日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈音楽夜話〉“ひとりイーグルス”哀愁の来日ライブ

2009-01-31 | 洋楽
「ユア・オンリー・ロンリー」のヒットで知られ“6人目のイーグルス”と言われるアーティスト、JDサウザーことジョン・デビッド・サウザーが、ビルボード・ライブに登場しました。

JDサウザーと言えばもちろん「ユア・オンリー・ロンリー」なのですが、もともとイーグルスのグレン・フライとは旧知の中で、イーグルスとはかなり近い立ち位置で70年代の音楽シーンの名脇役を演じたアーティストです。そもそも恋人を追ってロスに出てきたグレンのその恋人の姉さんの彼氏がJDだったという縁で二人は知り合い、デュオを組んだり、あの伝説のライブ・ハウス「トゥルバドゥール」で、ドン・ヘンリーやジャクソン・ブラウンたちと明日のスターを夢見て、連日腕を競ったりした仲だったといいます(イーグルスの「サッド・カフェ」はそんなトゥルバドゥール時代を回顧した歌です)。

彼はイーグルスに加わることはなかったものの、「ニュー・キッド・イン・タウン」や「ベスト・オブ・マイ・ラブ」「ハートエイク・トゥナイト」「ドゥーリン・ダルトン」「サッド・カフェ」などの名曲を、メンバー達と共作し、ある意味ドン、グレンに次ぐ第三のイーグルスは彼だったと言ってもあながち見当はずれではないほどの存在なのです。

私は初日のファースト・ステージを見ました。今回の来日を前に、ジャズ・テイストあふれる25年ぶりの新作「イフ・ザ・ワールド・ワズ・ユー」(これがまたけっこうイケるんですな!)がリリースされていたので、小ぶりなジャズ・コンボでのステージに違いないと勝手に思い込んでました。ところがところが、なんとステージ上に用意されたのはアコースティック・ギターとピアノのみ。そう、彼は定刻にフラッと登場すると、全くのソロ、まさに“オンリー・ロンリー”で、ギター、ピアノの弾き語りを披露してくれたのでした。

風貌はと言えば70年代当時のアゴ髭はなく、確かに相応に年を経た顔つきではあったものの、どちらかと言えば「いい歳のとり方をしましたね」の印象。スタイルもメタボとは無縁のスリムボディで、カッコ良かったですよ。それより何より驚きは、70年代と変わらぬ歌声。哀愁帯びたJDボイス健在に、登場後しばしの感動でありました。

選曲は新作を含めて彼の全キャリアからまんべんなく、のベスト・ライブ。序盤いきなりイーグルスの「ニュー・キッド・イン・タウン」が飛び出してまずは“嬉しい誤算”!新旧取り混ぜ、ギター、ピアノを使い分けつつステージはゆったり進行します。そしてラス前にイーグルスが新作でカバーしシングル・カットした「ハウ・ロング」で盛り上げ、ラストは彼の代名詞「ユア・オンリー・ロンリー」で最高潮のシメ。さらにさらにアンコールでは、もしかしてと密かに期待していた「ベスト・オブ・マイ・ラブ」JDバージョンを堪能させてくれる感動のフィナーレでした。ギターテク的にはいささかブランクを感じさせるレベルではありましたが、我々70年代洋楽フリークには大満足の80分でした。

テクが洗練されない分むしろライブ・ハウスと言うより、どこかJDの家のリビングでディナーの合間に演奏を聞かせてくれたような、彼のシャイな人柄までが伝わる実にアト・ホームな雰囲気のライブでした。ミュージック・チャージもリーズナブルで、文句なしの90点!って感じです(マイナス10点は演奏面ってことで)。

命日

2009-01-30 | その他あれこれ
本日1月30日は、亡き父の命日です。

早いもので1年が経ちました。今朝は早くからあいにくの雨模様でしたが、昨年父が亡くなった朝、病院の窓からいつもと同じように徐々に明けていく空を感慨深く眺めたことを、ふと思い出しました。昨晩は「経営のトリセツ」を打っていて、なぜか以前父がしてくれた話を思い出しました。よろしかったら、ひとくだりお付き合いください。

