日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

今年の企業テーマを振り返る~メニュー偽装の件

2013-12-30 | 経営
今年後半に世間を騒がせたのが、メニュー偽装問題です。阪急阪神ホテルズのカミングアウト会見を機に、一気に広がった偽装の輪はとどまるところ知らず。一流ホテルは続々、百貨店も軒並みカミングアウト&謝罪会見をするという異常な事態に至りました。

単純に考えて表示とは異なる安価な食材を使って、高級メニューを作っていたことは確信犯であるならそれは確かに「けしからん」となるわけですが、この問題、時間が経つにつれてちょっとばかり個人的な捉え方が変わってまいりました。事件発覚当初は、ちょうど岐阜の方で米の産地偽装なんていう実にけしからん事件があった直後でもあり、どうもその問題と同類で捉えてしまっていた部分は否めません。

しかしながらよくよく考えてみると、米の卸業が産地を偽って商品を売っていたのと、外食のレストランがメニュー偽装をおこなっていたのとは、ちょっとばかり意味合いが違うのかもしれないと考えるようになりました。米の卸業は米を売っているわけですが、外食産業の特に一流ホテルや一流デパートの飲食店舗は素材そのものを売っているのではなく、非日常性をウリしてそれを堪能してもらうことで高級な価格に見合った満足感を得てもらっているわけで、素材が正確であるかないかの重要性はさほど大きな問題ではないようにも思えるのです。

もちろん、「芝海老と言われて食べた海老チリソースが、安いバナメイ海老のチリソースだったとは、頭にきた!」という意見もよく分かります。まぁでも、それなりの雰囲気の中でそれなりの高級感を感じさせる調理で、チリソース炒めを食べて満足であったのなら、素材の海老の種類に関係なくそれはそれでいいのではないかという理解も成り立つのではと思ったりもするのです。もちろん受け止め方は、人それぞれではありますが。

そういう意味においては、メニュー偽装が分かって「まずい問題が起きてしまった」という段階で、「今後はしっかり管理してこういう事の起きないようにしましょう」で対外的にカミングアウトせずに内部体制の再構築で済ませる、という対応もありなのではないかと。せっかく、満足のいく非日常的な時間と空間を味わってもらったのにそれを台無しにするようなカミングアウトは、顧客の落胆を考えると中島みゆきさんの歌ではありませんが「永遠の嘘をついてくれ」、という心境にもなるではないかと思うのです。

ただし大切なことは、事件発覚時にも書きましたが、マネジメント上組織の「価値観」はしっかりと伝え再発防止に向け組織内で共有することは必要であり、欠かすことのできない重要ポイントであります。そこは現状でも全く譲れない部分です。しかしこの手の問題で、「素材に嘘をついているだろう!」と言われたわけでもないのに、自主的なカミングアウトをすることが果たして正しい選択であるのかの判断は、難しいところであると思うのです。

ではなぜ今回の一件が、こんなにも大きな問題になってしまったのでしょう。これは阪急阪神ホテルズの広報対応のまずさに尽きるように思います。当初はトップが出ずに、担当役員と部長レベルでお茶を濁そうとしたこと。これに取材側がエキサイト。さらにメディアの集中砲火を受けて登場したトップの対応が、横柄を絵に描いたような希にみるまずいもので、火に油だったわけです。メニュー偽装問題は、結局のところ広報対応の教訓を残した一件であったのかなと、思ったりもしております。

世の経営者様方はこと広報対応という問題に関しては、どうも他社の失敗例からの学習効果があまりないようです。来年は同じような悲劇が起こらないことを、とりあえず祈っておきたいと思います。

今年の企業テーマを振り返る~ブラック企業の件

2013-12-29 | 経営
今年も残すところあと3日になりました。今年企業経営に関して話題を集めたテーマについて、時間の許す限り総括していってみようと思います。ますは上半期に話題を集めたこのテーマから。

今年企業を取り巻く事件のひとつとして、「ブラック企業」という話題がありました。その手の書籍がベストセラーになり、ネット上でも様々な議論が巻き起こりました。以前は反社会的勢力を代表例とした法令違反企業を指していたこの言葉が、最近の若者言葉として「低賃金&長時間労働」「休みが取れない」「精神的ダメージを負う」職場のことをそう呼ぶ風潮に移行し大ブレイクしたという印象です。

もちろん労働環境として労基法はじめ明らかな法令違反は論外ですが、明確な法令違反以外の線引きをどう考えるのかというところが実に悩ましい問題であったと思います。今年、随分この問題に関して考えさせられましたが、現時点での結論として「正解はない」ではないかと思っています。ケース・バイ・ケース、って実に逃げっぽいですけど。難しいです。

