日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

売れ筋ブックレビュー~「自分を変える魔法の口ぐせ/佐藤富雄」

2009-04-30 | ブックレビュー
★「自分を変える魔法の口ぐせ/佐藤富雄(かんき出版952円)」

著者は“生き方健康学者”を名乗る医師で、健康とは体の状態だけではなく考え方であることを心と体の制御関係から説き、大脳・自律神経系と人間の行動・言葉の関連性に着目した独自の「口ぐせ理論」を展開(「口ぐせ理論実践塾」も主宰)。分かりやすい説明と容易な実践方法が多くの人に受け入れられ、講演等でひっぱりだこだそうです。この本も、発売以来ジワジワと売れ続け、各書店でけっこう上位に入っています。

「口ぐせ」を変えると「脳」が変わって「自分」が変わるという、ということを医学的裏づけを用いつつ説いていくという、実に納得性の高い内面開発本です。内容的には難しいことは何もなくて、著者の言いたいことはとにかく「否定的な言葉を使わず、肯定的な言葉を口ぐせにすることで自分を『快』にすれば、明るい未来をつくれる」ということにつきます。読んでいるうちに明るく楽しくなり、元気づけられること請け合いです。同じ医師で物書きの故斎藤茂太さんの著作とも共通する、ホスピタリティ的ニュアンスで読み手をエンカレッジする、なんとも優しく語りかけつつ勇気づけられる本なのです。

特に印象的なくだりは、「どんなときでも第一声は『これでよかった』と言えば、脳が「これでよかった理由」や「うまくいく方法」を探してくれ逆境のストレス吹き払ってくれる」という話や、「実現させたい夢は現在形で語れば(「いつか」「うまくいったらそのうち」ではなく「私はこうします」「わたしはこうなります」と語れば)それは実現する」という話。多くの成功者が似かよったお話を経験則として語っているのをよく耳にしますが、医師が語ることで全く違った説得力が加わる感じがします。

佐藤医師の理論の根底にあるのは、「人間は生物の進化の過程で勝ち残った生き物であり、その意味では誰もが“勝ち組遺伝子”を持っている。口ぐせで頭を『快』にしていかにそれを目覚めさせることができれば、その人の可能性はどんどん広がる」という考え方。なるほど、口ぐせひとつでこんな自分でも成功へ導けるのかもしれないと、生物学的説得力をもって元気づけられる思いになれるものです。

元気もらい度100%。内容的な押しつけがましさや説教がましさはまったくありませんので、行き詰まりやストレスを感じている皆さんに絶対のおススメです。これから何か新しいことをしようと考えているあなた、何かとマイナス・パワーが充満しやすいあなた、これを読んで明日からプラス思考で自分がめざす「成功」を手にしましょう!

再編集版なので書籍的には10点満点で8点?おススメ度は文句なし10点です。かる~く読めますので、先行きに行き詰まり気味の方の気分転換に最適です。

〈70年代の100枚〉№69~路線変更で大成功!POPの魔術師バンド

2009-04-29 | 洋楽
祝日の恒例、ユルネタと言う訳で〈70年代の100枚〉です。

70年代に英米日各国のミュージック・シーンでかなりの足跡を残しながら、巷で見かける「名盤」「決定盤」選び企画では、確実に落選の憂き目にあうアーティストがいます。エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)はその代表選手です。

№69     「オーロラの救世主/エレクトリック・ライト・オーケストラ」

バンドの生い立ちを話し始めると長くなるのでかいつまんで話せば、ロイ・ウッドとジェフ・リンの二頭体制で弦楽三重奏を従えて「ロックとクラシックの融合」を目指し英国でスタートしたのが71年。ロイはすぐに脱退しジェフが主導権を握ることで、小難しい路線は徐々にポップ路線に方向修正され、74年にオーケストレーション・バラードの「見果てぬ想い」が全米9位になるヒットを記録し一躍注目を集めます。翌75年にはアルバム「フェイス・ザ・ミュージック」とシングル「イーヴル・ウーマン」「ストレンジ・マジック」が連続ヒットし、英米での人気を決定づけました。

そして、彼らの黄金時代の幕開けとなったのが76年リリースのこのアルバム「オーロラの救世主」です。初期のある意味プログレ的とも言える堅苦ししい音楽づくりはすっかり影をひそめ、パワー・ポップとも見まごうほどのメロディアスな楽曲が並ぶ一大ポップ・ロック・アルバムに仕上がっています。それはビートルズを愛してやまないジェフ・リンその人の、熱い想いが曲づくりやアレンジすべてにわたって確かな形となって現れた作品、まさにそう表現して間違いのないところであると思います。