決して説教がましく多くモノを言う父ではありませんでしたが、これまでの人生で3度ばかり印象的な父の言葉がありました。1度目は私が大学に進学した際に、はじめて一人暮らしをするにあたって教えられた一言。「食費と本代は決してケチるなよ」というものでした。食費は「生きていく糧であり、食べるものもろくに食べないで教養が身につくわけがない」と。本は「例え高価な本であっても、必要なものは必ず買って読め。必要な時に必要とする知識に金を惜しまないことはインテリの最低条件である」と。以来約30年にわたって、その教えを守り今日に至っております。

2度目は私が就職をする際の一言。「遊びは自分のペースでやれ。人のペースでの付き合い遊びは体を壊すことになるぞ」と。日本のサラリーマン中、最もサラリーマンである銀行員になる訳ですから、サラリーマン社会の上下関係とつきあいの多さを心配してくれたのでしょう。おかげさまで、就職を期に大好きだった麻雀は社会人の付き合いでやるのは健康に悪かろうとキッパリ卒業を決意。当時は、まだ上司、先輩との付き合い麻雀全盛でしたが、初めに「麻雀は大学卒業と同時に辞めると決めたのでやりません」とハッキリお断りしたことで、二度と誘われることはありませんでした。

そして3度目は、銀行を辞める事を決め両親に一応の報告に行ったときのことでした。「銀行で支店長にまでなって、なんで辞めていまうのか。辞めてしまったら何の保障もないのに、もったいない」と落胆の母を横に、ただ私の話を聞く父。辞めることには一言も意見を言わず、帰り際玄関口で父がドアを閉めながら一言。「男は、したいことがあるならそれに向かった方がいい。ただし、それが本当にできそうかどうか、時期は今が良いのかどうかはよく見極めたほうがいい」。『したいことをするため動くのは今』という明確なモノが見えた上で銀行を辞めた自分は、本当に良かったと思います。したいこと、好きなことで、この先何を起こせるのかいつもワクワクしています。

3つの言葉とも、父自身の経験から出てきたものであることは間違ありません。「食費と本」の一言は、田舎から単身東京に出て勤労学生として苦労の末、挫折して大学を中退した父の無念の思いでしょう。「つきあい遊び」の一言は、私が3歳の頃に父自身が仕事のためとはいえ、付き合い遊びがたたって結核になり入院・手術で大変な思いをしたことに起因しているのでしょう(父の死因はその時の輸血による肝臓障害が原因の肝臓ガンでした)。そして、「好きな仕事」の一言は、夢をもって東京に出てきた文学青年だった父が、大学を辞めた挫折の中で食べるために思いもよらない仕事の世界に入り、夢描いた仕事を形にする時期をいつしか逃した未練だったのでしょう。

昨晩は「トリセツ」の話を打ちながら、ふとそんな3つの話を次々と思い出していました。なぜ、突然思い出したのでしょう。不思議ですね。もしかすると、3つの話は一年前父が亡くなる前にもう一度、私に改めて伝えたかった話だったのかもしれません。
ありがたいことです。

父のことをこうして書くことが何よりの供養かなと思い、命日にあたりお話ししました。

合掌。

経営のトリセツ51~「量」が「質」をつくる→本は死ぬほど読むべし!

