日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

JR北海道、カネボウ、東電…腐敗した組織風土はいかにして正すべきか

2013-09-27 | 経営
カネボウの白斑問題、JR北海道の路線異常放置問題のあおりで、「組織風土」腐敗の問題が俄かにクローズアップされています。All Aboutさんではその辺の理論的な考察は書いたのですが、カネボウやJR北海道が第三者機関やメディアから「組織風土を根本的に叩き直すべき」と言われたところで果たしてできるのか、今の両社の対応を見る限りにおいては、難しいと言わざるを得ないと思っています。
◆「カネボウ、JR北海道に見る「組織風土」腐敗の7S解析」
http://allabout.co.jp/gm/gc/429654/

上記出典にも書いたように、マッキンゼーが提唱したフレームワーク「組織の7S」を使って解析すると、「組織風土」の正常化に向けては、まず組織の核となる「価値観」が明確に確立され、さらにその「価値観」を組織の構成員が共有し、同時に「価値観」に裏打ちされた「制度」がしっかりと構築されることが必要十分条件になると考えられます。

しかしながら、過去の「組織風土」腐敗によって不祥事を引き起こしたりあるいは業績不振で絶望的な状況に追い込まれた企業は、一部の例外を除いてほとんどがこの必要十分条件を満たすことなく、反省の終息を迎えているように思われます。すなわち、彼らは「再発防止」というお題目の下、「制度」の再構築に終始しその形式整備完了とともに、外野の批判的目もやわらぐことで、「組織風土」改革にまで至らずに終わってしまうのです。

「組織風土」腐敗による不祥事企業にまず必要なことは、その「組織風土」を根底から正すための軸となる「価値観」の再構築でこそあり、この「価値観」は組織のトップが導きだすべきものであればこそ、トップの交代は不可欠なものと思うのです。トップの引責辞任については「辞めればそれで済むのか」という批判がつきまとうのも現実ですが、私はこうした組織の新たな軸となるべき「価値観」再構築の観点からは絶対に必要なことであると考えます。

「価値観」の再構築作業は既存の組織内における常識にとらわれては全く意味をなしませんから、基本は核となる人物の外部登用や幹部構成員の刷新などが大前提となるでしょう。多くの不祥事発生企業で「組織風土」改革が進まない原因は、トップが引責辞任しても心太式に次席が持ち上がり運営大勢にほとんど変化なしというケースが大半だからなのだと思っています。

日航の再建がなぜ短期間にあれだけうまく行ったのか、それは破綻処理による経営陣の刷新と稲盛和夫氏と言うカリスマの外部からの登用により、新たな「価値観」を生みだすことができたからに他なりません。日航の再建を「銀行の債権放棄があったから」とする向きもあり、たしかに財務という物理面では否定しませんが、生き物である組織の風土が腐ったままであったなら決して今のような再生には至らなかったであろうと思うのです。

稲盛氏は、新たな「価値観」お題目に終わらせないために、その浸透を根気強く管理者に対して直接説き続けることで実現したのでした。「価値観」が生きた社員精神に反映され、新たな制度にも活かされたがために、日航は以前とは全く別の「組織風土」をもった組織として蘇ったのです。

東京電力を見てください。福島第一の事故以前と事故以降で、何が変わりましたか。私は利用者に迷惑をかけ続け、隠ぺい体質の下自己の論理でしかものを考えられない「組織風土」は何ひとつ改まっていないと思っています。原因は、トップは交代したもののその「価値観」には何の変化も見て取ることが出来ない、いや広瀬社長は個人的には新たな「価値観」を提示しているのかもしれませんが、社員の間には恐らく何も浸透していないし浸透努力もなされていないと思えます。