「ビートルズよりもビートルズらしい曲を持ったバンド」と評された彼らですが、その真骨頂とも言えるのがA2「テレフォン・ライン」でしょう。プッシュフォンのSEイントロからマッカートニー的なフィルター・ボーカルでの歌い出しに、「ビートルズが解散していなければ、こんな曲を作っていただろう」と言われたものです。全米7位というそれまでの彼らの最高位を記録、日本でもラジオで頻繁にオンエアされ人気に火がついたのでした。A面トップからB面の最後まで、とにかく楽しくポップなジェフ・リン節炸裂と言った感じで、どの曲もシングル・カットできそうな楽曲粒ぞろいのアルバムです。現実にA2の他にも英米日各国で、A3「ロッカリア」B2「リビング・シング」B4「ドゥ・ヤ」などがシングルカットされ、それぞれがヒットを記録しています。アルバムの最高位は5位。

彼らはこの後2枚組「アウト・オブ・ザ・ブルー(77年、全米4位)」、ディスコ路線を取り入れた「ディスカバリー(79年、全米5位)」と立て続けにヒット・アルバムをリリース。本作とあわせ、ジャケットに共通のバンド・ロゴをあしらったデザインから、ELO三部作と言われています。意外に知られていないことですが、彼らは70年代に最も多くの「ビルボードTOP40ヒット」を持つバンドでもあり本企画への登場は当然のこと、世の「名盤」「定盤」「決定盤」選び企画にも堂々登場して全くおかしくないアーティストなのです。したり顔の評論家さんたちの基準では、ポップ過ぎる彼らを選ぶのはどうも「恥ずかしい」ことのようで、常に敬遠されていますが…。おかしなことですよね。

ジェフ・リンは80年代後半以降はプロデューサーとしても活躍し、ジョージ・ハリスンの作品を手掛け共演した(トラベリング・ウイルベリーズ)ことをきっかけとして、アンソロジー・プロジェクトの「フリー・アズ・ア・バード」で遂に憧れのビートルズをプロデュース。“世紀末に登場した5人目のビートルズ”として、その名を歴史に刻むことになったのです。彼のアレンジの特徴はELO的な分厚いキーボード&ストリングス・サウンドで、あのフィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」との比較から「現代版ウォール・オブ・サウンド」とも呼ばれています。ロイ・オービソン、デル・シャノン、トム・ぺティ等々、彼のプロデュース作はその特徴あるサウンドから聞けばすぐに分かります。

余談ですが、パフィーのデビュー曲「アジアの純真」は音楽オマージュの天才奥田民生の作曲&アレンジですが、完全無欠のELOサウンドでした。若い人たちは分からんかったでしょうが、70年代洋楽ファンは皆思わずニヤリとさせられたものです。

“草なぎ事件”謝罪会見とコンプライアンスの精神

2009-04-28 | その他あれこれ
先週の酒に酔って全裸になり「裸で何が悪い」で捕まった草なぎくんの事件、その後マスメディア・世論のトーンがだいぶ変わってきているようです。

草なぎ君に対しての世論の主流は、「かわいそうに」「捕まえる必要あったの?」「家宅捜索は行き過ぎ」「早めに復帰させてあげれば」と、かなり同情的なものが主流です。この同情世論の発生要因は、本人の謝罪会見に尽きるのではないでしょうか。あまりに正直なつくられた臭いのしない「心からの反省」を印象付けた会見は、釈放のその日に行われた対応の早さと相まって大きな効果を生んだと言っていいと思います。「今の気持ちは?」の質問に一言「辛いです」、彼のまっすぐな人柄と心からの反省の気持ちをこれほどにまで的確に伝えた一言は他にないと思います。

この会見から不祥事対応広報として学ぶべきは…
①対応の早さ
②聞かれたことに対して包み隠さず答える真摯な対応
③心からの反省の弁
の3点です。
対マスコミ不祥事対応を乗り切る「3点セット」と言っていいかもしれませんね。

もちろん、今回の事件は「被害者なき逮捕・勾留」であり、だからこそ皆が同情的に受け止めてくれたとも言えますが、仮に謝罪会見が亀田親子のようなものだったらどうでしょう。こうすんなりと世論が同情的な方向に向ったとは思えません。まぁマスコミ記者も人の子ですから、真摯な反省の気持ちが伝わるなら悪くは扱わないでしょうし、取材のトーンひとつで随分と一般人の受け取り方も変わってくるのです。