2009-01-29 | 経営
最近よく独立起業の相談やら、すぐれた経営者になる秘訣やらを尋ねられることがあります。そのたび偉そうにいろいろなお話をしておりますが、共通して言っている「成功」のカギは、「本を死ぬほど読むこと」です。とりあえずの目安は月20冊以上。そのココロは何か?どんなことでも基本は同じ、『「量」が「質」をつくる』からです。

実はこの『「量」が「質」をつくる』、「御社の営業がダメな理由」でおなじみ営業コンサルタントで当社のビジネス・パートナーでもある、藤本篤志氏の決め台詞なんですね。彼は、「営業力=営業量+営業能力」であるが持論で、これはまさに「力=量+質」と言う意味です。そして、これに続けて出てくるのが『「量」が「質」をつくる』の論理。すなわち、「量」をこなすうちに、知識や経験や感覚が身についてそれが「質」を高めると言う訳です。ですから、「営業力=営業量+営業能力」の方程式で、「営業力」を高めようと思うなら、まずは何より「営業量」を増やせと言う論理です。「量」を増やせば自然に「能力(=質)」も底上げされ、結果として「営業力」が高まるということなのです。

この「力=量+質」の関係は、実は「営業」に限った真理ではないと私は思っています。あらゆる「力」は「量」+「能力(=質)」で表せれられると思うのです。そして、「量」をこなすことは、すなわち「能力(=質)」を高めることになり、結果としてあらゆる「力」はこの流れで高めることができると確信しています。

そこで冒頭の、独立起業の相談やら、すぐれた経営者になる秘訣やらに対する私の「本を死ぬほど読め!」と言うアドバイス。まさにこの考え方です。成功する独立起業もすぐれた経営者になることも、言ってみれば「経営力」を高めることです。「力」ですよね。となれば、「量」が「質」をつくりますからまずは「量」。でも経営で「量」をこなすって何?自分で経験できない経営の「量」を増やすことは、先人の成功体験を数多く学ぶことでしょう。事業で大成功した人、企業コンサルタントで実績を上げている人、コーチングで数多くの経営者を開花させた人…、あらゆる成功者の成功体験を凝縮された本の中から学ぶこと、こんなに簡単な「量」の投資は他にありません。

成功者の本をとにかく「量」読むことで、必ず「能力(=質)」はついてくると思います。

ところでもうひとつ、「量」と「能力(=質)」の他に一般に「センス」と言われるものも、「力」を決定している大きな要因であるかのようによく言われています。でも先の藤本氏曰く、『「センス」がある人は世の中にほんの一握り、大半の人はほとんど目をみはる「センス」はなく、まずは「量」を増やす以外に「力」を増すことは期待できません』と。なるほど、世の大半を占める我々凡人は、「センス」に期待せず「量」で「質」をあげることに専念すべきなのです。もちろん飛躍的にではありませんが、本を「量」読むことで「センス」も少しはアップされるとは思いますが…。

さて本の選び方ですが、まあ数読む訳ですから本屋で目次や中身を少しめくってみて、「おもしろそうだ」と思ったビジネス書は手当たり次第に買うことです。アマゾンはじめネット・ショップでの本選びはおすすめしません。まずは、自分の目で中身を確かめて本を買う(重いので本屋で本を選んでアマゾンでまとめて買うのはいいですね)、当たりはずれに出会う中で徐々に自分にとって「質」をつくってくれる本を見分ける“選球眼”も備わってくると思います。本を選ぶ基準で売れているとか、売れていないとか、気にする人いますね。自分の「質」づくりには全然関係ないですから、それはごくごく参考程度に。まず自分の目で見て「今の自分に必要なものを選ぶ」が何より基本です。

最後に、「本を死ぬほど読む」のに「速読法はどうか?」と尋ねられることがありますが、私の答えは「お勧めしません」です。試してみましたが、基本的に画像で取り込むので、すべての情報をいったんインプットする形になります。これは人にもよりますけど、私はかえって非効率であると思いました。なぜなら、自分の読み方が固まれば、自然と欲しい部分だけを強調して取り込む独自の速読法が誰にでも身に着くと思うからです。もちろん、速読といってもそんなには早くありません。でも東京―熊谷往復でビジネス書1冊は読めますから、この程度でいいのではないかと思っています。

公務員制度改革断行へ!人事院の反改革主張は首相自ら退けよ!

