日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

創立3周年雑感

2010-03-31 | その他あれこれ
何気に忘れていたのですが、昨日3月30日は弊社株式会社スタジオ02の創立記念日でして、めでたく3周年を迎えることができました。ありきたりな言い回しではありますが、これもひとえに弊社を力強く鼓舞いただいているクライアントの皆さま、弊社を支える内外のスタッフの皆さまはじめ、ステークホルダーの皆さまのご支援の賜物であると、心より感謝申し上げる次第です。

一般的に企業は設立から3年でようやく“半人前”と言われます。民間銀行でも、一般法人向け融資は、「設立3年以上」が融資対象とできるか否かの大前提要件であり、3年間の事業継続というものはそれなりに価値あるものであると、しみじみとかみしめている次第です。実際に設立3年で、約90%の企業が廃業するか実態を失うかして消滅していると聞きます。しかもこの3年間は決して企業経営にとって楽な環境ではなかった訳で、その意味でも多くの方々に支えられながらよくがんばってきたと、我ながら思うところでもある訳です。

振返ってみれば、設立当初からいろいろと苦難も多く(本当に会社を潰されかねない「勘弁してくれよ」ということもありました)、世間の荒波の洗礼も受けつつなんとかここまで来たと言うのが正直なところです。もちろん規模の大小を問わず、会社である以上は経営における苦労は必ずある訳で、やはりそれを動かす者がリーダーシップを持って「夢の実現」につながる確固たるビジョンを持ち続け周囲を巻き込んでいくことが会社経営をよりよいモノにしていくと、自社、他社を含めこの3年間で大いに実感しております。弊社は事業としてはまだまだ道半ばにも至っていませんが、これからが本当のスタートであると考えて気持ちを引き締めていこうと思っています。

さて3周年を迎えた今、次なる節目はと言えば2年後の5周年でしょうか。今は苦難の末の3周年を感じながら、これをひとつの節目として5周年までの2年間を次なるステップと位置付け新たな気持ちで挑んでいきたいと思っております。とにかく、常に前向きな姿勢を失わず“守り一辺倒”にはならないこと、それだけは会社を作った時に心に決めていたので、会社も自分も“いつまでも若く”いるためにもこの点は心していきたいと思います。くしくも32年ぶりに見た先日のボブ・ディランのライブで、69歳になる彼が最終日のラストにサプライズで歌った曲が「フォーエバー・ヤング(いつまでも若く)」でした。最終日に彼自身を鼓舞したのかもしれませんが、ディラン・ファンの私は“神様”から出されたメッセージとしてシッカと正面から受けとめさせていただき、私も彼に負けないよう「フォーエバー・ヤング」の精神で進んでいこうと誓っております。

そしてもうひとつ。当社の企業理念、「ステーク・ホルダー皆の夢をかなえる企業」。ひとりでも多くの方の夢の実現のお手伝いができますようがんばってまいります。

EXILEの“悪質脱税”は犯罪!社長のHIROは経営者としてしかるべく対応せよ

2010-03-30 | ニュース雑感
人気絶頂タレント事務所の脱税事件が話題になっています。今をときめくグループEXILE(エグザイル)の所属会社の“脱税事件”がそれです。これは完全にいかんですね。容疑は2億円の所得隠しで、事務所側は「記載ミス」との見解を発表していますが、うち1億円は悪質な隠ぺいとして重加算扱いとなったとのことです。なぜこの事件を問題視しているかと言うと、普通のタレントの所属事務所と違ってEXILEの事務所はリーダーのHIRO(写真最前列左)が社長を務めるEXILE=事業会社だからです。グループのリーダーが会社の社長を務めている以上、言ってみれば若者たちに夢を売る商売のタレント自らが金もうけのために法を犯していた訳ですから。HIROはグループのリーダーであり、また悪質な脱税を犯した企業の経営者として、その責任は重大であると思います。

事件の発覚時に事務所が発表したコメントは、「所得隠しのような意図的な行為は一切ない」というもの。「所得隠しのような意図的な行為」がなくて、1億円の重加算はあり得ないでしょう。何を平気で嘘言っているのかです。実際に「関係会社に実際より過大な制作原価を支払い、一部が親密な取引先に流れていたなどと指摘された」というのですから、意図的かつ“悪質”以外の何物でもありません。ネット上で口から出まかせの言い逃れを言って「詳細はコメントを控える」とは言語道断!HIROは経営者としてキッチリ出るところへ出て謝罪、事情説明をするべきです。たとえ芸能人であっても、社会的に影響の大きい人気グループのリーダー兼事務所社長な訳であり重大な罪を犯している訳ですから。それができないなら、いい加減な気持ちで会社経営など安易にするべきではないと思います。

