日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「Phone上陸」に見る、日本的「既得権ビジネス」崩壊の行方

2008-06-30 | マーケティング
“携帯電話戦争”を大きく揺るがしかねない注目の商品、アップル・コンピュータの「Phone」がいよいよ7月11日に国内初お目見えとなります。

まず、Phoneの説明から。大半の方はご存じかとは思いますが、アップル社製のスマートフォンです。キーパッドを廃しタッチパネル主体としたデザインが特徴で、電話としての機能に加えて3.5インチのワイドディスプレイでテレビ番組、映画などを見ることができます。しかもアップルとYouTubeの提携により、iPhoneに最適化された(H.264) YouTube が利用可能。もちろん音楽はiPodの利便性をそのまま搭載し、iTunesから画像添付でのダウンロードもOKです。

衰えを知らないiPod人気を考えるに、最新版iPodがまんま携帯になったとも言える、Phoneが人気にならない訳がありません。昨年7月の発売以来、米国内ではすでに600万台を売り、品薄状態が続いていると聞きます。その人気の秘密のもうひとつは、機能に比べての価格の安さにあります。7月11日ソフトバンクから発売予定の国内版は、先の機能てんこ盛りでなんと8Gモデルが2万3千円也!ドコモさんの高機能新型携帯が軒並み5万円台となっているのと比べて、「半額」以下という驚異です。

なぜ、こんなことができるのでしょう?

携帯の安売りと言えば、「0円携帯」を代表とする少し前までの日本の携帯ビジネスに見られた“嘘つき価格”が思い起こされます。日本の携帯安売りは、実は販売時に安く売って高い通話料で販売時の値引き以上を取り返すという、ある意味“だまし”の商法でした。すなわち、販売時の値引き分は利用者が後からしっかり取られていた訳です。これこそ“官系企業”のNTTドコモ、KDDI両社が、お友だちの官僚とつるんで考えた日本的「既得権ビジネス」の正体なのです。

しかしながら、今回のPhoneの安価の理由は全く違います。一言で言えば、“ふたつのオープン化”によるものと言えます。ひとつは、「販売エリアのオープン化」です。日本の携帯ビジネスは官僚管理の下の寡占ビジネスであり、その既得権を守らんがために長く「鎖国状態」にあります。すなわち日本の携帯電話は、日本でしか使えない、つまり国内向けであるが故に製造台数が限られているのです。

ところがアップルの携帯は、世界に向けて販売展開を考え作られています。すなわち、日本の携帯電話とは製造見込み台数が文字通りケタ違いであり、開発コストの吸収力、製造単価の圧縮度が全く違う訳です。これが安価の第一の理由です。

価格を抑えたいま一つのオープン化は、通称SDKと言われる「ソフトウェア開発キット(Software Development Kit) のオープン化(公開)」にあります。すなわち、近年のビジネスのグローバルな流れは「オープン・ソース化」であり、ソースをオープンにすることで、ソフトウェアの開発を分け隔てのない外部にゆだね、また自由競争化させ、開発コストの大幅削減とソフトウエアの質の充実が同時にはかれるのです。「オープン化」こそが、日本の官僚と“官系企業”が織りなす「既得権ビジネス」には最も縁遠い、グローバルなビジネス視点でもあるのです。

日本での販売は、当面ソフトバンク・モバイルのみです。同社は激しい争奪戦の末、先行販売権を独占した形になります。アップルがソフトバンクを当面の日本国内でのパートナーとして選んだ理由はまちがいなく、国内3社(ドコモ、au、SB)では明らかに純民間のソフトバンクが「フリー」&「フェア」に近く、すなわち「グローバル」な商品を扱うのにふさわしいと判断されたからであると思われます。

海外の先進企業から見たら異常としか言いようのない、「官」の怪しい匂いがプンプンする「既得権ビジネス」にどっぷりの2社には警戒をしたということではないでしょうか。Phoneの取り扱いを熱望しているNTTドコモの山田隆持新社長は23日、「iPhoneの提供をあきらめたわけではない」と改めてコメントしたそうです。ドコモがPhoneを扱えるかどうかは、今後の携帯戦争の行方を大きく左右しなねない重要な問題であります。

ドコモをめぐるこの問題の行方は、日本的“官系企業”が「フリー」で「フェア」な海外の先進企業から、将来的な“脱官”のグローバル化の可能性を認めてもらえるかどうかにかかっているとも言えるでしょう。その意味において、“官系企業”の真の民営化への「踏み絵」ともなりうるという点からも、大いに注目に値する問題であります。