2009-01-28 | ニュース雑感
第2次補正予算案をめぐる衆参の両院協議会で、意見が一致しなかったことを受けて、河野衆議院議長が、衆議院の議決が国会の議決となることを宣告し、補正予算が成立しました。これで、すでに国民の大半が「無意味なバラマキ」と口にしている「定額給付金」がいよいよ実現の運びとなる訳です。

こんな流れの中で麻生さんの人気は下降線の一途なのですが、今日は補正予算案可決成立よりも、麻生内閣にとっても国民にとっても重要なニュースがその陰で報道されています。政府の国家公務員制度改革推進本部顧問会議(座長:御手洗経団連会長)が27日会合を開き、平成24年までに行う公務員制度改革の工程表の最終案を大筋で了承した、というもの。その目玉である幹部職員人事を一元管理する「内閣人事局」は「内閣人事・行政管理局」へ名称変更され盛り込まれています。

このニュースの注目点は、このような発表の陰で、同局への機能移管をめぐる甘利明行政改革担当相と人事院側の交渉は現時点で決着がついていないと言う点です。人事院の幹部職員人事という最重要機能を内閣に移管することに対して、谷公士総裁(写真右)は23、26の両日に甘利氏と会談、「政治主導が強まれば公務員の立場を守る仕組みも必要だ」「公務員の公正・中立性が阻害される」とまぁ本末転倒な詭弁を弄し、27日には河村建夫官房長官にも同様の主張を繰り返していると言うのです。公務員制度改革に真っ向戦う、既得権保守のあまりに醜い反発劇であります。

そもそも、「官僚=国家公務員」は営利団体の考え方が全くない訳です。民間企業であるならこのご時世で赤字解消、無駄遣い削減、効率化促進等見直しを求められれば、上から下までがあらゆる手を尽くして「聖域なき改革」を推し進めるでしょう。なぜなら、それをしなければ彼らに待ち受けるモノは「倒産」の二文字であり、働く彼ら自身が生きていけなくなるからです。しかしながら、営利団体職員でない彼らには、「いかに利益を生むか」という感覚がなく、「倒産」のない「親方日の丸」体制に寄りかかって、「分かったふり」「やったふり」で常に既得権保守に走るのです。許せんでしょ?

今回の人事院総裁の執拗な反発劇は、幹部職員人事権が既得権を失う大きなきっかけになりかねない“ぬるま湯”官僚組織防衛の“肝”であるからに他ならず、すなわち裏を返せばこの点こそまずもって現段階での公務員制度改革の“肝”でもあるのです。河村氏は、谷総裁との会談後の記者会見で「最終的には首相の裁断をいただくことになる」と、首相裁定に持ち込まれる可能性を示唆したと言います。麻生さん、チャンス!首相としては、ここで一発「何が何でも改革すべし!」と明確な指示を下すなら、下降一途の支持率が多少なりとも上向くことも考えられなくもないのですが…。

この問題の首相裁定に言及された麻生さんは記者団に、「その段階ではない。河村、甘利両氏で調整する段階だ」と引き続き推移を見守る姿勢を示したといいます。無駄な定額給付にはあんなに意地を通していながら、公務員制度改革には煮え切らないこの態度。先の、官僚OBが省庁のあっせんで天下りを繰り返す「渡り」を首相の承認で可能とした政令の容認も含めて、よほど官僚に気を遣わなくてはいけないような“弱み”を握られているとしか言いようがありません。それもしかして頭の“弱み”?

京品ホテル強制執行~労使コミュニケーション不足による不幸の極み

2009-01-26 | ニュース雑感
東京・品川駅前の老舗「京品(けいひん)ホテル」(港区)廃業に反対する従業員労働組合が自主営業を続けていた問題で、東京地裁は25日、従業員らをホテル施設から退去させ、立ち入り禁止とする強制執行を行いました。JR品川駅前の同ホテル前は10月の事件発生以来、私も仕事で毎週のように通りがかっており、そのたび配られる近況を伝えるビラに目を通しては、商売柄「なんとか穏便な着地点は見出せないものか」と考えさせられる部分も多く、この日の結果強制執行と言う結末に至ったことはなんとも残念な気分であります。

