イントラ内の共有フォルダに情報が保管されるケースがほとんですが、見ようと思わなければ見ない、フォルダが閉じていれば見えない、フォルダそのものの存在感に乏しい等々、「見える化」の観点からは重大な問題点が多く、「見えない化」=「隠す化」の最たるものなのです。10年ほど前だったでしょうか、ウインドウズ95以降オフィスのIT化は急速に進み、情報の「ペーパーレス化」が一斉に叫ばれた時代がありました。すなわち、印刷しない、ペーパー化しない、情報はPC内で見て共有する、というのがその趣旨だったのです。ところが、どうもこのところこの「ペーパーレス化」のトーンはかなり弱くなっているように思います。その原因はまさに、PCが持つ「見えない化」=「隠す化」特性にあるのです。

PCメールもまた「見えない化」=「隠す化」につながっています。メールは確かに便利な伝達手段なのですが、開けなければそれまでという重大な「見えない化」要因をはらんでいるのです。特に一日に大量のメールを受け取る人間にとって、その取捨選択基準はタイトルによる場合も多く、「あとで時間のある時に読もう」などと後回しにされたメールはちゃんと読まれた試しがない、と断言しても反論する人は意外に少ないのではないでしょうか。これぞまさに「隠す化」です。ペーパーで渡せばまず読むでしょう。電話で話せば確実に聞くでしょう。面と向かって話すなら間違いなく意図が伝わるでしょう。それがメールではろくに読まれずに終わることも多いのです。重要事項の社内通知をメールの一斉同報などで通知するのは、非常に危険!くれぐれも要注意です。

PCのさらに弱い部分は、画面と人は基本的に1対1対応であり、PC内情報の複数人数での同時共有ができない(チャットという手段もありますが、あまり一般的ではないです)という点です。すなわち同時に同じモノを見ることから生まれるコミュニケーションによる、お互いの感覚の「見える化」と言う点でも大きなマイナス・ポイントであると言えます。PCのない時代なら、例えばパンフレットに使いたい写真はプリントして同時に見ることで情報共有したはずです。それが、画像データで簡単に受け渡しできることで、「送りますから見ておいて」的やりとりが平然と同じオフィス内でも展開されているのです。こういった業務の流れが常識化してしまうことでお互いの「見える化」コミュニケーションが失われるのは、大きな損失であると思うのです。

さらにさらに、もっと端的で分かりやすいPCの「見えない化」=「隠す化」は、PCに向かっていれば仕事をしているかのように見えると言う「執務実態を隠す」という現実です。極端なことを言えば、PCに向かって趣味のページを見ていようと、何もしないで腕組みをしているだけでも仕事をしているように見え、当人の後ろに回らなければ分からないのです。もちろんログをとって調べればどれぐらいサボっているか分かるよ、という方もいるでしょうが、そんな余計な監視コストをかけるだけ無駄というものです。

以上を総合して考えると、PCを活用する業務プロセスは、言ってみるとあらゆる情報を大きな紙袋に入れしまったようなものなのです。PCというハコに入ってしまうと画面と相対する当人以外、周囲からは中がどう扱われているのか見えなくなってしまう、まさに「ブラック・ボックス」と言ってもいい状態であります。もちろんPCは、今やオフィス業務において必要不可欠なものではあります。しかし使われ方、管理の仕方によっては「見えない化」=「隠す化」になり、使わない方がいい場面も多々ありますので、十分注意が必要ということなのです。とりわけ社内情報共有や社内伝達は、コミュニケーション活性化の観点からも極力アナログな手段で「見える化」を心がけることをお勧めいたします。

「夢」が見えないSONYのプレステ戦略

2009-08-19 | マーケティング
ソニー(ソニー・コンピュータエンタテインメント)が、家庭用ゲーム機「プレイステーション3」(PS3)の新モデルを開発し、製品スペックを向上させながらも価格を現状の3万9980円(実勢価格)から2万9980円に1万円値下げして9月3日に売り出すと発表しました。値下げの理由は明白、家庭用ゲーム機器最大のライバルである任天堂Wiiに対する必死の巻き返し策に違いありません。PS3の今年4-6月期の世界販売台数は、110万台。任天堂の「Wii」に比べて半分程度にとどまっているそうです。ソニーにとってみれば、現行よりも1万円安い新型機を売り出すという戦略は、もうこれ以上負けられないという背水の決意に他ならないのです。