この問題を取り上げた際に繰り返し述べてきた、コンプライアンスという考え方を使ってアウト、セーフの線引きをすべきである、という個人的な見解は現時点でも変わらずなのですが、コンプライアンスの定義自体が不確定であるというご指摘もあり(私個人は、コンプライアンス・オフィサー認定機構のコンプライアンス・オフィサーなので、その観点で定義づけをしています)なかなか万人の理解は得られにくいようです。

ある種、過去のセクハラ定義づけの過程と似た道筋をたどるのかもしれないなと。今後の「ブラック企業」事件に関する裁判なり、世論形成なりを経て、例えば「自分にその意思がなくとも、相手がセクハラと受け取ったらセクハラなんだ」というような、広く一般に理解されるような「ブラック」に関する定義づけがなされる日が近くあるのかもしれません。

「ブラック」に関してひとつだけマネジメントの観点から申し上げておくとすれば、少なくとも職場内で、個人的な感覚であろうとも「当社はブラックだ」と感じ公言する社員や元社員が出てきたとするなら、その状況を放置することは経営にとっては確実にマイナスであること言うこと。「人材」の問題は、あらゆる組織マネジメント構成要素と密接にかかわっており、長い目で見れば「企業風土」「価値観」にも確実に悪影響を及ぼし、最終的には企業価値にも反映されるものだからです。

「当社はブラックだ」と感じる社員や元社員が出てきたならば、彼は何をもって自社を「ブラック」だと言っているのかに関して十分に検証し、それに対して明確な説明が出来るのか否かを自問した上で、できるのならば詳細に説明をし、できないのならば速やかに改善を検討するという勇気と努力が必要なのではないかと思います。少なくとも現状で「ブラック企業」に関する明確な定義づけがない以上、マネジメント上のリスク管理の観点からも労使間での妥協点を見出す努力も必要なのではないかと思うのです。

「ブラック企業」議論は、バブル崩壊後のデフレ経済の長期化により激変した企業経営環境と労働環境に一石を投じ、新たな時代の労使関係の構築に向けた試金石となる存在なのかもしれないと感じています。来年も引き続きこの問題に関しては各企業が自己の問題として、「どこからブラックになるのか」という観点で真剣に考えていかなくてはいけないのではないかと思います。

「餃子の王将」社長射殺事件と経営者のリスク管理

2013-12-20 | 経営
京都に本社を置く外食チェーン「餃子の王将」の大東社長が、拳銃で打たれて射殺されるというショッキングな事件が発生しました。

現時点では、誰がなんの目的で行ったことであるのか全くわかりませんが、本社前で拳銃で撃たれ、目撃者や発砲音らしきものを聞いたという人もおらず、その筋のプロが明らかに大東社長と認識した上で犯行に出たものであることは確かなようです。会社側は会見で「思い当たるフシは全くない」と話していますが、これだけの大胆かつ計画的と思われる犯行ですから、亡くなられた大東社長本人は少なからず思い当たる何かがあったのではないかと思わされてしまうところです。

経営者のリスク管理という問題は、組織のリスク管理の中でも最重要に位置する問題です。特に創業者、ワンマン、カリスマ…などの言葉で形容される経営者の場合には、その人の身に何か重大な事件が発生することは、組織運営の危機に直結しかねないリスクをはらんでいます。そのような経営者は、自身のプライベートな面でのリスク管理も含めて、自身の健康面、安全面における最善のケアを常に心がける必要があるのです。

具体的なリスク管理要素は大きく分けて3つ。健康リスク、事故リスク、そして今回のような犯罪リスクです。
健康リスク対策は、定期健診と規則正しい生活リズム管理。これは高度成長の時代にはこの部分の管理を怠って組織に多大なリスクを及ぼす経営者が間々見受けられたものですが、予防医学と健康に対する関心の高まりとともに、現在の企業経営者でこのリスクを大きく犯す人は少なくなっているように思います。

次に事故リスク。仕事でもプライベートでも、事故に巻き込まれる確率を最小化することに尽きます。例えば、体調が悪い時に車の運転をしないとか、危険な国や場所に立ち入らないとか、プライベートで危険なスポーツや趣味を遠ざける、などがそれにあたります。私はクライアントの社長には、バイクに乗らない、冬山登山をしない、パラグライダーなどの趣味はやめる等々、必要がなくかつひとつ間違えれば怪我では済まないリスクは取らないことを進言しています。