ことの発端は、ホテルを経営していた「京品実業」が昨年10月20日、多額の債務による経営悪化などを理由に廃業、正社員39人とパート社員30人を解雇しました。そもそもは、同族経営の同社社長一族がバブル期の放漫経営によってつくった多額の借金が諸悪の根源でした。その借金債権者が、たまたまリーマンブラザースの関連会社であったために、親会社の破たんを受けて返済を迫られることとなり、オーナーが「ホテル廃業→物件売却」による決着を考え結果このような事態に陥ったのです。

リーマンの破たんによる急転直下の展開という問題はあったにせよ、個人的にはどうみても平時からの経営と従業員の間におけるコミュニケーションが十分ではなかったのではないかという点が非常に気になっています。というもの、経営側、従業員側どちらの主張が正しいのか判断がつくほどの情報量もなく、私の立場でその点はなんとも申しげられませんが、従来からの経営と従業員のコミュニケーションが円滑でなかったことは、10月以降の経営・従業員各々がどちらもあまりに一方的なやり方であった事を振り返ってみるに、まず間違いのないところであったと思われるからです。

再開発を条件としたホテルの営業権付土地譲渡や、第三者への経営権譲渡とホテル営業を続けたまま賃貸物件としての物件売却を実施するやり方等、思いつきで言うほど単純なスキームでは即解決策にはならないのでしょうが、労使間および債権・債務者間の時間をかけた話し合いによって、皆が一定のメリットが得られるWIN-WINの解決策も見出し得たかもしれないと考えるのは至極常識的な想像であると思います。それだけに、長年にわたり問題の借金が存在していながら、解決策が議論されることもなくこのような性急な展開の末、乱暴な結末に至ったことは、平時からのあらゆるコミュニケーション不足こそが原因であったと言わざるを得ないと思うのです。

従業員側の「不法占拠」とされたやり方には、確かに“法的な”問題はあったのでしょうが、片やオーナー一族の放漫経営の末の一方的な決定も、従業員の生活をかかえる経営者としての自覚に欠けていたという点において、違法でこそないものの経営倫理的“コンプライアンス違反”であったと言わざるを得ないと思います。しかしそうであっても、法の下では従業員側の「不法行為」は明らかに裁かれる存在であり、「不法行為」に追い込まれる前に長年にわたる借金まみれ経営の「倫理的コンプライアンス問題」を話し合いで問う機会はなかったのだろうかと思うと、誠に残念です。

経営者の責任問題はもちろん大きいと思います。ただ最後の引き金を引いたのは、外部団体「東京ユニオン」に運動方針をゆだねた従業員の判断でしょう。この段階で経営とのコミュニケーションの道は完璧に断たれたと思います。「労使のコミュニケーション不足」「経営の独断」「外部団体の介入」…、昨日の強制執行の場面をテレビで目にして、やり直しのきかない後味の悪さだけが残った不幸な事件でありました。

〈70年代の100枚〉№59 ~ アメリカの暖かい「心」を伝える歌声

2009-01-25 | 洋楽
ジェームス・テイラーは本当に暖かい人です。その歌声と彼が作り出す心温まる歌の数々は、いつでも疲れた人の心を癒してくれます。スプリングスティーンをアメリカの「力」のシンボルだとするなら、ジェームス・テイラーはアメリカの「心」そのものではないでしょうか。彼は日本では想像もできないほど、高い人気を誇っているのです。

№59   「グレイテスト・ヒッツ/ジェームス・テイラー」

名曲「ファイヤー・アンド・レイン」を擁する「スウィートベイビー・ジェイムス」か№1ヒット「君のともだち」を含む「マッド・スライド・スリム」か、甲乙つけがたい名盤2枚のどちらを100枚に加えるべきか…。悩んだ挙句結局どちらか1枚には絞り切れずに、70年代に果たしたヒットメーカーとしての彼の役割を重視して、オリジナル・ベスト・アルバムを選ばせていただくことにしました(個人的なフェイバリット・アルバムは先の2枚ではなく「ワン・マン・ドッグ」だったりする訳で、彼の作品はどれもA級です)。

