日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<NEWS雑感> ~ 9・30号 「ブッシュ、笹川尭」

2008-09-30 | ニュース雑感
本日も内外から2本のNEWSネタで。

●米大統領が「緊急事態」と声明 金融法案の早期可決促す●

米国議会下院で、金融危機対策公的資金投入が否決されるという、思わぬ展開になりました。その影響で昨日のNYダウは史上最大の下げ幅を記録するという、1929年の金融恐慌の再来をも思わせる事態に陥りました。本日は反動買いでいくらか持ち直してはいるものの、不安な状況に変わりはありません。ブッシュ大統領は金融「緊急事態」を宣言し、金融法案修正案の下院通過を全力で目指す構えですが、果たしてどうなることか。

再度否決なら海外への記入不安連鎖も十分ありうる情勢で、日本も安穏とはしてられません。国会の補正予算案が9日に成立した直後の解散が有力視されていますが、ここは米国の金融対策動向を見つつおかしなタイミングで政治空白とならぬよう、国民の立場で思慮深い判断を与野党にお願いしたいことろです。こんな不安定な国際金融情勢下で議席争いを優先するような愚かな真似だけは、絶対にして欲しくないと切に願うのみです。そうなれば世界の笑い物になることだけは必至です。


●笹川総務会長「下院議長は女性。それで破裂した」発言が物議●

自民党の笹川尭総務会長が、上記の米国議会下院での金融危機対策公的資金投入否決を表して、こんなことをのたまわれたとか。さきの中山国交省大臣辞任の一件もあり、さっそく「女性蔑視の問題発言」と一部で騒がれていおります。ご本人は、「失言でも何でもない。『下院がまとめられなかった。議長は女性だ』と言っただけ。女性だからまとめられなかったとは一言も言っていない」と苦しい言い訳。

まぁ先入観はいけませんが、先生は“モーターボートの父”故笹川良一氏のご子息ですから、言ってみれば筋金入りの“ライトハンド”な訳でして、「さもありなん」と相成るところです。実に分かりやすい。まぁ、選挙が近いこの時期ですから、いつも以上に、発言には気をつけなくてはいけないハズじゃないですか、センセ。

このところの総理もそうですが、「我慢がきかない」、「脇が甘い」、日本の政治家のレベルを下げているのは苦労知らずの二世議員たちに他ならないと思えてしかたないです。小泉さんもご子息へのバトンタッチをご希望されているようで、“改革急進派”の元総理をしても「世襲政治をぶっ壊す」とはなりませんでした。政治における日本の夜明けはまだまだ遠いように思えます。

<NEWS雑感> ~ 9・29号 「中山成彬、マケイン」

2008-09-29 | ニュース雑感
本日のNEWSネタは内外2本です。

●中山成彬前国交相わずか5日で辞任●

中山成彬国交相が、自身のマスコミに対する発言の責任をとって辞任しました。問題発言は主に3つ。「成田闘争のごね得は戦後教育の弊害」「日本は内向的な単一民族」「日教組は教育水準を下げるガン」。考え方の正否はともかく、一国の大臣として、いや国会議員としてこの発言いかがなものかと思われるところであり、辞職は至極当然の流れでしょう。

ところが中山センセ、自民党の今の時期の選挙対策の犠牲になったとでも思っているのか、形式的な謝罪はしたものの会見で日教組問題で一歩も譲らぬ追い討ち発言まで飛び出すは、今朝もテレビで持論を展開するはで、まさに“KY(空気読めない)”の極みといった様相です。

中山センセ、あなたはどんな立場で、どう行動すべきなのかお分かりですか。聞けばラ・サール高校→東大法学部→大蔵省→代議士の「超」がつくエリート育ちです。持論の日教組批判を展開する前に、ご自身を日本一の“KY”に育てたエリート教育、偏差値偏重教育を省みた方がよろしいのではないでしょうか。


●マケインの“リーマン失言”余波、初TV討論はオバマ優勢で形勢逆転●

いよいよ11月4日に投票日が迫った米大統領選は、あと1か月の追い込みに入って熾烈さを増してきました。先週第1回のTV公開討論が開催され、マケイン、オバマの両候補が激しい舌戦を繰り広げました。