やっていることは、経費削減等をお題目に掲げ魂の抜けた「制度」の改革のみ。そこに「価値観」の底支えは微塵も感じられず、「人材」への影響も皆無。結局、東電の問題がこのような状況下の国有化東電として進められても、根本的な問題の解決にはならないでしょう。私がしつこく「東電は破綻処理すべき」との主張を続けているのも、「組織風土」改革こそが東電には必要なことであり、それを実現させ本当の再生をするにはもはや破綻処理以外にあり得ないと思うからなのです。

カネボウもJR北海道も、現時点ではトップは辞任せず、聞こえてくるのは再発防止に向けた「制度」の再構築のみ。このままでは、組織何には恐らく何の変革も起きず腐敗した「組織風土」のまま再スタートを切って、いつかまた同じような問題を引き起こし東電のように今度こそ立ち直り不能な状況に陥るように思えてなりません。

「組織風土」腐敗を指摘されている企業は、「制度」の再建だけでは根本的な解決には全く至らない。「価値観」の再構築と「人材」への浸透があり、その下での「制度」の再建がなされてはじめて、「組織風土」の腐敗を止め改めることができるのです。落ち着いて考えてみると、この問題はカネボウ、JR北海道、東電だけの課題ではなく、前後日本の発展と共に成長を続けてきた高齢日本企業共通の“老害症状”であり、多くの大手企業が自分の問題として向き合う必要があるのかもしれませんが…。

お知らせ~J-CASTさん拙連載「社長のお悩み相談室」更新されました

2013-09-25 | 経営
「半沢直樹」にも登場した銀行からの中小企業出向者の、大企業と中小企業の違いに起因するある種の勘違いのお話。長年大企業にいた人間には、オーナー社長のビジネスとプライベートの関係がすんなりとは見えてこないものです。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2013/09/23184405.html

「半沢直樹」最終回の元銀行管理職からみた解釈~補足説明

2013-09-24 | 経営
昨日のエントリに関して、メールやら電話やらいろいろご質問いただきましたので少し補足します。いただいたご質問にほぼ共通するポイントは、あの結末に現実味はどの程度あるのかということでした。
◆「半沢直樹」最終回の元銀行管理職からみた解釈
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/4049ee1f9ff0dcf8b53c373a36bbd3cd

まず大和田常務の処遇に関する中野渡頭取の判断。これはもう現実味ゼロであると言っていいと思います。昨日のエントリでも申し上げましたが、大和田常務のした私的目的による迂回融資はその段階で銀行員として即刻懲戒解雇確実なものですし、当初一時的な資金移動と説明した迂回融資資金に関して、タミヤ電機が返済を望んでいるにもかかわらず返済しないのは犯罪です。犯罪に目をつぶる行為は、大和田常務の個人的な犯行を組織ぐるみの犯行に変えるものであり、懲戒解雇以外の処分は絶対にあり得ません。

しかも、もし事実を金融庁に正確に報告しないという行動をとるなら(事実を伝えたら大和田常務を取締役で残すなどという選択を金融庁が許すはずがないので、この場合は確実に虚偽報告することになるでしょう)、組織としての隠ぺい体質は事が明るみに出た際に大変な問題になるでしょう。事が明るみに出るか出ないかですが、取締役全員および半沢氏周辺の一部職員、ならびにタミヤ電機関係者が既に事実を知るところとなっており、大和田常務または中野渡頭取を快く思っていない人間によるマスコミリークは避けられず、事の一部始終が公になるのは時間の問題でしょう(隠ぺい対応は、上場企業としての株主、投資家に対する重要事項の開示責任にもかかわるでしょう)。

ちなみに、役付き役員の平取締役への降格人事ですが、現実には銀行ではめったに存在しません。そもそも銀行は減点評価により毎年ふるい掛けが行われて勝ち残った者同士で、徐々に数が減る上位ポストをイス取りゲーム的に争う方式になっています。飛び昇給もほとんどない代わりに、降格もなくあるのはイスからあぶれた終息のみです。今回のように、常務取締役が何かの問題で責任を取らされたものの、あまり騒ぎを大きくしたくないなどの場合は、例外的に担当職務をすべて外した上で次回の役員改選時期(株主総会)まで、待命ポストとして形式上平取締役に据えておくというやり方はあり得るでしょう。ただし先は見えているので、その段階で実質退任です。