宝塚記念

2008-06-28 | 競馬
春の締めくくり、グランプリ宝塚記念GⅠは明日29日(日)です。
訳あって、一日早い検討です。

微妙な天気が気になります。春開催終盤で、馬場も痛みがち。常識的には先行馬有利です。まず、4歳3強の評価から。

⑪アサクサキングスは昨年のこのレース「やや重」で15着。昨年は3歳でしたが、うーん、どうなんでしょうか?私の評価は「?」です。

⑧ロックドウカンブは人気先行タイプ。前走は休み明けとはいえ離れた3着。人気するなら見送りたいパターンです。南半球産ですから本格化は秋かもしれません。

④アルナスライン、絶好調ながら距離はもう少し欲しい感じがします。出来の良さでカバーするかもしれませんが…。

4歳牡馬は、ダービーを牝馬ウォッカに持っていかれた「史上最弱世代」かもしれませんので、狙いは他世代中心で。

一番人気でも②メイショウサムソンは位置取りベスト。この春無冠の武豊、なんとかしたいところです。人馬ともども巻き返し期待です。

「好調」⑨エイシンデピュティ。ダイワスカーレットに肉薄した前々走。今回は単騎逃げが見込めるメンバーかつ阪神は大得意。力のいる馬場で、内田の腕っぷしに期待大です。

「大穴」⑫カンパニー。2200㍍GⅠで実に微妙な距離。過去このレース、意外にマイラーでもこなせています。鞍上の横山騎手が脚質を転換。先行抜け出しならチャンスは十分です。

②⑨⑫の馬連&ワイドBOXで。⑫は配当次第で複勝も。
春の締めくくり、気持ちよく終わらせたいものですが、果たして…。

追悼 昭和の“人間臭いレスラー”グレート草津

2008-06-27 | その他あれこれ
もう何日か前の話ですが、新聞の訃報欄に元プロレスラー「グレート草津」さんの名前を見つけました。享年66歳。

私たちの年代の少年時代は、プロレス全盛時代で、力道山の第二世代である馬場、猪木が人気を二分していました。テレビでもプロレス中継がゴールデンタイムにドンと陣取り、近所の遊び友だちの間では「プロレスごっこ」なんて遊びも流行って、やれ「コブラツイスト」だ「キーロック」だと、見様見真似で技の掛け合いをしたりしたものです。

グレート草津さんは、馬場、猪木の日本プロレスから別れた「国際プロレス」の所属でした。TBSでのテレビ中継もあったものの、主力選手は豊登とサンダー杉山。どちらかと言えば地味な団体にあって、彼はまた中でも微妙な立ち位置。華はなくともしっかり技を見せるファイト・スタイル、子供心に「派手さはないけどキッチリ仕事をする職人」的なイメージが好きで、一生懸命応援した記憶があります。

なぜか私は小学生の頃、地味な職人タイプが好きな変わった子でした。例えば、巨人ではONではなくて5番末次が好きだったり、六大学の「法政三羽烏」では田淵、山本浩二ではなくて、富田が好きでした。クレージーなら谷啓、ドリフは仲本工事みたいな…。でプロレスは日本プロよりも国際、中でもグレート草津は、派手さはゼロだけど黙々と技を繰り出す姿にけっこうハマってました。

得意技はあの「四の字固め」。外人レスラーではデストロイヤーのトレードマークでしたが、日本ではこの人。相手を寝かせて、両足の間に足を入れてグルッと体を一回転させて、まさに相手の足が数字の「4」になる。デストロイヤーは、けっこう派手にパフォーマンスしながら技を決めて、馬場や猪木をギブアップに持ち込む“必殺技”でしたが、草津の場合は気がつくと地味に技をかけていて、なぜか逃げられたり返されたり。決して“必殺”じゃないところが、スターじゃなかったですね。

そもそも「四の字固め」を得意技としたのも、自分がデストロイヤーにかけられて、悶絶ギブアップした経験から「これだ」と思って真似たとのこと。また、日本プロレスの坂口征二(俳優坂口憲二の父)に間違われることが多く、よく不快感を示していたとの逸話も。実に大物感のない人間臭いエピソードを持つ人であったようです。国際プロレスでは、営業部長も兼務していたと言うのも大物感ゼロの地味な話です。ちなみに「気合いだー!」のアニマル浜口は彼の付き人でした(浜口氏は「草津さんは飲みすぎた私の嘔吐物を手で受け止めてくれた優しい人」と語っているそうです。オエッ…)。

彼の逸話で一番有名なのは、国際プロレスの旗揚げ初TV中継のタイトルマッチ戦。彼をスターに育てようとした国際プロは、チャンピオンのルー・テーズとメイン・イベントで対戦させました。ところが、ほぼ新人の草津はテーズに歯が立たず、バックドロップ一発であえなく失神・試合放棄。彼の地味なプロレス人生は、この時決定づけられてしまったようです。

そんなスターとは言い難いレスラー、グレート草津が私は好きでした。70年代半ば国際プロは、猪木独立→日本プロ分裂による団体乱立のあおりもあって、徐々に客が減っていき、TBSテレビの毎週のゴールデン中継は打ち切られました。その後、12チャンネルのテレビ中継で細々やっているのをたまに目にすると、ガラガラの客席を前に草津が地味に時代遅れの「四の字」キメてたりして、これがまた当時の国際プロの状況を象徴しているようで、やけに寂しく映ったものです。