「悪質な意図的巨額脱税」にも犯罪意識が生まれないのは、“日本の脱税王”と揶揄される人が平気な顔で首相をしているせいかもしれませんが…。

ちょっと忙しいもんで、短めに失礼します。

<音楽夜話>伝説は終わらない~“神様”ディラン観戦記

2010-03-28 | 洋楽
待望のボブ・ディラン、ライブ・ハウス・ツアーを見て参りました。根性で立ち見席のディラン真正面2列目を確保。開場から終演まで都合3時間の満員状態での立ちっぱはさすがにオヤジには堪えましたが、至近距離で“神様”のオーラを目一杯浴びさせていただきました。

アンコールを含めて17曲2時間弱のステージでしたが、ネットで連日セットリストを眺めていてよく分からなかったこのツアーのコンセプトが、耳にしてみてようやく私なりに分かった気がしました。テーマは、いわゆるアメリカーナ路線の60年代回帰ではないかと…。それは近作でもっともアメリカーナ的であった01年のアルバム「ラブ&セフト」からの選曲が多いことからも推察されますし、連日のセットリストでは自身の70年代の曲が極端に少なく、60年代特にフォーク・ロック路線の「ブリング・イット・オールバック・ホーム」「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」からの選曲が多いことからもうがい知れます。すなわち、現在のディランは自身の60年代の有名曲をアメリカーナの代表曲として“カバー”しているという理解でいいのではないかという推察なのです。

難しい話はそれぐらいにして、それにしても“神様”は元気一杯でした。「ラブ&セフト」のジャケットをみた当時は「なんか痩せてしまって、もしや癌?」などと心配したモノですが、今回間近で見たディランは血色もいいし、にこやかで(あの長い口角を伸ばしたとき笑い顔に見えるだけかもしれませんが…)本当に嬉しそうにステージを楽しんでいる感じでした。今回の演奏楽器はメインがキーボード、というか小型のオルガンですね。なんか60年代に、彼のアルバム・セッションでのプレイをきっかけに一躍有名になったアル・クーパーのオルガン・プレイをイメージさせるようなノリでした。それとブルース・ハープ。これはもうディランの専売特許ですからはずせません。それと私が見に行った日には、1曲ギターを持って超“ヘタウマ”リードギターを聞かせてくれもしました(曲の始めでいきなり違うコードで、不協和音突入した時にはどうなることかとハラハラさせられました)。

昔の曲は例によってほとんど跡形もなく崩されてしまい、かろうじて歌詞を聞くうちに「おーあれか」と分かるのが精一杯。個人的に大好きな「親指トムのブルースのように」なんぞは、「最近の曲かな、なかなか良い曲ジャン♪」と思って聞いていたら、最後の最後の歌詞「I'm going back to New York City.I do believe I've had enough.」が何気に耳に入ってきて、「しまった!「親指トム」だったんじゃん!」と好きな曲すら分からなかった自分にガックリくる始末でした。それでも「レイ・レディ・レイ」や「ハイウェイ61」「ライク・ア・ローリングストーン」などが聞けて大満足。当然崩しバージョンなので、私も含め誰も一緒には歌えませんでしたが。

最大のサプライズは、このツアー初の「風に吹かれて」の登場でした。ステージ奥に置かれたバイオリンが途中からずーっと気になっていたのでしが、アンコールのメンバー紹介で奥のキーボード氏がおもむろに弾き始め、そのままの始まったラスト・ナンバー。「あれ、ラストは確か『見張り塔からずっと』だったハズ。これ違わない???」と違和感を感じていると何と歌い出しが明らかに「風に吹かれて」のそれで場内大歓声!2ちゃんあたりでは、「今さら『風に吹かれて』聞いて何がおもしろい」的に書かれてもいますが、アメリカーナ路線がこのツアーのコンセプトであるなら、これ以上にアメリカーナな歌はない訳で最高の演出であったと思います。とにかく、一筋縄ではいかないことは今も昔も変わらずです。懐メロ・アーティストには絶対になり得ない、常に進化を遂げ続けているボブ・ディラン。この春69歳になる“神様”に改めて敬服の2時間でありました。

最後に今回のツアーの最大の目玉は、実はラストの「風に吹かれて」ではなくて、会場入口横で売られている「ボブ・ディラン・チロル・チョコ(写真)」かもしれません。なにしろディランのジャケット・デザイン50枚分をそのままチロルチョコのパッケージにしたという、紙ジャケファン涙モノの記念グッズなのです(2000円也。ファンの足元見たいい商売ですなぁ、チロルさん)。良くできてますよ。賞味期限は来年の1月ですが、食べないですよね、きっと。シールドすら開封したくないですから。最高の記念品ですね。ライブ見なくともこれだけでも買う価値アリかなと…(一般人には単なるチョコに過ぎませんが…)。ディランって、楽しげにマイクの前で踊ったり、カッコつけてポーズを決めてみたり、チロルチョコのグッズ化を認めちゃうあたり、“世捨て人”は作られたイメージであって実は至って俗人的じゃないのかなと、改めて思わされた一夜でもありました。とにかく最高でした。もう1回見に行きます。こんどはイス席でのんびり見てきます。