コンプライアンスの精神とは、自分(あるいは自社)が法令やモラルに「違反」するようなことをした場合に、仮に誰もが犯しうるものであったり、誰かに迷惑がかかっていないものであったとしても、「違反」したという事実を真摯に受け止め素直に「反省」できる心をもつことであると思います。「違反」行為にもかかわらず、「反省」を感じさせなかったり、形式的な反省の弁しか出てこなかったり、逃げようとか隠そうとすることは、取材をする側やさらにその先にある世論の神経を逆なですることになる訳です。そういった失敗の例は、東横インのN前社長や船場吉兆の“ささやき女将”など、過去から最近に至るまで枚挙にいとまがありません。「違反」の重みを真摯に受け止め、心から「反省」をすること、その大切さを学ばせてもらった貴重な会見でした。

さて前回の主張の繰り返しとなりますが、所属事務所ジャニーズは一向に音無しの構え変わらずです。ちなみに、以前本ブログでも取り上げた北野誠“降板事件”の方は、詳しい降板理由こそ「北野発言関係者にさらに迷惑をかける」とのことで明らかにはされなかったものの、松竹芸能の安倍彰社長が北野氏本人とともに謝罪会見を開いたそうで、企業としての“落とし前”はそれなりにつけたようです。「違反」を犯した(北野氏は犯罪者ではありませんが)所属タレントの管理責任上の観点から、企業のトップ自らが世間に対して責任の所在を明らかにした訳です。コンプライアンス経営の観点で考えた企業の最低限の「常識」は、守られたと言えるでしょう。

一方ジャニーズは、タレントの謝罪会見は弁護士任せ。トップはどんな事件が起きようとも絶対に姿を現さず、マスメディアには「報復」をチラつかせて黙らせる、そんなやり方は今更ながらに腹立たしい限りです。特に今回は、会見取材の各社に会見の模様を映した写真や映像をウェブやBS・CS放送で使用することを禁じた上、テレビには「生放映不可」なる条件をつけたとか、まったくどこまで厚顔無恥な振る舞いを続ければ気が済むのか。言うことをハイハイ聞いてしまうマスコミもマスコミですが…。

草なぎくんへの同情意見の増大にともなう世間的な批判の矛先は警察権力に向けられているようですが、それはどうでしょう。むしろ彼を“見殺し”にして“見せ物”にした上、企業としての責任の所在を明らかにせず「反省」を表す真摯な態度ひとつ見せない、所属事務所のジャニーズこそもっと責められてしかるべきであると思います。

〈70年代の100枚〉№68 ~ 音楽界の“フィクサー”最大のヒット作

2009-04-26 | 洋楽
レオン・ラッセルと言えば、70年代前半には音楽界のフィクサーと呼ばれ、当時クラプトンやストーンズ、さらにはビートルズのメンバーまで巻き込んで起こった一大スワンプブームを、独自人脈を動かし陰の仕掛け人として先導した人物です。

№68    「カーニー/レオン・ラッセル」

我々世代にとって一番印象的なレオンの姿は、史上初のチャリティ・ロック・イベント「バングラディシュのコンサート」の記録映画で見せた存在感溢れる大物ぶりでした。私も高校帰りに見に行った飯田橋のギンレイ・ホールでの「ウッドストック」との2本立て興行で、糸を引きそうな独自の風貌とねちっこい歌いっぷりを、この上なく強烈な形で脳裏に焼きつけられて帰ったのをよく覚えています。当時の音楽ファンは誰しも、ジョージ・ハリスンやボブ・ディランと対等に渡り合うその姿に圧倒されたものです。

彼のソロ・デビュー作は70年の「レオン・ラッセル」。あの名曲「ア・ソング・フォー・ユー」やジョー・コッカーでおなじみスワンプ・ロックの代表曲「デルタ・レディ」をフィーチャーし、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ、スティーブ・ウインウッドらを一同に集めて録音された、当時としては通好みのスワンプ系アルバムでした。続いて71年にリリースされた「レオン・ラッセル&シェルター・ピープル」は、ゴスペル的要素も強めつつさらにスワンプ色を濃くしたアルバムで、やはりどちらかと言うと泥臭い玄人向けアルバムでありました。