81年に実質倒産だった国際プロの活動停止と同時に引退。その引き際の早さもまた彼らしい一面です。その後は全くその姿を目にしませんでした。高度成長期のプロレスブームの時代に、馬場や猪木とは対照的な目立たない地味な活躍ながら、昭和の少年をたちを元気づけてくれた“人間臭い”レスラー、グレート草津。私はそんな彼を忘れません。

心からご冥福をお祈りいたします。

経営のトリセツ34 ~ フレームワーク思考の活用

2008-06-26 | 経営
前回の続き的に少々。

前回は、モレ・ダブりのない状況を「ミッシー(MECE)」という(一部「ミーシー」という人もいるようです)話をしました。今回は、「フレームワーク」の話です。

「フレームワーク」とは、検討対象となる物事の全体の枠組みを「モレ・ダブりなく」表したものです。すなわち、物事を「ミッシー」な状態を保ちつつ検討するための道具が「フレームワーク」なのです。一般にコンサルタントと言われる人たちは、いくつものフレームワークを頭の中に持っていて、その検討課題ごとにもっともふさわしいフレームワームを使って、「モレ・ダブりなく」課題の解決策を検討しているのです。

フレームワークの2大パターンは、「マトリクス」と「ロジックツリー」です。
まず「マトリクス」。その代表例は、商品戦略分析において縦横の軸にそれぞれ「成長率」「マーケットシェア」をおき、それぞれを「高」「低」の分類で2×2の4分類で「ミーシー」を実現する「事業ポートフォリオ分析(PPM)=イラスト参照」。これはボストンコンサルティングが生み出したフレームワークで、4分類は「花形」「金のなる木」「問題児」「負け犬」となり、自社の製品群分析をこのマトリクスにあてはめ、どの位置づけにある商品をどこにもっていくのが会社の戦略として望ましいかを検討し、具体的戦略に落とし込む訳です。

次に「ロジックツリー」の代表例です。時間軸でロジックツリーを組む経営戦略フレームワーク分析である、「バランス・スコア・カード」。「財務の視点」(過去の目)での課題をクリアするための戦略項目を、次階層で「顧客の視点」さらに次階層で「業務プロセスの視点」(以上現在の目)であげていきロジックツリーを展開します。さらに、未来の目として最下位層に「学習と成長の視点」を置き、財務計数を改善するための「ミッシー」を形成するようなロジックツリーを完成させる訳です。

私が改善コンサルティングのアイデア・ラッシュのミッシー化でよく使うのは、「マッキンゼーの7S」と言われるフレームワークです。7Sは「ハードの3S」と「ソフトの4S」に分けられ、「3S」は「組織」「戦略」「システム(伝達手段)」、「4S」は「人材」「スキル」「スタイル(風土)」「価値観(ビジョン)」です。検討事象の要因分析や、対応策策定で欠かせないミッシーの実現と優先順位化には大いに役立つフレームワークです。

その他にも、「SWOT分析」、マーケティングの「4P分析」「3C分析」等々、さまざまなフレームワークがマーケティングやコンサルティングの世界には存在しています。それらを、検討課題ごとに何を使って分析したり戦略を考えたらより有効なものになるのか考え、あてはめて具体的な解決方法を導き出す筋道を作り上げるのがコンサルタントの仕事なのです。

なんでこんな話をしたのかです。
昔はフレームワークと言う「道具」はプロの道具として扱われ、あまり一般的には語られたり使われたりすることはなかったのです。ところが、現代は私も提唱する「オープン・ソース」の時代です。つまり、「企業秘密」とか「プロの秘技」とか「門外不出」とか言っているのは、取り残され追い越されるダメな企業の典型でして、あらゆる「技」や「仕組み」といった「ソース」を「オープン(公開)」にして、明かされた「ノウハウ」を皆の力で活用して、より良いモノを作りましょうという時代なのです。

つまり、コンサルティングの世界も全く同じ。専門家はテクニック的なノウハウももったいつけずにオープンにする。それを企業が積極的に利用・活用する。足りないところや深いところでプロの力を借りる。そんな流れこそが、現在のあるべきコンサルティング活用のあり方ではないかと思うのです。

フレームワークに関して触れた書籍は、今やずいぶん沢山出回っています。何冊か読んで頂ければ、たいていの人は「なるほど」のレベルで理解でき、マネジメントに役立つ強力な道具となるのではないかと思います。今の経営者は、そんな道具を活用しながら、社内改善や戦略策定を指示し、その上で足りないところを外部コンサルティングで補う。これが、上手で効率的な外部コンサルティングの活用法であると言えると思います。そのためには、まずもって勉強です。今の経営者は、自ら勉強をしなくては、「良い経営者」にはなれないと肝に銘じてほしいものです。