焦点は、リーマン・ショックに揺れる金融経済対策。ちょうど1か月前に、ペイリン前アラスカ州知事を初の女性副大統領候補に指名した共和党マケイン候補は、一気に支持を広げ、混戦を断ち切る決定打を打ち出したかに思えました。しかし、リーマン破綻をめぐる発言で、情勢は一転します。

リーマン破綻直後の混沌とした経済状況下でマケイン氏が発した言葉は、「米経済のファンダメンタルズは強い」でした。これに良識ある米国民は、新リーダー候補の発言としてあまりに楽観的で軽率であると「ノー」を突きつけたのです。さらに、氏からこの時期の公開討論を避けるような言動もあり、結果第1回公開討論はオバマ氏優勢で幕を閉じ、支持率も一気に逆転しました。

このことは、アメリカの有権者は「家計を助けてくれるのは誰か」を考え一票の重さを実感しているという、「民意」の高さを如実に表す出来事でもあります。私は自民党総裁選の最中に、“経済通“の与謝野候補がリーマン・ショックの影響を「ハチが刺した程度」と評したことを重大発言視しましたが、残念ながら日本の政治意識のレベルでは大きな問題として自民党が非難されるには至りませんでした。リーマン・ショックは、政治に対する日米の「民意」の違いを痛感させられる一件でもあったのです。

政治家のだらしなさ、無策さはとりもなおさず、彼らを選んだ我々国民の責任でもあります。我々は、政治と政治家の質を国際的に恥ずかしくないレベルに高められるのは「民意」でしかないということも、今一度肝に銘じなくてはいけないと思うのです。

〈70年代の100枚〉№42 ~ That’s AOR

2008-09-27 | 洋楽
もともとはアメリカ南部の香り漂うR&Bが身上だったはずのアーティストが、組む相手の趣向で一気にソフィスケーテドされてしまった、そんなアルバムの思いがけない登場が「AOR」という言葉を誕生させたのでした。

№42     「シルク・ディグリーズ/ボズ・スキャッグス」

ボス・スキャッグス、彼は60年代後半から70年代前半にかけては誰がみても、南部の香り漂うR&Bアーティストでした。スティーブ・ミラーとブルース・バンドを組み、ソロになってからもあのデュアン・オールマンとの共演をはじめ、ブルースを基調としつつ黒人音楽にも傾倒し、かなり土臭いアメリカを目一杯表現していたのです。その彼が76年に発表した「シルク・ディグリーズ」はちょっとした驚きでした。黒っぽさや南部の土臭さはそこそこ感じられはするものの、全体を包み込むトーンは実に都会的。黒のタキシードでシャンパンを口に含ませるかのようなおしゃれなアルバムは、一躍全米で大ヒットを記録したのでした。

このアルバムで彼の運命を決定づけたパートナーは、キーボード奏者でアレンジ担当のデビッド・ペイチ。当時新進気鋭のキーボード・プレイヤーだった彼が、全面的に曲作りにも関与し、かつアレンジャーとして都会的で洗練されたアレンジを施し、新たなボズ・スキャッグスを演出したのです。A1「何て言えばいいんだろう」から、いきなりファンキーでリズミカルな音が盤面からあふれ出してきます。すばらしくノリがいいのにどこか分別のある音楽=「AOR(大人好みのロック)」が生まれた瞬間でした。

B1「ロウ・ダウン」は全米3位の大ヒット、B4「リド・シャッフル」も11位を記録し、アルバムは第2位に。“シスコの顔役”と言われていたボズが、一躍全米中が注目する存在になったのでした。そして、このアルバムを語るときにもう一曲欠かすことのできないのが、アルバムラストを飾る歴史的名バラードB5「ウイ・アー・オール・アローン」。同時期にリタ・クーリッジが取り上げ大ヒットし、作者であるボズの名前が日本でも注目を集めることになります。

他にもA2「ジョージア」B2「イッツ・オーバー」など佳曲揃い。A3「ジャンプ・ストリート」の南部臭さや、ニューオリンズの重鎮アラン・トゥーサンの曲を取り上げたA4「あの娘に何をさせたいんだ」では、以前からのボズらしいカラーもしっかり焼き付けていて、都会的とは言いつつも冷たくなりすぎない“彼らしい”暖かみが感じられます。