そして、件の「バングラディシュのコンサート」を経て一気にその名を一般に知られた矢先の72年にリリースされたのがこの「カーニー」です。このアルバムは前2作に比べるとかなりメロディ、アレンジとも洗練され、ポピュラーな印象で聞きやすい作品です。そういった音楽的特徴と、「バングラ…」でその大物ぶりが一般的に知られたこと、当時ちょうど雨後のタケノコ的にシンガー=ソングライター・ブームが一世を風靡していたこと、それらが相まって全米第2位にまで上る一大ヒットアルバムとなったのです。

A1「タイト・ロープ」は、歌い出しのマイナー調メロディがいきなり印象的な、「ヒット曲はこう作れ」とでも言いたげなナンバー。シングル・カットされて最高位11位を記録したレオン最大のヒット曲です。また、後にジョージ・ベンソンのカバーで大ヒットするAORの超名作B5「マスカレード」のレオン・バージョンは、このアルバムの聴きどころのひとつになっています(ちなみに個人的なフェイバリット・トラックは、A3のバラード「ミー・アンド・ベイビー・ジェーン」とB6「マジック・ミラー」です)。アルバムには後々彼の音楽活動のひとつのメイン路線ともなるカントリー的要素が、適度なバランスで織り込まれており、そのことも全米大ヒットの一因になったと思われます。

このアルバムで頂点を極めたレオンのポピュラー・シンガーとしての全盛期は、この後同じ路線をさらに推し進めた75年の名作「鬼火」まで続きます。そこではブラック・コンテンポラリーへの接近も感じさせ、「レディ・ブルー」「ブルバード」等の名曲を生み出します。しかしながら彼は、76年の黒人女性歌手のマリー・マクリアリーとの結婚を機に、徐々にソウル、カントリー、テクノ、ラップ…等々、趣味と流行の入り混じった音楽的迷路に入り込んでしまいます。

長いスランプの後、90年代後半以降ようやくのルーツ回帰で本来の音楽スタイルを取り戻します。現在は音楽のメインストリームからは離れ70年代のような大物感はないものの、地道な音楽活動を彼らしい音楽スタイルで貫き続け、毎年のように来日ライブも企画されています。今月67歳になったレオン御大、トレードマークの長髪はすっかり真っ白になってはいますが、今も変わらぬスワンプ魂を感じさせる歌や演奏が聞けるのは本当にうれしい限りです。今年も6月ビルボードライブにやってまいります。

ジャニーズ事務所は「草事件」の企業責任を明確に示せ!

2009-04-24 | ニュース雑感
国民的人気グループ、SMAPのメンバー草剛が公然猥褻罪で逮捕され大変な騒ぎになっています。

ジャニーズがらみの不祥事としては、罪の重さはともかくインパクト的には過去最大のものではないでしょうか。問題は例によってジャニーズ事務所の対応です。ジャニーズ事務所はこれまでタレントの不祥事発生の際には、処分をペーパーで発表してあとは知らん顔というケースがほとんどです。ひどいケースでは当人をクビにして“我関せず”ですから。今回の一件はダンマリで済むとは思えませんが、どうでしょうか?

なぜなら国民的人気タレントSMAPのメンバーで総務省地デジ“特使”タレントともなれば、ジャニーズ事務所の超“主力商品”な訳で、その“主力商品”に不良発生トラブルという事態なのですから、“商品製造元企業”として明確な説明責任が求められると思います。事件発生の経緯、事務所としての管理責任、再発防止策等に関して、しかるべき立場の人間からキッチリとした形で説明をする責任があると思う訳です。

これまで同事務所は、視聴率・出版部数争いにおいて圧倒的な力を持つタレント群を誇っているが故の立場的強さを背景として、不祥事発生時にもマスコミに対してサラリとかわす強気一辺倒を通してきた訳ですが、このジャニーズ流の対マスコミの高圧的やり方は、どんなものかと常々感じています。今回は、毎日電波を通して大量に各家庭向けに流されているジャニーズ社製の主力商品に欠陥が発生したのです。例えて言うなら、自宅で蛇口をひねるだけで出てくる水に不純物が混じっていたのと同じで、有害であるか否かに関係なくサラリとやり過ごすは許されないと思うのです。