半沢直樹氏のへの辞令ですが、これは逆に現実味がものすごくある事例であると思われます。いわゆる「昇格But一回お休み人事」です。銀行組織の場合、角をもって突出しすぎる人間や組織の調和を乱す人間は問題視されるのが常であり(銀行に限った話ではないかもしれませんが、特に銀行はそうです)、業績進展などの実績は認め評価制度に則った昇格人事はおこないながらシラーっとポストで冷遇するという至って嫌らしい人事がそれです。私の知り合いの優秀なメガバンク行員にも、そういう人事を受けた方が複数います。

半沢氏の場合は、やはり本部職員や上席に対する態度の悪さはこれまでもかなり社内的に問題になっているはずであり、さらにあの最終回の取締役会席上での大和田常務や岸川取締役に対する態度は人事担当役員が目の当たりにすれば「危険人物」そのもので、人事ファイルに事細かに書き込まれることは確実でしょう。例えば、「一見温和だが、かなり勝気で危険な性格」「唯我独尊」「相手を徹底的につぶしにかかる」「相容れない者とは妥協できない」等々です。この書き込みは基本的にはいつ時点で書き込まれたものかの記録はなされるものの、半沢氏が銀行に在籍する限り(退職後もしばらく)残るものです。恐らく円滑な組織運営に懸念を与える人事情報であり、支店長職を含めた営業店への異動はこの先難しくなることでしょう。

今回の関連会社出向の辞令は「片道切符」ではないものの、組織を混乱させた事件の当事者をしばらく冷却ポストに置き組織の安定をはかることと、本人への行動面でへの反省を促す意味があると思われます。ではこの先この出向はいつ解かれ、彼はどうなるのか。早くて2年。長ければ5年。証券子会社での活躍があれば再び昇格で本体に戻ることも大いに考えられます。しかし、上記のような人事ファイルへの記載ならびに幹部社員における事件の記憶は冷めることがなく、現職役員が推薦方式で候補を選出しトップが最終判断する取締役への昇格は難しいのではないかと思われます。せいぜい部長職として銀行員人生を終え、「外に出すのは、いろいろな意味でリスクが大きい」との判断の下、関連会社№2あたりに収まるのではないでしょうか。

架空のドラマに関するつまらん業界解説、大変失礼いたしました。

※ブログコメント欄へのご質問、「タミヤ電機はどうなるか」について
ドラマストーリーを受けての対応としては、恐らく保身第一の腹黒い頭取の指示により、タミヤ電機へはお金は返還され融資は回収され「なかったことで」となると思います(最終的には、なんらかの裏スキームによって大和田取締役の平取締役報酬が返済原資に充てられるでしょう)。金利分は外為取引の手数料の減免とかで埋め合わせるとかになるのではないかと。大和田常務が銀行に残れば、社長はマスコミにリークするなどの逆襲に出ることで仕返しをすることもできるかもしれませんが、現実には先々の取引を考えると社長自身ではやらないでしょう。

「半沢直樹」最終回の元銀行管理職からみた解釈

2013-09-23 | 経営
話題のTVドラマ「半沢直樹」の最終回を見た私の友人たちが、昨晩からけっこうSNSで騒いでいます。大半はドラマの結末に不満ありで、その論点は「自己の利益の為に迂回融資を指示した大和田常務はなぜクビにならないか」「半沢直樹はなぜ出向なのか」というもの。ここはひとつ私が元銀行管理職の観点で、納得のいくようにご解説申しあげましょう。