70年年代初頭に巻き起こったシンガー・ソングライター・ブームの火付け役は、ジェームス・テイラーとキャロル・キングの二人に間違いなく、その代表作キャロルの「タペストリー」という“お化けヒット”アルバムを生んだ一つの要因には、彼女が作ったA6「君のともだち」がジェームスの歌で大ヒットしたことにもあったのです。キャロルのバージョンももちろん捨てがたいのですが、ジェームスの暖かい節回しとアコースティク・ギター中心のシンプルなアレンジは、彼女のピアノ・バージョン以上にこの歌の良さを引き出しています(当時、歌は圧倒的にジェームスの方がうまかったですから…)。

このアルバムはワーナー時代の彼の6枚のアルバムに収録され、70~76年にかけてヒットした曲を中心に構成されています。こうして彼のいわば全盛期のヒット曲の数々をまとめて聞いてみると、本当に素晴らしい曲揃いです。自殺した恋人スーザンのことを歌ったA3「ファイヤー・アンド・レイン」の切なさや、一転優しいA4「スウィートベイビー・ジェイムス」の名曲としての評価は今さら言わずもがなですが、ジャズ風アレンジがおしゃれなB1「寂しい夜」やソウル・フルなフィーリングあふれるB2「ウォーキング・マン」などは、彼のバッキング・メンとして名を馳せた“ザ・セクション”の演奏も含め、今でもかなりイカして聞こえる楽曲であることに驚かされます。

アルバムには、英国アップル・レーベル時代の佳曲2曲(A1、A2)を再録音して収録したり、B6「スチーム・ローラー」のライブ音源を披露するなど、単なるベスト・アルバムではないオリジナリティあふれる作りにもなっており、76年の発売以来実に1000万枚以上を売り上げ、アメリカにおいては立派なマスターピース的作品であるのです。

日本ではどうもこの手のアーティストは人気が出にくいようで、先のキャロル・キング作の「君のともだち」以外は正当な評価を受けてこなかったように思えるのですが、どうでしょうか。今も現役でまったく変わらぬ歌声で(頭髪はすっかりなくなってしまいましたが…)地道な活動を続けているジェームス・テイラー。日本でももっと多くの人にその素晴らしさを知ってもらいたいアーティストです。

“恩知らず”小室ファミリーのダンマリは、人として許されるのか

2009-01-24 | ニュース雑感
著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺罪に問われた音楽プロデューサー小室哲哉被告(50)の初公判が20、21日と大阪地裁で開かれ、連日テレビ・ニュースやワイド・ショーをにぎわせています。

暴走した贅沢三昧の過去の生活が改めてクローズアップされていますが、本人は謝罪する表情をみても分かるように、心からの反省と自戒の念に満ち溢れている様子で、焦点となる「実刑」か否かは微妙な情勢にあるようです。「実刑」判決がくだされるかどうかは、まさに裁判官の心証次第といったところで、社会的制裁の大きさや本人の反省の度合いも判断材料にはなるものの、やはり最大のポイントは判決までに被害額5億円の被害者宛の弁済ができるかどうかにかかっている状況のようです。

小室被告を担当する佐藤弁護士は「被害額を考えると実刑の可能性が高い」とした上で、「弁済金の負担に応じてくれる人が現れれば証人として出廷してもらいたい。反省もしているし、再犯の恐れもない」と執行猶予を求める考えを示しています。そこで、私が思ったこと。“小室ファミリー”としてお世話になった人たちは、“恩返し”に立ち上がらないのかという疑問です。皆、小室氏がいて初めて売れたり、今があったりするんじゃないのでしょうか。被告人が反省のカケラもない極悪非道な人物ならともかく、悪いことをしたことは事実にしても、今は心から反省し音楽を心から愛する人間として再起をしようとしている訳ですから。その手助けをして、誰が責めるでしょうか。