そして犯罪リスク。この問題の唯一最大のリスク管理ポイントは、反社会的勢力との接点を一切持たないことです。反社会的勢力の定義は、暴力団に限らず暴力や詐欺などによって金儲けをする集団・個人のことです。経営者にまず必要なことは、経営者は彼らから見て“飯のタネ”として魅力的な存在であり、常に狙われる存在であるということを意識することです。会社としてはもちろんのこと、経営者個人としても会食はもちろん名刺交換ひとつもしてはいけないのですが、それと知らずに相手に近づかれ何らかの圧力をかけられる等があった場合には、速やかに警察当局に相談する必要があるのです。

会社でも個人でも反社会的勢力の力を借りて何かことを進めるなどというのは論外ですが、知らず知らずに相手に近寄られた場合でも対面を気にして警察に相談できないというケースも間々あり、そのことが相手に付け入る隙を与えることになる、などということが多いのです。黒い影の接近時には、勇気を持って声を上げることが経営者自身および企業を犯罪リスクから守る唯一の道なのです。

「餃子の王将」大東社長の身に何があったのかは定かではありませんが、事件の概要を聞くにつけ、トラブルにしろ、脅しにしろ、社長ご自身が察知できる何らかの事件の兆候はあったはずではないのかと思わざるを得ません。社内にも社外にも果たして声を上げていたのかいないのか知る由もありませんが、このような結末になってしまったことは大変残念なことです。経営者自身のリスク管理は、経営者自身が細心の注意を持って心がけ万が一のケースでは「見える化」を進める以外にはないのですから。今はただ事件の早期解決と犯人の犯行動機早期解明を切に望むばかりです。

故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

六本木EXシアターがいきなりコンプライアンス違反な件

2013-12-13 | その他あれこれ
一昨日のことです。11月30日にオープンした六本木EXシアターのこけら落とし大物ライブということで、エルビス・コステロさんのステージを見てまいりました。今年も数多くのライブに足を運び、洋モノライブ観戦をライフワークとする小職としましては、もちろんコステロさんの健在ぶりを確認するのが第一の目的ではありましたが、舞台が都内にできた注目の新ライブスポットというわけで、そのハコとしての魅力も存分に吟味させていただこうではないかというのが今回のもうひとつの目的でもありました。

ところがどっこい、このハコがとんだ食わせ物でして、何はともあれコンプライアンス違反はまずいんでないかい、ということで以下に詳細を記しておきます。

嫌な予感はしていました。チケットを入手した時に券面に印刷された「ご入場時にドリンク代¥500お支払頂きます」の文字。EXシアター(以下EX)がどういうところか存じ上げなかったので、まぁいわゆるライブハウなのかなと思ったわけです。ライブハウスでワンドリンク制はごく普通のことで、ライブ見ながら軽くアルコールでもいただくというのはよくある光景です。しかし会場に足を運んでみると、ライブハウスというよりは完全無欠なホールなわけです。ここでドリンク付ライブでいいの?と嫌な予感は徐々に現実味を帯びてきます。

もぎりで500円と引き換えにEXの刻印入りのスロットのような安いメダルを頂戴して、地下のカウンターでドリンクとお引換えください、とのお達し。地下に降りて、私はメニューの中からジンジャー・ハイボールを注文し、プラコップに入った液体を受け取るわけです。さて、開演も間近ってわけで座席に座ってちびりちびり始めますか、と思っているとやっぱり予感的中!「場内は飲食禁止ですので、ドリンクはロビーでお飲みください」とのアナウンスが…。「そりゃ、そーだろ。ここはホールだもん」って感じでしたが、おかげでロビーはやたらに混み混みなわけです。老若男女の皆さんが、開演に遅れまいとアルコール飲料を一気に飲み干しているという光景も、実に異様なものでした。

これってマズイです。いわゆる独禁法違反の「抱き合わせ販売」の疑義が濃いわけです。と言うよりアウトでしょうね。まず「抱き合わせ販売」の定義ですが、「魅力があって競争力の強い商品に、あまり競争力の強くない商品が付随された形で提供されること」。EXさんの場合、「魅力があって競争力の強い商品」がコステロさんのライブ鑑賞チケットであり、「あまり競争力の強くない商品」は飲みながらの鑑賞不可なライブ・ホールにおけるドリンク販売ということになります。

ただし、「抱き合わせ」と判断されない免責事項として、「二つの商品が密接にかかわっている場合」や「個別に購入できる選択肢が残されている場合」が挙げられます。一般のライブハウスの場合は、ドリンクを飲みながらライブ鑑賞をするというスタイルから「二つの商品が密接にかかわっている場合」に該当するものとして、これは独禁法違反ではないと解釈されます。そもそもライブハウスは、バーやレストランですからね。しかし、今回はどうでしょうか。会場はバーでもレストランでもなく音楽ホール。そこで行われるコステロさんのライブ鑑賞と会場内で飲めないドリンクのセット販売は、どう見ても一体のサービスとは言えないわけです。