本日の釈放後に本人と弁護士(なぜか事務所の同席なし)の会見はあったものの、今回も事務所の対応はと言えば、昨日およそくたびれ気味の実権もなさそうな「広報担当」というオヤジが通り一辺の“お詫びコメント”を読み上げただけ。考えてみてください。彼らが強気に相手をするマスメディアの先には、ファンや視聴者がいるのですから、この対応は日本中のSMAPファン、ジャニーズ・ファン、いやテレビを日常的に見ている全国民を実にバカにした行為ではないかと思うのです。今回の事件の犯罪性の大小の問題ではなく、国民に大きな影響力を持つ自社の“主力商品”に関する企業責任の観点から、しかるべき人がしかるべき対応をするべきではないのでしょうか。

事務所トップのジャニー喜多川氏は、国民的アイドルを多数抱える大手芸能事務所経営者として、自社の企業としての社会的影響力をもっと自覚するべきと思います。また各マスメディアには、ジャニーズ事務所の“報復行動”に臆することなく、国民の代弁者として過去の同社の無責任対応も含め、徹底的な責任追及報道を望みます。

余談ですが、今回警察が全裸行動程度の“軽犯罪”容疑者を、即日身元保証人に引き渡して釈放としなかった対応には、どこか意図的なものを感じています。すなわち、これまでの同事務所がらみの不祥事における、“我関せず対応”(あるいは一部噂のある“揉み消し工作”?)に腹を据えかねていた警察権力が、事務所に対し対応是正を求める意図をもっての行為と思えなくもないのです。だとしたら、気の毒なのは2日間サラシ者扱いだった草クンですね。自業自得には違いないのですが…。

小田急百貨店の不景気に勝つ見事な対消費者心理作戦

2009-04-23 | マーケティング
今月デパートで始まった「下取りサービス」がちょっとした話題になっています。

先鞭をつけたのは小田急百貨店。22日までの「婦人靴下取りキャンペーン」の好評を受けて現在、「靴とバッグの下取りキャンペーン」を開催中です。これは、同店で買ったものに限らず、紳士靴、婦人ハンドバッグ、スポーツシューズであれば、状態、ブランドにかかわらず下取りしてくれるというもの。一人5点までですが、1点あたり8400円以上の買い物時に1枚づつ使える1050円の商品券を引き換えにもらえるそうです。前回キャンペーン期間の売り上げは、昨年同時期対比で約2倍の実績をあげたそうです。

このキャンペーンには数多くの消費者心理効果を巧みに操った仕掛けがなされています。まず注目は「下取り」という言葉です。「状態にかかわらずOK」ということは、自宅内で捨てる運命にあったものでも価値が生まれる、言ってみると消費者にとっての新たな「価値創造」に他ならないのです。さらに小田急が素晴らしいのは、同店のキャンペーンが「お買い上げ」が条件ではない点。「お買い上げ」が条件で「下取り」をする店は他にもあるのですが、「お買い上げの際に下取り」とすると買い手には実質「値引き」の印象が強くなり、まんま新たな「価値創造」にはつながらないのです。

「捨てる運命のモノ」が「価値創造」してくれたなら、「なんか買っちゃおうか」となるのが消費者心理です。しかもこの商品券の有効期限は5月19日ということですから実質1か月弱なわけで、「次にいつ来れるか分からないから、無駄にしないよう今日使っちゃおう」となる訳です。この1か月弱の有効期限というのも、実に心理的に絶妙な期間設定ですね。これが有効1週間だと心理的価値効果は半減しますし、3か月だと「次回使用」に回されて忘れられる確率も高く、売上貢献度は下がるでしょうから。

もう一点、この「下取り」品の行き先ですが、エネルギー的再利用すなわち「リサイクル」されるという、不況下のキーワードになりつつある「エコ」に連なる点も注目です。今の消費者はうますぎる話は疑ってかかるぐらいに賢くなっていますから、「そんなモノ下取りしてどうするんだろう?」という疑問符は常に付きまとい、その回答の有無がけっこう重要だったりします。つまりこの点が不明確であると「なんだ結局は実質値引きか、相当利幅があるんだな」と直結する訳ですが、今回のように現在の“免罪符”的キーワードである「エコ」を背景ににじませることで、実際には「値引サービス」であってもそのイメージへの直結をしにくくする“目くらまし効果”が潜んでいる訳なのです。

8400円以上の買い物に使える1050円の商品券ということは、まあ1回平均1万円の買い物に使ったとして、要は「1割引セール」と同じ訳です。「1割引セール」をチラシ等でPRしても全く消費者は反応しないであろうこのご時世ですが、同じ「1割引き」でも「下取り」だったら売上2倍というこの不思議。まさに、消費者心理を巧みに操った見事なマーケティング戦略であると思います。