私の専門は中小企業コンサルですから、フレームワーク活用などの代表的な基本コンサルティング手法を、中小企業経営者の方々に伝播し勉強のお手伝いをするのも、今の私の仕事の重要な部分であると認識しています。

飛騨牛疑惑にみる「ワンマン社長」のリスク

2008-06-25 | 経営
「あ~あ、またですか?」という感の強い丸明なる会社の“飛騨牛疑惑”事件。

「またですか」なのは、食に関するインチキもそうですが、それが発覚した際のトップの対応。ヘタな嘘をついたり隠ぺいをしても絶対にバレるのに、なぜが皆さん嘘をつくのです。ミートホープや船場吉兆のマスコミ対応を見ていれば、分かりそうなものなのに、と思いませんか?

この手の問題、「内部告発で疑惑発覚」→「ウソの弁明」→「企業崩壊」がお決まりのパターンになりつつあります。これまでの各事件で、その最大の原因は、「ワンマン社長」の存在に他ならないように思います。ワンマン社長は、業容拡大期や好調時には、即断・即決がモノをいって、当然プラスに働くことも多々ありますが、長年のワンマン体制の結果イエスマンばかりが残る組織になり、「誰も意見できない」状態でコンプライアンス経営上の大きなリスクをはらむようにもなるのです。
では、ワンマン社長のリスクを見てみましょう。

ワンマン社長のリスク1 「裸の王様化」
志や意識ある優秀なスタッフが逃げていきます。せっかく意見を言っても通らない、結局社長の言うとおりにしか進まないのなら面白くない、ということになりますから。残るのは能なしのイエスマンのみ、なんてことも。社長から見て「お前ら自分の意見はないのか!」「我が社はバカばっかだなぁ」と思えてきたら“裸の王様”化に要注意です。

ワンマン社長のリスク2 「常識欠如」
これこそ怖い症状です。例え「裸の王様」であっても、「常識」を失っていなければ救いはありますが、これを失ってしまうと完全アウトです。社員が皆反対せずについてくるのをいいことに、コンプライアンス違反も問題意識なく平気でやってしまう。この常識マヒの感覚が、不祥事発覚時にも平気で堂々と嘘をつかせてしまうのです。隔離された小さな世界の常識が世の常識と勘違いしてしまう、またの名を「社内病」「業界病」という病気でもあるのです。昔の友人でも構いませんから、仕事上利害関係のない異業種の人たちとの接点を増やすことで、自社や業界を離れた「常識」意識を高め「常識欠如」予防に努めなくてはいけません。

ワンマン社長のリスク3 「内部告発」
「ワンマンの陰に恨みあり」です。「常識欠如」やコンプライアンス違反を指摘したら冷遇されたとか、違反を知ってても言うことを聞く奴ばかりが評価された、とかの理由で、「おもしろくない」と会社を辞めるケースって実は多いのです。しかも辞める際に明確な理由を告げずに。一見退職理由の見えない退職申し出は要注意です。“内部告発予備軍”かもしれません。職員が会社を辞めると言うのは一大決心ですから、中小企業の社長は誠意を持って話を聞いてください。辞める時の対応ひとつで、印象はかなり変わるものです。ヒトの問題はデリケートです。「辞めたい奴は勝手に辞めればいい」といった乱暴な対応は考えものです。どんな人物でもあなたの会社の社員であるという「愛情」を持って、最後まで接して欲しいと思います。


今回の飛騨牛の丸明はもとより、食品偽装以外の問題でも、日雇派遣廃業のグッドウイル、民事再生のスルガコーポレーション、ここ2~3日新聞で目にするコンプラ問題企業を考えるに、やはり「裸の王様」→「常識の欠如」→「内部告発」の流れが、大きな問題を引き起こしたという共通点が見てとれます。

★最後に「危険ワンマン度チェック」です★
・社内では自分の判断が一番正しいと思っている
・社員をほめることがほとんどない
・社員が意見、提案をしてこない
・会議では自分ばかりが話をしている
・組織内の権限の委譲ができていない(決定権はほとんど社長が握っている)

以上5つ中3つ該当で「危険ワンマン度警戒水域」です。
コンプライアンス違反には、くれぐれもご注意願います。

福田首相よ、今こそ「官僚をぶっ壊す!」宣言で財政再建を!