高松宮記念GⅠ

2010-03-28 | 競馬
いよいよ春のGⅠシリーズ開幕です。開幕戦は“電撃の6ハロン”戦「高松宮記念」です。今年は絶対的な存在がなく、どの馬にもチャンスがありそうな混戦状態です。

人気は⑥キンシャサノキセキ③アルティマトゥーレ⑯エーシンフォワードあたりのようです。混戦時ほど力を発揮するのが「GⅠ理論」です。いわゆるGⅠで連対できる実力があるか否かを過去のGⅠ戦績から探る訳です。その考え方でいけば、GⅠで1,2,3着が各1回ずつある⑨ファイングレインが1番手。一昨年のこのレースの覇者でもあり人気はありませんが侮れません。次が人気の⑥キンシャサノキセキ。GⅠ2着2回3着1回です。続いて2着1回3着1回の⑰ビービーガルダン。

ワイド⑥⑨⑰をBOXで。混戦時はワイドが一番です。
大穴はGⅠ3着2回の②アイルラヴァゲイン。今の荒れ馬場も有利かもしれません。有力馬へのワイド馬券でも旨味ありです。

私は買いませんが、人気の③アルティマトゥーレはGⅠ出場が1回で5着ですからまずまず。中京コースも得意でGⅠ馬スリープレスナイトに完勝したセントウルSから見るとGⅠを勝ってもおかしくなさそうです。⑯エーシンフォワードはデキの良さは1番でしょうが、1200メートルがやや短いかなと…。

あまり熱くなるレースではなさそうで…。春のクラシック開幕に備えてワイドで遊ぶぐらいがよさそうです。

「70年代洋楽ロードの歩き方5」~アフター・ザ・ビートルズ5

2010-03-27 | 洋楽
民主党マクガバン大統領候補敗北に端を発したヨーコとの別居生活は、ジョン・レノンに本当の意味でのビートルズからの卒業を促したのです。ニューヨークのヨーコから離れて彼が向かった先は西海岸のロスアンゼルスでした(この辺のくだりは「ジョン・レノン・アンソロジー」BOXの中のオノ・ヨーコ自身の回想録に詳しいです。ジョンのファンは必ず押さえておかなくてはいけない重要な流れです)。

ここで、彼はヨーコという良くも悪くもビートルズ後期から彼を支えてきた精神的支柱を失い、一個のアーティスト、一個のミュージシャン、ジョン・レノンとしての再スタート切ったのでした。その反動からか生活面では、ヨーコと言う歯止めを失って暴走をはじめニルソンやキース・ムーンらの“悪友”たちに囲まれて、後に“失われた週末”と呼ばれる昼夜の境のない酒とドラッグに漬けの乱れた暮らしに入っていったのです。しかしながら音楽的には、荒廃した生活の影響が出て自己嫌悪的になっている部分はあるものの、純粋なジョン・レノンの世界への回帰をコンセプトとした新たな段階を迎えたと言えるでしょう。この時期に制作された彼の作品は「心の壁愛の橋」ですが、彼の小学校時代の絵をジャケットにしていることからも分かるように、ヨーコと離れたことでビートルズ以前のジョン・レノンに立ち帰ろうというそれまでにはなかった思いがその制作の根底にはあったのです。実はこのアルバムに先立って制作に着手されていたのが、50年代少年時代のジョンがに憧れた音楽のカバーアルバム「ロックンロール」であり、「心の壁愛の橋」のコンセプトはこの延長線上に位置していると考えるのが自然なのです。

それともうひとつこの時期は、過去のジョンにはないほどに周囲のアーティストたちと刺激をし合いながら仲間や自分の作品を作り上げていくという、まさにビートルズ時代にはなかった斬新な音楽生活が新らたな刺激を彼に与えもしたのです。その仲間と言うのは当然“失われた週末”の悪友たちが中心ではあるのですが、この音楽サークル的な活動を通じてジョンは自身の作品だけでなく、ニルソンの「プッシー・キャッツ(ジョンのプロデュース)」やキース・ムーンの唯一のソロ・アルバム「ツー・サイド・オブ・ザ・ムーン」、リンゴ・スターの「グッドナイト・ウィーン」などを生み出しもしたのです。ニルソン、キース・ムーン、リンゴ・スターの3人はそれぞれのアルバムでジョンの曲を取り上げるとともに、ジョンのアドバイスで「ラストダンスは私に(ニルソン)」「アイ・ゲット・アラウンド(キース・ムーン)」「オンリー・ユー(リンゴ・スター)」をレコーディングし、アルバムに加えています。ジョンの自身の50~60年代初頭への“ルーツ回帰”は仲間にも大きな影響を与えたのです。その意味では、この3作は、ジョンの“失われた週末”がもたらしたアルバムとして、ジョンのこの時期の作品と併せて聞くのが正しい聞き方であるのです(「ジョン・レノン・アンソロジー」ではこの時期の仲間に向けたジョンのガイド・ボーカル・バージョンが聞けます)。