まず、大和田常務の降格という処遇について。ドラマの中で本人も「懲戒解雇になっても文句が言えない立場」と口にしていましたが、結果は外部出向でもなく平取締役への降格止まり。半沢の同期が、合併行の融和を重んじて相手行トップを完全掌握することを狙いとした頭取の温情人事であると言っていましたが、私はその見方は全くのはずれとは言わないもののあくまで付随的な理由であると思います。

最大の理由は、中野渡頭取自身の保身でしょう。定例の役員異動でない時期に№2の常務を更迭するなら、「東京中央銀行に何事があったのか」と大問題に発展しかねません。それが役員の家族企業への迂回融資であったなどと分かったなら(話題になればたいてい関係者からリークされます)世間的には大事件であり、対金融庁上もタダではすまされない問題に発展することは想像に難くありません。さらには銀行の信用問題にも発展するでしょう。そうなればすなわち、頭取の責任問題は回避できません。単なる降格人事であるならば、「与信管理上の責任をとらせた」等々理由はいくらでもつけられるのです。

「私は人を見て判断した」などと大和田常務本人に平気な顔でのたまう中野渡頭取は相当なたぬきであると思われますが、銀行上層部にたぬきはつきものです。このドラマの事件は、迂回元の企業が金を返してくれと言っている以上完全に犯罪であり、また私欲での迂回融資など、言い訳の余地なきコンプライアンス違反です。この事件を金融庁に対しては虚偽報告もしくは未報告で済ますであろう中野渡頭取は、大和田常務の上を行く一番の悪(ワル)であると断言していいと思います。

次に、半沢直樹の出向人事について。このドラマでは再三再四、出向は片道切符の「悪いモノ」的なイメージで語られ続けていますが、現実は必ずしもそうではなく、“一回休み”的な待避ポストとしての外部出行も存在します。特に今回の半沢氏への辞令は、グループ内証券会社と思われる先への営業企画部長発令です。同じ金融機関への出向は、銀行業法上本体では取り扱えない金融業務を身につける場でもあり、将来の役員候補に対する教育的出向であると理解できるものでもあります。

しかも、関連会社の職位はひとつ下の職位が本体の対応職位であり、営業企画部長という部長職は本体でば副部長がそれにあたります。すなわち本店次長職の半沢氏にとっては昇格人事であり、不満を感じるべき異動ではないのです。外部出向時に昇格人事で外に出すと言うのは“片道切符”ではあり得ないことなので、この点からも半沢氏の出向が片道ではないことが分かります。

さらにもうひとつ、半沢氏の出向人事には金融庁からの検査入検時の対応に関する指導に形式上答える必要に迫られたものでもあるのでしょう。対金融庁向けの「ご指摘の人物は主要ラインから外部への異動を命じました」というポーズです。要するにこの点もまた中野渡頭取の保身対応が見てとれるのです。私には金融庁長官宛、上記に関する報告書を携えて平身低頭“ご説明”にあがり、事なきを得て帰りの黒塗り公用車の中でほくそ笑む中野渡頭取の姿まで目に浮かんでくるところです。

いずれにしましても、多くの方々がご指摘の通り、続編を作らんがためのキャストの温存というシナリオありきのエンディングであるとは思われるのですが、上層部のさらに深い闇を最後に暗示させると言う意味で、銀行員観点からはよくできたエンディングであると思います。続編では、半沢直樹氏の中野渡頭取への「倍返し」を期待したいところです。

「特別警報」発令!その時銀行は?

2013-09-18 | ニュース雑感
台風18号による被害の関連で先月30日の運用開始以降今回初めて出された「特別警報」に関して、さまざまな問題が取り上げられています。私は、過去の仕事のからみから思い当たるこの問題に関する懸念材料を提起しておきたいと思います。

「特別警報」は、「「警報」の発表基準をはるかに超える数十年に一度の大災害が起こると予想される場合に発表し、対象地域の住民の方々に対して最大限の警戒を呼びかけるもの」と規定され、気象庁が発表しそれを受けて都道府県から市町村への通知および市町村から住民・官公署に対する周知が義務づけられました。