アレンジャーのデビッド・ペイチはこの2年後に、ここでもドラムを叩いているジェフ・ポーカロらとTOTOを結成し、AORバンドの旗手として次なる時代を担う大活躍を遂げることになるのです。もちろんボズもこれを機に、AORブームの火付け役としてその後の長きにわたって、アメリカのみならず日本でも絶大な人気を誇ることになります。しかしながら、次作以降の彼はすっかりAORに毒されてしまい、やたらに“仰々アレンジ”のバラードや無機質で低温感覚のロックを歌うようになります。今も専業AORシンガー的に扱われて専門家の評価を下げている原因は、そのあたりにありそうです。

それはともかく、この後大きな盛り上がりをみせるAORブームは音楽界に確実に変革を起こしました。60年代からロック・ミュージックは若者音楽の代名詞として“カッコいいもの”ではあったものの、AORはそれに“おしゃれな”という形容詞を付け加えたのです。その意味ではAORに先鞭をつけたこのアルバムは、来るべき80年代に向けてポピュラー音楽史の舵を大きく切った歴史に残る一枚であると言えるのかもしれません。ジャケットのデザインも、実にAORしていて、“おしゃれ”じゃないですか。

引き際の“美学”

2008-09-25 | ニュース雑感
小泉純一郎元総理が、近々予測されている衆議院選挙に出馬せず、政界からの引退を決めたと今夜報道がありました。

第一印象を申し上げれば、「さもありなん」「らしいやり方」「潔い」といった感じでしょうか。一部には、小泉改革のほころびが出始めたこの時期に、自民党内では“反小泉改革派”とも言える麻生太郎総理大臣が誕生したことで、袋叩きにあう前に上手に“逃げた”という声も聞こえています。しかしながら、小泉元首相の歯切れの良さから考えれば、“逃げる”という捉え方は全くもって見当違いな感じがしております。

ただ、自分がこのままとどまった場合に、「自民党に迷惑をかけるかもしれない」という意識はあったかもしれません。その考えはむしろ、長老として生きながらえようとするよりもよほど“潔い”選択と言えるのではないでしょうか。そしてこのタイミングでの引退。イメージ戦略を上手に使ってきた小泉元首相だけに、自分の価値が十分使えるこのタイミングこそが、今後の自分にとっても、後継者にとっても、さらには自民党にとっても最良の時期であると判断したのではないでしょうか。

今回の件で、すぐに好対象な人物として顔が浮かんだのが、中曽根康弘元総理です。氏は小泉内閣のあの2005年“郵政民営化選挙”の際の“中曽根おろし”で、元総理としてあまりにも醜い姿をさらしたものでした。小泉自民党総裁は突如比例区に定年制を導入し、中曽根氏に引退を勧告したのでした。

比例区導入時に党執行部が約束した終身比例名簿1位の中曽根氏は、小泉が一方的にこれを破棄して引退勧告したことで「長老議員に対し許されない非礼である」と激怒し猛烈な抗議を展開。これには、見ている国民も興ざめしたものです。同時に引退勧告を受けた、宮沢喜一元総理が「総理の面目を潰す訳には行かない」と引退勧告に素直に応じたことも、一層中曽根氏の醜態を際立せたのでした。

この自民党長老の過去“引き際”の悪さへの当てつけを、どうしても相手の存命中にしたかったのでしょうか、まだ66歳の小泉元総理はまるで「今後一切、自民党に長老などと言うものは存在しない」とでも言いたげに、最後にまたひとつ「自民党をぶっ壊す」ことを実践したのかもしれません。

野球界に目を転じれば、たまたま昨日は福岡ソフトバンク・ホークス王貞治監督が退任を発表したばかりでした。王監督は健康上の問題があるとは言うものの、やはり「自分がチームに迷惑をかけている」という自覚の下での“引き際の良さ”に感心させられました。この世界での好対象は、星野仙一氏です。阪神タイガース監督を健康理由で辞めていながら、全日本監督への意欲の就任。ONへのライバル心からなのか、あまりにギラギラとした氏のやり方は、決して好感が持てるものではありませんでした。そして、北京惨敗後今度はWBC監督就任への執着心を聞くにつけ、“引き際の悪さ”の上塗りが氏の評価を益々下げていくように思えています。