一方のジョンは、仲間のアルバムに協力しつつ自身の「心の壁愛の橋」そして「ロックンロール」の制作を続けます。そんな中でもっとも大きな他のミュージシャンとのコラボレーションがエルトン・ジョンとの交流でした。エルトンをジョンに紹介したのはおそらくリンゴでしょう。リンゴはTレックスのマーク・ボランの映画「ボーン・トゥ・ブギー」の監督を務めており、その映画にエルトンがゲスト出演したことからリンゴとの交友がはじまったのだと思われます。エルトンとジョンは意気投合して、エルトンはジョンの「真夜中を突っ走れ」にダブル・リード・ボーカルで参加し、ジョンはエルトンのニューシングルにビートルズ時代の「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」を推薦し、レコーディングに参加。ギターとボーカルを担当しつつ中間部にレゲエ・リズムを取り入れるアレンジ的アドバイスもしたといいます(ジョンのレゲエに対する関心はかなり早く、「マインド・ゲームス」のブリッジ部分でもスカ・リズムを取り上げています)。そして、この底抜けに明るい当時のエルトン・ジョンとの出合いが、ジョンを荒廃した“失われた週末”から救い出したのです。
(この項続く)

財政破綻の片棒を担ぐ“郵政逆戻り案”は絶対に阻止せよ!

2010-03-25 | ニュース雑感
亀井静香郵政改革・金融相が、郵政改革法案の概要を発表しました。それによれば、日本郵政への政府出資比率は重要決議への拒否権を行使できる3分の1超とし、ゆうちょ銀行の預入限度額を現行の1000万円から2000万円に、かんぽ生命の限度額は1300万円から2500万円にそれぞれ引き上げるというもの。しかも、ユニバーサル・サービス確保を理由に消費税を免除するという“特典”まで付与する国営郵政への“逆戻り案”に、世論がどう反応するか危機感をもって注目しています。

この案で国民の理解を得んとするがために“いやらしく”付加されたのが、郵便局を使った行政のワンストップ・サービス化のお話です。つまり、実質国営郵政に戻せば住民票等の受け取りやパスポートの申請などが取り扱えるようになり、国民生活の利便性向上に大きく資するものであると言う論理です。この部分は確かに一見すると、国民の大半がありがたいと感じるものではあるでしょう。しかしながら、見かけ上の利便性向上にだまされてはいけないのは、行政ワンストップ・サービスの取り扱い窓口も決して政府系機関でなければできないというものではなく、一定の審査や条件をクリアした民間に対して門戸を広げていくことこそ、民間へのアウトソーシングによる公的機関の経費削減すなわち国家支出の抑制につながることであり、いまさら郵政を国の関係機関に戻して余計な人員と事務コストをかけて取り扱うべきサービスであるのかと言えばいささか疑問である訳です。

さらに、本件の最大の問題点は以前本ブログでも取り上げておりますが、「郵貯・簡保の限度額引き上げ」→「大量の個人資産流入」→「赤字国債の買い支え原資化」→「実質財政破綻と日本国債のデフォルト・リスク増大」→「国民的経済危機」という流れにつながる危険性をその裏に抱えていることなのです。元大蔵事務次官である斎藤氏を郵政のトップに据えた人事は、まさに財務省と日本郵政の一体化をはかろうとする“悪の構図”が見え見えであり、この点の議論を抜き法案審議を進めることは大変危険な事であると考えています。本日の新聞各社の報道では、今回の改革に関して批判的なスタンスは見受けられるものの、「郵貯・簡保の肥大化が民間金融機関を圧迫し自由競争を阻害する」という論調に偏っているのは、大変懸念させられます。なぜなら、銀行等民間金融機関はどうも一般国民から見てあまり好意的に受け入れられておらず(その歴史的慇懃無礼さが原因ではあるのですが)、この論調では「郵貯の限度額が増えるのは国民的には歓迎。銀行はもっと苦労すべき」との世論の流れも生まれかねず、大きな反対を呼び起こすことにはなりにくいと考えるからです。

くしくも昨日参院を通過した22年度予算では、新規国債発行額は過去最大の44兆円を越える額に達し、国と地方が抱える“借金”は800兆円を越える見通しなのです。予算の半分近くを借金で賄うことなど経営的な観点から言えばあり得ない話であり、さらに借金の利払い資金まで新たな借り入れで賄うと言う事態は異常以外の何モノでもないのです。もしこれが民間企業なら、銀行は到底融資などしないハズです。でもそれを可能たらしめているのが、郵貯・簡保として集めた国民の個人資産な訳です。いってみれば表面上はうまいことをいって金集めをしておいて、裏ではその金を使って悪事を働いているようなもので、国民に対する“騙しうち”であると言ってもいいと思います。赤字国債を“国営郵政”が買い支える構図がこれ以上極端になれば、日本の財政に対する国際的な信用不安が巻き起こることは想像に難くありません。今回の法案はそんな国家的リスクを負っているものであると、国民にしっかりと説明をした上で審判を仰いでいく必要があるのです。

