「全米トップ40フリーク70年代の100枚」No.14です。
私が思うに70年代の元祖ピアノ・マンはエルトン・ジョンその人ですが、日本でピアノ・マンと言えばビリー・ジョエルを浮かべる方が圧倒的に多いかと思います。
イントロの口笛が印象的なそのタイトル曲がCMで使われ大ヒットした、77年のアルバム「ストレンジャー」。日本では今も昔も、「ビリー=ストレンジャー」の印象が強いように思います。アメリカではこのアルバムから、「素顔のままで」「ムービング・アウト」「若死にするのは善人だけ」「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」と4曲のヒットを量産し、全米2位のベストセラー・アルバムになりました。ですが、「100枚」に選出するには微妙。決して悪くない出来ではありますが、まだまだ荒削りでもうひとつ作りこみ不足の感が感じられます。
ところが翌年78年リリースの次作「ニューヨーク52番街」では一転、実によく作りこまれ完璧と言えるアルバムづくりを披露しました。と言う訳で、
14「ニューヨーク52番街/ビリー・ジョエル」
前作よりプロデュースを引き受けたフィル・ラモーンも、担当2作目にして完全にビリーを掌握し、バック・ミュージシャンのライン・アップから、楽曲のアレンジ、アルバム全体のトーンに至るまで、最高にビリーの才能と個性を引き出すことに成功した作品であると言っていいでしょう。全体のトーンは、前作のどこか冷たさを感じさせる都会の表通り的雰囲気は一掃され、むしろ大都会ニューヨークの裏通りの知られざる“暖かみ”のようなものを見事に表現しています。
また、ゲストの使い方も実に巧みで、ファースト・シングル「マイ・ライフ」には、フィルが当時担当していたシカゴの面々がコーラスで参加。また、フレディ・ハーバードやマイケル・ブレッカーなどのジャズ系一流ミュージシャンを大量起用し、ビリーの音楽性の幅広さを寄り一層引き立たせることにも成功しています。
オジさんもカラオケで歌っちゃう日本で大ヒットの「オネスティ」、個人的ベスト・トラック「マイ・ライフ」、今でもステージ終盤での定番曲「ビッグ・ショット」、ジャズ・フィーリング溢れる「ザンジバル」や中南米のリズムを刻む「ロザリンダの瞳」、ブラスロック調の「自由への半マイル」、朗々と歌い上げる「アンティル・ザ・ナイト」等々、多種多様な全9曲が、どれも素晴らしく完成度の高い出来栄えで収められています。
彼にとっても初の全米№1アルバムで、間違いなく最高傑作と言っていい70年代を代表する作品であると思います。
私が思うに70年代の元祖ピアノ・マンはエルトン・ジョンその人ですが、日本でピアノ・マンと言えばビリー・ジョエルを浮かべる方が圧倒的に多いかと思います。
イントロの口笛が印象的なそのタイトル曲がCMで使われ大ヒットした、77年のアルバム「ストレンジャー」。日本では今も昔も、「ビリー=ストレンジャー」の印象が強いように思います。アメリカではこのアルバムから、「素顔のままで」「ムービング・アウト」「若死にするのは善人だけ」「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」と4曲のヒットを量産し、全米2位のベストセラー・アルバムになりました。ですが、「100枚」に選出するには微妙。決して悪くない出来ではありますが、まだまだ荒削りでもうひとつ作りこみ不足の感が感じられます。
ところが翌年78年リリースの次作「ニューヨーク52番街」では一転、実によく作りこまれ完璧と言えるアルバムづくりを披露しました。と言う訳で、
14「ニューヨーク52番街/ビリー・ジョエル」
前作よりプロデュースを引き受けたフィル・ラモーンも、担当2作目にして完全にビリーを掌握し、バック・ミュージシャンのライン・アップから、楽曲のアレンジ、アルバム全体のトーンに至るまで、最高にビリーの才能と個性を引き出すことに成功した作品であると言っていいでしょう。全体のトーンは、前作のどこか冷たさを感じさせる都会の表通り的雰囲気は一掃され、むしろ大都会ニューヨークの裏通りの知られざる“暖かみ”のようなものを見事に表現しています。
また、ゲストの使い方も実に巧みで、ファースト・シングル「マイ・ライフ」には、フィルが当時担当していたシカゴの面々がコーラスで参加。また、フレディ・ハーバードやマイケル・ブレッカーなどのジャズ系一流ミュージシャンを大量起用し、ビリーの音楽性の幅広さを寄り一層引き立たせることにも成功しています。
オジさんもカラオケで歌っちゃう日本で大ヒットの「オネスティ」、個人的ベスト・トラック「マイ・ライフ」、今でもステージ終盤での定番曲「ビッグ・ショット」、ジャズ・フィーリング溢れる「ザンジバル」や中南米のリズムを刻む「ロザリンダの瞳」、ブラスロック調の「自由への半マイル」、朗々と歌い上げる「アンティル・ザ・ナイト」等々、多種多様な全9曲が、どれも素晴らしく完成度の高い出来栄えで収められています。
彼にとっても初の全米№1アルバムで、間違いなく最高傑作と言っていい70年代を代表する作品であると思います。