この背水の決意、表向きは“ハイブリッド戦争”における、ホンダのインサイト登場により新型プリウスの価格低下戦略を打ち出したトヨタの戦略に近いように見えますが、“ハイブリッド戦争”と違って価格だけでなくこの戦略によってソニーが失うものは計り知れなく大きいのではないか、という懸念がこの裏側に潜んでるように思っています。失う大きなものとは、「ブランド力」に他なりません。ソニーは早くから日本発で世界的に通用する「ブランド力」を備えた企業として発展してきました。ソニーの「ブランド力」を支えてきたものは、まさに「技術力」であり「製品開発力」であったハズです。ところがここ10年のソニーはと言えば、PCに新たな流れを作った「VAIO」以来ソニーらしい商品は全く登場していません。そして、ライバルに水をあけられそうになるや今度は「値下げ」…。

ソニーは古く家電販売秋葉原全盛の時代から、「値引率が低い」「社員割引でも安売り家電店以下にはならない」などと言われ、値崩れ防止によるブランド力向上も視野に入れた戦略をとり続けてきたはずです。「技術力」「開発力」に加えて、そういった地道な「ブランド力」構築努力があって、「世界のソニー」という一流の地位を保ってきた訳なのです。ことろがここにきて、携帯音楽機器ではアップルに惨敗状態、液晶テレビではシャープに№1ブランド構築を許す、そして90年代に一世を風靡したゲーム機器「プレイステーション」では任天堂に水をあけられる一方である等々、やることなすこと“負け戦”の連続であり、「ソニーブランド」は大きくその価値を下げてきているのです。

その最中に、今度は「プレイステーション」の値下げ販売。もちろん、ハードを赤字覚悟で販売してソフトで儲けると言うやり方は、消耗品で儲けるパソコン・プリンターや通話料で儲ける少し前までの携帯電話のビジネス・モデルと同様で、決して誤った戦略でないのは確かなことでしょう。ただ問題は、今のソニーがそれをやっていいのかということです。連戦連勝の時代に、収益還元的に機器の値下げをすることはむしろ「ブランド力」向上につながることなのですが、先の話のようにことごとく負け続きの今、「負け組の苦境」を象徴するかのような値下戦略が果たして正解であるのか、私はいささか疑問に思っております。

ソニーと言えば“やわらかアタマ”の代表企業であったはず。自由闊達なその社風が技術力と相まって、次々素晴らしい新製品を世に送り出してきたのではなかったでしょうか。今のソニーはと言えば、「過去の遺産で食べている」、いや「過去の遺産を食い尽さん勢いで減らしている」状況にあると言わざるを得ないのです。なぜソニーはこんなにも変わってしまったのか、社内風土の変化はひとえに経営者の方針の反映に他なりません。すなわちトップのストリンガー氏のが作り出した今の社風が、過去の絶大な「ブランド力」の低下を及ぼしていると断言していいと思います。社風を良くするもの悪くするのも、大企業でも中小企業でもトップのやり方ひとつな訳です。

ソニーの不調を景気低迷に責任転嫁するむきもありますが、先のアップルや任天堂が世界的景気低迷下にあって絶好調を続けているのを見れば、過去のソニーならば本来同じように“不景気どこ吹く風組”に入っていて当然の流れだったはずなのです。歩きながら音楽を聴くという発想から生まれた再生専用の音楽機器「ウォークマン」や、大きな商売にはならなくとも「いたらいいな」の犬型ロボット「AIBO」のような商品を開発できる風土が、かつてのソニーにはあったはずです。それがまさに「夢」をつくる企業風土であり、画期的な商品を次々世に送り出す開発力であり、不況に負けない企業力であったハズなのです。ライバルに勝てないから値下げで対抗する、そんな発想は「ブランド力」の低下を及ぼす以外のなにものでもなく、かつてのソニーには絶対に許されなかったのではないでしょうか。

価格やスペック勝負でなく、アップルや任天堂に「発想」で勝てる「夢」のある商品開発が出来ない限りソニーの復活はありえないとあえて断言させてもらいましょう。ソニーが今するべきことは製品の値下戦略ではなく、技術力を「夢」につなげる開発風土にもう一度回帰させることができる「技術のソニー」を理解した新たなトップへの交代ではないのか、と強く感じさせられた新プレステ戦略の発表でありました。

「選挙カーでの名前の連呼」、そろそろ止めてみてはいかが?