マスメディア各社も、喰いつきの良い記事ばかりを欠くのではなく大局的な立場でものごとを捉えて、世論を誤った判断に導くことのないようより一層の配慮を求めます。4月の法案成立までの間に正当な議論展開の世論の形成により、国民経済に将来的な大損失が生じるような誤った方向に行かないことを期待するとともに、“小泉憎し”の個人的恨みに根差した亀井静香の独善的やり方に、この国の将来を台無しにすることのないよう祈ってやみません。

売れ筋ブックレビュー~「あなたの会社は部長がつぶす/山田修」

2010-03-24 | ブックレビュー
★「あなたの会社は部長がつぶす!/山田修(フォレスト出版1400円)」

売れているようです。アマゾンのビジネス書で1位を続けていたようですから、かなりな売れ行きですね。この出版社は毎度毎度ですが、“売れる”タイトルのつけ方がうまいですね。本書や「会社にお金が残らない本当の理由」のようにかなりショッキングなタイトルで目を引いたり、「社長のベンツはなぜ4ドアか?」の如くビジネス書なのに誰もが聞いてみたくなるような食いつきのよい問いかけ型タイトルにしてみたりと、いつも感心させられます。特にネットで本を購入する時代になって、書店ならばタイトルに惹かれても中身をパラパラ読んで「な~んだ」となれば買わない本でも、ネットだとタイトルがおもしろそうだと中身を見ることなく買ってしまうので、時としてとんでもないベストセラーが生まれたりするのです。先の「社長のベンツ…」などはまさしくその典型的な例で、買ってビックリ恐ろしく中身の薄い本でした。

さて本書、タイトルのショッキング加減とは裏腹に中で著者が言っている基本思想は至ってオーソドックス。経営資源の中で「ヒト」を何よりも大切にすること、組織の問題はすべてコミュニケーションに解決策があること等々、少し気の利いた組織論的ビジネス書には必ず出てくるお話がメインで書かれております。まぁこの辺は、1949年生まれの実業界での経験豊富な筆者らしい切り口であり、個人的にも共感できる部分であります。しかしながら読み進めていくうちに、方法論として「おや?変だぞ」と思しき点にいくつかぶちあたります。

それは、「ヒトを大切に」と言いながら「ヒト」の扱いに関してはかなりドラスチックな考え方を展開している箇所にあります。すなわち、著者が言うところの「ヒトを大切に」する考えは、「組織にとって大切な」という観点で考えていることであり、「大切に育てる」ということではないのです。それは曰く「痛みを伴わない改革はない」との考え方の根底にある「要らない人材はそれなりの金を払ってすべて切れ」という部分に如実であり(本人が言うことろの「鬼手仏心」だそうです。とんでもない!)、自身の経験談としても社長着任後早々に6人いた幹部を5人切った話をしています。果たしてこのような考え方が、日本の中小企業に通用するでしょうか?本書は表紙に「中小企業向け」とあるのですが(著者が本文でも胸を張って明言してもいます)、いささか疑問に感じざるを得ませんでした。

組織に有害な人材を“切る”ことがいけないことであるとは申し上げませんし、そのつど「ヒト」の入れ替えを視野に入れながら企業経営をしていくことは大切なことであるとは思います。しかしながら、「幹部6人中5人を切った」「毎年下5~10%を切って入れ替えろ」と自慢話よろしくドラスチックな考え方で人材を扱うことを吹聴する姿勢には同意できかねます。コンサルタントにとって「ヒト」を入れ替えて業績を上げたことなど何の実績にもならない話であり、むしろ氏の職業コンサルタントとしての基本姿勢が疑われる発言ではないかと思うのです。「ヒトを入れ替える」ことをで組織の問題解決をはかるのならコンサルティングは不要であり、著者の考え方には同業の末席を汚す私としても首をかしげざるを得ません。コンサルティングはもっともっと血の通ったものであるべきなのではないでしょうか。

それともう一点、人材活用における人材区分けマトリクスの2軸を「よく働くか否か」と「頭が良いか否か」で取っている点も合意しかねます。「よく働くか否か」は現状の仕事の与え方や環境によっても違うわけで短絡的な判断で活用すべき指標ではありません。「頭が良いか否か」に至っては言語道断。著者は相当頭のよろしい方なのでしょうが、そんな見方で部下を率いる経営者に本当に長きにわたって部下がついていくのか、いささか疑問視せざるを得ないと思います。「良く働かない部下をいかに働かせるか」「頭のよしあしでなく適所をいかに見つけてやるか」こそが、限られた資金と人材の下で苦労する日本の中小企業経営者のあるべき姿ではないでしょうか。このあたりを考えるに、恐らくは著者の経歴的にみて外資系企業での社長を歴任されており、外資系特有のドラスチックで個人主義的な考え方が全面的に出ているのではないかと思われ残念です。