“引き際”の重要さはビジネス界とて同じこと。成功に向けて立ち向かう時の執着心はどれだけ持っても醜く映らないものですが、一度勝利、トップを極めた者があまりに長くその地位や立場に執着すればするほど、過去の「栄光」を消し去るほどに醜く映り後継はいつしか皆離れていくものです。どの世界においても大人の社会では、引退間際の勝った負けたの勝敗に関係なく、「潔い」「美しい」“引き際”を自らつくりだせることは、最終的な「終身勝利」を手にすることに等しいと言えるのです。

新企画!<NEWS雑感>9・24号「野村、中川、東大助教授、日景」

2008-09-24 | その他あれこれ
毎日NEWSを拾っていると一言言いたいネタは多いのですが、一本ネタで取り上げるほどでもないもの多数あります。そこでそんなネタを集めて、大ネタ不足の時に、放言コメントしてみることにしました。一応久々の新企画です。不定期掲載ですが、ちょこちょこやります。

●野村がリーマンアジア部門を買収、三菱UFJはモルガンに出資●
なんかバブル時代を彷彿とさせるジャパン・マネーの海外席捲ぶりですね。でもどうなんでしょうか、やはり金融後進国の日本が世界の金融マーケットを動かせるとは、どうしても思えません。バブル期と同じく、国内ライバル・グループへの対抗上投資競争に走って、また高い授業料を払うだけで終わるような気がしてなりません。アングロ・サクソンがイエロー・モンキーの言いなりになるとは思えないですからね。

●麻生内閣スタート、財務兼金融担当相に中川昭一氏●
あれ?財政と金融の分離ってなぜしたんでしたっけ?「財政と金融は切り離せない。一緒に考えなければ」って、“太郎ちゃん”の頭の中でちゃんと考えていればいい話でしょ?財政金融分離に抵抗を続けた大蔵省「財金一体管理体制」下の97年金融危機において、当時の橋本内閣は果たして危機回避と経済悪化に無力で、「経済失政」の烙印を押されました。「財金一体」で“二の舞”の予感が…。“太郎ちゃん”大丈夫?

●スピード違反の東大助教授、白バイ隊員殴って逮捕●
教養学部の先生だそうです。殴るのはよくないです、確かに。でも、いつも申し上げているように、「隠れて→違反させて→止まりなさ~い」っておかしいでしょ?警察はわざわざ違反をさせちゃいかんですよ。なんで、目の前で違反をさせるのか。白バイが姿を見せていれば、違反はしない。違反を未然防止できる状況なのにわざわざ隠れて違反をさせる、国民の安全を守る秩序の番人として、明らかに間違ってます!きっと東大教養学部の先生は、警察のあまりの“教養”のない行為に怒ったんでしょう。

●日景忠男容疑者を逮捕=女性社長から150万円恐喝●
この人知っていると歳がバレますね。俳優の故沖雅也養父でオカマの忠男ちゃんです。なんでも生活費に困って元勤務先社長を脅したとか。あまりにみみっちくて情けない…。沖さんが自殺したのが83年だそうで、もうかれこれ25年も前のことです。新宿京王プラザホテルからの飛び降りだったと記憶しています。日景容疑者は、沖さんの「涅槃で待つ」の遺書の相手として一役時の人になりましたが、すでに71歳。「沖さんのこと、まだ待たせてたんだ」って感じ。悪い奴は結局「涅槃」にゃ行けないかもね。

今日はこんなところで失礼を。

米国金融危機をめぐる国内の各論調に思う

2008-09-23 | その他あれこれ
米国金融危機対応は私がブログで求めたとおりの展開で、不良債権受け皿用の公的資金70兆円超の導入により、ひとまず一息ついたと言った状況です。

それにしても、繰り返しになりますが日本の政治家のお粗末さには改めてあきれてしまいました。その一番は、与謝野馨。自民党総裁選の遊説中に発した一言、今回の一件を「日本への影響はハチが刺した程度」とは愕然。要するに経済のグローバリズム化に対する認識の甘さ、ということに尽きるのでしょう。こんな発言を堂々とする人物が党内きっての“経済財政通”であると言うのですから、“一粒で二度驚き”でした。

