日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

代ゼミ、富士フィルム業務拡大、転換のカギを握るモノ~AllAboutさん拙担当コーナー更新されました

2014-08-30 | 経営
AllAboutさん、拙担当コーナー「組織マネジメントガイド」更新されました。代ゼミの7割校舎閉鎖をきっかけとして、成功する業務領域拡大、転換のカギをコアコンピタンス分析に求めてみました。富士フィルムの例も引きながら、コアコンピタンス分析の重要性に焦点を当てています。

こちらからどうぞ。
http://allabout.co.jp/gm/gc/446466/

代ゼミの一件は戦略ミスではなく戦略的成功ではないか

2014-08-27 | 経営
代々木ゼミナール(以下代ゼミ)が7割の教室を閉鎖するという発表をおこない話題になっています。

個人的には高校時代、特に夏休み、冬休みの講習でお世話になりました。旺文社のラジオ講座などというものがまだまだ受験生の勉強材料として主流を占めていた頃です。英文法の西尾孝先生とか、数学の寺田文行先生とか、今の東進ゼミナールも真っ青のラジオスター講師を目玉に据えて、マス大衆路線の大学受験予備校として一世を風靡しておりました。

代ゼミは、共に予備校御三家と言われた駿台、河合塾とは明らかに違う戦略をとってきました。駿台、河合塾が東大を頂点とするトップレベル追求型であったのに対して、代ゼミはあくまで私立文系を中心とした受験生ボリュームゾーン狙いのマス大衆路線。ラジオ講座の有名講師を目玉に据えるやり口はまさにそのマス戦略の象徴であり、当時としては的を射たものであったと言えるのです。

しかし、ラジオ講座は95年に文化放送から撤退。99年には細々続いていた短波放送からも姿を消します。この事実は、マス向けの受験対策が受験ビジネスの主流ではなくなったことを意味していたわけです。全国の私立文系志望者をメインとしたマス向け予備校ビジネスで校舎を増やしていった代ゼミが早晩苦境に立たされることは、その時点で誰の目にも明らかであったのではないでしょうか。

なぜなら、少子化による受験生の減少は、駿台、河合塾がウリとするトップレベル受験にはさほど大きな影響は及ぼさないものの、代ゼミがメインターゲットとする私立文系を中心としたマス受験層はパイの減少をもろに受けるからです。少子化の解消が見込むべくもない我が国の状況下において、経営が確実に苦しくなることは10年以上前の段階で気がつかない方がおかしいと思える状況にあったのです。

では代ゼミは、何の手も打たずにここまでノホホンときたボンクラ経営だったのでしょうか。それはおそらく違うでしょう。代ゼミは90年代前半にはすでに、先行きの不安を見通していました。その証拠に新校舎は92年の熊本校以降、開設していないのです。ではなぜ、その後も路線変更をせずにマス大衆受験生路線を貫いてきたのか。

長年の方針に裏打ちされて、一度できあがった予備校のイメージはそう簡単には払しょくできません。いかに代ゼミが業界大手であろうとも、いきなり駿台、河合塾と同じ路線のトップレベル受験生にメインターゲットを変えようとしても、それは不可能に近いことなのです。

そこで代ゼミの経営陣が苦心の末、考え着々と温めてきた戦略が不動産業へのシフトというビジネス転換だったのではないでしょうか。代ゼミの強みは、元本部である代々木校をはじめ、自前で校舎を所有する豊富な不動産資産にあります。現在の校舎ビルを一等地と言う利点を活かすなら、オフィスビルへの転換やあるいはビジネスホテルへの転換は容易にできる優良資産であり、かなり有効活用価値の高いものばかりなのです。

その先鞭ともいえる戦略が、08年完成の新本校新宿代ゼミタワー計画です。その計画で、本校機能をタワーに集約すると共に、代々木の旧本校ビル群の一部は貸会議室化として新たなビジネスに展開し、また一部は11年オープンの小林武史・大沢伸一プロデュースによる複合商業施設「代々木VILLAGE」として有効活用しているのです。

少子化が加速度的に進んできた2000年以降の時代に、なぜマス路線を歩み続け一層の苦境が予想された代ゼミが巨額の投資をしてまでタワー本校を作ったのか。表向きは代ゼミの予備校ビジネスの新シンボル創設と見せながら、裏では確実に不動産ビジネスへのシフトをすすめる布石を打っていた、そう考えるのが自然ではないのでしょうか。突如、ビジネス転換を余儀なくされ苦境に陥り、大量の休校、閉校に追い込まれたかに思える今回の発表ですが、実は90年代から入念に練られた異業種転換劇であったのではないかと見ることができるのです。