主な周知ルートは以下の通りです。
1 気象庁 → 住民(報道機関の協力の下行う)
2 気象庁 → NHK
3 気象庁 → 都道府県、消防庁、NTT東日本・西日本(地震動以外)
4 気象庁 → 海上保安庁(地震動・噴火以外)
5 気象庁 → 警察庁(噴火・大津波のみ)
6 都道府県 → 関係市町村長
7 警察庁、消防庁、NTT東日本・西日本 → 関係市町村長
8 海上保安庁 → 航海中および入港中の船舶
9 NHK → 公衆
10 市町村長 → 住民・官公署

さて私が気になるのは、銀行の問題です。この周知ルートに銀行あるいは監督官庁である金融庁の記載がない点はいささか気になるのです。

銀行は免許業務であるが故に監督官庁の認可なくしては営めない事業であり、届け出た営業日、営業時間は、その銀行の一存で事前承認なく変更することは認められません。例えば、銀行のある支店が改造工事などのために、やむを得ない事情が生じて営業時間を変更しなくてはならない場合でも、必ず事前に当局(金融庁)許可をとる必要があり、その許可は事前に利用者への周知徹底がなされ一切の混乱が発生する懸念がないことが前提条件になります(このような手続きを必要とする大義名分は「金融秩序の維持」であります)。

一方、5月に法制化され8月30日に運用スタートした「特別警報」ですが、この発令に伴い銀行が営業時間を急遽変更したり休業したりする可能性があると言う旨の通知は、私が取引する銀行からは今のところどこからも案内がありません。各銀行のホームページも見る限り本件に言及しているものは、見当たらないように思います。

なんでこんなことを申し上げるのかと言えば、とにかく銀行と言うところは融通のきかないお役所文化が服を着たみたいところでして、このままだと、例え「特別警報」が出されたとしても、津波のようなすぐに逃げないと明らかな危機が迫ってくるというような場合以外は、営業時間中に当局の許可なしで店のシャッターを下ろして営業を終了させるなどということがとてもできるとは思えないからです。

支店「大雨特別警報が出されたのですが…。店を閉めて避難してもよろしいでしょうか?」
本部「当局の許可なく営業時間中に店を閉めることはできませんから、今金融庁に確認しますのでそのまま支店で待機していてください」
支店「かしこまりました」

「特別警報」発令時のこんな会話が容易に想像できるところです。このようなやり取りがもし銀行の現場でおこなわれてしまうなら、せっかくの警報の発令により「命を守る行動」を求められていながら、役所的な対応に安全確保のチャンスを奪われてしまうかもしれません。そんなことあり得ないだろうと、思われるかもしれませんが、「特別警報」が超法規的行動まで容認されるものであるとでも事前アナウンスされていないなら、上記のようなやりとりは十分に考えうるのです。

たまたま台風18号の「特別警報」は銀行休業日であったから事なきを得ていますが、逆に言えば初めての「特別警報」発令が銀行休業日に出されたものであったからこそ、「特別警報」に対する銀行の現場対応という問題が、次に向けた改善策や教訓にならずに埋もれてしまうリスクを感じるわけです。金融当局ならびに、銀行関係者は早急にこの問題への具体的な対処を検討し利用者も含めたステークホルダー向けアナウンスをすることで、「特別警報」に対する銀行対応についての共通認識を早急に作り上げる必要を感じています。

オリンピック投資は中小企業を優先すべきと思う件

2013-09-12 | 経営
東京オリンピック2020が決まって、今さらながらに賛否両論が渦巻いているようであります。否定派の方々のポイントは、「今の日本は何をおいても被災地優先。オリンピック費用を被災地に回すべき」といったところでしょうか。

気持ちはよく分かります。ただ企業再生の場合も同じことなのですが、傷の修復と先々につながる新たな「投資」は別次元で考え並行してすすめることではじめて再生への道筋はつくりあげることができるのであり、再生に向けた「投資」という考え方にもご理解をいただきたいと思うところです。