「コミュニケーションを大切にする」という部分はともかくとして、こと「ヒト」の扱いに関しては、およそ日本の典型的中小企業には受け入れられにくいお話ではないかと思います。この著者の考え方がストレートに受け入れられ役に立つ企業は、外資系または新興のIT企業等に限定されるのではないでしょうか。少なくとも私がお手伝いしてる中小企業の社長方には鵜呑みにして欲しくない内容でありました。10点満点で5点(気持ちは「4点=赤点」です)。

「70年代洋楽ロードの歩き方4」~アフター・ザ・ビートルズ4

2010-03-22 | 洋楽
「ジョンの魂」が意外なほどに売れなかった(とはいってもアルバムでTOP10には入っていますが)ジョンは、続くアルバムを曰く「前作の主張をオブラートに包んで親しみやすくした」という方針で制作します。そして完成したのが71年の名作「イマジン」でした。確かにこのアルバムは前作よりも数段ポップな印象になり、聞きやすい作品に仕上がっています。チャート・アクション的にも見事No.1の座を射止め、“ヨーコとの急接近によりビートルズを解散に追い込んだジョンとヨーコ”の印象は薄れ、彼の狙いは表面上は成功します。しかしながら中身はというと、まさに主張を「オブラートに包んだ」だけでその意図することろは前作と同じ“ビートルズのトラウマとの闘い”を続けていることに変わりはなかったのでした。

その最たるものが、「君の手柄はイエスタディだけさ」と歌い痛烈にポールを批判したB3「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」でした。さらにアルバムには、ポールのアルバム「ラム」のジャケットを皮肉ってジョンが豚を後ろから押さえつけるポスターが封入されているという念の入れようで、ビートルズのトラウマに起因するポールへの憎悪はこの時期ピークを迎えていたようです。プロデューサーは、アルバム「レット・イット・ビー」で「ロング・アンド・ワインディングロード」に重厚な弦アレンジを施してポールの逆鱗に触れた宿敵フィル・スペクター。さらに脇を固めるのは元ビートルズ、ジョージのスライドギター。楽曲についても、ビートルズ時代の「ホワイトアルバム」セッションで完成していた曲の歌詞を変えた「ジェラス・ガイ」を取り上げるなど、依然として完璧な“ワン・オブ・ザ・ビートルズ”状態でのアルバムであったのです。今でこそ、タイトル・ナンバー「イマジン」の素晴らしさ故、ジョンの確立されたソロ・アーティストとしての代表作的に捉えられがちですが、実はこの段階でもジョンはまだまだビートルズを卒業できない状態にあったのでした。

この後「イマジン」のコンセプトを基調にして、ジョンはヨーコとともにそのトラウマと闘う怒りの矛先を平和運動に転換していきます。これは、ヨーコがいつまでも世間から「ビートルズを解散させた女」として敵視され、マスメディアも二人を奇異の目で見続けるていることを逆手にとった彼一流の皮肉の利いたキャンペーンでもあったのだろうと思われます。そんな中でリリースされた3枚目のアルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」は至って政治色の濃いアルバムとなりました。こうして彼が平和運動から派生した政治的言動を繰り返すうちに、アメリカ中の若者から反体制の英雄的なまつり上げられ方をするようになって、アメリカのニクソン政権から危険人物として国外退去を命ぜられ監視や盗聴をされるほどマークされるようになってしまうのです。“元ビートルズのリーダー”としての幻影がここでまたしても彼を悩ませ、依然として“ビートルズのジョン”からの脱却はかなわなかったのです。

そんな時代の終焉は、72年彼が“打倒ニクソン政権”を託して応援した民主党のマクガバン大統領候補の敗北によってアッサリと訪れたのでした。その出来事はまたヨーコとの一時的な別離の原因ともなり、一人ぼっちになった彼はここではじめて“ビートルズのジョン”を捨てざるを得ない状況に陥ったのでした。すなわち、それまで彼をビートルズの幻影から解き放たなかったものは、実は彼をビートルズからの独立を促したはずのヨーコだったというなんとも皮肉な展開だったのです。このことはすなわち、ビートルズを解散させたのはヨーコではなく、ジョン自身に他ならないのだということ表してもいた訳です。73年にリリースされた「マインド・ゲームス」(写真)はそんな中で制作されたアルバムであり、今までになくレイドバックしたジョン・レノンの姿がそこにはあります。こうして無理やりビートルズを卒業させられたジョンは、結果的にこのアルバムからソロ・アーティスト、ジョン・レノンとしての活動に入っていったのでした。
(この項続く)