一方の民主党は何をしていたのでしょう。こんな“大失言”もあり、絶好の攻め入るチャンスをミスミス素通りでした。政権を担っている立場ではないのですから、「リーマンへの公的資金注入せず」のNEWSが駆け巡った段階で、「政府自民党は我が国の国民生活を守る観点から、すぐにでも米政府に金融システム保全に向けた公的資金活用を約束させよ!」と、大上段に構えてでも言うべきだったのではないでしょうか。これまた、まったくお粗末。与党も野党も経済オンチの日本は、お先真っ暗です。

当事者であるブッシュ=アメリカ政権の経済政策は結果、手堅いモノでした。リーマン支援せずの段階で、どこまで先を考えていたのか分からない部分もありますが、もしその後のAIGへの公的融資実行、不良債権処理受け皿公的資金注入を、あの時点で、段階的におこないマーケット心理を徐々に安定化させようと考えていたとすれば、「後手を踏んだ」というより「適切であった」と言うべきかもしれません。ここまではひとまず正解だったように思います。少なくとも、10年前に同じタイプの金融危機を経験している我が国のボンクラ政治家どもよりも、数段“経済政策通”であった訳です。

新聞ではさすがに日経新聞が冴えていました。リーマン破綻直後の17日朝刊の「経済教室」で、早速「スタグフレーション懸念と経済政策」という小林慶一郎シカゴ大博士の文章を掲載し警鐘を鳴らしました。実にタイムリー。あの段階で、新聞社の判断で今回の経済危機に関して「スタグフレーション懸念」まで触れたのは日経一紙だったのではないでしょうか。もちろん、公器としての影響力を考えて、形上は権威者に語らせるやり方ではありましたが、久々に「さすが!」と唸らされた対応でした。

さて麻生太郎さん、予定通り総裁に選出され、明日24日第92代日本国総理大臣に選出されます。どうするんでしょうか?今回の影響で予想通り原油価格はまた高騰に転じてます。つまり景気は下降を続けながらも物価はますますの上昇局面なのです。本当に内需主導、バラマキの景気対策でいいのでしょうか?解散総選挙が近いだけに、バラマキが人気取りには確かに効果的なのかもしれません。でもそれが本当に国民に一番いい政策なのでしょうか。国家予算にも匹敵する公的資金注入の米金融危機という緊急事態が発生した今こそ、補正予算の成立を優先するよりも景気対策に関する政策論議を国民レベルでしっかり戦わせるべきではないのでしょうか。

1年後に我々国民が大変な目に会わないために、選挙と言う目先の利害にとらわれない真剣な政策論議をして欲しいと思います。1か月に10~15冊のマンガを読むと言う経済オンチの“オタク宰相”に、この経済政策的に難しい重大局面を任せてこの国の経済は本当に大丈夫なのか、かなり心配な気がしています。

<音楽夜話>「レイラ」の自伝で読む70年代の舞台裏

2008-09-21 | 洋楽
パティ・ボイドという名を聞いて、ピンとくる人はかなりな音楽通ですね。

毎週1回恒例の本屋巡りでは、たいてい仕事関連を中心に本漁りをしているのですが、音楽関係の本も広い意味ではビジネス本な訳で、意外に仕事のヒントになるモノがあったりします。そんな訳で毎度毎度ではないのですが、気分転換的な味付けも欲しくなったりして時々音楽本コーナーにも足を運ぶ私です。先週地元熊谷の音楽本市内一の品揃えと思しき店で、思わず目を引く新刊本を見つけてしまいました。

「パティ・ボイド自伝」。帯に『ジョージ・ハリスンの「サムシング」も、エリック・クラプトンの「いとしのレイラ」もパティ・ボイドに捧げられた曲だった』とあることでお分かりの人も多いでしょう。パティ・ボイドは、元ジョージ、そしてエリックの妻であった「レイラ」その人なのです。

モデル出身、ビートルズ映画「ア・ハード・ディズ・ナイト」でジョージに見初められ(電車の中の彼女が登場するシーンでは本当に素晴らしく可愛いです)結婚。その後ジョージの音楽仲間であり友人であるエリック・クラプトンから求愛され被略奪婚。80年代後半にはそれも破局し、その後どうしたのかのかも忘れられていた存在だった彼女が、突如“自伝”を出したのでした。