この小田急百貨店のキャンペーン成功を受けて、ライバル各社も同様のキャンペーンに乗り出すようです。大丸東京店はスーツの下取りで「スーツフェア」で使える商品券と引き換えるとか。いくら小田急で売り上げが伸びてはいても不況下で財布のヒモが固いのは変わらずです。二番煎じの戦術でどこまで効果があるのかは、少し疑問ですね。不況を乗り切れるか否か、この先も続く“流通生き残り戦争”は、先手先手で消費者の気持ちを掴むマーケリング力の差が雌雄を決するように思っています。

経営のトリセツ57 ~ 「カラーバス効果」で管理者教育

2009-04-22 | 経営
「カラーバス効果」をご存じでしょうか?

「COLOR BATH」=「色を浴びる」と言う意味で、意識していることに関係する情報が、意識していないとき以上に自分のところにたくさん集まるようになることを言っています。例えば、「赤いモノを探そう」と思って街に出ると普段よりも数段多く赤いモノが目についたり、自分が買おうと気に入った車ができるとやたらに道行くその車種が目についたりする効果のことです。誰にでもそんな経験はあるのではないでしょうか。

この「カラーバス効果」、ビジネス・パーソンにはものすごく役に立つものなのです。一番よく耳にするのは、成功した経営者の方々がよく口にする、「困った時に限って不思議と助けてくれる人に出会う」とか、「新しい事業に検討しているときに、思いもよらない古い知り合いとの再会が新たたな展開につながった」などという体験談の数々です。彼らは大抵口々に「ツイてました」と言うのですが、これは決してツイていたり偶然の出来事だったりではなくて、「注意」や「関心」が向いた事柄に関する「カラーバス効果」の成果に他ならないのです。彼らが、日常の意識の注意力を支配するほどに、真剣に自己のビジネスに取り組んでいたことの証でもある訳です。

同じように成功経営者がよく口にしたり、最近モノの本でもよく目にする「目標は紙に書いて毎日見るべし」というお話。これも間違いなく「カラーバス効果」です。「これをやるぞ!」「こうなるぞ!」と毎日紙に書かれた目標を見続けて心に誓いを立てていれば、自然と「これを成し遂げるために」「こうなるために」という観点をもってモノを見たり、考えたりするようになる訳で、確実に目標に役立つことがらが目につくようになり、成功への近道を探り当てることにつながる訳です。人間の能力ってスゴイですよね。

この「カラーバス効果」、組織管理上も大きく役に立つのです。中小企業でよく耳にする「あいつは管理職のクセに自覚がない」というダメ管理者の事例。このケースで一番多い根本原因は、「長年がんばっているから」「成績がよいから」管理職にしてやろうという誤った人事運用です。仮に人選が誤ってなかったとしても課長に任命するなら、管理職として「何をしろ」「何を心がけろ」をキッチリ伝えて昇格させたのでなければ、思ったように働かない責任の一端は任命した経営者自身にもあるのです。

「カラーバス効果」は、こんな場面でこそ働かせるのです。中小企業には、新任管理者が手本にできるような管理者がいるケースの方が少ない訳ですから、まずは明確に役割を“カラーバス”させる必要があるのです。できれば、辞令交付とともに、「○○をせよ」「○○を心がけよ」という紙(指示書)をパウチでもして渡し、「毎日見るところに貼っておけ」と指示するのがいいでしょう。この「指示書」はなるべく具体的に書くこと、そしてその指示内容が身に付いたら賞与査定時や人事考課時にほめた上で次なる「指示書」を出す、ここまでやれば課長の「カラーバス教育」の効果はかなり期待できること間違いありません。これこそ管理職の“役割の見える化”なのです。ここまでやってもできないということであるなら、「課長不適格」と判断してもいいでしょう。

自己の目標実現の原動力として、管理職はじめ企業内教育における個々のスタッフの「役割の見える化」手段として、「カラーバス効果」のビジネス・シーンにおける活用の場は豊富にあるのです。

売れ筋ビジネス書<ブックレビュー>4・20号

2009-04-20 | ブックレビュー
★「仕事の見える化/長尾一洋(中経出版1300円)」

最近とみに増えてきた「見える化」関連書籍。「見える化」は小職の専門領域なので、この類のビジネス書は出れば必ず読むようにしております。最近、日経の2面下に出ていた大きな広告によれば「たちまち増刷」とか。売れてるようです。