2009-08-18 | その他あれこれ
衆院議員選挙が本日公示され、いよいよ「政権選択」をテーマとした選挙戦の火ぶたがきって落とされました。

私が住む埼玉県熊谷市は人口約20万人の埼玉県北部地域の中心都市でありまして、小選挙区埼玉12区最大の街でもあります。そんな訳で、公示日の本日は朝から選挙カーが入れ替わり立ち替わり行ったり来たり。我が家および弊社事務所はともに駅前地域に位置しているもので、うるさいことこの上なし。暑いこの時期に2週間近くもこのやかましい状態が続くのかと思うと、少々イライラな気分にさせられます。

そもそも選挙カーの候補者名連呼って何でしょう?これって日本独特のものじゃないかと思います。候補者名を連呼してどうするのかと考えてみると、要するに名前を覚えてもらって投票日に投票所で一番記憶に残っている名前を書かせようっていう魂胆以外ちょっと考えにくい訳です。となるとそれって事のおこりは、戦後日本で成人男女に平等な選挙権が与えられた頃、慣れない選挙投票で何を基準に候補者の取捨選択をすればいいのか分からない選挙権取得者相手の印象付け戦略に他ならないのではないかと思います。それが今だに生きている???やっている候補者事務所の方々、その辺のこと考えたことないでしょ?今のやり方で本当にいいのですか?

意味なくやっていること、習慣としてやっていることに関しては、ときどき振り返ってその存在意義を問いただしてみる必要があったりします。すなわち、ロジック・ツリー的にその大元の「目的」から検証して、本当に必要な、あるいは有効な習慣であるのか問いただしてみる訳です。何の気なしに続けていたことが、意外に意味をなさなかったり、既に当初の目的を失っていたりすることもよくある話なのです。企業においても、歴史のある企業などではそんなケースが案外多かったりします。コンサルタントは商売柄、よくそういう形骸化した習慣にぶち当たることがあるのですが、コンサルタントの出入りがなくとも転職者などが入社してきた際に、「この行事は、なんでやっているのですか?」とでも尋ねられたとしたら、その時は再検証の大チャンス!「創業期から続いているらしいよ」とかの理由しか思い当たらないものは、即見直し検討対象となる訳です。

さてさて、話を戻して選挙カー名前連呼の話。選挙を「WHY-WHAT-HOW」のロジックツリーで展開してみます。大元の「WHY(目的)」は当然「当選」です。「WHAT(どうやって)」は3つに落とし込むと、今の時代は「所属政党の政策アピール」「候補者自身の人物像および主張への理解」「候補者の選挙区への貢献アピール」の3つあたりになるのが妥当なセンでしょう。そしてこの3つの下に「HOWツリー」、すなわち(具体策)がぶら下がる訳ですが、3つの「WHAT」にそれぞれ3つづつの「HOW」をぶら下げたとしても、「選挙カーでの名前の連呼」はどこにもぶら下げる場所がないと思うのです。すなわち総選挙が、二大政党制の流れに進展し政権選択選挙と言われる時代に入った現在では、「選挙カーでの名前の連呼」はもはやその役割を終え無意味な選挙活動になったと言えるわけです。

もちろん、「今日何時からどこどこで候補者の演説があります」等の告知をするの目的であるなら、選挙カーでの候補者の名前を伝える意味はあると思います。しかし特段の告知事項もなくただ候補者の名前を連呼するやり方は、今の時代ひたすらうるさいだけでむしろ候補者の印象を悪くする意外の何物でもないように思いますが、いかがでしょう。

選挙を戦う各陣営の皆さん、マニフェスト優先の政権選択選挙の時代なのですから、よくよく選挙戦略もロジカルに組み立て欲しいものです。「選挙カーでの名前の連呼」をもし、「昔からの習慣だから」「敵がやるから」という理由で続けているのでしたら、なぜやっているのか、どんな効果がどれほどあるのか、マイナス効果との比較はどうか等々、よくよくロジカルに考えてみた上で検証してみることをおすすめします。個人的には、現在の国民の国政への関心の在り処を考えれば、この“連呼”そろそろお止めになられた方がいいのではないかと思っておりますが…。