2008-06-24 | ニュース雑感
福田首相が当面の消費税の引上げを断念するコメントを発表しました。

先週の発言は「(引上げを)決断しなくてはいけない大事な時期」というものでしたが、今回は「2~3年という長いスパンで判断しなくてはいけない」という言い回しへ後退。前回の発言は明らかに官僚の財政再建論理に押されたものであろうということ。それに対して、今回は自民党内から噴き出す「解散→総選挙睨み」の“政治的判断”“永田町の論理”による揺り戻しでしょう。福田首相は今や、官僚と政治の綱引き裁定人といった様相です。

「消費税引き上げ」の話が出たタイミングは、超党派による「タバコひと箱千円構想」が盛り上がったちょうどその後でした。そもそもタバコの話は、「欧米に比べて圧倒的に安い!」という発想が発端でした。官僚はこのタイミングで、財政再建の「正論」である「消費税引き上げ」を、「欧米諸国に比べて安いとモノと言えば、消費税だって相当安い」との論理で、繰り出したのでしょう。もちろん彼らの狙いは、消費税引き上げで抜本的な財源手当てをして、“タクシー通勤”“居酒屋タクシー”等々でやり玉にあげられた、“官僚の常識崩し”という痛すぎる腹さぐりをこれ以上されたくない、その一点に尽きるでしょう。

ところがどっこい、タバコ増税ならまだしも、「消費税引き上げ」にはそうやすやすと国民が同意するはずがありません。「その前に無駄遣い全廃など、やることがたくさんあるだろう!」「後期高齢者医療制度に加えて、間接税の増税で低所得者老人いじめをまだする気か!」と、国民、マスコミの一斉反発は非を見るよりも明らかです。そうなれば、今度は“永田町”が黙っていません。ただでさえ、今総選挙になれば惨敗必至の自民党議員たちにとって、「消費税引き上げ」はここで絶対開けてはいけないパンドラの箱であり、すぐさま“綱引きの綱”の引き戻しに動いたわけです。

官僚の論理である「消費税引き上げ」は至極正論です。後期高齢者医療をはじめ一層の高齢化を迎える日本の福祉問題を考える上で、財源としての「消費税率の改定」は必要不可欠な状況であります。さらに言えば今の国家財政状況で、どのようにして2011年の財政プライマリー・バランス実現にこぎつけるか、という話にしても、消費税引き上げ以外に決め手となる手立ては全くないのです。ただ問題はタイミング。どさくさまぎれの、官僚の“改革逃れ”での引き上げは絶対に許してはなりません。

ちなみに、消費税引き上げに代わる財源として「ひと箱千円~タバコ増税」が決め手になりうるのかと言えば、答えはノーでしょう。「喫煙者が減るから大きな財源にならない」とか「闇タバコが出回り治安や健康面の新たな火種となる」とかいろいろ言われていますが、それ以前の問題として、「税の公平原則」から言って、全くナンセンスです。

健康問題や環境問題等の盛り上がりで、段階的に引き上げられ今の水準になった欧米のような流れならまだ良いとしても、財源がないから取りやすいところからとか、賛同が得やすいからとかで、いきなり「今の300円を千円に」の論理は税の基本的な考え方を全く分かっていない素人の発想です。ちなみに私はタバコは吸いません。喫煙派擁護ではありませんので、念のため。

福田首相は、今回の発言の中で消費税をすぐに引き上げない理由として、「歳出改革を徹底し「無駄ゼロ」を実現する」と言っていますが、具体性がなくては何の意味もありません。このままではきっと官僚の「逃げ」「隠し」「一時死んだフリ」に騙されて、結局は何の改革も進まないでしょう。

例えば、国交省のタクシー通勤問題。23日から8月までの2か月間の“暫定廃止”って何ですか?世間がうるさい間だけ、とりあえずやめましょうでしょ、これ。首相は即刻、「全省庁官費タクシー通勤禁止」を指示すればいいんです。なぜできないのか?首相は政局維持の観点から、参謀たる官僚にへそを曲げられたくない、ここにも実につまらない“永田町の論理”があるのです。

今やるべきこと。
まずは税と予算の「見える化」の徹底です。ブラックボックスの「特別会計」は無駄遣いの温床です。すぐに具体的な「見える化」策を指示しなくてはいけません。タクシー代はじめ職員関連の厚生費等は徹底的に洗いあげ、無駄遣いはすべて禁止しなくてはいけません。「見える化」をして、国民の前に「こんなに無駄をなくしたのに、まだ国家財政は苦しいのです」と言うのなら、消費税の引き上げもタバコの値上げも、「まあ、仕方ないか」となるに違いないのではないのでしょうか。いつまでも官僚が、のうのうと官費タクシー帰りをしているようでは、国民の理解は絶対に得られません。

「自民党をぶっ壊す」と言って支持率を稼いだ小泉首相。福田さん、あなたは今こそ「官僚をぶっ壊す」と宣言して徹底した歳出改革に着手してください。

やっぱり変?鳩山法相を激怒させた大新聞「朝日」の迷走

2008-06-23 | ニュース雑感
先週後半に死刑執行のあり方をめぐって、朝日新聞と鳩山法務大臣の間でひと悶着ありました。

事の発端は、朝日新聞の18日付夕刊の時事寸評コラム「素粒子」。鳩山氏を「永世死刑執行人」と表現し、過去15年間の歴代法相の中で最多の13人の刑執行を指示したことに触れ、「『自信と責任』に胸を張り、2か月間隔でゴーサイン出して新記録達成」と批判。「またの名、死に神」と結んだことにあります。朝日の論調は、宮崎死刑囚の執行時期に関する問題提起ではなく、単純に鳩山法相の死刑執行姿勢に対する批判だったようです。