公判で明らかになった事実として、「ある年のクリスマスパーティーでTRFのメンバーに1000万円ずつ、globeのメンバーにユニット名の語呂合わせで962万円ずつ現金をプレゼント」したとも公表されています。おいおい、“一番弟子”とも言えもっとも世話になったTRFは、こんな“恩師”の状況をただ“ダンマリ決め”なんですか。普通リーダー格のSAMあたりが旗振りで、立ち上がるんじゃないの、証人として。「旧小室ファミリーで、小室さん囲んで更生支援チャリティライブやりましょう!俺たちで5億円集めましょう」ぐらい言えませんか。プロデュースしてもらって、曲書いてもらって、小遣い1000万円までもらって、同じファミリー内で嫁さんまで見つけて(別れちゃったケド)、それで今見てるだけって、あまりに恩知らずといおうか冷たすぎるように思えてなりません。

人間ってそんなもんでしょうか?さびしすぎますよね。小室氏本人もお金をなくしたこと、罪に問われたこと、いろいろつらいことは多いと思いますが、何より一番つらいのは、“弟子”たちからこんな窮地にいる自分を知らん顔されていることではないのでしょうか。私は別に小室氏のファンでもなんでもありませんが、彼の反省した顔つき態度を見るにつけ、世話になった人たちの恩知らずな態度には無性に腹が立ってきます。

SAMよ、いつまでも黙ってないで、ファミリーを代表してなんとか言ったらどうだい!
ただ見ているだけの自分を、人として恥ずかしいと思わないのか君は!

オバマ新大統領~就任演説に感じたリーダーの資質と経営のヒント

2009-01-23 | 経営
ようやくインフルエンザも峠を越えたようで、ブログ原稿を打つ元気が戻ってきました。

私がインフルエンザで別世界を旅しておりましたこの5日ほどの間、いろいろな出来事が世間ではあったようです。消費税問題や西松建設問題等気になる出来事も多々ありますが、まずは軽くオバマ新大統領の就任式がらみの雑感です。

黒人初の米大統領に選出された民主党のバラク・オバマ前上院議員(47)が20日大統領就任式にのぞみ、約200万人の大観衆が期待感をもって新しいリーダーの門出を祝福しました。この史上まれに見る大観衆に象徴される、あのケネディとの並び評されるほどの“オバマ人気”は、単に黒人初大統領というトピックだけでなく、彼のリーダーとしての資質に期待感を抱かせるが故のなせる技であると思います。

そのリーダー・シップを感じさせる資質の最たるものが、彼の演説能力の高さでしょう。「Change」や「Yes We Can!」などの明言を生んできたこれまでの彼の演説は、彼が尊敬するリンカーン並みに感動的であるとまで言われ、日本でもその演説集CDがバカ売れするという異常現象が起きているほどです。では今回の就任演説はどうであったでしょうか。結論から申し上げると、実にオーソドックスな、感動的というよりは落ちついた、でも説得力を感じさせる印象のものでした。

約18分間の演説の中、「Change」も「Yes We Can!」もなく、淡々と今米国がおかれた環境を改めて説明し、経済危機などを乗り切るため「アメリカ再建に取りかかる」と表明。米国民は「国家や世界に義務を負っている」と強調するとともに、「責任を果たすべき新たな時代」に立ち向かうよう呼び掛けました。この演説を聞いて感じたことは、彼は決して言われるような“演説上手”なのではなくて、むしろ“対話上手”(=コミュニケーション上手)なのではないかということです。

これまで「大統領戦に勝つ」という大目標達成までの間は、コピーライトも重要な位置づけを占めており、その「記憶に残る一言」の操り方の上手さをして“演説上手”と言われていた部分も多分にあったのでしょうが、就任後初の演説ではあえて派手なコピーライトを排し、作りものでない自身の「危機感」を伝え、国民一人ひとりに対して「米国人としてのプライドに立った責任ある行動」を訴えかけていたように感じました。すなわち“対話上手”の彼は、選挙戦とは違う対国民対話のあり方を考え、決意の固さを象徴するシンプルな語りに徹することで国民の理解と協力を求め、結果それをみごとに伝えることができたのではないかと思うのです。