〈70年代の100枚〉№79~元祖“美形シンガー”の出世作

2009-08-16 | 洋楽
今回はどう転んでも名盤の類に入るアルバムではありません。ただ70年代の洋楽を語る時に外せない女性アーティストの代表作であることだけは確かではあるのですが…。彼女、今では洋楽ファン以外でも、多くの人がその名を知る大物です。この作品は、そんな彼女が時代を代表する世界的スターへの足がかりを作った記念碑的アルバムなのです。

№79        「そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン=ジョン」

オリビアはイギリス生まれオーストラリア育ちで、71年祖国イギリスに渡りディランの「イフ・ノット・フォー・ユー」でデビュー。この曲がアメリカでスマッシュ・ヒットしたことからカントリー路線での売り出しを余儀なくされ、74年にはカントリー一直線の「レット・ミー・ビー・ゼア(全米6位)」「イフ・ユー・ラブ・ミー(同5位)」の連続ヒットで、“カントリー界の美形ニューフェイス”として俄然注目を集めます。連続ヒットに気を良くしたレコード会社は、アルバム「イフ・ユー・ラブ・ミー」から実験的にバラード・シングル「愛の告白」をシングル・カット。これが意外にも全米№1に輝くことになり、活動の拠点をイギリスからアメリカへ移すと同時に“カントリー娘”からの路線変更をおこなうという一大プロジェクトが敢行されました。その結果リリースされた“脱カントリー”の第一弾が、75年のこのアルバム「そよ風の誘惑」だったわけです(実はアルバム全体としては適度なカントリー臭を残していて、その後もドリー・パートンの「ジョリーン」のカバーやジョン・デンバーとの共演など、70年代一杯は“カントリー出身”を多少意識した活動が展開されます)。

タイトル・ナンバーA1「そよ風の誘惑」は、従来のカントリー路線の“いなたさ”を全く感じさせない軽めの都会的ポップ・ナンバーに仕上げられています。この曲は、第一弾シングルとしてアルバムと同時リリースされ、チャートをぐんぐん上昇。あっという間に全米№1を獲得しました。さらに日本でも大ヒットを記録。それまで一部の洋楽ファンの間でしか知られていなかった彼女の名前は、ルックスの良さと相まって一般的なレベルにまで広く知られる存在となりました(洋楽音痴の同級生が、このアルバムを買って持っていたのには驚きましたね)。米国ではアルバムから、第2弾B5「プリーズ・ミスター・プリーズ(全米第3位)」B3「フォロー・ミー」がシングルとしてカットされ、アルバムも初の全米№1を記録。オリビアは彼女の第一期黄金時代と言える活躍を展開したのです。

その後、彼女は映画界にも進出。ジョン・トラボルタとの「グリース」や「ザナドゥ」に主演しつつその挿入歌をヒットさせ、女優兼歌手としてショウビズ界の“大物”への道を歩みますが、「グリース」以外の映画はことごとく失敗に終わります。そこで80年代には一転セクシー路線での専業歌手回帰を果たし、「フィジカル」の10週連続№1ヒットなどによって見事に第二期黄金時代を築くとともに、歴史にその名を残す一大アーティストにのぼりつめたのです。彼女の全キャリアを振り返るとき、華やかさでは80年代の大活躍に一歩譲る感があるものの、70年代半ばにこのアルバムを引っ提げてメイン・ストリームに登場したそのインパクトは、かなり鮮烈なものがありました。特にその強力なルックス的魅力と歌唱力を併せ持った女性シンガーの登場は、マドンナやセリーヌ・ディオンらに引き継がれる、80年代以降のミュージック・シーンにおける女性アーティストのプロトタイプのひとつを作り上げたと言っていいと思います。

冒頭にも申し上げたように、このアルバムは作品として決して音楽的に語り継がれるようなものではありません。ただ、ロック・ミュージックとは一線を画しながらも全米を制覇した商業音楽の最高峰であり、カーペンターズやアバと同列に評価される大衆音楽的大物の代表作として、リアルタイムで経験した私たちにとっては忘れることのできない作品であることは間違いありません。そんな観点から、「70年代の100枚」にふさわしいアルバムであると思うのです。