鳩山法相は記者会見の席上で、自らを「死に神」と揶揄(やゆ)されたことに対し「(死刑囚は)“死に神”に連れていかれたのではない。軽率な文章だ」と激高しました。私もテレビで見ましたが、怒り心頭という表情で机を叩いて怒っていました。実はこれには伏線があったようで、同紙は以前から「閣僚番付」と題し独断で問題閣僚を格付けし、鳩山氏は3場所連続で“横綱”の座につかされていました。さらに4月の番付では「刑場送り出し」の“決まり手”まで掲載されていたようで、今回の「死に神」呼ばわりで、「辛抱ならん!」とついにキレたということのようです。

個人的には、例の「タリバン友人発言」はじめ、およそ感心しない部分の多い閣僚の鳩山法相ですが、今回の件ばかりはお怒りごもっともです。氏の言葉を借りるまでもなく、あくまで大臣としての重要な任務の一つを、社会正義のために粛々と果たしてきたにすぎない訳で、過去に閣僚失格レベルの軽率な言動があったとしても、それとこれは全く次元の違うお話です。

また仮に朝日新聞が人権擁護の立場から死刑廃止を訴える姿勢であったなら、正々堂々と死刑廃止を論ずればいいのであって、この問題で法相を「死に神」呼ばわり批判するのはお門違いもいいところ。鳩山氏は「軽率な文章には心から抗議したい」と話すとともに、「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」と語ったそうで、まったく氏のおっしゃるとおりであります。

来年にも始まる裁判員制度では、死刑が適用される可能性のある重大犯罪も一般国民が直接裁くことになる訳です。朝日新聞は、死刑判決を下した一般国民裁判員をも「死に神」と揶揄するつもりなのでしょうか。自らが率先して社会正義を守ることの旗振り役であるべき新聞が、誤った社会正義に関する考えを持ち、その誤った考えを世間に流し続けることは、国民への悪影響を及ぼしかねない由々しき事態であります。

当の朝日新聞の会見を受けて当初のコメントは「社としてコメントすることはありません」、その後「風刺コラムはつくづく難しいと思う」とし、「法相らを中傷する意図はまったくありません」「表現の方法や技量をもっと磨かねば」と言い訳を掲載する始末であります。本件に関して、同紙には1800件もの抗議が寄せられたと聞きます。読者の声を受けても、なぜ素直に「死刑執行指示を理由とする法相批判は間違った判断であった」と詫びることができないのでしょうか。

朝日新聞に今一番分かってもらいたいことは、過ちは過ちとして素直に認める姿勢があってはじめて、マスメディアの信頼性は維持できるということです。
先の秋葉原無差別殺人事件での、警察当局に対する恣意的報道(http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/4a4687668c84221c204354adcdc61c6f 参照)、
テレビ朝日報道ステーションでの古館キャスターの「政治家は笑うな発言」(http://news.livedoor.com/article/detail/3677013/ 参照)等、
このところの朝日新聞グループの迷走ぶりには、過去に報道の世界をかじった人間として目を覆いたくなる気分にさせられます。

〈70年代の100枚〉№28 ~ 「LIVE IN JAPAN 伝説」の原点

2008-06-22 | 洋楽
梅雨のもやもやを振り払う、ハードな1枚を。

№28 「メイド・イン・ジャパン/ディープ・パープル」

日本では元祖ハードロック・バンド的な印象が強く、我々が中高生の頃はバンドを結成すると、まず真っ先にコピーしたのがこのバンドの楽曲でした。中でも、このアルバム収録のA1「ハイウェイ・スター」B1「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、まさにアマチュア・ロックバンドのバイブルとも言える曲でした。

アルバムは、72年の初来日公演を収録。当初は「ライブ・イン・ジャパン」のタイトルで同年12月日本のみで発売されましたが、バンドサイドがその出来の良さにほれ込んで、ジャケットおよびタイトルも変更して(中身は同じ)全世界発売され大ヒット、今だにライブ盤の名盤として語り継がれる存在となったのです。

とにかく、スタジオ盤とは一味違うアドリブ合戦の数々。ギターのリッチー・ブラックモアとキーボードのジョン・ロードのかけ合いはもとより、70年代を代表するハードロック・ボーカルのイアン・ギランの凄いこと凄いこと。A2「チャイルド・イン・タイム」やC1「ストレンジ・カインド・ウーマン」での、“楽器的”ボーカルには本当に驚かされたものです。