まぁ日本でもよくある、石原まりえ的“昔人気者おばさん”のタチの悪い暴露本かと思い、冷やかしで立ち読みをはじめたのですが、これがなかなかどうしておもしろい!60~70年代にかけての音楽界を舞台裏から見た情景やら、苦悩する孤独な大物アーティストの素顔やらが、活劇的に展開されてかなり引き込まれてしまう内容です。もちろん、一部暴露的な話が出てきたり、2人の元夫に批判的な描写が出てきたりはするのですが、それはあくまで本筋ではないという程度で、嫌味には感じません。

ポイントは彼女が音楽家ではなく、音楽素人であったことがこの本の描写を大変おもしろいものにに仕立て上げているのではないか、という点です。普通、音楽家が書く自伝は、どうしても「あの曲を作った時はこうだった」的な音楽制作裏話ノリになりがちで、もちろん音楽ファンとしてはそれもおもしろいのでしょうが、どうしても音楽本の域を出ないのです。

彼女が描いているのは、60~70年代にもっとも光を浴びていたアーティストたちの舞台裏を、あくまで素人の目で見たままの姿なのです。時代背景的な描写も多く、とても興味深い内容の画期的な自伝かなと思いました。聞けば、今年春に米英で出版され、かなりなベストセラーになったそうです。

実際に書いているのは、伝記作家のペニー・ジュノーという人。おそらくパティの口述筆記と彼女の日記(これはかなり綿密に記されているようで、これがなければこの本は存在し得なかったと思われます)から、実に400ページ以上のボリュームある自伝に書き下ろしたようです。ところどころテーマの関係で、時系列が飛んだり戻ったりで入り食う点はあるものの、文章や話の構成も実によくこなれていて思わず引き込まれてしまいます。

結局、立ち読みでは読み切れないと考えて、買って帰りました。2,940円也(消費税込)。飛ばし飛ばし、まずは大好きな70年代を中心に読み込みんでいます。70年代の音楽家たちが、どのような環境下でどのような生活を送っていたのか、目の前で繰り広げられているかのようなおもしろさにはまっています。ビートルズやクラプトンに一度はハマったことがある人、リアルタイムで70年代音楽シーンを体感した人などは、情報が少なかった時代の音楽体験を40年の歳月を経て埋め合わせをする喜びもあり、大いに楽しめるのではないかと思います。

それにしても、彼女がクラプトンから録音直後のあの名曲「いとしのレイラ」のテープを大音量で聞かされて、『その曲は私の理性を打ち負かし、私はもう抗うことができなかった』というくだりは、何度読んでも臨場感にあふれ昂揚されられます。

〈70年代の100枚〉№41~父に導かれたマーヴィンの「成功」と「悲劇」

2008-09-20 | 洋楽
「70年代の100枚」初の黒人アーティストの登場です。マーヴイン・ゲイ。「本当のソウルを聞きたいならマーヴイン・ゲイを聞け!」と言われていたその人です。

№41   「レッツ・ゲット・イット・オン/マーヴイン・ゲイ」

一般的にマーヴィン・ゲイと言うと、このアルバムよりも前作「ホワッツ・ゴーイング・オン」が歴史的名作とされています。「ホワッツ…」は、反戦や環境問題を取り上げたモータウン・レーベル初のコンセプトアルバムであり、2008年時点の後追い評価で考えるなら断然の存在感があると思います。しかしながら、セールス面で見れば「ホワッツ…」は全米アルバムチャート4位。一方の本作「レッツ…」は2位。それぞれのタイトルナンバーは、「ホワッツ…」が2位、「レッツ…」は見事全米1位に輝いており、“全米TOP40フリークの”という本企画趣旨から「レッツ・ゲット・イット・オン」の方を100枚に選びました。個人的重要ポイント、ジャケットのデザインも断然こちらがイカしています。

黒人牧師の息子として育ったマーヴィンが、その魂を震わせて制作したプロテスト・スピリッツにあふれたコンセプト・アルバムである71年の「ホワッツ…」は、黒人レーベル=モータウンのアーティストとしてエポックメイキングな作品であります。しかし、そのスピリットを昇華させつつ制作された73年の「レッツ…」では、マーヴィンが持てる人間的かつ芸術的感性のすべてをさらけ出し、人種のわけ隔てを越えるべくより普遍性の高い「愛」と「性」をテーマに大いなる躍動を見せています。