一部報道では、少子化時代の到来における同校の戦略的読み違えがあったかのように言われていますが、それは当たらないのではないでしょうか。私はむしろ大量のリストラを余儀なくされるであろうことを除けば、旧本業においては最小限の投資で生きながらえることだけを考え、傍らで新本業となる不動産業に投資を集中させてそのビジネスの基本を着実に作り上げた、業種転換戦略の成功事例として評価できるのではないかと思っています。

「木曽路」今さらながらの食材偽装事件から学ぶこと

2014-08-15 | 経営
しゃぶしゃぶチェーン「木曽路」が、大阪市、神戸市、愛知県刈谷市の一部店舗で、少なくとも12年4月から今年7月末までの間、無銘柄の和牛を「松阪牛」や「佐賀牛」と偽って提供していたと公表しました。今さらの感が強いこの事件ですが、個人的に気になる点があったので少々取り上げておきます。

食材の偽装問題は、昨年ホテルや百貨店でさんざん話題になっていました。「木曽路」の牛肉産地偽装はなぜその時分からなかったのか。ちょっと不思議です。しかも今年7月まで偽装が続いていたということは、あれだけ大騒ぎになった事件を目の当たりにしていながら、平然と偽装を続けていたという同社現場の姿勢は明らかに大問題です。

もうひとつさらに気になることは、報道の以下の部分です。
「同社は店舗で申し出のあった客に対し、予約記録を調べたうえで、会社が定める差額相当額の食事券を渡す方針」(日経新聞)

「予約記録を調べたうえで、会社が定める差額相当額の食事券を渡す方針」って、不祥事の事後対応として完全にまずいです。この一文に問題点は3点あります。
①予約記録を調べたうえで
なりすましに対する抑止効果を狙ったものでしょう。確かに際限なく請求に来られたら困る、という気持ちは分かります。しかし、実際に食事をした人は当然のこと一般の人から見ても「自分でうそをついておきながら、被害者まで疑うのか」と反感を買うことは目に見えています。

②会社が定める差額相当額
不祥事対応の基本は全額賠償です。法的云々ではなく心証の問題としてです。差額を返せば済むと言うのは、金銭的な部分を埋め合わせれば文句ないだろうと言っているようなものです。言ってみるなら顧客の心情無視。すなわち悪いと思っていないということになります。本来のこう言ったケースでの金銭的対応は利用者の不快感に対するお詫びの気持ちが込められてしかるべきであり、全額返還が当たり前の対応となります。不祥事対応として、一言で言って非常識極まりないと言っていいでしょう。

③食事券を渡す
これも論外です。不祥事発生に対する金銭的返還は現金が常識です。ただでさえだまされて腹を立てている利用者に対して、「差額を返して欲しければまた食べにおいで」と言っているようなものですから。考えられません。二度と食べに行きたくないと思っている人もいるハズで、このような対応は完全に“火に油”です。不祥事を新たな売上につなげたいと言うスケベ心なのでしょうか。絶対あり得ません。

以上のような観点で見させていただいた場合、残念ながら「木曽路」の組織風土、企業文化はサービス業にあるまじきものであると言えるほど病んでいると思われます。社会問題化しても偽装をやめない現場の意識、顧客感情無視の自己中心的事後対応という部分だけからでも容易に分かる同社の組織風土、企業文化は、顧客二の次の「カネ儲け主義」以外何ものでもありません。

組織風土、企業文化というものは一朝一夕に変えられるものではありません。「木曽路」は、「社員教育の徹底など再発防止に取り組むとしている」そうですが、私の目から見れば、社員教育の前に経営の「カネ儲け主義」という考え方の方向修正がまず何よりも必要であると思われます。今さらながらの食材偽装事件でしたが、従来とは別の観点から学ぶことは多くある一件かと思いました。

経営者が負うべき「もうひとつの責任」~J-CASTさん拙連載更新されました

2014-08-13 | 経営
J-CASさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました。理研笹井さんの一件で思い出したある社長が勇退時にしてくれたお話です。経営者が意識すべき、株主、取引先、従業員にとどまらない「もうひとつの責任」とは。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/08/13212938.html

改めて考えさせられる理研の組織責任ということ

2014-08-07 | 経営
STAP論文の共著者で小保方さんの上司でもあった理研の笹井芳樹氏が自殺されたと言うショッキングなニュースが、話題になっています。笹井さんは、STAP騒動における取材攻勢や非難の声に疲弊したのでしょうか。STAP騒動は一人の科学者の命を奪うと言う最悪の事態に展開してしまいました。