特にこのライブで彼らの代表曲と決定づけられた先の「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は緊張感にあふれ、名盤の誉れ高いスタジオ録音アルバム「マシン・ヘッド」収録のバージョンをはるかに凌ぐ、素晴らしい演奏を聞かせてくれます。特に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、シングルカットされて全米第2位の大ヒットを記録しました。ハードロック系が弱いアメリカン・チャートにおいては、記念すべきヒット曲だったとも言えます。

私もまさに、この「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で彼らのファンになった“ロック小僧”のひとりでした。当時の“ロック小僧”連中で、このアルバムを知らない奴は恐らくいなかったのではないでしょうか。日本録音という、子供心に大和魂をくすぐられる部分も含めて、我々世代の日本のロックファンにとっては、決して忘れることのできない1枚であると思います。その後のサンタナ、ディラン、チープ・トリックなどによって継承された「LIVE IN JAPAN 伝説」の原点がここにあることは間違いありません。

ただ、「メイド・イン・ジャパン(=車や家電製品等日本製品が海外で急速に地位を築きつつあった時代の、実にセンスあるタイトルです)」に比べて、国内盤「ライブ・イン・ジャパン」のジャケットのダサさと言ったらないですね。70年代における我が国のデザイン文化の遅れは如何ともしがたい状況だったようで、たいていの日本編集盤のジャケットは全滅状態でした。70年代当時の日本制作盤ジャケットで海外に出しても恥ずかしくなかったのは、唯一、横尾忠則氏デザインによるサンタナの「ロータスの伝説~ライブ・イン・ジャパン」ぐらいでしょうね。

※「メイド・イン・ジャパン」久しぶりに聞きましたが、やはり名盤ですね。

SONY株主総会に見る「委員会設置会社」の功罪

2008-06-20 | 経営
IRの教材としている毎年の個人的恒例行事、ソニー株式会社の株主総会に行ってまいりました。

ソニーの株主総会と言えば、出井前社長。トップ在職時に個人株主重視のIR策を明確に打ち出し、株主向けの強いアピール政策をとった結果、在職10年間に大崎の旧本社体育館での数百人規模の総会をホテルの大会場を3~4か所同時設営する7000人規模の総会にまで成長させた、“総会の達人”でありました。

出井氏の総会での立ち振る舞い、的確かつ情感あふれるコメントは実に見事でした。業績不振で引責した05年の総会においても、氏はソニーイズム溢れる真摯な対応に徹し、開会当初は極度に張りつめ攻撃的な質問を繰り返していた会場を、2時間の後には、十分になごませかつ会場一体の“応援団ムード”まで作り上げてしまうその“名人芸”に、心から感心させられ感動すら覚えたものです。

氏の退任が05年。今年は現在のストリンガー=中鉢体制になって3度目の総会となります。ストリンガー=中鉢体制以降の総会はと言えば、やはり英国人ストリンガー会長の言葉の壁もあり、また小粒な技術者イメージの中鉢社長からは、どうもソニーイズムが感じられない、終わってみればいつもどこか不満な総会が続いています。今年に関して言えば、質問が集中した「配当問題」と「トップ5名の個別報酬開示要求問題」に対する受け答えの歯切れの悪さに、特に顕著でした。

ストリンガー会長をして「個別報酬開示は日本的な経営を踏まえて控えている」とまで言わしめた、出井時代には決してなかった「前向きな姿勢」を感じさせない、何かに気を遣っているかのような受け答えは、明らかにソニーイズム(=フロンティア・スピリット)に反するものです。「何かに気を遣っているような受け答え」は、悪く言えば慇懃な印象さえ与え、まるで当局の管理に気を遣い思ったことも決してストレートには口にしない、銀行のような雰囲気さえ感じたのです。

総会の雛段を見ながら、社内経営陣に気を遣かわせ“ソニーらしさ”を奪っているもの、それはもしかすると今年で導入から丸5年を経た「委員会設置方式」の取締役会ではないのだろうか、と思いました。「委員会設置方式」は、03年に日本の企業としてはトップを切ってといえるタイミングで、出井体制下のソニーが取り入れた欧米型の経営管理体制です。経営管理と業務執行を完全に分け、多数の社外取締役による経営の監視体制を確立させたガバナンスの強化策には、市場からも「さすがソニー」と絶賛されたものでした。

しかしながら、取締役の大半を社外取締役で占め、言わば「経営監視体制」を強化したとも言えるこのやり方は、結果として“他人の目”で見る経営に対する管理の厳しさが浸透することになり、ガバナンス的にはプラスである半面、自由で快活なソニーの社風を現経営陣の経営マインドから奪ってしまったのではないかと思われるのです。

出井氏がトップを務めていた当初の2年は、まだ制度も走り出しであり、その影響も少なかったのかもしれません。現ストリンガー=中鉢体制の3年間は、明らかに大きな変化が生まれていると感じされられます。年々手堅さを増す株主総会での受け答えからは、現経営者のスケールの問題も確かにあるのかもしれませんが、「委員会設置方式」浸透の影響は否めないのではないかと思っています。