その意味では、後に続く黒人ミュージシャンたちへ多大な影響を与えた、白、黒の区分けを前提としないアーティスト=マーヴィン・ゲイの誕生がより強く感じられるのは、この「レッツ・ゲット・イット・オン」の方のではないかと思います。タイトルナンバーがR&BチャートだけでなくPOPチャートでもトップに立ったという事実は、当時としては本当に大きな意味を持っているのです。

この№1ソングA1「レッツ・ゲット・イット・オン」のソウルフルでセクシーな歌いっぷりには、本当にノック・アウトを食らわせられます。マーヴィンの歌もさることながら、それを盛りたてるバックメンの演奏も抜群のグルーヴ感です。それもそのはず、クルセイダースのメンバーをはじめとするジャズ・フュージョン畑の腕ききたちが集められ、マーヴィンが彼周辺の人脈を結集して作ったまさに入魂の一作なのです。こうした、ジャズ・フュージョン系ミュージシャンとの交流は、後のAOR誕生にも大きな影響を与えたとも言えるでしょう。

さて、彼を語る上ではずせない牧師の父の話。父ははあまりにも厳格な性格で、その厳しい躾への反発こそが彼のアーティスティックな感性のよりどころでもあったと聞きます。「ホワッツ・ゴーイング・オン」と「レッツ・ゲット・イット・オン」は、前者は「平和」や「宗教」観、後者は「愛」をテーマに、現れた表現方法は異なってはいるものの、それぞれが父への反発をよりどころとしてきた、そんな彼の芸術表現がひとつのピークを迎えた証しでもあったのだと感じられます。

84年春、自宅でその厳格な父親と口論の末、逆上した父親が彼に発砲、マーヴィンは44年の短い生涯を閉じることになります。彼の悲劇的な「終焉」を思い出すにつけ、70年代前半にアーティストとしてピークを迎えた彼の「成功」は、「父との関係」という決して崩すことのできない「宿命」の上に立っていた“砂上の楼閣”だったのだと感じさせられ、なんとも切ない気分にさせらせられます。

大ヒット「5万円パソコン」が教えてくれること

2008-09-19 | マーケティング
5万円前後の低価格で、従来のノートパソコン(PC)より小型・軽量のミニノートPCが飛ぶように売れているといいます。

そもそもこの商品に先鞭をつけたのは、台湾PCメーカーのASUS(アスース)。昨年の10月に300ドルを切る格安PCを発売し、クリスマス商戦で大ヒットするや、競合他社も続々とこの市場に参入したのです。ノートPCで世界シェア第1位のヒューレッド・パッカード(HP)や第2位の台湾エイサーはいち早く追随。米国のDELLも参入を表明、日本のSONY、富士通もようやく重い腰をあげはじめたようで、一大ブームを通り越しもはや新たなマーケット創造とも言えそうな事態に至っています。

小型・軽量のミニノートのコンセプトは、製品を小さくしかつ機能を削ぎ落とすことで価格を引き下げるというものです。そもそも、画面サイズが10インチ以下のミニノートPCは、日本のメーカーが得意の小型・軽量化を製品の「付加価値」として位置づけ、小さくするほど価格を高くする戦略で市場を独占していました。言ってみれば、ASUSの戦略は発想の大転換。というよりも、利用者の立場で「何かおかしくないか?」と考える疑問からニーズを探り出し、メーカーの立場でこれに応えた勝利なのです。

そもそもPC業界には過去にも似た事例がありました。PC販売におけるDELLの数年前に始まった大躍進は、もともとこれとかなり近い発想に根差したものです。国内はじめ大手PCメーカー各社はPCの販売価格の低下を嫌って、TVチューナー内蔵、録画機能、動画編集機能等の「家電機能」を満載させることで、価格の維持をはかってきました。DELLはその間隙を縫って、商品的な贅肉をそぎ落としかつオンライン販売で徹底したコストダウンをして成功したビジネスモデルでした。

当初法人向けとして考えられていた低価格PCは、今や個人利用も当たり前になり、「家電PC」を扱う各社はDELLに対する利用者の絶大な支持を見るや、遅ればせながら同様の商品をこぞって後追い販売する動きをとっています。マーケティング的に言えば、DELLは利用者のニーズ重視の「マーケット・イン」の考え方で成功し、追随各社はメーカーの論理重視の「プロダクト・アウト」の戦略で後手を踏んだのです。時代にあった戦略の有効性の違いが如実に表れた結果と言えるのではないでしょうか。