開演時間ギリギリに来た人や開演後に来場した人は、ライブが始まろうがなんだろうが強制的に買わされたドリンクを飲み干さない限りにおいては会場に入れない、すなわちライブ鑑賞ができないのです。これは2つのサービスが一体じゃないことの証し以外の何者でもありません。残された合法への道は、ドリンクの買う買わないを選ばせる「個別に購入できる選択肢が残されている場合」に合致した選択の余地を残す方法に変更する以外にありません。このままでは完全なコンプライアンス違反です。ロビーの皆さん、特に女性陣はブーブー言ってましたよ。「何コレ、ひどい」って。EXさんいきなりミソ付けてます。

こけら落としコステロさんのライブは最高でした。しかしながら、せっかくの素晴らしいライブに会場運営上のコンプライアンス違反行為「抱き合わせ販売」が泥を塗った形になっていまいました。ライブハウスとホールでは事情が違います。つまらないところでせこい商売をしないで、公取に誰かが垂れ込まないうちに襟を正された方がよろしいですよと、EXシアターさんには老婆心ながら申し上げておきます。

「強行採決≒経営者実質独断」という決め方に関するリスク

2013-12-10 | 経営
沈黙をしておりましたが、特定秘密保護法案について思うところを私の領域から書いておきます。すなわち法の善し悪しの観点ではなく、物事との決め方の観点からのお話です。法案の決定に際しての「強行採決」というやり方に関する問題です。

ポイントは、物事を決定する時に関係者で十分な審議をせずに、特定の人間の意向で決めてしまうリスクがどこにあるのかということ。私の仕事に置き換えてみると、会議の運営において物事の決定方法には細心の注意を払います。もっとも注意すべきは、実質的な決定権を持つ者がその一存で決定を急ぐことのリスクです。オーナー企業における経営者リスクです。

経営者が早期に結論を出してしまうと、物事は十分な審議がなされずに決定へと動いてしまいます。十分な審議がなされないことで事案の詰めに甘さが生まれ、コンプライアンス違反をはじめとした様々な不祥事のタネが生まれやすくなるのです。ファシリテータ役を務める私や、社外取締役はそうならないように、十分な審議がなされたか否かを見極めつつ、実質的な決定権者が結論を急ぎすぎないように注意を払うのです。

今回の特定秘密法案における与党は、議会において安定多数を持ついわば実質決定権者です。野党からの問題提起のない法案でも、法の審議には慎重の上にも慎重を重ねる必要があるのですが、今回は国民も大きな関心を寄せていた重要法案。秘密に指定される事項の範疇の問題や、それを監視する第三機関のあり方などについて、十分な審議がなされないまま法案は「強行採決」されてしまいました。

先の私の仕事で言えば、会議において社外取締役が「一部コンプライアンス上の懸念があるので、リスクの極小化に向けた審議を続けるべき」と発言したにも関わらず、経営者が「もういい、商品化を急ぐのでこれでいく」と結論を急ぎ、実質経営者の一存で重要事項を決めてしまったのと同じことです。不祥事発生などの際に事後検証をすると、「なぜあの時十分な審議をしなかったのか」という疑問に対しては、「経営者が結論を急いだ」という事実が登場するのは珍しいことではありません。

法律の問題はさらに深刻です。万が一ヌケのある法が結論を急がれて決定させてしまった場合、その決定がなされた時点では為政者に悪意がないなら問題は生じないのですが、法というものは為政者が変わっても延々と生き続けるものです。何年か、あるいは何十年か先の為政者が、そのヌケを見つけて悪意を持って利用することも考えられるのです。だから、法の審議はなおさら結論を急いではならないのです。

今回は審議を重ねるべき点がいくつも指摘されていました。法の決定プロセスとして、強行採決はするべきではなかったと私は思っています。確かに悪意を持った強行採決でないのなら、今はリスクはないのかもしれません。しかし、審議が尽くされていないヌケのある法であるとするならば、いつか将来悪意を持った為政者が出てそのヌケを利用しないとは限らないのです。もちろんヌケがあると決めつけるのは早計かもしれませんが、最低限ヌケがないと確認できるだけの審議時間は必要だったでしょう。

経営者の実質独断という物事の決め方と、安定多数与党による強行採決という物事の決め方は、私から見れば同じものに見え同じリスクを負っていると思うのです。