私はこれまでも、今回の騒動に関して組織論の立場から、独立行政法人である理研の組織としての論文瑕疵発覚後の行動に疑問を呈してまいりました。今回、関係者の自殺と言う最悪の事態を迎えたことに際して、改めて組織の責任ある行動とは何かを我々は問い直すべきであろうと思っています。

個人の責任とその個人が属する組織の責任はどうバランスされるべきであるのか。今回の一件は、笹井氏の自殺の動機がハッキリとしない現段階で断定的なことを申し上げるのはいささかはばかられるところではあります。しかしながら、メディアで報じられている氏の体調不良や傍からもうかがい知れたという精神的なダメージの話から推察するに、STAP騒動において笹井氏個人は氏に課された責任の重圧に押しつぶされたという印象を強くしております。

そこまで個人が責任を負わなくてはいけないものであるのでしょうか。本来組織が負うべき責任を組織が意図的に回避してきたが故の、個人への重圧だったのではないかと私には思えています。

法人には当然法人としての責任があります。そして法人の傘の下で行われた業務に関して、不祥事やそれに類する事態が発生した場合には、まず法人の責任が何よりも優先されるのは当然のことなのです。特に独立業績法人理研が、税金により研究開発費をねん出している以上、その研究における瑕疵は当然まずは組織が負うべきものであるはずです。

しかしながら理研はどうであったかと言えば、積極的に事実関係を検証し関係者の意見をとりまとめ組織としての対処および責任の所在を明確することなく、組織曰く「未熟な若手研究者」とその指導者に責任を負わせたまま、これまで飼殺しかつさらし者的状態を続けてきたとは言えないでしょうか。トップがその進退をあきらかにすることばかりが責任の所在を示すことではありませんが、これまで組織として組織のトップとしての責任を負うという立場での発言はほとんど聞かれることがないのは、私から見れば異常な組織運営に思えてなりません。

この手の話をするとこれまでも、科学分野に携わっておられると思われる皆さまから、「理研を組織論で論じることは科学者の世界を知らない無知な意見」などとご批判をいただいております。しかしながら、科学者の世界であろうとなかろうと税金を活動原資とする組織が行革によりその無駄遣いをチェックしようと独立行政法人化された以上、法人として組織論の及ぶ管理が求められるのは当然のことであります。

それができなかったこと、組織としての管理不在を結果として許してきてしまったことが、組織としての責任回避を生みプロジェクト管理者個人に必要以上の責任を負いかぶせることになったのではないか。それが笹井氏を精神的に苦しめ追い込んでしまったのではないかと、私は感じるのです。

理研の広報室長による笹井氏の自殺を受けての会見においても、組織としての責任を感じさせる発言はほとんど聞かれることがありませんでした。家族はどう思われるのでしょうか。組織は生活の糧を提供する存在である限りにおいて、その組織に帰属する者と同時に生計を一にする人たちに対しての責任もまた負っているのです。

理研は今回の哀しい出来事を受けてその組織運営のあり方をただすべきであると切に思うとともに、国は独立行政法人の管理強化およびその見直しを含めた議論を早急に展開していくべきではないかと思うのです。そして同時に世の経営者の皆さんには、組織の責任という概念を今一度問い直してみる機会としていただきたいと感じています。

笹井芳樹氏のご冥福を心よりお祈り申しあげます。

ゼンシショーに学ぶカリスマトップと監査役のあるべき関係

2014-08-01 | 経営
「すき家」の労働環境改善に関するゼンショーが発足させた第三者委員会が調査報告書を取りまとめ、その内容が公開されました。
http://www.sukiya.jp/news/tyousahoukoku%20A_B.pdf

私も中身を読んでみました。「過重労働」「サービス残業」「社員のプライベート喪失」「一人勤務体制(ワンオペレーション)」「休憩時間の非付与」「限度を超えた休日労働」「年少者の深夜労働及び賃金不払い」等々、同社の「現場の労働実態」を見る限りにおいては、ファーストフード業界において考え得る劣悪な労働環境をもれなく網羅したと言った感が強く出た、実にストレートな実態報告であるなと感じました。

報道では春先から様々な話題を提供してきたワンオペレーションを中心として、これら労働実態と改善方向にスポットが当てられがちなのですが、私個人が考えるレポート最大の着目点は「現場の労働実態」の次に報告されている「ZHD(ゼンショーホールディングス) 社・Z(ゼンショー) 社本部による労働実態の把握・共有状況」部分にこそあると思いました。この部分にはすべてのオーナー企業、ワンマン経営企業の経営者が読みとるべきワンマン経営の正しいあり方とはいかなるものであるのか、それを考えるための大きなヒントがあると感じさせられるのです。