さて中身ですが、結論から申し上げると提示している方法論は実践的であるように見えて実のことろ全く実践的でない、そんな印象です。言っていることは至極正論で、本当にこの通りに徹底できれば間違いなく効果は得られるのでしょうが、この通り実践できる企業がどれほどあるのかという点でいささか疑問符がついてしまうのです。

本書の中で盛んに出てくる、“目玉仕掛け”とも言えるメールでの「見える化日報」は、皆に役立つ情報ツールとしてメールでの「日報」を上席だけでなく、関係担当者にも見えるように一斉同報通知して、意見交換、情報の共有化をはかろうというもの。具体的には、本人の日々の記録と1社1枚の情報を「日報メール」で皆に見えるようにして、上席からの意見、同僚からのアドバイス、関連部署からの情報などを得られる状態、すなわち「見える化」して情報の活性化をさせるスキームなのです。

この手法の問題点は、まずメールというやり方で直属の上席以外の皆が果たして見るかと言う疑問。そんな多くのメールが各人に入るのはむしろ“迷惑メール”状態な訳で、見ずに捨てられるのがオチではないのかなと…。この先には、皆が見ない以上意見は出ないだろう、という疑問も。さらに効果的な教育コメントを上席がどの程度返せるかということ。自身のコメントが衆目にさらされるとなれば、仮に読んでいる者が少ないと思ってもかなりのプレッシャーはあるでしょうから。要するに、これらのハードルをすべて越えられるなら、有効な「見える化」手段ともなるでしょうが、それができる組織はよほどスタッフが訓練され組織が活性化された一部の大企業に限られるのではないかと思うのです。中小企業はそんなに“甘く”はないですね。

著者はNIコンサルタントなる企業のトップですが、本論はコンサルタントが机上で考えた「見える化」手法であり、理論的に正しくとも中小企業独自ではほとんど役に立たない手法であると思われます。実はNIコンサルティングというのは、この手の「IT日報」システムを売るシステマチック経営コンサルティング会社であり、長尾氏はこれまでにも「すべての見える化で会社は変わる(実務教育出版)」「IT日報が営業チームを強くする(同)」など、本書類似の記載内容を記載し自社システムのPR目的と思われる著作を複数出しています。要は、今回もあとがきにあるように同社のシステム&コンサルティング・セールスが大きな目的であるわけなのです。

「机上論だ」などと言おうものなら、「当社システムを採用しコンサル契約をしていただければ机上論で終わらせません」との反論が返ってくるんでしょうね、きっと。

10点満点で5点。「日報」に至る前の冒頭部分で書かれている「見える化」の考え方は良いお話なので、赤点ではありません。“見える化本”には厳しくてすいません。

皐月賞

2009-04-19 | 洋楽
3歳クラシック第一弾皐月賞GⅠです。

4戦無敗①ロジユニバースが圧倒的人気です。デビュー4戦連勝は、本当に強くないとなかなかできません。これまでの勝ち方を見ても、やや抜けている感じがします。

一応ロジが負けるケースを想定すると…
先行馬が多いので⑱リーチザクラウンをはじめ行きたい馬の先行争いが激しくなり、一気のハイペース。直線2、3番手からロジが抜け出すもののゴール前で外の差し馬にやられるケースです。その候補筆頭は⑯アンライバルドでしょう。⑯の単勝も馬連①-⑯も“お金持ち馬券”なので、買うなら馬単⑯→①ぐらいしかないですね。
でも、なんか気乗りしない馬券です。

あとは例によって3着づけの穴狙いで、①から人気薄へのワイド遊びを。
同じ中山2000メートルの重賞を勝っている⑪アーリーロブスト
母がGⅠ馬キョウエイマーチで大レース向きの血統④トライアンフマーチ
ワイドで、①-⑪、①-④
ともに先行馬で、これもあんまり積極的には買いたい気持ちにさせません…。

他には前走の勝ち方が強かった2000メートルの持ち時計一番、好調四位くんの⑥ベストメンバーが気になる存在です。
①-⑥の馬連、ワイド
買うならこれ?