「70年代洋楽ロードの歩き方3」~アフター・ザ・ビートルズ3

2010-03-21 | 洋楽
さぁ、ジョン・レノンです。まずは少し前段を…
「ビートルズは結局ジョン・レノンの歴史であった」と言っても過言ではない程に、ジョン・レノンその人の動向が反映したバンドでありました。ビートルズをスターダムに押し上げたのもジョンの人並み外れた才能でしたが、それをまた別の領域へ連れて行ったのも彼の抑えきれないほどにほとばしる才能のなせる技であったのです。66年にビートルズはライブ活動を休止しスタジオ・ワークに専念することになると、それまでにない思想が徐々にジョンの頭を支配し、他の3人とは明らかに異なる芸術指向を示すようになったのでした。67年の「サージェント・ペパーズ…」は、言ってみればそれまで音楽的には1歩も2歩もジョンに後れを取っていたポール主導の“傑作”アルバムにジョンの新たな芸術性が付加され、名作と呼ばれたのでした。しかしよく聞くと、そこに収められたジョンの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド」や「ア・ディ・イン・ザ・ライフ」の幻想的な佇まいはある意味浮いた存在であり、既に彼の音楽が別の場所に移動を始めていたことを如実に表してもいるのです。そしてそのような彼の内面的変化は、翌68年の前衛芸術家オノ・ヨーコへの急接近で決定的になるのです。

ヨーコがジョンに言ったという一言「あなたは何も服を着ていない」に象徴されるように、ヨーコはビートルズとして次第に苦悩しつつあったジョンの内面のモヤモヤを吐き出させ、結果ジョンはより大胆に新たな行動をとるようになるのです。そんな流れの中制作された68年の「ホワイト・アルバム」におけるジョン・レノンは、明らかにそれまでの彼とは違う立ち位置で自らの音楽表現をしています。しかしその段階にあってもジョン・レノンの音楽は、ジョンがビートルズのリーダーであり続ける以上「ビートルズの音楽」であり、結果この後もジョンが既成概念的に存在するビートルズのイメージを壊そうとすればするほど逆に自らが作り上げてきたビートルズに苦しまされ、「ジョンの音楽=ビートルズの音楽」という構図の打破に向けて彼の中で格闘を続けることになったのです。ポールがジョンからの卒業をすることで「ワン・オブ・ザ・ビートルズ」から「アフター・ザ・ビートルズ」へ移行したのとある意味では同じ事なのですが、「ビートルズ=ジョン・レノン」である以上単なるバンドからの卒業ではなく自身からの卒業という最も難しい課題を課されたジョンの方が、完全なソロ・アーティストになるためにはより一層の苦業を強いられることになったのです。

ジョンは69年以降ビートルズの解散を決意し周囲にもそれを語り始めていました。ビートルズを作ったのがジョン・レノンである以上、それを終わらせるのもジョン・レノンでなくてはいけないと。ところが、解散も秒読みになりあとはジョンが正式声明を発表するばかりという段階の70年4月、いきなりポールのマスメディアに向けた「脱退宣言」が発表され、先を越された彼は何が何だか分からなくなり精神的に大きなショックを受けることになるのです。このポールの“決別宣言”はあまりにショッキングでした。それは、彼が幼くして彼を捨てて出ていった父、そして追い打ちをかけた母の家出と事故死による喪失感から受けたトラウマに呼応するものだったのです。精神的に限界に至った彼はトラウマを除去するプライマル療法を受けます(このあたりのくだりは「ジョン・レノン・ミュージアム」で詳しく知ることができます)。そしてその結果吐き出されたものが、解散後初のソロアルバム「ジョンの魂」(写真)を作りださせたのでした。

「ジョンの魂」は、「ワン・オブ・ザ・ビートルズ」そのものでした。言ってみればポールのソロ初期と同じく“一人ホワイト・アルバム”状態。しかも、幼少期からビートルズ解散に至るまでのトラウマに満ちた音楽がそこにはあり、正確には“裏ビートルズ”音楽でありました。B5「ゴッド」では「僕はビートルズを信じない」と言いきり、最後B6「母の死」ですべてのトラウマを振り切るかのようにアルバムを締めくくります。しかし、ジョンのトラウマは終わりませんでした。ポールの「最悪」と評されたアルバム「マッカートニー」でさえ全米№1になっているのに、このアルバムは最高位6位。シングル・カットされたA1「マザー」はTOP40にさえ届きませんでした。ジョンは大きなショックを受けたと言います。そのショックはビートルズのリーダーが弟分の後塵を拝したという事実に他ならず、今度はポールに対する憎悪へと形を変えて“ビートルズのトラウマ”との闘いは続くのです。ジョンのビートルズ卒業にはまだまだ多くの時間が必要でした。
(この項つづく)