問題は「投資」が有効な形で発展に寄与し、確実に再生につながるものになるか否かという点ではないかと思います。今回のオリンピックで申し上げるなら、被災地の復興とその土台となる日本経済の再生に向けて、新たな「投資」がどれだけ有効に機能するかということこそが、我々がもっとも注目すべき重要なポイントであると考えるのです。

再生の土台と申し上げましたが、被災地の復興が順調にすすめられるためには、何をおいても長く続いたデフレ不況からの脱却による日本経済の再生・活性化が不可欠であるところは異論のないところではないかと思います。私はその最大のポイントは、中小企業の活性化策に尽きるのではないかと考えています。

アベノミクスによる金融緩和策は確かに円安・株高を生み、一部の企業人には再生への手ごたえを感じさせる状況にあるようではありますが、それは円安・株高の恩恵を直接受けているごく一部の大企業に限られたものとの声が主流。日本経済の根底を支えている大半の中小企業においては、まだまだ再生の実感は乏しいと言うのが実態のようです。

中小企業を巡る経営環境を見渡せば、実は未解決の大きな問題が横たわっています。金融円滑化法の出口戦略と言われる事後処理の問題がそれです。中小企業や住宅ローンの金銭債務の支払いについて、返済困窮者が希望すれば一定期間猶予することを規定したこの法律は、リーマンショック後の景気停滞を受け2009年に時限立法として法制化され、その後東日本大震災の影響も加味し2回の期間が決定されましたが、今年3月の期限を持って終了となっています。

アベノミクス効果による景気回復と政府の成長戦略によって、中小企業における復調は確実であるとの見方に基づき決定されたと思しき3月での打ち切り措置ですが、実際には上記にも記したように未だ景気回復実感は中小企業レベルにまでは達しておらず、出口付近で行き場を見失いつつ滞留する企業が多いのが現実なのです。

このような事実関係を踏まえて考えるならば、先ず何よりオリンピックの「投資」は中小企業のトップライン向上に資するものを具体的に打ち出して欲しいと思うのです。長引く不況下で下請けのトップラインからいかに搾り取って自己のボトムラインを向上させるかに専心してきた大企業文化の下では、高度成長期のように大企業に仕事を出せば流れで川下の中小企業まで潤うという流れは期待できず、結局大企業だけが潤って終了ということにもなりかねないのです。

それでは日本経済の真の再生につながることなく、オリンピック「投資」を震災復興につなげるといった流れも期待できません。ではどうするのがいいのか。オリンピック関連の発注については、入札規模制限などで中小企業にできるものは中小企業に任せる、大企業はあくまでフォローに回らせる、大企業経由で下請け仕事を発注させる場合にも下請けへの発注最低価格を指示してそれ以下の金額で仕事を出すことを禁じ報告義務を課す等々、言ってみれば「小さな政府」の民間版のような考え方で中小企業のトップラインを押し上げる努力をして欲しいのです。

せっかくの「投資」もまた大企業だけが潤っておしまいでは結局、既得権者でオリンピックの恩恵を分け合って終わりになりかねないわけで、それでは「投資」が震災復興に寄与できるような有効な好循環スパイラルは実現できないと思うのです。震災復興を根底で支える真の景気回復は、中小企業の浮沈こそがそのカギを握っているということを十分に認識していただき、政府や東京都はこれから本格化していくオリンピック関連投資について、同じ額の「投資」でもいかにして中小企業のトップラインを最大化するような入札方式や発注方式にしていくか、その点に十分な配慮と知恵を絞って欲しいと思います。

オリンピックが東京で開催されることになって本当によかったと、被災地の方々を含めて多くの国民が生活の中で実感できる工夫をすること、それがオリンピック誘致を積極的にすすめて実現につなげた日本政府、東京都の最低限の務めであると思います。