今回の件は、少し前にDELLの新しいビジネスモデル出現でPC販売戦略として一敗地にまみれたPCメーカー各社がその反省を活かせず、またもや小型・軽量のミニノートPC分野で同じ轍を踏む羽目になったのです。要するに、独占的に扱ってきた“高付加価値製品”にあぐらをかいて、小型・軽量のミニノートPCの利益確保を優先。かつ既存の普通サイズノートPC売上への影響にも配慮して、商品化をできるのにあえて手を出さなかった感の強い国内PCメーカー各社は、またしても消費者のニーズに応えた新商品の前に、完膚なきまで打ちのめされたという訳です。

どんなビジネスでも同じことですが、今や送り手主体の「プロダクト・アウト」の戦略は受け入れられにくい時代です。自社の利益優先や同業との暗黙の了解の元での既得権的利益確保のあまり、顧客ニースを優先した「マーケット・イン」の考え方を忘れてしまうことが、いかに将来にわたる利益を逃すことになってしまうのか、小型・軽量のミニノートPCの大ヒットはこれを如実に物語っていると思います。

経営のトリセツ40 ~EQ③ 「社会認識力」=“脱自分勝手”ということ

2008-09-18 | 経営
EQ解説、EQを構成する2大要素のうちまず「自己マネジメント」を2回に分けてご説明しましたので、次は他方の要素「対人マネジメント」に入ります。

「対人マネジメント」は、2要素「社会認識力」と「人間関係管理力」から構成されます。まずは、「社会認識力」から。「社会認識力」は、相手の表情や声話しぶりなどから相手の感情を把握する力のことです。コミュニケーションは、相手があってはじめて成立するものです。いかに自分が論理的で正しい道筋で話をしていようとも、相手の感情を理解しないで一方的に話をすることは、場違いな発言をしてしまい感情を逆なでするようなことに陥ってしまうのです。

「社会認識力」のポイントとなる具体的「力」は、①「共感力」②「組織感覚力」③「奉仕能力」です。

「共感力」は、常に相手の対応に注意を払い細かな感情の変化を言葉尻や表情の変化から読み取りながら話す方にバリエーションを持たせる力です。例えば、同じことを伝える場合も、相手の口調や表情を勘案して表現尻を変えてソフトに話をしたりあるいは強く話しかけたり、予定を変更して話す内容を変えて分割したり、あえて他の話をセットしたり…。より円滑に自己の主張を相手に理解させることができる「力」であるとも言えます。

「組織感覚力」とは、集団の中での自己の立場や相手の立場、あるいは上下関係での地位的発言力と現状の政治的ポジショニングを認識して発言の仕方にバリエーションを持たせられる「力」です。集団におけるしきたりや組織風土、社風、業界風土、暗黙のルールなどを理解し、自己の発言や意思表示、主義主張が及ぼす影響や評価に関して事前に想定しながら、失敗のない進め方ができるかどうかです。いわゆる「KY」と言われる「空気が読めないヤツ」は、まさにこの「力」に欠けているのです。

「奉仕能力」は、相手が望んでいることへの理解をして、相手に一定の満足感を与えながら上手にコミュニケーションをとる「力」です。すなわち、「相手の立場でものを考える力」、言い換えれば「マーケティング力」と同じものです。この「力」に優れている人は、対顧客サービスにおいても上質なサービス提供の実現により顧客から高い評価を得られるでしょうし、組織内での部下とのコミュニケーションにおいても、信頼感を得られ人望を集めることにつながります。「サーパント・リーダーシップ」はまさに、この部分を前面に押し出した管理手法です。

EQマネジメントにおける「社会認識力」を一言で申し上げれば、「自分勝手に陥るな!」ということです。“脱自分勝手”のポイントは、常に社内でも社外でも、仮に自分が経営者で相手よりも立場が上であっても、自分自身と同様に相手も尊重してあげる気持ちを忘れないことです。それが下手だとお思いの方は、いきなり「相手の望むことを施す」まではできなくても、「相手の望まざるを施さず」からはじめてみてはいかがでしょう。それだけでも、効果テキメンであると思います。