<音楽夜話>待ちきれないディランのライブハウス・ツアー

2010-03-20 | 洋楽
“神様”ボブ・ディランの“奇跡の国内ライブハウス・ツアー”が始まっています。まずは大阪、そして名古屋。明日からはいよいよ東京です。もちろん東京は、私も見に行って当ブログでライブ・レポートをする予定ではおりますが、あまりに気分が盛り上がっていて待ちきれないので少しディランの話を書かせてもらいます。

思い起こせば、私が生ディラン体験をしたのは78年の初来日での武道館。今思うと、神聖な雰囲気と言うか、いやむしろ見に来た日本人の多くが“神”にどう接していいのか分からない戸惑いと言うか、そんな一種異様な緊張感が会場には充満していたように記憶しております。ただ私自身がまだディラン初心者であったのと“本物”を初めて見た感激ばかりが大きくて、曲の判別もおぼつかなかったということ以外あまり明確な記憶がないというのが今となっては残念でありますが…。以降何度かディランは来日をしてはいるのですが、ちょうど初来日の2~3年後に彼がキリスト教へ改宗し、私にとって彼の作品的魅力が急降下したために結局その後は一度も来日公演に足を運ぶことなく今日まで来てしまったのでした。ただ近年は、ディラン自身もかなり往年のパワーを取り戻し、宗教観だなんだを飛び越えた理屈抜きでロックなライブを続けているということを耳にして、ここ数年来日を心待ちにしていました。そしてそして昨年末、なんと日本のライブハウスでディランが見れると言う吉報を耳にして、居ても立ってもいられずチケットをゲット。日一日とその日が近づくにれて鼻息も荒く、興奮の度合いが増してきていると言う訳なのです。

このライブハウス・ツアーが何を意味しているかですが、私がイメージするのは私にとってのディランのベスト・ツアーである75年の「ローリング・サンダー・レビュー」に他ならないのです。旅芸人一座のテント・ツアーをイメージしキャパ2000人以下の会場を回ったこのツアーは、60年代型ディランへの原点回帰と“囚われのボクサー”ハリケーン・ルービン・カーターの無罪を訴えたミンストレル・ショー(説明が面倒臭いので、意味はウィキペディアご参照)をコンセプトに大々的に繰り広げられたのでした。もちろん、今回のツアーにミンストレル・ショーのイメージはないのですが、原点回帰はコンセプトとして明らかに見て取れ、その意味からは個人的にもっとも見たかったタイプのディランのショーである訳です。今回のツアーのギタリストは、70~80年代のアイドル・ロッカーだったチャーリー・セクストンなのですが、「ローリング・サンダー・レビュー」の時のギタリストが、グラム・ロック時代のデビッド・ボウイの片腕としてアイドル的人気を博したミック・ロンソンだったのとも符合して、面白い感じがしています。

実は80年代のトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーや90年代以降の「ネバー・エンディング・ツアー」のライブ音源もこっそりブートレッグでチェックはしてきているのですが、70年代に比べるといささか迫力不足が否めない感がしていました。ところが最近のライブ映像をYOU TUBEで見る限り、「何だこの迫力は?」といったノリで、まさに“ロッカー・ディランここにあり!”を印象づけられるほどの元気さ加減。一時期のセールス不振が嘘のように、立て続けに出すアルバムを全米No.1にしているこのところの勢いをそのままステージにも持ち込んでいるようで、彼自身が70年代以来30数年ぶりのピークを迎えて気力・体力とも充実しまくっている様子です。もっとも、よほど今の自分のパフォーマンスに自信がなければ、アラが目立つライブハウス・ツアーなんてやるわけがないですがね。

連日、大阪、名古屋のセットリストをネットでチェックしまくっていますが、例によって一部を除いて日替りメニュー的展開で、「こりゃ東京全部見ないといかんか?」とさえ思わされてしまいます。「ハッテイ・キャロルの寂しい死」「廃墟の街」「女の如く」「雨の日の女」といった大好きな曲が日替りで登場していて、自分が見に行く日には一体何が飛び出すのか、本当に楽しみです。今回はコンセプト通り60年代の曲と最近の曲が中心のセットリストのようですが、願わくば70年代の超名曲「愚かな風」が聞けたらなと…。レコードコレクター誌の来日記念「ディスク・ガイド」も思わず買ってしまい、連日ipodでは60年代の名作「ブリング・イット・オール・バック・ホーム」「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」の3枚を聞きまくっています。こんな盛り上がり方、ザ・フー以来ですな。今はただただ「ディランを見たい!聞きたい!感じたい!」といった状況であります。すべての洋楽ファン必見の、ディラン恐らく“最後の日本公演”。新旧ディラン・ファンの皆さん、これが“生ディラン”の見納めですからZEPP TOKYOで目一杯盛り上がりましょう!