03年以降大手企業では「委員会設置方式」導入が相次ぎ、導入は優良企業の証であるかのような扱いすら受けている昨今ですが、ソニーのような個性的かつ先進的企業においては、このように必ずしもプラスばかりに働いているとは言い難い訳で、制度そのものの問題点とは言わないまでも、若干の疑問点は感じざるを得ません。

現体制下では、毎年株主総会で「ソニーらしさの復活」「技術のソニーの復権」を口にする株主が“応援団的立場”から相次いで質問に立っています。業績面では復活を遂げてきた同社ですが、マインドや風土に及ぶ真の「ソニー復活」のカギは、ここまでソニーを支えてきた技術の問題ではなく、事務系社長出井氏が残した制度問題をいかに凌駕していくかにかかっているのかもしれません。

経営のトリセツ33 ~ 「ミッシー」と「ロジック・ツリー」

2008-06-19 | 経営
久しぶりに「実践!コンサル的ロジカル・シンキング」ノリで。

自分では論理的考えて言っているつもりが、相手から「あなたの考え方は、論理的じゃないよ」と言われることありませんか?一般的にどんな時相手はあなたを「論理的じゃない」と感じられるのでしょうか。一番分かりやすい例は、「論理の飛躍」です。「論理の飛躍」って?要は、論理的に詰まっていない状態、詰めが甘い状態、つまり抜けのある状態な訳です。

ある問題に関して、全体を見渡した時にモレやダブりがあると、これはまさに「論理的じゃない」と言うことになる訳です。モレに気がつかないと、思わぬ落とし穴があるかもしれません。ダブりに気がつかないと、無駄や混乱が発生して論理的思考の妨げになります。すなわち、論理的にモノを考えるためには問題全体を見渡して検討テーマについてモレ、ダブりのない状態を作ることが必要なのです。

このモレ、ダブりがない状態を「ミッシー(またはミーシー)」と言います。「ミッシー」?なんか人のニックネームのようですね。MECEと書きます。英語で「Mutually Exclusive Collectively Exhaustive」。直訳すれば、「相互排他的、完全全体集合」とでもなるのでしょうか。要は「各事柄間に重なりがなく、全体として漏れがない」ということです。そもそもは、戦略コンサルティング・ファームのマッキンゼー・アンド・カンパニーにおいて、コンサルタントが対象を構造的に把握するための基本テクニックとして使われたものです。

コンサルタントが論理的にモノを考える時、「ミッシー」は最低限必要となる分析上の基本ルールです。「ミッシー」を実現するための具体的思考ツールの代表が「ロジックツリー」。「ロジックツリー」はまさに、論理の構成要素である「幹」や「枝」の関係を因果関係などでつないで、体系的に整理をする手法です。

例えば主要課題に「利益を増加する」という項目を置いたとき、その下のロジックにはその要因たる「売上を上げる」と「コストを下げる」が来る訳で、さらにその下のロジックには「売上を上げる」と「コストを下げる」それぞれの要因となりうる項目が来て、さらにその下のロジックにはそれぞれの項目の要因が来る…、といった具合です。

それぞれの段階のロジック間にモレやダブりがないかを確認して、つまり「ミッシー」を実現して論理的な詰めを図るのです。例えば具体的なコンサルティング・テーマが与えられた場合、まず仮説的にテーマの考えうる原因をすべて一段目のロジックに書き上げた上で、ヒアリングを掛けて「ミッシー」を実現して次段階のロジックに分析を移すわけです。それを繰り返して、いくつかの根本原因が見出されたら、原因の優先順位をつけて、今度は原因それぞれの解決策を逆ロジックツリーで作り上げていき、より有効な解決策を優先順位をつけて提示するといった具合です。

「ミッシー」が実現できたら、「優先順位をつける」、はこれまたロジカルシンキングの常套手段であります。逆に言えば、正しい優先順位を見出すためには「ミッシー」が不可欠であるとも言えます。

さて、企業経営への応用ですが…
社内の文化に基本に忠実なロジカルな議論を根付かせることは、失敗リスクを最小限に抑えながら前向きな経営戦略を展開することには大変役立つと思います。「論理的におかしくないか?」「ミッシーか?」「ロジックツリーで書いてみろ!」。こんな発言で会議の活性化をはかってみてはいかがでしょうか。

余談ですが、大関はよく「記憶力がいいね」と人から言われます。別に今話題の“地頭(じあたま)”がいいと言っている訳じゃないんですよ。昔から物事や出来事を因果関係とセットで記憶する習慣があるのです。言わばロジックツリーの形で記憶していると言う訳です。記憶力を上げたい方は、物事や出来事をロジックツリーの形で覚えるといいと思います。要は“地頭”に関係なくロジカルシンキングの習慣づけができれば、「記憶力向上」はもれなくついてくるという話かもしれません。年齢的な“ド忘れ”には勝てませんが…。