よく考えます。

〈70年代の100枚〉№67 ~ 天才ポールが“ソロに架けた橋”

2009-04-18 | 洋楽
サイモン&ガーファンクルが7月に16年ぶりの来日公演をおこなうそうです。「70年代の100枚」を語る上で、彼らの最高傑作と言えるこの大ヒットアルバムに触れずにやり過ごす訳にはいかないでしょう。

№67 「明日に架ける橋/サイモン&ガーファンクル」

1970年音楽ジャーナリズムがビートルズ解散騒動に揺れ動いている最中、サイモン&ガーファンクルはこのアルバムで全米チャートをにぎわせていました。しかしながら、過去最大の大ヒットの陰にあったものは、不協和音を表にもらさぬギリギリの緊張感。実は彼らもまた60年代の終わりと共に静かに解散への道を歩き始め、そんな中制作された最後のアルバムだったのです。

A1のタイトルトラックは、彼らの代名詞とも言える誰もが一度は聞いたことがあるであろう、ポピュラー・ミュージックの最高峰です。ソロをとるアート・ガーファンクルの澄んだ歌声は、サイモン&ガーファンクルをイメージする際に真っ先に頭に浮かぶ人も多いのではないでしょうか。ポールが作った楽曲の素晴らしさと、アートの見事な歌唱が最高の形で実を結んだものであると言っていいでしょう。

この曲の素晴らしさ故、どうもタイトル曲ばかりが注目されがちなのですが、実はこのアルバムを名作たらしめているのはもっと他の部分にもあるように思います。例えば、アルバム全体を通して展開されるアーティスト、ポール・サイモンの才能の開花を感じさせる様々なトライアル。A2「コンドルは飛んでいく」における南米音楽との接近やA3「いとしのセシリア」での民族音楽風なリズム・ミュージックの試みは、その後彼がポピュラー音楽界に大きな功績を残した「グレイスランド」や「リズム・オブ・ザ・セインツ」といった作品でのアプローチを、すでにこの時着手したものとして注目されます。その後のスカリズムのいち早い導入や、各民族音楽と融合アプローチの原点は、間違いなくこのアルバムあるのです。

さらに、彼の最大持ち味である元来のメロディ・メーカーとしての資質やこれまで以上に洗練されたポップセンスもソロ的アーティスティック感覚で味わうことができます。B2「ベイビー・ドライバー」やB3「ニューヨークの少年」などは、ほとんど彼のソロに等しい楽曲で、ここではポール・サイモン単独パフォーマンスの奥行きの深さを十分感じさせてくれます。こうした観点からアルバムをトータルで見ると、アートの“エンジェル・ボイス”に印象付けられる従来の優等生ポップデュオ的イメージに加えて、ポールのソロ的アーティスティックな側面を付加することで、結果として一層スケールアップした印象の「名盤」に仕上がったのではないかと思えるのです。

思いきったポールのソロ的展開が施された背景には、彼らの解散の一因ともなったアートの映画出演がありました。すなわちアートがレコーディングになかなか参加できなかったがために、ポールはやむなく部分部分ソロに近い形での制作を敢行したのです(B3「ニューヨークの少年」やB4「手紙が欲しい」はその時のポールの心境を綴ったもので、特にB3はこのアルバムの制作背景と解散への流れを決定づけた思いが語られた名曲です)。偶然の流れと、それに起因する崩壊に向かうギリギリの緊張感に支えられた天才のパフォーマンスが生みだした傑作であるとも言えるでしょう。

アルバム、タイトル曲はそれぞれ10週、6週全米ナンバー・ワンを記録する大ヒットとなります。ちなみに、タイトル曲の他ではA2「コンドルは飛んで行く」A3「いとしのセシリア」B1「ボクサー」がシングル・リリースされ、それぞれ18位、4位、4位のヒットを記録しています。翌71年のグラミー賞ではアルバム、シングルダブル受賞の快挙を成し遂げ、結果的にこのまま解散となった彼らに有終の美を飾らせる形となったのでした。

その後も何度か再結成のコンサートやツアーがおこなわれていますが、スタジオ・アルバムは一切発表されていません。80年代に途中まで制作したもののうまくいかず頓挫したことをみても、ポールの才能がこのアルバム制作を機にアートとかけ離れてしまったことが原因であるに違いありません。その意味では、素晴らしくも悲しいアルバムでもあるのです。
拙稿→http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/c/9a4d723e18078130280fef5ade888db8/4

最後に、このたびの日本公演。例によって「最後のツアー」という触れ込みで、ちょっと心が動かされます。でもよりによってドームとは…。東京ドームでS&Gはないと思うなぁ。せめて武道館でしょ、ウドーさん。武道館での追加公演発表を期待します!