リーダーが人を束ね結束をはかろうとする際に、場面場面で印象的なコピーライトが重要な役割を果たすことがあるのですが、よくよく考えるとそれは案外物事の上昇局面が多いようです。今のような下降局面においては、飾り立てた象徴的な言葉を使うよりも、今回の演説のようにシンプルに淡々と自己の危機感(絶望感ではありません)を語ることの方が、その切迫感や決意が強く伝わるのではないかと思うのです。

大不況下の企業経営において、社員の事態への理解と危機感の共有、そして積極的な関与を求める際には、大いに参考になるやり方ではないかと感じた次第です。

インフルエンザ予防アレコレ(時すでに遅し…ですが)

2009-01-22 | その他あれこれ
オバマさん米国大統領就任おめでとうございます。
私はまだ本調子にほど遠く、その話題は明日以降にします。

今回インフルエンザにかかって、いろいろ調べ学んだことを…。
<インフルエンザの感染経路>
☆通常は
空気中に含まれるウイルスやゴミ、細菌などの異物が気道(呼吸時の空気の通り道)の表面を覆っている粘液に付着します。
☆すると
気道の表面を覆う繊毛(せんもう)細胞の働きで粘液を外へ外へと送り出し、痰(たん)として排出する繊毛運動がウイルスの侵入を防いでくれるそうです。
☆ところが
寒い時期は体温を保つため血管が収縮し気道粘膜の血流が悪くなり、繊毛運動の働きが低下。その結果、ウイルスが侵入しやすい状態を招いてしまうのだとか。
☆私は
今回カラオケで「エアロスミス」などを力いっぱいガナってしまい、喉をひどく痛めつけ、繊毛の運動が極端に弱ってそこからインフルエンザ・ウイルス侵入!→発症!

<教訓>
冬場のカラオケは要注意!
特にシャウト系は命取り!

<そこで一言>
“冬のカラオケは甘いバラードに限る”(って、やんなきゃいいのさカラオケ自体)

※ミニ知識※
インフルエンザ・ウイルスは高温・多湿に弱いそうです。冬場の高温化は難しいものの、マスクの常用は気道の湿度確保に効果的だそうです。すなわち、マスクはウイルスの侵入を防ぐ以上に高湿度化効果で感染を防いでもくれるのです(残念、私のマスクは鞄に入りっぱなしでした。ニオうオヤジがいる時用の防毒マスクなもので…)。

発病中の「A熊谷型」はゆっくりと回復に向かっております。
引き続きB型にやられないよう、マスク装備で気をつけたいと思います。

判明

2009-01-21 | その他あれこれ
朝から電話していてあまりの声の出なさに耐えきれず、医者に行ってビックリ!
検査の結果、インフルエンザA型だと。
医者も驚いてました。「熱が7度台前半でインフルエンザって珍しいよ。ボクも初めて見たよ♡」って、なぜか嬉しそうでした。

遂に話題のタミフルのお世話になりました。いつにも増して異常行動に要注意か?
なんでも発症後48時間以内に飲みはじめないと効き目が期待できないとか。日曜日発症ぽかったけど、昨日は一旦平熱で、今日からタミフル飲み始めって効くのかな?

スタッフに染すといけないので、事務所には行けず。結局タミフル飲んで、自宅内オフィスで仕事。自宅内でもオフイスに完全隔離状態です。蒲団まで持ち込まされて、食事も当然3食オフィス。インフルエンザは湿気に弱いとのことで、加湿器をガンガンつけてます、おかげでかなり湿っぽい感じ。なぜか熱は7度前後で安定しています。

ふだんからプロポリスを飲んでまして、これが免疫力向上に役立つみたいで、そのおかげじゃないかなって感じです。とりあえず、ブログも中身はないながら、こうして書く元気があるのはなにより。インフルエンザにも負けず、仕事は休まずやってます。