この報告書を読む限り、同社が問題を放置しより深刻な状況に追い込まれた最大の原因が、創業者でかつオーナーであるカリスマ経営者小川賢太郎社長のワンマン統治にあることを疑う余地はありません。一言でいうなら、経営者の統治力、発言力が強すぎるがために幹部社員は皆「上へならえ」状態であったと。社長のクビに鈴をつけるものがいない状態、すなわち一種の独裁統治。コンプライアンス意識も、過酷な労働実態も、業績重視の経営管理下において、経営者が重視していない事柄に関してはすべて見て見ぬフリがまかり通ってしまっていたのだと、報告書は如実に物語っているのです。

「問題解決のための抜本的な対策が取られた様子は見受けられない。こうした事実は、売上等につながらない業務については、各自がそれぞれの立場から正論を言うだけで、具体的なアクションにはつながらない、というすき家カンパニーの特徴を示す一例と言える」
(4.ZHD 社・Z 社本部による労働実態の把握・共有状況より)

まさしく、組織運営における自浄作用の欠如です。何がいけなかったのか。注目すべきは、組織が誤った方向に向かわないための最後の砦となりうるべき監査役です。業務監査をし取締役会に改善を進言しその進捗を監視すべき監査役が正しく機能していなかったということも、本報告書からは如実にうかがい知れます。

「ヒアリングにおいてZ (ゼンショー)社の監査役が、「[過労死リスクについて]真剣に考えていればもっと対策を打っていたと思う。……深い思いは正直無かった」と述べた」
(4.ZHD 社・Z 社本部による労働実態の把握・共有状況より)

さらに親会社で監査役会設置会社であるZHD(ゼンショーホールディングス)においても。
「2014 年3 月に起きた多数の店舗のイレギュラークローズについて、常勤監査役は平田氏(2014 年3 月時点のすき家カンパニーのCOO)からヒアリングを行い、経緯を確認しているものの、経緯を確認したにとどまり、監査役会において対応策を議論したり、取締役会に対して報告・指摘が行われた形跡はなく、また、前記内部監査報告書の指摘事項に対してZ 社がどう対応したかの確認が行われた形跡もない」
(4.ZHD 社・Z 社本部による労働実態の把握・共有状況より)

問題の発生の原因を突き詰めて再発防止をはかることは、大変重要なことではあります。しかし、既に発生している問題を発見し原因を究明しようとも、それを放置してしまう文化が組織に根付いていたのなら、何事も改善しないどころか悪化の一途をたどるばかりなのです。組織における自浄作用は、組織内の幹部社員がトップを盲信しがちなワンマン経営であればあるほど重要になるのです。

現状の組織管理が果たして正しい方向の向いているのか、方向修正すべき点はないのか等々、「裸の王様」になりがちなカリスマ経営者にとって組織を健全に運営させられるか否かは、誰かが耳の痛いことをトップに進言できるか否かにかかっています。そして、経営陣とは一線を画すべき監査役こそがその役割を担うべきであり、ワンマン統治の企業において監査役が機能するかしないかは、企業の健全経営のカギを握っていると言っても過言ではないのです。

監査役が機能するかしないかを決める重要なポイントは、監査役の人事権とその報酬が会社法に定められた通りに適正に運用されているか否かでもあります。特に監査役会設置における監査役報酬は、その総額を定款または株主総会で決め金額の割り振りについては監査役相互の話し合いで決めることとされています。すなわち、監査役は経営者の指揮命令下にはないとの証です。しかしながらこのルール、実態として一般に守られているとは言い難いのです。すなわち、ほとんどの企業で個々の監査役の進退もその報酬はトップが決めているのではないかと。

監査役の進退や報酬をトップが決めると言うやり方になるなら、監査役は他の幹部社員と同じくカリスマ経営者に対して「上へならへ」になりやすく、トップの耳が痛いことを進言するような流れには決してならないのです。ゼンショーも恐らく監査役は経営トップの実質指揮下にあったのでしょう。ワンマン企業の組織運営に自浄作用を働かせ健全な経営を形づくるためには、本当の意味で監査役を独立した存在にする必要があるのです。

その昔は「閑散役」などと揶揄されてご褒美ポジション的な色合いが濃かった監査役ですが、今や組織運営における扇の要であるといっても言いほどに重要なポジションであるとの認知が徐々に広まってはいます。しかしながら、まだまだ監査役を自分の部下として扱うワンマン経営者が多いのもまた事実であります。ゼンショーの第三者委員会の報告を読ませていただき、監査役が機能するか否かがワンマン企業の浮沈のカギを握っていると言っても決して過言ではないと新ためて実感させられた次第です。